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ノア=ウェブスターの情報 (NoahWebster)
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ノア=ウェブスターの情報(NoahWebster) 辞書編纂者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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ノア=ウェブスターさんについて調べます

■名前・氏名
ノア=ウェブスター
(読み:Noah Webster)
■職業
辞書編纂者
■ノア=ウェブスターの誕生日・生年月日
1758年10月16日 (年齢1843年没)
寅年(とら年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
不明

ノア=ウェブスターと同じ1758年生まれの有名人・芸能人

ノア=ウェブスターと同じ10月16日生まれの有名人・芸能人

ノア=ウェブスターと同じ出身地の人


ノア=ウェブスターの情報まとめ

もしもしロボ

ノア=ウェブスター(Noah Webster)さんの誕生日は1758年10月16日です。

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卒業、結婚、家族、趣味に関する情報もありますね。1843年に亡くなられているようです。

ノア=ウェブスターのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ノア・ウェブスター・ジュニア(Noah Webster Jr., 1758年10月16日 - 1843年5月28日)は、アメリカの辞書編纂者、教科書編集者、綴り字改革運動家、政治評論家、編集者、著述家。ウェブスターが著した綴字教本、通称『ブルーバックド・スペラー』は、およそ一世紀の間、アメリカの子女に読み書きを教えるのに用いられた。史上初の本格的米語辞書『アメリカ語辞典』(1828年初版)の編纂者であり、アメリカで単に「ウェブスター」といえば「辞書」と同義である。

ノア・ウェブスター・ジュニアは、1758年10月16日、ハートフォードの西部地区(後のウエストハートフォード)の良家に生まれた。父ノア・シニア(1722年 - 1813年)、母マーシー(1727年 - 1794年)の第4子。父ノアは農業を主として営んでいたが、地区の会衆派教会の助祭、独立戦争時は自警軍の隊長を務め、地区の読書会(のちに公共図書館の母体となる)の呼びかけ人でもあった。アメリカの独立後、治安判事に任命されている。

父ノアは大学に籍を置いたことはなかったが、知的好奇心を有し、教育を重視した。母マーシーは子供たちの教育に時間を注ぎ、言葉の綴り方、数学、音楽を教えた。6才になったウェブスターは、ウエストハートフォードの教会が運営する、教室が一つきりの老朽化した学校に通い始めた。後年、そこの教師たちを「人間として小さい」と述懐、指導内容が主として宗教的なものであったことに不満を表した。ウェブスターのここでの経験は、将来世代が経験するであろう教育を改善しなければならないという動機となった。

14才になると、教会の牧師はウェブスターをイェール・カレッジに入学させるためのラテン語と古代ギリシア語の教授を始めた。ウェブスターは16才の誕生日の直前にイェールに入学し、最終学年を学長エズラ・スタイルズ(英語版)の元で学んだ。ウェブスターがイェールで学んだ4年はアメリカ独立戦争と時期が重なっており、食料の不足とイギリス軍の侵攻の恐れから、授業の多くを他の町で行わざるをえなかった。

ウェブスターは1779年にイェールを卒業したが、その語の進路の準備を何もしていなかった。父ノア・シニアは息子の学費のために農場を抵当に入れていたが、大学卒業後も生活力を身につけることができない息子に対して勘当同然の措置をとり、これがノア・ジュニアに強い挫折感を味合わせた。その後グラストンベリーの学校で短期間教師を務めたが、仕事の厳しさと給料の安さからこれをやめた。続いて最高裁判所長官オリバー・エルスワースの元で法学を学びながらハートフォードでフルタイムの教師を務めた――が、これは無理が多く、最終的に断念した。ウェブスターは一年で法律の勉強を止め、うつ状態になったが、1780年にふたたび法学の習得を志し、リッチフィールドの弁護士タッピング・リーヴの私塾に通って1781年4月に司法試験に合格した。しかし戦争がまだ続いていたため、法律家としての仕事を得ることができなかった。

1781年春、コネチカットの西部に小規模な私立学校を開き、軌道に乗せることに成功した。またこの間、ウェブスターはイェールの卒業生向けの制度を利用して修士号を取得している。しかし、この時期に失恋したためであろうか、ウェブスターは間もなくその学校を閉めて町を去った。

このころ、ジョン・ピーター・テタードという牧師から、フランス語とフランス啓蒙思想を学び、特にジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』『エミール、または教育について』の影響を強く受けた。1781年のヨークタウンの戦いで独立戦争が実質的に終結し、アメリカ国内の関心がそれまで棚上げされていた政治や社会の問題へと向かったころ、それらについてウェブスターはラディカルなビジョンを持っていた。

1782年、ウェブスターははじめて公の政治評論の場に意見を投じる。当時ニューヨークやフィラデルフィアのホイッグ党は、フランスとの協調を断ってイギリス本国との関係を修復せよという主張を盛んにしていたが、ウェブスターはニュー・イングランド規模の有力紙である『ニューヨーク・パケット』紙に寄せた論説でこれを退け、ヨーロッパ諸国に対してアメリカの独立性を保つことの意義を強調した。しかしこの時点でのウェブスターによる主張は、ウェブスターのいう意義をいかにして形にするかというプランを伴ってはいなかった。

その後ニューヨーク州ゴーシェンの富裕層の子弟を対象とする私立学校を始めた。学校の経営は苦しく、法律家としての仕事も見つけることができなかった。そしてついにウェブスターは、既存の英語の教科書に対する不満からまったく新しい教科書を書こうと思い立つ。このとき、イェール時代からの友人の一人で新鋭の作家であったジョエル・バーロウ(英語版)は、ウェブスターの企画を強く支持しつつ、海賊版が横行する未来についても警告した。当時のアメリカではどの州にも著作権法が存在していなかった。ウェブスターは連邦各州での著作権法の成立を目指して活動した。1783年、コネチカット州において著作権法が成立したのに合わせ、ウェブスターは『英語文法の原理』と題した三部から成る英語教科書の第一部、スペラーの出版を開始した。スペラーの初版5,000部は一年を待たずに完売したと伝えられている。のちに『ブルーバックド・スペラー』と通称されるこの教科書からの収益は、ウェブスターが名高い辞書を書き上げるのに要した長い年月を支えることになる。(→教科書『英語文法の原理』)

教科書執筆に並行して、ウェブスターは講演や手紙を通じて各州の議会に著作権法の成立を働きかけた。1785年に第三部リーダーを刊行したのち、教科書の営業と各州における著作権法の成立の推進をかねて南部を旅した。この旅行中に、ジョージ・ワシントン、ジェイムズ・マディソン、ジョン・アダムズ、トマス・ペイン、ベンジャミン・フランクリンなどといった有力者たちの知遇を得ている。著作権法は1786年までに合衆国13州のうちデラウェア州を除く12州で成立した。

こうしたウェブスターの活動の間に、アメリカ=イギリス間でパリ条約(1783年)が結ばれ、独立戦争は終結した。その後、制定された憲法をめぐって連邦主義をとる一派とこれに反する一派が対立すると、ウェブスターは前者の支持者としてペンをふるった。1787年10月、ウェブスターは『合衆国憲法における主要原理の考察』と題するパンフレットを「アメリカの一市民」というペンネームの元に発行した。連邦主義を擁護するメディアが限られていたこの時期、ウェブスターのパンフレットは、ニューハンプシャー州などむしろニューヨーク州外において拡散した。

1789年1月、ウェブスターは、アメリカの改革を志向する雑誌『アメリカン・マガジン』をニューヨークで創刊した。この雑誌は連邦政府を支持し、アメリカの独自性を強く打ち出したものであったが、商業的には成功せず、同年10月に廃刊となった。雑誌編集のかたわら、自身の英語論をとりまとめた『英語論集』を出版したが、これも不振に終わり、借金だけが残った。この論文集において、ウェブスターははじめて綴字改革に対する自身の立場を言明した。

『アメリカン・マガジン』廃刊の直後、ウェブスターはボストンの上流家庭の娘レベッカ・グリーンリーフと結婚したが、しかしウェブスターの収入では、レベッカとの瀟洒な生活を支えるのは困難であり、結婚当初はレベッカの兄ジェイムズの援助に頼った。ウェブスターは、レベッカの実家の助言を受け入れて法律家として生計を立てることに専念し、1790年にはハートフォードで弁護士として安定した収入を得ることができるようになっていた。

1793年から二期目の大統領を務めることになったジョージ・ワシントンは、おおむね財務長官アレクサンダー・ハミルトンの政策を好み、国務長官トーマス・ジェファーソンの政策を退けがちであった。1793年2月、フランスがイギリスに宣戦布告すると、その対応をめぐるハミルトンとジェファーソンの対立は、ハミルトンら連邦党対ジェファーソンら民主共和党という全国的な構図に発展した。アメリカの政治の特徴である二大政党制の最初の形である。

メディアを駆使して政府批判を拡散する民主共和党に対し、連邦党を代弁する機関紙の必要を感じていたワシントンの支持者たちは、その編集者としてウェブスターに白羽の矢を立てた。自己の資金を持たないウェブスターに、ハミルトンを含む10余名の連邦党の有力者が各自150ドルを貸与した。1793年秋にニューヨークに移ったウェブスターは、直後、偶然にフランス大使「市民ジュネ」ことエドモン=シャルル・ジュネ(英語版)と同宿することになる。ジュネとその随伴員たちは、ウェブスターとの会談の中でアメリカの首脳部を攻撃し、ウェブスターはこれに応戦した。この一件は、それまでフランス革命に好意的であったウェブスターに見解の転換を強いることになった。

同年12月9日、ニューヨーク初の日刊紙『アメリカン・ミネルヴァ』(のちの『コマーシャル・アドバタイザー』)の発行を開始、続いて1794年6月に準週刊紙『ヘラルド』(のちの『ニューヨーク・スペクテイター』)を創刊した。ウェブスターは連邦党の代弁者としてワシントンや第2代大統領ジョン・アダムズの政治を擁護した。特に両政権の外交方針である英仏関係に対する中立の維持を擁護し、暴走するフランス革命とその恐怖政治を批判した。そして1794年にアメリカとイギリスとの間に結ばれたジェイ条約を擁護したことで、ウェブスターは民主共和党の支持者から「軽佻浮薄の自称愛国者」「不治の狂人」「嘘八百新聞屋にして……衒学屋にして偽医師」と繰り返し糾弾されることになる。

論客としてのウェブスターのエゴが次第に肥大していったのは多くの伝記作家の指摘するところである。人々にその驕慢を忌まれ、ウェブスターは影響力を失っていった。1798年4月、『ミネルヴァ』の購読数が落ち込む中、自説が受容されないのを自覚したウェブスターはニュー・ヘイヴンへと去った。しかしこれ以後も、生涯にわたり、パンフレットの出版や新聞雑誌への寄稿を通じて政治社会への意見表明を続けた。

ウェブスターはアメリカ芸術科学アカデミーのフェローに1799年に選出されている。また普通選挙には強く反対する意見を表明していたが、選挙人によって、1800年から1807年まで断続的にコネティカット州下院議員に選ばれている。第3代大統領に民主共和党からジェファーソンが選ばれたのを境目に連邦党の勢力は衰え、その支持者であったウェブスターの国政への影響力もまた失われていった。

1800年から私選辞書の編纂に取り組んでいたウェブスターは、1806年、『簡約英語辞典』を出版した。出版の後もウェブスターは辞書の編纂に情熱を傾け、それが1828年の『アメリカ語辞典』として結実する。(→辞典)

1808年、家族の誘いによって第二次大覚醒運動の集会に参加したノア・ウェブスターは、これに大きな衝撃を受け、最終的にカルヴァン主義正統派に転向した。これ以降、宗教的な思索がウェブスターの活動において重要な一部となる。(→信仰)

『ブルーバックド・スペラー』の印税収入は相当な額に達していたが、辞書編纂のための高額な資料の購入費用などそれを上回る支出があり、ウェブスターの家計は安定したものではなかった。1812年、生活費を抑えるためにマサチューセッツ州アマーストに移る。ここではアマースト・カレッジの設立に協力した。

1822年にニューヘイヴンに戻り、翌年、イェール・カレッジから名誉学士号を授与される。ウェブスターはニューヘイヴンで辞書の執筆に専念したが、やがて外国に所在する文献の調査の必要に迫られたウェブスターは、1824年、ヨーロッパへ渡航した。パリに6週間滞在したのちイギリスのケンブリッジに向かい、ここで1825年1月、辞書を脱稿した。

1827年にアメリカ哲学協会のメンバーに選ばれ、その翌年、『アメリカ語辞典』を出版した。その後、辞書の改訂作業を進めるかたわら聖書の改訂をも試み、1833年に『コモン・バージョン』と題して出版した。

1843年5月24日、ノア・ウェブスターはニューヘイヴンの自宅で倒れた。雪の中を外出し、それが原因となって肺炎をこじらせたものと医者は診断した。そのまま快復せず、28日に家族に見守れられながら没した。その最後の言葉は「私は神の御こころに完全に従うものです」だったという。グローヴ・ストリート墓地に埋葬された。

ウェブスターは教師時代の1783年から1785年にかけ、3冊からなる英語の教科書『英語文法の原理』を出版した。これは綴字法を教えるスペラー(1783年出版)、文法を教えるグラマー(1784年出版)、読解を教えるリーダー(1785年出版)の三部構成となっている。このうちスペラーを、青い表紙で装丁されていたことから『ブルーバックド・スペラー』と呼びならす。

当時のアメリカの植民地人には英語を第一言語としない者も多く、英語を用いる場合でも、スペリングや発音、語法にかなりの差異があったため、ウェブスターはこれの標準化を期した。しかしそれを果たす役割をになうべき初等学校の状態を、ウェブスターは自身の生徒としての実体験から好ましくない状態にあると考え、その改革を急務と判断していた。建物は破損しており、学校の教師は職にあぶれた取るに足りない男女の仕事であり、まともな教科書もなかった。ことに英語の教科書については、大人になったウェブスターが教鞭をとるようになってからも、イギリス人であるトマス・ディルワース(英語版)による教科書が圧倒的なシェアを有していた。

理想郷としてのアメリカを現実のものとするために、ウェブスターはイギリスから文化的に独立することの必要を感じていた。そこで英語教育をどう改善するかという点について、ウェブスターがもっとも重視したのは「我らの生来の言葉」を英語の文法と発音をとりまく「衒学趣味の詭弁」から救い出すことだった。ウェブスターは英語の現状について、イギリスの上流階級が彼ら独自の基準によってスペリングと発音を定めた、退廃した状態にあるという不満を抱いていた。

この教科書でウェブスターが打ち出した、国民の言語の特性をもって国の形を整えるという理念は、ドイツの言語学者ヨハン・ダーフィット・ミヒャエリスに影響を受けている。ミヒャエリスは、ピエール=ルイ・モーペルテュイ、ヨハン・ヘルダーらとともに、ドイツの国民性の統一に言語の果たすべき役割を強調した。アメリカ人をアメリカ人として教育しなければならないという命題に対し、ミヒャエリスに強く惹かれたウェブスターが出した答えが、言語教育に用いる教科書の整備だった。

スペラーはウェブスターの生涯の間に少なくとも404版を重ね、題名は1787年に『アメリカ綴字教本』へ、さらに1829年には『エレメンタリー綴字教本』へと変更されている。総発行部数は一億部を下らないと見積もられており、聖書をのぞけば、18世紀から19世紀のアメリカにおいてもっとも読まれた本だったと考えられている。ウェブスターの教科書が与えた影響の大きさから、ウェブスターは「アメリカの学校長」と呼ばれるようになった。

教科書として生徒への教えやすさを配慮し、学齢に応じて学習内容が進行するように調整されている。ウェブスターは、自分自身の教師としての経験から、スペラーは簡潔であるべきであり、単語が秩序だって提示され、スペリングと発音の規則性が示されるべきであると考えた。生徒がもっとも迅速に学習するためには、複合的な問題を個々の問題に分解し、各生徒が一つの問題をマスターする都度次の問題に取り掛かれるようにするべきであるという信念を持っていた。この点、ウェブスターには現代でいうジャン・ピアジェの認知発達論に通じる先見性があった。ウェブスターは、児童は順を追って学習を重ねることによって、より一層複雑かつ抽象的な課程に習熟していくものであると述べ、この理論に基づき、スペラーの構成にあたってまずアルファベットからはじめ、次に母音と子音の音の種類、次に音節、次に単純な単語、次に複雑な単語、そして文章へと、系統的に移行するようにした。

たとえば、先行するトマス・ディルワースによる教科書『英語の新しい手引書』は、単語を頭文字別・文字数別にグループ分けし、「age, all, ape, are」「babe, beef, best, bold」といった具合に提示しているが、ウェブスターは音韻別にグループ分けし、Lesson I では「bug, dug, hug, lug, mug, tug」を教え、Lesson XII ではスペリングの不規則性を回収しつつ「be, pea, sea, tea, flea, key」を教示している。

また、課目に対する教師の理解を深めて教育の効果を高めるのを目的とし、教師を対象する指導要綱を掲載したはじめての教科書でもあった。

子音 c が k と同様の硬音となるのは、a, o, u, l, r の前に置かれているときと、単語の最後に置かれているときである。cat, cord, cup, cloth, crop, public などがある。しかし常に s と同様の軟音になるのは e, i, y の前に置かれているときである。cellar, civil, cypress などがある。

g が常に硬音となるのは gat, got, gum のように a, o, u の前に置かれているときである。

この教科書の序文において、ウェブスターは英語の文法の学習に先行してラテン語・ギリシャ語を学ばなければならないという考え方を却下し、口語の用法にもとづく実例主義をとった。文法とは用法を観察した結果を「こうである」と述べるものであって、「こうあるべきである」と述べるものではないというウェブスターの考え方は、18世紀後半においては珍しいものだった。ウェブスターは共和という政体にあってその立法に国民の主権が採られるのならば、それに伴い、言語には国民の語法が採られなければならないと論じた。

こうしてアメリカの独自性を力強く主張する一方で、スペリングの範としてサミュエル・ジョンソンの辞典をとったと書いている。実際、初版のスペラーにおける綴字改定はおとなしいものだった。たとえば、ウェブスターによるスペリングの改定の事跡として後々まで影響を与えている「colour」の「u」の省略は、この版では導入されていない。時代が下るにつれ、ウェブスターはスペリングをより発音に即した形に変更していった。ウェブスターが選んだスペリングとして「defense」「color」「traveler」の他、「center」のような「re」を「er」に変えるものがある。他にもウェブスターは「tongue」を古いスペリングである「tung」に変えたが、しかしこれは普及しなかった。

スペラーには読み上げや書き取りの練習用の例文が大量に掲載されている。この例文を分析することで、ウェブスターの教科書が広く用いられたアメリカの初等教育がどのようなものであったか考察することが可能である。先行する教科書『ニューイングランド・プリマー』と比べたとき、ウェブスターのスペラーはキリスト教的道徳を説く文章が少なく、社会や共同体にかかる共和国としての規範について触れるものが多い。ここにアメリカの教科書における公民科の萌芽を見ることができる。アメリカの地名をふんだんに盛りこんだことは、郷土の地理と歴史への理解を深めた。他面、経済について触れたものは少なく、この点から、アメリカの初等教育において経済観念の育成がないがしろにされたという見方をすることもできる。

グラマーである第二部の序文においてもウェブスターはスペラーで示した方針を強調し、ラテン語を文法の基礎に置くことを否定した。しかしその本文においてアメリカの口語にもとづいた新しい文法は提起されておらず、むしろ旧守な面が見られる。たとえば、ウェブスターは「you was」を you が個人であるかぎり正しいとし、「what is the news」を正しくないとした。

グラマーが18世紀の権威であるロバート・ロウスの A Short Introduction to Grammar を下敷きにして書かれていることは、ウェブスター自身も公言している。しかし1878年にホーン・トゥックが The Diversions of Purley を出版して英語の起源をラテン語でなくアングロ・サクソン語に求めるべきであることを主張すると、ウェブスターはその正しさを信じ、ロウスを否定するようになった。

結局のところ、ウェブスターのグラマーはスペラーと違って普及せず、1800年ごろにはほとんど見られなくなった。グラマーの市場は、1795年にリンドレー・マレー(英語版)が編纂した English Grammar, Adapted to the Different Classes of Learners が独占することになった。

リーダーである第三部は、精神を高めると同時に「美徳と愛国心の原理を広める」ようにデザインされた。ウェブスターはプルタルコス、シェイクスピア、スウィフト、アディソンといった一般的な題材の他に、ジョエル・バーロウの『コロンブスの幻想』、ティモシー・ドワイト(英語版)の『カナンの征服』、ジョン・トランブル(英語版)の詩作『マクフィンガル』といったイェールの知己でもあるアメリカの書き手も採用し、その普及において影響力を発揮した。トマス・ペインが耐えがたき諸法について述べた『危機』誌掲載の論説や、トマス・デイが独立宣言を下敷きに奴隷制廃止を訴えた論説といった、政治的な文章も取り上げている。

フランシス・ジュリアナ(1793年 – 1869年)。チョーンシー・アレン・グッドリッチと結婚。チョーンシー・グッドリッチはウェブスターの生前からその辞書編纂にかかわり、死後はメリアム=ウェブスターの雇用の下に辞書の改訂にあたった。

ハリエット(1797年 – 1844年)。ウィリアム・チョーンシー・ファウラーと結婚

    ハリエットの長女エミリー・エルスワースをノア・ウェブスターは溺愛した。エミリーはアマースト・アカデミーにおける詩人エミリー・ディキンソンの学友であり、自身も詩作をよくした。のちに祖父の手稿などを整理した。

    メアリー(1799年 – 1819年)。博士ロバート・サウスゲートとその妻メアリー・キングの子ホレイショ・サウスゲート(1781年-1864年)と結婚。早逝したメアリーの同名の子に対して、ウェブスターは実子と同等の扱いで遺産を分配した。

    ウィリアム・グリーンリーフ(1801年 – 1869年)。事実上唯一の男児。『辞典』の編纂の助手を務め、ウェブスターのヨーロッパ遊学にも同行した。

    エリザ・スティール(1803年 – 1888年)。牧師ヘンリー・ジョーンズ(1801年-1878年)と結婚

    ヘンリー・ブラッドフォード(1806年 – 1807年)。幼没。

    ルイーザ・グリーンリーフ(1808年 - 1874年)。精神的な問題から終生家族の扶養の下にあった。

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