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ハインリッヒ=オルバースの情報 (HeinrichWilhelmOlbers)
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ハインリッヒ=オルバースさんについて調べます

■名前・氏名
ハインリッヒ=オルバース
(読み:Heinrich Wilhelm Olbers)
■職業
天文学者
■ハインリッヒ=オルバースの誕生日・生年月日
1758年10月11日 (年齢1840年没)
寅年(とら年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
不明

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ハインリッヒ=オルバースの情報まとめ

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ハインリッヒ=オルバース(Heinrich Wilhelm Olbers)さんの誕生日は1758年10月11日です。

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結婚、再婚、現在に関する情報もありますね。1840年に亡くなられているようです。

ハインリッヒ=オルバースのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ハインリヒ・ヴィルヘルム・マティアス・オルバース(Heinrich Wilhelm Matthias Olbers, 1758年10月11日 - 1840年3月2日)は、18〜19世紀ドイツ・ブレーメンの天文学者・医師。 天文台などに属さないアマチュア天文学者であったが、本業の医業のかたわら熱心に観測を行い、19世紀初頭に四大小惑星のうちの2つを発見した。特に彗星に興味を持ち、当時のドイツの彗星観測の権威ともみなされていた。また、かつて宇宙論上の長年の謎であったオルバースのパラドックスに名を残していることでも知られる。

3番目の名マティアスをマテーウス (Matthäus, /maˈtɛː.ʊs/) とする文献もある。通常はヴィルヘルム・オルバースと呼ばれた。カナ書きでの姓はオルベルスとも書かれる。

ヴィルヘルム・オルバースは、ともにルーテル派牧師の家系をもつヨハン・ゲオルク・オルバース (Johann Georg Olbers, 1716–1772) とアンナ・マリア・オルバース(旧姓フォクト) (Anna Maria Vogt, 1728–1798) との間の16人の子の8番目として、1758年10月11日、ブレーメン郊外のアーバーゲン (Arbergen) に生まれた。1760年、父ヨハン・ゲオルクはブレーメンの大聖堂牧師となり、ヴィルヘルムもそこで成長した。

1769年、10歳のときに長く尾を伸ばした大彗星(メシエ彗星、英語版:C/1769 P1)を見たことがきっかけでオルバースは天文学への興味を開花させたが、当時のギムナジウムでは数学・科学がほとんど教えられることなく、天文学について知るために独学でそれらを学ぶしかなかった。 1777年よりゲッティンゲン大学で医学を学び始め、それとともに、物理学者リヒテンベルク、そしてゲッティンゲンの小さな天文台を運用していたケストナー (英語版:Abraham Gotthelf Kästner) から数学・物理学や天文学を学んだ。 1779年には、発見されたばかりの彗星(ボーデ彗星、C/1779 A1)の軌道を計算しようと、病床の友人に付き添うかたわらで計算をすすめ、観測値から放物線軌道を決定する新たな方法を作り出した。翌1780年には、彼自身で独立に彗星を発見した(モンテーニュ=オルバース彗星、C/1780 U1, 1780 II)。

医学においても、数学の応用の問題に傾注した。1780年の学位論文「変異性眼球について」(De oculi mutittionibus) では、眼球の変形による焦点の変移に眼がどう適応するかを論じていた。 学位取得後はウィーンで研修を行うとともに、夜は天文台で過ごし、発見直後の天王星を追跡するなどした。 1781年、ブレーメンで開業医となった。 医師としてのオルバースは、眼科医としてとともに、メスメリズム(動物磁気療法)に傾倒し、磁気や催眠を利用して疾患を治療できるとして、ブレーメンの他の2人の医師とともに患者を受け入れた。 メスメリズムは、1770年代にウィーンの医師メスマー(メスメル)が提唱したばかりのものだった。後の催眠療法のもとともなったが、その機序や有効性に関して当時から多くの議論を呼び起こしていた。 オルバースはその有効性を認めつつ、特別な力を仮定せずに説明できるようになるだろうと論じた。

オルバースは1785年、ドロテア・エリザベート・ケーネ(Dorothea Elisabeth Köhne, 1767–1786)と結婚したが、翌年、娘マリア・ドロテア(通称ドリス)(Maria Dorothea [Doris] Olbers, 1786–1818) の出産後にドロテア・エリザベートは亡くなった。1789年、アンナ・アーデルハイト・リュアセン (Anna Adelheid Lürssen, 1765–1820) と再婚し、1790年に息子ゲオルク・ハインリヒ (独語版:Georg Heinrich Olbers, 1790–1861) をもうけた。

医師となった当初は多忙となったが、その後、ブレーメン近郊リリエンタール (英語版:Lilienthal) にヨーロッパで最大級の私設天文台リリエンタール天文台を有し、リリエンタールの執政官でもあった天文学者シュレーターと親交を深め、以後長年に渡って協力し合った。 学生時代に編み出していた彗星の放物線軌道の決定法は、それまで用いられていた方法より簡明で、フォン・ツァッハの手引きで1797年になって公刊された。これはオルバースの名声を高め、この方法は以降20世紀まで広く用いられるものとなった。

1799年には、ブレーメン聖ペトリ大聖堂のそば、ザント通り (Sandstraße) にあった自宅上階の2つの大きな出窓を改造して、口径約10センチメートルのドロンド製屈折望遠鏡やシュレーターの反射望遠鏡、六分儀などを備えた観測施設とした。 睡眠時間を削って観測を行い、毎日4時間以上寝ることはなかったという。

オルバースは一連の小惑星の探索を通じて、シュレーター、フォン・ツァッハのほか、当時20代の青年で、後に天文学者としてだけでなく数学者としても名声を馳せるカール・フリードリヒ・ガウスとも親密な交流を持つことになった。オルバースの観測からガウスが軌道計算を行い、またガウスの予測からオルバースが観測を行うという相互の関係が続いた。 シューマハー、ハーディング、エンケといった同時代のドイツの天文学者とも交流を持ち、特に、1804年、20歳そこそこのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルがハレー彗星の改良された軌道計算結果をオルバースに送ったときには、彼の卓越した数学的才能を見出だし、学術界に紹介するとともに貿易商社の徒弟であった彼にリリエンタール天文台の助手の地位を手配した。

1784年にはブレーメン博物館協会 (Bremer Museumsgesellschaft) の会員に選ばれ、1789年から1831年まで理事を務めた。ここでは天文学や気象などに関する多数の講演を行った(医学に関する講演は1度きりだった)。 1804年には、ロンドンの王立協会フェローにも選出された。 ブレーメンがナポレオンの占領下となった1811年には、ブレーメンの代表としてパリを訪ねた。

1818年、娘ドリスが早世し、1820年には二番目の妻アンナ・アーデルハイトも亡くなった。自身の健康上の理由もあってオルバースはこのとき医者を廃業したが、天文学の研究は継続した。

オルバースは胸部の疾患のため、1840年3月2日、81歳で死去した。 息子ゲオルク・ハインリヒ・オルバースはブレーメンの議員を務めた。 曽孫にあたるヴィルヘルム・オルバース・フォッケ (英語版:Wilhelm Olbers Focke, 1834–1922) はキセニアの概念を提唱した植物学者である。 オルバースが遺した蔵書のコレクションは天文学に関して当時のヨーロッパで最大級のものであった。オルバースの死後、ロシア・サンクトペテルブルク郊外に新設されたプルコヴォ天文台のフォン・シュトルーベに買い取られたが、第二次世界大戦と1997年の放火により大きな損傷を受けた。

オルバースを顕彰し、ブレーメン旧城壁沿いの公園ヴァルアンラーゲン (独語版:Wallanlagen) にはオルバースの記念像があり、現在ブレーメン市の一部となっている生地アーバーゲンにはオルバース通り (Olbersstraße) がある。 オルバースの名は、その功績を称えて、小惑星や月のクレーターにも付けられている。

(1002) オルバーシア (小惑星):火星と木星の間の小惑星帯にある小惑星

オルバース (クレーター):月の西の周縁、嵐の大洋の西端に位置するクレーター

オルバース・レジオ:小惑星ベスタにある直径200kmのアルベドが低い地域

1781年にウィリアム・ハーシェルによって新たな惑星である天王星が発見され、地球以外の惑星は古代から知られた5つだけではないことが明らかとなった。 特に、19世紀初頭までにはティティウス=ボーデの法則を論拠として、軌道の開いた火星と木星の間には未発見の惑星があるという推測がなされ、フォン・ツァッハ、シュレーターらによって天空の警察 (独語版:de:Himmelspolizey) と呼ばれた組織的な探索も開始されていた。 これは黄道帯を24の領域に分割し各地の天文台で分担して捜索するという前例のない国際的プロジェクトだった。 オルバースもこの探索プロジェクトにおいて重要な役割を果たした。

はたして、1801年初頭にシチリアのピアッツィが新天体ケレス (小惑星符号: (1) Ceres) を発見した。 ただしこれは惑星探索と別に発見されたもので、当初ピアッツィはそれを彗星と考えた。 しかし、すぐにその動きが円に近い軌道にふさわしいものだと判明した。 短い期間の観測記録からガウスが導いた位置予測を元に、1801年12月になってフォン・ツァッハとオルバースが太陽の反対側を巡ってきたケレスをそれぞれ再発見し、ケレスが4.6年の公転周期で太陽を周回し、予測されていた火星と木星の間の軌道を持つ天体であることが確かめられた。 オルバースらがガウスの軌道計算の手法の正しさを証明したことは、ガウスの名声を高めることとなった。

それからわずか数か月後の1802年3月28日にこのケレスを探索していたオルバースは、偶然にも近くに記録にない星を見出だし、時間とともにそれがわずかに移動していることを確認した。 驚くべきことにガウスによって求められたこの天体の軌道はケレスとよく似ていた。軌道面の傾きと離心率こそ大きかったが、ほぼ同じ軌道長半径を持ち、よって火星と木星の軌道の間をほぼ同じ4.6年で公転していた。 この新たな天体は、パラス ((2) Pallas) と名付けられた。

ケレスとパラスの発見は、単なる新惑星の発見を超えて、太陽系の起源と歴史、そして未来に関する興奮した議論を天文学者たちにもたらした。 オルバースは、すぐさまこれらがかつて存在した中規模サイズの単一の惑星が何からの原因で破壊されたものとの説を提唱した。 ウィリアム・ハーシェルに宛てた手紙の中で、

と記している。 オルバースが同様の可能性に触れた手紙に返信して、ガウスは1802年5月18日にこの仮説のもつ重要な含意について注意を向けさせている。

Ergänzungsband. Neue Reduktionen, 1899. (Internet Archive).(別冊 新たな要約)

Zweiter Band. Briefwechsel zwischen Olbers und Gauss. Erste Abtheilung, 1900. (Internet Archive).(第2巻 オルバースとガウスの間の書簡 第1集)

Zweiter Band. Briefwechsel zwischen Olbers und Gauss. Zweite Abtheilung, 1909. (Internet Archive).(第2巻 オルバースとガウスの間の書簡 第2集)

18世紀生まれの天文学者

^ ガウスの手法の新規性は3つの観測結果から楕円軌道を求めることができたことにあった。しばしばガウスによるケレスの軌道計算において、ガウスがそれ以前に開拓していた最小二乗法を用いたとされることがあるが、ガウスの計算内容の分析はそれに否定的である。

^ 同じ頃にはすでに物理学者フット(独語版:de:Johann Sigismund Gottfried Huth)が新たな小天体は他の惑星と同じ程度に古く別々に形成されたものだと主張していた。フットはその場合もやはりさらなる小天体が存在するだろうとした。

^ 日本語では、asteroidとより広い対象を含むminor planetとをともに小惑星と訳している。2006年、IAUはケレスをその形状に基づいて準惑星だとする決議を採択し、IAUの定義上ではこれら小天体を統べる簡明な呼称が失われているが、現在もasteroidの呼称を用いる文献も多い。

^ Watson, Albert D. (1910). “Olbers: the Greatest of Amateur Astronomers”. Journal of the Royal Astronomical Society of Canada 4: 271–281.  (ADS)

^ 山本一清「偉大なアマチュア オルバース」『48人の天文家』恒星社厚生閣、1959年。 (科学図書館)。

^ “Olbers, Heinrich Wilhelm Matthäus”. Encyclopedia.com. The Columbia Encyclopedia, 6th ed. (2001年). 2020年7月21日閲覧。

^ Hermes-Wladarsch, Maria (2016). "Kurze Lebensbeschreibung Olbers'". Der Nachlass von Heinrich Wilhelm Matthias Olbers (1758 – 1840) in der Staats- und Universitätsbibliothek Bremen (Report) (ドイツ語). Staats- und Universitätsbibliothek Bremen.

^ Multhauf, Lettie S. (2020年7月15日). “Olbers, Heinrich Wilhelm Matthias”. Encyclopedia.com. Complete Dictionary of Scientific Biography, Cengage. 2020年7月17日閲覧。

^ 原文献:Schilling, C., ed (1894). “Ueber die leichteste und bequemste Methode, die Bahn eines Kometen zu berechnen” (ドイツ語). Wilhelm Olbers, sein Leben und seine Werke. Erster Band. Gesammelte Werke. Verlag von Julius Springer. pp. 1– 

^ ウィキソース出典 “Olbers, Heinrich Wilhelm Matthias” (英語), Encyclopædia Britannica (11th ed.), Cambridge University Press, (1911), ウィキソースより閲覧。 

^ 植村栄治「天体の軌道計算の発展に関する考察―1797年〜1818年を中心に」『軌道決定法から見た超短周期彗星発見の歴史』(博士(学術)論文・文化科学研究科文化科学専攻)放送大学、2018年。http://id.nii.ac.jp/1146/00008484/。 

^ “Heinrich Wilhelm Matthias Olbers (1758–1840)”. Nature 145: 341–342. (1940). doi:10.1038/145341c0. 

^ O’Connor, J.J.; E.F. Robertson (1997年). “Friedrich Wilhelm Bessel”. MacTutor History of Mathematics Archive. 2020年7月15日閲覧。

^ Oestmann, Günther (ドイツ語), Die Geschicke der Bibliothek von Wilhelm Olbers, https://www.researchgate.net/publication/265466200_Die_Geschicke_der_Bibliothek_von_Wilhelm_Olbers  in Neue Welten. Wilhelm Olbers und die Naturwissenschaften um 1800. Braunschweig. (2001). ISBN 9783927939608 

^ “Ceres: Keeping Well-Guarded Secrets for 215 Years”. Lunar and Planetary Institute (2016年1月29日). 2020年7月16日閲覧。

^ Moltenbrey, Michael (2015). Dawn of Small Worlds: Dwarf Planets, Asteroids, Comets. Springer-Verlag. p. 195. ISBN 9783319230023 

^ Peebles, Curtis (2000). “Discovery of the Asteroids”. Asteroids: A History. Smithsonian Institution Press. ISBN 9781560983897 

^ Cunningham, Clifford (2016). Early investigation of Ceres and the Discovery of Pallas (2nd ed.). Springer-Verlag. p. 101. ISBN 9783319288130 

^ 原文献:Schilling, C., ed (1900) (ドイツ語). Wilhelm Olbers, sein Leben und seine Werke. Zweiter Band. Briefwechsel zwischen Olbers und Gauss. Erste Abtheilung. Verlag von Julius Springer. p. 42 

^ Hughs, David W. (1997). “Only the first four asteroids”. Journal of the British Astronomical Association 107: 211–213.  (ADS).

^ “Asteroid Belt: Facts & Formation”. Space.com (2017年5月5日). 2020年7月18日閲覧。

^ 原文献:Olbers (1823). “Ueber die Durchsichtigkeit des Weltraums” (ドイツ語). Astronomisches Jahrbuch für das Jahr 1826 (Berlin: C. F. E. Späthen): 110–121. https://archive.org/details/bub_gb__2clAQAAIAAJ. 

^ エドワード・ハリソン『夜空はなぜ暗い?―オルバースのパラドックスと宇宙論の変遷』長沢工(監訳)、地人書館、2004年。ISBN 9784805207505。  (原書: Harrison, Edward (1987). Darkness at Night: A Riddle of the Universe. Cambridge, MA: Harvard University Press )

^ 津村耕司『宇宙はなぜ「暗い」のか?』ベレ出版、2017年。ISBN 9784860645014。 

^ 原文献:Loÿs de Cheseaux, J. P. (1744) (フランス語). Traité de la Comète qui a paru en Décembre 1743 & en Janvier, Février & Mars 1744. Laussanne & Genève: Marc-Michel Bousquet & Compagnie. pp. 223–229. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9614524x 

^ Jaki, Stanley L. (1970). “New light on Olbers's dependence on Chéseaux”. Journal for the History of Astronomy 1: 53–55. doi:10.1177/002182867000100107. 

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      ヴィルヘルム・オルバース

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2024/11/23 12:13更新

Heinrich Wilhelm Olbers


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