中御門天皇の情報(なかみかどてんのう) 皇族 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
中御門天皇さんについて調べます
■名前・氏名 |
中御門天皇と関係のある人
徳川家継: 家宣の存命中から天英院(近衛熙子)の弟・近衛家煕(摂政・関白・太政大臣を歴任)の娘である尚子との婚約を内々に決めていたが、家継よりも7歳も年上の尚子との年齢差を気にかけた天英院と家煕は、尚子を中御門天皇に入内させて女御にすることで事実上の婚約破棄を行った。 徳川家継: この際に霊元上皇は烏帽子を、中御門天皇は冠を家継に贈っている。 徳川家継: そこで当時院政を行っていた霊元上皇が名字書出を行うことになった(当時の中御門天皇も13歳と幼かった)。 桜町天皇: 中御門天皇の第一皇子。 桜町天皇: 生母が不在であったために曾祖母の六条局(中御門天皇の外祖父の櫛笥隆賀の妻の西洞院時子)や外祖父の近衛家熙が養育の中心となった。 桜町天皇: また、東山・中御門両天皇や自身の養育に外戚である松木家や櫛笥家が深く関与して政治的発言力を持ち、また女官に任命されていない天皇の外祖母(東山天皇外祖母の東二条局や中御門天皇外祖母の六条局)が内裏に出入りをして女官たちを統括していた問題点を解消するために、皇嗣の「実母」は天皇の正配が務めてその養育も正配が行い、「生母」や外戚の立場を認めないとした。 |
中御門天皇の情報まとめ
中御門天皇(なかみかどてんのう)さんの誕生日は1702年1月14日です。京都出身の皇族のようです。
現在に関する情報もありますね。1737年に亡くなられているようです。
中御門天皇のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中御門天皇(なかみかどてんのう、 1702年1月14日〈元禄14年12月17日〉 - 1737年5月10日〈元文2年4月11日〉)は、日本の第114代天皇(在位: 1709年7月27日〈宝永6年6月21日〉- 1735年4月13日〈享保20年3月21日〉)。諱は慶仁(やすひと)。幼名は長宮(ますのみや)。 東山天皇の第五皇子。母は内大臣櫛笥隆賀の女で東山典侍・櫛笥賀子(新崇賢門院)。 追号の「中御門」は、平安京大内裏の門の一つである待賢門の別称に因む(ただし、中御門天皇が誕生した1702年時点で、待賢門を含めて平安京大内裏は既に荒廃している)。 東山天皇には櫛笥賀子が産んだ一宮・二宮・寿宮(四宮にあたる)と冷泉経子が産んだ三宮がいた。一宮・二宮が早世したこと、三宮が天皇の両親である霊元上皇と松木宗子に寵愛されていたことから、三宮が次期皇位継承の有力者とみられていた。しかし、三宮の本当の父は天皇の弟である京極宮文仁親王だという噂も流れていた(『基熙公記』元禄13年3月18日条)。政務の実権を巡って両親と確執のあった東山天皇は元禄13年(1700年)3月に寿宮が誕生すると前関白近衛基熙と相談の上、霊元上皇の反発を無視して三宮を円満院門跡に入れることにして江戸幕府の了承を得た。ところが、元禄14年(1701年)11月に寿宮が早世してしまう。このため、一旦皇位継承問題は白紙に戻るかに思われたが、翌月になって懐妊中だった櫛笥賀子が五宮にあたる男子を生んだのである。男子は長宮と呼ばれ、寿宮に代わる次期皇位継承者として大切に育てられていたが、元禄16年(1703年)には早くも江戸幕府に長宮を次の皇位継承者にすることに対する同意を得ようとしている。宝永3年(1706年)3月に娘の熙子の招待を受けて江戸に下向した近衛基熙が娘婿である徳川将軍家世子徳川家宣と事前に相談したことが幸いして、宝永4年(1707年)2月に江戸幕府の同意を受けることになった。 宝永4年(1707年)3月22日に長宮が儲宮に定められたことが公式に発表されると、4月29日には親王宣下が行われて「慶仁」の御名が定められ、宝永5年(1708年)2月16日には立太子が行われた。東山天皇は早急に譲位を行って自らが院政を行って父の霊元上皇の政治的影響力を削ぐ方針であり、10月には将軍徳川綱吉に来年には譲位する旨を伝えた。綱吉は11月になって来年の譲位を了承する老中奉書を朝廷に送付させるが、宝永6年(1709年)1月には綱吉が急死してしまう。そのため、綱吉の養子(実際には甥)である家宣に対する将軍宣下と慶仁親王への譲位のどちらを優先すべきか、という新たな問題が発生した。武家伝奏と京都所司代による公式の朝幕交渉と並んで、朝廷側の近衛基熙と幕府側の間部詮房の間でも秘密交渉が持たれた。幕府は今上(東山天皇)在位中の将軍宣下を希望していたが、同時に家宣が綱吉の喪に服している期間の宣下は問題があるという考え方であった。家宣の義父で故実に詳しい基熙は詮房に対し、服忌令の規定はあるものの家宣が養子になった経緯から「御忌五十日」「御服百五十日」が穏当であり、御忌が過ぎれば将軍宣下に差支えはないという見解を示し、この見解を元に家宣が五十日の御忌を経た後に将軍宣下を受け、その後に譲位が行われることになった。その後関連儀式との兼ね合いから、東山天皇から徳川家宣への将軍宣下は5月1日に、東山天皇から慶仁親王への譲位は1か月余り後の6月21日に実施されることになった。 宝永6年(1709年)6月、東山天皇から譲位されて即位。9歳で即位したため、はじめ父の東山上皇が院政を行うが、同年12月に上皇が、同月に母の櫛笥賀子も崩御している。このため、祖父の霊元上皇が復帰して院政を行った。また、母方の祖父の櫛笥隆賀夫妻が15歳になるまで御所内に部屋に与えられて養育に関与した。このため、成人後も天皇の信任が厚い櫛笥夫妻の政治的影響力が後々まで強く残され、外戚の天皇に対する影響力をいかに抑制していくかが後々の政治的課題となった。 在位期間は、第6代将軍家宣から第8代の吉宗にかけての時代に相当する。この時代の幕府との関係は比較的良好で、弟にあたる直仁親王が閑院宮家を創設し、さらに霊元上皇の皇女八十宮吉子内親王を徳川幕府7代将軍家継の元へ降嫁させる話も出ていた。しかし、家継の急死で沙汰止みになっている。 享保14年(1729年)には将軍吉宗自ら注文した交趾(ベトナム)広南産の象の「拝謁」を霊元上皇とともに受けている。この際、象が無位無官であるため参内の資格がないとの問題が起こり、急遽「広南従四位白象」との称号を与えて参内させたと江戸名所図会に記載されているが、烏丸光栄の『光栄卿日記』や三条西公福の『日記』など18世紀の史料ではいっさい言及されず、『江戸名所図会』も象の来日より100年経った記述であり、叙位については疑問視する意見もある。 拝謁した象は前足を折って頭を下げる仕草をし、初めて象を見た天皇は、 時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ と感銘を和歌に表している。 享保20年(1735年)3月、桜町天皇に譲位し(在位27年)、元文2年(1737年)5月10日に36歳で崩御した。 天皇は朝廷の古儀に関心を深めて研究を進め、『公事部類』の撰著を残した。また、笛や和歌・書道に秀で、特に笛はキツネが聴きに来るほどの腕前であったとの逸話が残っている。 ちなみに、天皇の側近であった広橋兼胤の日記によれば、天皇は十二支の巳に縁があり、生年が巳年というだけでなく、崩御したのが巳年巳月巳日巳刻であったという。 中御門天皇の皇統は玄孫にあたる欣子内親王(曾孫にあたる後桃園天皇の唯一の子女)が、傍系(弟の閑院宮直仁親王の孫)にあたる光格天皇の中宮となって、温仁親王と悦仁親王(何も中御門天皇の来孫)を産んだことにより、欣子内親王を介して女系の血も受け継ぐものと思われていたが、2親王とも嗣子なく、寛政12年(1800年)と 文政4年(1821年)にそれぞれ薨去したことにより途絶えてしまう(欣子内親王は二度と子を産むことなく、弘化3年(1846年)に崩御)。現在の皇室まで続く皇統は、光格天皇の典侍である勧修寺婧子が産んだ仁孝天皇(温仁親王の異母弟かつ悦仁親王の異母兄)が継いだ。 女御:藤原(近衛)尚子(新中和門院、1702年 - 1720年) - 近衛家熙女
典侍:藤原(清水谷)石子(権典侍局・民部卿典侍、1703年 - 1735年) - 清水谷実業女
第四皇女:理秀女王(嘉久宮、1725年 - 1764年) - 宝鏡寺 第六皇女:尊乗女王(亀宮、1730年 - 1789年) - 光照院 第八皇女:周宮(真珠華院、1735年) 典侍:藤原(園)常子(新典侍局、? - 1763年) - 園基勝女
第三皇女:五宮(清浄法院、1724年 - 1725年) 掌侍:源(久世)夏子(源内侍、? - 1734年) - 久世通夏女
第五皇女:成子内親王(籌宮、1729年 - 1771年) - 閑院宮典仁親王妃 第七皇女:永皎女王(倫宮、1732年 - 1808年) - 大聖寺 第五皇子:信宮(妙光院、1734年) 掌侍:菅原(五条)寛子(1718年 - ?) - 五条為範女
妃:丹波氏(伊予局・見性院、1703年 - 1770年) - 小森頼季女、錦小路頼庸養女、のち石井行康養女
第四皇子:慈仁法親王(良視親王、1723年 - 1735年) - 曼殊院、仁和寺 養子
公啓法親王(閑院宮直仁親王の第二子) 宝永 (1704年3月13日) - 1711年4月25日 正徳 1711年4月25日 - 1716年6月22日 享保 1716年6月22日 - (1736年4月28日) 陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵(つきのわのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は石造九重塔。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。 ^ 久保 1998, pp. 170–172. ^ 久保 1998, pp. 173–176. ^ 石田俊「近世中期の朝廷運営と外戚」『近世公武の奥向構造』吉川弘文館、2021年 ISBN 978-4-642-04344-1 P79-97. ^ ファン・ハイ・リン「前近代ベトナムにおける象の国家的管理と象貿易」『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』第4巻、専修大学社会知性開発研究センター、2018年、51頁、doi:10.34360/00008286。 久保貴子『近世の朝廷運営 : 朝幕関係の展開』岩田書院〈近世史研究叢書 ; 2〉、1998年5月。ISBN 4872941152。 藤井讓治、吉岡眞之(監修・解説)『天皇皇族実録』 113-114巻、ゆまに書房、2006年4月。ISBN 978-4-8433-2033-4。
114巻(中御門天皇実録 第2巻)。 中御門天皇の日形冠 1702年1月14日 - 1737年5月10日 表 話 編 歴 1 神武天皇 2 綏靖天皇 3 安寧天皇 4 懿徳天皇 5 孝昭天皇 6 孝安天皇 7 孝霊天皇 8 孝元天皇 9 開化天皇 10 崇神天皇 11 垂仁天皇 12 景行天皇 13 成務天皇 14 仲哀天皇 15 応神天皇 16 仁徳天皇 17 履中天皇 18 反正天皇 19 允恭天皇 20 安康天皇 21 雄略天皇 22 清寧天皇 23 顕宗天皇 24 仁賢天皇 25 武烈天皇 26 継体天皇 507?-531? 27 安閑天皇 531?-535? 28 宣化天皇 535?-539? 29 欽明天皇 539?-571? 30 敏達天皇 572?-585? 31 用明天皇 585?-587? 32 崇峻天皇 587?-592? 33 推古天皇 592-628 34 舒明天皇 629-641 35 皇極天皇 642-645 36 孝徳天皇 645-654 37 斉明天皇 655-661 38 天智天皇 661-671 39 弘文天皇 671-672 40 天武天皇 673-686 41 持統天皇 686-697 42 文武天皇 697-707 43 元明天皇 707-715 44 元正天皇 715-724 45 聖武天皇 724-749 46 孝謙天皇 749-758 47 淳仁天皇 758-764 48 称徳天皇 764-770 49 光仁天皇 770-781 50 桓武天皇 781-806 51 平城天皇 806-809 52 嵯峨天皇 809-823 53 淳和天皇 823-833 54 仁明天皇 833-850 55 文徳天皇 850-858 56 清和天皇 858-876 57 陽成天皇 876-884 58 光孝天皇 884-887 59 宇多天皇 887-897 60 醍醐天皇 897-930 61 朱雀天皇 930-946 62 村上天皇 946-967 63 冷泉天皇 967-969 64 円融天皇 969-984 65 花山天皇 984-986 66 一条天皇 986-1011 67 三条天皇 1011-1016 68 後一条天皇 1016-1036 69 後朱雀天皇 1036-1045 70 後冷泉天皇 1045-1068 71 後三条天皇 1068-1072 72 白河天皇 1072-1086 73 堀河天皇 1086-1107 74 鳥羽天皇 1107-1123 75 崇徳天皇 1123-1141 76 近衛天皇 1141-1155 77 後白河天皇 1155-1158 78 二条天皇 1158-1165 79 六条天皇 1165-1168 80 高倉天皇 1168-1180 81 安徳天皇 1180-1185 82 後鳥羽天皇 1183-1198 83 土御門天皇 1198-1210 84 順徳天皇 1210-1221 85 仲恭天皇 1221 86 後堀河天皇 1221-1232 87 四条天皇 1232-1242 88 後嵯峨天皇 1242-1246 89 後深草天皇 1246-1259 90 亀山天皇 1259-1274 91 後宇多天皇 1274-1287 92 伏見天皇 1287-1298 93 後伏見天皇 1298-1301 94 後二条天皇 1301-1308 95 花園天皇 1308-1318 96 後醍醐天皇 1318-1339 97 後村上天皇 1339-1368 98 長慶天皇 1368-1383 99 後亀山天皇 1383-1392 北1 光厳天皇 1331-1333 北2 光明天皇 1336-1348 北3 崇光天皇 1348-1351 北4 後光厳天皇 1352-1371 北5 後円融天皇 1371-1382 100 後小松天皇 1382-1412 101 称光天皇 1412-1428 102 後花園天皇 1428-1464 103 後土御門天皇 1464-1500 104 後柏原天皇 1500-1526 105 後奈良天皇 1526-1557 106 正親町天皇 1557-1586 107 後陽成天皇 1586-1611 108 後水尾天皇 1611-1629 109 明正天皇 1629-1643 110 後光明天皇 1643-1654 111 後西天皇 1654-1663 112 霊元天皇 1663-1687 113 東山天皇 1687-1709 114 中御門天皇 1709-1735 115 桜町天皇 1735-1747 116 桃園天皇 1747-1762 117 後桜町天皇 1762-1770 118 後桃園天皇 1770-1779 119 光格天皇 1779-1817 120 仁孝天皇 1817-1846 121 孝明天皇 1846-1866 122 明治天皇 1867-1912 123 大正天皇 1912-1926 124 昭和天皇 1926-1989 125 明仁 1989-2019 126 徳仁 2019- 前の数字は代数。南朝を正統とする。 名前の赤背景は女性天皇。 第37代斉明天皇は第35代皇極天皇の、第48代称徳天皇は第46代孝謙天皇の重祚。 後の数字は在位年。なお、江戸時代以前は日付までを考慮した厳密な和暦からの換算は行なっていない。 表 話 編 歴 天皇の一覧 皇后の一覧 皇室系図の一覧 元号の一覧 宮家一覧 男性皇族一覧 天皇 今上天皇 后位 皇后 皇太后 太皇太后 上皇后 皇太子 皇太子妃 親王 親王妃 内親王 王 王妃 女王 大妃 摂政 摂政宮 入道親王 法親王 太上天皇 上皇 太上法皇 准太上天皇 大行天皇 後宮 妃位 妃 皇太妃 太皇太妃 夫人位 夫人 皇太夫人 太皇太夫人 准三宮 中宮 女御 更衣 御息所 御匣殿別当 大兄 国母 皇族 旧皇族 内廷皇族 宮家 直宮家 女性天皇 女系天皇 女性宮家 院宮王臣家 伯家 華族 王公族 朝鮮貴族 即位 践祚 譲位 崩御 薨去 皇籍 臣籍降下(皇籍離脱) 降嫁 親王宣下 皇別 皇位 皇嗣 皇別摂家 皇位継承 皇位継承順位 陛下 殿下 御称号 宮号 尊号 全名 諡 諱 お印 宮中三殿 賢所 皇霊殿 神殿 天照大神 皇祖神 伊勢神宮 神 日本神話 神道 神社本庁 日本の元首 日本国憲法第1章 国事行為 国事行為臨時代行 国事行為の臨時代行に関する法律 天皇の退位等に関する皇室典範特例法 行幸・行啓 園遊会 皇室典範(旧皇室典範) 皇室経済法 皇室経済会議 皇室経済法施行法 皇室会議 皇室財産 皇室費用(宮廷費・内廷費・皇族費) 皇室令 皇室服喪令 皇統譜 宮内庁法 宮内庁御用達 最高敬語 永世皇族制 象徴天皇制 天皇制 皇室裁判所 皇族軍人 名誉総裁 神武天皇即位紀元(皇紀) 即位の礼 大喪の礼 退位の礼 立太子の礼 立皇嗣の礼 講書始 歌会始 雅楽 蹴鞠 鴨場 古式馬術 打毬 大祓 信任状捧呈式 認証官任命式 一般参賀 新年祝賀の儀 納采の儀 命名の儀 賜剣の儀 深曽木の儀 斂葬の儀 四方拝 先帝祭 大嘗祭 大饗の儀 天皇誕生日(天長節) 皇后誕生日(地久節) 鎮魂祭 招魂祭 紀元節祭 神嘗祭 元始祭 皇霊祭 歳旦祭 新嘗祭 神武天皇祭 皇妣たる皇后の例祭 紀元二千六百年記念行事 三種の神器
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2024/11/20 23:59更新
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