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■名前・氏名
原田 真二
(はらだ しんじ)
■職業
ミュージシャン
■原田真二の誕生日・生年月日
1958年12月5日(年齢61歳)
■出身地・都道府県
広島出身

原田真二と同じ年に生まれた芸能人(1958年生まれ)

原田真二と同じ誕生日の人(12月5日)

原田真二と同じ出身地の芸能人(広島県生まれ)


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原田真二

略年表

原田の家系は海外移民(アメリカのシアトル)した者が多く、その一部が広島に戻り生まれたのが真二である。

出生 - 1958年12月5日に広島市で出生(デビュー当時は、誕生日が1959年1月2日と表記されていたが、これは両親が出生届けを1月2日まで遅らせたためで、出生日は12月5日だった)。

学歴 - 安田女子大学附属幼稚園卒業〜広島市立本川小学校卒業〜広島市立大手町中学校卒業〜広島市立舟入高等学校卒業〜青山学院大学経済学部第二部経済学科中退。

国語の教師だった母の影響で幼少期から大変読書好きな子供であった。また、分からないなりに船の中の設計図を作成したり、機械いじりも得意で、幼稚園時のニックネームは「博士」。将来は設計技師になろうと思っていた。

母が会長を務める「よい本をすすめる母の会」主催のクリスマス発表会、創作童話劇「いなばの白うさぎ」でナレーターを担当。脚本・演出が父、主演は兄。この童話劇は広島テレビで放送され、その活発で愛くるしいキャラがプロデューサーの目に止まり、小学二年の時「テレビ子供ホール」という番組の司会に抜擢され半年間務める。同じ頃、少年少女合唱隊にも所属。

小学校三年の秋、ペルテスという難病に罹る。入院・自宅静養後、小学校六年で完治するまで、コルセットをはめ母親の運転する自転車の荷台で登校する日々を送る。その間、読書や天体観測に夢中になり、「地球は青かった」等の書物を読みあさり、夢は宇宙飛行士になること。NASAに入るための道筋を順序立てて考えていた。しかし、小学校上学年の時、テレビでザ・モンキーズの音楽ショーを見て音楽に興味を持つようになり中学校からギターを始める。六年生の時、アマチュア無線技士の免許を習得。

中学1年で、入学早々生徒会の副会長に立候補し当選する。部活は森田健作の青春ドラマ「おれは男だ!」に憧れ剣道部に入部。初段をとり、対抗試合にも出場。

時代はフォークブームのおり、中2の時フォーク・グループを結成。演奏曲は吉田拓郎やガロ他。朝礼で歌ったり学内では既に人気者であったが、受け狙いでやったあのねのねの「魚屋のおっさんの唄」はまったく受けず、朝礼を真っ白にさせたことも。中3の学祭では、初めてオリジナル曲を披露している。

中2の3学期に、エルビス・プレスリーの衛星生中継、Aloha from Hawaii(1973年1月14日)を観て、「コンサートってこんな興奮するものなんだ!」と、衝撃を受ける。

高校受験を突破するという名目で、プラス思考へ潜在意識を動かすことにより人間の潜在能力を引き出すメンタルトレーニングのセミナー「考え方教室」に通い、心の大切さ、人間の可能性について学ぶ。

中学3年の時、エルトン・ジョンが来日。ピアノの弾き語りスタイルでありながらエンターテイメントなライブパフォーマンスのファンとなる。その後もポール・マッカートニー&ウイングスやスティービー・ワンダー、T・レックスなど、洋楽に魅了され、この頃プロになろうと決心を固める。

高校は広島で有数の進学校に進んだが、目標を定めた原田は、軽音楽部に所属し、バンド「ビールス」やガールズバンドでドラムも担当、他大小4つのバンドを掛け持ち。ピアノも始め、大人に混じりジャズのビッグバンドにも参加。グレン・ミラーオーケストラの譜面を取り寄せ各パートごとに徹底解剖する等、学力の低下も省みず音楽漬けの日々を送る。

応援団にも所属し和太鼓を担当。この頃の愛読漫画は「嗚呼!!花の応援団」。原田は授業中この漫画を一番後ろの席を陣取り、笑いを堪え肩を震わせながら読んでいたこともあった。

高校2年の秋、「月刊明星」に載ったフォーライフ・レコードの第一回新人オーディションの広告を見て、修学旅行を休みデモテープ作りにかけた。3000人以上といわれる応募があったテープ選考ではピックアップされなかったが、その凝ったデモテープが吉田拓郎の目に留まり、試しに写真を見るとアイドルチックな美少年だったので慌てて電話を入れ、ディレクターが広島まで出向き採用を決定した。

1977年 3月30日 - 広島フォーク村主催の卒業記念&プロとして上京の為の出発コンサート(「ビールス」ラストコンサート、広島市青少年センター)では、某大手アイドル事務所など、多くの芸能関係者が原田詣に訪れた。

1977年10月25日 -「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。その後1ヶ月ごとにシングルを3枚発売(俗にトリプル・デビューという)。原田真二の魅力は(奥が深く)1曲では伝えられない、という理由からの異例のデビューとなった。

1978年 2月25日 - デビューアルバム『Feel Happy』がオリコン史上初の初登場1位となり、4週に渡って首位の座に付いた。デビュー作から全作曲、編曲も手がけ、演奏にも加わり、プロデューサー(吉田拓郎と共同)としてもクレジットされている。シンガーソングライターとしては、10代(19歳3ヶ月)でファーストアルバム1位を獲得した男性ソロシンガーは未だ原田真二しかいない(女性ソロでは宇多田ヒカル(『First Love』) のみ。

1978年 4月10日 - 発売の4thシングル「タイム・トラベル」がデビュー3作を上回る自己最高位に。この後所属事務所を「アミューズ」から、井上陽水・ブレイク前のRCサクセションが所属していた「りぼん」に移籍。

1978年 7月24日 - デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手、としては史上初の武道館単独公演を行った。ライブアレンジも手がけ、演奏を重視した純粋なロックコンサートに仕立てた。

1978年夏 - この頃、新人賞レースに参加しないことを公表。同じ新人の世良公則&ツイストも後に辞退を発表したが、事務所移籍という掟破りな行動も手伝ってか、生意気だとマスコミの批判が原田に集中した。

1978年11月 2日 - 母校青山学院大学の学園祭ライヴをやったが、1万席しかない所に2万2千人が押し寄せ機動隊まで出動するパニックとなり、チケットは持っていたがコンサートを見られなかった者が続出した。

1978年11月21日 - 発売6枚目のシングル「OUR SONG」では初の作詞をはじめ、作曲、編曲、オーケストラアレンジ、プロデュースを手がける。

1978年12月16日 - 武道館ライブを中心に、その合宿風景なども追ったドキメンタリー映画「OUR SONG and all of you」が公開される。新人としては異例。監督はキャロルの解散コンサートや、近年では地球交響曲<ガイアシンフォニー>シリーズで知られる龍村仁。龍村とは後に、筑波科学万博「健康・スポーツ館」(1985) / TBS「いのちの響 生命交響楽」(1995年)でも映像とテーマ曲で共作。

1978年12月31日 - NHK紅白歌合戦に出場。

1979年 4月21日 - 発売の2ndアルバム『natural high』の制作で、初の海外レコーディング(ロサンゼルス)に臨み、海外ミュージシャンとセッション。英語詞以外の作詞、作曲、編曲、プロデュースを手がけた。

1979年12月26日 - 2年続けて武道館ライブを敢行。

1980年 - 21歳で事務所を独立。株式会社クライシスを興す。レコード会社もポリドールに移籍。ソロ名義から原田真二&クライシス (SHINJI & CRISIS) として活動開始。

1980年夏頃 - ジョン・レノンプロデュースでのレコーディングの話が内々で持ち上がるも、1980年12月8日、ジョンはニューヨークで銃弾に倒れ幻となった。

1980年11月 5日 - 10月のシングル「STRAWBERRY NIGHT」に続き、アルバム『HUMAN CRISIS』発売。「僕の中にあるハードな部分ががつ〜んと出た一品。当時のファンの人たちを裏切りまくった僕のトライでした。」

1981年12月25日 - CRISISの他、ストリングス&ビッグ・バンドを配しての特別編成クリスマスライブを中野サンプラザで行う。同時に米国への音楽留学による充電(約1年に及ぶ)をステージ上から発表。

1982年10月 - 23歳で結婚。結婚パーティーにはCHARや八神純子など音楽仲間も駆けつけた。プロポーズの言葉は「結婚するなら僕がいいじゃん!?」

1983年 5月 5日 - アメリカから帰国後フォーライフへ再度移籍した原田は、シングル「雨のハイウェイ」を発売しザ・ベストテンのスポットライトのコーナーにも出演。

1983年12月 - 翌年発売のニューアルバムの予告的ライヴとして、同名タイトル「Modern Vision」と題したアクトを取り入れたコンサートを渋谷公会堂で開催。

1984年 3月21日 - アルバム『MODERN VISION』が発売され5月からそのツアーもスタート。オープニングアクト(演劇)等を取り入れ、アルバムと平行したメッセージをライヴでも発信するというもの。

1984年11月21日 - 発売のシングル「Teardrops」では、コンピューターグラフィックスを取り入れた短編ストーリー仕立てのMVを制作。撮影直前に台本から監督まで代わってしまい、本人の納得できる仕上がりにならなかったばかりか、時代的なものもあり、今では直視できない映像だと言っている。原田のミュージッククリップは、古くは原田の発案で「シャドー・ボクサー」がフィルムコンサート用に制作されている。埠頭を走っているだけの単純な映像であったらしいが、このフィルムは幻化している。

1985年 3月17日- 9月16日 - 筑波科学万博「健康・スポーツ館」、生命誕生をテーマに17m×23mの大スクリーンで迫る「BREATHE」の音楽を担当。観客動員数はパビリオン中では最大だった。映像監督は龍村仁。

1985年10月 - 新たに「Friday Night Club」というイベントを企画。定期的にクラブでのライブを試みた。場所は東京表参道のモリハナエビル「ザ・スペース」。

1985年11月 1日 - レコードクレジットでの原田真二&CRISISを解消し再びソロに転じ、Friday Night Clubの乗りをアルバムにした『Magical Healing』を発売。バンド・サウンドから打ち込みサウンドへ移行。

1987年 7月21日 - デビュー10周年として7月〜12月で「SWEET HEART」「LOVE OPERATOR」「君にもっと近づきたくて」と、トリプルでシングルを発売。

1988年 7月 - レコード会社を「NECアベニュー」に移籍。社名も「Air Field」と変更されバンド名もTHE AIRとした。10月21日にシングル「You are my Energy」。11月21日、アルバム『Urban game』発売。

1989年 9月21日 - 『Urban game』発売に伴うライブツアーの模様を収めた、ライブアルバム「Just Urban Night」とライブビデオ「Live Act Urbangame」を3曲以外は曲目を変え同時発売。

1990年 2月 - プライベートではこの頃より一時期「幸福の科学」との接触(90-91年頃)が取りざたされる。原田いわく、以前、様々な考え方、見方、世界観を学ぼうと、いろいろな分野の方や宗教家の方々ともお話させてもらっていた一環でのコンタクトで、要は"自分の中での世界観を持つこと"と以前から言っており、現在も特定の宗教を信仰しているということはなく無宗教である。また"民族・宗教・国境の壁を越え共有できるのが音楽"とも言っている。

1990年 6月 - 同時期にアメリカで人気を博した「MTVアンプラグド」の影響もあり、「アコースティック・ナイト」と題された、少人数、小さな箱でのアコースティックなライブにも着手し始める。

1992年 4月 -「日本コロムビア」への移籍を、渋谷「クラブ・クワトロ」ライブ中に発表。

1995年12月9日 - 環境庁主催のチャリティーLive(パシフィコ横浜)の制作に携わり演奏も行う。その後、環境チャリティーコンサート「SEEDS IN THE FIELD」にも数回出演。

1996年 2月21日 - TBS「いのちの響 生命交響楽」のテーマ曲「生命交響楽」発売。カップリングは自身が手がけた八王子市立下柚木小学校の校歌をCD化。

1996年 4月20日 - 前年に広島原爆から50年を迎えたことを受けて作られた「ひろしまから始めよう」を発売。当時広島で行われたいくつかの平和祈念イベントでも披露。近年のピースライブでも主要に歌われている。

1997年 3月22日 -「The Symphony Sessoions」と題したオーケストラをバックにしたコンサートを行う。(シアターコクーン)

1998年 2月19日 - 3月8日 - ミュージカル「奇妙なゲーム」で、全曲書き下ろしによる音楽監督を担当。出演:細川俊之 / 遠山景織子 / 坂本昌行

2000年 7月25日- 8月30日 - 松田聖子のCDをプロデュースしたのに伴い、夏のツアーにゲストとして参加。

2000年 8月26日 - 公のライブとしては初の「鎮守の杜コンサート」が、明治神宮で開催される。NHK-BSでテレビ中継もされた。ゲストは松田聖子。

2000年12月 - 松田聖子 X'mas Dinner Showのツアーより2004年夏ツアーまで、夏・冬のライヴツアーのサウンドプロデューサー、バンドマスター、CDプロデュースを務める。

2001年10月13日 - 地球環境行動会議 (GEA)・地球環境警鐘会議、合同レセプションにて加藤登紀子、斉藤ノブ、南アフリカのミュージシャンらと競演し演奏。

2002年 5月30日 - 日韓合作映画「白神渡海」の音楽を担当し、主題歌「海風 UMIKAZE」を発売。挿入歌は、松田聖子「愛の歌」(2004年、The song of loveとしてSunshineに収録)。

2003年 8月 1日 - 加藤登紀子とのデュエットで、岐阜県の「花の都ぎふ祭り」イメージソング「薔薇と月 -ROSE AND MOON-」を製作し発売。関連のイベントライブにも数回出演。

2004年 6月 9日 - 発売。全面プロデュースを担当した松田聖子のアルバム『Sunshine』がオリコン初登場6位にランクイン。この夏のツアーをもってコンビ解消。

2004年 8月 8日 - フランスで開かれた「カンヌ国際芸術祭」のオープニングセレモニーに、鎮守の杜コンサートの形態を一部持込ライブを行った。

2004年12月28日 -「New Power Generation」と題した若手バンド中心のライブイベントを企画。自らも川野直輝(ドラムス)とユニットを結成。後に田中昌志(ベース)をライブサポートメンバーとして加え、3ピース形式で「generation」として演奏。2007年まで定期的に開催された。二人の息子も自バンドにて参加。

2005年 2月 - 特定非営利活動法人「ジェントル・アース (Gentle Earth)」を設立。以後様々なNPO関連のチャリティーイベントに携わる。

2005年6月5日 - 愛知県長久手市で開催された「愛・地球博」の「環境の日」イベントで「第三部 鎮守の杜コンサート」を担当。

2005年12月22日 - より (- 2009)、ストリートチルドレンの救済活動を行うNPO法人「Singing Angel Project (SAP)」のフェスティバル(岡山)に参加。

2005年12月 - より毎年、クリスマス・チャリティー・ディナーライブツアーを行い、収益金の一部はユニセフ等に寄付している。

2006年 7月24日 - から「Peace Charity Concert」(hiroshima Voices 2006 / 2007) (Global Harmony 2008 - )に中心的存在として参加&企画制作。その流れで8月5日(日本時間6日)広島原爆投下の日に合わせたニューヨークでの「Universal Peace Day」と題した、民族・宗教の壁を越えた平和祈念イベントに参加。以後毎年継続し、東京、横浜、広島、長崎、リバーサイドチャーチ、リバーサイドパーク、セントラルパーク等で演奏。これは、“No more Hiroshima, No more Nagasaki”平和・反核をテーマにしたもの。

2006年 9月11日 - 9.11(NYテロ事件)追悼セレモニーにも毎年参加。ハドソン川をバックに演奏もしている。

2007年 1月12日 - 元アメリカ副大統領アルゴア氏制作の環境映画『不都合な真実』のエンディングテーマ「I need to wake up」の日本語版を制作、配信、アルゴア氏来日レセプションにて演奏。

2007年 5月13日 -「大和〜YAMATO The Global Harmoney〜」発表。広島、呉の(戦艦)大和ミュージアムの主題歌として製作された。戦火の犠牲になった人たちの命を決して無駄にしないという想いと、互いを尊重し合う和の心こそが平和へのキーワードと歌っている。平和イベントで再三披露されている。

2007年 8月15日 - ROPPONGI WAVE RECORDSよりアルバム『Feel Free』発売に伴い、リリース記念ライブを世良公則 (GUILD 9) と合同で行った。

2007年10月25日 - ニューヨークにある国連に招かれ、長崎被爆をテーマにしたアニメ映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」の試写会で演奏。

2008年 4月 -「Singing Angel Project」の一環として、フィリピン・マニラを訪れ、貧困にあえぐ子供たちの惨状を視察。スラム街、スモーキー・マウンテンで働くストリートチルドレンを招待し同所でライブも行った。

2008年 5月 4日 - 平和憲法の象徴である憲法第9条を守る趣旨の「9条世界会議」(幕張メッセ)にて演奏。

2009年 9月 - メキシコ国連、軍縮会議で演奏。

2010年 7月 - シングル「Goodbye Tears」のPV撮影で、2009年4月に35年振り上陸が解禁された長崎 軍艦島でのロケを敢行。

2010年 9月10日 - 9月13日(現地日) - 被爆ピアノ・ピース・コンサートin ニューヨークに参加。9・11のハドソン川などNY周辺で演奏会を開く。

2011年 1月 - 広島市より、広島市民賞を受賞。広島市民賞は、市民に夢と希望とやすらぎを与え、元気な広島、住みよい広島を作るために寄与された人に対し授与される。

2011年 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震発生を受け、3月末より各地で大小様々な震災支援チャリティーライブに出演&企画。被災地での慰問ライブも定期的に行う。

2013年 9月 6日 - 国連の平和教育に関するハイレベルフォーラムにて演奏(ニューヨーク国連本部、信託統治理事会会場)。

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