ジム=ラフィーバーの情報(JimLefebvre) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ジム=ラフィーバーの情報まとめ
ジム=ラフィーバー(Jim Lefebvre)さんの誕生日は1943年1月7日です。
卒業、引退、現在、兄弟に関する情報もありますね。ジム=ラフィーバーの現在の年齢は81歳のようです。
ジム=ラフィーバーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ジェームズ・ケネス・ラフィーバー(James Kenneth Lefebvre、1942年1月7日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州イングルウッド出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 モーニングサイド高校卒業後の1962年、ロサンゼルス・ドジャースにバットボーイとして契約。1年目の同年はレノ・シルバーソックス、2年目の1963年はセーラム・ドジャース、3年目の1964年はスポケーン・インディアンスでプレー。 1965年4月12日のメッツ戦(シェイ)でメジャーデビューを果たした。新人ながら二塁の定位置を獲得して157試合に出場し、打率.250・12本塁打・69打点を記録。同年のリーグ優勝に貢献した。プレーオフではツインズとのワールドシリーズでは第1戦・第2戦(10月6日・7日、メトロポリタン)に6番・二塁手で出場してワールドシリーズ優勝に貢献した。オフに新人王を受賞した。 1966年はオールスターゲームに控え選手として選出された。試合では初出場を果たし、7番・二塁手で先発メンバーに名を連ねた。最終的に24本塁打を記録するなど、チームのリーグ2連覇に貢献した。プレーオフではオリオールズとのワールドシリーズでは10月5日の第1戦(ドジャー)でデーブ・マクナリーから本塁打を記録するが、4戦全敗で2年連続のワールドシリーズ優勝とはならなかった。 1972年は70試合出場で打率.201に終わり、シーズン終了後にFAとなった。 1973年に太平洋クラブライオンズとの熾烈な交渉合戦の末、ロッテオリオンズへ入団。NPBでは監督の金田正一の下で主に一塁を守り、初年度にチームトップで自己最多の29本塁打を記録する。 1974年もチームの主力打者としてのリーグ優勝・日本シリーズ優勝に大きく貢献した。阪急とのプレーオフでは10月9日の第3戦(宮城)で山田久志から適時打を記録したほか、ウイニングボールをキャッチ。中日との日本シリーズでは全6戦に出場し、10月20日の第4戦(後楽園)では途中起用ながら3打数2安打2打点と活躍。 1975年からは一軍コーチ兼任となった。5月30日の太平洋戦(川崎)で東尾修・安木祥二からパ・リーグ初の1試合左右両打席本塁打を達成。6月1日の同試合でも浜浦徹から9号本塁打を放ち5試合で4本塁打の大当たりであったが、この日を最後に外国人枠の関係と金田との対立を理由に一度現役を引退。コーチ専任となるが、金田に「現役復帰に色気を出した」と怒られて二軍コーチに降格。左肩の故障で苦しんでいたドラフト1位ルーキーの菊村徳用のためにアメリカから薬を取り寄せるなどして、面倒を見ていた。 1976年に自身の後継と目されていた新外国人のラファエル・バチスタ、ビル・マクナルティが期待外れに終わったことから、現役復帰。5月5日の南海戦(大阪)で金田に交代を命じられたことに不満を表し口論したため、無期限の自宅謹慎処分と1万ドル(300万円)の罰金を科せられた。その後は同13日夜に吉田勝豊・矢頭高雄両コーチとの話し合いで非を認め反省の色を示すと、吉田・矢頭が金田にとりなし、翌14日には処分が解除される。罰金も大幅に減額され、二軍でコンディションを調整して一軍に復帰。8月8日の阪急戦ダブルヘッダー第2試合(神宮)では1-2で迎えた8回裏、山口高志から決勝逆転3ラン本塁打を放った。春はキャンプ地・鹿児島の天文館にあるマムシのエキス入りラーメンを食べてスタミナをつけ、暑い夏はリンゴジュースでコンディションを整えた。同年2度目の現役引退。 引退後はロッテの一軍打撃コーチ兼スカウト(1977年)を務め、レロン・リーを自身の仲介で入団させる功績を残し、リーには日本の広いストライクゾーンについてアドバイス。7月にはスティーブ・マクナルティの不調から再度の現役復帰を考え、二軍戦にコーチ登録のまま出場したが、結果は2試合9打数2安打であった。 1978年に帰国し、古巣ドジャース傘下のルーキーリーグ監督に就任。シーズン終盤に急逝したジム・ギリアムの後任としてドジャースの打撃コーチとなり、1979年まで在籍。 退団後はジャイアンツ(1980年 - 1982年)→アスレチックス(1987年 - 1988年, 1994年 - 1995年)→マリナーズ(1989年 - 1991年)→カブス(1992年 - 1993年)→ブルワーズ(1998年 - 1999年)→レッズ(2002年)→中国代表(2002年 - 2008年)→パドレス(2009年)で監督・コーチを歴任。アスレチックスコーチ時代は三塁ベースコーチを務め、1985年には3Aの監督としてチームを優勝に導き、マリナーズ監督時代には弱小チームの建て直しを図ることに成功。1991年には球団史上初のシーズン勝ち越しを決めたが、球団フロントとの軋轢により退団。その手腕を認められてカブスの監督に就任すると、ホワイトソックスからサミー・ソーサを獲得。1993年にソーサは球団の打者で初の30-30(33本塁打、36盗塁)を達成。1999年はシーズン途中からブルワーズで監督を務めた。2002年に中国代表監督に就任し、アジアシリーズ(2005年 - 2007年)、WBC(2006年)、北京オリンピック(2008年)でも指揮を執った。北京五輪では予選リーグで台湾を破る歴史的な1勝を挙げたが、8ヶ国中最下位に終わり、オリンピック後に退任。2008年オフにパドレスの打撃コーチに就任したが、2009年シーズン途中で解雇された。 広島で本塁打王を獲得したリック・ランセロッティ、ランディ・ジョンソンはNPB移籍前に「日本野球講習会」と名付けられたミニキャンプに参加するが、その講習会の講師を務めたのがラフィーバーであった。 息子のライアン・ラフィーバーも元プロ野球選手(外野手)。1993年にクリーブランド・インディアンスからドラフト27巡目で指名されマイナーリーグでプレー。現在はスポーツキャスターとして活動している。 新人王:1965年 初出場・初先発出場:1973年4月14日、対太平洋クラブライオンズ前期1回戦(平和台球場)、2番・一塁手で先発出場 初安打・初打点:同上、5回表に加藤初から適時打 初本塁打:1973年4月20日、対阪急ブレーブス前期1回戦(後楽園球場)、1回裏に足立光宏から右中間へ先制決勝ソロ 5 (1965年 - 1972年, 1976年, 1980年 - 1982年, 1987年 - 1993年) 1 (1973年 - 1975年途中) 88 (1975年途中 - 同年終了) 85 (1977年) 45 (1978年 - 1979年) 6 (1994年) 11 (1995年) 29 (1998年 - 1999年) 4 (2002年) ^ 『日本プロ野球70年史』ベースボール・マガジン社、2004年12月22日、ISBN 4583038089、p391。 ^ 週刊ベースボール別冊 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA2 パ・リーグ編 ベースボール・マガジン社.2022年.P64 ^ 朝日新聞縮刷版p423 昭和51年5月15日朝刊17面「謹慎処分解かれる ラフィーバー」 ^ チームヒストリー | 千葉ロッテマリーンズ ^ 【8月29日】1976年(昭51) 闘将江藤慎一 事実上引退「コイツか言うこと聞いてくれん」 ^ 週刊ベースボール別冊新緑号「[シリーズ]よみがえる1970年代のプロ野球 PART.3 1976年編」、2022年3月31日、B09VTVWGBR、p56 ^ 551本塁打…“日本三大兄弟”と称されたリー&レオンの野球人生 ^ 三塁ベースコーチが野球を変える、澤宮優、河出書房新社、2018年、ISBN 430941656X、p66 ^ 後任は同じく日本のロッテでプレーしたランディ・レディ。 ^ 早すぎたフライボール革命!? 最低打率で本塁打王となった広島の“一発屋”ランス/昭和助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 メジャーリーグベースボールの選手一覧 L 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com 表 話 編 歴 ダレル・ジョンソン 1977-1980 モーリー・ウィルス 1980-1981 レネ・ラッチマン 1981-1983 デル・クランドール 1983-1984 チャック・コッティアー 1984-1986 マーティ・マルティネス 1986 ディック・ウィリアムズ 1986-1988 ジム・スナイダー 1988 ジム・ラフィーバー 1989-1991 ビル・プラマー 1992 ルー・ピネラ 1993-2002 ボブ・メルビン 2003-2004 マイク・ハーグローブ 2005-2007 ジョン・マクラーレン 2007-2008 ジム・リグルマン 2008 ドン・ワカマツ 2009-2010 ダレン・ブラウン 2010 エリック・ウェッジ 2011-2013 ロイド・マクレンドン 2014-2015 スコット・サーバイス 2016-現在 表 話 編 歴 ジミー・ウッド 1871、1874-1875 ファーギー・マローン 1874 アルバート・スポルディング 1876-1877 ボブ・ファーガソン 1878 キャップ・アンソン 1879 シルバー・フリント 1879 キャップ・アンソン 1880-1897 トム・バーンズ 1898-1899 トム・ロフタス 1900-1901 フランク・セレー 1902-1905 フランク・チャンス 1905-1912 ジョニー・エバース 1913 ハンク・オーデイ 1914 ロジャー・ブレスナハン 1915 ジョー・ティンカー 1916 フレッド・ミッチェル 1917-1920 ジョニー・エバース 1921 ビル・キレファー 1921-1925 ラビット・モランビル 1925 ジョージ・ギブソン 1925 ジョー・マッカーシー 1926-1930 ロジャース・ホーンスビー 1930-1932 チャーリー・グリム 1932-1938 ギャビー・ハートネット 1938-1940 ジミー・ウィルソン 1941-1944 ロイ・ジョンソン 1944 チャーリー・グリム 1944-1949 フランキー・フリッシュ 1949-1951 フィル・カバレッタ 1951-1953 スタン・ハック 1954-1956 ボブ・シェフィング 1957-1959 チャーリー・グリム 1960 ルー・ブードロー 1960 カレッジ・オブ・コーチズ(ビディ・ハイムソル 1961 ハリー・クラフト 1961 エル・タップ 1961-1962 ルー・クライン 1961-1962,1965 チャーリー・メトロ 1962 ボブ・ケネディ 1963-1965) レオ・ドローチャー 1966-1972 ホワイティ・ロックマン 1972-1974 ジム・マーシャル 1974-1976 ハーマン・フランクス 1977-1979 ジョーイ・アマルフィターノ 1979 プレストン・ゴメス 1980 ジョーイ・アマルフィターノ 1980-1981 リー・エリア 1982-1983 チャーリー・フォックス 1983 ジム・フライ 1984-1986 ジョン・ブコビッチ 1986 ジーン・マイケル 1986-1987 フランク・ルケーシー 1987 ドン・ジマー 1988-1991 ジョー・オルトベリ 1991 ジム・エッシアン 1991 ジム・ラフィーバー 1992-1993 トム・トレベルホーン 1994 ジム・リグルマン 1995-1999 ドン・ベイラー 2000-2002 レネ・ラッチマン 2002 ブルース・キム 2002 ダスティ・ベイカー 2003-2006 ルー・ピネラ 2007-2010 マイク・クワーディ 2010-2011 デール・スウェイム 2012-2013 リック・レンテリア 2014 ジョー・マドン 2015-2019 デビッド・ロス 2020-2023 クレイグ・カウンセル 2024-現在 表 話 編 歴 ジョー・シュルツ 1969 デーブ・ブリストル 1970-1972 ロイ・マクミラン 1972 デル・クランドール 1972-1975 ハービー・キーン 1975 アレックス・グラマス 1976-1977 ジョージ・バンバーガー 1977-1980 バック・ロジャース 1980-1982 ハービー・キーン 1982-1983 レネ・ラッチマン 1984 ジョージ・バンバーガー 1985-1986 トム・トレベルホーン 1986-1991 フィル・ガーナー 1992-1999 ジム・ラフィーバー 1999 デイビー・ロープス 2000-2002 ジェリー・ロイスター 2002 ネッド・ヨスト 2003-2008 デール・スウェイム 2008 ケン・モッカ 2009-2010 ロン・レニキー 2011-2015 クレイグ・カウンセル 2015-2023 パット・マーフィー 2024- 表 話 編 歴 2006 ジム・ラフィーバー 2009 テリー・コリンズ 2013 ジョン・マクラーレン 2017 ジョン・マクラーレン 表 話 編 歴 55 ジム・ラフィーバー 29 易勝 47 ブルース・ハースト 羅衛軍 6 李晨浩 7 王楠 15 趙全勝 17 張力 21 徐錚 22 李宏瑞 23 李帥 24 黄権 28 趙博 33 陳坤 66 張俊 68 卜濤 80 頼国鈞(コーチ兼任) 2 張振旺 12 馮毅 56 王偉 3 陳哲 5 馮飛 9 張玉峰 10 劉広標 11 国濤 18 楊国剛 20 陳琦 32 王靖超 37 潘文彬 51 李磊 1 孫嶺峰 26 劉雅卿 35 楊碩 36 張洪波 表 話 編 歴 選手 03 ウィリー・デービス 05 ジム・ラフィーバー 06 ロン・フェアリー 08 ジョン・ローズボロ 09 ウォーリー・ムーン 11 ジョン・ケネディ 15 ボブ・ミラー 16 ロン・ペラノスキー 19 ジム・ギリアム 21 ジム・ブリューワ 23 クロード・オスティーン 28 ウェス・パーカー 30 モーリー・ウィルス 31 ドン・ルジョン 32 サンディー・コーファックス(シリーズMVP) 39 ハウィー・リード 41 ルー・ジョンソン 43 ウィリー・クロフォード 44 ディック・トレズースキー 53 ドン・ドライスデール 監督 24 ウォルター・オルストン コーチ 18 プレストン・ゴメス 19 ジム・ギリアム(選手兼任) 33 ダニー・オザーク 36 レフティ・フィリップス VIAF WorldCat アメリカ アメリカ合衆国の野球選手 ロサンゼルス・ドジャースの選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB) MLBオールスターゲーム選出選手 ワールドシリーズ優勝選手 アメリカ合衆国の野球監督 MLB監督 サンフランシスコ・ジャイアンツ関連人物 オークランド・アスレチックス関連人物 シアトル・マリナーズ関連人物 シカゴ・カブス関連人物 ミルウォーキー・ブルワーズ関連人物 シンシナティ・レッズ関連人物 野球中国代表 中国の野球に関する人物 サンディエゴ・パドレス関連人物 在日アメリカ人のスポーツ選手 在日外国人の野球選手 カリフォルニア州イングルウッド出身の人物 1942年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2024/11/20 23:17更新
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