スティーブ=ディッコの情報(SteveDitko) 漫画家、イラストレーター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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スティーブ=ディッコの情報まとめ
スティーブ=ディッコ(Steve Ditko)さんの誕生日は1927年11月2日です。
卒業、家族、映画、テレビ、引退、結婚に関する情報もありますね。2018年に亡くなられているようです。
スティーブ=ディッコのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)スティーヴン・J・ディッコ(Stephen J. Ditko[ˈdɪtkoʊ]、1927年11月2日 – 2018年6月29日ごろ)はアメリカンコミックの作画家・原作者。マーベル・コミックス社でスタン・リーとともにスパイダーマンとドクター・ストレンジのキャラクターを創作し、それらのシリーズの作画を行ったことで知られる。 美術学校でバットマンの作画家ジェリー・ロビンソンから指導を受けた。1953年にインカーとしてジョー・サイモンとジャック・カービーのスタジオに入ったのがプロ活動の始まりで、スタジオの同僚モート・メスキンからも影響を受けた。その時期にチャールトン・コミックスと関係を結び、後年に至るまでSF、ホラー、ミステリのジャンルで作品を提供したほか、1960年には他の作家とスーパーヒーローのキャプテン・アトムを共作した。 1950年代にマーベル社の前身アトラス・コミックスで活動し、その後マーベルで『アメイジング・スパイダーマン』や、『ストレンジ・テイルズ』誌の連載「ドクター・ストレンジ」の作画を一手に引き受けるなど、重要な作品を多く残した。しかし1966年にマーベル社を去った。その決定的な理由は明かされていない。 その後はチャールトンとDCコミックスで活動を続け、歴史の長いキャラクターのブルービートルを再生させたほか、クエスチョン、クリーパー、シェイド・ザ・チェンジングマン、ホーク&ダブなどの新キャラクターを制作した(共作も含む)。また独立系の小出版社でもコミックを描くようになり、アイン・ランドが唱えたオブジェクティビズム思想に強く影響されてミスターAというキャラクターを作り出した。 ディッコは作品を通じて自己を表現することを好み、ほとんどインタビューを受けなかった。コミック界で名誉あるジャック・カービー殿堂(1990年)およびウィル・アイズナー賞殿堂(1994年)に選出されている。 スティーヴン・J・ディッコは1927年11月2日にペンシルベニア州ジョンズタウンにおいて、スロヴァキア系アメリカ人一世の夫婦の間に生まれた。父スティーヴンは製鋼所(英語版)に勤める大工の親方で美術の才に恵まれており、母アンナはホームヘルパーだった。労働者階級の夫婦は、第2子スティーヴのほか、その姉アンナ・マリー、妹エリザベスと弟パトリックを育てた。スティーヴの父は新聞のコミック・ストリップ、特にハル・フォスターの『プリンス・ヴァリアント(英語版)』を愛読していた。父の好みを受け継いだスティーヴは、1940年にスーパーヒーローのバットマンと出会い、またタブロイドサイズのコミックブックとして新聞の日曜版に付属していたウィル・アイズナーの『スピリット(英語版)』を読んでコミックへの興味を高めていった。 第二次世界大戦中、中学時代のディッコは、民間対空監視員が用いるドイツ航空機の木製模型をほかの生徒とともに作製した。1945年にジョンストン・ハイスクールを卒業すると、同年10月26日に陸軍に入隊し、終戦後のドイツで兵役に就くかたわら軍機関紙にコミックを発表した。 除隊後、崇拝していたバットマンの作画家ジェリー・ロビンソン(英語版)がニューヨークの美術学校 で教鞭を取っていることを知った。ディッコは1950年にニューヨークに移り、復員兵援護法(GI法)による支援を受けて同校に入学した。ロビンソンは若き日のディッコを「非常な努力家で、描くことに打ち込んでいた」、また「原作者と組んでも良かったし、自分で話やキャラクターを作るのも上手かった」 と語っている。ロビンソンはディッコが翌年に奨学金を受けられるように取り計らい、「2年間にわたって、週に4回か5回、夜間に5時間ずつ教えた。濃密な時間だった」 という。ロビンソンは授業にコミックアーティストや編集者を招くことがあり、マーベル・コミックスの前身アトラス・コミックス(英語版)の編集者スタン・リーもその一人だった。ロビンソンによれば、リーがディッコの作品を見たのはそれが最初だった。 1953年初頭、ブルース・ハミルトンの原作によるSF作品 "Stretching Things" で初めてプロとしてコミックブックの作画を行った。同作はキー・パブリケーションズ(英語版)のインプリントであるスタンモーのために描かれたが、スタンモーからエイジャックス-ファレル(英語版)社に売却され、Fantastic Fears 第5号(発行日表示1954年2月)でようやく日の目を見た。実際に出版されたのはプロ第2作となる6ページの短編 "Paper Romance" の方が先だった。同作はキー社の別のインプリントであるギルモー・マガジンズが発行する Daring Love 第1号(1953年10月)に掲載された。 ほどなくしてディッコはジョー・サイモンとジャック・カービーのスタジオに職を見つけた。二人はいずれも原作者兼作画家で、すでにキャプテン・アメリカなどのキャラクターを生み出していた。背景のインク(ペン入れ)担当として仕事を始めたディッコは、以前から尊敬していたモート・メスキンと同僚になり、絵を学ぶようになった。「メスキンは素晴らしかった」とディッコは回想している。「あんな絵を易々と描けるなんて信じられなかった。構図は力強く、ラフなペンシル画でも完成されていて、ごちゃごちゃさせずにディテールを描く。本当に好きだった」 ディッコがアシスタントとして関わったことが確定している作品には、カービーがペンシル(下絵)を描き、メスキンがディッコとともにインカーを務めた Captain 3-D 第1号(1953年12月、ハーヴェイ・コミックス(英語版))がある。ディッコが自身でペンシルとインクを行った第3作 "A Hole in His Head" は、サイモンとカービーのクレストウッド社(英語版)のインプリントであるプライズ・コミックスが出していた Black Magic 第4シリーズ3号(1953年12月)に掲載された。 後年まで続くチャールトン・コミックスとの関係はこのころに始まった。コネチカット州ダービーに位置するチャールトンは、歌詞の雑誌で知られる出版社の低予算部門だった。第1作となったのは The Thing! 第12号(1954年2月)で、ディッコは表紙のほか8ページの吸血鬼もの "Cinderella" を描いた。同社ではその後、1986年の倒産まで断続的にSF・ホラー・ミステリ作品を描き続けることになる。また Space Adventures 第33号(1960年3月)では原作者ジョー・ギルとともにキャプテン・アトム(英語版)を生み出した。 1954年の半ば、結核を患ったためチャールトンでの活動ばかりかコミックの仕事一切を休止してジョンズタウンの実家で療養した。 健康を取り戻したディッコは1955年末にニューヨークに戻り、マーベル・コミックスの前身であるアトラス・コミックスで仕事を始めた。『ジャーニー・イントゥ・ミステリー(英語版)』第33号(1956年4月)に掲載された4ページ作品 "There'll Be Some Changes Made" がアトラスでのデビュー作となった。同作はマーベルの Curse of the Weird 第4号(1994年3月)に再録されている。アトラス/マーベルでは『ストレンジ・テイルズ(英語版)』をはじめ、新しく創刊された『アメイジング・アドベンチャーズ(英語版)』、『ストレンジ・ワールズ(英語版)』、『テイルズ・オブ・サスペンス(英語版)』、『テイルズ・トゥ・アストニッシュ(英語版)』で盛んに作品を発表し、多くの名作を残すことになった。これらの雑誌の多くはカービーのモンスター物で始まり、ドン・ヘック(英語版)やポール・リーンマン(英語版)、ジョー・シノット(英語版)らが落ちの効いたスリラーやSFを1・2編描き、ディッコと原作・編集のスタン・リーによるシュールな、ときに内省的な短編が最後を締めくくった。 リーとディッコの短編は非常な人気を集めたため、『アメイジング・アドベンチャーズ』誌は第7号(1961年12月)から路線を変更して同種の作品だけを載せるようになり、『アメイジング・アダルト・ファンタジー』と改名した。この名は「洗練された」作風を表そうとしたもので、キャッチフレーズも "The magazine that respects your intelligence"(知的な君たちのための雑誌)とされた。リーが2009年に回想するところでは、「当時よく思いついた、オー・ヘンリー風の結末をつけた奇妙な空想話」をディッコとともに「5ページの短い穴埋めコミック・ストリップ」に仕上げ、「わが社のコミックブックでページが余れば何にでも」載せたという。リーによればそれらの作品は、後に「マーベル・メソッド」と呼ばれるようになる制作体制(ライターがプロットを考え、作画家がそれをもとにコマ割りと作画を行い、最後にライターがセリフやナレーションを付ける)の草分けだった。「スティーヴにプロットを軽く説明すれば、あとは彼が全部やってくれた。私が伝えた大ざっぱな骨格から一流のコミック作品を生み出してくれる。私なんかが考えていたものよりはるかに出来のいいものを」 マーベル・コミックスの総編集長だったスタン・リーは「スパイダーマン」という名で「普通の若者」のスーパーヒーローを新しく登場させようと考え、発行人マーティン・グッドマン(英語版)から許可を得た上で、マーベルの中でも指折りの作画家だったジャック・カービーに共作を持ちかけた。カービーはリーに答えて、自身も1950年代にシルバー・スパイダーかスパイダーマンという名のヒーローを構想していたと告げた。魔法の指輪から超能力を得た孤児の少年のキャラクターだった。コミック史家グレッグ・シークストンによれば、二人はその場でストーリー会議を始めた。話がまとまると、リーはカービーにキャラクターを仕上げて何ページか描いてみるよう指示した。翌日か翌々日にカービーが見せたストーリーの冒頭6ページについて、リーは「描き方が気に入らなかった。下手だったわけじゃないが…私が考えていたキャラクターじゃなかった。ちょっとヒーローらし過ぎた」と回想している。ディッコは以下のように述べている。「スタンがカービーの原稿を見せてくれたけど、実際に出たスパイダーマンとは全然違うものだった。だいたい、スパイダーマンが描かれていたのはスプラッシュ(第1ページ)と、ウェブ・ガンを持ってジャンプしてくる最後のシーンだけだった。… 最初の5ページで描かれていたのは、家の中で主人公の男の子が魔法の指輪を見つけてスパイダーマンになるシーンだった」 カービーに代わってディッコが描いたキャラクタービジュアルはリーを満足させた。ただし、リーは後にディッコの表紙画を没にしてカービーのペンシルによる絵と入れ替えた。ディッコは1990年にスパイダーマンのデザインについて以下のように回想している。「まずやったのはコスチュームだ。外見はキャラクターにとって重要な部分だ。どんな格好にするか決めないと … ブレークダウン(ネーム)に取りかかれない。壁に貼りつく能力があるなら堅い靴やブーツはやめようとか、袖に隠れるリストシューターとホルスターに収めるウェブ・ガンのどっちにするかとか。… スタンが気に入るかはわからなかったが、顔が完全に隠れるマスクにした。顔が見えると子供だってことが一目瞭然だからね。謎めいた雰囲気も出るし」 リアルタイムでのディッコの証言は希少だが、Comic Fan 第2号(1965年夏)ではゲイリー・マートンによる書面インタビューの中で、リーとの分担について「スタン・リーがスパイダーマンという名前を思いついた。コスチュームのデザインと、手首に仕込んだウェブ発射機やスパイダー・シグナルは私だ」と説明している。このときのディッコは「もっといい仕事が出てこない限り」スパイダーマンを描き続けるつもりだと語っていた。 スパイダーマンを作り出した時期のディッコは、美術学校以来の友人で著名なフェティッシュ・アーティストのエリック・スタントン(英語版)と共同でスタジオを構えていた。スタントンは1988年のインタビューの中で、スパイダーマンの創造に自分はほとんど何の貢献もしていないと言いつつも、ディッコとともに第1号のストーリーボード(絵コンテ)作成を行ったことを語っている。「私もいくつかアイディアを出した。でも全体としてはスティーヴが自分で創りだしたものだ … 手首からウェブを撃つ仕掛けは私が考えたんだったかな」 スパイダーマンが初めて印刷されたのはSF・ファンタジーのアンソロジー『アメイジング・ファンタジー(英語版)』の終刊号(第15号、1962年8月)だった。この号がトップセラーとなったことで、スパイダーマンは個人誌『アメイジング・スパイダーマン』を獲得した。リーとディッコは同誌で共作を続け、スパイダーマンの代表的な敵役となるキャラクターを次々に生み出していった。第3号(1963年7月)ではドクター・オクトパスが、第4号(同年9月)ではサンドマンが、第6号(同年11月)ではリザードが、第9号(1964年3月)ではエレクトロが、そして第14号(同年7月)ではグリーンゴブリンが誕生した。ディッコはやがて、自身が作画と同時にプロット作成にも関与していること(マーベル・メソッド)をクレジットに反映させるよう要求した。リーはこれを認め、第25号(1965年6月)からディッコがプロット作成としてもクレジットされるようになった。 リー=ディッコ体制の『アメイジング・スパイダーマン』の中でも、三話構成のストーリー "If This Be My Destiny...!" の結末である第33号(1966年2月)は名作として知られている。この号には、大きな機械の下敷きとなったスパイダーマンが意志力と家族への思いを振り絞って脱出を果たす劇的なシーンがあった。コミック史の著作を持つレス・ダニエルズは「スティーヴ・ディッコはここで、スパイダーマンの窮地をこの上ない苦しみとして描いている。かつて救えなかった伯父と、守ると誓った伯母の幻までが彼を襲う」と書いている。コミック作家ピーター・デイヴィッド(英語版)は、「オリジン(誕生回)を除けば、『アメイジング・スパイダーマン』第33号のこの2ページは、おそらくスタン・リー/スティーヴ・ディッコ期でもっとも愛されているシーンだ」という所感を述べている。スティーヴ・サフェルは「ディッコが『アメイジング・スパイダーマン』第33号で描いたページ一杯の大ゴマは、シリーズの歴史を通しても際立って迫力あるもので、後年まで原作者や作画家に影響を与え続けた」と述べた。マシュー・K・マニングは「リーによるこのストーリーの冒頭数ページにディッコが描いたイラストレーションは、スパイダーマンの歴史を象徴するシーンの一つとなった」と書いた。このストーリーはまた、2001年にマーベル読者が選ぶベスト100号 の第15位を占めた。その編集者ロバート・グリーンバーガー(英語版)はストーリー紹介として「冒頭の5ページは現代のシェイクスピアだ。[主人公の]パーカーの独白が次のアクションへの期待を高めていく。ディッコは劇的なテンポと語りにより、あらゆるコミックの中でも抜きんでて偉大なシークエンスを作り出したのだ」と書いた。このシークエンスは2017年の映画『スパイダーマン:ホームカミング』でも引用されている。 『インクレディブル・ハルク』最終号(第6号、1963年3月)の作画を行ったのに続いて、『ストレンジ・テイルズ』第110号(1963年7月)で魔術師ヒーローのドクター・ストレンジを作り出した。ディッコとリーはその後しばらくして、アンソロジー誌『テイルズ・トゥ・アストニッシュ』第60号(1964年10月)で短編連載としてハルクを復活させた。ディッコはインカーのジョージ・ルーソスと組んで第67号(1965年5月)までペンシラーを務めた。第62号(1964年12月)ではハルクの宿敵リーダーをデザインした。 ディッコは『テイルズ・オブ・サスペンス』誌で連載されていたアイアンマンのペンシルを第47号から第49号まで(1963年11月–1964年1月)担当した。インカーは各号で異なる。第47号では、現行の配色でもある赤と金のアイアンマン・アーマーの初期版が登場した。ただしそれをデザインしたのがディッコなのか、あるいはメインのキャラクターデザイナーで表紙のペンシルも描いていたジャック・カービーなのかは明らかになっていない。 『アメイジング・スパイダーマン』での業績に隠れがちではあるが、「ドクター・ストレンジ」におけるディッコの作画も同程度に高く評価されてきた。そのシュルレアルで神秘的な世界像と、どんどんサイケデリックになっていく表現は大学生の人気を集めた。「ドクター・ストレンジの読者は、マーベル関係者は「ヘッド(麻薬常用者)」ばかりだと思い込んでいた」と、当時アシスタント・エディターでドクター・ストレンジの原作を書いたこともあるロイ・トーマス(英語版)は1971年に語っている。「そういう人たちは、自分でもマッシュルームをキメて似たような体験をしていたからね。でも … 私は幻覚剤をやらないし、アーティストたちもやっていないと思うよ」 やがてリーとディッコは、ストレンジをいっそう抽象的な方向に押し進めることになる。『ストレンジ・テイルズ』第130号から146号まで(1965年3月 – 1966年7月)の17号にわたる壮大なストーリーで、リーとディッコは宇宙的な存在であるエターニティ(英語版)を登場させた。エターニティはこの世界そのものの化身であり、宇宙空間を輪郭で囲ったような姿を持つ。歴史家ブラッドフォード・W・ライトは以下のように説明する。 漫画家でファインアートも描いているセス(英語版)は、2003年にディッコの作風を次のように評した。「メインストリーム・コミックとしては異色だ。カービーの絵が圧倒的な迫力で少年の心をわしづかみにするのに対して、ディッコが描くのは繊細なカートゥーンだ。そこにはデザインの感覚があった。ディッコのデザインには華やかさがあるから、見ればすぐそれとわかる。丹念に描かれたディテールの豊かさはほとんどサイケデリックなほどだ」 ディテールが効いていて憂鬱と不安を感じさせるディッコ独特の画風はどの作品を描いていてもすぐに見分けがつき、読者から強く支持された。特にスパイダーマンというキャラクターは、苦労の多い私生活も併せて、ディッコ自身の志向とうまく噛み合った。スタン・リーも38号にわたってディッコと共作を行う中でそれを認めるようになり、後半の号ではプロット作成のクレジットを彼に譲った。しかし、ディッコは4年にわたってスパイダーマンを描き続けたところでマーベルを離れた。 そのころディッコとリーは会話を交わすことがなくなっており、作画や編集に関する要求は第三者を介していた。軋轢が生じた経緯はリーにも明らかではない。リーは2003年に「スティーヴとは結局一度も打ち解けたことがなかった」と述懐している。不和の原因はグリーンゴブリンの正体について意見が対立したためだという通説があるが、ディッコは後にそれを否定し、リーが契約を破ったためだと語った。 スタンは何も知らなかったからね。私がスパイダーマンのストーリーと表紙に何を描いているか。[プロダクション・マネージャーの]ソル・ブロツキーが原稿を持っていってようやく知るんだ。[その後でリーがセリフを作る。] … だから意見が合うも合わないも、やり取り自体がなかった。 … グリーンゴブリンだろうが何だろうが問題が起きるはずがない。[そういう制作体制だったのは]第25号より前から、私が辞める号までだ。
スパイダーマンの作画を引き継いだジョン・ロミータ・Srは、2010年に証言録取書(英語版)の中で「[リーとディッコは]共作などできない関係になった。ほとんどどんなことでも意見が合わなかったから。文化、社会、歴史、すべてにおいて。キャラクターの扱いについても…」という記憶を語っている。
1966年7月にマーベル社から発行されたコミックブックの "Bullpen Bulletins(英語版)"(読者欄)ではディッコに友情のこもった別れの言葉が贈られた。一例として『ファンタスティック・フォー』第52号では「スティーヴから個人的な理由で辞めると聞いた。長年一緒にやってきたのに残念だけど、次の取り組みでも成功するよう、才能あるスティーヴのために祈っているよ」と書かれた。
チャールトン・コミックスとDCコミックス後年引退以降">メインストリームからの引退以降私生活人物受賞
1963年、アリー賞アドベンチャー・ヒーロー・コミックブック部門 (The Amazing Spider-Man) 1963年、アリー賞ヒーロー部門 (Spider-Man) 1964年、アリー賞アドベンチャー・ヒーロー・コミックブック部門 (The Amazing Spider-Man) 1964年、アリー賞ジャイアント・コミック部門 (The Amazing Spider-Man Annual #1) 1964年、アリー賞ヒーロー部門 (Spider-Man) 1965年、アリー賞アドベンチャー・ヒーロー・コミックブック部門 (The Amazing Spider-Man) 1965年、アリー賞ヒーロー部門 (Spider-Man) 1985年、イーグル賞(英語版)ロール・オブ・オナー 1987年、コミコン・インターナショナルのインクポット賞 1990年、ハーベイ賞ジャック・カービーの殿堂に迎えられた。1994年にはアイズナー賞殿堂入り。 2015年、インクウェル賞ジョー・シノット殿堂入り。 2007年9月、ジョナサン・ロス(英語版)がホスト役を務める1時間のドキュメンタリー番組 In Search of Steve Ditko がBBC Fourから放映された。ディッコがマーベル、DC、チャールトンで描いた作品のほか、ウォーリー・ウッドの witzend への寄稿や、オブジェクティビズムへの傾倒が紹介され、アラン・ムーア、マーク・ミラー、ジェリー・ロビンソン(英語版)、スタン・リーらの証言も収録された。ロスは作家ニール・ゲイマンとともにニューヨークのオフィスにディッコを訪ねたが、撮影やインタビューは拒否された。しかしディッコは二人に貴重なコミックブックを提供した。番組の最後でロスはディッコと電話でも会話したことを明かし、ジョークとしてファーストネームで呼び合う仲になったと述べた。 特記しない限りペンシラーとしての作品である。ペン入れも自身で行うことが多いが、すべてではない。 マーベル・コミックス Strange Worlds #1–5 (1958–59) World of Fantasy #16–19 (1959) Journey into Mystery #33, 38, 50–96 (1956–63) Strange Tales #46, 50, 67–146(#110–111, 114–146はドクター・ストレンジ), Annual #2(ジャック・カービーのペンシルへのインキング)(1956–66) Tales of Suspense #1–49(#47–49はアイアンマン)(1959–64) Tales to Astonish #1–48, 60–67(#60–67はハルク、#61はジャイアントマン)(1959–65) Amazing Adventures #1–6 (1961) 以下に改題 The Incredible Hulk #2(ジャック・カービーのペンシルへのインキング), #6 (1962–63) The Amazing Spider-Man #1–38, Annual #1–2 (1963–66) The Fantastic Four #13(ジャック・カービーのペンシルへのインキング)(1963) Machine Man #10–19 (1979–81) Rom Spaceknight #59–75, Annual #4 (1984–86) The Avengers Annual #13, 15 (1984–86) Speedball #1–10 (1988–89) Marvel Super-Heroes vol. 2 #8(スクイレルガール初登場)(1992) Phantom 2040 #1–4 (The Phantom) (1995) Saban's Mighty Morphin Power Rangers #2, 4 (1995–96) DCコミックス Action Comics Weekly #642(ほかのアーティストとともに "Chapter II – The Decline" のペンシルを担当)(1989) Strange Adventures #188–189 (1966) Showcase #73(クリーパー初登場), #75(ホーク&ダブ初登場)(1968) Beware the Creeper #1–6 (1968–69) The Hawk and the Dove #1–2 (1968) Stalker #1–4 (1975–76) 1st Issue Special #7 (Creeper) (1975) Man-Bat #1 (1975) Shade, the Changing Man #1–8 (1977–78) World's Finest Comics #249–255(スクリプトと作画。クリーパーのシリーズ)(1978–79) Cancelled Comic Cavalcade #1–2(Showcase #106に掲載予定だったクリーパーのストーリーと、Shade, the Changing Man #9を収録)(1978) Detective Comics #483–485(ザ・デーモンのストーリー)(1979) Detective Comics #487(オッドマン初登場、Shade, the Changing Man #9に掲載予定だった作品)(1979) Legion of Super-Heroes vol. 2 #267, 268, 272, 274, 276, 281 (1980–81) Adventure Comics #467–478(スターマン)(1980) チャールトン・コミックス Space Adventures #33–40, 42(キャプテン・アトム)(1960–61) Gorgo #1–3, 11, 13–16, The Return of Gorgo #2–3 (1960–64) Konga #1, 3–15, Konga's Revenge #2 (1960–63) Captain Atom #78–89 (1965–67) Blue Beetle #1–5 (1967–68) Mysterious Suspense #1(クエスチョン)(1968) Ghostly Haunts, Ghostly Tales, The Many Ghosts of Doctor Graves(大半の号) ウォレン・パブリッシング Eerie #3–10 (1966–67) Creepy #9–16 (1966–67) インディペンデント出版社 witzend #3, 4, 6, 7 (Wallace Wood) (1967–69) Mr. A. (Comic Art Publishers) (1973) Avenging World (Bruce Hershenson) (1973)(2002年のAvenging World はこの作品を含む作品集) ...Wha..!? (Bruce Hershenson) (1975) Mr. A. (Bruce Hershenson) (1975) エース・コミックス What Is...the Face? #1–4 (1986–87) アトラス/シーボード The Destructor #1–4 (1975) Morlock 2001 #3 Tiger-Man #2, 3 スター*リーチ・プロダクションズ Imagine #4 (1978) レネゲイド・プレス Revolver #1–5 (1985–86) Ditko's World featuring...Static #1–3 (1986) Murder #1–3 (1986) ダークホース・コミックス The Safest Place... (1993) ファンタグラフィックス・ブックス Steve Ditko's Strange Avenging Tales #1 (1997) ロビン・スナイダー Ditko Package (1989) The Mocker (1990) Ditko Public Service Package (1991) The Ditko Package series: Steve Ditko's Static: Chapters 1 to 14 plus... (2000) Avenging World(1973年版の増補版)(2002) Mr. A.(1973年版の改訂版)(2010) Mr. A. #15(1990年ごろ発刊予定だったミスターAのシリーズの第1号に掲載予定だった2作品を収録)(2014) The 32-page series: The Four-Page Series #1–9(エッセイ作品)(2012–15) 『スパイダーマン』第1巻、光文社(1978年) 『マーヴルクロス』No.10、小学館プロダクション(1997年)ISBN-978-4796840903 『ベスト・オブ・スパイダーマン』、小学館集英社プロダクション(2012年)ISBN-978-4796871341 『スパイダーマン:ウィズ・グレート・パワー』、ヴィレッジブックス(2012年)ISBN-978-4864910200 『マーベルマスターワークス:アメイジング・スパイダーマン』、ヴィレッジブックス(2017年)ISBN-978-4864913423 『絶対無敵スクイレルガール:けものがフレンド』、ヴィレッジブックス(2017年)ISBN-978-4864913560 ^ Cartoonists and Illustrators School 、現School of Visual Arts ^ スタジオを持っていた時期は1958年から1966年 もしくは1968年(証言により異なる)までで、マンハッタン43丁目8番街に位置していた。 ^ en:100 Greatest Marvels of All Time ^ マイルストーン・コミックス(英語版)の同名キャラクターとは無関係である。 ^ アイン・ランドがオブジェクティビズム思想に基づいて書いた小説『肩をすくめるアトラス』の主要登場人物。 ^ Bell, Blake (2008). Strange and Stranger: The World of Steve Ditko. Seattle, Washington: Fantagraphics Books. p. 14. ISBN 1-56097-921-6 ^ Comics Buyer's Guide #1636 (December 2007) p. 135 ^ Bell, Strange and Stranger, Endnotes, p.1, citing 1920 and 1930 United States Census data. The family lists itself as Czechoslovakian in the latter census, following the dissolution of Austro-Hungarian Empire and the creation of Czechoslovakia in 1918. ^ Bell, Strange and Stranger, p. 15 ^ Bell, Strange and Stranger, p. 16 ^ Jerry Robinson interview, Alter Ego #38 (Aug. 2004), p. 9 ^ Bell, Strange and Stranger, p. 19 ^ Robinson, Jerry, "Student and Teacher", in Yoe, Craig, ed. The Art of Ditko (IDW Publishing, January 2010), ISBN 978-1-60010-542-5, p. 54 ^ Bell, Strange and Stranger, p. 20 ^ “Fantastic Fears #5”. Grand Comics Database. 2018年10月27日閲覧。 ^ Daring Love #1 at the Grand Comics Database ^ Theakston, Steve Ditko Reader, p. 3 (unnumbered) ^ Captain 3-D #1 (Dec. 1953) at the Grand Comics Database ^ Black Magic vol. 4, #3 [27] (Dec. 1953) at the Grand Comics Database ^ McAvennie, Michael (2010). “1960s”. 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SNAC IdRef アメリカ合衆国の漫画家 DCコミックス マーベル・コミックの人物 アイズナー賞殿堂入りの人物 スロバキア系アメリカ人 ペンシルベニア州カンブリア郡出身の人物 1927年生 2018年没 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク 2025/01/26 14:54更新
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