原田末記の情報(はらだすえき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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原田末記の情報まとめ
原田 末記(はらだ すえき)さんの誕生日は1956年6月25日です。熊本出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。原田末記の現在の年齢は68歳のようです。
原田末記のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 原田 末記(はらだ すえき、1956年6月25日 - )は、熊本県山鹿市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 岐阜県の中京商業高では、2年次に一塁手として1973年の春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では1回戦で天理高に逆転負け。夏の選手権では高橋俊春のいた伊香高を破り2回戦に進むが、天理高の佐藤清投手に完封を喫する。1年上のチームメートに右翼手の平田恒雄がいた。翌1974年の夏の選手権には4番・エースとして出場、2回戦(初戦)で杉村繁のいた高知高を降す。しかし3回戦でこの大会に優勝した銚子商業高の土屋正勝と投げ合い、0-5で敗退。1年下のチームメートに一塁手の豊平晋一がいた。 投打にセンスのよさを見せ、各球団にも注目されていたが、卒業後は社会人野球の北海道拓殖銀行に進む。入社後は伸び悩んだが、1978年には速球に威力が増し、千藤和久に次ぐ左腕エースに成長。鋭いカーブ、シュートを武器に北海道の最優秀選手となった。同年の都市対抗野球では大昭和製紙北海道の補強選手として出場。準々決勝では先発として起用され、日本鋼管の木田勇と投げ合うが2-4で敗退した。 1978年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名を受け入団。 左の本格派として期待され、プロ1年目の1979年に一軍初登板を含む4試合に登板したものの、その後は故障もあって出場機会がないまま1982年限りで現役を引退。 初登板:1979年10月13日、対阪神タイガース25回戦(明治神宮野球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点 初奪三振:1979年10月17日、対横浜大洋ホエールズ22回戦(明治神宮野球場)、9回表に高木嘉一から 20 (1979年 - 1982年) ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年 ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」 朝日新聞社編 1989年 ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年 熊本県出身の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 個人年度別成績 原田末記 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1位:原田末記 2位:南秀憲 3位:有沢賢持 4位:谷松浩之 日本の野球選手 中京高等学校 (岐阜県)出身の野球選手 たくぎん野球部及びその前身チームの選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 熊本県出身の人物 1956年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/10/28 09:32更新
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harada sueki
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