伊藤あしゅら紅丸の情報(いとうあしゅらべにまる) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
伊藤 あしゅら 紅丸さんについて調べます
■名前・氏名 |
伊藤あしゅら紅丸の情報まとめ
伊藤 あしゅら 紅丸(いとう あしゅら べにまる)さんの誕生日は1950年12月25日です。
現在、脱退、解散、退社に関する情報もありますね。伊藤あしゅら紅丸の現在の年齢は73歳のようです。
伊藤あしゅら紅丸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)伊藤 あしゅら 紅丸(いとう あしゅら べにまる、1950年12月25日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、CGクリエイター、ギター・アナリスト、ミュージシャン。肩書きは多数。元クリーチャーズ取締役。ゲーム業界のみならず、アニメや漫画など様々な分野に精通し、広い人脈を持つ。自らを“業界の鵺”と評す。豹柄をこよなく愛す。 1950年東京都文京区生まれ。 高校生の頃から漫画やイラストを発表し、それからもずっと漫画家・イラストレーターとして活躍している。 糸井重里が社長を務めていたエイプ制作の攻略本にイラストレーターとして参加。 その後、Nintendo of Americaが発行しているゲーム誌『NINTENDO POWER』で『スターフォックス』や『スーパーメトロイド』の漫画を連載。さらにこの頃、スーパーファミコン用ソフト『マリオペイント』にハマって、クオリティの高い作品を数多く作り、それが石原恒和に目に留まってゲーム制作に携わるようになる。ゲーム制作で最初に関わった作品は『サウンドファンタジー』。 エイプが休眠状態に陥って以降は、石原恒和と共にクリーチャーズの発起メンバーとなり、自身は取締役に就任した。 クリーチャーズでは、モデリングチームのディレクターとして、『ポケモンスタジアム』シリーズのモデリングやアニメ『ポケットモンスター』のエンディングCGを手掛けた。 2000年秋からアメリカのいくつかの新聞に、ポケモンの四コマ漫画を連載。 この漫画は、小学館の米国子会社Viz Communicationsによって、全米で20紙以上の新聞に配給され、その合計発行部数は1200万部以上にもなる。2001年に開業したPokemonCenter NYのコンセプトデザインも担当。 2002年にクリーチャーズを新社長田中宏和により解雇。 その後『星のカービィ 夢の泉デラックス』や『カービィのエアライド』の開発に参加、ハル研究所の開発ソフトに携わる。 現在は、ゲーム開発会社数社のアートディレクションを務めながら、フリーランスとして活動。作品のテイストは玉石混交、融通無碍。 『森羅万象、古今東西のテイストを自家薬籠に採り入れ、自分のものとしてアウトプットしたいと常に願っている。』とは、本人談である。 デヴィッド・リンドレーやジェニ・マルダーなどの海外アーティストのアルバム・ジャケットのデザインや、公演ポスターなどの音楽関係のアート作品を中心に描くと同時にバンド活動も積極的に展開している。 1950年 クリスマスに東京都文京区で生まれる。 1965年 15歳でゴルフ場の会員誌に寄稿、初めて原稿料をもらう。以後、企業PR誌などにイラストを寄稿。高校生の頃から漫画やイラストを発表し、以来、現在も漫画家、イラストレーターとして活動している。 1967年 TBSラジオ『パックインミュージック』イラストコンテストで優秀賞受賞。以後、放送関係のイラストの仕事に携わるようになる。 1968年 虫プロダクションのアニメーション『千夜一夜物語』に動画&トレースで参加。 1969年 萩尾望都、竹宮恵子の作品を手伝う。(所謂アシスタント)日本オフロード協会にアートディレクターで参加。 1970年 自動車週刊誌『ザ・モーター』誌上に『アシュラのイラスト・ルポ』連載。同誌、および日刊自動車新聞社『自動車年鑑』などで、自動車の解説&編集。『ザ・モーター』にエッセイを連載していた。マイク眞木のバンド「ラングラーズ」に参加。ベース、ギター、マンドリン、ウォッシュボードを担当。以後イラストレーターとバンドマンの二足のわらじを履く。 1971年 郵政省・貯金局や中野サンプラザのポスターデザイン等を手掛ける。 1973年 勁文社から『なぞなぞ1005題』出版。80万部を売るスマッシュヒット。 1974年 「ラングラーズ」脱退。アメリカ西海岸に1年滞在し、現地音楽レポートの傍ら、ロサンゼルス、サンフランシスコで店舗宣伝などのアートワークを手がける。日本の音楽誌に特派員として記事掲載。 1975年 帰国。音楽雑誌『ベアバック』の編集にアートディレクション&ライターで参加。洋楽プロモーターTom's Cabin Productionsにアートディレクターで参加。同時に、ツアーマネージャーも勤め、多くのアメリカのミュージシャンとの交流を持つ。洋書『Quick Fox』の翻訳&解説等。レコードのライナー・ノーツや音楽雑誌に執筆活動。 1977年 戸井十月主宰のプレス75に参加。『平凡パンチ』(マガジンハウス)、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』(集英社)、『POPEYE』(マガジンハウス)、『ホットドッグ・プレス』(講談社)、『週刊明星』(集英社)等でイラストを発表。 1978年 東京中日新聞 日曜版に『パズル』連載開始。この連載は2011年まで形を変えて続いた。戸井十月&プレス75関係者とバンド『711 LuckyOpen』を結成。大学祭などに出演。デザイナーの友人とアート・スタジオ『Space2X2』設立。イラスト業に専念。 1980年 友人とバンド『All That Blues Band』結成。ライブ・ハウスや文化祭を中心に演奏活動。自身の事務所『Ashura Studio』(現在の『Ashura&Benny Studio』)設立。以後10年間は基本的にフリーランスのイラストレーター/ミュージック・ライター/パズル・メイカー、レコードジャケット、ポスター、パッケージ・デザイン、雑誌広告、商品(景品)開発等に携わる。※当時の主なクライアント:富士通/東芝/ソニー/明星食品などの広告系。集英社/マガジンハウス/Google/Mr.Bike/日刊ゲンダイ 東芝EMI/WEM/徳間音工/ベンテン/シスター等のインディーズ・レーベル。リットー・ミュージック。※デヴィッド・リンドレーの紹介でライ・クーダーと知りあう。以後、現在まで友人として彼のアルバム製作などをサポート。 1991年 学習研究社『Hello World』誌に漫画連載開始。任天堂公式ガイドブックに漫画執筆。 1992年 『Nintendo Power(英語版)』誌(Nintendo of Americaが合衆国で発行しているゲーム誌)に『スターフォックス』の漫画を連載。これが縁でゲーム制作に携わるようになる。(ストーリーはオリジナル。この設定が後にゲームに採用される。)※この時、糸井重里の助言で漫画用の新しいペンネームを作る。『伊藤紅丸』は漫画家としての名前。任天堂 宮本茂の知遇を得る。以来、現在もギター友達として親交を深めている。AMIGAを導入3Dイラストレーションを手がける。映像作家 岩井俊雄の作品『サウンドファンタジー』製作に参加。『ザ・モノポリーゲーム2』製作に参加。以降、フリーランスの傍ら、任天堂のゲーム開発に携わる。 1993年 『小学6年生』誌に『MOTHER2』の漫画連載。(後に、小学館から単行本化 出版) 1994年 『Nintendo Power』誌に『スーパーメトロイド』の漫画を連載。(ストーリーはオリジナル。この設定が後にゲームに採用される。) リットーミュージック刊『ギターグラフィック』に『あしゅら伊藤の炸裂ギター放談』連載。 1995年 『MOTHER3』製作に参加。(プラットフォームを何回も変えながらも、このプロジェクトは解散。)クリーチャーズに発起人として参加。 1998年 『Mother3』と並行して、ポケモン3D関連のゲームに関わる。 1999年 ゲーム以外のポケモン(アニメーション&商品開発)に関わる。 2000年 秋から全米の新聞に、『Pokemon』の四コマ漫画を連載。翌年『Pikachu Meets the Press』のタイトルで単行本化。PokemonCenter NY(翌年、開店)のコンセプト&デザインを担当し、ニューヨークに1年半居住。 2001年 復活したTom's Cabin Productionsのアートデザインを担当。 2002年 クリーチャーズ退社。ハル研究所 Kirby&3Dゲームのアドバイザリースタッフとして参加。 2003年 9月15日 日本青年館にて「Nintendo Big Band Live」(企画/司会/演奏) 2005年 須貝重太率いるRhythm&Bluegrassバンド「元祖!」に参加。 2008年 プローグ(ゲーム開発ディベロッパー)の顧問に就任。後進のクリエイターを育てる社内講座を開設。1978年当時、オフィスをシェアしていた友人が急逝。彼が参加していたバンド「東京ボンバース」に後釜として参加することになる。 2010年 須貝重太の新プロジェクト「OッK Brothers」に参加。 2011年 長年拒んでいた個展を青山・タンバリンギャラリーで初開催。戸井十月とのバンド『711 LuckyOpen』を再結成『GANS&ROZINS』と改名。 2012年 自身のバンド『Poison Biscuits』結成。 任天堂公式ガイドブック スーパーマリオカート (小学館ガイドブック 1992年) 漫画&イラスト 任天堂公式ガイドブック スターフォックス (小学館ガイドブック 1993年) 漫画&イラスト 任天堂公式ガイドブック スーパーメトロイド (小学館ガイドブック 1994年) 漫画&イラスト ザ・モノポリーゲーム2 (SFC 1993年3月5日) ボードウォークホテルのデザイン MOTHER2 ギーグの逆襲 (SFC 1994年8月27日) マニュアルエディター スターフォックス64 (N64 1995年) Special Thanks サウンドファンタジー (SFC 発売中止) SimTunes (Win 発売:MAXIS 1996年) ポケモンスタジアム (N64 1998年8月1日) チーフモデラー ピカチュウげんきでちゅう (N64 1998年12月12日) モデラー 大乱闘スマッシュブラザーズ (N64 1999年1月21日) ポケモンスナップ (N64 1999年3月21日) チーフモデラー ポケモンスタジアム2 (N64 1999年4月30日) モデリングディレクター MOTHER3 豚王の最期 (N64 開発中止) アートディレクター 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城! (N64 2000年9月27日) Special Thanks ポケモンスタジアム金銀 (N64 2000年12月14日) 3Dポケモンディレクター 大乱闘スマッシュブラザーズDX (GC 2001年11月21日) スーパーバイザー 星のカービィ 夢の泉デラックス (GBA 2002年10月25日) スーパーバイザー カービィのエアライド (GC 2003年7月11日) ビジュアルコーディネーター タッチ!カービィ (DS 2005年4月27日) Special Thanks 星のカービィ ウルトラスーパーデラックス (DS 2008年9月21日) 立体ピクロス (DS 2009年3月12日) アートディレクター 星のカービィ スーパーデラックス (Wii 2009年10月13日) うごくメモ帳 (DS 2009年) 参考&公式作品 星のカービィ Wii (Wii 2011年10月27日) ファイアーエムブレム 覚醒 (3DS 2012年4月19日) Special Thanks 星のカービィ トリプルデラックス (3DS 2014年1月11日) デザインアドバイザー カタチ新発見! 立体ピクロス2 (3DS 2015年10月1日) カタチデザイン 宮本茂 ポケットモンスター マイク眞木 戸井十月 岩井俊雄 須貝重太 デヴィッド・リンドレー ライ・クーダー ジェニ・マルダー 任天堂 クリーチャーズ ハル研究所 インテリジェントシステムズ プローグ(PROGE.) 伊藤あしゅら紅丸公式サイト Pikachu Meets the Press ISNI VIAF 日本 韓国 日本の漫画家 ゲームのグラフィッカー・原画家 クリーチャーズの人物 東京都出身の人物 1950年生 存命人物 プロジェクト人物伝項目 曖昧さ回避の必要なリンクのあるページ 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事
2024/11/21 22:42更新
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