アレックス=ラミレスの情報(AlexRamirez) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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アレックス=ラミレスの情報まとめ
アレックス=ラミレス(Alex Ramirez)さんの誕生日は1974年10月3日です。
引退、結婚、家族、病気、離婚、再婚、テレビ、映画、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。アレックス=ラミレスの現在の年齢は50歳のようです。
アレックス=ラミレスのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート Ramichan Family ラミちゃんねる アレクサンダー・ラモン・ラミレス・キニョネス(スペイン語: Alexander Ramón Ramírez Quiñónez、1974年10月3日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、YouTuber。 ヤクルト時代は入団1年目の2001年にチームのリーグ優勝・日本一に貢献。以降も主力選手として活躍し2003年には、本塁打王・打点王・最多安打のタイトルを獲得。2007年には外国人選手、右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成し2度目の最多安打を獲得した。 巨人時代は主力として2008年に打点王、2009年に首位打者、2010年に本塁打王・打点王のタイトルを獲得するとともに2年連続でMVPを受賞し、2度のリーグ優勝・日本一(2009)に大きく貢献した。 DeNA時代は2013年に日本通算2000安打を達成し、外国人選手では史上初の名球会への入会を果たした。8年連続100打点超えの記録を持つ。 引退後、2016年シーズンから2020年シーズンまで横浜DeNAベイスターズ監督も務め(第30代)、就任時点で外国籍を有する監督としてはNPB史上9人目で、NPB史上初の米国籍以外の外国人監督であった。2019年に日本に帰化した。『官報』における掲載氏名はラミレス・カプリレス・アレクサンダー・ラモン。2022年外務大臣表彰時の氏名はアレクサンデル・ラモン・ラミレス・カプリレス。 実家はベネズエラの首都・カラカス近郊の「ピニャンゴ・デ・ジャレ」という小さな町にある。人口は約200人で、そのうち4分の3程がラミレスの一族だという。 5歳で兄の影響を受け野球を始め、8歳で地元リトルリーグの監督にスカウトされチームに所属。15歳になると本格的に野球選手を目指すため学校を退学。当時は主に投手を務めていた。 18歳でベネズエラの国内選手権に出場した際に外野手として試合に出ていたところをクリーブランド・インディアンスのスカウトの目に留まりマイナーリーグ契約をする。 1994年2月に結婚し、8月から1995年4月までメジャーリーグ史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のメジャーリーグスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャーリーグ選手会への加入を認められなかった。 若手時代は守備力の低さから守備固めを優先的にメジャー昇格させたいと考えていた監督と方針が合わず、メジャー昇格の機会を何度も逃した。 1998年はAAA級バッファロー・バイソンズで121試合に出場。34本塁打103打点6盗塁、打率.299と結果を残し、9月19日に初のメジャーリーグ昇格を果たした。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。1打数無安打1三振に終わった。 1999年は6月にメジャー再昇格すると、マニー・ラミレスの控え右翼手としてプレーし、48試合ながら打率.299を残した。 2000年は初めて開幕ロースター入りを果たすと、マニー・ラミレス休養時の代役や代打などで7月下旬までに41試合に出場し、打率.286と結果を残した。 2000年7月28日にウィル・コルデロとのトレードでエンリケ・ウィルソンと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍。しかし、移籍前の好調は影を潜め、打率は徐々に下降していき、スタメンから外されるようになる。ラミレスによれば「打撃コーチ(ロイド・マクレンドン)に打席でのスタンスを変えるよう指示され、それに従ったところスランプに陥ったため、コーチに『スタンスを元に戻したい』と言ったら、次の日からスタメンを外された」という。しかし、9月に入ると一転して4番で起用されるが、2割8分台あった打率は最終的に.247にまで落ち込んだ(移籍後のみでは.209)。 2000年11月1日、ヤクルトスワローズに入団。背番号は3。ただし、当時ラミレスはフロリダ州で家と車を購入したばかりでそのローンが残っていたため、当初は「1年だけ日本で金を稼いで、(ローンを)返済したらすぐに戻る」つもりだったという。2023年の岡崎郁の対談によると、最初は日本球界を下に見ており「俺が野球を教えてやるぞ」くらいに思っていた。 2001年は138試合出場、打率.280・29本塁打・88打点の好成績をマークし、チームのリーグ優勝と日本一に貢献した。もっとも、若松勉監督が辛抱強く使ってくれたおかげでこの成績を残せたと謙遜しており、もし最初から巨人に入団したのであればすぐに二軍に落とされて数ヶ月後には家に帰されており、今の自分はいないだろうと2023年の岡崎郁の対談で語っている。この話には対談していた岡崎も「あー、ジャイアンツは10ゲームぐらいしか……」と納得していた。当初の契約では「5番・右翼手」での出場を確約されていたが、キャンプ初日に当時右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て「自分は彼(稲葉)には勝てない」と感じ、左翼手に転向した。 日本球界の練習量には当初「練習しすぎて頭がどうかしてると思った!」と戸惑いを見せていた。また、来日して最初の3ヶ月はとにかくフォークボールが打てず、三振ばかりだったと振り返っている。日本の野球に戸惑う中で当時一軍打撃コーチを務めていた八重樫幸雄の「しっかり引いて逆方向に打つ」指導は身に染みたといい「フォークやスライダーは振らなければいいじゃないか」という彼の助言からストレートにフォーカスしたと語っている。地方球場試合の時のケータリングがおにぎりやラーメンのような日本食ばかりで、最初は「食べる物がない」と適応に苦労したが、チームに適応するには日本人が食べている物に文句を言うのではなく適応するしかないと腹を括った。 2002年も139試合に出場し、3割近い打率を残した。一方でリーグ最多の146三振を喫した。 2003年は読売ジャイアンツへ移籍したロベルト・ペタジーニに替わって4番打者を任され全140試合に出場、打率.333・40本塁打・124打点の成績を収めて打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。来日3年目で初の3割達成となった。同年の349塁打は平成時代のセ・リーグ記録。 2004年8月21日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)ではトレイ・ホッジスからランニング本塁打を放った。この年は故障離脱もあり、ヤクルト時代では最も少ない129試合の出場だったが打率.305、31本塁打、110打点の成績を残した。終盤にはコロラド・ロッキーズなどからのオファーを受け、代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあって残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。 2005年は打率3割は逃したが、引き続きチームの4番打者としてチームに貢献した。 2006年は26本塁打・112打点を記録するものの636打席で四球はわずか19個と選球眼の悪さが露呈し、出塁率.289は両リーグで最低だった。 2007年10月4日の対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)において、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成、打率も.343、安打数は最終的に204安打まで達した。オフに球団側からラミレス側への残留要請が行われたが、提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円というラミレス側の希望とはかけ離れたものであった。7年在籍した球団に対する彼の希望は高年俸ではなく、契約年数で、ラミレスは球団側が複数年契約を認めれば、ヤクルトに残留する選択も考えていた。実際、ラミレスは後に「現状維持の2年契約の提示があれば残留していた」と記しているが、最終的に球団側は複数年契約を提示しなかったため球団側との契約交渉が決裂したことを機にヤクルトからの退団が決まり、11月30日に自由契約公示された。 2007年12月29日、右の大砲を探していた読売ジャイアンツとオリックス・バファローズが獲得を検討していたが、オリックスはアレックス・カブレラの獲得を発表したため、巨人が獲得を発表した。入団会見は巨人初のビデオレターによるものとなり、「このチーム(巨人)に足りないものを加えに来た」とコメントした。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。背番号は3が長嶋茂雄の永久欠番となっているため、5となった。ラミレスは以前から「巨人では外国人選手が大変な思いをしている」と聞かされていたため、巨人は一番行きたくないチームだったが、巨人がラミレス自身が希望する複数年契約を提示したことに加え、ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたという。 2008年は開幕から5番打者としてシーズンを迎えたが、開幕から結果を残したことと4番候補の李承燁・高橋由伸の不振により主に4番で起用されるようになった。前年の高打率を維持しながら長打力も発揮し、45本塁打、125打点で2年連続3度目の打点王を獲得したが、本塁打王は1本差で村田修一に届かなかった。しかしチームのリーグ連覇に貢献した。そして2008年のセ・リーグ最優秀選手に選ばれた。交流戦はパ・リーグのチームの主催試合が指名打者制のため、この試合では主に指名打者として起用された。中日ドラゴンズとのCS第2ステージでは第4戦に8回に勝ち越しの2ラン本塁打を放って勝利し、6年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦は指名打者で出場し、第4・5戦では阿部慎之助が負傷して指名打者で出場したため左翼手として出場した。第7戦で最後の打者として遊撃ゴロに打ち取られ日本一を逃したが、第1戦ではチーム唯一の得点となる適時打、第2戦ではサヨナラ本塁打、第3戦でもソロ本塁打を放ち、第5戦では逆転のきっかけを作る二塁打を放つなど随所で活躍したことが評価されシリーズ敢闘賞を受賞した。この年にフリーエージェント資格を取得したため、2009年から外国人枠の適用外となった。 2009年は144試合全てで4番に座り、前年に続く活躍。3割30本100打点を達成したほか、打率.322で自身初の首位打者と3度目の最多安打を獲得。チームの3連覇に貢献し、2年連続の最優秀選手に選ばれた。シーズン通しての調子の波も少なく、6月以外の月間打率は全て3割以上だった。巨人の右打者の首位打者獲得は1971年の長嶋茂雄以来38年ぶりである。日本シリーズで、観戦に来た小笠原道大の娘にファウルボールを当ててしまうが、翌日「ゴメンナサイ」と書いた自身のサインボールを小笠原に渡した。同シリーズでは第4戦の7点ビハインド場面で金森敬之から打った3点本塁打が同シリーズでのラミレスにとって唯一の本塁打だった。チームはこの試合は敗れたが、第5・6戦と勝利し、巨人での日本一を達成した。 2010年4月に孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304・49本塁打・129打点で本塁打・打点の二冠王に輝いた。49本塁打は巨人軍の右打者における1シーズン最多本塁打であり、巨人の外国人打者においても最多本塁打記録である。また2003年から続くシーズン100打点を8年連続とし、王貞治の7年連続(1963年~1969年)を抜いてプロ野球新記録を樹立した。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩(中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは1953年の藤村富美男・1960年の藤本勝巳・1981年のトニー・ソレイタに次いで四人目である。そして、このシーズンで自身4度目の年間120打点超えを記録した(これは松中信彦と並んで日本プロ野球歴代1位である)。 2011年5月1日に4番としての連続先発出場記録を416試合として松井秀喜が持つ415試合を抜き球団新記録を達成する。しかし7月13日の対阪神戦で受けた死球の影響で7月14日に先発から外れ、長野久義が4番で先発出場し、記録は469試合で途切れた。代打で途中出場したため連続試合出場は続いたが、翌日の試合では途中出場もなかったため連続試合出場は985試合で止まった。この記録は外国人選手としては歴代最長記録となった。8月5日、3回表に内野安打を放ち、NPB通算1793安打を記録。タフィ・ローズの1792安打を越え、歴代外国人選手の通算最多安打記録を更新した。シーズン成績は137試合、打率(.279)が巨人入団以来初めて3割を切り、打点(73)は連続100打点が8年で止まり、来日以来最低の数字となった。本塁打数(23)も来日以来最低の数字となり、打撃三部門で来日以来最低の記録となった。ただし、本塁打数はリーグ2位でチーム内では1位である。これは「飛ばないボール」(統一球)に変わったこともあり、セ・リーグの選手全体の本塁打数も減少したため、本塁打数に関しては決して不振とは言える数字ではなかった(最多は、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)の31本)。10月31日のクライマックスシリーズ・ファーストステージ終了をもって退団することを表明した。この年から導入された統一球によって本塁打が減少したことで大量得点を期待できず、いかに守備で失点を防いでいくかの戦いになったことでラミレスの守備難はネックとなった。お世辞にも上手い守備とは言えず、終盤は打順の降格だけでなく、スタメンを外れる試合もあった。ラミレス自身は打撃でチームに貢献したかったが、チームとしては守備面を重視する方針となっていたためチームにとって絶対的な存在ではなくなっていた。 2011年12月8日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表し、入団会見を行った。背番号はヤクルト時代と同じ3。 2012年はオープン戦での肉離れにより開幕スタメンこそ逃すも、4月4日より新チームの4番として定着。しばらくは調子が上がらない時期が続いたが、徐々に調子を上げると、7月5日にはNPB/MLB通算2000安打を達成(MLBで86安打・NPBで1914安打)。14日、外国人選手最高記録となる12年連続2桁本塁打を達成。7月にはDeNA移籍後初、通算9回目の月間MVPを受賞した。3球団で月間MVPを受賞するのは史上初。前年と同じ137試合の出場で打率は3割ちょうどだったが、規定打席に到達した年では初めて本塁打が20本未満となり、19本塁打に留まった。しかし、5月20日のロッテ戦においてビデオ判定の末にファウル判定となったホームラン性の打球を放っている。7分間をもかけてのビデオ判定だったため、仮にこれが本塁打として認定されていれば20本塁打到達となっていたはずだった。 2013年はトニ・ブランコの入団により、5番に回り、4月6日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)で6回表に元チームメイトである石川雅規から左翼席へ弾丸ライナーで飛び込む本塁打を放ち、外国人枠で入団した選手としては史上初のNPB通算2000安打を達成した。しかし、巨人退団の要因となった守備難が顕著になってきたことに加え、特に2000安打を達成してからは打撃面でも精彩を欠いたことから、4月25日の対巨人戦を最後にスタメン落ち。その後は代打や交流戦での指名打者として出場していたが、代打には不慣れなこともあって結果を残せず、6月2日の日本ハム戦で本塁打を放ったのを最後に22打席連続凡退のまま、前半戦終了後の7月18日に来日13年目にして初の二軍降格となった。結局、来日1年目から12年連続で続けてきたシーズン100試合出場・規定打席到達・シーズン100安打・シーズン二桁本塁打の全てが途切れた。9月27日、戦力外通告を受けていたことが判明。10月2日、球団側が2014年シーズンは契約しないことを正式に発表した。この年は来日後最低の出場試合数56、打率.185、2本塁打、14打点に終わった。 DeNAから戦力外通告を受けた後は、KOYO都市開発の社長に就任する一方で、NPBの他球団で現役生活を続けることを希望。好物の炭酸飲料を断つなど、例年以上に節制と自主トレーニングに努めることで、他球団からのオファーに備えていた。 2014年2月13日にベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスが、ラミレスを打撃コーチ兼任の外野手として入団させることを発表した。背番号はヤクルト・DeNA時代と同じ3。なお、打撃コーチ料を含めた推定年俸は、巨人時代の最高額(5億円)の100分の1に相当する500万円(選手としての月給にはリーグ規定上限額の40万円を適用)。また、ラミレスにNPB復帰への意向が強いことから、群馬との契約には「シーズン途中にNPBの球団から(ラミレスの)獲得を打診された場合には契約を解除できる」という旨の付帯条項が添えられた(なお、NPBの支配下選手登録の新規獲得可能期間は7月31日までである)。 入団した群馬では、4番・指名打者として5番カラバイヨとの強力クリーンナップを形成。4月にまたも西武が獲得を検討していると報道されたものの、契約は見送られた。6月23日に球団がラミレスの緊急帰国を発表。帰国に至った経緯として、「家族の病気療養に付き添うため」としている。その後、チームに再合流して7月11日の試合より一度復帰するも、同様の理由のため9月4日に球団が2回目の緊急帰国を発表した。2度目の帰国後は、復帰することなく、シーズンを終えた。シーズン通算では、45試合の出場で、打率.305、7本塁打、38打点。10月14日に、球団を通じて現役引退を表明した。 2014年10月29日から、群馬のシニアディレクターに就任した。就任後の11月9日に第1回トライアウトを視察して、年内限りとDeNAから戦力外通告を受けていた元チームメイトの伊藤拓郎を群馬に入団させるなど、編成面で手腕を発揮していた。 2015年4月3日にNPB時代の古巣、DeNA対ヤクルト戦(横浜スタジアム)の試合前に引退セレモニーが行われ、ファンや関係者に感謝の言葉を伝えた。 2015年6月22日からオリックス・バファローズと3ヶ月間の契約を結び、同球団の巡回アドバイザーを兼務した。群馬で指導していたフランシスコ・カラバイヨとヨヘルミン・チャベスが相次いでオリックスへ移籍したことによる就任で、外国人選手のサポートを中心に、月に数回のペースで一・二軍を指導していた。 オリックスは2015年10月5日に、ラミレスと巡回アドバイザー契約を延長しないことを発表した。球団本部長の瀬戸山隆三は、契約期間の満了を機に別のポストへの就任をラミレスへ打診したところ、就任の辞退と退団の申し出があった、としている。 2015年10月19日にDeNA球団がラミレスの一軍監督就任を発表した。同球団の監督に外国人が就任するのは前身の横浜大洋ホエールズと横浜ベイスターズ時代を含めても初めて。 現役時代に横浜DeNAベイスターズおよび前身球団に在籍していた人物が同球団の監督に就任するのは2004年に退任した山下大輔以来で、DeNA球団のOBとして監督に就任するのは球団史上初となる。 現役時から「日本のプロ野球で監督をやってみたい」と願っており、就任当時12球団で唯一CS出場実績がなかったことから80勝への願いを込めて背番号は80とし、「来季優勝するために必要な数字」と語った。 2016年シーズンは5月3日時点で借金11と低迷するが、そこから15勝4敗1分の驚異的な巻き返しで5月28日に借金を完済し、シーズン3位で球団初のクライマックスシリーズへ進出した。1stステージで2位の巨人に2勝1敗で勝利してクライマックスシリーズ・ファイナルステージに進出したが、シーズン1位の広島に1勝4敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で敗れて日本シリーズ進出はならなかった。 2017年シーズンも3位でリーグ戦を終え、クライマックスシリーズへ進出。また、球団として16年ぶりの2年連続Aクラスとなった。3位が確定したのは10月1日の広島戦(横浜スタジアム。13 - 7で勝利)で、この日に1年契約で2018年シーズンの続投が決まった。クライマックスシリーズでは1stステージで2位の阪神に2勝1敗で勝利し、クライマックスシリーズ・ファイナルステージへ進出。シーズン1位の広島に4勝2敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で勝利し球団として19年ぶりの日本シリーズ進出を果たした。これにより、2010年代でセ・リーグはすべてのチームが1回は日本シリーズを経験することになった。またセ・リーグにおける外国籍監督の日本シリーズ出場は1987年の王貞治以来30年ぶりであった。日本シリーズではソフトバンクと戦い、2勝4敗に終わった。 2018年シーズンは先発投手陣の不調など誤算もあり優勝争いから早々と脱落し、クライマックスシリーズ争いにも敗れ4位に終わり、就任3年目で初めてAクラスを逃した。苦戦のシーズンであったが、得失点-70で4位を堅持しており、ラミレス監督の手腕を評価する声が上がった。同じシーズンから監督就任した巨人の監督高橋由伸、阪神の監督金本知憲は成績不振で3年目で辞任したが、ラミレスは4年目も続投が決まった。 2019年は開幕カードを監督就任後初めて2勝1敗で勝ち越したものの、4月16日の中日戦から28日の巨人戦まで2015年以来となる10連敗、5月3日の阪神戦から8日の巨人戦まで5連敗を喫するなど春先に大きく躓いた。しかし毎年鬼門といわれるセ・パ交流戦を監督就任後初めて10勝7敗1分と勝ち越すなど持ち直し、前半戦を首位・巨人と9.5ゲーム差の2位で終える。後半戦に入ってからも7月19日の中日戦から引き分け1を挟んで7連勝するなど好調を維持。8月2日からの首位・巨人との直接対決に3連勝し、最大10.5あったゲーム差を0.5にまで縮めた。最後まで優勝争いに絡んだものの、9月21日の直接対決で巨人に敗れたことで優勝を逃す。同24日の中日戦に勝利し、シーズン2位を確定させ、2年ぶりのAクラス&クライマックスシリーズ進出が決まった。2位以上につけるのは最後に優勝した1998年以来で、2位自体は1997年以来22年ぶりだった。また球団史上初めて、クライマックスシリーズを本拠地で開催することとなった(これにて12球団すべてが本拠地でクライマックスシリーズ主催経験を持つ事となった)。そのクライマックスシリーズでは3位の阪神と対戦したが、第1戦に6点差を逆転され敗れるなど苦戦を強いられ、第2戦こそ乙坂智のサヨナラ2ラン本塁打で勝利したものの第3戦では打線が湿ってしまい1点しか奪えず、1勝2敗で敗退した。DeNAがファーストステージで敗退するのは初めてである。しかし南場智子オーナーから「優勝はできなかったけども、ここまで持ってくれたことは評価をしたい」と実績を評価され、翌年の2020年の続投が決まった。 2020年はMLBへ移籍した筒香嘉智に代わってキャプテン及び4番打者に指名した佐野恵太が台頭し、貯金1桁を保ちながら首位・巨人を追っていた。8月5日には球団史上3人目となる監督通算300勝を達成するも、直後に先発投手陣の中心だった今永昇太、平良拳太郎がそれぞれ長期離脱。さらに9月3日にはスペンサー・パットンをオープナーとして先発起用するも2回途中9失点と炎上し、巨人に3タテを喫して以降は優勝争いに絡むことが出来なかった。その後は勝率5割前後を保っていたが、10月23日にリーグ優勝の可能性が完全消滅すると、試合後に三原一晃球団代表に辞任を申し入れ、翌24日にシーズンいっぱいでの退任が発表された。11月5日の中日戦に敗れて2年ぶりのBクラスが確定、同14日のシーズン最終戦はサヨナラ勝ちで収め、56勝58敗6分の4位で終えた。 2020年11月14日、DeNA監督としての最終試合が行われた後、YouTuberとして最初の動画が公開された。所属事務所はサイバーエージェントグループの株式会社CV Projectで、タレント活動も行う。 2022年12月9日にアジアリーグアイスホッケーの横浜GRITSの共同代表に就任した。 2023年1月13日、プレーヤー部門で野球殿堂入り。NPBで外国人枠で入団した選手としてはエキスパート部門で殿堂入りしたランディ・バースと共に初の事例である。また、BCリーグでプレーした選手としては前年にプレイヤー部門で殿堂入りした高津臣吾に続いて2人目である。7月28日よりPrime Videoで配信される『相席食堂プライムビデオSP もし有名監督が相席食堂のディレクターだったら』にて、野球監督ではなく初めて番組ディレクターとして演出を手掛けた。9月、日本アイスホッケー連盟理事・広報委員長に就任。 現役時代は故障が少なく、長期離脱したことがほとんどなかった。2004年8月8日以降、2011年7月15日に欠場するまで全試合に出場。日本の外国人枠選手の連続出場試合記録(985試合連続出場)、日本人選手を含めても歴代8位の記録を保持している。 首位打者を1度、本塁打王を2度、打点王を4度、さらに最多安打を3度獲得するなど打撃に優れている。早打ちの傾向があり、2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が非常に少ない。2012年に至っては、シーズンの約3分の1を消化した6月14日の試合の183打席目でようやくシーズン初四球を記録するという有り様だった。ヤクルト時代は三振が多く、7年連続100三振以上を記録していた。しかし巨人移籍後は出場試合が多いながらも全てのシーズンで100を下回るようになった。 本塁打の凄さは落合博満からも認められていたが、それだけに「本塁打を狙わないで遠慮しながらやっているように見えた」ともいわれており、慎重なプレイをしていたとも言われている。 来日当初は典型的なプルヒッターだったが、2008年前後にはボールを手元まで呼び込んで外角球を捌くことができるようになった。追い込まれると右方向に流し打つ柔軟さも兼ね備える。球種的な弱点も少なく、巨人移籍以降2010年までの通算得点圏打率.347とチャンスに強い他、同じく通算対左打率.337と左投手にも強い。 逆方向に打つ打撃は巨人に移籍してからより成熟し、ある時に捕手寄りから投手寄りに打席で構えるようになってから変化球が曲がり切る前に打てるようになったと語っている。引退後の江川卓との対談では、江川も解説者としてラミレスのその工夫には気付かなかったと感心していた。 また、名球会入りした打者で唯一犠打を一度も記録していない(メジャー時代には通算2犠打を記録)。 ラミレス本人は「タフィー・ローズやアレックス・カブレラ、マット・マートン、ロベルト・ペタジーニのほうが野球の能力だけで言えば私以上の選手。私が長くプレーし、監督まで務められたのは、日本野球へのリスペクトや、オフ・ザ・フィールドの姿勢といった部分にあるのかなと思います」と述べている。 主に左翼を守る機会が多かったが、守備範囲は非常に狭く、2010年には得点換算で両リーグワーストであった。 巨人時代の2009年シーズンオフに監督の原辰徳から一塁への挑戦を打診されたり、DeNAに移籍した直後にも監督の中畑清が「ラミレスに外野を守らせるという固定観念はない。一塁も考えている」と発言するなど、守備の負担が軽減される一塁へコンバートする案もたびたび出たが実現しなかった。 DeNA時代は余りの守備の衰えに酷評が相次いだが、里崎智也は「ずっと打ってたから守備何も言われなかったけど、守備ずっと一緒だよ?」と、ラミレスの元々の守備力を否定しており、野手の守備力の評価は打撃に付随するものだとの立場を示している。 走塁面は企図も含めて盗塁数が少なく、ベースランニングで手を抜くことが多いが、右打者ながら一塁到達4.2秒台前半を記録するなど走力は劣らない。200安打を達成した2007年は内野安打22本を記録し、200本目は三塁への内野安打であった。後年の鈍足のイメージとは異なり、2001年のころはかなりの俊足で内野安打を量産した。 DeNA監督としての就任会見(2015年10月)、及び、DeNA監督としてのインタビュー記事(2016年5月)において、自身の監督観、あるいは自身が目指すチーム作りにおいて、下記のことを述べている。 「ご存じの通り、若く将来有望な選手が多い中で、積極的な野球ができればと思っています。必要なときに積極性を出し、個々の選手が力を合わせて協力して、みんなが1つの目標に向かっていければいいと思います」 「できるだけ多くのコミュニケーションを選手ととれる監督になりたいと思います。同時に積極性をもって、多くの選手にいろいろ教えたいと思います。野球は身体的なものよりメンタルな面が大事だと思いますので、そういうところも含めて指導していけたらと思います」 「監督は選手より有名になるべきじゃないというのが、僕の持論。選手が注目されるべきだと思うんだ。監督はゲームに集中して、必要以上に目立ったパフォーマンスをしない」 試合終了後の監督会見、選手に対する日々のミーティング、各種メディアにおけるインタビューにおいて、下記のことを折に触れて述べている。 「凡事徹底」(基本的なこと、当たり前のことを徹底的に大切にする) 「どう始まるかより、どう終わるかが大事だ」(試合が終わった瞬間から、次の試合に対しての準備が始まる) 「Tomorrow is Another Day.」(明日は明日、また頑張ります) 「That happens.」(そういうこともある。終わったことは気にしない) 「Cross the Line.」(線を越えろ。一度でもその線を越えれば風景が、意識が変わる) また、下記のように、中長期的な視点を意識したコメントも、しばしば発信している。 「経験がこのチームをより一層、強くしていくと思う」(2016年10月、クライマックスシリーズファイナルステージで広島に1勝4敗で敗退が決まったことを受けての、シーズン終了会見にて) 「最後の20試合が重要だと多くの監督が言うが、首位とのゲーム差が10ゲーム以上あることを考えれば、残り20試合では追いつけない。『残り20試合の時点でどういう状態にチームを持って行くか』が最も重要だ」(2016年7月、オールスターを終えてシーズン後半戦を迎えるにあたってのコメントにて) チームの一体感を生み出す「雰囲気作り」を重要視すること、基本的なことを大切にする重要性、前向きなメッセージを常に発信し続けること、を通して「(選手を)やる気にさせてくれた。それがあってこそ、選手全員が自信をもってできたと思う」(筒香嘉智)という効果をもたらし、監督就任1年目の2016年、DeNAを球団史上初のクライマックスシリーズ進出に導いた。この年のDeNAは選手の年俸総額が12球団で最下位であった。 一方で就任以来初めてAクラスを逃した2018年シーズン終了後には、コーチ陣との意思疎通をしないで独断で選手起用や作戦指示をしていたことを明かし、コーチ陣に対して異例の謝罪をした。当時一軍総合コーチとしてラミレスと現場を共にした青山道雄は2017年の記事で「自分の信念を貫く監督です。とにかく選手たちを強く信頼していて、そういった部分では頑固者かもしれません。バントをしないなど、いろいろと批判を受けましたが、ラミレス監督はそれを承知の上で、データに基づいて采配しています」と語っていた。また、2019年シーズン中の取材には「でも、(試合中に)ベンチ内でゆっくり会話なんかしている時間はないわけですよ」「いろいろな話をするけど、瞬時の判断は任せている。だから、コミュニケーションは量の問題じゃない。(コーチたちの)意見をどう解釈してどう決めていくかは監督だから」と回答していた。 采配はデータに基づく緻密な「分析野球」の傾向が強いが、「情に厚い」面もある。DeNAの功労者である三浦大輔は引退試合で先発起用して7回途中まで登板させた。2016年シーズンの山﨑康晃、梶谷隆幸、ホセ・ロペスなど主力と位置付けているが不調に苦しむ選手は、復調を信じて辛抱強く起用し続けて「スランプは誰しもがある。大きなスランプの後には大きな波がくる。自分の現役時代の経験でもそうだった」と述べている。その後も2019年シーズンの宮崎敏郎、2020年シーズンのタイラー・オースティンなどが辛抱強く起用し続けた例として挙げられ、彼らは後に復調している。 また、佐野恵太の才能を見出した事でも知られる。佐野はドラフト9位という最下位指名だったが、1年目には開幕一軍に起用、2年目以降は代打として一軍に定着させた。4年目の2020年にはキャプテン及び4番打者に指名、佐野はその年首位打者を獲得して飛躍を果たした。 自身の現役時代の経験から「外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事」と考えており、「ここ日本では、全てやり方が違う。メンタルも全くも違う。野球は野球で同じだけど、全く違うやり方なんだ。僕らは日本の野球に合わせなければならない。そんな中で大事なのは、そういうことをきっちり伝えるコミュニケーションだね。新しく入ってきた選手とは必ず、日本での違いについて話をするようにしている」と述べている。 自身の形に拘らない柔軟性もあり、就任当初は梶谷を2番打者として起用することをチームの基軸の一つとしていたが、チーム状況や梶谷自身の状態に応じて起用法を変化させ、2016年シーズンはレギュラーシーズンで梶谷の2番打者起用は8試合であった。この年の梶谷は107試合に出場して最多は3番としての47試合で、ポストシーズンは出場7試合中5試合で2番打者として起用された。 攻撃面では、就任当初から盗塁や犠打の増加を画策していたが、最終的には俊足でない強打者が揃うチーム事情を考えてスモールベースボールを断念している。在任期間中のチーム犠打数は全ての年でリーグ最少で、盗塁数もリーグ最下位を3度(17年、19年、20年)記録している。 打順に関しては、2017年からは投手を8番、倉本寿彦ら勝負強さのある野手を9番に置く独自の打線を形成した。一般的には走力のない捕手などを8番、投手を9番に置くが、「俊足ではない8番の野手が出塁しても、9番の投手の犠打でダブルプレーになるリスクが高い。それなら最初から8番に投手、9番に野手を置いて、トップバッターに良い流れでつないだほうが得点の可能性は広がる。」という持論を根拠としている。8番・投手の犠打の確率を向上させるため、7番には出塁能力と俊足を兼ね備えた選手を置いた。また打順が多く回ることや、出塁した野手の9番打者をホームに返す意図から、2番打者には梶谷、ネフタリ・ソト、筒香嘉智、オースティンといった強打者を配置することも多かった。 捕手起用への拘りも強い。就任当初の練習試合や2018年にはベンチからラミレス自身が試合中に配球を指示していた。更に試合序盤に「流れを変えるため」などの理由でバッテリーではなく先発捕手のみを交代する事も度々あった。また、データとして「バッテリー毎の防御率」を重視し2020年は前年最も出場していた伊藤光を「マスクをかぶった時の防御率が悪い」事を理由に二軍へ降格させたほか、打率.327と打撃好調だった嶺井博希ではなく打率.212の戸柱恭孝を正捕手として起用した。戸柱に関しては監督退任後も能力を高く評価する発言が見受けられる。 先発投手には故障離脱のリスクから完投勝利を求めず、「基本的には1試合で100球以上投げさせるべきではない」「5回までしっかりと投げてくれれば合格だ」と自著で述べている。先発が好投していても100球に到達する前に交代させる事もあった。また、監督後期には先発投手に故障者が続出したこともあって試合序盤の短いイニングを中継ぎに任せるオープナーを採用した(正確にはブルペンデー)。 先発投手の交代判断が早いことや、イニング途中での継投を好んだことも起因し救援投手の登板数は毎年多かった。2017年は山崎康晃、三上朋也、砂田毅樹、パットン、田中健二朗の5人が60試合以上登板し、2018年は砂田が、2019年はエドウィン・エスコバーと三嶋一輝が70試合以上登板した。小刻みな継投策は各紙から「マシンガン継投」とも評された。一方で2017年のCSファイナルステージでは先発の今永昇太、濱口遥大を中継ぎに回した継投策が功を奏し、チームを19年振りの日本シリーズ出場へ導いている。 また、在任期間中全ての年で「12球団最多故意四球」を記録した。申告敬遠が導入されると急増し、導入初年度の2018年には前年の14敬遠の4倍となる56敬遠を記録した。 監督としての通算成績は692試合で336勝337敗19分、勝率.499。通算336勝は別当薫、三原脩に次いで球団3位、3度のAクラス入りも別当、三原、権藤博に次ぐ球団4人目の快挙だった。在任中はセ・リーグ4球団から勝ち越した一方で、阪神タイガースには通算44勝74敗6分と苦戦し続けた。2020年のトークショーでは 「毎回、阪神のことを話すと悪夢がよみがえる」と苦笑いを浮かべた。 愛称は「ラミちゃん」。座右の銘は「仕方がない」。 生年月日は公称で1974年10月3日だが、自身も母も本当の生年月日を知らない。ラミレスは「これは(生まれ故郷の)ベネズエラではよくある話」と断りを入れつつも「当時はお金で戸籍が買えたから、本人が15歳と言えばそうなったんだ。お金で解決できたので、こういうことはよく起こっていた」としている。 ベネズエラ出身で母語はスペイン語(厳密にはベネズエラ・スペイン語)だが、マスコミ向けのインタビューには通訳を通して英語で答えている。スペイン語は熱き星たちよの2019年・2020年バージョンで披露している。 日本語はメディアの前で披露することは少ないが、選手とのコミュケーションは可能でT-岡田が「今まで考えていなかったことに気づかせてくれた。日本語も上手だし、わかりやすい」と評している。また監督就任時の挨拶で「フィールド上では、日本語を使いたいと思っています。みなさんが思っているよりも日本語が話せますので! もし、フィールド場で私が笑顔で話して、選手が笑顔で返していたら、コミュニケーションができるということなので!」「戦略や細かいことなどは、通訳を通していきたいと思います。」と語っていた。 ヤクルト時代は髭がトレードマークだったが、巨人では原則ヒゲが禁止されているため、移籍した際に剃り落とした。髭を剃ることに慣れたのか、横浜DeNAに移籍後に再び髭を生やすようなことはなかったが、監督就任後、2020年シーズンより再び生やすようになっている。 「試合を支配する要素の70%はメンタリティー、残り30%がフィジカル」との考え方を持っている。また、メンタリティーの強化のためには「相手を研究し準備する」ことが不可欠であると考えており、そのためシーズン中は試合前に過去の試合のDVD、試合後にはその日の自分の打席のDVDを観ることを日課にしていた。過去のDVDを観る際は主に「得点圏にランナーがいるときのバッテリーの配球」に主眼を置くとのことで、特に来日してからは、捕手が配球の主導権を握る日本野球のスタイルに合わせ、「捕手を中心に研究する」ようになったという。このような自らの意識から「日本の選手はフィジカル面ばかりでなく、もう少しメンタリティーに重きを置いてもいいのではないか」とも感じているという。 2010年代以降は、球団を問わず後輩選手にアドバイスしている。特にウラディミール・バレンティン、長野久義、石川雄洋らと頻繁に情報交換を行っている。 2013年2月に、東京・西麻布にプエルトリコ料理のレストラン『ラミちゃんカフェ』を開店した。実際の店舗運営は妻に任せるものの、本人も時折店を訪れ来店客に挨拶したりしていたが、店名変更などを経て2014年9月に閉店した。 口癖は「マタ明日ガンバリマス」。2000本安打達成後の記者会見ではジャイアンツ時代からの通訳担当者を労うコメントもしている 巨人退団の要因としては守備難だったが、打撃成績は悪くなかった。巨人退団年となる2011年は前述のように3割30本100打点を逃し、主力打者として物足りない数字ではあるものの、特別不振というほどの数字ではなかった。日本の他球団から巨人に移籍してきた選手の中で、年単位の不振はなく、巨人退団年の数字も特別悪い数字を残さなかった数少ない選手であった。 尊敬する人物として、若松勉、原辰徳、古田敦也を挙げている。また、ベネズエラ時代に自身に野球を教えたトマス・ガルシアが恩師であるという。選手、指導者を通しての野球人生において、「ポジティブに生きる」「リスペクト」を座右の銘としているが、これはガルシアの教えがもとになっているという。 プライベートでは、14歳年上の女性と来日前に結婚し、来日後は巨人時代の2009年にベスト・ファーザー イエローリボン賞(プロ野球部門)の1人に選出されるなど、家族を大切にすることで知られていた。現役引退後の2014年5月から家族と別居して11月に当時の妻がその事実をFacebookで公表した。双方の協議を経て2015年3月に離婚が成立した。 同年4月23日に7歳年下の日本人女性と再婚。2016年初頭に再婚女性との間に誕生した息子がダウン症であることを公表。2018年には知的障害をもつ若者に寄付されるLINEスタンプを発売するなど社会活動に力を入れており、2019年にはその息子が「スペシャル・ビューティー・ジャパン」親善大使に就任している。2021年10月19日、「イクメン オブ ザ イヤー2021」のイクメンスポーツレジェンド部門を受賞。 2018年1月22日に、日本国籍取得のため、帰化申請を手続きしており年内に許可が下りる見込みと報じられ、「これまで日本でいろんな人に支えられて多くのことを学び、今の自分がある。日本のことや人々を愛しており、お返しや貢献をしたいと考えて日本人になることにした」と説明し、帰化後の夢として「監督など指導者として日本代表のユニフォームを着たい」と語った。書類不備があり許可に時間がかかっていたが、2019年1月23日、日本国籍を取得した。 2005年から2007年に東京ヤクルトスワローズ、2008年にILリーグ・高知ファイティングドッグスに所属したアレックス・ラミレス・ジュニアは義理の息子(前妻の連れ子)。2015年からBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスに所属しているラミレス・ヨンデルは甥(実兄の息子)。 まだ筒香がメジャー挑戦をほのめかしていた段階の2019年2月、沖縄・宜野湾春季キャンプでラミレスは「彼はメジャーでは厳しいだろうね。どうして?彼はインコース寄りの速いボール、強いボールが打てないんだ。メジャーではあの辺りのボールが打てないと相当厳しいよ」と筒香のメジャー挑戦失敗(2022年シーズン終了時点)を予言するようなコメントを残した。 ゴルフを嗜んでおり、名球会入りする10年前から始めた。 現役時代、本塁打を打った際やヒーローインタビューの際に、パフォーマンスを行うことで知られた。芸人の芸を取り入れたパフォーマンスが人気だった。他の選手がHRを打った際は、互いに肘を曲げ合い、スタンド方向を指差すなど独特のハイタッチで応じる事が多かった。本塁打ではベンチ前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特にホームゲームでは、球団マスコット(ヤクルト:つば九郎、巨人:ジャビット)とコンビでアクションを行うほか、本塁打や適時打でチームに貢献した場合、直後に守備に就く際にもファンの声援に応え、パフォーマンスを交えてお辞儀や敬礼で感謝の意を伝えている。 パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられ、シーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集していたこともある。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。2011年3月11日に東日本大震災が発生した後のシーズンは、中継のカメラなどを通して「We are One ! ガンバレ!ニッポン!」と手話を交えながらエールを送る姿が報道され好評を博した。 本人によると、元々はキャンプ中にロッカールームで選手数人が互いに「アイーン」をやって遊んでいたのを目撃した際に、同僚だった度会博文から「お前もやってみろ」と言われ、その日の練習中に数人の子供の前でやってみたところ、大変好評だったのがきっかけだという。メジャーリーグでは選手が試合中にパフォーマンスを行うことは相手を挑発しているように受け取られるため、通訳などに相談したところ「日本では問題ない」と言われたため、積極的にパフォーマンスを行うようになったという。その後もパフォーマンスを続けている理由としては、「野球のことをよく知らない小さな子供が『アイーン』『ゲッツ』として自分のことを覚えてくれるのが嬉しい」ことを挙げている。 ラミレスのパフォーマンスが定着したために、ダンディ坂野のように元ネタの演者の方が「ラミレスのまね」と思われる逆転現象も起きた。 コーチ・監督就任時は、立場上の観点からパフォーマンスを控えている。 各年度の太字はリーグ最高 2003年は規定打席到達者の中でリーグ1位。この年はロベルト・ペタジーニが規定打席に20打席不足していたが、20打席分を凡打と仮定しても、長打率.644でラミレスを上回る。そのため、公認野球規則10.22(a)(当時は10.23(a))より、ペタジーニがリーグの最高長打率打者となる。 首位打者:1回(2009年) 本塁打王:2回(2003年、2010年) 打点王:4回(2003年、2007年、2008年、2010年) 最多安打:3回(2003年、2007年、2009年) 最優秀選手:2回(2008年、2009年)2年連続受賞記録はセ・リーグ最多タイ記録 ベストナイン:4回(外野手部門:2003年、2007年、2008年、2009年) 月間MVP:9回(野手部門:2003年4月、2004年9月、2007年7月 - 9月、2008年5月、2009年8月、2010年5月、2012年7月)※歴代3位、セ・リーグ最多 オールスターゲームMVP:1回(2007年 第1戦) オールスターゲーム・ベストバッター賞:1回(2009年第1戦) ホームランダービー優勝:1回(2008年第2戦) セ・リーグクライマックスシリーズMVP:1回(2008年) 日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2008年) 東京ドームMVP:1回(2010年) セ・リーグ 連盟特別表彰:1回(連盟特別賞:2010年) セ・リーグ会長特別賞:1回(2007年) 優秀JCB・MEP賞:1回(2007年) ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2009年) 野球殿堂プレーヤー表彰(2023年) 100本塁打:2004年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、9回裏に岡島秀樹から左中間越2ラン ※史上234人目 150本塁打:2005年8月19日、対阪神タイガース15回戦(明治神宮野球場)、1回裏に下柳剛から左越2ラン ※史上137人目 1000安打:2007年4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉見一起から左前安打 ※史上244人目 200本塁打:2007年8月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、4回表に金刃憲人から中越ソロ ※史上89人目 1000試合出場:2008年4月18日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5番・左翼手で先発出場 ※史上425人目 250本塁打:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から右越ソロ ※史上53人目 1500安打:2009年8月26日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤドーム)、5回表に川井雄太から中前安打 ※史上104人目 1000三振:2009年9月20日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、2回表に由規から ※史上47人目 1000打点:2010年4月10日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、8回裏に鈴木義広から左越満塁本塁打 ※史上37人目 300本塁打:2010年5月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に成瀬善久から左越ソロ ※史上36人目 3000塁打:2010年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、4回表に福原忍から中前安打 ※史上70人目 1500試合出場:2011年8月14日、対広島東洋カープ15回戦(東京ドーム)、4番・左翼手で先発出場 ※史上170人目 350本塁打:2011年8月24日、対阪神タイガース17回戦(東京ドーム)、4回裏に能見篤史から中越ソロ ※史上26人目 2000安打:2013年4月6日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、6回表に石川雅規から左越ソロ ※史上42人目(外国人選手枠で入団した選手としては初) 3500塁打:2013年5月17日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回表に鶴岡一成の代打として出場、武田久から右前安打 ※史上27人目 シーズン200安打以上:1回(2007年)※史上3人目、外国人選手・右打者では史上初 シーズン204安打(2007年)※歴代6位 9年連続シーズン150安打以上(2002年 - 2010年)※NPB記録 シーズン150安打以上:9回(2002年 - 2010年)※歴代3位タイ 8年連続シーズン100打点以上(2003年 - 2010年)※NPB記録 シーズン100打点以上:8回(2003年 - 2010年)※歴代2位 シーズン120打点以上:4回(2003年、2007年、2008年、2010年)※NPBタイ記録 通算0犠打 ※史上2番目に多い通算7152打席での記録 オールスターゲーム出場:8回 (2002年、2003年、2007年 - 2012年) 300本塁打:2010年4月1日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、2回表にスティーブン・ランドルフから左越満塁 350本塁打:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にディオーニ・ソリアーノから左越3ラン 2000安打:2012年7月5日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)、5回裏にディッキー・ゴンザレスから右中間二塁打 ※ 勝敗の太字は勝利したシリーズ (※1)リーグ優勝球団に与えられるアドバンテージによる1敗を含む 61 (1998年 - 2000年) 3 (2001年 - 2007年、2012年 - 2013年) 5 (2008年 - 2011年) 80 (2016年 - 2020年) ・「シャナナ☆」MINMI (2008年〜2011年) ・「ファイナル・カウントダウン (曲)」ヨーロッパ (バンド) (2008年〜2011年) ※主に終盤の打席(6回裏〜最終回)で流れた。 イクメン オブ ザ イヤー 2021 イクメンスポーツレジェンド部門(2021年) 令和4年度外務大臣表彰(2022年) ^ スペイン語発音: [a.lɛk.sãn̪.ˈdɛɾ ra.ˈmõn ra.ˈmi.ɾes ki.ˈɲo.nes] ^ 『ラミ流』159頁では「16歳」とされている。ただし同ページには「1年後の1993年にルーキーリーグでデビュー」との記述もあるため、本記事ではそちらを基準とした。 ^ 2001年から2004年まではセ・パ共に140試合制だった。 ^ この年、ラミレスが放った204安打は当時のセ・リーグ最多記録で、両リーグ最多記録はイチローの210安打(1994年)だった。2010年にマット・マートン(阪神タイガース)が214安打を放ち、セ・リーグ記録とシーズン記録の両方を更新した(のちにシーズン記録は2015年に秋山翔吾が記録を塗り替える)。 ^ 日本の野球における投手の引退試合は、「打者1人限定」あるいは「1イニング限定」としての登板が多い。そのため、引退試合にて先発として長いイニングを投げたことは異例であるといえる。 ^ この采配について、ラミレスは、「もちろん勝ちゲームをしたかったけど、三浦投手に勝ちをつけたい。5割を目指す。この線引きが難しかった。代えるなら、マウンド上で代えたいと思っていた。ファンから声援をもらってマウンドから降りてもらおうと。代打を送りたくもなかった。今日は多くのファンが三浦さんを見に来ていたので見せたかった」と述べている。なお、この采配については、「粋な采配」と評価されて、実際、球場全体が盛大で温かい拍手に包まれて、三浦は引退登板を終えることとなった。 ^ 2位は楽天の36敬遠。 ^ 巨人には61勝60敗3分、中日には65勝58敗1分、広島には63勝57敗4分、ヤクルトには68勝55敗1分。 ^ 既に帰化して日本国籍を取得しており、日常会話レベルでは日本語を話せる(そもそも日常会話レベルの日本語を話せないと日本国籍取得は認められない)。 ^ 2003年と2004年に巨人でプレーしたロベルト・ペタジーニもその一人である。 ^ この場合における「リスペクト」とは、「相手をリスペクトする」「チームメイトをリスペクトする」「試合をリスペクトする」の3つの意味が込められているとのこと。 ^ 8年連続100打点のNPB新記録を称えて。 ^ 平成31年法務省告示第11号、『官報』平成31年1月23日 本紙第7432号「左記の者の申請に係る日本国に帰化の件は、これを許可する。 平成三十一年一月二三日 法務大臣 山下貴司(中略)住所(略) ラミレス・カプリレス・アレクサンダー・ラモン 昭和49年10月3日生」 ^ “ラミレス監督、日本国籍取得 プロ野球DeNA”. 共同通信社 (2019年1月24日). 2019年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月28日閲覧。 ^ “スペイン語の発音記号変換ツール”. easypronunciation.com. 2021年7月7日閲覧。 ^ “【野球】2000安打ラッシュとなるか。大記録まで残り100本を切った5選手たち”. デイリースポーツ online (2017年5月9日). 2022年8月24日閲覧。 ^ “総勢9人! 歴代外国人監督の通信簿”. 週刊ベースボールONLINE (2019年6月15日). 2020年3月16日閲覧。 ^ アレクサンデル・ラモン・ラミレス・カプリレス氏(元プロ野球選手・監督)への外務大臣表彰状授与式 - 外務省 ^ 『ラミ流』141頁 ^ 『ラミ流』146 - 159頁 ^ 『ラミ流』84頁 ^ Replacement Players in the Major Leagues by Baseball Almanac ^ 【vol.2】正直、日本の野球は見下していましたね / メジャー選手のプライドが打ち砕かれた日 / 最初のチームが巨人軍じゃなくて良かったよ ^ 『ラミ流』162 - 163頁 ^ “2000 Pittsburgh Pirates Schedule”. 2023年7月13日閲覧。 ^ 『ラミ流』12頁 ^ 『ラミ流』18 - 19頁 ^ 【ラミレス登場】日本に来て衝撃だったこと!練習しすぎて頭がどうかしてると思った!〇〇を変えて打てるようになった!?江川卓も気付かなかったラミレスの工夫! 江川卓のたかされ 2023/07/17 (2023年7月30日閲覧) ^ “アレックス・ラミレス(DeNA監督) インタビュー 日本で追い続ける夢 「成功できるか、否かのカギは日本の文化を吸収できるかどうか」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年10月6日閲覧。 ^ 『ラミ流』56頁 ^ 『ラミ流』53頁 ^ 『ラミ流』60 - 63頁 ^ 反撃弾!トドメ2点打!オガラミ砲で引導渡した-スポーツニッポン ^ ラミレス、連続試合出場止まる-時事通信、2011年7月16日配信、同日閲覧 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個人年度別成績 A.ラミレス - NPB.jp 日本野球機構 アレックス・ラミレス公式webサイト アレックス・ラミレス オフィシャルブログ - ウェイバックマシン(2015年10月31日アーカイブ分) Alex Ramírez (@Ramichan3) - X(旧Twitter) Alex Ramirez (@ramichan3) - Instagram Alex Ramirez Brand - ラミちゃんブランド (@ramichan.jp) - Instagram [ラミレス公式]ラミちゃんねる - YouTubeチャンネル WebマガジンB-plus(ビープラス)スペシャルインタビュー アレックス・ラミレス ラミレス美保オフィシャルブログ「ラミちゃんファミリーです by 嫁」 - Ameba Blog 表 話 編 歴 60 ヴィクトル・スタルヒン 62 池田豊 63 中島治康 64 若林忠志 65 川上哲治、鶴岡一人 69 苅田久徳 70 天知俊一、二出川延明 72 石本秀一 74 藤本定義、藤村富美男 76 中上英雄 77 水原茂、西沢道夫 78 松木謙治郎、浜崎真二 79 別所毅彦 80 大下弘、小鶴誠 81 飯田徳治、岩本義行 83 三原脩 85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳 88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一 89 島秀之助、野村克也、野口二郎 90 真田重蔵、張本勲 91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎 92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男 93 稲尾和久、村山実 94 王貞治、与那嶺要 95 杉浦忠、石井藤吉郎 96 藤田元司、衣笠祥雄 97 大杉勝男 99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄 00 米田哲也 01 根本陸夫、小山正明 02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎 03 上田利治、関根潤三 04 仰木彬 05 村田兆治、森祇晶 06 門田博光、高木守道、山田久志 07 梶本隆夫 08 山本浩二、堀内恒夫 09 若松勉 10 東尾修 11 落合博満 12 北別府学、津田恒実 13 大野豊 14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩 15 古田敦也 16 斎藤雅樹、工藤公康 17 伊東勤 18 松井秀喜、金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾、山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信、黒田博樹 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一、平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿 60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登、宮武三郎、景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三 69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧 70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚 71 小西得郎、水野利八 72 中野武二、太田茂 73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄、西村幸生 78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎 79 平沼亮三、谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫、小川正太郎 82 鈴木龍二、外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄、山内以九士 86 中河美芳、松方正雄 87 藤田信男、山下実 88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一 89 池田恒雄、伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征、村上實 96 牧野直隆、保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志、井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟、長谷川良平 02 中澤不二雄、生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守、豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規、君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎、大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男、村山龍平 16 松本瀧藏、山中正竹 17 郷司裕、鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉、石井連藏 21 川島勝司、佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 02 フランク・オドール、正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1953 簑原宏 1954 大下弘 1955 戸川一郎 1956 稲尾和久 1957 宮本敏雄 1958 藤田元司 1959 土屋正孝 1960 田宮謙次郎 1961 J.スタンカ 1962 吉田義男 1963 稲尾和久 1964 山内一弘 1965 森下整鎮 1966 渡辺泰輔 1967 足立光宏 1968 長池徳二 1969 長池徳二 1970 井石礼司 1971 山田久志 1972 足立光宏 1973 野村克也 1974 高木守道 1975 山本浩二 1976 柴田勲 1977 河埜和正 1978 足立光宏 1979 井本隆 1980 小川亨 1981 井上弘昭 1982 上川誠二 1983 西本聖 1984 山沖之彦 1985 石毛宏典 1986 達川光男 1987 篠塚利夫 1988 宇野勝 1989 新井宏昌 1990 岡崎郁 1991 川口和久 1992 岡林洋一 1993 清原和博 1994 清原和博 1995 小林宏 1996 仁志敏久 1997 松井稼頭央 1998 大塚光二 1999 川上憲伸 2000 城島健司 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 金本知憲 2004 井上一樹 2005 矢野輝弘 2006 川上憲伸 2007 ダルビッシュ有 2008 A.ラミレス 2009 髙橋信二 2010 和田一浩 2011 吉見一起 2012 稲葉篤紀 2013 長野久義 2014 R.メッセンジャー 2015 山田哲人 2016 B.エルドレッド 2017 宮﨑敏郎 2018 鈴木誠也 2019 亀井善行 2020 戸郷翔征 2021 山本由伸 2022 J.オスナ 2023 紅林弘太郎 2024 今宮健太 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 川上哲治 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 川上哲治 1956 別所毅彦 1957 与那嶺要 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 長嶋茂雄 1962 村山実 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 長嶋茂雄 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 堀内恒夫 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 若松勉 1979 江夏豊 1980 山本浩二 1981 江川卓 1982 中尾孝義 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 北別府学 1987 山倉和博 1988 郭源治 1989 W.クロマティ 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 J.ハウエル 1993 古田敦也 1994 桑田真澄 1995 T.オマリー 1996 松井秀喜 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 野口茂樹 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 金本知憲 2006 福留孝介 2007 小笠原道大 2008 A.ラミレス 2009 A.ラミレス 2010 和田一浩 2011 浅尾拓也 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 菅野智之 2015 山田哲人 2016 新井貴浩 2017 丸佳浩 2018 丸佳浩 2019 坂本勇人 2020 菅野智之 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 村上頌樹 表 話 編 歴 2007 (制定なし) 2008 A.ラミレス 2009 脇谷亮太 2010 和田一浩 2011 吉見一起 2012 石井義人 2013 菅野智之 2014 呉昇桓 2015 川端慎吾 2016 田中広輔 2017 J.ロペス 2018 菊池涼介 2019 岡本和真 2020 (中止) 2021 奥川恭伸 2022 J.オスナ 2023 木浪聖也 2024 戸柱恭孝 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 川上哲治 1952 西沢道夫 1953 川上哲治 1954 与那嶺要 1955 川上哲治 1956 与那嶺要 1957 与那嶺要 1958 田宮謙次郎 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 森永勝治 1963 長嶋茂雄 1964 江藤慎一 1965 江藤慎一 1966 長嶋茂雄 1967 中暁生 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 若松勉 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 谷沢健一 1977 若松勉 1978 水谷実雄 1979 F.ミヤーン 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1982 長崎啓二 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 篠塚利夫, 正田耕三 1988 正田耕三 1989 W.クロマティ 1990 J.パチョレック 1991 古田敦也 1992 J.ハウエル 1993 T.オマリー 1994 A.パウエル 1995 A.パウエル 1996 A.パウエル 1997 鈴木尚典 1998 鈴木尚典 1999 R.ローズ 2000 金城龍彦 2001 松井秀喜 2002 福留孝介 2003 今岡誠 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 青木宣親 2011 長野久義 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.マートン 2015 川端慎吾 2016 坂本勇人 2017 宮﨑敏郎 2018 D.ビシエド 2019 鈴木誠也 2020 佐野恵太 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 2024 T.オースティン 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 青田昇 1952 杉山悟 1953 藤村富美男 1954 青田昇 1955 町田行彦 1956 青田昇 1957 青田昇, 佐藤孝夫 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武, 森徹 1960 藤本勝巳 1961 長嶋茂雄 1962 王貞治 1963 王貞治 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 王貞治 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 田淵幸一 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 山本浩二 1979 掛布雅之 1980 山本浩二 1981 山本浩二 1982 掛布雅之 1983 山本浩二, 大島康徳 1984 宇野勝, 掛布雅之 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 ランス 1988 C.ポンセ 1989 L.パリッシュ 1990 落合博満 1991 落合博満 1992 J.ハウエル 1993 江藤智 1994 大豊泰昭 1995 江藤智 1996 山崎武司 1997 D.ホージー 1998 松井秀喜 1999 R.ペタジーニ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 A.ラミレス, T.ウッズ 2004 T.ローズ, T.ウッズ 2005 新井貴浩 2006 T.ウッズ 2007 村田修一 2008 村田修一 2009 T.ブランコ 2010 A.ラミレス 2011 W.バレンティン 2012 W.バレンティン 2013 W.バレンティン 2014 B.エルドレッド 2015 山田哲人 2016 筒香嘉智 2017 A.ゲレーロ 2018 N.ソト 2019 N.ソト 2020 岡本和真 2021 村上宗隆, 岡本和真 2022 村上宗隆 2023 岡本和真 2024 村上宗隆 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 青田昇 1952 西沢道夫 1953 藤村富美男 1954 杉山悟, 渡辺博之 1955 川上哲治 1956 宮本敏雄 1957 宮本敏雄 1958 長嶋茂雄 1959 森徹 1960 藤本勝巳 1961 桑田武 1962 王貞治 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 山本浩二 1980 山本浩二 1981 山本浩二 1982 掛布雅之 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 C.ポンセ 1988 C.ポンセ 1989 落合博満 1990 落合博満 1991 広沢克己 1992 L.シーツ 1993 広沢克己, R.ローズ 1994 大豊泰昭 1995 江藤智 1996 L.ロペス 1997 L.ロペス 1998 松井秀喜 1999 R.ローズ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 A.ラミレス 2004 金本知憲 2005 今岡誠 2006 T.ウッズ 2007 A.ラミレス 2008 A.ラミレス 2009 T.ブランコ 2010 A.ラミレス 2011 新井貴浩 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.ゴメス 2015 畠山和洋 2016 筒香嘉智 2017 J.ロペス 2018 W.バレンティン 2019 N.ソト 2020 岡本和真 2021 岡本和真 2022 村上宗隆 2023 牧秀悟 2024 村上宗隆 表 話 編 歴 1994 野村謙二郎 1995 野村謙二郎 1996 A.パウエル 1997 L.ロペス 1998 石井琢朗 1999 R.ローズ 2000 R.ローズ 2001 石井琢朗 2002 清水隆行 2003 A.ラミレス 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 青木宣親 2007 A.ラミレス 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 M.マートン 2011 M.マートン 2012 坂本勇人, 長野久義 2013 M.マートン 2014 山田哲人 2015 川端慎吾 2016 菊池涼介 2017 丸佳浩, J.ロペス 2018 D.ビシエド 2019 大島洋平 2020 大島洋平 2021 近本光司 2022 佐野恵太, 岡林勇希 2023 牧秀悟, 中野拓夢 2024 長岡秀樹 表 話 編 歴 1950 青田昇, 岩本義行, 小鶴誠 1951 青田昇, 岩本義行, 金田正泰 1952 杉山悟, 南村不可止, 与那嶺要 1953 金田正泰, 南村不可止, 与那嶺要 1954 杉山悟, 与那嶺要, 渡辺博之 1955 町田行彦, 与那嶺要, 渡辺博之 1956 青田昇, 田宮謙次郎, 与那嶺要 1957 青田昇, 田宮謙次郎, 与那嶺要 1958 田宮謙次郎, 森徹, 与那嶺要 1959 大和田明, 坂崎一彦, 森徹 1960 中利夫, 並木輝男, 森徹 1961 江藤慎一, 近藤和彦, 森永勝治 1962 近藤和彦, 並木輝男, 森永勝治 1963 江藤慎一, 近藤和彦, 藤井栄治 1964 江藤慎一, 近藤和彦, 重松省三 1965 江藤慎一, 近藤和彦, 中暁生 1966 江藤慎一, 中暁生, 山本一義 1967 近藤和彦, 柴田勲, 中暁生 1968 江藤慎一, D.ロバーツ, 山内一弘 1969 高田繁, D.ロバーツ, 山本一義 1970 江尻亮, 高田繁, 中暁生 1971 柴田勲, 高田繁, 水谷実雄 1972 柴田勲, 高田繁, 若松勉 1973 江尻亮, 柴田勲, 若松勉 1974 G.マーチン, 末次利光, 若松勉 1975 井上弘昭, 山本浩二, ロジャー 1976 張本勲, 谷沢健一, 若松勉 1977 張本勲, 山本浩二, 若松勉 1978 C.マニエル, 山本浩二, 若松勉 1979 M.ラインバック, 山本浩二, 若松勉 1980 杉浦亨, 山本浩二, 若松勉 1981 J.ライトル, 田尾安志, 山本浩二 1982 田尾安志, 長崎啓二, 山本浩二 1983 田尾安志, 松本匡史, 山本浩二 1984 山崎隆造, 山本浩二, 若松勉 1985 杉浦享, 真弓明信, 山崎隆造 1986 W.クロマティ, 山本浩二, 吉村禎章 1987 W.クロマティ, C.ポンセ, 吉村禎章 1988 C.ポンセ, J.パチョレック, 広沢克己 1989 W.クロマティ, 彦野利勝, 山崎賢一 1990 J.パチョレック, 原辰徳, 広沢克己 1991 R.J.レイノルズ, 原辰徳, 広沢克己 1992 飯田哲也, 前田智徳, L.シーツ 1993 A.パウエル, 新庄剛志, 前田智徳 1994 A.パウエル, G.ブラッグス, 前田智徳 1995 A.パウエル, 金本知憲, 松井秀喜 1996 A.パウエル, 松井秀喜, 山崎武司 1997 鈴木尚典, D.ホージー, 松井秀喜 1998 鈴木尚典, 前田智徳, 松井秀喜 1999 関川浩一, 高橋由伸, 松井秀喜 2000 金本知憲, 新庄剛志, 松井秀喜 2001 稲葉篤紀, 金本知憲, 松井秀喜 2002 清水隆行, 福留孝介, 松井秀喜 2003 赤星憲広, A.ラミレス, 福留孝介 2004 金本知憲, 嶋重宣, T.ローズ 2005 青木宣親, 赤星憲広, 金本知憲 2006 青木宣親, 金本知憲, 福留孝介 2007 青木宣親, A.ラミレス, 高橋由伸 2008 A.ラミレス, 青木宣親, 金本知憲 2009 A.ラミレス, 青木宣親, 内川聖一 2010 M.マートン, 青木宣親, 和田一浩 2011 長野久義, M.マートン, 青木宣親 2012 長野久義, 大島洋平, W.バレンティン 2013 W.バレンティン, M.マートン, 長野久義 2014 M.マートン, 丸佳浩, 雄平 2015 筒香嘉智, 福留孝介, 平田良介 2016 鈴木誠也, 筒香嘉智, 丸佳浩 2017 丸佳浩, 鈴木誠也, 筒香嘉智 2018 丸佳浩, 鈴木誠也, N.ソト 2019 丸佳浩, 鈴木誠也, N.ソト 2020 佐野恵太, 丸佳浩, 鈴木誠也 2021 鈴木誠也, 近本光司, 塩見泰隆 2022 近本光司, 佐野恵太, 岡林勇希 2023 近本光司, 西川龍馬, 岡林勇希 表 話 編 歴 渡辺大陸 1950 中島治康 1951 有馬義一 1951 小西得郎 1952 - 1953 永沢武夫 1954 藤井勇 1955 迫畑正巳 1956 - 1958 森茂雄 1959 三原脩 1960 - 1967 別当薫 1968 - 1972 青田昇 1973 宮崎剛 1974 秋山登 1975 - 1976 別当薫 1977 - 1979 土井淳 1980 - 1981 関根潤三 1982 - 1984 近藤貞雄 1985 - 1986 古葉竹識 1987 - 1989 須藤豊 1990 - 1992 江尻亮 1992 近藤昭仁 1993 - 1995 大矢明彦 1996 - 1997 権藤博 1998 - 2000 森祇晶 2001 - 2002 山下大輔 2003 - 2004 牛島和彦 2005 - 2006 大矢明彦 2007 - 2009 尾花髙夫 2010 - 2011 中畑清 2012 - 2015 アレックス・ラミレス 2016 - 2020 三浦大輔 2021 - 現在 アレックス・ラミレス ベネズエラの野球選手 在アメリカ合衆国ベネズエラ人の野球選手 アフリカ系ベネズエラ人の野球選手 クリーブランド・インディアンスの選手 ドラフト外のMLB選手 ピッツバーグ・パイレーツの選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手 群馬ダイヤモンドペガサスの選手 最優秀選手 (NPB) 本塁打王 (NPB) 打点王 (NPB) 首位打者 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP カリビアンシリーズ選手 日本の野球殿堂表彰者 オリックス・バファローズ関連人物 ベネズエラの野球監督 日本の野球監督 横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の監督 名球会 横浜GRITS関連人物 元NPB選手のYouTuber 日本のキリスト教徒 日本に帰化した人物 ベネズエラ系日本人 アフリカ系日本人 カラカス出身の人物 1974年生 存命人物 外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年1月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 ウィキデータにあるAmeba Blog ID
2024/11/23 06:21更新
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Alex Ramirez
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