オスカー=ロバートソンの情報(OscarPalmerRobertson) バスケットボール 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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オスカー=ロバートソンの情報まとめ
オスカー=ロバートソン(Oscar Palmer Robertson)さんの誕生日は1938年11月24日です。
卒業、引退、事故、現在、兄弟、結婚に関する情報もありますね。オスカー=ロバートソンの現在の年齢は86歳のようです。
オスカー=ロバートソンのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)オスカー・パーマー・ロバートソン (Oscar Palmer Robertson, 1938年11月24日 - ) は、アメリカ合衆国・テネシー州シャーロット出身の元プロバスケットボール選手。ニックネームはThe Big Oで、全米バスケットボール協会(NBA)のシンシナティ・ロイヤルズとミルウォーキー・バックスでプレーした。1960年代から1970年代の前半にかけて活躍し、NBA史上最高の選手の1人として語られることもある選手である。 シンシナティ大学卒業、1960年ローマオリンピックで金メダルを獲得した後、1960年のNBAドラフトでプロキャリアの大半を過ごすことになるシンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)から全体1位指名を受けてNBA入りし、1961年の新人王を受賞。以後1974年に現役から引退するまでにアシスト王6回、オールスターゲーム出場12回、オールスターMVP受賞3回、オールNBAチーム選出11回、シーズンMVP受賞1回、ミルウォーキー・バックス時代に優勝を果たすなど数々の栄誉に浴した。また現役中は選手会(NBPA)会長としてNBA選手の地位向上に大きく貢献。1980年には殿堂入りを果たし、カレッジバスケ界では最も重要な個人賞の一つとして『オスカー・ロバートソン・トロフィー』が設けられている。1961-62シーズンに達成したシーズン平均トリプル・ダブルはNBAの伝説となっている。また、彼はESPNによる20世紀最高のアメリカ人アスリート第36位にランクインしている。 オスカー・パルマー・ロバートソンは未だ人種差別が色濃く残る時代である1938年、テネシー州シャーロットで生まれ、4歳の頃に移り住んだインディアナポリスでは黒人ゲットーを住処として、貧困と人種差別に塗れた少年期を過ごした。この時代子供たちの多くは野球に熱中していたが、野球道具を揃えることができなかったロバートソンは果物カゴをぶら下げた壁に向けて、テニスボールに布を丸めたものを投げて遊んだ。これが彼のバスケットボールキャリアの始まりだった。 高校進学の選択肢は狭く、殆どの黒人学校はバスケットができる体育館がなく、また白人学校はロバートソンの入学を拒否したため、ロバートソンはインディアナポリスのクリスパス・アタックス高校に進学するしかなかったが、ここでコーチ、レイ・クロウに出会えたことはロバートソンにとっては大きな幸運だった。クロウはロバートソンの優れた身体能力に大きな可能性を見出し、基礎からみっちりと叩き込んだ。クロウの指導のもとチームのエースに成長したロバートソンは2年生の1954年のシーズンにはチームをインディアナ州チャンピオンシップのベスト4に導き、翌1955年のシーズンには31勝1敗の成績でついに州チャンピオンシップを制覇。同州にとって黒人学校がチャンピオンに輝くのは初の快挙であった。1956年のシーズンに入ってもアタックス高校の勢いは止まらず、前年から引き続き45連勝(州新記録となった)を記録し、31戦全勝で州チャンピオンシップも連覇を達成すると言うパーフェクトシーズンを過ごす。平均24.0得点を記録したロバートソンは州のMr.バスケットボールに選ばれた。コートでは誰よりも輝いたロバートソンだったが、コートから一歩でも外に出れば差別される黒人の一人に過ぎず、優勝の祝賀パーティーを開こうとしたところ、街から追い出されるなどの扱いを受けた。このような状況はインディアナを離れ、シンシナティ大学に進学した後も続いた。 大学でのロバートソンはさらに素晴らしく、1957年からの3年間のプレイで平均33.8得点(同校歴代3位)15.2リバウンド4.8アシストを記録。全てのシーズンでNCAAの得点王、オールアメリカン、大学年間最優秀選手に輝き、14のNCAA記録と19の大学記録を塗り替えた。大学通算2,973得点は後にピート・マラビッチに破られるまでのNCAA記録だった。2年目のシーズンにはマディソン・スクエア・ガーデンでのトーナメント大会で52得点、翌年には62得点をあげている。当時のカレッジバスケ界のトップ選手となったロバートソンだったが、人種差別の被害は相変わらずだった。過去シンシナティでプレイした黒人はチェスター・スミス(1932年)、ロンドン・ガント(1936年)、 ウィラード・スターゲル(1942年)、 トム・オバートン(1951年)の4人しかおらず、5人目となるロバートソンがコートの上で活躍する光景は多くの白人にとっては受け入れられないものだった。差別の激しい都市への遠征は多くの困難がつきまとい、ホテルへの宿泊を拒否され、大学の宿舎に泊まらなければならないことは日常茶飯事だった。またロバートソンの在学中シンシナティ大は79勝9敗を記録し、NCAAトーナメントでは2度Final4に進出するも優勝とは縁がなかったことは、ロバートソンの後のNBAキャリアを暗示しているかのようだった。 大学を卒業したロバートソンは1960年の夏、アメリカ代表として1960年ローマオリンピックに出場。ロバートソンにジェリー・ウェスト、ジェリー・ルーカス、ウォルト・ベラミー、テリー・ディッシンガー、ボブ・ブーザー、エイドリアン・スミス、ダレル・イムホフなど錚々たるメンバーが揃ったこの時の代表はドリームチーム以前としては歴代最高の代表チームと評価されている(12選手中10人が後にNBAでプレイし、ロバートソン、ウェスト、ルーカス、ベラミーの4人が殿堂入りしている)。ロバートソンはウェストと共にチームキャプテンを務め、共にチームの主要得点源としても活躍。大会平均17.0得点をあげ、試合では平均42.4点差をつけて各国代表を一蹴し、金メダルを獲得した。ポジションはフォワードとして登録されていたが、実質ロバートソンがポイントガードとして代表チームを牽引した。なお、ロバートソンはルーカス、ブーザー、スミスの3人と後にNBAでもチームメートとして過ごすことになる。 1960年のNBAドラフトで地域指名(地元出身選手を指名できる制度)と全体1位指名を受けてシンシナティ・ロイヤルズに入団。同期にジェリー・ウェストやレニー・ウィルケンズらがいる。ロバートソンはロイヤルズとの契約で33,000ドルと貧しかった少年時代には考えられないような大金を手にしたが、すぐにその額に見合うだけの選手であることを証明した。ロバートソンはルーキーイヤーから平均30.5得点10.1リバウンド9.7アシストと、驚くべきオールラウンドな能力を発揮。1年目からアシスト王に輝くと共に、平均9.7アシストはNBAではボブ・クージーの記録を抜いて過去最高の数字となり、また平均30.5得点はリーグ3位の好記録だった。さらに今後12年連続で選ばれることになるオールスターゲームにも出場し、23得点14アシストをあげてオールスターMVPにも輝いた。当然のように新人王を受賞すると共に、やはり今後9年連続で選ばれ続けることになるオールNBA1stチームにも名を連ねている。1年目から早くもリーグトップクラスの選手としての地位を確立してしまったロバートソンともう一人のエース、ジャック・トゥィマンに率いられ、モーリス・ストークスの不慮の事故以来成績が落ち込んでたロイヤルズも上昇気流に乗り、前年の19勝56敗から33勝46敗と大きく勝率を伸ばしたものの、プレーオフには届かなかった。 翌1961-62シーズンはロバートソンにとってもNBAにとっても伝説的なシーズンとなった。彼はこのシーズン平均30.8得点12.5リバウンド11.4アシストを記録し、2016-2017シーズンにラッセル・ウェストブルックが達成するまでNBA史上初のシーズン平均トリプル・ダブルを達成したのである。平均11.4アシストはリーグ初の二桁の大台突破であり、通算899アシストはクージーの記録を更新するリーグ歴代最多となった。2年連続アシスト王はもちろんのこと、平均30.8得点はリーグ5位、12.5リバウンドもリーグ9位に入った。チームは43勝37敗の成績でプレーオフ出場を果たし、ロバートソンはプレーオフ期間中も平均28.8得点11.0リバウンド11.0アシストのトリプル・ダブルの成績でチームを牽引したが、デトロイト・ピストンズの前に1勝4敗で敗退した。以後もロバートソンは個人成績では準トリプル・ダブルの数字を残し続けるが(ロバートソンの最初の5シーズンは平均30.4得点10.4リバウンド10.6アシストのトリプル・ダブルの成績だった)、プレーオフでは結果を残せない日々が続く。彼の前に当時のリーグを支配したボストン・セルティックスが立ちはだかったからである。さらにシラキュース・ナショナルズ(後のフィラデルフィア・76ers)ともプレーオフでは幾度となく対戦したが、ロイヤルズはセルティックスと76ersの壁をどうしても突き崩すことができなかった(チーム間のライバル関係だけでなく、セルティックスのボブ・クージー、76ersのハル・グリアとのマッチアップも注目を集めた)。1962-63シーズンにはデビジョン準決勝でナショナルズを破り、デビジョン決勝にてセルティックスと対決。当時無敵を誇ったセルティックス相手に第7戦まで粘る健闘を見せた。 1963-64シーズンにロバートソンのキャリアは絶頂期を迎える。彼はこのシーズンに平均31.4得点9.9リバウンド11.0アシストをあげ、3回目のアシスト王に輝くと共に得点王レースではリーグ2位に入り、フリースロー成功率85.3%はリーグ1位となった。ロバートソンに盟友トゥィマン、ベテランのウェイン・エンブリー、アメリカ代表のチームメートでこのシーズンにNBAデビューを果たしたジェリー・ルーカス、やはり代表チームメートのエイドリアン・スミスにボブ・ブーザーと充実したロスターとなったロイヤルズは、新ヘッドコーチに元ロイヤルズ選手だったジャック・マクマホンを迎え、過去最高の勝ち星となる55勝をあげた。快進撃の中心にいたロバートソンはシーズンMVPを受賞。当時、同賞は二大センターのビル・ラッセルとウィルト・チェンバレンの独占状態だったが、60年代にこの2人以外の選手で唯一MVPに輝いたのがロバートソンだった。さらにロバートソンはオールスターで26得点14リバウンド8アシストをあげ、オールスターMVPも受賞している。絶好調のシーズンを過ごしたロバートソンとロイヤルズはプレーオフ・デビジョン準決勝でチェンバレンの76ersを破るが、デビジョン決勝では再びラッセルのセルティックスの前に破れ、夢のファイナル進出は叶わなかった。 以後もロバートソンは個人成績では素晴らしい数字を残し続け、ロイヤルズ所属時に計6回のアシスト王、2回のフリースロー成功率1位、1967-68シーズンに記録した平均29.2得点はリーグ1位(当時の得点王は平均ではなく通算で決められていたため得点王ではなかった)となったが、彼の奮闘もチームの成功には繋がらなかった。1964-65シーズンからは3年連続でプレーオフ・デビジョン準決勝で敗退し、さらに1967-68シーズンからはプレーオフにすら出場できなかった。不甲斐ないチームに地元ファンの支持も薄らいでいき、1969-70シーズンにはファンを呼び戻すために当時ロイヤルズのヘッドコーチだったボブ・クージーが現役に復帰するという苦肉の策に出るも、チーム成績は回復しなかった。 1969-70シーズン終了後、ロイヤルズとミルウォーキー・バックスとの間でトレードが成立。バックスからのフリン・ロビンソン、チャーリー・パウルクに対し、ロイヤルズから放出される選手がオスカー・ロバートソンであることにNBAファンは驚いた。ロイヤルズがチームの大エースを手放した理由で当時最も囁かれたのがロバートソンとボブ・クージーHCの確執であり、クージーが彼が保持していた幾つかのNBA記録をロバートソンが次々と破っていったことに嫉妬したからだというものだった。ロバートソンはトレードについて「私は彼(クージー)が間違ってたと思うし、このことを決して忘れないと思う」と語っている。ロバートソンは大学時代の4年間、NBAでの10年間、計14年間過ごしたシンシナティを離れることになった。 ロバートソンのバックス移籍はロバートソンとルー・アルシンダー(後のカリーム・アブドゥル=ジャバー)というビッグデュオの誕生を意味した。ジャバーはロバートソンよりも一回り若いがすでにリーグトップクラスのセンターとしての地位を確立しており、後には史上最高のセンターの一人と評価されるに至る。ポイントガードとセンターそれぞれに史上最高クラスの選手を擁したバックスは1970-71シーズンに入ると無類の強さを発揮。当時のNBA記録となる20連勝を達成し、最終的にはリーグ1位となる66勝16敗を記録した。ロバートソン個人はエースの役割を若いジャバーに譲り、個人成績は平均19.4得点5.7リバウンド8.2アシストと数字上では過去最低となったが、チームの司令塔として抜群の統率力を発揮し、またジャバーとのピック&ロールは非常に阻止し難いオフェンスパターンとなった。プレーオフではロバートソンにとって宿願となるデビジョン決勝突破を果たし、ついにNBAファイナルに到達。ファイナルではウェス・アンセルド、ガス・ジョンソン擁するボルティモア・ブレッツと対決するが、バックスは4戦全勝でブレッツを一蹴し、プレーオフ期間中も12勝2敗という圧倒的な強さを見せつけ、ついにバックス初となる優勝を成し遂げた。ロバートソンにとっては移籍1年目にしての初優勝となった。 プロ12年目、33歳となっていたロバートソンは歴年の奮闘が祟り、この頃には足に慢性的な故障を抱えるようになったため、念願のチャンピオンリングを手に入れたことで引退も考慮したが、その後もバックスで3年間プレイ。彼の所属期間中の4年間、バックスは全てのシーズンでデビジョン優勝を果たし、3年連続で60勝超えを達成するなどリーグ屈指の強豪として君臨した。1973-74シーズンには再びファイナル進出を果たし、ロバートソンには2つ目のチャンピオンリング獲得の機会を与えられたが、彼の夢を阻んだのはまたしてもボストン・セルティックスだった。バックスとデーブ・コーウェンス、ジョン・ハブリチェック擁するセルティックスは激戦を繰り広げ、優勝の行方は第7戦にまでもつれたが、バックスは第7戦に破れて優勝はならなかった。 ロバートソンは1973-74シーズンを最後に引退を決意。14年間に及んだNBAキャリアに幕を降ろした。ロバートソンのラストシーズンに59勝をあげたバックスが、彼の引退後の1974-75シーズンに38勝まで成績が落ち込んだことは、ロバートソンの影響力の大きさを物語るものだった。 オスカー・ロバートソンは「NBA史上最高の選手」を論じる上で無視できない存在である。ロバートソンは身長196cm体重100kgとフォワード並みの長身と屈強な肉体の持ち主でありながら、ガードとしての優れたスピードとクイックネスを兼ね備え、さらにバスケットIQも非常に高いという、非の打ち所のない万能な選手であり、当時の記者からは「ハンターの目、マジシャンの手、スプリンターの脚を併せ持った男」と評され、伝説的なコーチ、レッド・アワーバックはロバートソンを今まで見た中で最も才能のある手と評価した。 ロバートソンは得点、リバウンド、アシストなどバスケットに必要なあらゆる面に対して非凡な才能を発揮した。2度のフリースロー成功率1位(キャリア通算83.8%)の実績が示すようにロバートソンは優れたシューターだった。その長身故にミスマッチの発生が容易なうえ、さらに肘を開けて放つという独特のシュートフォームのため彼のシュートをブロックするのは難しく、また屈強な肉体を活かしたパワープレイからロングレンジからのジャンプシュートとシュートエリアは非常に広かった。ルーキーイヤーに記録した平均30.5得点はルーキーとしては歴代3位、キャリア平均25.7得点は歴代10位、オールスター平均20.5得点は歴代1位(4試合以上出場した選手のみを対象)と、ロバートソンの得点力は歴代でも屈指であり、これらの数字はNBAにスリーポイントシュートが導入される以前のガードの選手が残したものとしては異例と言える(スリーポイントシュート導入以前のガードでロバートソンより高いキャリア平均得点を残してるのはジェリー・ウェストのみ)。 彼の得点力に手を焼いた敵チームは当然のようにダブルチームを仕掛けるが、それでも止められないのがロバートソンだった。広い視野とパスセンスに優れたロバートソンはプレイメーカーとしても極めて優秀であり、ジェリー・ウェストからは「状況判断の上手い選手」、ビル・ラッセルからは「心理戦は得意だがオスカーにはいつも裏をかかれてしまう」と評され、ディフェンスを集中されてもあっさりと味方の得点チャンスに変えてしまうロバートソンに敵チームはお手上げ状態だった。彼は毎晩のようにアシストを量産し、シーズン平均アシストが初めて二桁の大台を突破した選手となり、6回のアシスト王にも輝いた。通常得点とアシストを両立することは困難とされているが、彼にバスケットの常識は当てはまらず、史上7回しか達成されていないシーズン平均30得点10アシスト以上はうち5回がロバートソンによるものであり、また平均得点・アシストの双方でリーグトップに立つというNBA史上2人しかいない偉業も達成している(いずれももう一人はネイト・アーチボルド。アーチボルドの時代には得点王、アシスト王は通算ではなく平均で決められるようになったため、アーチボルドが史上唯一の得点王・アシスト王の二冠達成者となっている)。またゴール下でも競り負けないロバートソンはリバウンドでも才能を発揮しており、ガードの選手としてはロバートソンただ一人が達成したシーズン平均二桁リバウンドを3シーズン連続で記録している。 ロバートソンは数字上の実績のみならず、バスケットボールという競技そのものにも大きな影響を与えた選手である。彼は「背の低い選手が務める」というガードの概念を打ち破り、後のマジック・ジョンソンのような大型のポイントガードの出現を促し、また1980年代から広まったポイントフォワードの始祖であるという見方もある。またヘッドフェイクやフェイダウェイ・ジャンプシュートなど、当時はまだ新しかった技術の普及にも貢献した。 ロバートソンのキャリアの中でも最も輝かしい業績の一つが1961-62シーズンに記録されたシーズン平均トリプル・ダブルである。もっとも当時はまだトリプル・ダブルという概念そのものが一般に認知されておらず、この記録がいかに偉大で、そして困難極まるものであるかを知る者は少なく、ロバートソン本人ですらも後になって「そんなに凄いことなら毎年でもやっていたのに」と語っていたほどだった。この偉業がようやく正当に評価されたのは1980年代に入ってマジック・ジョンソンがトリプル・ダブルを量産するようになってからで、近年になり改めてロバートソンの試合のスコアが調べられ、彼がキャリアで181回ものトリプル・ダブルを達成していることが判明した。これはマジックの138回を大きく引き離し、2021年ラッセル・ウェストブルックが抜くまで、歴代1位の記録であった。 ロバートソンが少なくとも数字の上では史上最も万能な選手の一人であることは疑いないが、一方でチームを大きな成功に導けなかったことを指摘されることも多く、彼がNBAファイナルを制したのはカリーム・アブドゥル=ジャバーと組んだミルウォーキー・バックス時代の1回のみで、またこれほどの選手でありながらシーズンMVPを受賞したのも1回のみである。それでもロバートソンが現役から引退して多くの年月を経てもなお彼に対する評価は高く、1999年にESPNが発表した『20世紀の偉大なアメリカンアスリートTop100』では第36位(バスケットボール選手では第7位)に、ランクされ、2000年には全米バスケットボールコーチ協会から"Player of the Century"の称号を与えられた。さらに2003年に発表されたスラムマガジンが選ぶ『NBA選手Top75』ではマイケル・ジョーダン、ウィルト・チェンバレンに次ぐ第3位、また2006年にESPNが発表した偉大なポイントガードではマジック・ジョンソンに次ぐ2位だった。2006年に創設された全米カレッジバスケットボール殿堂では、ジョン・ウッデン、ビル・ラッセル、ディーン・スミス、ジェームズ・ネイスミスらと共に初代殿堂入りメンバーに選ばれた。 カレッジバスケでは彼の業績を讃え、選手個人に与えられる賞の一つとして『オスカー・ロバートソン・トロフィー』を設けている。これは1959年に始まった全米バスケットボール記者協会 (USBWA)が選出する年間最優秀選手賞が姿を変えたもので、初代と、翌1960年にロバートソンが2年連続で受賞している。1998年には現在の名前に変わり、現在カレッジバスケ界では最も名誉ある個人賞の一つに数えられている。 ロバートソンが残した業績として忘れてはならないのが、選手会長としてNBA選手の地位向上に貢献したことである。ロバートソンは1965年にトム・ヘインソーンの跡を継いで第三代選手会長に就任。ロバートソンの在任中は選手会(NBPA)の活動が活発化した時期であり、選手会からの様々な要望を実現させた。中でも「オスカー・ロバートソン訴訟」として名高い1970年に起きた裁判はNBAにおけるフリーエージェント制の確立に大きな影響を及ぼした。端を発したのは1970年にNBAと、当時存在したライバルリーグのABAの合併合意であり、これにより選手の年俸が減額されることを恐れた選手会側は独占禁止法違反としてリーグ側を訴えた(この裁判の影響でABAとの合併は1976年まで遅れた)。訴訟から6年後にようやく和解に至り、選手会側がABAとの合併を認めるかわりに、フリーエージェント条項や大学ドラフト規定が改定された。以後フリーエージェント制の確立と共にNBA選手の年俸は天井知らずの上昇を続け、現在はどのプロスポーツリーグよりも高い平均年俸となっている。 オスカー以上のオールラウンドな選手は見たことがない。ジョーダンに出来ることをオスカーはジョーダン以上にこなせた。 — レナード・コペット (著名なスポーツ記者) オスカーは高くは跳べなかったがそれ以外は全てジョーダンより上だ。 — ネイト・サーモンド (殿堂入り選手) どのポジション、どの時代を通してもパーフェクトな選手はオスカー・ロバートソンだ。 — チャーリー・ローゼン (コーチ・評論家) 彼はオーケストラの指揮者のようにコート上の出来事をコントロールしていた。 — ビル・ブラッドリー (殿堂入り選手) NBAレギュラーシーズン通算成績
通算得点:26,710得点 通算リバウンド:7,804リバウンド 通算アシスト:9,887アシスト (歴代6位) FG成功率:.485 NBAプレーオフ通算成績
通算得点:1,910得点 通算リバウンド:578リバウンド 通算アシスト:769アシスト
平均得点:25.7得点 (歴代10位) 平均リバウンド:7.5リバウンド 平均アシスト:9.5アシスト (歴代4位) FT成功率:.838 NBAプレーオフ平均成績
平均得点:22.2得点 平均リバウンド:6.7リバウンド 平均アシスト:8.9アシスト 3× オールアメリカン・コンセンサスファーストチーム: 1958-1960 カレッジバスケットボール年間最優秀選手賞
3× UPIカレッジ年間最優秀選手賞: 1958-1960 2× USBWAカレッジ年間最優秀選手賞: 1959, 1960 3× スポーティングニュース・カレッジ年間最優秀選手賞: 1958-1960 1960年ローマオリンピック 金メダル獲得 NBAチャンピオン: 1971 NBAシーズンMVP: 1964 12× NBAオールスター: 1961-1972 3× NBAオールスターゲームMVP: 1961, 1964, 1969 9× オールNBAファーストチーム: 1961-1969
NBAルーキー・オブ・ザ・イヤー: 1961 NBA生涯功労賞 (2019) NBA35周年オールタイムチーム (1980) NBA50周年記念オールタイムチーム (1996) NBA75周年記念チーム (2021) 6× NBAアシスト王: 1961, 1962, 1964-1966, 1969 2× NBAフリースロー成功率1位: 1964年, 1968年 バスケットボール殿堂: 1980年 全米カレッジバスケットボール殿堂: 2006年 NBA35周年オールタイムチーム: 1980年 NBA50周年記念オールタイムチーム: 1996年 NBA75周年記念チーム: 1996年 ESPN選出の『20世紀の偉大なアメリカンアスリートTop100』において36位: 1999年 スラムマガジン誌選出の歴代NBA選手Top75において3位: 2003年 背番号『14』はサクラメント・キングスの、『1』はミルウォーキー・バックスの永久欠番
通算7,731アシストは歴代1位 1試合21アシストは歴代1位 NBA史上2人のみが達成しているシーズン平均トリプル・ダブル達成者 通算トリプル・ダブル達成回数181回はNBA歴代2位 ロバートソンは父ベイリーと母マーゼルの間で、三人兄弟のうちの一人として生まれ、差別と貧困の中で育った。幼少期の頃は癇癪持ちだったが金メダル獲得、プロ選手としての成功、結婚を経て落ち着きのある青年へと成長し、2人の娘にも恵まれた。娘の一人が腎不全を患っていたためロバートソンは自身の腎臓を娘に移植しており、この経験もあって全米腎臓財団のスポークスマンも務めた。引退後はインディアナポリスのアフリカ系アメリカ人の生活環境の向上に尽力する傍ら、シンシナティを拠点とする化学会社『Orchem』を所有し、短期間ながらCBSでNBAの解説者を務めた。1994年には彼の功績を記念し、シンシナティのバスケットボールアリーナ、シューメーカーセンターの前に9フィートの銅像が建設された。2003年には自伝『Big O』を出版している。 ^ “Top N. American athletes of the century”. ESPN. May 24, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。May 8, 2015閲覧。 ^ “The Naismith Memorial Basketball Hall of Fame – Hall of Famers”. Hoophall.com. February 15, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。May 8, 2015閲覧。 コモンズのメディア ウィキデータのデータ 公式ウェブサイト 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference NBAバイオ バスケットボール殿堂 オスカー・ロバートソン・トロフィー 表 話 編 歴 1947 クリフトン・マクニーリィ 1948 アンディ・トンコヴィッチ 1949 ハウィ・シャノン 1950 チャック・シェア 1951 ジーン・メルショーレ 1952 マーク・ワークマン 1953 レイ・フェリックス 1954 フランク・セルヴィ 1955 ディック・リケッツ 1956 シヒューゴ・グリーン 1957 ホット・ロッド・ハンドリー 1958 エルジン・ベイラー 1959 ボブ・ブーザー 1960 オスカー・ロバートソン 1961 ウォルト・ベラミー 1962 ビル・マクギル 1963 アート・ヘイマン 1964 ジム・バーンズ 1965 フレッド・ヘッツェル 1966 カジー・ラッセル 1967 ジミー・ウォーカー 1968 エルヴィン・ヘイズ 1969 ルー・アルシンダー 1970 ボブ・レイニア 1971 オースティン・カー 1972 ラルー・マーティン 1973 ダグ・コリンズ 1974 ビル・ウォルトン 1975 デイヴィッド・トンプソン 1976 ジョン・ルーカス 1977 ケント・ベンソン 1978 マイカル・トンプソン 1979 マジック・ジョンソン 1980 ジョー・バリー・キャロル 1981 マーク・アグワイア 1982 ジェームズ・ウォージー 1983 ラルフ・サンプソン 1984 アキーム・オラジュワン 1985 パトリック・ユーイング 1986 ブラッド・ドアティ 1987 デビッド・ロビンソン 1988 ダニー・マニング 1989 パービス・エリソン 1990 デリック・コールマン 1991 ラリー・ジョンソン 1992 シャキール・オニール 1993 クリス・ウェバー 1994 グレン・ロビンソン 1995 ジョー・スミス 1996 アレン・アイバーソン 1997 ティム・ダンカン 1998 マイケル・オロウォカンディ 1999 エルトン・ブランド 2000 ケニオン・マーティン 2001 クワミ・ブラウン 2002 姚明 2003 レブロン・ジェームズ 2004 ドワイト・ハワード 2005 アンドリュー・ボーガット 2006 アンドレア・バルニャーニ 2007 グレッグ・オデン 2008 デリック・ローズ 2009 ブレイク・グリフィン 2010 ジョン・ウォール 2011 カイリー・アービング 2012 アンソニー・デイビス 2013 アンソニー・ベネット 2014 アンドリュー・ウィギンス 2015 カール=アンソニー・タウンズ 2016 ベン・シモンズ 2017 マーケル・フルツ 2018 ディアンドレ・エイトン 2019 ザイオン・ウィリアムソン 2020 アンソニー・エドワーズ 2021 ケイド・カニングハム 2022 パオロ・バンケロ 2023 ビクター・ウェンバンヤマ 2024 ザカリー・リサシェ 表 話 編 歴 1952-53 ドン・マイネケ(DET) 1953-54 レイ・フェリックス(WAS) 1954-55 ボブ・ペティット(ATL) 1955-56 モーリス・ストークス(SAC) 1956-57 トム・ヘインソーン(BOS) 1957-58 ウッディ・ソウルズベリー(GSW) 1958-59 エルジン・ベイラー(LAL) 1959-60 ウィルト・チェンバレン(GSW②) 1960-61 オスカー・ロバートソン(SAC②) 1961-62 ウォルト・ベラミー(LAL②) 1962-63 テリー・ディッシンガー(WAS②) 1963-64 ジェリー・ルーカス(SAC③) 1964-65 ウィリス・リード(NYK) 1965-66 リック・バリー(GSW③) 1966-67 デイブ・ビン(DET②) 1967-68 アール・モンロー(WAS③) 1968-69 ウェス・アンセルド(WAS④) 1969-70 ルー・アルシンダー(MIL) 1970-71 デイブ・コーウェンス(BOS②)&ジェフ・ペトリー(POR) 1971-72 シドニー・ウィックス(POR②) 1972-73 ボブ・マカドゥー(LAC) 1973-74 アーニー・ディグレゴリオ(LAC②) 1974-75 ジャマール・ウィルクス(GSW④) 1975-76 アルヴァン・アダムス(PHO) 1976-77 エイドリアン・ダントリー(LAC③) 1977-78 ウォルター・デイビス(PHO②) 1978-79 フィル・フォード (SAC④) 1979-80 ラリー・バード(BOS③) 1980-81 ダレル・グリフィス(UTA) 1981-82 バック・ウィリアムズ(NJN) 1982-83 テリー・カミングス(LAC④) 1983-84 ラルフ・サンプソン(HOU) 1984-85 マイケル・ジョーダン(CHI) 1985-86 パトリック・ユーイング(NYK②) 1986-87 チャック・パーソン(IND) 1987-88 マーク・ジャクソン(NYK③) 1988-89 ミッチ・リッチモンド(GSW⑤) 1989-90 デビッド・ロビンソン(SAS) 1990-91 デリック・コールマン(NJN②) 1991-92 ラリー・ジョンソン(CHA) 1992-93 シャキール・オニール(ORL) 1993-94 クリス・ウェバー(GSW⑤) 1994-95 グラント・ヒル(DET③)&ジェイソン・キッド(DAL) 1995-96 デイモン・スタウダマイアー(TOR) 1996-97 アレン・アイバーソン(PHI) 1997-98 ティム・ダンカン(SAS②) 1998-99 ヴィンス・カーター(TOR②) 1999-00 エルトン・ブランド(CHI②)&スティーブ・フランシス(HOU②) 2000-01 マイク・ミラー(ORL②) 2001-02 パウ・ガソル(MEM) 2002-03 アマーレ・スタウダマイアー(PHO②) 2003-04 レブロン・ジェームズ(CLE) 2004-05 エメカ・オカフォー(CHB) 2005-06 クリス・ポール(NOH) 2006-07 ブランドン・ロイ(POR③) 2007-08 ケビン・デュラント(OKC) 2008-09 デリック・ローズ(CHI③) 2009-10 タイリーク・エバンス(SAC⑤) 2010-11 ブレイク・グリフィン(LAC⑤) 2011-12 カイリー・アービング(CLE②) 2012-13 デイミアン・リラード(POR④) 2013-14 マイケル・カーター=ウィリアムス(PHI②) 2014-15 アンドリュー・ウィギンス(MIN) 2015-16 カール=アンソニー・タウンズ(MIN②) 2016-17 マルコム・ブログドン(MIL) 2017-18 ベン・シモンズ(PHI③) 2018-19 ルカ・ドンチッチ(DAL②) 2019-20 ジャ・モラント(MEM②) 2020-21 ラメロ・ボール(CHA) 2021-22 スコッティ・バーンズ(TOR) 2022-23 パオロ・バンケロ (ORL) 2023-24 ビクター・ウェンバンヤマ (SAS) 表 話 編 歴 1951 エド・マコーレー 1952 ポール・アリジン 1953 ジョージ・マイカン 1954 ボブ・クージー 1955 ビル・シャーマン 1956 ボブ・ペティット 1957 ボブ・クージー② 1958 ボブ・ペティット② 1959 ボブ・ペティット③&エルジン・ベイラー 1960 ウィルト・チェンバレン 1961 オスカー・ロバートソン 1962 ボブ・ペティット④ 1963 ビル・ラッセル 1964 オスカー・ロバートソン② 1965 ジェリー・ルーカス 1966 エイドリアン・スミス 1967 リック・バリー 1968 ハル・グリア 1969 オスカー・ロバートソン③ 1970 ウィリス・リード 1971 レニー・ウィルケンズ 1972 ジェリー・ウェスト 1973 デイブ・コーウェンス 1974 ボブ・レイニア 1975 ウォルト・フレイジャー 1976 デイブ・ビン 1977 ジュリアス・アービング 1978 ランディ・スミス 1979 デイヴィッド・トンプソン 1980 ジョージ・ガービン 1981 ネイト・アーチボルド 1982 ラリー・バード 1983 ジュリアス・アービング② 1984 アイザイア・トーマス 1985 ラルフ・サンプソン 1986 アイザイア・トーマス② 1987 トム・チェンバース 1988 マイケル・ジョーダン 1989 カール・マローン 1990 マジック・ジョンソン 1991 チャールズ・バークレー 1992 マジック・ジョンソン② 1993 カール・マローン②&ジョン・ストックトン 1994 スコッティ・ピッペン 1995 ミッチ・リッチモンド 1996 マイケル・ジョーダン② 1997 グレン・ライス 1998 マイケル・ジョーダン③ 1999 中止 2000 シャキール・オニール&ティム・ダンカン 2001 アレン・アイバーソン 2002 コービー・ブライアント 2003 ケビン・ガーネット 2004 シャキール・オニール② 2005 アレン・アイバーソン② 2006 レブロン・ジェームズ 2007 コービー・ブライアント② 2008 レブロン・ジェームズ② 2009 コービー・ブライアント③&シャキール・オニール③ 2010 ドウェイン・ウェイド 2011 コービー・ブライアント④ 2012 ケビン・デュラント 2013 クリス・ポール 2014 カイリー・アービング 2015 ラッセル・ウェストブルック 2016 ラッセル・ウェストブルック② 2017 アンソニー・デイビス 2018 レブロン・ジェームズ③ 2019 ケビン・デュラント② 2020 カワイ・レナード 2021 ヤニス・アデトクンボ 2022 ステフィン・カリー 2023 ジェイソン・テイタム 表 話 編 歴 1955-56 ボブ・ペティット(ATL) 1956-57 ボブ・クージー(BOS) 1957-58 ビル・ラッセル(BOS) 1958-59 ボブ・ペティット②(ATL) 1959-60 ウィルト・チェンバレン(PHI) 1960-61 ビル・ラッセル②(BOS) 1961-62 ビル・ラッセル③(BOS) 1962-63 ビル・ラッセル④(BOS) 1963-64 オスカー・ロバートソン(SAC) 1964-65 ビル・ラッセル⑤(BOS) 1965-66 ウィルト・チェンバレン②(PHI) 1966-67 ウィルト・チェンバレン③(PHI) 1967-68 ウィルト・チェンバレン④(PHI) 1968-69 ウェス・アンセルド(WAS) 1969-70 ウィリス・リード(NYK) 1970-71 ルー・アルシンダー(MIL) 1971-72 カリーム・アブドゥル=ジャバー②(MIL) 1972-73 デイブ・コーウェンス(BOS) 1973-74 カリーム・アブドゥル=ジャバー③(MIL) 1974-75 ボブ・マカドゥー(LAC) 1975-76 カリーム・アブドゥル=ジャバー④(MIL) 1976-77 カリーム・アブドゥル=ジャバー⑤(MIL) 1977-78 ビル・ウォルトン(POR) 1978-79 モーゼス・マローン(HOU) 1979-80 カリーム・アブドゥル=ジャバー⑥(MIL) 1980-81 ジュリアス・アービング(PHI) 1981-82 モーゼス・マローン②(HOU) 1982-83 モーゼス・マローン③(HOU) 1983-84 ラリー・バード(BOS) 1984-85 ラリー・バード②(BOS) 1985-86 ラリー・バード③(BOS) 1986-87 マジック・ジョンソン(LAL) 1987-88 マイケル・ジョーダン(CHI) 1988-89 マジック・ジョンソン②(LAL) 1989-90 マジック・ジョンソン③(LAL) 1990-91 マイケル・ジョーダン②(CHI) 1991-92 マイケル・ジョーダン③(CHI) 1992-93 チャールズ・バークレー(PHO) 1993-94 アキーム・オラジュワン(HOU) 1994-95 デビッド・ロビンソン(SAS) 1995-96 マイケル・ジョーダン④(CHI) 1996-97 カール・マローン(UTA) 1997-98 マイケル・ジョーダン⑤(CHI) 1998-99 カール・マローン②(UTA) 1999-00 シャキール・オニール(LAL) 2000-01 アレン・アイバーソン(PHI) 2001-02 ティム・ダンカン(SAS) 2002-03 ティム・ダンカン②(SAS) 2003-04 ケビン・ガーネット(MIN) 2004-05 スティーブ・ナッシュ(PHO) 2005-06 スティーブ・ナッシュ②(PHO) 2006-07 ダーク・ノヴィツキー(DAL) 2007-08 コービー・ブライアント(LAL) 2008-09 レブロン・ジェームズ(CLE) 2009-10 レブロン・ジェームズ②(CLE) 2010-11 デリック・ローズ(CHI) 2011-12 レブロン・ジェームズ③(MIA) 2012-13 レブロン・ジェームズ④(MIA) 2013-14 ケビン・デュラント(OKC) 2014-15 ステフィン・カリー(GSW) 2015-16 ステフィン・カリー②(GSW) 2016-17 ラッセル・ウェストブルック(OKC) 2017-18 ジェームズ・ハーデン(HOU) 2018-19 ヤニス・アデトクンボ(MIL) 2019-20 ヤニス・アデトクンボ②(MIL) 2020-21 ニコラ・ヨキッチ(DEN) 2021-22 ニコラ・ヨキッチ②(DEN) 2022-23 ジョエル・エンビード(PHI) 表 話 編 歴 1946-47 フレッド・スコラリ 1947-48 ボブ・フィーリック 1948-49 ボブ・フィーリック② 1949-50 マックス・ザスロフスキー 1950-51 ジョー・ファルクス 1951-52 ボビー・ヴァンツァー 1952-53 ビル・シャーマン 1953-54 ビル・シャーマン② 1954-55 ビル・シャーマン③ 1955-56 ビル・シャーマン④ 1956-57 ビル・シャーマン⑤ 1957-58 ドルフ・シェイズ 1958-59 ビル・シャーマン⑥ 1959-60 ドルフ・シェイズ② 1960-61 ビル・シャーマン⑦ 1961-62 ドルフ・シェイズ③ 1962-63 ラリー・コステロ 1963-64 オスカー・ロバートソン 1964-65 ラリー・コステロ② 1965-66 ラリー・ジークフリード 1966-67 エイドリアン・スミス 1967-68 オスカー・ロバートソン② 1968-69 ラリー・ジークフリード② 1969-70 フリン・ロビンソン 1970-71 チェット・ウォーカー 1971-72 ジャック・マリン 1972-73 リック・バリー 1973-74 アーニー・ディグレゴリオ 1974-75 リック・バリー② 1975-76 リック・バリー③ 1976-77 アーニー・ディグレゴリオ② 1977-78 リック・バリー④ 1978-79 リック・バリー⑤ 1979-80 リック・バリー⑥ 1980-81 カルヴィン・マーフィー 1981-82 カイル・メイシー 1982-83 カルヴィン・マーフィー② 1983-84 ラリー・バード 1984-85 カイル・メイシー② 1985-86 ラリー・バード② 1986-87 ラリー・バード③ 1987-88 ジャック・シクマ 1988-89 マジック・ジョンソン 1989-90 ラリー・バード④ 1990-91 レジー・ミラー 1991-92 マーク・プライス 1992-93 マーク・プライス② 1993-94 マクムード・アブドゥル=ラウーフ 1994-95 スパッド・ウェブ 1995-96 マクムード・アブドゥル=ラウーフ② 1996-97 マーク・プライス③ 1997-98 クリス・マリン 1998-99 レジー・ミラー② 1999-00 ジェフ・ホーナセック 2000-01 レジー・ミラー③ 2001-02 レジー・ミラー④ 2002-03 アラン・ヒューストン 2003-04 ペジャ・ストヤコヴィッチ 2004-05 レジー・ミラー⑤ 2005-06 スティーブ・ナッシュ 2006-07 カイル・コーバー 2007-08 ペジャ・ストヤコビッチ② 2008-09 ホセ・カルデロン 2009-10 スティーブ・ナッシュ 2010-11 ステフィン・カリー 2011-12 ジャマール・クロフォード 2012-13 ケビン・デュラント 2013-14 ブライアン・ロバーツ 2014-15 ステフィン・カリー② 2015-16 ステフィン・カリー③ 2016-17 C・J・マッカラム 2017-18 ステフィン・カリー④ 2018-19 マルコム・ブログドン 2019-20 ブラッド・ワナメイカー 2020-21 クリス・ポール 2021-22 ジョーダン・プール 2022-23 タイラー・ヒーロー 2023-24 シェイ・ギルジャス=アレクサンダー ①ステフィン・カリー:.9087 ②スティーブ・ナッシュ:.9043 ③マーク・プライス:.9039 ④リック・バリー:.8998 ⑤デイミアン・リラード:.8951 ⑥ペジャ・ストヤコビッチ:.8948 ⑦チャンシー・ビラップス:.8940 ⑧レイ・アレン:.8939 ⑨J・J・レディック:.8918 ⑩カルヴィン・マーフィー:.8916 ①ゴードン・ヘイワード:.9496 ②マーク・プライス:.9439 ③カルヴィン・マーフィー:.9322 ④ビル・シャーマン:.9113 ⑤キキ・ヴァンダウェイ:.9073 ⑥ハーシー・ホーキンズ:.9068 ⑦ダニーロ・ガリナリ:.9006 ⑧デビン・ブッカー:.9000 ⑧ジャマール・マレー:.9000 ⑧スティーブ・ナッシュ:.9000 ⑧ペジャ・ストヤコビッチ:.9000 表 話 編 歴 1946-47 アーニー・カルバリー 1947-48 ハウイー・ダルマー 1948-49 ボブ・デイヴィス 1949-50 ディック・マグワイア 1950-51 アンディ・フィリップ 1951-52 アンディ・フィリップ② 1952-53 ボブ・クージー 1953-54 ボブ・クージー② 1954-55 ボブ・クージー③ 1955-56 ボブ・クージー④ 1956-57 ボブ・クージー⑤ 1957-58 ボブ・クージー⑥ 1958-59 ボブ・クージー⑦ 1959-60 ボブ・クージー⑧ 1960-61 オスカー・ロバートソン 1961-62 オスカー・ロバートソン② 1962-63 ガイ・ロジャース 1963-64 オスカー・ロバートソン③ 1964-65 オスカー・ロバートソン④ 1965-66 オスカー・ロバートソン⑤ 1966-67 ガイ・ロジャース② 1967-68 ウィルト・チェンバレン 1968-69 オスカー・ロバートソン⑥ 1969-70 レニー・ウィルケンズ 1970-71 ノーム・ヴァン・ライアー 1971-72 ジェリー・ウェスト 1972-73 ネイト・アーチボルド 1973-74 アーニー・ディグレゴリオ 1974-75 ケヴィン・ポーター 1975-76 スリック・ワッツ 1976-77 ドン・ブージー 1977-78 ケヴィン・ポーター② 1978-79 ケヴィン・ポーター③ 1979-80 マイケル・レイ・リチャードソン 1980-81 ケヴィン・ポーター④ 1981-82 ジョニー・ムーア 1982-83 マジック・ジョンソン 1983-84 マジック・ジョンソン② 1984-85 アイザイア・トーマス 1985-86 マジック・ジョンソン③ 1986-87 マジック・ジョンソン④ 1987-88 ジョン・ストックトン 1988-89 ジョン・ストックトン② 1989-90 ジョン・ストックトン③ 1990-91 ジョン・ストックトン④ 1991-92 ジョン・ストックトン⑤ 1992-93 ジョン・ストックトン⑥ 1993-94 ジョン・ストックトン⑦ 1994-95 ジョン・ストックトン⑧ 1995-96 ジョン・ストックトン⑨ 1996-97 マーク・ジャクソン 1997-98 ロッド・ストリックランド 1998-99 ジェイソン・キッド 1999-00 ジェイソン・キッド② 2000-01 ジェイソン・キッド③ 2001-02 アンドレ・ミラー 2002-03 ジェイソン・キッド④ 2003-04 ジェイソン・キッド⑤ 2004-05 スティーブ・ナッシュ 2005-06 スティーブ・ナッシュ② 2006-07 スティーブ・ナッシュ③ 2007-08 クリス・ポール 2008-09 クリス・ポール② 2009-10 スティーブ・ナッシュ④ 2010-11 スティーブ・ナッシュ⑤ 2011-12 ラジョン・ロンド 2012-13 ラジョン・ロンド② 2013-14 クリス・ポール③ 2014-15 クリス・ポール④ 2015-16 ラジョン・ロンド③ 2016-17 ジェームズ・ハーデン 2017-18 ラッセル・ウェストブルック 2018-19 ラッセル・ウェストブルック② 2019-20 レブロン・ジェームズ 2020-21 ラッセル・ウェストブルック③ 2021-22 クリス・ポール⑤ 2022-23 ジェームズ・ハーデン② 2023-24 タイリース・ハリバートン ①ジョン・ストックトン:15,806 ②ジェイソン・キッド:12,091 ③クリス・ポール:11,501 ④レブロン・ジェームズ:10,420 ⑤スティーブ・ナッシュ:10,335 ⑥マーク・ジャクソン:10,334 ⑦マジック・ジョンソン:10,141 ⑧オスカー・ロバートソン:9,887 ⑨ラッセル・ウェストブルック:9,162 ⑩アイザイア・トーマス:9,061 ①マジック・ジョンソン:2,346 ②レブロン・ジェームズ:2,023 ③ジョン・ストックトン:1,839 ④ジェイソン・キッド:1,263 ⑤クリス・ポール:1,233 ⑥トニー・パーカー:1,143 ⑦ラジョン・ロンド:1,136 ⑧ラリー・バード:1,062 ⑨スティーブ・ナッシュ:1,061 ⑩スコッティ・ピッペン:1,048 表 話 編 歴 カリーム・アブドゥル=ジャバー • エルジン・ベイラー • ウィルト・チェンバレン • ボブ・クージー • ジュリアス・アービング ジョン・ハブリチェック • ジョージ・マイカン • ボブ・ペティット • オスカー・ロバートソン • ビル・ラッセル • ジェリー・ウェスト 表 話 編 歴 カリーム・アブドゥル=ジャバー ネイト・アーチボルド ポール・アリジン チャールズ・バークレー リック・バリー エルジン・ベイラー デイブ・ビン ラリー・バード ウィルト・チェンバレン ボブ・クージー デイブ・コーウェンス ビリー・カニンガム デイブ・ディバッシャー クライド・ドレクスラー ジュリアス・アービング パトリック・ユーイング ウォルト・フレイジャー ジョージ・ガービン ハル・グリア ジョン・ハブリチェック エルヴィン・ヘイズ マジック・ジョンソン サム・ジョーンズ マイケル・ジョーダン ジェリー・ルーカス カール・マローン モーゼス・マローン ピート・マラビッチ ケビン・マクヘイル ジョージ・マイカン アール・モンロー アキーム・オラジュワン シャキール・オニール ロバート・パリッシュ ボブ・ペティット スコッティ・ピッペン ウィリス・リード オスカー・ロバートソン デビッド・ロビンソン ビル・ラッセル ドルフ・シェイズ ビル・シャーマン ジョン・ストックトン アイザイア・トーマス ネイト・サーモンド ウェス・アンセルド ビル・ウォルトン ジェリー・ウェスト レニー・ウィルケンズ ジェームズ・ウォージー 表 話 編 歴 カリーム・アブドゥル=ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar) レイ・アレン(Ray Allen) ヤニス・アデトクンボ(Giannis Antetokounmpo) カーメロ・アンソニー(Carmelo Anthony) ネイト・アーチボルド(Nate Archibald) ポール・アリジン(Paul Arizin) チャールズ・バークレー(Charles Barkley) リック・バリー(Rick Barry) エルジン・ベイラー(Elgin Baylor) デイブ・ビン(Dave Bing) ラリー・バード(Larry Bird) コービー・ブライアント(Kobe Bryant) ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain) ボブ・クージー(Bob Cousy) デイブ・コーウェンス(Dave Cowens) ビリー・カニンガム(Billy Cunningham) ステフィン・カリー(Stephen Curry) アンソニー・デイビス(Anthony Davis) デイブ・ディバッシャー(Dave Debusschere) クライド・ドレクスラー(Clyde Drexler) ティム・ダンカン(Tim Duncan) ケビン・デュラント(Kevin Durant) ジュリアス・アービング(Julius Erving) パトリック・ユーイング(Patrick Ewing) ウォルト・フレイジャー(Walt Frazier) ケビン・ガーネット(Kevin Garnett) ジョージ・ガービン(George Gervin) ハル・グリア(Hal Greer) ジェームズ・ハーデン(James Harden) ジョン・ハブリチェック(John Havlicek) エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes) アレン・アイバーソン(Allen Iverson) レブロン・ジェームズ(Lebron James) マジック・ジョンソン(Magic Johnson) サム・ジョーンズ(Sam Jones) マイケル・ジョーダン(Michael Jordan) ジェイソン・キッド(Jason Kidd) カワイ・レナード(Kawhi Leonard) デイミアン・リラード(Damian Lillard) ジェリー・ルーカス(Jerry Lucas) モーゼス・マローン(Moses Malone) カール・マローン(Karl Malone) ピート・マラビッチ(Pete Maravich) ボブ・マカドゥー(Bob Mcadoo) ケビン・マクヘイル(Kevin Mchale) ジョージ・マイカン(George Mikan) レジー・ミラー(Reggie Miller) アール・モンロー(Earl Monroe) スティーブ・ナッシュ(Steve Nash) ダーク・ノヴィツキー(Dirk Nowitzki) シャキール・オニール(Shaquille O'Neal) アキーム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon) ロバート・パリッシュ(Robert Parish) クリス・ポール(Chris Paul) ゲイリー・ペイトン(Gary Payton) ボブ・ペティット(Bob Pettit) ポール・ピアース(Paul Pierce) スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen) ウィリス・リード(Willis Reed) オスカー・ロバートソン(Oscar Robertson) デビッド・ロビンソン(David Robinson) デニス・ロッドマン(Dennis Rodman) ビル・ラッセル(Bill Russell) ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes) ビル・シャーマン(Bill Sharman) ジョン・ストックトン(John Stockton) アイザイア・トーマス(Isiah Thomas) ネイト・サーモンド(Nate Thurmond) ウェス・アンセルド(Wes Unseld) ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade) ビル・ウォルトン(Bill Walton) ジェリー・ウェスト(Jerry West) ラッセル・ウェストブルック(Russell Westbrook) レニー・ウィルケンズ(Lenny Wilkens) ドミニク・ウィルキンス(Dominique Wilkins) ジェームズ・ウォージー(James Worthy) 表 話 編 歴 1 オスカー・ロバートソン | 4 グレッグ・スミス | 5 マーヴ・ウィンクラー | 7 ルーシャス・アレン | 8 ジェフ・ウェッブ | 10 ボブ・ダンドリッジ | 14 ジョン・マクグロックリン | 18 ボブ・グリーセン | 19 ディック・カニンガム | 20 ボブ・ブーザー | 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー (ファイナルMVP) | 35 マッコイ・マクレモア | コーチ:ラリー・コステロ 表 話 編 歴 1959: ロバートソン 1960: ロバートソン 1961: ルーカス 1962: ルーカス 1963: ヘイマン 1964: ハザード 1965: ブラッドリー 1966: ラッセル 1967: アルシンダー 1968: アルシンダー 1969: マラビッチ 1970: マラビッチ 1971: ウィックス 1972: ウォルトン 1973: ウォルトン 1974: ウォルトン 1975: トンプソン 1976: ダントリー 1977: ジョンソン 1978: フォード 1979: バード 1980: アグワイア 1981: サンプソン 1982: サンプソン 1983: サンプソン 1984: ジョーダン 1985: マリン 1986: ベリー 1987: D・ロビンソン 1988: ホーキンズ 1989: フェリー 1990: シモンズ 1991: ジョンソン 1992: レイトナー 1993: チーニー 1994: G・ロビンソン 1995: オバノン 1996: キャンビー 1997: ダンカン 1998: ジェイミソン 1999: ブランド 2000: マーティン 2001: バティエ 2002: ウィリアムス 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2024/12/27 06:45更新
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