もしもし情報局 > 1986年 > 10月11日 > 相撲

勢翔太の情報 (いきおいしょうた)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

勢翔太の情報(いきおいしょうた) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

勢 翔太さんについて調べます

■名前・氏名
勢 翔太
(読み:いきおい しょうた)
■職業
相撲
■勢翔太の誕生日・生年月日
1986年10月11日 (年齢37歳)
寅年(とら年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和61年)1986年生まれの人の年齢早見表

勢翔太と同じ1986年生まれの有名人・芸能人

勢翔太と同じ10月11日生まれの有名人・芸能人

勢翔太と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


勢翔太と関係のある人

琴冠佑源正: 幕下でも年齢を感じさせぬ若々しさと安定した成績を残して上手い相撲を見せ、特に土俵際はしぶとくうっちゃりなども見せていたが、2006年9月場所8日目の対勢翔太戦において、土俵上で張り手を交えた相撲に敗れたあと、怒りが収まりきれずに取組後の支度部屋で勢をタオルを巻いた拳で殴る事件を起こした。


松村沙友理: 好角家で好きな力士は体格なら勢翔太、肌質なら白鵬翔、可愛さなら千代丸一樹、顔なら鶴竜力三郎、炎鵬晃。


勢翔太の情報まとめ

もしもしロボ

勢 翔太(いきおい しょうた)さんの誕生日は1986年10月11日です。大阪出身の相撲のようです。

もしもしロボ

人物、合い口などについてまとめました。現在、卒業、引退、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。勢翔太の現在の年齢は37歳のようです。

勢翔太のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

勢 翔太(いきおい しょうた、1986年10月11日 - )は、大阪府交野市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は東口 翔太(とぐち しょうた)。身長194cm、体重172kg。血液型はB型。 得意手は右四つ、寄り。最高位は西関脇(2016年5月場所)。いわゆる「花のロクイチ組」の1人。現在は年寄・春日山。

祖母や近所の住民などの大人に囲まれて東口は幼少期を過ごしたといい、特に年配の人から可愛がられていた。自身が小学1年生の頃に両親が交野市内で「すし家の繁」を開業し、接客などを見て学んだという。両親曰くこの頃から大人びていたといい、接客や店の手伝いなどを見よう見まねで行っていた。実家のすし屋は勢にとっては非常に旨いようであり、2018年の琴剣の『相撲めし-おすもうさんは食道楽-』(扶桑社)を紹介した記事によると、実家の店の寿司こそ自分の寿司だと信じているので、東京の寿司屋にはほとんど足を運ばないという。

交野市立星田小学校3年生の時に相撲未経験ながら地元のわんぱく相撲の大会に出場して優勝。それをきっかけに同学年で隣接の寝屋川市出身の澤井豪太郎(現・武隈)の父に相撲に勧誘される。澤井と共に小学校時代から交野市内にある相撲の古市道場に在籍。当時澤井の父は澤井の稽古相手を探していて、他の子供と比較して体の大きい東口少年に目をつけた。東口少年は小児喘息を持病として持っていたため、両親は体が丈夫になる事を期待して相撲を習わせたという。

1日4時間の相撲の稽古を週4回行うことで健康状態が好転、さらに放課後から稽古の時間まで野球などの外遊びをするほど元気になった。運動が過ぎて病院で「過労」と診断されたこともあった。1996年のわんぱく相撲全国大会の小学4年生の部では準優勝。小学5年生の頃に寿司屋の常連の紹介で11代伊勢ノ海と出会っている。

小学校時代と交野市立第三中学校時代は下校し相撲道場に稽古に行く前に必ず祖母がうどんを作ってくれ、東口はそれを平らげた。「両親が商売をしていたので、小さいときはおじいちゃん、おばあちゃんに育ててもらった“おばあちゃん子”でした。帰る時間に毎日つくっておいてくれる。このうどんを食べてから、まわしとバスタオルを持って自転車で道場に行くんです。夏でも、熱いうどんが嫌じゃなかったなぁ」と2017年に行われた日刊スポーツの絵日記企画で述懐している。

高校は関西の相撲の名門校である報徳学園を受験したが不合格だったため、中学卒業後は実家の家業の手伝いをしており、兵庫県尼崎市内で一人暮らしのフリーター生活をした時期もあった。その中で、徐々に相撲をやりたいと思うようになったという。その頃に急逝した祖母の葬儀に11代伊勢ノ海が参列したことに心を動かされ、本腰を入れて相撲に向き合おうと入門を志願。同学年らと揃って18歳の3月に伊勢ノ海部屋に入門している。

2005年3月場所で初土俵を踏み、翌5月場所からは「勢」という四股名を名乗る。

7月場所、東序二段122枚目で7戦全勝、優勝同点、決定戦負け。優勝は同期入門で、本名の中西健二で相撲を取っていた大道健二。

初土俵から約1年後の2006年5月場所には早くも幕下に昇進し、その場所では5勝2敗の好成績を挙げる。同年9月場所では初日から3連勝と好調。8日目に同じく3連勝の琴冠佑に張り手を交えて勝利し4連勝で勝ち越しを決めたものの、取組後に琴冠佑から顔面を殴られ、結果その後は3連敗と精彩を欠いた。2010年11月場所では自己最高位となる西幕下2枚目まで昇進したものの3勝4敗と負け越した。その後も幕下上位にしばらく在位を続け、番付を東幕下3枚目の位置で迎えた2011年9月場所において5勝2敗の好成績を挙げ、翌11月場所に新十両へ昇進した。漢字一文字の四股名を持つ力士としては、1997年11月場所新十両の嵐以来、14年ぶりの関取となった。

新十両となった2011年11月場所では、初日から8連勝で早々と勝ち越し、9日目に千代嵐の髷を掴んで反則負けを喫した以外は13日目まで白星を重ね、14日目の時点で初の十両優勝を決めた。新十両での優勝は2008年11月場所の翔天狼以来のこととなった。東十両3枚目まで大きく番付を上げた翌2012年1月場所でも7日目から8連勝して10勝5敗の好成績を挙げ、翌3月場所において新入幕を果たした。漢字一文字の四股名を持つ力士としては、1990年9月場所に新入幕を果たした曙以来、22年ぶりの幕内力士となった。その3月場所では3日目の若の里戦に10本の懸賞がかかるなど御当地力士としての人気ぶりを示したが、黒星を喫して若の里に懸賞を勝ち取られる結果となった。これも含めて初日から5連敗を喫するなどして5勝10敗と振るわず、翌5月場所に十両へ陥落した。翌7月場所に再入幕を果たしたものの、その7月場所でも7勝8敗と負け越して1場所で十両へ陥落した。翌9月場所では東十両筆頭の位置で11勝4敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出したが、優勝決定戦では常幸龍に敗れて優勝は逃した。翌11月場所に3回目の入幕を果たし、9勝6敗の成績を挙げて幕内では自身初となる勝ち越しを決めた。以降は幕内に定着することとなる。

2013年11月場所は11勝4敗の好成績を挙げ、幕内で初の二桁勝利を挙げるとともに、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。翌2014年1月場所は西前頭2枚目で6勝9敗と負け越したが、大関・琴奨菊戦で初勝利。2014年5月場所は2日目から自身初となる9連勝を記録し、11勝4敗の好成績を挙げ、2度目の敢闘賞を受賞した。翌7月場所は豪栄道と栃煌山が関脇を維持した上に安美錦と碧山が小結の地位を得た影響で新三役を逃したが東前頭筆頭に据えられて最高位を半枚更新する。西前頭5枚目の地位で迎えた9月場所は新鋭の逸ノ城を破る活躍(詳細は後述)を見せた上で、10勝5敗の好成績を残した。翌11月場所は新三役(西小結)。大阪府からの新三役(小結)は、2008年11月場所の豪栄道以来戦後7人目。その11月場所では10日目に負け越しを確定させてしまったものの、11日目から4連勝するなど食い下がって場所を6勝9敗で終えた。

2015年1月場所は中日の遠藤戦を除いて白星を全く得られず1勝14敗と大不振であったものの、翌3月場所は8勝7敗の勝ち越しにあずかり、続く5月場所は11日目に勝ち越し10勝5敗の好成績。9月場所は11勝4敗、11月場所は12勝3敗と連続して二桁勝利、敢闘賞を受賞。

2016年1月場所はおよそ1年ぶりの三役である東小結として迎えたが、横綱・大関陣相手に1勝5敗と力の差を見せつけられ、結局5勝10敗でまたも一場所で平幕に落ちた。3月場所は東前頭4枚目で迎えたが、初日から7連勝と好調を維持。そこから3連敗で優勝争いからは脱落したもののそこから白星を重ね、千秋楽での勝利を条件に自身5度目の敢闘賞候補に挙がったが琴勇輝に敗れ、10勝5敗の成績で敢闘賞は獲得できなかった。しかし3月場所は関脇、小結力士が全員負け越したため、続く5月場所では新関脇となった。5月場所は2日目に照ノ富士、5日目に鶴竜に勝つなど序盤は好調だったが、7日目から8連敗と失速し、4勝11敗で三役陥落が決まった。7月場所も調子が上がらず5勝10敗だったが、9日目に優勝争いの一角にいた白鵬を破って金星を獲得した。9月場所は7日目まで5勝2敗と出だしが良かったが中日から4連敗、そのまま千秋楽に黒星で7勝8敗。11月場所は弟弟子の錦木に部屋頭の座を譲ることとなった。

2017年1月場所は西前頭3枚目の地位で土俵に上がり、この場所は日馬富士と鶴竜の2横綱と琴奨菊に勝利するなど好調であり、場所成績を8勝7敗として自身初の幕内上位での勝ち越しを手にした。場所後の1月27日、4月13日に行われる大相撲川崎巡業のPRで川崎市役所を訪れ、福田紀彦市長らと対談し「巡業ならではの距離の近さ。力士もリラックスしてますからね。一緒に写真を撮ったり、声をかけてもらいたい。ぜひ来て下さい」と呼びかけた。同時に「向こうも成長してますけど、こちらも成長してますからね」と3月場所から横綱となる稀勢の里から金星を獲得することに意欲を見せるかのようなコメントを残した。3月場所は場所前に右腕を負傷したが、4日目に白鵬から金星を挙げた。(白鵬は翌日から休場)立合いで白鵬に一歩押し込まれたのと引き換えに得意の右を差し、反撃の手掛かりをつかんだ。「出るしかない」とはやる気持ちを抑え、ぐっと腰を落とす。「慌てて出るとはたかれる。一瞬だけど低くなって押せた」とコメント。左のおっつけで横綱の差し手を封じながら足を踏み出すと、土俵際へ一直線。最後は右手を深く差し直すようにして前のめりになり、寄り倒した。いったん勝ち名乗りを受けたのに、審判が土俵の上に集まった。意外なタイミングで物言いがついたが、一方的に攻め続けた相撲。勢には「横綱(の体)がちょっと飛んでた」と自信があった。軍配通りの結果を告げるアナウンスが終わらないうち、金星をたたえる拍手と歓声が湧き起こる。地元大阪のファンにこの日一番の盛り上がりをもたらした立役者は、「横綱に勝てばどんな形でもうれしい」と破顔した。だが、この相撲でさらに右腕を痛め、初日から得意の右小手投げが全く使えない苦しい相撲が続いた。結局白鵬からの金星以外は勝ち星を挙げられず、9日目に負け越しが確定。しかし1勝9敗の状態から終盤に調子を戻し、最終的には5勝10敗とした。7月場所は腰の痛みにより振るわず、5日目にこの場所2勝しただけで休場した不調の稀勢の里から金星を奪う以外は良い所が無く、4勝11敗の大敗に終わった。稀勢の里から金星を挙げた際には支度部屋で「そうか、金星か。忘れてた。初めて勝てたのがうれしい。今まで思い切りがなかったので、何でも思い切りやってみようと思った」と語っている。8月6日の夏巡業本庄場所の支度部屋では「夏巡業は腰のケアを優先し、体調管理に注意しています。体調を整えて巡業の稽古に励みたいです。秋場所は是非とも勝ち越して、お世話になった方々にごちそうをしたいと思っています」と思いを語った。西の7枚目で迎えた9月場所は11日目までに6勝5敗とするもそこから4連敗で6勝9敗と負け越し。およそ2年ぶりとなる幕内の二桁番付となった11月場所は、先場所とは対照的に10日目までに4勝6敗の成績から5連勝で勝ち越しを決めた。

2018年1月場所は4勝11敗と精彩を欠き、翌3月場所は2013年以降最も低い番付となる東の14枚目まで落とした。場所前に足を痛めた影響から、初日、2日目と連勝したものの、取組後には顔をしかめ、花道では足を引き摺る仕草が見られた。しかし、足の痛みをきっかけに積極的に前に出る相撲を取ったことで白星が先行、11日目には勝ち越しを確定させた。14日目まで優勝の可能性を残し、幕内の下位から優勝戦線を盛り上げた。千秋楽に勝てば自身5度目となる敢闘賞を受賞することが決まったが、同じく今場所好調だった魁聖に敗れて受賞はならなかった。敢闘賞こそ逃したものの、身体の状態が良くない中で8場所ぶりの二桁白星となる11勝を挙げたことで、本人は「十分に頑張れたと思う。地元でたくさんの人に支えられた」と場所に満足するコメントを残した。7月場所前には、勢が年寄名跡『春日山』を取得したことが報じられた。日本相撲協会の事業報告書によれば、春日山を取得した件は、2017年3月24日の理事会で決議されている。

2019年1月場所初日、輝との取組で右目の上に7針の傷を負う。すぐに縫合したが取組後、午後1時から2時まで出血が止まらなかった。ただ、この場所は9勝6敗と勝ち越している。3月場所前は左足のアキレス腱を痛め、さらに蜂窩織炎にも見舞われた。初日こそ松鳳山を一気の相撲で押し出したものの、場所中も蜂窩織炎の影響で40度の高熱を出すなど本調子とは程遠く、8連敗で9日目に負け越しを喫した。豊山を右差しからの寄りで退け、連敗を12で止めて2勝目を挙げた14日目には「相撲を取っているだけでも不思議な状態」とこの場所での体調の悪さの程を語っている。結局自己ワーストタイの2勝13敗に終わり、6年半連続で務めた幕内から陥落することとなった。その後も体調が優れず9月場所は幕下陥落が見える西十両12枚目まで地位を下げた。ところがこの場所は4日目から11連勝と好調で14日目に自身2度目の十両優勝を確定させた。優勝に際して「出られて相撲が取れるだけでありがたい」と蜂窩織炎からの回復を喜ぶコメントを残した。千秋楽は負けて、場所を12勝3敗で終えた。東十両3枚目の11月場所は先場所の好調を維持し、初日から6連勝。中盤でやや失速したが千秋楽に天空海を叩き込んで11勝4敗で終え、4人による優勝決定戦に出場した。だが、その天空海戦で額を切って大量に出血した影響で1回戦で東龍に一気に寄り切られ、2場所連続の十両優勝を逃した。

2023年1月9日、協会は24代春日山の引退相撲を同年6月4日に両国国技館で行うと発表した。その日の引退相撲における断髪式には約250人が参加し、最後は師匠の伊勢ノ海親方(元前頭・北勝鬨)が止めばさみを入れた。断髪式の後には家族ぐるみで交流がある友人で歌手の平原綾香が登場し、感謝の思いを込めて「誓い」「Jupiter」の2曲を披露。断髪後は槙野智章をイメージしたヘアスタイルに整髪。最後にはスペシャルゲストとして山本譲二と3曲デュエットを披露し、館内を沸かせた。

人物

親子揃って「我が強い」「何でもじっくり考えて、納得が行かなければ動かない。その代わり、納得して決めればしぶとい」と評する性格をしており、基本的に相撲以外はそれほど器用でないという。前述のとおり幼少期の経験もあって人当たりは良い。タニマチの高須克弥は「ゴルフもうまくて歌もうまい。遊び人力士だけどね(笑い)」と気に入っている一方で「勢も頑張るけど、相手も頑張っちゃう。だから、懸賞金を出すと逆に負ける確率が高くなっちゃうんだよ(笑い)。敵に兵糧を与えるくらいなら、懸賞を出さないほうがマシってなるんだよね。タニマチのジレンマだね」と苦悩している様子も見せている。

いわゆる「エレベーター力士」の1人であり、幕内上位に昇進しては大負けを喫し下位に戻るパターンが続いた。2015年は年6場所で番付が38枚上下動したという記録を作り、これは2位に8枚差をつけ断トツだった。

中学卒業後の3年間は家業の手伝いをしながらゴルフの練習に明け暮れていたため「元ニート」という肩書きを付けられることもあった。引退の際に、本人は色々と将来を考えていたので「ニート」という一言で片づけられることは嫌がっていた一方、とことん考えて角界入りを選んだからこそ力士生活を全うできたとも話した。

好物は寿司、焼肉。特に寿司ネタの中でも貝類やイカ、ウニを好むという。

合い口

(以下は最高位が横綱・大関の現役力士)

横綱・照ノ富士には8勝3敗。照ノ富士の大関在位中は5勝3敗と勝ち越している。2015年11月場所から2017年1月場所まで5連勝。直近では照ノ富士の大関陥落後の2018年1月場所で勝利。照ノ富士の大関復帰後は対戦なし。

大関・貴景勝には4戦全敗。貴景勝の大関昇進後は対戦なし。

大関・霧島には1敗。霧島の大関在位中は対戦なし。

大関・琴ノ若には1勝。琴ノ若は勢の引退後に大関へ昇進した。

元大関・髙安には4勝11敗。髙安の大関在位中は3敗。

元大関・朝乃山には2勝3敗。朝乃山の大関昇進後は対戦なし。

元大関・正代には4勝7敗。正代の大関昇進後は対戦なし。

元大関・御嶽海には1勝5敗。御嶽海は勢の引退後に大関へ昇進した。

(以下は最高位が横綱・大関の引退力士)

元横綱・白鵬には2勝13敗。2016年7月場所で初勝利。直近は2017年3月場所で勝利。

元横綱・日馬富士には1勝12敗。2017年1月場所で不戦勝を得たが、自力勝利は無し。

元横綱・鶴竜には4勝10敗。鶴竜の横綱昇進後は4勝6敗。2016年1月場所での初勝利から3連勝していた。

元横綱・稀勢の里には1勝16敗。稀勢の里の大関時代は14戦全敗。稀勢の里の横綱昇進後は1勝2敗。2017年7月場所で金星を獲得。

元大関・雅山とは、雅山の大関陥落後に1度対戦し1勝。

元大関・琴欧洲とは、琴欧洲の大関陥落後に1度対戦し1勝。

元大関・把瑠都とは、把瑠都の大関陥落後に2度対戦し2敗。

元大関・琴奨菊には8勝11敗。琴奨菊の大関在位中は4勝7敗。

元大関・豪栄道には1勝17敗。豪栄道の大関昇進後は12敗。

元大関・栃ノ心には4勝9敗。栃ノ心の大関昇進後は2敗。

最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 13 10 朝赤龍 3 0 阿炎 2 2 安美錦 10 4
阿覧 3 0 逸ノ城 3 10 隠岐の海 5 5 魁聖 10 16
旭天鵬 5 3 琴勇輝 7 5 宝富士 10 13 大栄翔 1 2
隆の勝 1 1 豪風 6 4 玉鷲 5 10 栃煌山 7 11
豊ノ島 4 2 妙義龍 5 6 明生 0 3 嘉風 8 9
若の里 2 1
小結
遠藤 9 3 阿武咲 1 1 臥牙丸 9 1 常幸龍 1 1
松鳳山 9 5 千代鳳 3 5 千代大龍 6 9 時天空 3 2
豊真将 0 1 北勝富士 2 1 竜電 2 1
前頭
旭日松 1 0 東龍 2 0 阿夢露 3 0 荒鷲 2 3
石浦 4 3 炎鵬 0 1 宇良 1 0 大砂嵐 5 0
7 1 北太樹 6 3 旭秀鵬 4 1 琴恵光 1 2
琴勝峰 0 1 佐田の海 3 4 佐田の富士 4 2 志摩ノ海 0 3
翔天狼 3 0 青狼 1 0 蒼国来 2 4 大奄美 2 2
大翔鵬 0 1 大翔丸 3 5 大道 0 3 貴ノ岩 6 1
隆の山 0 2 玉飛鳥 1 0 千代翔馬 6 3 千代の国 8(1) 3
千代丸 2 5 剣翔 1 0 照強 1 3 天鎧鵬 0 1
德勝龍 4 2 栃乃若 2 1 豊響 6 7 英乃海 3 0
富士東 2 4 寶智山 2 0 誉富士 2 1 舛ノ山 2 2
矢後 1 1 豊山 3 3

2024/06/15 05:10更新

ikioi syouta


勢翔太と同じ誕生日10月11日生まれ、同じ大阪出身の人

星月 梨杏(ほしづき りあん)
2003年10月11日生まれの有名人 大阪出身

星月 梨杏(ほしづき りあん、2003年10月11日 - )は日本のタレント、プラチナムプロダクション所属。 趣味はメイク、ファッション。特技はお菓子・ケーキ作り、日本化粧品検定3級。 出演 …

辰巳 真理恵(たつみ まりえ)
10月11日生まれの有名人 大阪出身

辰巳 真理恵(たつみ まりえ、10月11日- )は、日本のソプラノ歌手・タレント・ミュージカル女優。タクスオフィス所属。 大阪府枚方市生まれ。父は俳優の辰巳琢郎。母は元薬剤師。母方の祖父は外科医。…

鈴木 晄(すずき あきら)
1928年10月11日生まれの有名人 大阪出身

鈴木 晄(すずき あきら、1928年10月11日 - 2014年4月17日)は、日本の映画編集技師。大阪府出身。 1945年に和歌山大学に入学。1952年に卒業と同時に宝塚映画に助監督として入社。…

富田 勝(とみた まさる)
1946年10月11日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 富田 勝(とみた まさる、1946年10月11日 - 2015年5月26日)は、大阪府大阪市天王寺区出身のプロ野球選手(内野手・外野手…

三島 康博(みしま やすひろ)
1950年10月11日生まれの有名人 大阪出身

10月11日生まれwiki情報なし(2024/06/21 18:32時点)

寺内 優(てらうち まさる)
1958年10月11日生まれの有名人 大阪出身

寺内 優(てらうち まさる、1958年10月11日 - )は、元中国放送のアナウンサー。大阪市出身。 中学生時代に友達に引き込まれるように放送部に入部したのが、放送界へ進むきっかけとなった。 立…

笘篠 賢治(とましの けんじ)
1966年10月11日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球解説者。 ソ…

福田 佳弘(ふくだ よしひろ)
1969年10月11日生まれの有名人 大阪出身

福田 佳弘(ふくだ よしひろ、1969年10月11日 - )は、日本の元俳優。大阪府出身。ソルトアースに所属していた。 1991年、『代表取締役刑事』で俳優デビュー。 1996年、『激走戦隊カー…

山本 恵以(やまもと けい)
1986年10月11日生まれの有名人 大阪出身

10月11日生まれwiki情報なし(2024/06/18 08:47時点)

奥村 初音(おくむら はつね)
1990年10月11日生まれの有名人 大阪出身

初音(はつね、1990年10月11日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名および旧活動名は奥村初音(おくむら はつね)。血液型B型。大阪府出身。 幼少期の頃からクラシックピアノを習い、…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


勢翔太と近い名前の人

伊勢 みはと(いせ みはと)
1991年2月13日生まれの有名人 東京出身

伊勢 みはと(いせ みはと、1991年2月13日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優。旧芸名はみはと。東京都出身。グリーンメディア所属。 現在の事務所に所属する前にティーン向けファッ…

伊勢 真弓(いせ まゆみ)
1984年11月10日生まれの有名人 広島出身

伊勢 真弓(いせ まゆみ、1984年11月10日 - )は、広島県出身の元レースクイーン、イベントコンパニオンである。 2009年4月末でスタイルコーポレーションを退所。その後結婚し、現在は一時の母…

山崎 勢津子(やまざき せつこ)
1949年7月30日生まれの有名人 埼玉出身

山崎 勢津子(やまざき せつこ、1949年7月30日 - )は、日本の女優、声優。タイムリーオフィス所属。 以前は劇団文化座、ぐるーぷ・ふらいぱんに所属していた。 出演(俳優) テレビドラマ …

早勢 美里(はやせ みさと)
1977年9月30日生まれの有名人 富山出身

早勢 美里(はやせ みさと、1977年9月30日 - )は、日本の元女優。富山県富山市出身。かつてはアクターズエージェンシーに所属していた。 富山国際大学付属高等学校卒業。 1989年、映画『風…

小林 千登勢(こばやし ちとせ)
1937年2月13日生まれの有名人 旧 朝鮮出身

小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。 朝鮮京畿道京城府(現…

大野 勢太郎(おおの せいたろう)
1947年4月24日生まれの有名人 東京出身

大野 勢太郎(おおの せいたろう、本名:大野 正(おおの ただし)、1947年4月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー。レディオパワープロジェクト所属。元文化放送アナウンサー。東京都出身。 …

伊勢 みずほ(いせ みずほ)
1977年7月12日生まれの有名人 宮城出身

伊勢 みずほ(いせ みずほ、1977年7月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 宮城県仙台市(現・同市青葉区)出身。 宮城学院高等学校、宮城学院女子大学卒。 身長:168cm。 血液型:A…

菱川 勢一(ひしかわ せいいち)
1969年3月14日生まれの有名人 茨城出身

菱川 勢一(ひしかわ せいいち、1969年3月14日 - )は、日本の映画監督、映像作家、アートディレクター、クリエイティブディレクター、写真家、脚本家、武蔵野美術大学教授。ドローイングアンドマニュア…

能勢 和子(のせ かずこ)
1939年8月30日生まれの有名人 高知出身

能勢 和子(のせ かずこ、1939年(昭和14年)8月30日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。亀井静香の派閥である志帥会に所属した。 高知県高岡郡越知町生まれ。196…

加勢田 進(かせだ すすむ)
1969年3月1日生まれの有名人 福岡出身

加勢田 進(かせだ すすむ、1969年3月1日 - )は、日本の男性声優、音響監督。福岡県出身。希楽星に所属していた。 東京ディズニーランドやサンリオなどで、ダンサーやパフォーマーとして活動。 そ…

伊勢 文秀(いせ ふみひで)
4月22日生まれの有名人 奈良出身

伊勢 文秀(いせ ふみひで、4月22日 - )は日本の男性声優。 アーツビジョン所属。奈良県出身。 日本ナレーション演技研究所出身。 人物 方言は関西弁。趣味・特技は歌、コーヒー、野球。 …

伊勢 直弘(いせ なおひろ)
1972年3月21日生まれの有名人 埼玉出身

伊勢 直弘(いせ なおひろ、1972年3月21日 - )は、日本の脚本家、演出家、俳優。城西国際大学メディア学部講師。北海道札幌市生まれ、埼玉県川口市育ち。血液型B型。舞台を中心に、イベントの構成・演…

田勢 美貴江(たせい きみえ)
1980年1月17日生まれの有名人 福島出身

田㔟 美貴江(たせい みきえ、旧姓は高橋 1980年1月17日- )は、福島県二本松市出身の卓球選手。福島県立安達高等学校卒業後、淑徳短期大学を経て、淑徳大学に進学、大学卒業後、淑徳短期大学職員を経て…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
勢翔太
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

SUPER EIGHT PASSPO☆ Rev.from DVL SUPER☆GiRLS 夢みるアドレセンス HKT48 SMAP AKB48G 私立恵比寿中学 CheekyParade 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「勢翔太」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました