もしもし情報局 > 1969年 > 5月5日 > 野球選手

伊良部秀輝の情報 (いらぶひでき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

伊良部秀輝の情報(いらぶひでき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

伊良部 秀輝さんについて調べます

■名前・氏名
伊良部 秀輝
(読み:いらぶ ひでき)
■職業
野球選手
■伊良部秀輝の誕生日・生年月日
1969年5月5日 (年齢2011年没)
酉年(とり年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和44年)1969年生まれの人の年齢早見表

伊良部秀輝と同じ1969年生まれの有名人・芸能人

伊良部秀輝と同じ5月5日生まれの有名人・芸能人

伊良部秀輝と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


伊良部秀輝の情報まとめ

もしもしロボ

伊良部 秀輝(いらぶ ひでき)さんの誕生日は1969年5月5日です。兵庫出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、卒業、引退、事件、母親、離婚、父親、家族、テレビに関する情報もありますね。2011年に亡くなられているようです。

伊良部秀輝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

NPBと北米のMLBなどでプレー。MLBでは、アジア人初のワールドシリーズチャンピオンを経験。2度のワールドチャンピオンに輝いている。

沖縄県コザ市(現在の沖縄市)生まれ、兵庫県尼崎市育ち。実父は在日アメリカ空軍兵士であるアメリカ人スティーブ・トンプソン、日本人の実母・和江との間にハーフとして生まれる。実父は間もなく帰国した。尼崎市立常光寺小学校、尼崎市立若草中学校を卒業後、香川県の尽誠学園高等学校に進学。2年生の夏の1986年と3年生の夏の1987年の全国高等学校野球選手権大会に投手として出場。2年の夏は初戦で後に千葉ロッテでチームメイトになる大村巌が在籍する、南北海道代表・東海大四高と対戦し、サヨナラ負けを喫して敗退したが、3年の夏では1回戦で優勝候補の鈴木健擁する浦和学院高校を破り、3回戦では試合中に右手を痛めて島田直也、仁志敏久擁する常総学院高校に敗れた。高校では1学年後輩に佐伯貴弘、2学年後輩に宮地克彦がおり、佐伯とは寮で同部屋だった。

1987年のドラフト会議でロッテ・オリオンズ(1992年より千葉ロッテマリーンズ)が1位指名で交渉権を獲得し、契約金5,000万円、年俸500万円(金額は推定)で入団合意した。

初年度の1988年から一軍のマウンドを経験、村田兆治、前田幸長らとともにチームの弱小投手陣を支えた。入団2年目(1989年)に西武の清原和博との対戦時に156km/hを記録するなど当時から球速はめっぽう速かったが、コントロールが悪くカウントを悪くしては失投を痛打されるなど入団後数年は試練の時が続いた。起用法も先発・リリーフなど一定ではなかった。1990年は8勝を挙げ頭角を現しかけるものの、翌1991年は3勝留まりと不振に終わる。オフの日韓プロ野球スーパーゲームに日本選抜で出場した。翌1992年もリリーフ中心の起用で、勝ち星を挙げられなかった。

1993年5月3日の西武戦で清原との対戦時に158km/hを記録。以後、清原和博との対決は「平成の名勝負」とうたわれ、シーズン後半から投球のコツを掴み7連勝を記録した。起用法も先発・リリーフ兼任からローテーション投手として固定されるようになった。また日本ハムファイターズ監督の大沢啓二がマスコミ相手に「幕張の浜で伊良部クラゲに刺された、イテテテ…」と言ったことから「伊良部クラゲ」の異名がつく。しかし、伊良部本人は、真夏以降にしか活躍できないというマイナスの意味から、伊良部クラゲと呼ばれることを非常に嫌っていた。

1994年は自身初のオールスターゲームに野茂英雄を抑えファン投票で出場し、第1戦で松井秀喜相手に159km/hを投じ勝利投手となった。最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得、2年連続規定投球回数到達で防御率も2位だった。9月28日に行われた大島康徳の引退試合(対日本ハム戦)に登板し、大島は伊良部から2安打打っている。

1995年、初の開幕投手を務め、小宮山悟、エリック・ヒルマンと共に先発投手陣三本柱として、チームの2位躍進に貢献。再びファン投票選出でオールスターゲーム出場も第2戦で金本知憲に被本塁打され敗戦投手。最優秀防御率と2年連続の最多奪三振のタイトルを獲得した。また4試合連続2桁奪三振も2年連続で記録している。

1996年は本来は、2年連続の開幕投手の予定だったが故障で登板回避になり、開幕3連戦の他のローテーションは動かせないということで、急遽開幕2日前に4番手の園川一美が開幕投手を務めることに決まったという。2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した一方で、当時GMであった広岡達朗に「打たれるのは闘争心が無いからだ!!」と翌日のサンケイスポーツで言われたと記事にされていたりもした。3年連続でオールスターゲーム出場(自身初の監督推薦)、初回表オールセントラル1番前田智徳2番立浪和義3番トーマス・オマリーの3者連続含め5奪三振と3回をパーフェクト。

同年オフにメジャーリーグへの移籍希望を表明しニューヨーク・ヤンキースへの入団を希望した。しかし、ロッテ球団は提携球団のサンディエゴ・パドレスに伊良部の保有権を永久的に譲渡する契約を交わした。それに対し伊良部は「ピンストライプのユニフォームの重さというのは野球を経験した者にしか分からない」と主張しあくまでヤンキースへの入団に拘り、エージェント団野村と契約し対応。大型トレードを仕掛け、最終的に三角トレードという形でヤンキース入団を果たし、4年8000万ドルで契約(日本人初となるヤンキースのメジャー契約選手)した。この時、取材陣に対し伊良部は「アンタら凡人にミケランジェロの気持ちが解るか?オレはミケランジェロなんだよ」という言葉を発し、一部から顰蹙を買う(伊良部メジャーリーグ移籍騒動)。

1997年5月31日にヤンキース入団記者会見を行った。NPB/MLBを交えた大騒動を経て入団したため、メジャー初登板初先発となった7月10日のデトロイト・タイガース戦では通常の2倍の観客が詰めかけた。このデビュー戦では、6回2/3を5安打2失点9奪三振の投球でメジャー初勝利で、前々年5月の野茂英雄もなしえなかった日本人初の初登板初先発初勝利を達成した。オーナーのジョージ・スタインブレナーからは「和製ノーラン・ライアン」と称された。しかし、2試合目は5回5失点、3試合目となった7月20日の試合では6回2/3を6失点を喫し、さらに降板するときにブーイング中のファンに向けてツバを飛ばしたことで、現地メディアからは「ヤンキースのつば吐き男」「Kadai Hyouka」などの見出しで実力が疑問視され始めた。その後も成績は向上せず、8試合目の先発を終えた時点で防御率は7.98となり先発を外される。さらに、救援に回った最初の試合である9月5日も9失点で敗戦投手となり、スタインブレナーが「イラブにはもう期待しないよ」と述べるほどであった。メジャー1年目の成績は5勝4敗だった。

1998年はスプリングトレーニングで右ひじを痛めたことにより100球の球数制限を指示されるも、開幕からローテーションの一角を担う。5月終了時点11試合の先発で防御率1.68でリーグトップに立ち、5月は4勝1敗、防御率1.44、WHIP1.05の成績で日本人初のアメリカンリーグのピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した。6月に調子を落としオールスター選出はならなかったものの、14試合の先発で6勝3敗、防御率2.91、WHIP1.23の成績で前半戦を折り返す。しかし後半戦は1試合のリリーフ登板を含む15試合の登板で7勝6敗、防御率5.21、WHIP1.35と調子を落としポストシーズンでの登板はなかったが、チームはワールドシリーズを制覇し、日本人初のMLBチャンピオンリングを獲得した。メジャー2年目の成績は13勝9敗で、6月以降は18試合の登板で防御率5.88だった。

1999年、スプリングトレーニング最終日の試合で一塁ベースカバーを怠り、スタインブレナーから「彼は太ったヒキガエル。一塁カバーを怠るなんてありえない。ヤンキースの一員としてあるまじき失態だ。体重252ポンド(114.3キログラム)なんて愚かとしか言いようがない」と言われ、さらにキャンプ地への居残りを命令された。その後スタインブレナーは態度を和らげたものの、開幕当初はリリーフとして起用。5月2日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で先発に復帰。7日のシアトル・マリナーズ戦ではマック鈴木との史上初の日本人投手同士による先発が実現し、7回を4安打1失点5奪三振の投球で勝利投手となる。13日のアナハイム・エンゼルス戦では長谷川滋利との投げ合いもあった。7月は4勝0敗、防御率2.64、WHIP1.08の活躍でキャリア二度目のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した。ヤンキー・スタジアムでの試合で一塁ベースカバーに入りアウトを取った際にはスタンディングオベーションが起こった。後半戦は1試合のリリーフ登板を含む15試合の登板で5勝4敗、防御率5.60、WHIP1.50の成績に終わる。ポストシーズンではボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦の3回無死一塁の場面に登板したが、4回2/3を13安打1本塁打8失点と打ち込まれた。ワールドシリーズでは出場選手登録を外れたため登板の機会はまたしても無かったが、チームはワールドシリーズ優勝を果たし、自身2個目のチャンピオンリングを獲得した。シーズン成績は11勝7敗だった。

1999年12月22日にテッド・リリー、ジェイク・ウェストブルック、クリスチャン・パーカー(英語版)とのトレードで、モントリオール・エクスポズへ移籍した。ヤンキースと結んだ残りの契約に加え、1年250万ドル+出来高での翌々年の契約も延長した。地元記者に、「エクスポズもピンストライプだから良かったじゃないか」と皮肉を言われる(日本人初エクスポズ・メジャー契約選手)。

2000年は開幕から調子が上がらず、4月26日のパドレス戦後に右膝半月板損傷が発覚して手術を受ける。7月27日のニューヨーク・メッツ戦で復帰するも、試合後に右肘遊離軟骨が発見され8月15日に手術を受けシーズン終了となった。

2001年のスプリングトレーニングで右膝と右肘の痛みを訴え故障者リスト入りして開幕を迎えた。5月31日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で復帰するも、6月17日に肘痛が再発。靭帯部分断裂と診断されたが手術は回避しリハビリを続けていたが、8月26日に遠征先でチームメイトと食事をした際に酒を飲みすぎ、意識不明となって病院に搬送されたことが原因で29日に7日間の謹慎処分を命じられ、9月6日に解雇された。オフにはプエルトリコのウィンターリーグに参加し5勝3敗、防御率2.34の成績で最優秀投手賞と右投手ベストナインを受賞。

2001年12月27日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。

2002年はスプリングトレーニングに招待選手として参加し、リリーフとして開幕メジャー入りを果たす(日本人初レンジャーズ・メジャー契約選手)。4月6日のアナハイム・エンゼルス戦では朴賛浩の故障に伴い初先発。13日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対決し3打席を右前安打、三ゴロ、遊ゴロに抑えた。17日のエンゼルス戦では3点リードの9回に登板し、キャリアでも9年ぶりとなるメジャー初セーブを記録。以降クローザーとして5月中旬まで1勝10セーブ、防御率0.64、WHIP0.92と好投を続け、地元紙からは「球団史上に残るクローザー」とも呼ばれた。しかし6月から防御率8.44、WHIP1.68と調子を落とし、7月15日に肺血栓が見つかりシーズンを終える。

2002年12月7日に阪神タイガースと1年2億円で契約した。約6年ぶりのNPB復帰となった。

2003年は監督の星野仙一は伊良部に抑えを任せたかったが、伊良部本人の希望により先発起用となった。この年はオールスターゲームにも1996年以来7年ぶりに選出され、古巣・ロッテの本拠地千葉マリンスタジアムでの第2戦に先発して3回無失点と好投し、優秀選手賞を受賞した。そしてシーズンでは13勝を挙げ、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献(前半9勝2敗、後半4勝6敗)。しかし、後半戦は球威が落ちて勝ち星は伸びなかった。福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは第2戦と第6戦の2試合で先発するも機動力に翻弄され、いずれも早い回でKOされ敗戦投手となった。

岡田彰布監督となった2004年はキャンプイン後の沖縄で暴行事件を起こして30万円の罰金処分を受けた。開幕直前にタンパベイ・デビルレイズとの日米野球プレシーズンゲームでは先発も務めた。シーズンでは開幕早々に前年の日本シリーズで露呈したセットポジションでの欠点(盗塁を防ぐ牽制が下手な点)を衝かれ、大量失点を繰り返して防御率は13.11という不調で登板数も3試合だった。10月5日に戦力外通告を受けた。

翌2005年開幕直前、最初の引退表明。ロッテ時代の同僚前田幸長によると、持病の膝痛に苦しんでの決断であった。

2005年3月上旬に現役を引退後に再び渡米し、グリーンカード(外国人永久居住権)を取得して実業家に転身した。高校時代の友人と共同で、カリフォルニア州ロサンゼルスでうどんのフランチャイズチェーン店「SUPER UDON」を開業する。当初は人気店だったが、その後閉店した。2008年8月には大阪市北区のバーでクレジットカードが使用できないことに腹を立て、店舗の破壊および店長を暴行した容疑で現行犯で逮捕された。伊良部は10月16日に書類送検されたが、不起訴処分となった。この件について団野村の著書『伊良部秀輝〜野球を愛しすぎた男の真実』によると、店側が伊良部のカードをスキミングしようとしていたことが原因であり、後日店側がスキミングを行っていたことが明らかになったという。

TVドキュメントによると、伊良部は引退した要因の一つであった膝の痛みが、かかとを浮かせた投球フォームから地に付けたフォームへと改良することで消えたことから、現役復帰を目指しトレーニングを開始した。

2009年4月27日、北米独立リーグ「ゴールデンベースボールリーグ」に加盟するロングビーチ・アーマダ(英語版)に入団した(月給1,500ドル)。5年ぶりに現役に復帰し、初登板初先発で勝利投手になった。8月、日本独立リーグ「四国・九州アイランドリーグ」に加盟する高知ファイティングドッグスに入団(月給16 - 18万円)したが、同年9月、右手首腱鞘炎で全治3週間と診断されシーズン中の復帰が困難となり、伊良部側の希望により契約解除となり退団した。高知での成績は2試合(12イニング)に登板して0勝0敗、6奪三振11四死球で防御率5.25であった。

2010年1月19日、伊良部はブログで2度目の引退を表明した。

2011年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で首を吊った状態で死亡しているのが発見された。

伊良部は7月24日を最後に人前から姿を消しており、地元の警察の捜査では自殺とされている。ロサンゼルス郡検死官事務所によると、伊良部は血中から大量のアルコールが検出されており、自殺の理由として、事業に失敗したこと、死の1か月ほど前から妻子と別居状態が続いていたことなどで、精神的に追い詰められていた事情が指摘されている。

また、伊良部は日本で指導者となることを希望していたが受け入れる球団はなく、解説者や評論家の道も閉ざされており、野球人としての将来に不安を抱いていたとする指摘もあった。

友人や関係者によって伊良部の自宅前に献花台と焼香台が設けられ、『阪神タイガース有志一同』などの献花や、阪神ファンによるものと思われる阪神タイガースの帽子が供えられた。29日にはニューヨーク・ヤンキースが試合前に黙祷した。伊良部がメジャー初登板初先発初勝利を挙げた試合で捕手を務めていたヤンキースのジョー・ジラルディ監督は「一緒にいて楽しい、よきチームメイトで、何度も好投してくれた。旧友を失うのはつらい。彼にも子供がいるし、悲しいことだ」と語り、チームメイトのデレク・ジーターも「言葉の壁はあったが、周囲が思う以上にいろんなことを理解する楽しい人物だった。悲報を聞いたときは言葉を失ったよ」と語った。阪神も30日に横浜ベイスターズとの試合前に黙祷し、ユニフォームに喪章を着用してプレーした。同日、伊良部の古巣・ロッテも(前出の星野監督が就任間もない)東北楽天ゴールデンイーグルスとのゲーム前に黙祷し、球場の大型ビジョンに伊良部の往年の雄姿を映し出した。

伊良部の葬儀は8月3日に近親者のみで行われ、遺骨は伊良部本人の希望ではロサンゼルスのリトル・トーキョーにある東本願寺ロサンゼルス別院に納骨してほしいとのことだったが、伊良部の妻とその母親の意向により四十九日を待たずに千葉市内の寺院で無縁仏として無量寿堂に納められた。

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "伊良部秀輝" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年9月)
伊良部の投球(2009年7月2日)
「日本プロ野球史上最速の投手は誰か」といった議論の際に、必ずといっていいほど名前を挙げられる投手である。2005年にマーク・クルーン(記録時:横浜ベイスターズ)が159km/hを記録するまで、山口和男(記録時:オリックス・ブルーウェーブ)、五十嵐亮太(記録時:東京ヤクルトスワローズ)らと共に日本プロ野球最速タイ記録(158km/h)を保持していた。1997年にはMLBで99マイル(159.3km/h)を記録している。 鹿取義隆は、伊良部の投じるフォークボールは野茂英雄が投じるそれよりも上だと述べている。鹿取曰くフォークで140キロ台後半が出るのは威圧感があったといい、打席から戻ってくる選手たちは「あの速さで落ちてきたら全く打てない」と言っていたという。 中学生時代、かつてニグロリーグとメジャーリーグで大活躍し「野球の歴史上最高の投手」と称されたサチェル・ペイジの投球フォームを見て度肝を抜かれたとインタビューで語っており、以降はそのフォームを何度も真似して投げるほどの入れ込みようだったという。またロッテに入団してからも最初の6年くらいはペイジのように投げたいと思っていたとの事。 黒木知宏は2021年12月31日公開分の『フルタの方程式』で日本球界史上で体感速度No.1のストレートを投げる投手として伊良部の名前を挙げており、特に投球の出所の分かりにくさを高く評価している。 速球を軸に押し切る豪快な投球スタイルで知られたが、年を重ねると共にコントロールを重視したスタイルへと変化していった。前述の最速記録の後に投げた157km/hの速球を清原に二塁打された事が、投球術を磨くきっかけとなった。巨体と独特の風貌に反して理論派であるという声も多く、91年日韓戦や03年球宴でバッテリー組んだ古田敦也は「阪神時代の伊良部は、投球術を駆使する軟投派だった」と証言している。ロッテ時代の先輩であった牛島和彦も「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」と語っている。 また打席ではバントが巧みで2003年には15の犠打を決めている。このバントの様を見たNHKスポーツ実況の石川洋は「最初からバントの構えをせず、しかもバットのヘッドが平気で動くのに伊良部の場合はそれで簡単に決めてくる。」と、その秘めた器用さに驚愕していた。

人物

大のマスコミ嫌いであることから誤解されやすい人間であったが、野球仲間からの評判は決して悪くなかった。福浦和也は引退間近の取材で「若手の頃は、らぶさん(伊良部)に可愛がってもらった」と語り、小野晋吾、黒木知宏、藪田安彦などの後輩達も口を揃えて「色々とアドバイスをしてくれる後輩思いの優しい先輩だった」と話している。他にも吉井理人、大村巌、イチローなどと仲が良かった。 また、ファンサービスや慈善活動は積極的だったため、マスコミには嫌われているものの、野球ファンから嫌われているわけではなかった。病院で偶然、女優の豊島由佳梨と遭遇したことがあり、豊島はブログで、「なぜ新聞などでこんなに叩かれてるのか分からないくらい、気さくでいい人だった」と綴っている。

詳細情報

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セ丨ブ ホ丨ルド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ丨ク 失点 自責点 防御率 WHIP
1988 ロッテ 14 6 0 0 0 2 5 1 -- .286 162 39.1 30 7 18 0 1 21 1 1 19 17 3.89 1.22
1989 33 2 0 0 0 0 2 9 -- .000 211 51.0 37 1 27 0 2 50 6 0 20 20 3.53 1.25
1990 34 11 4 0 0 8 5 0 -- .615 544 123.2 110 6 72 1 7 102 12 2 58 52 3.78 1.47
1991 24 16 2 0 0 3 8 0 -- .273 471 100.2 110 20 70 0 1 78 10 1 78 77 6.88 1.79
1992 28 4 0 0 0 0 5 0 -- .000 336 77.0 78 2 37 0 1 55 4 1 38 33 3.86 1.49
1993 32 14 6 0 0 8 7 1 -- .533 592 142.1 125 11 58 0 6 160 6 1 59 49 3.10 1.29
1994 27 26 16 1 0 15 10 0 -- .600 870 207.1 170 16 94 2 6 239 13 2 77 70 3.04 1.27
1995 28 27 9 2 2 11 11 0 -- .500 835 203.0 156 9 72 1 9 239 11 1 70 57 2.53 1.12
1996 23 23 3 0 0 12 6 0 -- .667 639 157.1 108 7 59 0 3 167 7 4 56 42 2.40 1.06
1997 NYY 13 9 0 0 0 5 4 0 -- .556 246 53.1 69 15 20 0 1 56 4 3 47 42 7.09 1.67
1998 29 28 2 1 0 13 9 0 -- .591 732 173.0 148 27 76 1 9 126 6 1 78 78 4.06 1.29
1999 32 27 2 1 0 11 7 0 0 .611 733 169.1 180 26 46 0 6 133 7 0 98 91 4.84 1.33
2000 MON 11 11 0 0 0 2 5 0 0 .286 247 54.2 77 9 14 0 1 42 5 2 45 44 7.24 1.66
2001 3 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 74 16.2 22 3 3 0 0 18 0 0 9 9 4.86 1.50
2002 TEX 38 2 0 0 0 3 8 16 2 .273 204 47.0 51 11 16 2 1 30 3 0 30 30 5.74 1.43
2003 阪神 27 27 3 0 0 13 8 0 -- .619 730 173.0 186 24 47 0 6 164 4 0 77 74 3.85 1.35
2004 3 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 62 11.2 26 5 4 0 1 7 0 1 19 17 13.11 2.57
NPB:11年 273 159 43 3 2 72 69 11 -- .511 5452 1286.1 1136 108 558 4 43 1282 74 14 571 508 3.55 1.32
MLB:6年 126 80 4 2 0 34 35 16 2 .493 2236 514.0 547 91 175 3 18 405 25 6 307 294 5.15 1.40
    各年度の太字はリーグ最高

    「-」は記録なし

    各年度の太字はリーグ最高

    最多勝利:1回(1994年)

    最優秀防御率:2回(1995年、1996年)※2年連続は稲尾和久、山本由伸に次ぐパ・リーグ3位タイ

    最多奪三振:2回(1994年、1995年)

    ベストナイン:2回(1994年、1995年)

    月間MVP:5回(1993年9月、1995年7月、1995年9月、1996年8月、2003年5月)

    JA全農Go・Go賞:1回(最多奪三振賞:2003年5月)

    IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(1994年)

    オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2003年第2戦)

    ピッチャー・オブ・ザ・マンス:2回(1998年5月、1999年7月)

    初登板・初先発:1988年5月7日、対西武ライオンズ5回戦(川崎球場)、3回0/3を2失点で敗戦投手

    初奪三振:同上、1回表に秋山幸二から

    初勝利:1988年8月14日、対阪急ブレーブス13回戦(川崎球場)、5回2/3を3失点

    初セーブ:1988年10月20日、対南海ホークス26回戦(川崎球場)、8回表に4番手で救援登板・完了、2回無失点

    初完投勝利:1990年8月10日、対近鉄バファローズ15回戦(藤井寺球場)、9回1失点

    初完封勝利:1994年4月22日、対日本ハムファイターズ3回戦(千葉マリンスタジアム)

    1000投球回:1996年5月17日、対日本ハムファイターズ7回戦(千葉マリンスタジアム) ※史上267人目

    1000奪三振:同上、6回表にバーナード・ブリトーから ※史上96人目

    オールスターゲーム出場:4回(1994年 - 1996年、2003年)

    18(1988年 - 1996年)

    35(1997年)

    14(1998年 - 2001年)

    45(2002年)

    41(2003年 - 2004年)

    14(2009年途中)

    「Party Up In Here」DMX(2003年 - 2004年)

    『最新最強のピッチング・メカニクス』(吉井理人と共著、永岡書店:2010年7月)

    ^ 参考(出身地):

      『プロ野球12球団全選手百科名鑑』『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズでは「沖縄県宮古市」と明記されていた。
        1996年(ロッテ最終年)

        2004年(阪神最終年)

        ^ 参考:

          父がアメリカ人と明記。

          ^ 尼崎市立杭瀬小学校との統合により廃校。

          ^ 既に離婚していたとする説もある。

          ^ 田崎健太『球童 伊良部秀輝伝』講談社、7頁。ISBN 978-4-06-218894-4。 

          ^ 田崎健太『球童 伊良部秀輝伝』講談社、8頁。ISBN 978-4-06-218894-4。 

          ^ 『'96プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1996年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P125

          ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2004』(『ホームラン』2004年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P34

          ^ “感動読み物この男がいたからダルビッシュ、田中はメジャー入りできた 伊良部秀輝 哀しき最速エースの肖像 後編 父との対面と、突然の別れ”. 現代ビジネス (2014年6月12日). 2021年3月10日閲覧。

          ^ “伊良部秀輝の“遺言”「父親がアメリカ人とは知らなかった」”. 日刊SPA!. 2021年3月10日閲覧。

          ^ 尽誠学園(香川)伊良部秀輝投手 写真特集:時事ドットコム 時事通信社 2019年5月12日閲覧

          ^ 尽誠学園(香川)伊良部秀輝投手 2 写真特集:時事ドットコム 時事通信社 2019年5月12日閲覧

          ^ 朝日新聞、1987年11月29日付朝刊 (24面)

          ^ “日めくりプロ野球 【5月3日】1993年(平5) 伊良部秀輝 日本新の158キロ!「清原さんだから」”. スポーツニッポン. (2012年5月3日). オリジナルの2012年5月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191007120302/http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1205/kiji/K20120503003175810.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “1994年 パシフィック・リーグ”. 年度別成績. 日本野球機構. 2022年2月3日閲覧。

          ^ 大島康徳 (2018年11月16日). “ゴリ押しした引退試合?【大島康徳の負くっか魂!!第84回】”. 週刊ベースボール. https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=104-20181115-01 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “1995年 パシフィック・リーグ”. 年度別成績. 日本野球機構. 2022年2月3日閲覧。

          ^ 99シーズンにかける日本人メジャーリーガー『月刊スラッガー』1999年5月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌05456-3、10-11頁。

          ^ 伊良部秀輝(インタビュアー:ジョージ・ウィルス)「伊良部氏 ツバ吐き事件の真相は「自分に腹が立ったから」」『週刊ポスト』、2011年7月30日。https://www.news-postseven.com/archives/20110730_27141.html?DETAIL。2022年2月3日閲覧。 

          ^ 朝日新聞7月23日21面

          ^ “Hideki Irabu 1997 Pitching Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2022年2月3日閲覧。

          ^ “伊良部秀輝”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. VICTORYアスリート名鑑. 2022年2月3日閲覧。

          ^ 日本人選手特集 THE CHALENGE 試練の時を乗り越えろ!『月刊スラッガー』1999年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌05456-6、25頁。

          ^ 『月刊スラッガー』2002年7月号、48頁。雑誌15509-7。

          ^ 岩崎正範 (2020年6月2日). “阪神の伊良部だからって「うぬぼれるな」 当時のスナックママが洗いざらい本紙に…”. 東京スポーツ. https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/193659 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “虎ナインは伊良部の“良き素顔”を強調も…なぜそこまで酒を”. 東京スポーツ. (2020年6月3日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/193741 2022年2月3日閲覧。 

          ^ 「伊良部戦力外」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月6日付朝刊、23面(スポーツ面)。

          ^ 山岡則夫 (2020年7月27日). “「苦しんでいる投手助けたい…」伊良部秀輝の盟友が語る、剛腕の“本当の姿””. AERA dot.: p. 2. https://dot.asahi.com/articles/-/87093?page=2 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “伊良部逮捕!生ビール20杯飲み大暴れ”. 日刊スポーツ. (2008年8月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080821-399315.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ 団野村『伊良部秀輝: 野球を愛しすぎた男の真実』21頁 - Google ブックス

          ^ オグマナオト (2013年2月28日). “伊良部秀輝はわがままでも傲慢でもなかった。ただ野球を愛しすぎたのだ”. exciteニュース: p. 2. https://www.excite.co.jp/news/article/E1361978604520/?p=2 2022年2月3日閲覧。 

          ^ 村上尚史 (2011年7月29日). “元ヤンキースの伊良部さん死亡 ロス近郊の自宅で”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201107290004.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “自殺の伊良部氏の孤独な死「郵便物がたまっておかしいと思った」”. スポーツニッポン. (2011年7月30日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/30/kiji/K20110730001311140.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “元NYヤンキース投手の伊良部さん、米自宅で死去”. AFP通信. (2011年7月29日). https://www.afpbb.com/articles/-/2816899 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “Coroner’s Office says Irabu intoxicated at time of death” (2011年10月16日). 2016年5月10日閲覧。

          ^ “伊良部さんに新事実?1カ月前に離婚か…キヨ「悲しすぎます」”. 夕刊フジ. (2011年7月30日). オリジナルの2012年1月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120118085516/http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110730/bbl1107301420004-n1.htm 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “動機は?繊細だった伊良部氏「だまされ 心のよりどころだった家族とも…」”. スポーツニッポン. (2011年7月30日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/30/kiji/K20110730001313300.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ 菅谷, 齊 (2011年7月29日). “ふるさとに戻れなかった伊良部 引退後に不安持つ現役選手にも衝撃”. J-CASTニュース. https://www.j-cast.com/2011/07/29102960.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ 藤えりか (2011年7月29日). “「タイガース有志一同」が献花 LAの伊良部さん友人ら”. 朝日新聞. オリジナルの2012年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/sxv1 2022年2月3日閲覧。 

          ^ TBS『報道特集』2011年7月29日のテレビ報道

          ^ “ヤ軍が伊良部氏の死去受け試合前に黙とう”. 日刊スポーツ. (2011年7月30日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20110730-812829.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “【阪神】伊良部さんへ喪章をつけてプレー”. 日刊スポーツ. (2011年7月30日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110730-813064.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “嫁と実家の確執の末に伊良部秀輝氏の遺骨が「無縁仏」に”. 週刊ポスト. (2012年1月13日). https://www.news-postseven.com/archives/20120113_80677.html?DETAIL 2022年2月3日閲覧。 

          ^ http://mlb-info.com/fastestpitchrecord/

          ^ 「実力者たちが語る『この一球』過去の名投手編」(『週刊ベースボール』2012年7月23日号、P.17)

          ^ 伊良部秀輝(インタビュアー:田崎健太)「伊良部秀輝の“遺言”【中編】「縦の変化球で勝ち続けたのは野茂さんだけ」」『日刊SPA!』、2011年7月30日。https://nikkan-spa.jp/36061。2022年2月3日閲覧。 

          ^ 1番凄い真っ直ぐを投げた投手は?最優秀ストレート賞【フルタの方程式AWARDS】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】2021/12/31 (YouTube、2022年3月19日閲覧)

          ^ 前田幸長 (2018年9月25日). “かつての盟友・前田幸長氏が明かすロッテ福浦の2000安打秘話”. 東京スポーツ. https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/83986 2022年2月3日閲覧。 

          ^ “晋吾ショック 「見た目とは全然違って本当に優しい先輩」”. スポーツニッポン. (2011年7月29日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/29/kiji/K20110729001308710.html 2022年2月3日閲覧。 

          ^ https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_1016/

          ^ 豊島由佳梨 (2009年3月19日). “病院で偶然。”. livedoor Blog. トヨシマの日常 - 豊島由佳梨のつれづれ日記 -. 2022年2月3日閲覧。

          沖縄県出身の人物一覧

          兵庫県出身の人物一覧

          千葉ロッテマリーンズの選手一覧

          伊良部メジャーリーグ移籍騒動

          メジャーリーグベースボールの選手一覧 I

          日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

          日本人のメジャーリーグベースボール選手が獲得したタイトル・表彰一覧

          阪神タイガースの選手一覧

          高知ファイティングドッグスの選手一覧

          自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧

          個人年度別成績 伊良部秀輝 - NPB.jp 日本野球機構

          選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

          選手 02 デレク・ジーター 11 チャック・ノブロック 14 伊良部秀輝 18 スコット・ブロシアス(シリーズMVP) 19 ルイス・ソーホー 20 ホルヘ・ポサダ 21 ポール・オニール 22 ホーマー・ブッシュ 24 ティノ・マルティネス 25 ジョー・ジラルディ 26 オーランド・ヘルナンデス 27 グレアム・ロイド

          28 チャド・カーティス 29 マイク・スタントン 31 ティム・レインズ 33 デビッド・ウェルズ 36 デビッド・コーン 38 リッキー・レディ 42 マリアノ・リベラ 43 ジェフ・ネルソン 45 チリ・デービス 46 アンディ・ペティット 47 シェーン・スペンサー 51 バーニー・ウィリアムス 55 ラミロ・メンドーサ

          監督 06 ジョー・トーリ コーチ 30 ウィリー・ランドルフ 34 メル・ストットルマイヤー 40 トニー・クロニンガー 49 クリス・チャンブリス 50 ドン・ジマー 53 ホセ・カーデナル 57 ゲイリー・タック

          1950 荒巻淳

          1951 江藤正

          1952 野口正明

          1953 川崎徳次

          1954 宅和本司, 田中文雄

          1955 宅和本司

          1956 三浦方義

          1957 稲尾和久

          1958 稲尾和久

          1959 杉浦忠

          1960 小野正一

          1961 稲尾和久

          1962 久保征弘

          1963 稲尾和久

          1964 小山正明

          1965 尾崎行雄

          1966 米田哲也

          1967 池永正明

          1968 皆川睦男

          1969 鈴木啓示

          1970 成田文男

          1971 木樽正明

          1972 山田久志, 金田留広

          1973 成田文男

          1974 金田留広

          1975 東尾修

          1976 山田久志

          1977 鈴木啓示

          1978 鈴木啓示

          1979 山田久志

          1980 木田勇

          1981 今井雄太郎, 村田兆治

          1982 工藤幹夫

          1983 東尾修, 山内和宏

          1984 今井雄太郎

          1985 佐藤義則

          1986 渡辺久信

          1987 山沖之彦

          1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明

          1989 阿波野秀幸

          1990 渡辺久信, 野茂英雄

          1991 野茂英雄

          1992 野茂英雄

          1993 野田浩司, 野茂英雄

          1994 伊良部秀輝

          1995 K.グロス

          1996 K.グロス

          1997 西口文也, 小池秀郎

          1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏

          1999 松坂大輔

          2000 松坂大輔

          2001 松坂大輔

          2002 J.パウエル

          2003 斉藤和巳

          2004 岩隈久志

          2005 杉内俊哉

          2006 斉藤和巳

          2007 涌井秀章

          2008 岩隈久志

          2009 涌井秀章

          2010 和田毅, 金子千尋

          2011 D.ホールトン, 田中将大

          2012 攝津正

          2013 田中将大

          2014 金子千尋

          2015 大谷翔平, 涌井秀章

          2016 和田毅

          2017 東浜巨, 菊池雄星

          2018 多和田真三郎

          2019 有原航平

          2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章

          2021 山本由伸

          2022 山本由伸

          2023 山本由伸

          2024 有原航平、伊藤大海

          1950 米川泰夫

          1951 阿部八郎

          1952 柚木進

          1953 米川泰夫

          1954 宅和本司

          1955 河村久文

          1956 梶本隆夫

          1957 梶本隆夫

          1958 稲尾和久

          1959 杉浦忠

          1960 杉浦忠

          1961 稲尾和久

          1962 米田哲也

          1963 稲尾和久

          1964 尾崎行雄

          1965 尾崎行雄

          1966 田中勉

          1967 鈴木啓示

          1968 鈴木啓示

          1969 鈴木啓示

          1970 鈴木啓示

          1971 鈴木啓示

          1972 鈴木啓示

          1973 成田文男

          1974 鈴木啓示

          1975 東尾修

          1976 村田兆治

          1977 村田兆治

          1978 鈴木啓示

          1979 村田兆治

          1980 木田勇

          1981 村田兆治

          1982 松沼博久

          1983 山沖之彦

          1984 佐藤義則

          1985 佐藤義則

          1986 渡辺久信

          1987 阿波野秀幸

          1988 小川博

          1989 阿波野秀幸

          1990 野茂英雄

          1991 野茂英雄

          1992 野茂英雄

          1993 野茂英雄

          1994 伊良部秀輝

          1995 伊良部秀輝

          1996 工藤公康

          1997 西口文也

          1998 西口文也

          1999 工藤公康

          2000 松坂大輔

          2001 松坂大輔

          2002 J.パウエル

          2003 松坂大輔

          2004 新垣渚

          2005 松坂大輔

          2006 斉藤和巳

          2007 ダルビッシュ有

          2008 杉内俊哉

          2009 杉内俊哉

          2010 ダルビッシュ有

          2011 ダルビッシュ有

          2012 田中将大

          2013 金子千尋

          2014 則本昂大

          2015 則本昂大

          2016 則本昂大

          2017 則本昂大

          2018 則本昂大

          2019 千賀滉大

          2020 千賀滉大, 山本由伸

          2021 山本由伸

          2022 山本由伸

          2023 山本由伸

          2024 今井達也

          1950 荒巻淳

          1951 柚木進

          1952 柚木進

          1953 川崎徳次

          1954 宅和本司

          1955 中川隆

          1956 稲尾和久

          1957 稲尾和久

          1958 稲尾和久

          1959 杉浦忠

          1960 小野正一

          1961 稲尾和久

          1962 久保田治

          1963 久保征弘

          1964 妻島芳郎

          1965 三浦清弘

          1966 稲尾和久

          1967 足立光宏

          1968 皆川睦男

          1969 木樽正明

          1970 佐藤道郎

          1971 山田久志

          1972 清俊彦

          1973 米田哲也

          1974 佐藤道郎

          1975 村田兆治

          1976 村田兆治

          1977 山田久志

          1978 鈴木啓示

          1979 山口哲治

          1980 木田勇

          1981 岡部憲章

          1982 高橋里志

          1983 東尾修

          1984 今井雄太郎

          1985 工藤公康

          1986 佐藤義則

          1987 工藤公康

          1988 河野博文

          1989 村田兆治

          1990 野茂英雄

          1991 渡辺智男

          1992 赤堀元之

          1993 工藤公康

          1994 新谷博

          1995 伊良部秀輝

          1996 伊良部秀輝

          1997 小宮山悟

          1998 金村暁

          1999 工藤公康

          2000 戎信行

          2001 N.ミンチー

          2002 金田政彦

          2003 斉藤和巳, 松坂大輔

          2004 松坂大輔

          2005 杉内俊哉

          2006 斉藤和巳

          2007 成瀬善久

          2008 岩隈久志

          2009 ダルビッシュ有

          2010 ダルビッシュ有

          2011 田中将大

          2012 吉川光夫

          2013 田中将大

          2014 金子千尋

          2015 大谷翔平

          2016 石川歩

          2017 菊池雄星

          2018 岸孝之

          2019 山本由伸

          2020 千賀滉大

          2021 山本由伸

          2022 山本由伸

          2023 山本由伸

          2024 L.モイネロ

          1950 荒巻淳

          1951 江藤正

          1952 柚木進

          1953 川崎徳次

          1954 西村貞朗

          1955 中村大成

          1956 梶本隆夫

          1957 稲尾和久

          1958 稲尾和久

          1959 杉浦忠

          1960 小野正一

          1961 稲尾和久

          1962 稲尾和久

          1963 稲尾和久

          1964 J.スタンカ

          1965 尾崎行雄

          1966 田中勉

          1967 足立光宏

          1968 皆川睦男

          1969 鈴木啓示

          1970 木樽正明

          1971 山田久志

          1972 山田久志

          1973 成田文男

          1974 金田留広

          1975 鈴木啓示

          1976 山田久志

          1977 山田久志

          1978 鈴木啓示

          1979 山田久志

          1980 木田勇

          1981 村田兆治

          1982 工藤幹夫

          1983 東尾修

          1984 今井雄太郎

          1985 東尾修

          1986 渡辺久信

          1987 工藤公康

          1988 西崎幸広

          1989 阿波野秀幸

          1990 野茂英雄

          1991 郭泰源

          1992 石井丈裕

          1993 工藤公康

          1994 伊良部秀輝

          1995 伊良部秀輝

          1996 E.ヒルマン

          1997 西口文也

          1998 西口文也

          1999 松坂大輔

          2000 松坂大輔

          2001 松坂大輔

          2002 J.パウエル

          2003 斉藤和巳

          2004 岩隈久志

          2005 杉内俊哉

          2006 斉藤和巳

          2007 ダルビッシュ有

          2008 岩隈久志

          2009 ダルビッシュ有

          2010 和田毅

          2011 田中将大

          2012 吉川光夫

          2013 田中将大

          2014 金子千尋

          2015 大谷翔平

          2016 大谷翔平

          2017 菊池雄星

          2018 菊池雄星

          2019 千賀滉大

          2020 千賀滉大

          2021 山本由伸

          2022 山本由伸

          2023 山本由伸

          1950 榎原好

          1951 星野武男

          1952 野村武史

          1953 野村武史

          1954 清水宏員

          1955 荒巻淳

          1956 荒巻淳

          1957 植村義信

          1958 荒巻淳

          1959 荒巻淳

          1960 小野正一

          1961 小野正一

          1962 坂井勝二

          1963 小野正一

          1964 堀本律雄

          1965 小山正明

          1966 妻島芳郎

          1967 小山正明

          1968 坂井勝二

          1969 坂井勝二

          1970 木樽正明

          1971 木樽正明

          1972 成田文男

          1973 木樽正明

          1974 成田文男

          1975 村田兆治

          1976 村田兆治

          1977 村田兆治

          1978 村田兆治

          1979 村田兆治

          1980 村田兆治

          1981 村田兆治

          1982 村田兆治

          1983 水谷則博

          1984 水谷則博

          1985 深沢恵雄

          1986 村田兆治

          1987 村田兆治

          1988 村田兆治

          1989 村田兆治

          1990 村田兆治

          1991 小宮山悟

          1992 小宮山悟

          1993 小宮山悟

          1994 小宮山悟

          1995 伊良部秀輝

          1996 園川一美

          1997 小宮山悟

          1998 小宮山悟

          1999 黒木知宏

          2000 黒木知宏

          2001 黒木知宏

          2002 N.ミンチー

          2003 N.ミンチー

          2004 清水直行

          2005 清水直行

          2006 久保康友

          2007 清水直行

          2008 小林宏之

          2009 清水直行

          2010 成瀬善久

          2011 成瀬善久

          2012 成瀬善久

          2013 成瀬善久

          2014 成瀬善久

          2015 涌井秀章

          2016 涌井秀章

          2017 涌井秀章

          2018 涌井秀章

          2019 石川歩

          2020 石川歩

          2021 二木康太

          2022 石川歩

          2023 小島和哉

          2024 小島和哉

          1位:伊良部秀輝

          2位:里見祐輔

          3位:堀幸一

          4位:小林茂生

          5位:山下徳人

          6位:大村巌

          ISNI

          VIAF

          WorldCat

          アメリカ

          日本

          伊良部秀輝

          日本の野球選手

          MLBの日本人選手

          尽誠学園高等学校出身の野球選手

          千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

          ニューヨーク・ヤンキースの選手

          モントリオール・エクスポズの選手

          テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手

          阪神タイガース及びその前身球団の選手

          高知ファイティングドッグスの選手

          最多勝利 (NPB)

          最多奪三振 (NPB)

          最優秀防御率 (NPB)

          NPBオールスターゲーム選出選手

          21世紀日本の実業家

          自殺した日本の人物

          在アメリカ合衆国日本人の野球選手

          沖縄県出身のスポーツ選手

          兵庫県出身のスポーツ選手

          アメリカ系日本人の野球選手

          1969年生

          2011年没

          無効な出典が含まれている記事/2021年

          無効な出典が含まれている記事/2022年

          外部リンクがリンク切れになっている記事/2022年2月

          野球に関する記事

          プロジェクト人物伝項目

2024/11/17 21:37更新

irabu hideki


伊良部秀輝と同じ誕生日5月5日生まれ、同じ兵庫出身の人

愛梨沙(ありさ)
1983年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

愛梨沙(ありさ、1986年12月10日 - )は、日本のAV女優。ロータスグループ所属。 2009年1月に『新人 愛梨沙 六本木在住のお嬢様』でAVデビュー。 ※撮りおろし作品のみ。 I☆LOV…

青月まどか(せいづき まどか、5月5日 - )
5月5日生まれの有名人 兵庫出身

青月 まどか(せいづき まどか、5月5日 - )は、日本の漫画家。兵庫県出身。血液型はAB型。 2006年に「ハニー・ブラッド」で第42回なかよし新人まんが賞佳作を受賞し、『なかよしラブリー』(講談…

大西 章史(おおにし たかひと)
1931年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

5月5日生まれwiki情報なし(2024/11/20 19:49時点)

東 京丸(あずま きょうまる)
1946年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

5月5日生まれwiki情報なし(2024/11/21 18:01時点)

山田 隆持(やまだ りゅうじ)
1948年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

山田 隆持(やまだ りゅうじ、1948年〈昭和23年〉5月5日 - )は、日本の実業家。兵庫県西宮市出身。NTTドコモ元代表取締役社長。 1971年に大阪大学工学部通信工学科を経て、1973年に大阪…


大村 憲司(おおむら けんじ)
1949年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

大村 憲司(おおむら けんじ、1949年5月5日 - 1998年11月18日)は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家。MIDNIGHTSUNSのギタリスト・大村真司は長男。 兵庫県神戸市出身。甲南高等…

ボブ 佐久間(ぼぶ さくま)
1949年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

ボブ 佐久間(ボブ さくま、1949年5月5日 - )は、日本の作曲家、編曲家。一般社団法人日本作編曲家協会理事。兵庫県宝塚市出身。 4歳の頃よりヴァイオリンとピアノを始め、京都市立堀川高等学校音楽…

正木 明(まさき あきら)
1961年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

正木 明(まさき あきら、1961年〈昭和36年〉5月5日 - )は、日本の気象予報士、防災士。三桂所属。 出生地は兵庫県尼崎市であるが、2歳のときに神奈川県鎌倉市へ転居し、同地で育つ。早稲田大学理…

長見 賢司(ながみ けんじ)
1972年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 長見 賢司(ながみ けんじ、1972年5月5日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手(外野手)。 伊丹西高では投手を務め、潜在…

島本 亮(しまもと りょう)
1980年5月5日生まれの有名人 兵庫出身

島本 亮(しまもと りょう、1980年5月5日 - )は、将棋棋士。棋士番号は247。兵庫県神戸市出身。小林健二九段門下。 第16回小学生名人戦で全国大会進出。2回戦で後に同じくプロとなる村田智弘(…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
伊良部秀輝
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

SMAP 夢みるアドレセンス 私立恵比寿中学 SUPER EIGHT PASSPO☆ Rev.from DVL CheekyParade AKB48G HKT48 SUPER☆GiRLS 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「伊良部秀輝」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました