上里一将の情報(うえさとかずまさ) サッカー選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
上里 一将さんについて調べます
■名前・氏名 |
上里一将と関係のある人
砂川誠: 以降、両サイドの和波智広、岡田佑樹、同じくトップ下を組む三原廣樹、上里一将と攻撃的な中盤を構成しその核として攻撃を牽引した。 砂川誠: この年も開幕戦から先発出場を続け、シーズン半ばには怪我による離脱を経験し、また新人で同ポジションの上里一将、桑原剛の台頭があったものの、以降も主力選手として不動のトップ下を担いチームを牽引した。 上原慎也: 4月5日J2第6節熊本戦の後半15分にダニルソンと代わりJリーグ初出場を果たすと、5月5日J2第13節栃木戦では後半30分に上里一将に代わり途中出場、その8分後に西嶋弘之の左からのクロスに頭で合わせプロ初ゴールを挙げ勝利に貢献した。 佐藤昭大: 2017年3月12日、第3節のモンテディオ山形戦で前半に1点を許すも、後半のアディショナルタイムに上里一将のコーナーキックをヘディングで合わせて初得点を記録し、引き分けに持ち込んだ。 河合竜二: リーグ戦では、宮澤裕樹、この年に札幌に復帰した上里一将、高卒新人の深井一希、堀米悠斗らとボランチのポジションを争いながら開幕戦から先発出場し以降も全試合にスタメン起用されていたが、若手中心の布陣という事もあり序盤は勝てない時期が続き下位に低迷した。 上原慎也: コンサドーレ札幌入団の理由として同じ沖縄県出身の上里一将が所属しているチームであることを挙げていた。 石崎信弘: 2011年度は、石川直樹、西嶋弘之、藤田征也、上里一将などの主力の移籍により厳しい序盤戦となり、折り返しの17節時点では20チーム中10位であったが、砂川誠に加え河合竜二、李昊乗、ジオゴなどの新戦力が活躍を見せた他、若手も数多く台頭を見せて快進撃を展開、最終的に3位となりJ1復帰を決めた。 |
上里一将の情報まとめ
上里 一将(うえさと かずまさ)さんの誕生日は1986年3月13日です。沖縄出身のサッカー選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。上里一将の現在の年齢は38歳のようです。
上里一将のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上里 一将(うえさと かずまさ、1986年3月13日 - )は、沖縄県宮古島市(旧平良市)出身の元プロサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 宮古島及び宮古高等学校出身で初のプロサッカー選手。 小学1年生(6歳)の時に友人の誘いでサッカーを始め、3年生から本格的に打ち込むようになる。当時は身長に恵まれず、中学校入学時点で138cmしかなかった事もあって所属チームの練習後に1人居残り左足の技術を徹底的に磨き続けた。中学校卒業後は地元の高校で、上里の中学3年生次に全国高等学校サッカー選手権大会への初出場を果たした沖縄県立宮古高等学校に進学。高校の3年間で全国大会の出場は適わず、個人としても代表や選抜に招集された経験もなかった為に全国的には無名の存在だったが、当時から攻撃的な中盤の選手としてボールコントロールには定評があり、その才能を評価したJ2のコンサドーレ札幌より誘いを受け、2003年11月22日に同クラブより上里の獲得が発表された。同校出身者、並びに宮古島出身者として初のJリーガーとなった。上里は日本最南端でプレーする自分に届いた日本最北端のプロクラブからのオファーに「いったいどこで僕のプレーを見ていたのだろう?」と思ったという。 2004年は背番号24を与えられ、この年に新監督に就任した柳下正明の指導の下、クラブが若手育成路線に方針転換を図った最初の年という事もあって、高卒新人ながら早くから出場機会が与えられ、トップ下をはじめボランチでも起用された。トップ下のポジションには砂川誠という絶対的な存在がおり、シーズン序盤に主力選手で同ポジションも務められる三原廣樹が大怪我を負って長期離脱した事もあって、このポジションの2番手を同じく高卒新人で同期入団の桑原剛と激しく争った。5月19日J2第13節水戸戦の後半36分に砂川と途中交代で公式戦初出場を果たすが、翌6月には左足を骨折し離脱した。戦列に復帰すると、8月8日のJ2第26節湘南戦で初のスタメン出場を果たす。この試合ではボランチで起用されたが、試合中に肉離れを起こした為に 前半で交代となり、再度の離脱を余儀なくされた。復帰後は途中出場ながら毎試合に起用され続け、9月からは先発で起用されるようになると、11月14日天皇杯4回戦市原戦の後半34分に約30mの距離からミドルシュートを決め 公式戦初ゴールを挙げた。その一方で、チームは若手中心の布陣の為に他チームとの戦力差が顕著に見られ、リーグ戦では序盤から最下位に沈んでしまい、上里がリーグ戦に出場した全17試合のうち勝利を挙げられたのも僅か1勝だった。 2005年は背番号を19に変更。リーグ戦序盤こそ途中交代でボランチでの起用が目立ったものの、4月からチームが3-5-2のフォーメーションにトップ下を2枚を置く攻撃的な布陣を採用するとトップ下でレギュラーとして定着し、砂川と共に札幌の攻撃を牽引し多くの得点機を演出する活躍を見せる。5月21日のJ2第13節湘南戦でリーグ戦初ゴールを挙げ勝利に貢献し、6月25日第18節横浜FC戦ではミドルシュートを決め、札幌の公式戦通算100勝となる勝利に貢献した。これらの上里の活躍と成長を裏付けるように、リーグ戦中盤にかけてチームの成績も向上し一時は3位につけるなど上位争いを演じる立役者の1人となる。ところが、8月21日に行われた練習試合で左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負い、シーズンの残りを棒に振った。 2006年からは背番号を20に変更。前年に負った怪我の影響は大きく、チームに合流後もコンディションを取り戻せずにいた事や、上里が離脱していた間にクラブが代役として補強した西谷正也が期待に見合う活躍を見せていた事、同期入団で同い年の鈴木智樹をはじめ、この年に移籍加入した大塚真司、芳賀博信、関隆倫らが主力に定着していた事などもあり、公式戦の復帰までには実に11ヶ月を要した。7月8日のJ2第26節愛媛戦の後半19分に西嶋弘之と途中交代で実戦復帰を果たすと、以降も途中出場ながら主にボランチで起用され続け、8月19日のJ2第34節仙台戦の後半20分に砂川に代わり途中出場しトップ下に入ると、後半41分に石井謙伍のゴールをアシストし、続く44分にはゴールまで約35mの位置から自身もミドルシュートを決め勝利に貢献するなど 存在感を示し、リーグ終盤には先発でも起用された。 2007年、監督が三浦俊也に代わると守備力のある選手を重視しメンバーを固定する起用方針によって構想から外れ、出場機会が激減する。前年までの3-5-2のフォーメーションからトップ下を置かない4-4-2に代わり、攻撃的な中盤では西谷、砂川、プロ2年目の藤田征也が起用され、ボランチでは大塚、芳賀が主力として起用された事に加えてカウエ、鄭容臺の加入もあって上里がこの年にスタメンで起用された試合は1つもなく、砂川や石井謙伍が途中出場で起用に応える活躍を見せていた事、シーズン終盤に入るとプロ2年目の西大伍や高卒新人の岡本賢明が積極的に起用された事などもあってリーグ戦でベンチ入り出来たのも僅か8試合に留まり出場時間も7試合で82分であった。その一方でチームはリーグ開幕から首位を独走しJ2優勝を果たすが上里個人としては非常に苦しいシーズンとなった。 2008年は前年にボランチのポジションを争ったカウエが退団したが、新たにクライトン、ディビッドソン純マーカスが加わり、新シーズン開幕後も依然として起用されない状態が続いた。しかし、前年からサテライトリーグ等でサイドバックやボランチとしての経験を積んで来た事が実を結び守備力やフィジカルの強さを身につけるなど成長を遂げ、8月27日のJ1第23節G大阪戦の後半33分に藤田征也と途中交代でJ1初出場を果たすと以降のリーグ戦で全試合に起用された。9月20日のJ1第25節千葉戦では後半3分に平岡康裕と途中交代で左サイドバックで起用されると札幌の攻撃の起点として活躍し、試合では敗れたものの千葉の守備陣を苦しめるなど、途中出場ながら起用に応える働きを見せた。チームは8月以降1勝も出来ずに10月19日の柏戦で敗戦しJ2降格が決定してしまうが、リーグ戦終盤にはボランチでスタメン起用されるようになると、攻撃の中心として若手の藤田、西大伍らとの連携から何度もチャンスを作る場面が多く見られ、翌年以降の躍進を予感させる戦いぶりを見せた。 2009年は新監督に就任した石崎信弘に指名されキャプテンに就任。クラブ史上最年少での主将抜擢だった。リーグ戦が開幕するとレギュラーとして主にボランチや左サイドバックで起用され、チーム最多の48試合に出場(うち先発出場は47試合)し、出場時間もチームトップの西嶋弘之に次ぐ4,013分に到達するなど上里にとって飛躍の年となった。リーグ戦が始まると序盤こそ勝てない時期が続き、3月25日のJ2第4節湘南戦では試合開始早々にチームメイトのキリノと接触し裂傷を負い負傷退場してしまう不運にも見舞われたが、続く3月29日J2第5節岡山戦で豪快なミドルシュートでシーズン初ゴールを挙げると、4月からはチームも13試合連続で不敗を続けるなど好調を維持し攻守の要としてチームを牽引した。また、得点能力の向上も見せており、上述の岡山戦でのゴールをはじめ、6月27日J2第24節仙台戦では左サイドの深い位置からゴールを決め、8月5日J2第32節の福岡戦では自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めるなど、持前の視野の広さとキックの精度を活かしたゴールも多く挙げ、9月20日のJ2第40節福岡戦ではプロ入り後初となる直接フリーキックを決めており、最終的に自身最多となる6得点でシーズンを終えた。 2010年は前年終盤に若手の岩沼俊介が左サイドバックで台頭した事で主戦場をボランチに移し、同じく前線からポジションを移して来たプロ3年目の宮澤裕樹と共にダブルボランチを組みシーズンを戦った。このシーズンの初ゴールを4月11日J2第6節柏戦の後半3分にゴールから約40mの位置で直接フリーキックを豪快に決めると、ここから自身初となる3試合連続ゴールを挙げ、チームの攻撃の起点としてだけではなく自らも得点源となり活躍していたものの、その一方でチームは勝てない試合が続き下位に低迷してしまう。上里自身も7月に入ると怪我の影響でコンディションを落としてしまい、9月23日のJ2第27節柏戦では前半23分と同ロスタイムに立て続けにイエローカードを受けてしまいプロ7年目にして初の退場を経験した。シーズンオフに入ると、クラブの財政問題が表面化し多くの主力選手が移籍をする中で上里自身もこの年にJ2降格が決定したFC東京からの獲得オファーを受け移籍を決断。翌2011年1月5日に同クラブへ期限付き移籍する事が発表された。 シーズン開幕前のキャンプでは左サイドハーフ、左サイドバックとしての適性も見せたが、リーグ戦が始まるとこれらのポジションでは、前年にセリエAに移籍した長友佑都の穴を埋める活躍を見せていた中村北斗や、若手の田邉草民、椋原健太が主力として起用された。一方、監督の大熊清からは中盤での展開力を買われ主にセグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)として梶山陽平らとポジションを争った(梶山を前線に押し上げる形での併用もあった)。リーグ戦では開幕戦以外の全試合にベンチ入りを果たし、出場時間こそ多くなかったものの起用された試合では期待に応える働きを見せ、チームがJ1昇格を決めた11月19日のJ2第36節鳥取戦では後半ロスタイムに移籍後初ゴールを挙げるなど J2優勝に貢献した1人となった。また、同年開催の天皇杯でも2回戦以降の全試合にベンチ入りし、チームは優勝を果たすが上里の試合出場は適わなかった。シーズンオフの2012年1月10日にFC東京から上里の移籍期間満了が発表され、同日、徳島ヴォルティスに期限付き移籍する事が所属元の札幌・徳島双方から相次いで発表された。 徳島では札幌在籍時と同じ背番号20を与えられ、札幌時代の西嶋弘之、FC東京時代の鈴木達也とは再びチームメイトとなった。この年から新監督に就任した小林伸二の信頼を得て、リーグ戦が始まると主力ボランチとして起用され徳島の攻撃の起点としても活躍した。開幕戦からスタメン出場を果たし勝利に貢献するが、間もなくチームは不調に陥り5月まで1勝も出来なくなり下位に低迷すると、同時期に上里自身も不調に陥ってしまい先発からも外れており、途中起用された4月30日のJ2第11節水戸戦では失点の起点になってしまうなど苦しい時期を過ごした。以降は徐々に調子を取戻し安定した活躍を見せるが、チームの調子は今ひとつ上がらず最終的に15位に留まった。シーズン終了後にはJ2降格が決定した所属元の札幌より復帰要請を受け上里はこれを受諾。翌2013年1月11日に上里の札幌復帰が正式に発表され、プロ10年目となる節目のシーズンを古巣札幌で迎える事が決まった。 この年からは新監督に上里がかつてプロ入り後の3年間にコーチとして薫陶を受けた財前恵一が就任しており、同監督には前年から大幅に若返ったチーム の中心選手として期待された。2度の移籍を経て精神面や守備面で大きく成長。献身的プレーを発揮できるようになり、リーグ戦が開幕すると主力ボランチとして起用され、河合竜二、宮澤裕樹、高卒新人の深井一希、堀米悠斗らとポジションを争いながら、出場した試合では視野の広さと高精度の左足を活かしてテンポ良く配球し攻撃を展開。多くの得点を演出するなど札幌の中盤において欠かせない働きを見せた。一方、チームは若手中心の布陣を余儀なくされていた事もあって序盤こそ敗戦が続いていたが、徐々に成績も上向くと6月8日J2第18節愛媛戦の前半5分に直接フリーキックを決め、札幌復帰後の初ゴールを挙げる。7月にはJ1クラブから上里への正式な獲得オファーが届くが、これを断っていた事が報道によって明らかとなっており、その後も攻守の要、精神的主柱として 奮闘を続けていたが、9月19日に右膝前十字靱帯断裂の大けがを負い 全治8ヶ月を要する事がクラブから発表され、残りのシーズンを棒に振る事となってしまい、上里不在の中チームは後一歩のところでプレーオフ進出を逃した。 2014シーズンは怪我の影響を受けリハビリからスタート。5月の第15節愛媛FC戦で復帰し、試合前にはサポーターから「待ってたぜ上里!」という弾幕が掲げられた。復帰3戦目の水戸ホーリーホック戦では1ゴール1アシストの活躍。攻撃の起点となる配球と中盤でのセカンドボール回収で リズムを作り、シーズン終盤には松本戦、磐田戦で正確なフリーキック、湘南戦では強烈なミドルシュートを決めるなど得点能力の高さも示した。一方チームは、1試合を残しJ1昇格の可能性を消滅させてしまい、またも悔しいシーズンとなった。 2015シーズンはキャンプから監督のバルバリッチの信頼を掴み、開幕戦にスタメン出場を果たす。しかしその後深井や新加入の稲本の活躍の影響、さらに上里自身も調子を落とし、出場機会が減ってしまう。四方田修平への監督交代後は6試合連続でスタメンで起用されるなど調子を戻したかに見えたが、終盤はベンチ外になる試合もあり、この年は1ゴール0アシストと不本意なシーズンとなってしまった。アシストがないシーズンは上里にとって初めてだった。 2016シーズンは慢性的な股関節痛に苦しみ、序盤は中々試合に絡むことができなかったが、稲本や宮澤の負傷により夏場にチャンスを得るとそれに応える動きを見せ、松本戦や清水戦という大事な試合で活躍。特に松本戦は最後までガムシャラに走り回り、ロスタイムにはパウリーニョのシュートをみぞおちでブロックし、気持ちが入ったプレーを見せた。しかしその後は前寛之の活躍や自身のケガの影響により再びメンバーから外される試合も少なくなかった。終盤の千葉戦、金沢戦ではスタメンで起用されるも、シーズン終了後契約満了により札幌を退団。 2017年、最初にオファーがあったというロアッソ熊本へ完全移籍。主にセントラルハーフでチームの中心選手となり、開幕戦ではコーナーキックから安柄俊の先制点をアシスト。平繁龍一は「一度カズさんを経由してから攻撃に行くことが多くなり、攻撃のパターンが増えた」と話すなど、チームからは新加入ながら絶大な信頼を得られている。その後は、第3節山形戦の後半アディショナルタイムにコーナーキックからGK佐藤昭大のヘディングゴールをアシストし、第5節大分戦ではJ2通算300試合出場を達成。また、「熊本地震復興支援マッチ」と釘打たれたJ2第8節松本戦で移籍後初のゴールとなる直接フリーキックを決めた。シーズン途中に監督が清川浩行から池谷友良へ交代するもコンスタントに試合出場を重ね、この年は結局28試合に出場し1ゴール4アシストの成績を残した。 2018年、札幌時代に発症した慢性的な股関節痛が再発しシーズン開幕前のキャンプから負傷離脱となり、実戦復帰は第21節松本戦までズレ込んだ。その後もケガの影響で短時間のみの出場となりながらも、持ち味である視野の広さと正確なパスで熊本の攻撃を支え続け、J2第28節横浜FC戦でシーズン初の先発出場と同時に熊本移籍後初のゲームキャプテンに指名された。つづく第29節岐阜戦ではプロ入り後初となるヘディングシュートを決め、第31節山形戦で実戦復帰後初のフルタイム出場を果たした。が、出番は限定的であり、 同シーズンをもって契約満了となり退団した。 2019年、出身地・沖縄県を本拠地に置くFC琉球に加入。 J2初年度の琉球をキャプテンとして支え、40試合に出場し4ゴール2アシストと琉球の中盤に必要不可欠な存在となった。鋭い楔のパスやサイドチェンジ、強烈なミドルシュート、粘り強い守備など全盛期を彷彿とさせるプレーを連発し、情報誌サッカーキングJ2優秀選手賞を受賞した。その活躍を見たアルビレックス新潟から夏に獲得オファーが届いたが、地元沖縄に貢献したいという思いから残留を決断した。 2020年8月1日、第9節のファジアーノ岡山FC戦でJ通算400試合出場を達成。 2021年10月26日、練習中に右膝半月板損傷の負傷。同年11月15日に手術を受けた。 2022年11月18日、シーズン終了後契約満了により琉球を退団。 2023年2月7日、現役引退を発表。 2023年2月7日、現役引退と同時にFC琉球アカデミーのロールモデルコーチに就任することが発表された。 2023年10月24日、Jリーグ功労選手賞の受賞が決定。 視野の広さからくるキラーパスと、精度の高いプレースキック が持ち味。プロ入り当初は攻撃的MF(トップ下)だったが、ボランチや左サイドハーフ、左サイドバックなど、複数のポジションをこなせるようになった。強烈なミドルシュートも得意としており、隙があればどこからでも狙ってくる積極的な姿勢も魅力のひとつ。試合の流れを読むゲームコントロール、チーム全体をまとめる統率力やキャプテンシーも備えている。 平良市立南小学校 平良市立平良中学校 沖縄県立宮古高等学校 2004年 - 2016年 コンサドーレ札幌 / 北海道コンサドーレ札幌
2012年 徳島ヴォルティス (期限付き移籍) 2017年 - 2018年 ロアッソ熊本 2019年 - 2022年 FC琉球 2004年05月19日:J2初出場 - J2第13節 vs水戸ホーリーホック (厚別) 2004年11月14日:公式戦初得点 - 天皇杯4回戦 vsジェフユナイテッド市原 (室蘭) 2005年05月21日:J2初得点 - J2第13節 vs湘南ベルマーレ (平塚) 2008年08月27日:J1初出場 - J1第23節 vsガンバ大阪 (厚別) 2009年08月05日:J2 100試合出場 - J2第32節 vsアビスパ福岡 (厚別) 2013年04月07日:J2 200試合出場 - J2第07節 vsファジアーノ岡山FC (カンスタ) 2017年03月26日:J2 300試合出場 - J2第05節 vs大分トリニータ (えがお健康スタジアム) ^ 同校出身の上里琢文(京都サンガF.C.に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。 ^ この年の札幌は外国籍選手やJクラブからの補強は一切しておらず、地域リーグでプレーをしていた元磐田の清野智秋以外、2名の大卒新人と6人の高卒新人のみという極端なものだった。 ^ Jリーグ公式記録としてはGKのものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合FKが一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さるという高難度のものであった。 ^ この試合では上里とダブルボランチを組んだ宮澤裕樹も後半28分、同34分にイエローカードを受けプロ入り後初退場を経験している。 ^ 上里の札幌復帰には新監督に就任が決定した財前の強い要望があったとされ、この年の札幌は20歳以下の選手が11人在籍するなど、チームの平均年齢も23.6歳と上里が入団した2004年を彷彿させる極端な陣容だった。 ^ 『コンサドーレ札幌オフィシャル・ガイドブック2014』北海道新聞社、2014年、47頁。http://shop.hokkaido-np.co.jp/book/products/detail.php?product_id=497。 ^ 『Jリーグ選手名鑑2014 エルゴラッソ特別編集』2014年、176頁。 ^ “宮古高校 上里一将 選手 2004年新加入選手内定のお知らせ”. 2004年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 コンサドーレ札幌 (2003年11月22日) ^ 上里 一将選手 財界さっぽろ ^ EPISODE.4 - 上里 一将 2009 選手スペシャルインタビュー ^ 初ゴール決め充実 コンサドーレ札幌・上里 琉球新報 (04.12.31) ^ VOICE2012 Vol.40 上里 一将 徳島ヴォルティス オフィシャルサイト ^ “上里一将選手の負傷について”. 2004年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 コンサドーレ札幌 (2004年6月25日) ^ 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:試合終了後の各選手コメント J's GOAL (04.08.08) ^ 【J2:第27節 札幌 vs 川崎F プレビュー】首位・川崎F、勝者のマインドをもって勝ち点3を取り戻せるか? J's GOAL (04.08.10) ^ 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:柳下正明監督(札幌)記者会見コメント J's GOAL (04.08.08) ^ “上里一将選手の負傷について”. 2004年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 コンサドーレ札幌 (2004年8月9日) ^ 【天皇杯4回戦:札幌 vs 市原 レポート】前線、中盤の途中出場陣が活躍。J2最下位札幌が延長VゴールでJ1市原に金星 J's GOAL (04.11.15) ^ “2005年度 コンサドーレ札幌選手 背番号一部変更のお知らせ”. 2005年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 コンサドーレ札幌 (2005年1月15日) ^ 【J2:第18節 横浜FC vs 札幌 レポート】通算500ゴールに100勝。札幌のメモリアルな勝利の前に、横浜FCはまたも勝ち点3ならず J's GOAL (05.06.26) ^ 【2006シーズン 戦力分析レポート:札幌編】機は熟した! 昇格をつかみ取る勝負のシーズン J's GOAL (06.02.14) ^ 上里 一将選手の負傷について コンサドーレ札幌 (2005年8月26日) ^ 選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日) ^ 2006年 コンサドーレ札幌スタッフ・選手について コンサドーレ札幌公式サイト (06.01.16) ^ 札幌MF上里、記念の勝利両親に贈る 日刊スポーツ (2009年6月6日) ^ 【J2:第34節 札幌 vs 仙台 レポート】二十歳のレフティー・上里カズが厚別に歓喜を呼んだ。仙台は鬼門・厚別の壁をまたしても打ち破れず。 J's GOAL(06.08.20) ^ 選手出場記録 コンサドーレ札幌 2007Jリーグ ディビジョン2 J.LEAGUE 公式記録 (2007年12月1日) ^ 【J1:第25節 札幌 vs 千葉】レポート:17位千葉vs18位札幌の直接対決は得点の奪い合いの末、千葉が勝利。勝点を24へと伸ばして16位・磐田に迫る J's GOAL (08.09.21) ^ 【ゆく年くる年】コンサドーレ札幌2008ベストゲーム:J1第16節 千葉vs札幌(@フクアリ:7月13日) J's GOAL(08.12.30) ^ 2009年 コンサドーレ札幌 キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ コンサドーレ札幌公式サイト (09.02.21) ^ 札幌のカズ・上里がクラブ最年少主将に! 日刊スポーツ (2009年2月22日) ^ 札幌、厚別初戦の東京V戦は奇策で臨む 日刊スポーツ (2009年5月23日) ^ 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント J's GOAL (09.03.25) ^ 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】レポート:終了間際に一瞬のスキを突いた湘南が敵地で劇的勝利! 札幌も敗れはしたが、内容では湘南を圧倒していた。 J's GOAL (09.03.26) ^ 【J2:第6節 熊本 vs 札幌】プレビュー:共に1勝1分3敗と波に乗れない熊本と札幌。南北決戦を制し、第1クール中盤に向けて上昇気流に乗るのはどちらか。 J's GOAL (09.04.05) ^ “【道スポ】上里、リーグ通算出場100試合達成だ 両親の前で勇姿見せる”. 2009年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 どうしんウェブ (2009年6月6日) ^ 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (09.06.27) ^ 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】レポート:コントロールされた戦い方の中、前半は札幌、後半は仙台に主導権。1-1の結果に見える、手応えと課題。 J's GOAL (09.06.28) ^ 【J2:第32節 札幌 vs 福岡】レポート:札幌がホームで3得点完勝! プロ初先発となったMF古田寛幸が力強く攻撃を牽引してみせた。 J's GOAL (09.08.06) ^ 札幌MF上里が65メートル弾 / J2 日刊スポーツ 2009.08.06 ^ 【J2:第40節 札幌 vs 福岡】レポート:膠着したゲームはセットプレーが勝敗を分けた。上里一将の直接FKが札幌に歓喜の勝点3を呼び込んだ! J's GOAL (09.09.21) ^ “【道スポ】札幌 首位・柏とドロー 上里40メートルFK弾実らず”. 2010年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 どうしんウェブ (2010年4月13日) ^ 【J2:第6節 札幌 vs 柏】レポート:双方にファインゴールが生まれた熱戦。柏のハイレベルなプレーぶりと、札幌の伸びシロが感じられたドローゲームだった。 J's GOAL (10.04.12) ^ 【J2:第9節 甲府 vs 札幌】レポート:成長を実感。4ゴール、4連勝で甲府が昇格圏内入り J's GOAL (10.04.30) ^ 【J2:第10節 熊本 vs 札幌】プレビュー:熊本がいい流れを維持するか、それとも札幌が悪い流れを断ち切るか。注目の南北決戦。 J's GOAL (10.05.02) ^ 2010 J LEAGUE DIVISION 2 第27節 vs 柏レイソル コンサドーレ公式サイト ^ コンサドーレ札幌 上里一将選手 FC東京へ期限付き移籍のお知らせ コンサドーレ札幌公式サイト (11.01.05) ^ “上里 一将選手 期限付き移籍加入決定のお知らせ”. 2011年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 FC東京 (2011年1月5日) ^ 万能レフティー上里 3役お任せ 東京中日スポーツ、2011.01.26 ^ 【2011キャンプレポート:F東京】2月10日(木)阿久根謙司社長がキャンプに帯同。選手たちとのコミュニケーションを深める J's GOAL (11.02.10) ^ 上里、ボランチで新司令塔に 高精度パスで攻撃活性化させる 東京中日スポーツ、2011.05.07 ^ 【J2:第11節 FC東京 vs 富山】プレビュー J's GOAL、2011.05.08 ^ 大熊監督 ボランチ上里を評価 東京中日スポーツ、2011.11.01 ^ 【J2:第36節 鳥取 vs F東京】鳥取側レポート:J1昇格を争うクラブとの歴然たる差。鳥取は1点こそ奪ったものの、大量失点に沈む。 J's GOAL (11.11.20) ^ 上里一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ FC東京 (2012年1月10日) ^ コンサドーレ札幌 上里 一将選手 徳島ヴォルティスへ期限付移籍のお知らせ コンサドーレ札幌公式サイト (12.01.10) ^ 上里 一将選手 期限付き移籍にて加入決定のお知らせ 徳島ヴォルティス公式サイト (12.01.10) ^ 徳島ヴォルティス2012 シーズン チーム体制について 徳島ヴォルティス公式サイト (12.02.02) ^ 【J2:第11節 水戸 vs 徳島】レポート:本間幸司、立ちはだかる。悪い流れでも勝ち切る“したたかさ”で水戸が徳島を退け、今季2度目の3連勝。4位に浮上! J's GOAL (12.05.01) ^ 札幌 上里が3季ぶりに復帰 日刊スポーツ (2012年12月23日) ^ 上里 一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ 徳島ヴォルティス公式サイト (13.01.11) ^ 上里 一将 選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ コンサドーレ札幌、2013.01.11 ^ 【全40クラブ戦力分析レポ:札幌】31人中18人が北海道出身者という地元色の強い新星・札幌。財前新監督が標榜するポゼッションサッカーで、プレーオフ進出圏内を目指す! J's GOAL (13.02.28) ^ “【道スポ】上里 ワイルドに変身”. 2013年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 どうしんウェブ (2013年1月25日) ^ “J1昇格圏へ かく戦え 札幌OBに聞く (上) 曽田雄志さん 守備の一体感必要 / 上里に期待”. 2013年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 どうしんウェブ (2013年8月22日) ^ “【道スポ】27歳若大将 上里 プロ10年目、今やチームの要”. 2013年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 どうしんウェブ (2013年3月14日) ^ 【J2:第18節 愛媛 vs 札幌】レポート:札幌の裏を突き、ゴールを重ねた愛媛が今季初の逆転勝利。連敗を3で止める。 J's GOAL (13.06.09) ^ 札幌上里、J1完全移籍の打診断り残留へ 日刊スポーツ (2013年8月13日) ^ “【札幌】上里、右ひざ前十字じん帯断裂で今季絶望”. 2013年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 スポーツ報知 (2013年9月20日) ^ 上里一将 選手の負傷について コンサドーレ札幌、2013.09.19 ^ 上里一将 選手の全治について コンサドーレ札幌、2013.09.21 ^ 札幌、7戦ぶり勝利は4発快勝…1G1Aの上里「今日は親父の誕生日」 ゲキサカ (2014年5月25日) ^ “【道スポ】バルバリッチ監督初勝利へのキーマンMF上里 きょう群馬戦で先発濃厚”. 2014年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月23日閲覧。北海道新聞 (2014年9月20日) ^ 『サッカーマガジン 2016北海道コンサドーレ札幌 J2優勝&J1昇格記念号』ベースボール・マガジン社、2016年、40頁。 ^ 『J2マガジン Vol.45』ベースボール・マガジン社、2017年、93頁。 ^ “J3自動降格圏内の熊本、8選手の契約満了を発表”. ゲキサカ (2018年11月22日). 2022年12月3日閲覧。 ^ 上里 一将選手 移籍加入のお知らせ FC琉球、2018.12.26 ^ “FC琉球、9試合目で今季初勝利 攻撃的サッカーようやく結果”. 琉球新報. (2020年8月2日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1167212.html 2021年1月16日閲覧。 ^ “上里一将選手の負傷について”. FC琉球 (2021年11月14日). 2022年12月6日閲覧。 ^ “上里一将選手 契約満了のお知らせ”. FC琉球 (2022年11月18日). 2023年1月20日閲覧。 ^ “上里一将選手 現役引退 ならびにFC琉球アカデミーロールモデルコーチ就任のお知らせ”. FC琉球 (2023年2月7日). 2023年10月26日閲覧。 ^ “功労選手賞 受賞者決定のお知らせ”. 日本サッカープロリーグ (2023年10月24日). 2023年10月26日閲覧。 ^ 2011年 FC東京選手名鑑 (OCN) ^ 2017明治安田生命J2リーグ第5節 上里一将 選手(熊本)J2通算300試合出場達成 Jリーグ (2017年3月26日) 沖縄県出身の人物一覧 北海道コンサドーレ札幌の選手一覧 FC東京の選手一覧 徳島ヴォルティスの選手一覧 ロアッソ熊本の選手一覧 FC琉球の選手一覧 上里一将 - Soccerway.com (英語) 上里一将 - FootballDatabase.eu (英語) 上里一将 - WorldFootball.net (英語) 上里一将 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語) 上里一将 - J.League Data Siteによる選手データ kazu life - ウェイバックマシン(2010年8月8日アーカイブ分) - 公式ブログ 上里一将 (100002750170389) - Facebook プロフィール - ウェイバックマシン(2007年10月24日アーカイブ分) - WEBサッカーマガジン (2007年2月13日) プロフィール (2011年) - ウェイバックマシン(2011年11月1日アーカイブ分) - FC東京 プロフィール (2012年) - ウェイバックマシン(2012年7月18日アーカイブ分) - 徳島ヴォルティス プロフィール (2016年) - ウェイバックマシン(2016年8月26日アーカイブ分) - 北海道コンサドーレ札幌 プロフィール - ロアッソ熊本 表 話 編 歴 後藤義一 1996-1998 名塚善寛 1999-2000 野々村芳和 2001 森下仁志 2002 佐藤洋平 2003 佐藤尽 2004 和波智広 2005-2006 芳賀博信 2007-2008 上里一将 2009 石川直樹 2010 河合竜二 2011-2015 宮澤裕樹 2016- この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。 日本のサッカー選手 北海道コンサドーレ札幌の選手 FC東京の選手 徳島ヴォルティスの選手 ロアッソ熊本の選手 FC琉球OKINAWAの選手 沖縄県出身のスポーツ選手 1986年生 存命人物 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月 2024/11/20 12:30更新
|
uesato kazumasa
上里一将と同じ誕生日3月13日生まれ、同じ沖縄出身の人
TOPニュース
上里一将と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「上里一将」を素材として二次利用しています。