ネイサン=ミンチーの情報(NathanMinchey) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
ネイサン=ミンチーの情報まとめ
ネイサン=ミンチー(Nathan Minchey)さんの誕生日は1969年8月31日です。
引退、趣味に関する情報もありますね。ネイサン=ミンチーの現在の年齢は55歳のようです。
ネイサン=ミンチーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ネイサン・デレク・ミンチー(Nathan Derek Minchey, 1969年8月31日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身の元プロ野球選手(投手)。 NPBでは1998年 - 2000年に広島東洋カープ(セントラル・リーグ)で、2001年 - 2004年に千葉ロッテマリーンズ(パシフィック・リーグ)でプレー。NPBでは7年間で通算187試合に登板(すべて先発)して74勝70敗を記録した(2桁勝利は計5回)。特に、ロッテ時代の2001年には最優秀防御率のタイトルを獲得している。 アメリカ球界での登録名は「ネイト・ミンチー」(Nate Minchey)。2009年から読売ジャイアンツ(巨人)の駐米スカウトを務めており、そちらでのカナ表記は「ネート・ミンチー」となっている。 1987年のMLBドラフト2巡目でモントリオール・エクスポズに指名され契約。1993年9月12日にボストン・レッドソックスでメジャーデビュー。 1997年に移籍したコロラド・ロッキーズを経て、1998年にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の広島東洋カープに入団。来日1年目から中4日で登板し、同年のセ・リーグ最多先発登板(35試合)・リーグ最多投球回(236イニング)を記録して15勝11敗・防御率2.75の成績を残した。球速は速くないが身長2メートル超の高身長からくりだす多彩な変化球と制球力を武器に、先発ローテーションの中心選手として活躍した。 監督が三村敏之から達川晃豊に交代した1999年は、セ・リーグ開幕戦となった4月2日の対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)で開幕投手を務めたが、立浪和義に決勝打を浴びて敗戦投手となった。同年は故障離脱の影響で不振(17試合登板・2勝9敗・防御率5.77)に終わる。 2000年、6月に月間MVPを受賞するなどチーム最多の12勝を挙げて復活。しかしオフの契約交渉で年俸の高騰や、中4日登板をすることによって他の先発投手の編成が難しかった事もあり契約は不調に終わり退団する。 2001年、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の千葉ロッテマリーンズに移籍。30試合に登板し(12勝14敗・204.1投球回)、防御率3.26で最優秀防御率のタイトルを獲得、パ・リーグで外国人投手として最優秀防御率を獲得したのは初である。また、史上初の外国人投手セ・パ両リーグ2桁勝利を達成。 2002年、5月24日のオリックス・ブルーウェーブ戦(千葉マリンスタジアム)で完封勝利を挙げ、外国人投手としては西田亨以来2人目となるセ・パ両リーグでの完封勝利を達成した。同年は32試合で先発登板(パ・リーグ最多の230.1投球回を記録)して15勝14敗・防御率2.85の成績を残した。 2003年は30試合に登板(192.1投球回)して14勝9敗・防御率4.54の成績を残した。チームの絶対的エースとして君臨していたが、2004年に山本功児に代わり、ボビー・バレンタインがロッテの監督に就任すると、中4日登板を主張するミンチーと、それを認めないバレンタインの意見が衝突。中5日 - 6日登板となると投球内容が悪く、それと重なり怪我で6月半ばに離脱。7月に右肘の遊離軟骨除去手術を受け、そのまま一軍には復帰できず、12試合で4勝3敗、防御率5.70の成績に終わる。シーズン終了後の10月27日にロッテを退団。同年オフにパ・リーグに新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルス(田尾安志監督)が獲得を検討し、入団交渉を行ったが、入団には至らず、同年限りで現役を引退した。 引退後、2007年から2008年までクリーブランド・インディアンスの日本担当スカウトを務め、2009年1月13日に読売ジャイアンツ(巨人)の駐米スカウトに就任。 日本球界時代の球速は140km/hと当時としても決して速い部類ではなかったが、直球は打者の手元で微妙に動き、大きなカーブにチェンジアップ、決め球のシンカーと多彩な変化球を持ち、何よりコーナーを丹念に突く制球力には定評があった。投球は殆どが変化球で組み立てられていた。 日本球界時代にシーズン最多投球回数を2回記録するなど、スタミナにも定評があったが、ワーカーホリック傾向のある性格が裏目に出てロッテ時代はバレンタインとの衝突を招いた。 レッドソックス時代から引退まで配球と結果、打者への対策をメモ帳に書き留めていた。 ロッテ時代はインターネット普及開始期であったが、当時からパソコンを趣味としており、遠征先のホテルではEメールを使って母国の自分の子供と文字や画像によりコミュニケーションを取っていた。 現役当時から引退後のスカウト就任を希望しており、引退後はその願いが叶うこととなった。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回(2001年) 月間MVP:1回(2000年6月) 初登板・初先発・初完投:1998年4月4日、対中日ドラゴンズ2回戦(広島市民球場)、9回2失点で敗戦投手 初奪三振:同上、2回表に関川浩一から空振り三振 初勝利:1998年4月15日、対横浜ベイスターズ2回戦(広島市民球場)、6回2失点 初完投勝利・初完封勝利:1998年5月3日、対阪神タイガース4回戦(広島市民球場) 初安打・初打点:1998年7月7日、対読売ジャイアンツ13回戦(札幌市円山球場)、2回表に桑田真澄から二塁適時内野安打 1000投球回:2003年5月26日、対オリックス・ブルーウェーブ9回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表1死目に葛城育郎を右飛で達成 ※史上292人目 初登板から連続試合先発:187試合 ※NPB歴代2位 ※外国人記録 オールスターゲーム出場:2回 (1998年、2003年) 57(1993年 - 1994年) 58(1996年) 47(1997年) 43(1998年 - 2004年) ^ “セ・パ両リーグで活躍した外国人には誰がいる?”. 週刊ベースボールONLINE (2020年3月28日). 2020年7月12日閲覧。 ^ “ロッテのミンチーが史上2人目「両リーグ制覇」【2002年5月24日】”. 週刊ベースボールONLINE (2018年5月24日). 2020年7月12日閲覧。 ^ 「楽天ミンチー獲り!すでに交渉中」『スポーツ報知』報知新聞社、2004年11月16日。オリジナルの2004年12月6日時点におけるアーカイブ。 ^ 超人的なスタミナを誇った203センチ右腕ミンチーのワーカーホリック問題とは/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 週刊ベースボールONLINE 2020年11月7日(土) 11:02 (2022年7月7日閲覧) テキサス州出身人物の一覧 メジャーリーグベースボールの選手一覧 M 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国 広島東洋カープの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube 個人年度別成績 N.ミンチー - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 柚木進 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 宅和本司 1955 中川隆 1956 稲尾和久 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保田治 1963 久保征弘 1964 妻島芳郎 1965 三浦清弘 1966 稲尾和久 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 木樽正明 1970 佐藤道郎 1971 山田久志 1972 清俊彦 1973 米田哲也 1974 佐藤道郎 1975 村田兆治 1976 村田兆治 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山口哲治 1980 木田勇 1981 岡部憲章 1982 高橋里志 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 工藤公康 1986 佐藤義則 1987 工藤公康 1988 河野博文 1989 村田兆治 1990 野茂英雄 1991 渡辺智男 1992 赤堀元之 1993 工藤公康 1994 新谷博 1995 伊良部秀輝 1996 伊良部秀輝 1997 小宮山悟 1998 金村暁 1999 工藤公康 2000 戎信行 2001 N.ミンチー 2002 金田政彦 2003 斉藤和巳, 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 石川歩 2017 菊池雄星 2018 岸孝之 2019 山本由伸 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 L.モイネロ 表 話 編 歴 1950 榎原好 1951 星野武男 1952 野村武史 1953 野村武史 1954 清水宏員 1955 荒巻淳 1956 荒巻淳 1957 植村義信 1958 荒巻淳 1959 荒巻淳 1960 小野正一 1961 小野正一 1962 坂井勝二 1963 小野正一 1964 堀本律雄 1965 小山正明 1966 妻島芳郎 1967 小山正明 1968 坂井勝二 1969 坂井勝二 1970 木樽正明 1971 木樽正明 1972 成田文男 1973 木樽正明 1974 成田文男 1975 村田兆治 1976 村田兆治 1977 村田兆治 1978 村田兆治 1979 村田兆治 1980 村田兆治 1981 村田兆治 1982 村田兆治 1983 水谷則博 1984 水谷則博 1985 深沢恵雄 1986 村田兆治 1987 村田兆治 1988 村田兆治 1989 村田兆治 1990 村田兆治 1991 小宮山悟 1992 小宮山悟 1993 小宮山悟 1994 小宮山悟 1995 伊良部秀輝 1996 園川一美 1997 小宮山悟 1998 小宮山悟 1999 黒木知宏 2000 黒木知宏 2001 黒木知宏 2002 N.ミンチー 2003 N.ミンチー 2004 清水直行 2005 清水直行 2006 久保康友 2007 清水直行 2008 小林宏之 2009 清水直行 2010 成瀬善久 2011 成瀬善久 2012 成瀬善久 2013 成瀬善久 2014 成瀬善久 2015 涌井秀章 2016 涌井秀章 2017 涌井秀章 2018 涌井秀章 2019 石川歩 2020 石川歩 2021 二木康太 2022 石川歩 2023 小島和哉 2024 小島和哉 表 話 編 歴 1950 内藤幸三 1951 杉浦竜太郎 1952 大田垣喜夫 1953 長谷川良平 1954 長谷川良平 1955 長谷川良平 1956 長谷川良平 1957 長谷川良平 1958 長谷川良平 1959 備前喜夫 1960 備前喜夫 1961 河村英文 1962 大石清 1963 大石清 1964 池田英俊 1965 大石清 1966 池田英俊 1967 安仁屋宗八 1968 大石弥太郎 1969 安仁屋宗八 1970 外木場義郎 1971 大石弥太郎 1972 白石静生 1973 外木場義郎 1974 佐伯和司 1975 外木場義郎 1976 外木場義郎 1977 外木場義郎 1978 高橋里志 1979 福士明夫 1980 池谷公二郎 1981 池谷公二郎 1982 北別府学 1983 北別府学 1984 北別府学 1985 大野豊 1986 北別府学 1987 北別府学 1988 北別府学 1989 北別府学 1990 大野豊 1991 長冨浩志 1992 川口和久 1993 北別府学 1994 北別府学 1995 佐々岡真司 1996 大野豊 1997 山内泰幸 1998 大野豊 1999 N.ミンチー 2000 佐々岡真司 2001 佐々岡真司 2002 佐々岡真司 2003 黒田博樹 2004 黒田博樹 2005 黒田博樹 2006 黒田博樹 2007 黒田博樹 2008 大竹寛 2009 C.ルイス 2010 前田健太 2011 前田健太 2012 前田健太 2013 B.バリントン 2014 前田健太 2015 前田健太 2016 K.ジョンソン 2017 K.ジョンソン 2018 野村祐輔 2019 大瀬良大地 2020 大瀬良大地 2021 大瀬良大地 2022 大瀬良大地 2023 大瀬良大地 2024 九里亜蓮 アメリカ合衆国の野球選手 ボストン・レッドソックスの選手 コロラド・ロッキーズの選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 最優秀防御率 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 クリーブランド・インディアンス関連人物 読売ジャイアンツ関連人物 オースティン出身の人物 1969年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/19 13:19更新
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Nathan Minchey
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