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エンリケ=イグレシアスの情報 (EnriqueIglesias)
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■名前・氏名
エンリケ=イグレシアス
(Enrique Iglesias)
■職業
歌手
■エンリケ=イグレシアスの誕生日・生年月日
1975年5月8日(年齢48歳)
■出身地・都道府県
不明

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エンリケ=イグレシアス

幼年期

イグレシアスは、スペインのレアルマドリードの元二軍サッカー選手で世界的に有名な歌手となったフリオ・イグレシアスと、フィリピンとスペインのミックスで元モデルのセレブリティであるイサベル・プレイスラー (Isabel Preysler) の間に次男として生まれた。4歳上の姉がニュースレポーターのチャベリ・イグレシアス (Chabeli Iglesias)、2歳上の兄は同じく歌手のフリオ・ホセ・イグレシアス(Julio José Iglesias フリオ・イグレシアス・ジュニアとも呼ばれる)である。ほかに異父兄弟が2人、異母兄弟5人がいる。

エンリケ・イグレシアスは、3歳の時に両親が離婚、父はアメリカ合衆国フロリダ州マイアミに移り、子ども達は母とマドリッドに住んでいた。しかしイグレシアスの祖父、フリオ・イグレシアス・プガ (Julio Iglesias Puga) がバスクのテロリスト集団ETAに誘拐された事件が起こり、1982年、身の危険を感じた母によって、兄姉とともにマイアミの父親の元に送られる。

父親は不在のことが多く、イグレシアスは母親に会うために毎年夏をスペインで過ごす以外は乳母のエルビラ・オリバレス (Elvira Olivares)に育てられた。最初のアルバムもエルビラに捧げられたものである。

イグレシアスは億万長者の息子として非常に裕福な生活を楽しんでいたが、後にシンプルさを好むようになった。その傾向はコンサートでも見られ、白いコットンシャツにジーンズといった地味な衣装で現れるようになった。

キャリア

イグレシアスの最初のキャリアは、プレップ・スクールのガリバー高校(Gulliver) 在学中に出演したミュージカル『ハロー・ドリー!』 (Hello, Dolly!)である。両親に秘密で歌のレッスンを始め、経営学を学ぶためにマイアミ大学に一年通った後、音楽の道に進むことを決心した。イグレシアスは契約してくれるレーベルをさがしていたが、契約にこぎつけるまで本名を名乗ることを頑なに拒み、エンリケ・マルティネス (Enrique Martinez) という仮名を使った。デビューに至る経歴は、素性をまったく知らない第三者がイグレシアスのデモテープを聞いて才能を認めたという説と、父親の元マネージャーでデビュー当時からエンリケ・イグレシアスのマネージャーを務めたコロンビア人のフェルナン・マルティネス (Fernán Martínez)に支援を頼んだという説がある。

イグレシアスとマネージャーの2人は、無名の中南米出身の歌手としてエンリケ・マルティネスのデモテープを各社に渡して売り込んだが、大手すべてに断られた。ようやくメキシコ音楽などを扱うスペイン語系レーベルのフォノビサ (Fonovisa)だけが興味を示した。フォノビサと契約を結んだイグレシアスはカナダのトロントで1枚目のアルバムのレコーディングを行う。

1995年発売の最初のアルバム『Enrique Iglesias』は発売3ヶ月で100万枚を突破し、最初のゴールドディスクは発売後わずか7日で手に入れたポルトガルのものである。700万枚のセールスを記録したアメリカではプラチナディスクを得ている。フォノビサからはデビューアルバムに次いで、1997年『Vivir』1998年『Cosas del Amor』をリリースしている。フェルナン・マルティネスのアドバイスで、『Cosas del Amor』では初めて英語で(スペイン語と半分ずつだが)歌った曲『Bailamos』が収録されている。

フォノビサでの成功(プラチナディスク2枚、ゴールドディスク1枚)によって、業界大手のユニバーサルミュージックとアルバム6枚を出す契約を結び、スペイン語圏から英語圏市場へ進出した。そして2000年2月には国民的祭典スーパーボウルのハーフ・タイム・ショーに出演し、2003年12月にはニューヨークの風物詩ロックフェラーセンターのクリスマス・ツリー点灯式に招待されるなど、ラテン社会のみならずアメリカのメインストリームでも受け入れられるスターとなった。

2000年6月には口パク疑惑が起こった。辛らつでショッキングな放送内容で有名なニューヨーク在住のラジオ・パーソナリティー、ハワード・スターンは、音程のはずれた『Rhythm Divine』(イグレシアスの歌うMP3 [1] と歌う映像ビデオ[2])らしきものを受け取った。スターンはこの激しく音痴で可笑しい歌を自分の番組で一週間にわたって流し、イグレシアスのライブが口パクでスタジオの外では上手く歌えないどころか、ミリ・ヴァニリと同じようにアルバムは別人が歌っているとまでほのめかした。イグレシアスはニューヨークに直行しハワード・スターン・ショーに出演、アコースティックで『Rhythm Divine』 と 『Be With You』を歌った。スターンは批判を止めるとイグレシアスに言った。イグレシアスはこの疑惑とハワード・スターン・ショーへの出演は、結果として最高のプロモーションになったと語っている。

日本には2000年2月にプロモーションで訪れHMV渋谷店でファン・イベントを行った。2002年1月にも『エスケイプ』のプロモーションで再来日し、1月27日にHMV渋谷店でミニコンサートを開き、1月29日に『笑っていいとも』、2月2日に『ポップジャム』などに出演した。

2005年2月イグレシアスはトミー・ヒルフィガーと契約し、香水『True Star Men』の様々な宣伝イベントに出演し、コマーシャルのテーマソング『Ring My Bell』も歌っている。人気テレビ番組『エクストリーム・メイクオーバー ( Extreme Makeover: Home Edition)』のシーズン最終回に登場し『Somebody's Me』を歌った。『Ring My Bell』と『Somebody’s Me』は2007年発売の『Insomiac』に収録されている。

イグレシアスのアルバムセールスは4000万枚に達し、世界で最も売れているスペイン語系ミュージシャンの一人となっている。イグレシアスは父親の持つセールス記録(3億枚以上)には達していないものの、アルバム1枚あたりの売り上げでは父を超えており、1990年代に最も売れたスペイン語系アーティストとなった。レコード会社がつけた「世界で最も売れているスペイン人アーティスト」というレッテルもあながち間違いではない。イグレシアスは、もし将来子どもが生まれて同じ道を進むことになったら、自分と同じように、父である自分の記録を超えることを期待するだろうと語っている。

イグレシアスはソング・ライターであるガイ・チャンバース (Guy Chambers) とのコラボレーションで、アンドレア・ボチェッリの最初のポップ・アルバムに収録されているシングル『Un Nuovo Giorno』を書いた。この曲は後に『ファースト・デイ・オブ・マイ・ライフ (First Day Of My Life)』として英語に訳され、元スパイス・ガールズのメラニー・チズムがカバーしてヨーロッパじゅうで大ヒットし、多くの国でチャート1位になっている。イギリスのバンド、ホリーズ (The Hollies)のアルバムにはイグレシアスと共同で書いた曲が4曲含まれている。イグレシアスは、もし引退するようなことがあったら他のアーティストのために曲を書いてプロデュースしたいと何度も語っている。

また、2000年にイグレシアスは『Four Guys Named Jose and Una Mujer Named Maria』というオフ・ブロードウェイ・ミュージカルを共同プロデュースした。このミュージカルは、音楽に興味のあるラテン系アメリカ人の4人が出会ってショーを上映するという物語である。カルメン・ミランダ、セレナ、リッチー・ヴァレンス、サンタナ、リッキー・マーティン、イグレシアス自身といった今昔のラテン音楽やラテン・ポップ・アーティスト達の曲を彷彿させる内容である。

2002年にイグレシアスはアメリカのスナック菓子ドリトス (Doritos) のコマーシャルに出演している。コンサートで歌いながら恋人を探しているイグレシアスが、黒人男性に手をさしのべる。男性が対処に困っていると、男性が持っていたドリトスの袋を奪い、ステージ上で食べ始めるという内容であった。

イグレシアスはワールド・ツアーのスポンサーであったペプシの豪華コマーシャルにも出演している。ペプシを独り占めする我がままローマ皇帝の役で、グラディーエーター姿でウィ・ウィル・ロック・ユーを歌うブリトニー・スピアーズ、ビヨンセ、P!nkの三人組によって、高い見物席からライオンのいる競技場に落とされてしまうという役柄である。

イグレシアスは演劇にも興味を示し始め、2003年公開ロバート・ロドリゲス監督の『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』にて口が悪く拳銃を振りまわすロレンソ役で、アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ジョニー・デップと共演した。チャーリー・シーン主演のテレビコメディー番組『Two and a Half Men』の2007年5月7日のエピソードでは、何でも屋のフェルナンドとしてカメオ出演している。イグレシアスは、音楽の仕事の合間にできるような小さな役ならまた演じてみたいと語っている。

イグレシアスはアルバム作成の合間には人前に出ることは少なかったが、最近は何度もメディアに登場している。オプラ・ウィンフリー・ショーで、ファンの一人と一日を過ごすという企画でゲスト出演したこともある。スペイン語放送局ユニビジョンの番組『プレミオス・フベンタド (Premios Juventud)』に出演したり、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナの番組の最終回にもゲスト出演している。

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