ピンク・レディー(PinkLady) |Wiki【もしもし辞書】
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ピンク・レディー
1.1 出会いとデビュー 1.2 人気絶頂期 1.3 紅白歌合戦辞退・アメリカ進出・日本での人気急落 1.4 解散へ 1.5 再結成 2 年表 3 エピソードなど 4.1 現役時代 4.2.1 1度目の再結成時 4.2.2 2度目の再結成時 4.2.3 3度目の再結成時 4.2.4 4度目の再結成時 4.3 その他 5.1 スタジオ・アルバム 5.2 ライブ・アルバム 5.3 ベスト・アルバム 5.4 リミックス・アルバム 5.5 サウンドトラック 5.6 CD-BOX 6.1 VHS・LD・VHD 6.2 DVD 6.3 DVD BOOK 7.1 NHK紅白歌合戦出場歴 8 CM 9 映画 10 絵本 11 脚注 12 関連項目 13 外部リンク 年表 1971年 - 中学2年生の時、ケイがミーの在学する中学校に転校し、演劇部に入ったことで2人が知り合う。 1973年 - 当時、浜松市幸にあった音楽教室「ヤマハ四ツ池センター」のヤマハミュージックスクールに通い始める。 1974年 - コンビ結成。元々は「クッキー」(当時人気の有った「キャンディーズ」にあやかった)というフォークユニットだった。 1976年 - 日本テレビの番組『スター誕生!』にて合格し、8月25日、ビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)よりシングル「ペッパー警部」でデビュー。 1977年 - 1978年 - 日清焼そばU.F.O.のテレビCMに起用される。又テレビの露出がこの時期に極端に増え、この2年間がピンク・レディーの「全盛期」とも言われる。 1977年 - 「ウォンテッド (指名手配)」で第19回日本レコード大賞大衆賞受賞。4分30秒のノンストップメドレーを歌った。レコード大賞を沢田研二の「勝手にしやがれ」と同点投票で逃す。 1978年 - 「UFO」で第20回日本レコード大賞受賞、「サウスポー」で第9回日本歌謡大賞受賞。 1979年 - シングル「Kiss In The Dark」で全米デビュー。 1980年 - 9月1日に7ヵ月後の解散を宣言。 1981年 - 解散。 1984年 - 1度目の再結成。 1989年 - 2度目の再結成。第40回NHK紅白歌合戦に出場。更にWinkと共演し、新旧女性アイドルデュオ同士での共演が実現した。 1990年 - 第41回NHK紅白歌合戦に出場 1996年 - 3度目の再結成( - 1997年)。 2000年 - 第51回NHK紅白歌合戦に出場。ミレニアムを記念してのNHKからの出場要請を快諾し、この年の出場歌手中最大の目玉となった。また、関西地区では全出場歌手中最大の視聴率を記録した。 2002年 - パチンコ「CRピンク・レディー」(大一商会)が当時メーカー過去最大の売り上げを誇ったほど大ヒット。翌2003年の再結成へのきっかけとなる。 2003年 - 4度目の再結成。同年から2年間限定で全国ツアーを実施する。Vol.1のツアー・タイトルは『PINK LADY TYPHOON〜AGAIN〜ピンク・レディー メモリアル・コンサート -JAPAN TOUR 2003-』。 2004年 - 音楽番組『ミュージックフェア』にてモーニング娘。と共演、世代を超えた国民的アイドル同士での共演が実現した。ただし未唯は『ハロー!モーニング。』初回にて既にゲスト出演で共演している。 2004年 - コンサート・ツアー『ピンク・レディー メモリアル・コンサートVol.2 モンスターパニック』を行う。 2005年 - コンサート・ツアー『ピンク・レディー メモリアル・コンサートVol.3 LAST TOUR Unforgettable Final Ovation』を行う。(最終公演は『〜グランドフィナーレ〜MEMORIAL CONCERT SPECIAL』)。 2007年 - ピンク・レディーのパチンコが再び登場、パチンコで使用される曲の再レコーディングを行った。 2010年 - 最初の解散宣言から丁度30年経った同年9月1日に、「解散やめ!」宣言で5度目となる再結成。 2011年 - 3月31日、赤坂BLITZにてチャリティーイベント「初陣式」を決行。公演の模様は全てUstreamにて配信された。5月21日の市原市市民会館を皮切りに全国ツアーをスタートする。 2017年 - 12月30日、TBS系「第59回日本レコード大賞」(新国立劇場)において没後10年・作詞家デビュー50年・特別賞受賞の阿久悠の功績を讃え39年ぶりに出演し、5分30秒のノンストップメドレーを歌った。。 2018年 - 12月30日、TBS系「第60回日本レコード大賞」歴代司会者高橋圭三の名調子で彩られた名シーンの中で、ピンクレディーが大賞受賞した第20回日本レコード大賞が伝説として語り継がれている。当時のピンクレディーは寝る時間が殆ど無く極限状態だったが、高橋圭三の名調子によってかなり(精神状態が)救われた事があったため、敬意と感謝を込めて生放送のステージに立ち、6分30秒のノンストップメドレーを歌った。 2019年 - 6月28日、2019年12月13日公開予定の「映画 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか」の主題歌として15年ぶりの新曲となる「メテオ」を採用することを発表。 エピソードなど 後に増田恵子(ケイ)は素朴な田舎っぽいイメージはオーディション番組に受かるための手段で、当初より歌って踊れる歌手を目指していたと語っている。当時のテレビ局関係者には素朴な田舎娘だったとの印象が強く、フォーク歌手指向と語られ、グループ名が「白い風船」もしくは「茶ばたけ」・「みかんばこ」になりかけたこともあった。 二人は最初『スター誕生!』でスカウトされた相馬一比古が代表を務める「アクト・ワン」というプロダクションに所属していたが、同社は借金の肩代わりに1976年4月に設立された「T&C」に吸収合併された(相馬はT&Cの制作部長に就く)。「T&C」の社長・貫泰夫、専務・加納亨一はそれぞれ証券、生命保険の大手企業出身の堅気で、一攫千金を夢見て脱サラした人物だったのだが先の借金の融資を広島で原爆の焼け野原で一緒にボールを追った野球部仲間だった総会屋小川薫に頼み、小川が同社のオーナーとなったのがまずかった。ピンク・レディーが爆発的に売れるに連れ、警察から格好の標的にされ、小川が余罪で追及されたり、スーパーアイドルと総会屋との接点が当時のマスメディアに散々書かれた。しかしT&C自体はまともな会社で、むしろ既存の芸能界とは全く関係のないズブの素人が始めたT&Cの一時の大成功は、その後素人による芸能プロ参入を増やしたという功績がある。 アイドル歌手では一般的なことだが、活動方針やイメージ戦略などはピンク・レディー本人(ミーとケイ)が立案しているのではなく、所属事務所など周囲の関係者が行っていた。多忙がたたり、当時の仕事の現場はダブルブッキングなどは日常茶飯事な状態であった。ミーとケイは、デビュー当時から寝る間もないほどの仕事を課せられていたため、自分たちが実際にどれくらい人気なのか全く分からなかったと後述している。 当時の子供向けテレビ雑誌「テレビマガジン」(講談社)、「テレビランド」(徳間書店)、「てれびくん」(小学館)誌上における短期グラビア連載を展開した他、女児の間ではピンク・レディーの振り付けの真似が大流行した。『探偵!ナイトスクープ』2001年2月9日放送分の「30代の女性は皆ピンク・レディーの振り付けを踊れる?」の調査でも、街頭インタビューを行った一般の女性達が次々と完璧に「UFO」「サウスポー」などを踊りこなし、当時の人気振りを偲ばせた。当時フィーバーやアパッチ、キャッツ★アイなど、ピンク・レディー人気にあやかろうと亜流といえる歌謡グループが複数登場したのも人気を物語るエピソードである。 絶頂期当時、ピンク・レディーのブロマイドの販売数も驚異的なものであったが、山口百恵や他のアイドル達の写真がスタジオなどできちんとした撮影がされているのに比べてピンクレディーの写真はその多くがテレビ局の廊下や階段などで撮影されたものが使用されている。これは写真スタジオで撮影するだけの時間が全くなかったほど多忙であり、番組出演の移動の合間に手っ取り早く撮影していたことが理由であったと本人達が後に語っている。 アメリカ進出の経緯については一般に知られていないが、多くのファンを得て、米3大ネットワークのNBCで主演の冠番組を獲得するなど、当時の外国人デュオとしては成功を収めた。しかしながら、よりセックスアピールを前面に出したスタイルであったため、国内でのイメージを損なう恐れがあるとの判断から日本ではほとんど報道されなかった。アメリカのマーケットにおける長期的な見通しの欠如と、国内マーケット重視の営業判断から、活動途中でアメリカから撤退を余儀なくされた。また当時、主に私生活上(特に恋愛関係)の要因からケイが日本への帰国を強く主張していたことを、後にケイ自身が著書で明らかにしており、それもアメリカ撤退の一因となった。 一方でテレビプロデューサーでコメンテーターでもあるデーブ・スペクターが、「ピンクレディーは名前が悪すぎた。アメリカでピンクレディーという名前では売れるはずがないんですよ。」と一刀両断にしている(アメリカでは「ピンクレディー」とは一般的にはカクテルの名前が想起されるが、他に“共産主義者っぽい女性”、“バルビツール酸系催眠鎮静剤”、“売春婦”がある)。 光文社『女性自身』2007年2月27日号に掲載された「ピンク・レディーdeダイエット」の写真について、無断で掲載されたパブリシティ権侵害の損害賠償を求めて提訴したものの、最高裁判所で訴えが棄却され、主張した損害賠償請求は認められなかった(ピンク・レディー事件、最高裁判所 平成21(受)2056 民集第66巻2号89頁)。 |
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Pink Lady
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