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「イーグルス(英語) 」とは

イーグルス(英語) |Wiki【もしもし辞書】


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イーグルス

イーグルス(英語:The Eagles /íːglz/「イーグルズ」)は、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇り、トータルセールスは1億2000万枚を超える。

主な代表曲は、「テイク・イット・イージー」「ならず者」「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」など。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第75位。

バイオグラフィー

イーグルス結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド(Linda Ronstadt & Her Band )編成のためにミュージシャンが集められた機会であった。これにグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔をあわせ、後に彼らは独立して、1971年8月にバンドを結成することを思いつき、ロンシュタットが所属していたアサイラム・レコード(拠点・ロサンゼルス)からイーグルスとしてデビューした。

メンバーのグレン・フライが、当時同一のアパートに居住していたシンガー・ソングライターのジャクソン・ブラウンと共作した「テイク・イット・イージー」が、1972年にデビュー曲でいきなりシングル・ヒットを記録。続く「魔女のささやき」も全米ヒットとなった。デビュー当初は一般にはカントリー・ロックのイメージが強かった。

マルチプレイヤーであったレドンが演奏するテレキャスター、バンジョー、スティール・ギター、マンドリンのサウンドが、バンドのイメージを決定付けていた。特に、バンジョーをフィーチャーした「早起き鳥」などの楽曲にみられるブルーグラス要素をロックのダイナミズムと融合させた点は斬新であった。

プロデューサーはグリン・ジョンズで、すでにローリング・ストーンズの『ベガーズ・バンケット』やレッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムなど、ロック指向の強い多くの作品にエンジニアとして関わっていた経験を持つベテランだったが、同作のレコーディング時にはイーグルスをバラード・グループと見なして「君たちはロックンロールに向いていない」などと発言し、またどの程度カントリー的要素をブレンドするかといった意見について、しばしば衝突を繰り返したとされる。

2枚目のアルバム『ならず者』はコンセプト・アルバムで、基本的にはファースト・アルバムと同様のサウンド構成に留まり、バーニー・レドンのカラーが強いブルーグラス的な楽曲と、ロック的な要素の曲が共存しているものの、その音楽的成熟度としては格段の向上を見せた。タイトル曲の哀愁を帯びたバラード「ならず者」は、後にリンダ・ロンシュタットやカーペンターズに至るまで、数多くのアーティストたちにカバーされるスタンダード・ナンバーとなっている。

元々の音楽的ルーツとしてカントリー・ロック志向が強い4人であったため、前作のレコーディングとプロモーションにはかなりの労力が注がれたが、セールス的には失敗といえる有様であった。そのため、3枚目の『オン・ザ・ボーダー』においては、よりロック的なアルバムにすべく、2曲を収録したところでプロデューサーがロック志向の強いビル・シムジク に替わった。同アルバムには、「過ぎた事」と「ジェームス・ディーン」という2曲の佳作が収録されている。また、バーニー・レドンの紹介で、彼の親友でアマチュア時代のバンドメイトであったフロリダ出身のギタリスト、元フロウ(Flow )のドン・フェルダーが収録曲中2曲において参加し、ロック的色彩を強めることとなった。ドン・フェルダーは後にメンバーとして正式加入しており、ツアーではカントリー的な楽曲ではレドン、ロック的な楽曲ではフェルダーがリード・ギターを主に担った。

1975年、大ヒット・アルバム『呪われた夜』を発表。タイトル曲「呪われた夜」をはじめとし、グラミー賞、ベストポップボーカル賞を獲得した「いつわりの瞳」、ランディ・マイズナーがボーカルをとる「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」と3つのヒット曲を生んだ。オリジナル・メンバーの音楽的なルーツであるカントリー色の濃い楽曲も依然見られるものの、全体としてはよりロック色を強め、またタイトル曲ではAORやファンク、ダンス・ミュージック的要素を盛り込むなど、音楽的な幅はさらに広がった。セールス的にも前作に続き大きな成功を収めている。

しかし、『オン・ザ・ボーダー』のころから続いていたメンバー間の軋轢がこのころから激化していた。デビュー当時には民主的なグループであったが、実質的に主導権を握ったドン・ヘンリーとグレン・フライの2人の日頃からの高慢な態度にバーニー・レドンは業を煮やし、バンドの音楽的方向性への疑問も重なったことで1975年12月に脱退している。

それまでバンドの音楽的支柱のひとつであったレドンに代わるギタリストを探すのは難航したが、その間に初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』をリリースした。このアルバムは全米だけでも2,900万枚以上の売り上げを記録し、全米歴代で最も売れたアルバムとして君臨し、プラチナ・ディスク認定第1号ともなった記念碑的作品となるなど、バンドの確固たる地位を築いた。

レドンの後任には、元ジェイムズ・ギャングのメンバーであったジョー・ウォルシュを迎えた。ウォルシュの加入には反対するメンバーもいたが、音楽的にはよりロック色を強める結果となった。1976年には、初来日公演を果たしている。

1976年、彼らの代表作となる『ホテル・カリフォルニア』を発表。当時のロック界ひいては都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったフェルダーの曲にヘンリーが詩をつけたタイトル曲「ホテル・カリフォルニア」、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロックの凋落を皮肉るように、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「ニュー・キッド・イン・タウン」、エゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実は虚勢に満ちており内面に苦悩を持つことを言外ににじませた「駆け足の人生」など、単に人間の性(さが)や振る舞いを唱っているように見えながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲に散りばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録し、バンドを押しも押されもせぬロック界の代表格にまで押し上げた。

しかし、メンバー間の軋轢はさらに激しさを増し、ドン・ヘンリーとグレン・フライの高慢な態度の矛先はランディ・マイズナーに向けられるようになっていた。マイズナーは以前に比べて膨大になったツアーのストレスや、音楽的志向の違いも相まって、1977年のコンサート・ツアー中に脱退。マイズナーの後継として、元ポコのティモシー・B・シュミットが加入した。

コンサート・ツアーを終えると、次のアルバム制作に取り掛かる。当初は2枚組で1978年にリリース予定だったが、レコーディングに難航し、1枚組に縮小の上1979年まで掛かった。そしてリリースされた『ロング・ラン』においては、ハードロック、バラードさらにディスコ・チューンにまで多様な音楽性に挑戦するが、製作ヴィジョンが曖昧で展開するサウンドにもっぱら主張や一貫性はないなどと批判された。『ロング・ラン』発売に合わせてコンサート・ツアーを行い、1979年には2度目の来日公演を果たす。

この頃、バンドは人気絶頂期だったものの、相変わらずグレン・フライとドン・フェルダーの不仲や、曲作りのスランプなどからバンドは1980年に活動を停止。そして1982年、正式にバンドの解散が発表された。

バンドの活動停止後は各メンバーが個別の活動に入り、各自のソロ・アルバムを発表したり、繋がりの深いウエストコースト系のアーティストを中心にレコーディングへのゲスト参加などを行っている。グレン・フライは「ユー・ビロング・トゥー・ザ・シティ」や「ヒート・イズ・オン」が大ヒットし、ドン・ヘンリーは「ボーイズ・オブ・サマー」と「エンド・オブ・ジ・イノセンス」でグラミー賞ベスト・ロック・ボーカル部門を受賞し、ソロとしても成功を収めた。

1994年に、第1期最終メンバーによって再結成。4曲の新曲とライブ収録曲を併収した変則アルバム『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』を発表し、以後世界規模でのツアーを繰り返し展開。この1994年以降を、ここではバンド活動の第2期とする。2004年から2005年にかけては、「Farewell I Tour」(第一回さよならツアー)と題されたツアーが行われたが、「さよなら」というのはジョークであり、その後も米国内外で公演が行われている。このツアーでも相変わらずの高い人気ぶりを見せつけ、各地のコンサートは大成功に終わり、収益面でも年間ランキングに顔を出すほどであった。

1995年に16年振り3度目の来日公演を東京と横浜、兵庫、福岡で行ない成功を収めた。2004年には5大ドームと横浜アリーナにおいて、9年振り4度目の公演が行われた。

1998年に、ママス&パパスやサンタナなどと共にロックの殿堂入りを果たした。

2000年に、ドン・フェルダーが「バンドに対して貢献していない」という理由によって、突然解雇される。彼はこれを不服として、解雇取り下げを求める訴訟をバンド側に対して行う。

2007年10月31日に、久々の新作『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』(19曲+ボーナストラック1曲入り、2枚組)を発売した。この作品は、13年振りとなるスタジオ・アルバムで、新曲のみで構成されたものとしては『ロング・ラン』以来であり、実に28年ぶりの作品となる。なお、前日の10月30日には、アメリカ国内においてウォルマートなどを介した先行リリースが実施された。全世界で爆発的なセールスを記録し、衰えぬ人気を示した。

2011年3月1日から6日にかけて、実に7年ぶりとなる5度目の来日ツアーを東名阪ドームで実施した。

2016年1月18日、創設メンバーのグレン・フライが死去。3月10日、ドン・ヘンリーが解散を表明した。

演奏スタイル

名実ともに、音楽の黄金期である70年代を代表するバンドであり、ヒット曲を多数発表しているが、どの曲も美しいコーラスワークを聴かせる。デビュー前、グレン・フライは全員がボーカルを採れるバンドを目指しており、デビュー時のオリジナルメンバーである、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンはファーストアルバムである「イーグルス・ファースト」で4人全員がリードボーカルを採り、またグレンの目指していたコーラスワークもレベルの高いものとなった。その後、メンバーチェンジもあり、ロック色の強いバンドになっていったが、コーラスの美しさは落ちるどころか、さらにレベルアップしていった。

さらに、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュといったテクニックのあるギタリストが加わってからは演奏能力も格段に上がり、ライヴでもクオリティの高い演奏を見せている。また、ビートルズのレノン=マッカートニーのように、ヘンリー=フライのコンビでヒット曲を連発していった。ただし、レノン=マッカートニーの場合はほぼ完成した楽曲に一方がアレンジを施すなどする関係だったのに対し、ヘンリー=フライのコンビは、主にヘンリーが作詞、フライが作曲を担った。

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イーグルスさんはコクーンを探しているのかも知れない!


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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「イーグルス」を素材として二次利用しています。

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