ロブソン=ポンテの情報(RobsonPonte) サッカー選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ロブソン=ポンテさんについて調べます
■名前・氏名 |
ロブソン=ポンテの情報まとめ
ロブソン=ポンテ(Robson Ponte)さんの誕生日は1976年11月6日です。
引退に関する情報もありますね。ロブソン=ポンテの現在の年齢は48歳のようです。
ロブソン=ポンテのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ロブソン・ポンテ(Robson Ponte、1976年11月6日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。現ポルティモネンセSC・テクニカルディレクター。 2007年にJリーグ最優秀選手賞を受賞。 1996年、地元のサッカークラブ・CAジュベントスでプロ選手としてデビューした。グアラニFCを経てドイツのバイエル・レバークーゼンへ移籍。入団当初はあまり活躍できず、2001年にVfLヴォルフスブルクにレンタルされた。そこでの活躍が認められ、2003年にレバークーゼンへ復帰した。2004年にレバークーゼンの一員としてUEFAチャンピオンズリーグに出場した。当時のチームメイトにはドイツ代表のシュナイダー、ブルガリア代表のベルバトフ、後に柏レイソルへ移籍することとなるフランサらがいた。グループリーグではレアル・マドリードと対戦して3-0で勝利した。 その後、当時浦和レッズの監督だったギド・ブッフバルトに口説かれ2005年7月、浦和に加入。Jリーグ公式戦初出場となった2005年8月20日のFC東京戦で初ゴールを決めた。2006年のJリーグ最終節では優勝を争うガンバ大阪との直接対決となり、レッズは勝つか引き分ければ優勝が決まる条件の中、ガンバに先制を許すが、前半27分に同点ゴールを決め、更に44分のワシントンの逆転ゴールをアシストし3-2での勝利に貢献、レッズに初のJリーグ優勝をもたらした。 2007年にはAFCチャンピオンズリーグに出場し、5得点を挙げ浦和の優勝に貢献。リーグ戦では7得点12アシストの活躍で2007年JリーグMVPに選ばれた。 2007年12月1日に行われた横浜FC戦において負傷をし途中交代。診断結果が右膝前十字靭帯損傷だった為、12月5日にブラジルへ帰国した(14日に手術を受け成功)。この負傷の影響でFIFAクラブワールドカップ2007へ出場することは出来なかった。 2008年5月31日のナビスコカップ予選リーグ第5節、対ヴィッセル神戸戦で復帰したが、7月5日に行われたJリーグ第15節、対FC東京戦で肉離れを発症し1ヶ月ほど離脱した。 2009年は主に5人の中盤のトップ下や右サイドでプレー。試合展開によってはボランチにポジションを下げる事もあった。 2010年は一時期、6月の契約満了をもって退団という報道がされていた が、シーズン開始から好調を維持していたためシーズン終了まで契約を延長した。その後も負傷で離脱した時期以外は好調を維持し、ゴールやアシストで、勝利に貢献していたが、11月19日、契約満了を持って2010シーズン限りで退団する事が発表された。11月23日の横浜F・マリノス戦で2ゴールを決めて勝利に貢献、この日決めた2点目のゴールが浦和での最後のゴールとなった。この年は浦和在籍中で最多の9ゴールを決めた。 浦和退団後は住み慣れた埼玉での現役続行を目指し、代理人を通じて大宮アルディージャとコンタクトを取った が、最終的にはブラジルでの現役続行を表明し、2011年5月にグレミオ・バルエリへの入団が発表され、同年10月をもって退団し、現役を引退した。 引退後、兄が運営する建設会社の手伝いを行っていた。2013年5月11日にJリーグ20thアニバーサリーマッチにレジェンドプレイヤーとして、2014年7月5日には山田暢久の引退試合に参加するため、来日した。 2016年12月、選手時代に代理人を務めたテオドロ・フォンセカに誘われ、セグンダ・リーガ(ポルトガル2部)のポルティモネンセSCのテクニカルディレクターに就任した。 2017年7月15日、かつてのチームメイトであった鈴木啓太の引退試合出場のため、来日した。 イタリア移民の家系であるためイタリア国籍も持っている。ポンテ(Ponte)という姓はイタリア語で橋の意味。 浦和在籍中、強豪クラブの幹部からは「ポンテになら5億円支払っても惜しくはない」と言われる程に評価が高かった。 ポルティモネンセのGM兼副会長に就任してからは、浦和とポルティモネンセとのコネクションが強まり、マウリシオ(2017年)、ファブリシオ(2018年)、エヴェルトン(2019年)とポルティモネンセから浦和へブラジル人助っ人が加入している。また中島翔哉の在籍時にはクラブGMとして度々日本のニュースにも登場していた。 1995年 - 1996年 CAジュベントス 1997年 アメリカFC 1998年 - 1999年 グアラニFC 1999年 - 2005年6月 バイヤー・レバークーゼン
2005年7月 - 2010年 浦和レッズ 2011年5月 - 同年10月 グレミオ・バルエリ Jリーグ初出場・初得点 2005年8月20日 J1 第19節 vsFC東京 (埼玉スタジアム2002) その他の公式戦 2006年
2007年
その他の国際公式戦 2007年
J1リーグ:1回(2006年) 天皇杯全日本サッカー選手権大会:2回(2005年、2006年) FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2006年) AFCチャンピオンズリーグ:1回(2007年) Jリーグ最優秀選手賞:1回(2007年) Jリーグベストイレブン:1回(2007年) ^ “ポンテ”. j-league. http://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=8536 17 April 2020閲覧。 ^ “2006Jリーグ ディビジョン1 第34節”. j-league. http://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=9488 17 April 2020閲覧。 ^ 浦和ポンテ退団へ、若手台頭で戦力外に nikkansports.com 2009年12月20日付 ^ 浦和ポンテ「サポーターのために」契約更新 Sponichi Annex 2010年5月15日付 ^ ロブソン・ポンテとの契約について URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE 2010年11月19日付 ^ “2010Jリーグ ディビジョン1 第32節”. j-league. http://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=12827 17 April 2020閲覧。 ^ 大宮「(ポンテ選手には)まだオファーは出していません」(岡本GM) エル・ゴラッソ web版 2010年12月8日付 ^ 元浦和・ポンテ、母国ブラジルで現役続行 sanspo.com 2011年01月27日付 ^ ポルティモネンセSC (2016年12月1日). “ROBSON PONTE É O NOVO DIRETOR TÉCNICO DA PORTIMONENSE FUTEBOL SAD”. 2017年7月1日閲覧。 ^ ポンテMVP&来年1月挙式!浦和中盤仕切りアジアV貢献 スポーツ報知 2007年12月18日付 ^ “中島翔哉は違約金52億円と現地紙 元浦和ポンテGM「引き留めるのは難しい」と移籍覚悟”. www.football-zone.net. 2019年8月12日閲覧。 ^ “中島翔哉は「ポリバレント」ではなかったのか 所属クラブ幹部のポンテ氏が真っ向から反論”. www.msn.com. 2019年8月12日閲覧。 Jリーグの外国籍選手一覧 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧 ロブソン・ポンテ - Soccerway.com (英語) ロブソン・ポンテ - FootballDatabase.eu (英語) ロブソン・ポンテ - WorldFootball.net (英語) ロブソン・ポンテ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語) ロブソン・ポンテ - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語) ロブソン・ポンテ - UEFA (英語) ロブソン・ポンテ - J.League Data Siteによる選手データ ロブソン・ポンテ - Fussballdaten.de (ドイツ語) レバークーゼン時代の写真(ドイツ語) 表 話 編 歴 93: 三浦知良 94: ペレイラ 95: ストイコビッチ 96: ジョルジーニョ 97: ドゥンガ 98: 中山雅史 99: アレックス 00: 中村俊輔 01: 藤田俊哉 02: 高原直泰 03: エメルソン 04: 中澤佑二 05: アラウージョ 06: 田中マルクス闘莉王 07: ポンテ 08: マルキーニョス 09: 小笠原満男 10: 楢﨑正剛 11: レアンドロ・ドミンゲス 12: 佐藤寿人 13: 中村俊輔 14: 遠藤保仁 15: 青山敏弘 16: 中村憲剛 17: 小林悠 18: 家長昭博 19: 仲川輝人 20: オルンガ 21: レアンドロ・ダミアン 22: 岩田智輝 23: 大迫勇也 22: 小川航基 23: エリキ 22: 有田稜 23: 松田力 表 話 編 歴 93: サントス, 本田泰人, ラモス瑠偉 94: 柱谷哲二, 北澤豪, ラモス瑠偉, ベッチーニョ 95: 柱谷哲二, ビスマルク 96: ジョルジーニョ, 前園真聖, 山口素弘, 名波浩 97: ビスマルク, 中田英寿, 山口素弘, 名波浩 98: 小野伸二, 奥大介, 藤田俊哉, 名波浩, ドゥンガ 99: 中村俊輔, アレックス, 伊東輝悦, 澤登正朗, 福西崇史 00: 明神智和, 中村俊輔, 稲本潤一, 森島寛晃 01: 小笠原満男, 福西崇史, 藤田俊哉, 服部年宏, 中田浩二 02: 小笠原満男, 福西崇史, 藤田俊哉, 名波浩 03: 小笠原満男, 福西崇史, 奥大介, 遠藤保仁 04: 小笠原満男, 長谷部誠, 奥大介, 遠藤保仁 05: 小笠原満男, 阿部勇樹, フェルナンジーニョ, 遠藤保仁, 古橋達弥 06: 鈴木啓太, 阿部勇樹, 中村憲剛, 谷口博之, 遠藤保仁 07: 阿部勇樹, 鈴木啓太, ポンテ, 中村憲剛, 遠藤保仁 08: 中村憲剛, 小川佳純, 遠藤保仁 09: 小笠原満男, 石川直宏, 中村憲剛, 遠藤保仁 10: 中村憲剛, マルシオ・リシャルデス, 藤本淳吾, ダニルソン, 遠藤保仁 11: ジョルジ・ワグネル, レアンドロ・ドミンゲス, 藤本淳吾, 遠藤保仁, 清武弘嗣 12: レアンドロ・ドミンゲス, 遠藤保仁, 青山敏弘, 髙萩洋次郎 13: 中村俊輔, 山口螢, 柿谷曜一朗, 青山敏弘 14: 柴崎岳, 武藤嘉紀, レオ・シルバ, 遠藤保仁 15: 金崎夢生, 遠藤保仁, 青山敏弘 16: 阿部勇樹, 柏木陽介, 中村憲剛, 齋藤学 17: 中村憲剛, 井手口陽介, 山口蛍 18: チャナティップ, 家長昭博, 大島僚太, 中村憲剛 19: 橋本拳人, 喜田拓也, アンドレス・イニエスタ 20: 家長昭博, 田中碧, 守田英正, 三笘薫 21: 家長昭博, 脇坂泰斗, アンドレス・イニエスタ, 稲垣祥 22: 家長昭博, 水沼宏太, 脇坂泰斗 23: 伊藤敦樹, 脇坂泰斗, 山口蛍 22: 伊藤涼太郎, 長谷川竜也, 河原創, 高木善朗, 高宇洋 23: 田口泰士, 森田晃樹, 乾貴士, 平川怜 22: 嵯峨理久, 日高大, 横山暁之, 山下優人 23: 菊井悠介, 谷本駿介, 茂木駿佑 ブラジルのサッカー選手 イタリアのサッカー選手 ドイツのサッカー選手 CAジュベントスの選手 アメリカFC (サンパウロ州)の選手 バイエル・レバークーゼンの選手 VfLヴォルフスブルクの選手 浦和レッドダイヤモンズの選手 Jリーグ年間最優秀選手賞受賞者 イタリア系ブラジル人のサッカー選手 イタリア系ドイツ人 サンパウロ出身の人物 1976年生 存命人物 ウィキデータのスポーツ識別子を使用している記事
2024/11/12 02:21更新
|
Robson Ponte
ロブソン=ポンテと同じ誕生日11月6日生まれの人
TOPニュース
ロブソン=ポンテと近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ロブソン=ポンテ」を素材として二次利用しています。