ドミンゴ=マルティネスの情報(DomingoMartinez) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ドミンゴ=マルティネスの情報まとめ
ドミンゴ=マルティネス(Domingo Martinez)さんの誕生日は1967年8月4日です。
去年の情報もありました。ドミンゴ=マルティネスの現在の年齢は57歳のようです。
ドミンゴ=マルティネスのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ドミンゴ・エミリオ・マルティネス・ラフォンタイン(Domingo Emilio Martínez Lafontaine、1965年8月4日 - )は、ドミニカ共和国・サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 愛称は「マルちゃん」。西武時代は、年齢を2歳若くサバ読みしていた。 2006年から中日ドラゴンズの外国人選手のスカウトを担当している。 1996年12月18日に新外国人として西武ライオンズへの入団が発表された。背番号は60・年俸8,000万円の1年契約で、同年限りで巨人にFA移籍した清原和博に代わって中軸を打てる選手と期待された。 開幕戦こそ無安打だったものの、第2戦には初本塁打を放つ。幸先のいいスタートを切ったかに見えたが、キャンプ・オープン戦でも不安視されていた守備面を気にしすぎたあまり打撃に影響が出てしまい、4月27日には平凡なフライを落球したことによって、以後優勝が決まるまですべて指名打者での出場となった。しかし、4月下旬にマルティネスの妻子が来日し、ポジションも「5番・指名打者」に固定されると自慢の打力が目を覚まし、勝負強い打撃でチームを牽引した。「マルちゃん」のニックネームをつけられてチームの人気者となり、打席に入ると観客席から「マルちゃん」コールが入っていた。1997年には指名打者として3割30本100打点を達成してベストナインに選出されている。同年の日本シリーズでは、当時共にクリーンナップを打っていた髙木大成、鈴木健と守れるポジションが重なり、左翼手を守ることも検討されたが、あまりの守備のひどさに西武首脳陣は断念したという。翌1998年はほぼすべての試合に指名打者で出場。守備についたのは、9月8日の試合のみであった(総力戦となって捕手が足りなくなり、一塁手の髙木大成が捕手に回ったことによって、指名打者を外して一塁手についたもの)。同年の日本シリーズでは、DH制の無い第1、2、6戦では、すべて代打での出場であった。シリーズ終了後、2年連続で30本塁打、90打点以上の成績を残しのにもかかわらず、走れない、守れない、そしてチームを若返りさせることを理由に同年11月24日西武を解雇された。しかし、マルティネスの退団以降、西武は入団する外国人選手の不振が続き、2000年に入団したトニー・フェルナンデスは打率こそ.327を記録したが本塁打は11本と長打が期待できず、2001年のアレックス・カブレラ、スコット・マクレーンの入団まで長距離打者不在に悩まされた。 普段は温厚な性格だが、1998年5月19日の日本ハム戦(東京ドーム)において、芝草宇宙からデッドボールを受けると激昂して芝草に突進して乱闘を起こし、暴力行為で退場処分を受けている。これはマルティネスが打席に入る前に、日本ハムベンチにいたジェリー・ブルックスとナイジェル・ウィルソンから「今度は(死球)行くぞ」「ぶつけろ」という内容の野次を英語で浴びせられ、本当に死球を受けたことで感情が一気にたかぶったとされており、この試合後に監督の東尾修は「普段おとなしくて温厚なマルちゃんがあれだけ怒るんだから、ひどいことを言われたんだよ」とコメントしている。車を持っていなかったため、ホームゲームでは西武ライオンズ球場に西武鉄道を使い電車通勤をしていた。 好調時と不調時のフォームをビデオで熱心に見比べており、当時西武の打撃コーチだった土井正博は「こんな研究熱心な外国人選手は珍しい」と語っていた。 西武退団後の翌1999年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーしていたが、打線の迫力不足に悩んでいた巨人がシーズン途中の5月27日に獲得を発表し、6月4日に入団会見が行われた(同年の巨人は、当初「純国産打線」を方針に掲げていたため、外国人野手は一切獲得していなかった)。入団当初は代打で7打席無安打と不振が続いたものの、同年6月19日の対阪神戦(東京ドーム)にレフトでスタメン起用されると、ダレル・メイから2打席連続本塁打を放つなど大活躍。これをきっかけに、同年は不振と故障に喘いだ清原に代わって4番・ファーストに入ることも多かった。このレフトでのスタメン起用については、試合前に長嶋監督の直感で急に決まったものであり、試合前の練習機会もない起用であった。また、メジャー・マイナーを通じて外野は2試合しか守ったことがなかった。 7月10日の対広島戦で満塁の場面で左翼ポール際の本塁打かファウルかという大飛球を打った際に、本塁ベース上で小首を傾げ、右手をまるで招き猫のようなポーズをとって打球の行方を見ていた。そして本塁打と判定され、ヘルメットがずり落ちるほどにガッツポーズをとった。このシーンはよく同年の珍プレーで題材にもなった。また、その場面が写った野球カードもある。 2000年も前半負傷の清原の穴を埋めミレニアム打線の5番打者として定着、6月終了時点で17本塁打を放っていたが、清原が復帰すると間もなくベンチ要員となり、自身も下降線を辿って7月以降の本塁打は0であった。同年のオールスターゲームにファン投票で初選出されるも、出場を辞退。翌2001年は清原の復活に伴って出場機会が減り、オフに契約年数が切れたため退団した。 再度アメリカ球界を経て、2006年から中日ドラゴンズの外国人スカウトに就任した。西武時代にコーチだった森繁和の要望でもあった。森も中日コーチになってからはドミニカに渡って外国人選手の調査などしており、マルティネスが加わったことで現地出身の選手を多く輩出している。なお、森がチームを一旦去った2012年と2013年も、マルティネスは中日に残ってスカウトを続けており、実際に2012年オフにドミニカ出身のエクトル・ルナを獲得している。 山田哲人の幼少期の憧れは巨人時代のマルティネスだったとされる。 巨人時代は清原とのレギュラー争いを各マスコミが煽ったが、マルティネスは「私は代打でもいいし、清原選手が代打で、自分がスタメンでもいい。それは監督が考えて使うこと」「個人の記録は関係ない。優勝のために全力を尽くすだけ」と大人の対応をしていた。 スカウトに就任してからはトニ・ブランコ、エクトル・ルナといった有望な選手を発掘しており、「日本のプロ野球の練習は本当にきつい。ドミニカ人が適応するにはメンタルの強さが必要だ。そういう選手を探し出している」という言葉を残している。 2019年4月にフルカウントのインタビューに応じ、「日本最終年の2001年以来行っていないんだ。機会があれば是非また行きたいね」と語っている。日本に居た時代にすごいと思った投手は上原浩治、西口文也、工藤公康、すごいと思った打者は鈴木健、松井秀喜、高橋由伸、江藤智、前田智徳、緒方孝市の名前を挙げている。 ベストナイン:1回 (1997年) 月間MVP:1回(1997年5月) 初出場・初先発出場:1997年4月5日、対福岡ダイエーホークス1回戦(西武ライオンズ球場)、5番・一塁手として先発出場 初安打・初本塁打・初打点:1997年4月8日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(西武ライオンズ球場)、9回裏に星野伸之からソロ 100本塁打:2001年8月11日、対ヤクルトスワローズ21回戦(東京ドーム)、4回裏に藤井秀悟から左中間へ決勝ソロ ※史上215人目 19 (1992年) 5 (1993年) 60 (1997年 - 1998年) 48 (1999年 - 2001年) ^ https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180926-10 ^ 『朝日新聞』1996年12月19日東京朝刊第14版第一スポーツ面25頁「プロ野球短信 西武が新外国人を発表」(朝日新聞東京本社) ^ https://2689web.com/1998/LB/LB19.html ^ “【5月19日】1998年(平10) 温厚マルちゃんが激高!スキンヘッドツインズが挑発”. sponichi.co.jp. スポニチ Sponichi Annex (2008年5月13日). 2020年5月12日閲覧。 ^ 『週刊プロ野球データファイル』2012年59号、ベースボール・マガジン社、P20 ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=martin002dom ^ 読売新聞1999年6月20日19面 ^ 『ベースボール・レコード・ブック2001』(ベースボール・マガジン社 2000年12月)862p ^ 中日躍進の陰に『マルちゃん』あり?森ヘッドの"中南米ルート"開拓の裏に意外な人物 ベースボールキング 荒川和夫(2016年5月16日) ^ 中溝康隆 (2015年7月13日). “山田哲人 NPB史上初の本塁打王&盗塁王の同時獲得なるか?”. BASEBALL KING. 2015年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月16日閲覧。 ^ 中溝康隆 (2018年9月26日). “ドミンゴ・マルティネス 西武と巨人で清原和博との不思議な因縁に翻弄された男/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】”. 週刊ベースボールONLINE. 2019年12月15日閲覧。 ^ 中島大輔 (2013年6月2日). “ブランコ、ルナを日本球界に送り込んだのは元西武マルちゃん”. NEWSポストセブン. 2013年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月27日閲覧。 ^ 日本で104発の「マルちゃん」が「すごいパワー」と驚いた日本人強打者は?| Full-Count 埼玉西武ライオンズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧 - マルティネスは第67代目の4番打者である。 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 個人年度別成績 マルティネス - NPB.jp 日本野球機構 【巨人 豪華助っ人集】"D.マルティネス"愛された「マルちゃん」 - YouTube(DRAMATIC BASEBALL) 表 話 編 歴 1975 長池徳二 1976 大田卓司 1977 高井保弘 1978 土井正博 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 門田博光 1982 T.ソレイタ 1983 門田博光 1984 L.リー 1985 L.リー 1986 石嶺和彦 1987 石嶺和彦 1988 門田博光 1989 門田博光 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 T.ニール 1996 T.ニール 1997 D.マルティネス 1998 N.ウィルソン 1999 P.クラーク 2000 N.ウィルソン 2001 F.ボーリック 2002 和田一浩 2003 A.カブレラ 2004 F.セギノール 2005 松中信彦 2006 F.セギノール 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 山﨑武司 2010 福浦和也 2011 J.フェルナンデス 2012 W.ペーニャ 2013 M.アブレイユ 2014 中村剛也 2015 李大浩 2016 大谷翔平 2017 A.デスパイネ 2018 近藤健介 2019 A.デスパイネ 2020 栗山巧 2021 近藤健介 2022 吉田正尚 2023 G.ポランコ ドミニカ共和国の野球選手 トロント・ブルージェイズの選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 中日ドラゴンズ関連人物 在アメリカ合衆国ドミニカ共和国人の野球選手 在日外国人の野球選手 在日ドミニカ共和国人 サントドミンゴ出身の人物 1965年生 存命人物 2024/11/20 19:28更新
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