倉橋羊村の情報(くらはしようそん) 俳人(俳句) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
倉橋 羊村さんについて調べます
■名前・氏名 |
倉橋羊村の情報まとめ
倉橋 羊村(くらはし ようそん)さんの誕生日は1931年4月28日です。神奈川出身の俳人(俳句)のようです。
卒業に関する情報もありますね。2020年に亡くなられているようです。
倉橋羊村のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月28日 - 2020年〈令和2年〉2月11日)は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋 裕(くらはし ゆたか)。 神奈川県横浜市に生まれる。戦時中の1945年、厚木市へ縁故疎開し神奈川一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)に転入、学徒動員を受ける。青山学院大学経済学部卒業。1952年、水原秋桜子に師事し、1954年には俳誌「馬酔木」の雑詠欄「馬酔木集」の巻頭を飾るなど主力として活躍し、青の会賞を受賞する。1964年には「鷹」を創刊した藤田湘子にしたがい編集長として参加するも、後に退会。1989年、青木泰夫より「波」主宰を継承。 2003年、句集『有時』にて第21回日本文芸大賞を受賞、2006年、第2回日本詩歌句大賞受賞。南日本新聞俳壇選者、現代俳句協会幹事長・同顧問、日本ペンクラブ監事、日本現代詩歌文学館振興会副会長、国際俳句交流協会副会長、日本文芸家協会会員。 2020年2月11日、川崎市内の高齢者施設で脳梗塞のため死去。88歳没。 師と仰いだ秋桜子に倣い、俳句は総合芸術との見地に立って、幅広く文芸、絵画など日本伝統の美を吸収しつつ、抒情性を深めた句が特徴である。また、作品に光と影を捉え、そこに自己を投影した作品に特色がある。 『渾身』 牧羊社、1991年 『愛語』 花神社、1996年 『有時』 本阿弥書店、2001年 『打坐』 角川書店、2005年 『水原秋櫻子』 角川書店、1987年 『秋櫻子とその時代』 講談社、1989年 『道元』 講談社、1990年 『俳壇百人(上・下)』 牧羊社、1993年 『俳句を味わう』 飯塚書店、1995年 『俳句添削入門』 飯塚書店、1995年 『俳句こそわが文学・水原秋櫻子』 安楽城出版、1996年 『人間虚子』 新潮社、1997年 『愛・俳句創作百科』 飯塚書店、1997年 『禅僧山頭火』 沖積舎、1997年 『私説現代俳人像上・下』 東京四季出版、1998年 『魅力ある文人たち』 沖積舎、1998年 『師弟炎炎』 本阿弥書店、1999年 『俳句実作辞典』 東京堂出版、2000年 『道元の跫音』 北溟社、2004年 『季語を味わう』 飯塚書店、2006年 『水原秋櫻子に聞く』 本阿弥書店、2007年 『おはよう俳句』 北溟社〈詩歌句新書〉、2007年 『道元の心 俳句の心』 朝日新聞社、2008年 『自解100句選・倉橋羊村集Ⅰ』 牧羊社、1987年 『無念でごわす』 蝸牛社、1999年 『自解100句選・倉橋羊村集Ⅱ』 牧羊新社、2002年 ^ “倉橋羊村さん死去”. 朝日新聞デジタル (2020年2月14日). 2020年8月1日閲覧。 ^ “戸陵会だより 2007年9月1日”. 2020年6月18日閲覧。 ^ “俳人の倉橋羊村氏死去”. 時事ドットコムニュース. (2020年2月13日). https://web.archive.org/web/20200214192233/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020021300893&g=soc 2020年2月14日閲覧。 『現代俳句大辞典』 稲畑汀子・大岡信・鷹羽狩行監修、三省堂、2005年 倉橋羊村の句 - 増殖する俳句歳時記 倉橋羊村 有時 - 日本ペンクラブ 電子文藝館 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 20世紀日本の俳人 21世紀日本の俳人 日本ペンクラブ会員 青山学院大学出身の人物 神奈川県立厚木高等学校出身の人物 神奈川県立希望ケ丘高等学校出身の人物 横浜市出身の人物 1931年生 2020年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/12 01:01更新
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kurahashi youson
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