ターメル=スレッジの情報(TerrmelSledge) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ターメル=スレッジの情報まとめ
ターメル=スレッジ(Terrmel Sledge)さんの誕生日は1977年3月18日です。
引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。ターメル=スレッジの現在の年齢は47歳のようです。
ターメル=スレッジのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ターメル・スレッジ(Terrmel Sledge, 1977年3月18日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州フェイエットビル出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。愛称は「スレッジハンマー」。 カリフォルニア州グラナダヒルズのジョン・F・ケネディ高等学校を経て、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ進学した。 1998年のMLBドラフト45巡目(全体1330位)でシンシナティ・レッズに指名されるが契約せず。 1999年のMLBドラフト8巡目(全体245位)でシアトル・マリナーズに指名され契約。 2000年9月にトレードで、モントリオール・エクスポズへ移籍した。 2004年にエクスポズでメジャーデビューし、主に左翼手として133試合に出場して打率.269、15本塁打、62打点を記録。エクスポズがワシントンD.C.へ移転し、名称をワシントン・ナショナルズと改めた2005年は開幕戦でチーム第1号となる本塁打を放つ(4月4日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦の6回表)も、20試合の出場に留まった。 2005年12月8日にアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードで、ブラッド・ウィルカーソン、アーマンド・ガララーガと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した。2006年1月6日にはビリー・キリアン、アダム・イートン、大塚晶則とのトレードで、エイドリアン・ゴンザレス、クリス・ヤングと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。 2007年は100試合に出場して打率.210、7本塁打、23打点を記録した。チームメイトには後に埼玉西武ライオンズへ入団するヒラム・ボカチカがおり、ボカチカが右翼手、スレッジが左翼手で先発出場した試合もあった。 2007年12月4日、北海道日本ハムファイターズが退団したフェルナンド・セギノールに代わる主砲候補として獲得したことを発表した。背番号は10。 2008年の開幕直後は内野ゴロが多く、出塁も四球によるものが大半でなかなか打率が上がらなかったが、交流戦から徐々に調子を上げて日本の野球に順応していった。パンチ力を生かした鋭い打球を飛ばす打撃が持ち味で、得点圏打率.355(リーグ2位)という勝負強い打撃で大砲不在のチームで貴重な存在となった。4番・5番かつ指名打者での出場が多く、守備では主に左翼手として起用された。打率.289、16本塁打、69打点と一定の成績を残し、年俸1億3,500万円に出来高を加えた条件で再契約に合意した。 2009年は、首脳陣が打席の左右を交互に打順を組む「ジグザグ打線」を採用したことで、5番・指名打者に定着。4番には中距離打者の髙橋信二が座り、「つなぐ4番」として好機を演出しスレッジが返す流れが定着。5月17日のオリックス・バファローズ戦で走塁中に左太もも裏の肉離れを起こし登録を抹消されたが、最終的に計117試合に出場。打率は.266にとどまったが、共にチームトップの27本塁打(リーグ3位)、88打点(リーグ4位)と前年以上の好成績を残し、ポイントゲッターとしてチームのリーグ優勝に大きく貢献した。 同年のクライマックスシリーズ第2ステージでは球団初のCS進出を果たし、第1ステージを2連勝で突破し勢いに乗っていた東北楽天ゴールデンイーグルスを迎え撃った。第1戦で4-8と楽天にリードされた9回裏、1点を返して3点差の1死満塁で打席に立つと、福盛和男から放った打球がレフトスタンドへ吸い込まれる「3点差逆転サヨナラ満塁本塁打」となり、楽天の勢いを断ち切った。なおこの一打は2010年8月9日に2リーグ制移行60周年記念でNPBが現役選手と監督を対象に行った「史上最高の試合」「史上最高の名勝負・名場面」アンケートの「名勝負・名場面」部門で第1位に選ばれている。2勝1敗を王手をかけた第4戦では岩隈久志から3点本塁打を放ち、日本シリーズ進出を決めるなど、このシリーズ4試合で2本塁打10打点の大活躍をみせ、クライマックスシリーズMVPを獲得。 続く日本シリーズで、チームは読売ジャイアンツに敗れたものの、自身は本塁打を放つ意地をみせた。 しかしオフには「現状の1億3,500万円からの年俸アップ」、「複数年契約」を主張するスレッジ側と、将来の大砲として期待を寄せる中田翔を育成するため「半レギュラー状態での起用」、「現状維持の年俸」、「単年契約」を提示する球団側との間に開きがあり、保有権を喪失した12月1日に自由契約となった。日本ハムは自由契約となった後も引き続き交渉を行ったが、両者の主張は平行線を辿ったままであった。 その後、30本塁打前後を期待できる長打力をもつスレッジの獲得を希望する球団は複数現れ、ソフトバンクとの激しい競合の末に横浜ベイスターズが獲得。希望していた増額「1億8,000万円」、「2年契約」の評価を受け、2009年12月17日に入団が決まった。背番号は3。 2010年は、DH制のないセ・リーグにおいて守備は左翼手、打順は4番村田修一の後を打つ5番として定着。交流戦前には夫人の出産に立ち会うため一時帰国し、チームの低迷により9月23日をもって早々と自身のシーズンを終えるなど少ない出場ながらも、自己最多の28本塁打と78打点を記録。シーズン打率は.252で右投手に対し打率.215と不調だったが、左打者にもかかわらず左投手に対しては打率.311と相性が良かった。 2011年は、1試合3本塁打を2度記録するなど固め打ちが多かったが、1ヶ月以上本塁打が出ない時期もあり調子の波が激しいシーズンだった。8月21日に右脚付け根を痛め登録を抹消された。その後9月6日に再昇格したが、痛みが再発して4日後に再び抹消され、そのまま復帰することなくシーズンを終えた。96試合で20本塁打と少ない試合数ながらも長打力を発揮したが、球団がアレックス・ラミレスを獲得したこともあり、12月1日に戦力外通告を受け退団した。 2011年12月7日、古巣の日本ハムと契約することが発表され、3シーズンぶりに復帰することになった。背番号は再び10に決まった。日本ハム復帰を受け、「意識の高いチームに戻ることができて良かった」と述べた。 2012年は左翼手に中田、一塁手に稲葉が定着しているためDHでの出場、DH制のないセ・パ交流戦のセ・リーグ主催試合では代打での出場となった。主に7番打者を務め、5月22日のDeNA戦で全球団からの本塁打を達成するなど前半戦はチームに貢献していたが、6月19日に左膝の検査を受けるため帰国した。その後、6月30日に左大腿骨滑車溝に4度(重度)の軟骨損傷と遊離軟骨があると診断され、シーズン中の復帰の目処が立たなくなり、そのままシーズンを終えた。オフの11月5日に球団から戦力外通告を受け、現役を引退した。 2015年にシカゴ・カブス傘下のA-級ユージーン・エメラルズ(英語版)、2016年から3年間はロサンゼルス・ドジャース傘下のAA級タルサ・ドリラーズでそれぞれ打撃コーチを務めた。 2019年からはカブスの打撃コーチ補佐に就任。2シーズン務め、2020年限りでカブスを退団した。 2023年からはアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下AA級アマリロ・ソッドプードルズの打撃コーチを務めている。 長打力と勝負強さが武器のパワーヒッター。 元楽天監督の野村克也は、「スレッジは直球のみのバッターで、フォークだけ投げとけば大丈夫」「真っすぐしか打てないバッター」と評価している。 MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更 「ジョージア魂」賞:1回 (2010年度第8回) クライマックスシリーズMVP:1回 (2009年) 初出場・初先発出場:2008年3月20日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(札幌ドーム)、4番・一塁手で先発出場 初打席:同上、2回裏に小林宏之から投手ゴロ 初安打:2008年3月22日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(札幌ドーム)、2回裏に成瀬善久から右翼線二塁打 初本塁打・初打点:2008年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(クリネックススタジアム宮城)、1回表に田中将大から右越2ラン 初盗塁:2009年5月16日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、6回表に二盗(投手:小松聖、捕手:鈴木郁洋) 全球団から本塁打:2012年5月22日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(札幌ドーム)、3回裏に小林太志から右越満塁で達成 ※史上23人目 48(2004年) 18(2005年) 8(2006年 - 2007年) 10(2008年 - 2009年、2012年) 3(2010年 - 2011年) 1(2019年 - 2020年) 『スレッジハンマー』 / ピーター・ガブリエル 横浜時代に使用していた応援歌は、かつて在籍していたデーブ・ドスターの応援歌を流用(メロディのみ。歌詞は新たに作成)したものであるが、この曲はドスターの在籍時には一度も球場で使用されたことがなかった。その後2020年からはタイラー・オースティンに流用されている。 2010年の交流戦のみ、横浜時代の応援歌と日本ハム時代の応援歌が交互に演奏されていた(かけ声は横浜時代の「GO!GO! スレッジ」)。 ^ “史上初の快挙弾!叩きこんだ“スレッジ・ハンマー” - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年4月27日閲覧。 ^ 1、3、5、7番が左打者(田中賢介、稲葉篤紀、スレッジ、糸井嘉男)、2、4、6、8、9番が右打者(森本稀哲、髙橋信二、小谷野栄一、鶴岡慎也、金子誠) ^ 横浜:スレッジが”有終の美”となる右前安打/巨人戦から ^ “2012年度選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年12月1日). 2011年12月1日閲覧。 ^ 「スレッジ選手入団会見」『北海道日本ハムファイターズ』北海道日本ハムファイターズ、2012年2月9日。2021年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月6日閲覧。 ^ スレッジ選手一時帰国のお知らせ - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月18日 ^ スレッジ選手診断結果 - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月30日 ^ Jordan Bastian (2018年11月29日). “Source: Sledge to be Cubs' asst. hitting coach” (英語). MLB.com. 2019年3月25日閲覧。 ^ “Cubs, Terrmel Sledge Part Ways” (英語). MLB Trade Rumors. 2020年10月23日閲覧。 ^ “Tim Bogar Named Sod Poodles Manager”. MiLB.com (2024年1月8日). 2024年2月18日閲覧。 ^ “元日ハム・横浜のスレッジ氏がカブスの打撃コーチ補佐就任へ 公式サイトも有力と報じる”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2022年4月27日閲覧。 ^ “元日本ハムのスレッジ獲得内定/ベイスターズ | ベイスターズ”. カナロコ by 神奈川新聞. 2022年4月27日閲覧。 ^ 激励かと思ったら「辞めてください」 野村克也が語る楽天監督時代 dot.2013年10月14日 ^ 野村克也×二宮清純プロ野球ぶった斬り対談 楽天快進撃の秘密 vol.2デジタル大衆2013年9月24日 ^ 2012年選手登場曲.北海道日本ハムファイターズ.2016年11月11日閲覧。 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 横浜DeNAベイスターズの選手一覧 99.9-刑事専門弁護士- - 2010年3月31日に放ったサヨナラホームランが作中で取り上げられた。
個人年度別成績 T.スレッジ - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 2007 第1S:サブロー, 第2S:ダルビッシュ有 2008 涌井秀章 2009 T.スレッジ 2010 1st:里崎智也, Final:成瀬善久 2011 内川聖一 2012 糸井嘉男 2013 田中将大 2014 吉村裕基 2015 内川聖一 2016 中田翔 2017 内川聖一 2018 柳田悠岐 2019 今宮健太 2020 中村晃 2021 杉本裕太郎 2022 吉田正尚 2023 杉本裕太郎 2024 山川穂高 アメリカ合衆国の野球選手 アフリカ系アメリカ人の野球選手 在カナダ・アメリカ人の野球選手 在日外国人の野球選手 シンシナティ・レッズのドラフト指名選手 ロングビーチ州立大学出身の野球選手 シアトル・マリナーズのドラフト指名選手 モントリオール・エクスポズの選手 ワシントン・ナショナルズの選手 サンディエゴ・パドレスの選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 在日アメリカ人のスポーツ選手 アメリカ合衆国の野球指導者 シカゴ・カブス関連人物 韓国系アメリカ人の野球選手 ファイエットビル出身の人物 1977年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/12/01 07:58更新
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