上條勝久の情報(かみじょうかつひさ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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上條勝久の情報まとめ
上條 勝久(かみじょう かつひさ)さんの誕生日は1910年8月29日です。宮崎出身の政治家のようです。
2011年に亡くなられているようです。
上條勝久のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上條 勝久(かみじょう かつひさ、1910年(明治43年)8月29日 - 2011年(平成23年)12月27日)は、日本の内務官僚、建設官僚、政治家。参議院議員(2期)。 宮崎県児湯郡高鍋町出身。旧制高鍋中学校卒。1936年に宮崎県庁に入り、1941年に内務省に転じる。1945年、内務省国土局内務理事官。1957年、国土地理院総務部長になる。建設省大臣官房福利厚生課長を経て、1965年、建設大学校校長。退官後、全国建設研修センター理事長、日本道路公団顧問を経て、1974年の参院選で宮崎県選挙区から自由民主党公認で立候補して当選。2期務めた。この間、1977年から1978年まで科学技術政務次官、1981年から1982年まで参議院地方行政委員長に就任。1986年の参院選でも立候補したが、無所属の上杉光弘に敗れた。1988年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1992年、北海道測量専門学校(後の札幌理工学院)校長に就任。2000年、退職。 2006年、「町民の安全な暮らしや交通網の発達に大きな功績をあげた」として高鍋町名誉町民に推載された。2011年12月27日、心不全のため神奈川県藤沢市の自宅で死去、101歳。死没日をもって従七位から従四位に叙される。 宮崎県職員時代、当時木城町にあった武者小路実篤の「新しき村」の場所にダム建設が行われることになり、上條は土地収用の交渉に当たった。村に20日間通いつめ、労働を手伝い、夜は文学を語り、当初ダム建設に絶対反対だった実篤に気に入られ、ついに判を押させたという。 ^ 『官報』号外第53号4頁 昭和63年4月30日号 ^ “高鍋の人物”. 高鍋町. 2012年1月29日閲覧。 ^ “(おくやみ)上條勝久氏が死去 元参院議員”. 日本経済新聞. (2012年1月6日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0600Y_W2A100C1CC0000/ 2022年12月24日閲覧。 ^ “叙位叙勲”. 日本経済新聞. (2012年1月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG20043_Q2A120C1CR8000/ 2022年12月24日閲覧。 ^ 『官報』第5727号8-9頁 平成24年1月30日号 ^ 朝日新聞社編『新人国記5』(1983年)pp.20 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。 表 話 編 歴 岡本愛祐 西郷吉之助 油井賢太郎 菊田七平 内村清次 中田吉雄 小笠原二三男 松岡平市 本多市郎 小林武治 田中啓一 館哲二 新谷寅三郎 増原惠吉 小幡治和 小林武治 石谷憲男 竹中恒夫 高野一夫 天坊裕彦 林田正治 岸田幸雄 仲原善一 津島文治 内藤誉三郎 山内一郎 若林正武 玉置猛夫 久次米健太郎 久保田藤麿 原文兵衛 上田稔 高橋邦雄 金井元彦 永野嚴雄 後藤正夫 亀長友義 上條勝久 宮田輝 大河原太一郎 金丸三郎 増岡康治 松浦功 谷川寛三 向山一人 渡辺四郎 野田哲 山口哲夫 佐藤三吾 小川仁一 岩本久人 竹山裕 菅野壽 渡辺四郎 峰崎直樹 藁科満治 廃止 表 話 編 歴 竹下豊次 二見甚郷 温水三郎 坂元親男 野別隆俊 長峯基 小斉平敏文 外山斎 長峯誠 椎井康雄 三輪貞治 平島敏夫 上條勝久 上杉光弘 松下新平 VIAF 日本 宮崎県選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 昭和時代の参議院議員 日本の国土交通官僚 日本の内務官僚 従四位受位者 従七位受位者 勲二等旭日重光章受章者 宮崎県立高鍋高等学校出身の人物 宮崎県出身の人物 1910年生 2011年没 日本のセンテナリアン VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/10 08:58更新
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kamijou katsuhisa
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