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ジョン=マッケンローの情報 (JohnPatrickMcEnroe)
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【4月6日】今日誕生日の芸能人・有名人

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ジョン=マッケンローさんについて調べます

■名前・氏名
ジョン=マッケンロー
(読み:John Patrick McEnroe)
■職業
テニス選手
■ジョン=マッケンローの誕生日・生年月日
1959年2月16日 (年齢66歳)
亥年(いのしし年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和34年)1959年生まれの人の年齢早見表

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ジョン=マッケンローの情報まとめ

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ジョン=マッケンロー(John Patrick McEnroe)さんの誕生日は1959年2月16日です。

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父親、現在、引退、テレビ、離婚、結婚、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。ジョン=マッケンローの現在の年齢は66歳のようです。

ジョン=マッケンローのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ジョン・マッケンロー(John McEnroe, 1959年2月16日 - )は、アメリカの男子プロテニス選手。左利き。身長180cm、体重75kg。ATPツアーでシングルス77勝、ダブルス71勝を挙げ、シングルス・ダブルスとも世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。

グランドスラムではシングルス優勝7回・ダブルス優勝9回・混合ダブルス優勝1回の計17回の優勝を飾った。ダブルスでは旧友ピーター・フレミングと組んで57個(うち4大大会7勝/同一ペアの優勝記録としては歴代2位)のタイトルを獲得した。

他にも年間最終戦優勝3回、最多タイトル獲得記録(シングルス・ダブルス合計)、シングルス通算世界1位在位記録歴代5位・ダブルス通算世界1位在位記録歴代3位など数々の記録を保持する。

父親の軍務地であったドイツ・ヴィースバーデンで生まれる。父親は著名な弁護士で、弟のパトリック・マッケンローもプロテニス選手。元妻は女優のテータム・オニール。現在の妻はロックシンガーのパティ・スマイス。

試合中、審判の判定にクレームや暴言を発することが頻繁にあったため、“悪童マッケンロー”と呼ばれた。

1976年から選手生活を始めたマッケンローは、18歳の時に1977年全仏オープン混合ダブルスで幼なじみのメアリー・カリロとペアを組み、初めての4大タイトルを獲得した。続くウィンブルドンで予選からベスト4に進出し(大会史上初)、準決勝で当時の世界1位だったジミー・コナーズに敗れたが、ここで世界的な注目を集めた。その後スタンフォード大学に進学し、1978年にNCAAのタイトルを獲得すると、大学を中退してプロ入りする。翌1979年には早くも全米オープン決勝に進出し、ビタス・ゲルレイティスを 7-5, 6-3, 6-3 で破って、20歳の若さで四大大会初タイトルを獲得する。

1980年、マッケンローはウィンブルドンで初の決勝進出を果たし、大会5連覇を目指すビョルン・ボルグに 6-1, 5-7, 3-6, 7-6, 6-8 で敗れたが、3時間55分に及ぶ戦いはテニス史上に残る名勝負として今なお語り継がれている。とりわけ第4セットはボルグの7つのマッチポイントを凌ぎ、タイブレークを 18-16 という壮絶なスコアでものにして最終セットに持ち込む大激戦となったが、最後は鉄人・ボルグの前に力尽きた。

しかし、同年の全米オープン決勝で同じボルグを 7-6, 6-1, 6-7, 5-7, 6-4 とフルセットの末に破ると、翌1981年のウィンブルドンでは、再び決勝で相まみえたボルグを 4-6, 7-6, 7-6, 6-4 で破り、前年の雪辱を果たして初優勝。こうして、マッケンローがボルグのウィンブルドン「6連覇」を阻止した。続く全米オープンでも2年連続決勝でボルグを破り、同大会で3連覇を達成する。同時にATPランキング1位の座をボルグから奪い取って、マッケンロー時代の幕開けを告げた。

1982年は、ウィンブルドンは決勝でジミー・コナーズ、全米オープンは準決勝でイワン・レンドルに敗れて、4大タイトル無冠に終わる。対レンドル戦は0勝4敗(前年から6連敗)と苦手にしたが、年間ランキング1位は死守する。1983年以降は充実期を迎え、同年のウィンブルドン、1984年はウィンブルドン、全米オープンの2冠を獲得、両年とも年間ランキング1位をキープし、名実共にトッププレーヤーとしてテニス界に君臨する。

絶頂期の1984年は、プレースタイル的に苦手な全仏オープンこそイワン・レンドルに敗れて準優勝に終わったものの、優勝した全米オープンではそのレンドル、ウィンブルドンでは2年前に苦杯をなめたジミー・コナーズを、ともに決勝で圧倒する。ツアーを通じてもレンドルに6勝1敗、コナーズに6勝0敗と、当時のランキング2位・3位である2人を全く寄せ付けず、最終的に全14大会に出場して12大会で優勝、デビスカップでの1敗を合わせても、年間わずかに3敗という圧倒的な戦績を残した。(この年の彼の年間勝率 .965 という記録は、2005年度のロジャー・フェデラーでさえ破れなかった驚異的な記録である。)

1985年に入ると、年明けのマスターズは前年の勢いでイワン・レンドルを一蹴する。当時の4大大会は、年間第1戦が全仏オープンであった。マッケンロー最大の関門である全仏オープンの準決勝でクレー巧者のマッツ・ビランデルに屈すると、5年連続決勝進出中だったウィンブルドンでも、第8シードのビッグサーバー・ケビン・カレンに足をすくわれ、まさかの準々決勝敗退に終わる。唯一決勝に進出した全米オープンもレンドルに前年の雪辱を許し、4大タイトル無冠に終わっただけでなく、ランキング1位もレンドルに奪われる。それ以後、1986年・1987年は背中の故障などもあって出場試合数が激減した。出場した試合でも低迷が続き、ボリス・ベッカーなどの新勢力の台頭もあって、マッケンローのシングルスでの成績やランキングは下降した。

1988年、前年の出場停止処分に端を発した長期休養から、復活を期して4月のジャパン・オープンを復帰戦として選択すると、有明コロシアムで行われた決勝では、新勢力の代表・ステファン・エドベリを 6-2, 6-2 で破って優勝した。(準々決勝では若き松岡修造とも対戦し、マッケンローが順当勝ちした。)5月の全仏オープンでは、当時絶頂期にあったイワン・レンドルに4回戦で敗れ、ウィンブルドンと全米オープンは、ともに2回戦で格下の選手に惨敗する。以後、ツアーでの優勝は散発的にあったものの、4大大会シングルスは1989年・1992年のウィンブルドン、1990年全米オープンのベスト4が最高と、再びタイトルを獲得することはできなかった。

1990年全豪オープンでは、4回戦でハプニングがあった。この時マッケンローはミカエル・ペルンフォルス(スウェーデン)との対戦中に線審を睨み付け、ラケットを地面に叩き付け、主審への暴言などを繰り返したため、第4セットの途中(スコア:6-1, 4-6, 7-5, 2-4 / すなわち、マッケンローがセットカウント 2-1 とリード中)で競技役員との話し合いの末、主審から「失格」を言い渡された。これに観客は憤り、試合会場を立ち去ってしまった。このペルンフォルス戦は、マッケンローの暴言が度を過ぎた試合の最たる例として語り草になっている。

ダブルスでは、ピーター・フレミングの引退後も活躍を続け、オーストラリアのマーク・ウッドフォードとペアを組んだ1989年の全米オープンで優勝する。引退を表明した1992年にも、ドイツのミヒャエル・シュティヒと組んで8年ぶりにウィンブルドンで優勝を飾った後、デビスカップでもピート・サンプラスとペアを組んで、決勝のスイス戦では2セットダウンから逆転勝ちして優勝を決めるなど、最後の活躍を見せている。特にシュティヒとペアを組んでジム・グラブ&リッチー・レネバーグ組(ともにアメリカ)を 5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 19-17 で破った決勝の試合時間「5時間1分」は、ウィンブルドン男子ダブルス決勝の史上最長時間記録である。

1992年に33歳で現役を引退した後は、テレビ解説者として活躍する一方、ビョルン・ボルグたちとともにシニアツアーに参加し、来日も果たす。1999年ウィンブルドンでは、シュテフィ・グラフとペアを組んで混合ダブルスに出場している。1999年に国際テニス殿堂入り。2006年には突如ダブルスでツアー復帰を宣言し、ヨナス・ビョルクマンとペアを組んだサンノゼ・SAPオープンで優勝を飾っている。マッケンロー47歳、ビョルクマン33歳ペアの優勝は、記録的にも特筆に値する。

マッケンローは日本でも高い人気を誇り、トヨタ・カローラⅡ(初代)(1982年 - 1986年)、日清サラダ油『マヨドレ』(1982年、ビョルン・ボルグと共に出演)のTVCMに出演する等日本企業のイメージ宣伝に起用されたり、漫才師のギャグネタなどになることもあった。現役引退後の1995年11月には「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」に出演し、明石家さんまとともに「さんま vs. マッケンロー」というエキシビション・マッチを行ったこともある。

機を見てネットに出てボレー等でポイントを決めるネットプレーヤー。サービスゲームではサーブと同時にネットダッシュするサービス&ボレーを基軸とする。(セカンドサーブ時はベースラインにとどまる場合もあり)リターンゲームでも、ストローク戦からネットダッシュするか、場合によってはリターンと同時にネットダッシュするリターン&ネットも見せる。

肩または腰の故障から考え抜かれたとされるほとんど相手に背中を向けた極端なクローズドスタンスから放たれるサーブは強力で、特にアドバンテージコートから左利き特有のバックハンド・サイドに切れていくスライスサーブは、両手打ちバックハンドの為に比較的リーチの狭かったライバル・ビョルン・ボルグとの対戦時は大きな武器となった。ボルグとは対照的に、ガットをぎりぎりまで緩く張ったラケットから絶妙なタッチで繰り出されるボレーは変幻自在で、野獣(Animal)・コナーズ、氷のボルグ(IceBorg : Iceberg(氷山)の変形)に対して、「芸術家(Artist)・マッケンロー」などと称された。

プレースタイル的にはネットプレーヤーであるが、ストロークも決して苦手ではなく、全盛期は各時代・最強のストローカーであるジミー・コナーズ、ビョルン・ボルグ、イワン・レンドル、マッツ・ビランデルを、ストロークの打ち合いで翻弄することも多かったため、オールラウンダーと評される場合もある。

彼のストロークの特徴をあらわすキーワードはライジングで、人によっては 『マッケンローのストロークはハーフボレーの延長だ』 などと評するほど、フォア・バックともにほとんどのストロークをバウンドの上がり際(=ライジング)で処理した。これは1970年代末期、ボルグの高く跳ね上がるトップスピンに対して、多くのネットプレーヤーがベースライン後方に押し下げられ、ネットプレーを封じられていたことに対抗するために生まれたと思われる。

ベースラインから下がらずに高い打点で処理することで、より早いタイミングで、しかも角度を付けて返球することが容易になるため、結果的に速い展開で相手を振り回すことが可能となる。相手側から見ると「ボール自体は速くないのに、すぐボールが返ってくる」「強打しても軽くかわされ、ちょっとでもストロークが浅くなると左右に振り回されて、気が付くとネットに出てきてボレーを決められる」という状態になる。

ボルグのマッケンロー評に『彼はコートのあらゆるところから、あらゆるスピンのボールを打つことができる』 とあるように、単純にボールの威力で相手を粉砕するのではなく、コート中に様々な球種を散らし、相手を翻弄して、最後はネットプレーで決めるのが彼のプレースタイルである。その意味では同じライジングでも、高い打点からエースを狙ってハードヒットする現代のライジング打法とは趣を異にする。

ネットプレーヤーとしては異例に、パッシングショットも得意とした。フォア・バックともにストレート・ショートクロスと自在に打ち分け、同じスタイルの相手と対戦する際には非常に有効であった。しかし、絶対的な体力に裏打ちされた粘りのストロークが要求されるクレーコートはやはり苦手とし、絶頂期の1984年でもあと一歩のところで全仏オープンのタイトルには届かなかった。

全体として、ネットプレー・ストロークともに、非常に攻撃的なプレーを行うが、決して勢いにまかせてエース狙いのハードヒットを繰り返すタイプではなかった。彼のトレードマークでもあった、審判の判定に激昂して悪態をつくような場面の後でさえも、プレー自体は頭脳的で、彼以前の“悪童”イリ・ナスターゼ(ルーマニア)やライバルのコナーズ、彼の後に続いたゴラン・イワニセビッチ(クロアチア)などのように、そのままプレーが乱れる場面は少なかった。

マッケンローはウッド(木製)ラケットとカーボン、グラスファイバー等、新世代の素材を用いたハイテク・ラケットとの交替時期に活躍した選手である。1歳年下のライバル・イワン・レンドルに7連敗を喫していた1983年初頭、それまでのウッドラケット「MAXPLY」から、カーボン製「MAX200G」にラケットを替えたことと相前後して、レンドルとの対戦成績も逆転し、その後の全盛期を迎えた。彼がこのラケット(DUNLOP MAX 200G)に切り替えたのは、弟のパトリック・マッケンローに勧められたからだという。それ以後、現役を引退するまでこのラケットを使い続けた。

マッケンローは、男優ライアン・オニールの娘で女優のテータム・オニールと1986年から1994年まで婚姻関係にあり、ケビン、ジーン、エミリの3人の子供がいる。二人の離婚後、当初は両親に共同親権が認められたが、1997年にマッケンローが単独親権を得た。

1997年にはロック歌手のパティ・スマイスと結婚し、アンナとアヴァの2人の娘をもうけた。

二人の住居は、ニューヨーク・マンハッタンの高級住宅街アッパー・ウエストサイドのデュプレにある。

※オープン化以降

全仏オープン 混合ダブルス:1勝(1977年) [男子シングルス準優勝1度:1984年]

ウィンブルドン 男子シングルス:3勝(1981年、1983年&1984年)/男子ダブルス:5勝(1979年、1981年、1983年&1984年、1992年) [男子シングルス準優勝2度:1980年、1982年]

全米オープン 男子シングルス:4勝(1979年-1981年、1984年)/男子ダブルス:4勝(1979年、1981年、1983年、1989年) [男子シングルス準優勝1度:1985年]

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

※1979年全米3回戦の不戦勝は通算成績に含めない

^ フェデラー6回、レンドル/サンプラス5回、ジョコビッチ4回。3回はベッカーと並び歴代5位

^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』 - マッケンローとビョルン・ボルグが対戦した1980年ウィンブルドン選手権男子シングルス決勝戦が描かれた2017年の映画

ジョン・マッケンロー - ATPツアーのプロフィール (英語) ウィキデータを編集

ジョン・マッケンロー - デビスカップのプロフィール (英語) ウィキデータを編集

ジョン・マッケンロー - 国際テニス連盟 ウィキデータを編集

ジョン・マッケンロー - 国際テニス殿堂のプロフィール (英語) ウィキデータを編集

ルーマニアの旗 イリ・ナスターゼ (1973-1974 計40週)

オーストラリアの旗 ジョン・ニューカム (1974 計8週)

アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ (1974-1983 計268週)

スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ (1977-1981 計109週)

アメリカ合衆国の旗 ジョン・マッケンロー (1980-1985 計170週)

チェコスロバキアの旗 イワン・レンドル (1983-1990 計270週)

スウェーデンの旗 マッツ・ビランデル (1988-1989 計20週)

スウェーデンの旗 ステファン・エドベリ (1990-1992 計72週)

ドイツの旗 ボリス・ベッカー (1991 計12週)

アメリカ合衆国の旗 ジム・クーリエ (1992-1993 計58週)

アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス (1993-2000 計286週)

アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ (1995-2003 計101週)

オーストリアの旗 トーマス・ムスター (1996 計6週)

チリの旗 マルセロ・リオス (1998 計6週)

スペインの旗 カルロス・モヤ (1999 計2週)

エフゲニー・カフェルニコフ (1999 計6週)

オーストラリアの旗 パトリック・ラフター (1999 計1週)

マラト・サフィン (2000-2001 計9週)

ブラジルの旗 グスタボ・クエルテン (2000-2001 計43週)

オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット (2001-2003 計80週)

スペインの旗 フアン・カルロス・フェレーロ (2003 計8週)

アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック (2003-2004 計13週)

スイスの旗 ロジャー・フェデラー (2004-2018 計310週)

スペインの旗 ラファエル・ナダル (2008-2020 計209週)

セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ (2011-2024 計373週)

イギリスの旗 アンディ・マリー (2016-2017 計41週)

ダニール・メドベージェフ (2022 計16週)

スペインの旗 カルロス・アルカラス (2022-23 計36週)

イタリアの旗 ヤニック・シナー ● (2024 計13週)

1973年8月23日のATPランキング導入以降の記録

(最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週)

2023年9月2日付、そのときの1位は強調●表示,

 南アフリカの旗 ボブ・ヒューイット (1976 – 計6週)

 メキシコの旗 ラウル・ラミレス (1976/1977 – 計62週)

 南アフリカの旗 フルー・マクミラン (1977/1979 – 計85週)

 オランダの旗 トム・オッカー (1979 – 計11週)

 アメリカ合衆国の旗 ジョン・マッケンロー (1979/1989 – 計269週)

 アメリカ合衆国の旗 スタン・スミス (1981 – 計8週)

 オーストラリアの旗 ポール・マクナミー (1981 – 計3週)

 アメリカ合衆国の旗 ピーター・フレミング (1982/1984 – 計17週)

 チェコスロバキアの旗 トマシュ・スミッド (1984/1985 – 計34週)

 スウェーデンの旗 アンダース・ヤリード (1985/1992 – 計107週)

 アメリカ合衆国の旗 ロバート・セグソ (1985/1988 – 計62週)

 アメリカ合衆国の旗 ケン・フラック (1985/1986 – 計5週)

 スウェーデンの旗 ステファン・エドベリ (1986/1987 – 計15週)

 フランスの旗 ヤニック・ノア (1986/1987 – 計19週)

 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 スロボダン・ジヴォイノビッチ (1986 – 計7週)

 エクアドルの旗 アンドレス・ゴメス (1986 – 計13週)

 スペインの旗 エミリオ・サンチェス (1989 – 計6週)

 アメリカ合衆国の旗 ジム・グラブ (1989/1993 – 計13週)

 アメリカ合衆国の旗 ジム・プー (1989/1990 – 計26週)

 南アフリカの旗 ダニー・ヴィッサー (1990 – 計27週)

 アメリカ合衆国の旗 リック・リーチ (1990 – 計9週)

 南アフリカの旗 ピエター・オルドリッチ (1990 – 計19週)

 アメリカ合衆国の旗 デイビット・ペイト (1991 – 計25週)

 オーストラリアの旗 ジョン・フィッツジェラルド (1991/1992 – 計40週)

 オーストラリアの旗 トッド・ウッドブリッジ (1992/2001 – 計204週)

 アメリカ合衆国の旗 ケリー・ジョーンズ (1992 – 計1週)

 オーストラリアの旗 マーク・ウッドフォード (1992/2000 – 計83週)

 アメリカ合衆国の旗 リッチー・レンバーグ (1993 – 計5週)

 アメリカ合衆国の旗 パトリック・ガルブレイス (1993/1994 – 計4週)

 アメリカ合衆国の旗 ジョナサン・スターク (1994 – 計6週)

 カナダの旗 グラント・コンネル (1993/1994 – 計17週)

 オランダの旗 ポール・ハーフース (1994/1999 – 計71週)

 ジンバブエの旗 バイロン・ブラック (1994 – 計8週)

 オランダの旗 ヤッコ・エルティン (1995/1998 – 計63週)

 インドの旗 マヘシュ・ブパシ (1999 – 計4週)

 インドの旗 リーンダー・パエス (1999/2000 – 計39週)

 アメリカ合衆国の旗 ジャリッド・パーマー (2000/2002 – 計39週)

 アメリカ合衆国の旗 アレックス・オブライエン (2000 – 計5週)

 スウェーデンの旗 ヨナス・ビョルクマン (2000/2005 – 計74週)

 アメリカ合衆国の旗 ドナルド・ジョンソン (2002 – 計20週)

 バハマの旗 マーク・ノールズ (2002/2005 – 計65週)

 カナダの旗 ダニエル・ネスター (2002/2012 – 計108週)

 ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ (2003/2012 – 計57週)

 アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン (2003/2015 – 計439週)

 アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン (2003/2019 – 計484週)

 セルビアの旗 ネナド・ジモニッチ (2008/2010 – 計40週)

 ブラジルの旗 マルセロ・メロ (2015/2016 – 計23週)

 イギリスの旗 ジェイミー・マリー (2016 – 計9週)

 フランスの旗 ニコラ・マユ (2016/2017 – 計39週)

 フィンランドの旗 ヘンリ・コンティネン (2017 – 計26週)

 ポーランドの旗 ルカシュ・クボット (2018/2019 – 計19週)

 クロアチアの旗 マテ・パビッチ (2018 – 計8週)

(開始年/終了年 – 週)

2019年2月4日付

(1968年・69年)ロッド・レーバー

(1970年・71年)ジョン・ニューカム

(1972年)スタン・スミス

(1973年)ヤン・コデシュ

(1974年)ジミー・コナーズ

(1975年)アーサー・アッシュ

(1976年-80年)ビョルン・ボルグ

(1981年)ジョン・マッケンロー

(1982年)ジミー・コナーズ

(1983年・84年)ジョン・マッケンロー

(1985年・86年)ボリス・ベッカー

(1987年)パット・キャッシュ

(1988年)ステファン・エドベリ

(1989年)ボリス・ベッカー

(1990年)ステファン・エドベリ

(1991年)ミヒャエル・シュティヒ

(1992年)アンドレ・アガシ

(1993年-95年) ピート・サンプラス

(1996年)リカルト・クライチェク

(1997年-2000年)ピート・サンプラス

(2001年)ゴラン・イワニセビッチ

(2002年)レイトン・ヒューイット

(2003年-07年)ロジャー・フェデラー

(2008年)ラファエル・ナダル

(2009年)ロジャー・フェデラー

(2010年)ラファエル・ナダル

(2011年)ノバク・ジョコビッチ

(2012年)ロジャー・フェデラー

(2013年)アンディ・マリー

(2014年・15年)ノバク・ジョコビッチ

(2016年)アンディ・マリー

(2017年)ロジャー・フェデラー

(2018年・19年・21年・22年)ノバク・ジョコビッチ

(2023・24年)カルロス・アルカラス

一覧

(1968年)アーサー・アッシュ

(1969年)ロッド・レーバー

(1970年)ケン・ローズウォール

(1971年)スタン・スミス

(1972年)イリ・ナスターゼ

(1973年)ジョン・ニューカム

(1974年)ジミー・コナーズ

(1975年)マニュエル・オランテス

(1976年)ジミー・コナーズ

(1977年)ギリェルモ・ビラス

(1978年)ジミー・コナーズ

(1979年-81年)ジョン・マッケンロー

(1982年・83年)ジミー・コナーズ

(1984年)ジョン・マッケンロー

(1985年-87年)イワン・レンドル

(1988年)マッツ・ビランデル

(1989年)ボリス・ベッカー

(1990年)ピート・サンプラス

(1991年・92年)ステファン・エドベリ

(1993年)ピート・サンプラス

(1994年)アンドレ・アガシ

(1995年・96年) ピート・サンプラス

(1997年・98年)パトリック・ラフター

(1999年)アンドレ・アガシ

(2000年)マラト・サフィン

(2001年)レイトン・ヒューイット

(2002年)ピート・サンプラス

(2003年)アンディ・ロディック

(2004年-08年)ロジャー・フェデラー

(2009年)フアン・マルティン・デル・ポトロ

(2010年)ラファエル・ナダル

(2011年)ノバク・ジョコビッチ

(2012年)アンディ・マリー

(2013年)ラファエル・ナダル

(2014年)マリン・チリッチ

(2015年)ノバク・ジョコビッチ

(2016年)スタン・ワウリンカ

(2017年)ラファエル・ナダル

(2018年)ノバク・ジョコビッチ

(2019年)ラファエル・ナダル

(2020年)ドミニク・ティーム

(2021年)ダニール・メドベージェフ

(2022年)カルロス・アルカラス

(2023年)ノバク・ジョコビッチ

(2023年)ヤニック・シナー

(1968年-70年)ジョン・ニューカム&トニー・ローチ

(1971年)ロイ・エマーソン&ロッド・レーバー

(1972年)ボブ・ヒューイット&フルー・マクミラン

(1973年)イリ・ナスターゼ&ジミー・コナーズ

(1974年)ジョン・ニューカム&トニー・ローチ

(1975年)ビタス・ゲルレイティス&サンディ・マイヤー

(1976年)ブライアン・ゴットフリート&ラウル・ラミレス

(1977年)ロス・ケース&ジェフ・マスターズ

(1978年)ボブ・ヒューイット&フルー・マクミラン

(1979年)ジョン・マッケンロー&ピーター・フレミング

(1980年)ピーター・マクナマラ&ポール・マクナミー

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18 詹詠然&イワン・ドディグ

19 詹詠然&イワン・ドディグ

20 開催無し

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23 ティム・プッツ&加藤未唯

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      アメリカ合衆国の男子テニス選手

      ウィンブルドン選手権優勝者

      全仏オープン優勝者

      全米オープン (テニス)優勝者

      国際テニス殿堂入りの人物

      アイルランド系アメリカ人のスポーツ選手

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2025/04/03 14:55更新

John Patrick McEnroe


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