四谷シモンの情報(よつやしもん) 人形作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
四谷 シモンさんについて調べます
■名前・氏名 |
四谷シモンと関係のある人
池田満寿夫: 1965年の初渡米から、熱海へ居を構えた晩年まで、版画家・野田哲也、彫刻家・篠田守男、飯田善国、井上武吉、 人形作家・四谷シモン、芸術家・金子國義、評論家・加藤周一、作家・堀田善衛、陶芸作家・伊勢崎淳、詩人・松永伍一、ジャーナリスト・島崎保久、作家・野坂昭如と交際範囲はさらに広がる。 横山博人: 『女と男』(樋口可南子、四谷シモン、1987年10月26日、フジテレビ系列(FNS系列)) 澁澤龍彦: 有名な人形作家四谷シモンはこの記事を読んで衝撃を受け、球体関節人形を作りはじめた。 唐十郎: 状況劇場は初期には麿赤児、不破万作、大久保鷹、四谷シモン、吉澤健ら、後に根津甚八、小林薫、佐野史郎、六平直政、菅田俊、渡辺いっけいらの俳優を輩出した。 |
四谷シモンの情報まとめ
四谷 シモン(よつや しもん)さんの誕生日は1944年7月12日です。東京出身の人形作家のようです。
卒業、事件、ドラマ、映画、テレビ、家族に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
四谷シモンのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)四谷シモン(よつや シモン、本名:小林兼光、1944年7月12日 - )は日本の人形作家、俳優。人形学校「エコール・ド・シモン」主宰。弟は写真家の渡辺兼人。 東京都出身。少年の頃より人形制作を好み、川崎プッペに私淑する。中学卒業後、アルバイトをしながら人形制作を続ける。林俊郎、坂内俊美に師事する。 17歳の時、一時ぬいぐるみ人形作家水上雄次の内弟子になる。新宿のジャズ喫茶に出入りして、金子國義、コシノジュンコらと出会う。歌手のニーナ・シモンが好きだったことから「シモン」の渾名が付く。ロカビリー歌手としても活動する。 昭和40年(1965年)、雑誌『新婦人』に掲載されていた、澁澤龍彦の紹介によるハンス・ベルメールの球体関節人形を見て衝撃を受け、それまでの人形制作方法を捨てる。 昭和42年(1967年)金子國義を通じて、澁澤龍彦、唐十郎と知り合う。同年5月、唐十郎の状況劇場の芝居「ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇」に女形として出演する。その後、渋谷東急本店開店キャンペーンのためにディスプレイ用人形を作り、それは「前衛マネキン」として雑誌に紹介される。またこの制作過程で張り子人形の技法とメイクの方法を学ぶ。同年12月、しばらく滞在するつもりでパリに行くが、あまりの寒さに、アンティーク人形やベルメールの写真集を買っただけでまもなく帰る。 昭和43年(1968年)3月から6月にかけて、状況劇場の紅テントの芝居「由井正雪」に「的場のお銀」役で出演する。このときから「四谷シモン」の芸名を使う。昭和46年(1971年)まで状況劇場の役者として活動する。その間、昭和44年には、「新宿西口中央公園事件」(新宿西口中央公園において、無許可でテントを立て公演を行った事件)や、寺山修司の天井桟敷と状況劇場の乱闘事件が起きた。「新宿西口中央公園事件」の際の四谷シモンを、共演者で現場に居合わせた麿赤児は「民衆を扇動するジャンヌ・ダルクのように光って見えた」と記している。 昭和45年(1970年)、大阪万国博覧会の「せんい館」のために「ルネ・マグリットの男」を制作する。 昭和47年(1972年)2月、新宿の紀伊國屋画廊で「10人の写真家による被写体四谷シモン展」が開かれ、会場の中央にはガラスケースに入った人形「ドイツの少年」が飾られる。この作品が人形作家として本格的に活動する転換点となった。 昭和48年(1973年)10月、銀座の青木画廊で第1回個展を開催。タイトル「未来と過去のイヴ」は澁澤龍彦による。昭和50年(1975年)「慎み深さのない人形」を発表する。 昭和53年(1978年)、人形学校「エコール・ド・シモン」開校。当初は既製のパーツを使った人形作りを教えていたが、自由創作へ方針転換する。昭和56年(1981年)2月、紀伊国屋画廊で「第1回エコール・ド・シモン展」開催。以来、展覧会はほぼ毎年恒例になっている。 昭和53年(1978年)、パリの装飾美術館で開催された『間』展に参加、禅僧の人形を展示。 「少女の人形」「少年の人形」「機械仕掛けの少年」「解剖学の少年」などの作品を発表。一方で昭和59年(1984年)ふたたび状況劇場の芝居に出演。昭和60年(1985年)にはNHK大河ドラマ「春の波涛」にレギュラー出演。またいくつかのドラマに出演する。演出家久世光彦のドラマの常連俳優だった。 昭和62年(1987年)、彼の精神的支柱であり、理解者であった澁澤龍彦が死去。しばらくのあいだ茫然自失となる。昭和63年(1988年)より「天使-澁澤龍彦に捧ぐ」シリーズを制作する。 以降、「少女の人形」「目前の愛」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」「木枠でできた少女」などを発表する。 平成12年(2000年)から平成13年(2001年)にかけて、大分市美術館を皮切りに、全国5カ所の美術館で大規模な個展を開催。 平成15年(2003年)人形作品「男」が、押井守監督のアニメ映画『イノセンス』のキャラクター、キムのモデルとなる。 平成16年(2004年)、1月、パリ市立アル・サン・ピエール美術館の「人形 POUPEES」展に4点の人形を出展。同展では、展覧会全体のポスターに四谷シモンの「少女の人形」が採用される。2月、東京都現代美術館の「球体関節人形展」(押井守監修)に「男」など11点の人形を出展。 平成19年(2007年)、森美術館で開催の「六本木クロッシング2007 未来への脈動」展に出展。 平成22年(2010年)、若い頃に影響を受けたベルメールの生誕地カトヴィツェ(ポーランド)の芸術団体アルス・カメラリスの招待を受け、同地で球体関節人形「ピグマリオニスム・ナルシシズム」等を展示。 平成26年 (2014年)、そごう美術館(横浜)、西宮市大谷記念美術館で、個展「SIMONDOLL 四谷シモン」開催。 平成28年(2016年)、2月、ロンドンの美術館テート・モダンで、細江英公が撮影した四谷シモンの写真「シモン私風景」シリーズ26点が展示される。同年12月、山崎哲・作構成演出の『骨風』(原作・篠原勝之)に出演。 平成16年(2004年)より、主要作品を「四谷シモン人形館」(香川県坂出市、鎌田醤油内)で常設展示。 大阪万国博覧会のために制作した「ルネ・マグリットの男」は、巨体の不気味な老人が15体、薄暗い中に屹立していて、その間を繊維に見立てた赤いレーザービームが行き来するという作品だった。のちにこのうちの一体は状況劇場の舞台装置として使われた。 初期の作品「未来と過去のイヴ」は、裸にガーターベルトと網タイツを付けた姿の人形。パーマをかけた金髪に、濃い色の口紅を付けており、一種挑発的な印象を受ける。それに続く「慎み深さのない人形」も同様に挑発的な作品。手足のない裸で、上半身と下半身が180度逆に付いている。シュルレアリスムの影響が直接的に顕れているようである。しかし以降の作品からは挑発的な印象が隠れ、その表情は永遠の相を見ているような穏やかなものになっている。 「機械仕掛の少女」「機械仕掛の少年」は、エコール・ド・シモンの生徒であった荒木博志との共同作業によるもの。一部は実際に動く作品。 「少女の人形」の一体は澁澤龍彦の所有となり、『少女コレクション序説』『裸婦の中の裸婦』などにより読書界でも有名な作品となった。 人形制作にはナルシシズムが抜きがたいものだという発見により、「ナルシシズム」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」を制作した。これはシモン自身を人形化した作品。 『機械仕掛の神』(イザラ書房、1978年) <『四谷シモン前編』に収載> 『四谷シモン人形愛』<監修・澁澤龍彦、撮影・篠山紀信> (美術出版社、1985年) 『Narcissisme』<篠山紀信撮影> (佐野画廊、1998年) 『人形作家』(講談社現代新書、2002年) 『病院ギャラリー ― 717days 2001‐2003』(ライブ出版、2003年) 『四谷シモン前編』<創作・随想・発言集成> (学習研究社、2006年) 『四谷シモン人形日記』(平凡社 コロナ・ブックス、2011年) 『人形作家』(中公文庫<中央公論新社>、2017年) <講談社現代新書版『人形作家』の改訂新版> 『日本の名随筆 別巻 81 人形』編 (作品社, 1997年) 『新婦人』1965年3月号 (文化実業社、1965年) <澁澤龍彦の連載記事「女の王国」を掲載、この記事は、後に澁澤の著作『幻想の画廊から』に収載> 別冊『太陽』1970年2月号<特集・世界の人形> (平凡社、1970年) 『四谷シモン-人形愛』展図録 (「四谷シモン展」実行委員会、2000年) <2000年~01年に行われた回顧展の図録> 『htwi(ヒッティ)』NO.8 (メディアプロダクション、2001年) 『Poupées』(Gallimard, Halle Saint Pierre、2004年) <2004年にパリで開催された人形展の図録> 『球体関節人形展』図録 (日本テレビ放送網発行、2004年) <2004年に行われた『球体関節人形展』の図録> 『Una stupita fatticita』 (Massimo Canevacci著、Costa & Nolan、2007年) 『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』テクスト10月11月号「澁澤龍彦、白洲正子特集」88-105頁 (日本放送出版協会、2007年) 季刊『プリンツ21』2008年夏号 (プリンツ21、2008年) 『快男児麿赤児がゆく 憂き世戯れて候ふ』 (朝日新聞出版、2011年) <状況劇場で四谷シモンと共演した麿赤児の自伝> 『SIMONDOLL 四谷シモン』 (求龍堂、2014年) <2014年に行われた回顧展の図録> 『Pavilionesque』創刊号30-35頁 (Centre for the Documentation of the Art of Tadeus Kantor Cricoteka、2015年) <Bruno Fernandesの記事「Yotsuya Simon the Metabolic Magician」を掲載> 『Performing for Camera』 (Simon Baker & Fiontan Moran編集、Tate Publishing、2016年) <2016年にテート・モダンで開催された写真展の図録> 『人形の文化史 ヨーロッパの諸相から』 (香川檀編、水声社、2016年) <香川檀の論考「予兆のなかのベルメール人形」及び香川と四谷シモンの対談を収載> 『四谷シモン ベルメールへの旅』 (菅原多喜夫著、愛育出版、2017年) <2010年にポーランドで開催された展覧会と展覧会準備のための旅行の記録> 『一角獣の変身 青木画廊クロニクル』 (風濤社、2017年) 『シモン私風景』<細江英公撮影> (Akio Nagasawa Publishing、2012年) 『Simon, The Actor』<沢渡朔撮影> (Akio Nagasawa Publishing、2016年) 『SIMON, 1972』<加納典明撮影> (Akio Nagasawa Publishing、2016年) 『美と出会う』~「聖なる顔を求めて」(2002年1月、NHK) 『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』 「澁澤龍彦 眼の宇宙」 第1回(2007年11月6日、NHK教育) 春の波涛(1985年、NHK大河ドラマ) 銀河テレビ小説(NHK)
女優競演サスペンス 『女と男』(1987年10月26日、フジテレビ系) アイラブユーからはじめよう(1989年、TBS系) 世にも奇妙な物語 『海亀のスープ』(1991年、フジテレビ系) 悪魔のKISS(1993年、フジテレビ系) 『女の人差し指』(1986年) 『わが母の教えたまいし』(1989年) 『華燭』(1992年 『家族の肖像』(1993年) 『いとこ同志』(1994年) 『風を聴く日』(1995年) 『響子』(1996年) 『空の羊』(1997年) 『終わりのない童話』(1998年) 『小鳥のくる日』(1999年) 『あ・うん』 (2000年) 『風立ちぬ』(2001年) 『新宿泥棒日記』(1969年):監督:大島渚 『キッチン』(1989年):監督:森田芳光 『アリア』(2007年):監督:坪川拓史 『彌勒 MIROKU』(2013年):監督:林海象 ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.495 ^ 『人形作家』(中公文庫) ^ 『新婦人』1965年3月号(文化実業社) ^ 『人形作家』(中公文庫) ^ 『快男児麿赤児がゆく 憂き世戯れて候ふ』86頁 ^ 別冊『太陽』1970年2月号46-50頁(平凡社) ^ 『一角獣の変身』(風濤社) ^ 『人形作家』(中公文庫) ^ 『四谷シモン-人形愛』展図録 (「四谷シモン展」実行委員会) ^ 『Poupées』(Gallimard, Halle Saint Pierre、2004年) ^ 『球体関節人形展』図録 (日本テレビ放送網発行、2004年) ^ 『四谷シモン ベルメールへの旅』(愛育出版) ^ 『SIMONDOLL 四谷シモン』 (求龍堂、2014年) ^ 『Performing for Camera』(Tate Publishing) ハンス・ベルメール 球体関節人形 四谷シモン (@simon_yotsuya) - X(旧Twitter) 四谷シモン人形館 淡翁荘(鎌田ミュージアム内) 四谷シモン――人形愛 四谷シモン人形教室 - YouTubeチャンネル FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ ポーランド IdRef 日本の男性芸術家 人形作家 日本の男優 東京都出身の人物 1944年生 存命人物 2024/11/22 12:31更新
|
yotsuya shimon
四谷シモンと同じ誕生日7月12日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「四谷シモン」を素材として二次利用しています。