坂井秀至の情報(さかいひでゆき) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
坂井 秀至さんについて調べます
■名前・氏名 |
坂井秀至と関係のある人
藤澤一就: 道場には、指導のため高尾紳路九段や結城聡九段、坂井秀至八段などが頻繁に訪れている。 橋本昌二: これ以後、2010年に坂井秀至が碁聖を獲得するまで、関西棋院から七大タイトル保持者が出ることはなかった。 井山裕太: 8月、24回世界囲碁選手権富士通杯で古力、崔哲瀚、坂井秀至を破り準決勝に進出するも、朴廷桓に敗れ3位決定戦に回る、決定戦で江維傑を破り、休止前の富士通杯最後の日本人棋士の入賞者となった。 長谷川広: 2001年 坂井秀至の段位認定試験碁を務める 藤沢秀行: 門下に天野雅文・高尾紳路・森田道博・三村智保・倉橋正行・金沢真らがいるが、この他にも合宿などで依田紀基・結城聡・坂井秀至ら多数の若手棋士を育てており、中国・韓国棋士も含め藤沢を師と仰ぐ者は多い。 溝上知親: 2010年 名人戦リーグで王銘琬九段・山田規三生九段・坂井秀至七段・小県真樹九段に勝利し5位で初のリーグ残留。 結城聡: 一方で関西棋院第一位決定戦では坂井秀至を破って5年ぶりに第一位となり、以降2016年まで3連覇。 倉橋正行: (準優勝は坂井秀至)。 結城聡: 1歳年下で同じ関西棋院所属の後輩・坂井秀至が8月23日に関西棋院29年ぶりの七大タイトル獲得(第35期碁聖位)を達成しており先を越された形となったが、低迷の続いていた関西棋院に活気をもたらした。 吉原由香里: 1994年11月 第5回国際囲碁アマチュア・ペア囲碁選手権大会で、坂井秀至とのペアで優勝 羽根直樹: 坂井秀至碁聖を2連敗3連勝で降し初の碁聖位を奪取。 石井茜: ペア碁選手権戦優勝 (第16回坂井秀至とのペア) |
坂井秀至の情報まとめ
坂井 秀至(さかい ひでゆき)さんの誕生日は1973年4月23日です。兵庫出身の囲碁棋士のようです。
卒業、結婚、引退に関する情報もありますね。坂井秀至の現在の年齢は51歳のようです。
坂井秀至のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)坂井 秀至(さかい ひでゆき、1973年4月23日 - )は、日本のプロ囲碁棋士。関西棋院所属。兵庫県三田市出身。佐藤直男門下。京都大学医学部卒業後、編入試験によってプロ入りし、2010年には碁聖位(第35期)を獲得した。2019年9月からは医師に転身し、囲碁の対局は無期限で休場している。関西棋院所属棋士として29年ぶり、かつ大学卒業後にプロ入りした棋士として初の七大タイトル獲得者である。 産婦人科医院を営む父の影響で7歳から囲碁をはじめ、三田市立三田小学校3年から佐藤直男の子供囲碁教室に入る。同教室には、1級上に結城聡が居た。小学4年から少年少女囲碁大会小学生の部兵庫県代表となり、全国5位に。翌年は全国大会決勝戦で、倉橋正行に敗れ準優勝。同年には全日本アマチュア本因坊戦兵庫県代表にもなり、アマチュア本因坊戦最年少出場記録であった。その翌年小学6年生に少年少女囲碁大会で優勝を果たす。 灘中学校・高等学校に進学。中学1年次に佐藤が妻の死去のため囲碁教室をやめると藤沢秀行の主催する合宿、いわゆる「秀行塾」に倉橋・結城らと参加するようになる。また、少年少女全国大会・中学生の部で3連覇を果たす。 高校では、囲碁部主将として全国高校囲碁選手権大会団体戦3連覇を経験。副将に光永淳造。1990年は個人戦でも優勝を果たす。高校3年生の秋から、浪人の間は囲碁から離れる。大学入試の面接で大学に入学したら何をやりたいかと問われた際に「碁をやりたい」と答えたと語る。 2年浪人したのちに、1994年、京都大学医学部に入学。父の影響で産婦人科専攻を志す。1年の留年を含み2000年までの7年間に、数々のアマチュアタイトルを手にする。1994年国際アマチュア・ペア碁選手権大会優勝(パートナーは当時アマの梅沢由香里)。1995年は、キリン杯GO団体戦に近畿チームの6将として、全勝で優勝に貢献。1996年から2002年まで日本アマ囲碁最強戦6連覇を果たす。1997年には全日本アマチュア本因坊戦にも優勝(当時最年少記録)し、アコム杯全日本早碁オープン戦では桐本和夫・古田直義のプロを破る活躍。1997年・1999年・2000年、JAL杯世界アマチュア囲碁選手権の日本代表となり、2000年に世界一を経験。(1997年・1999年は準優勝)。アマチュア世界一として広く知られる。 医師国家試験合格後の、2001年6月から京都大学付属病院に研修医として配属が決まっていたが、5月からのオリエンテーションで、朝7時から夜の12時まで働き詰めであることを知り、囲碁を学ぶ時間が無くなることが明らかになると、棋士の夢を諦めきれず関西棋院にプロ入りを希望し申請を行った。 このプロ編入試験は、7月から開始し特例で4番勝負となり1勝で初段、2勝すれば三段、3勝で五段とされたが長谷川広・中野泰宏それぞれと2番ずつ打ち、全てに勝利し飛付五段でデビューを果たした。医師免許保持・京都大学卒では初のプロ囲碁棋士。灘高・灘中卒では光永淳造以来2人目のプロ棋士。同年7月アマとしてオープン戦の鳳凰杯で楊橋を下し優勝。 2003年6月9日、勝星規定で六段に昇段。関西棋院第一位決定戦で湯川光久を2-1で降し、初タイトル。 2004年、名人戦リーグ入りを果たす。これにより七段昇段。4月に6歳年下の医師と結婚。夫人との間に1男、1女。 2005年 第30期名人戦リーグ残留。2006年 第31期名人戦リーグ残留。2007年 第32期名人戦リーグ残留。2008年 第33期名人戦リーグ残留。2009年 第34期名人戦リーグ残留。 2010年、碁聖戦4連覇中の張栩に挑戦し、3勝2敗で奪取。大学卒業後にプロ入りした棋士として、初のタイトル挑戦者にして初の七大タイトルの獲得者となった(大学卒業者であれば、プロ入り後に大学を卒業した淡路修三がタイトル挑戦者となっている)また、このタイトル獲得は関西棋院にとって、1981年に橋本昌二が加藤正夫を下しこれを得、翌年加藤に敗れ失冠以来29年ぶりの七大タイトル奪取となる。七大タイトル奪取により昇段規定で八段昇段を果たす。第35期名人戦リーグ残留(6期連続)。 2011年8月4日、36期名人戦リーグ最終局に敗れ、2勝6敗でリーグ戦初の陥落。8月29日、羽根直樹を迎えての碁聖初防衛戦。2連勝し防衛に王手をかけるも、3連敗で失冠する。11月19日、関西棋院第一位決定戦の挑戦者となり、村川大介第一位を2-0で降し、挑戦手合となってから自身初、決勝三番勝負時代を含めると2度目の第一位となる。 2019年8月、所属の関西棋院から、医師の道に進むため同年9月1日より全棋戦を休場することが発表された。休場期間は未定とされているが、事実上の引退とも報じられている。医師に転身する理由としては、自分の納得できる内容の碁が近年打てなくなったことを挙げている。 読む将棋ファンであり、『将棋世界』2011年1月号の谷川浩司との対談で、大学時代から『将棋世界』と『週刊将棋』を愛読しており、将棋界で得た情報を自分の碁のプラスにしたいという思いだと語る。 2001年 - 飛付五段。 2002年 - 鳳凰杯準優勝。 2003年 - 六段昇段。名人リーグ入り、以後6期残留。関西棋院第一位決定戦優勝。鳳凰杯優勝。 2004年 - 名人リーグ入りで七段昇段。新人王戦準優勝。関西棋院第一位決定戦準優勝。 2006年 - 鳳凰杯準優勝。 2010年 - 第35期碁聖戦挑戦者決定戦で山下敬吾天元を降し、初の挑戦手合進出。張栩碁聖を3勝2敗で破り、初の七大タイトル獲得。タイトル獲得により八段昇段。ペア碁選手権戦で石井茜とのペアで優勝。 2011年 - 碁聖戦で羽根直樹九段に敗れ、失冠。関西棋院第一位で村川大介第一位を降し、挑戦手合となってから初めて都合2度目の第一位となる。 2012年 - 名人リーグ復帰、陥落。関西棋院第一位で村川大介七段の挑戦を退ける。 2013年 - 初の本因坊戦リーグ入り。関西棋院第一位で古谷裕八段の挑戦を退け、連続3期となる。 碁聖戦1期(第35期) 関西棋院第一位決定戦4期(第47期、第55-57期) ^ 新土居仁昌 囲碁の坂井八段、医師に転身「20年、30年単位で人生考え」 毎日新聞 2019.8.16付記事 ^ “坂井元碁聖が医師に 医学部卒の囲碁棋士休場”. 日本経済新聞 (2019年8月16日). 2020年5月31日閲覧。 ^ “京大医学部卒・坂井元碁聖“きし”から“いし”へ 来月から休場 病院勤務へ”. デイリースポーツ (2019年8月17日). 2020年5月31日閲覧。 関西棋院の坂井秀至紹介ページ 表 話 編 歴 (棋聖・名人・本因坊・天元)一力遼 (王座・碁聖・十段)井山裕太 (名誉天元)林海峰 (二十四世本因坊秀芳)石田芳夫 (名誉名人・二十五世本因坊治勲)趙治勲 (名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖)小林光一 王銘琬 王立誠 小林覚 芝野虎丸 高尾紳路 武宮正樹 趙善津 羽根直樹 山下敬吾 依田紀基 張栩 伊田篤史 片岡聡 許家元 工藤紀夫 河野臨 坂井秀至 関航太郎 羽根泰正 彦坂直人 村川大介 山田規三生 結城聡 柳時熏 青木紳一 秋山次郎 淡路修三 石井邦生 石倉昇 石榑郁郎 今村俊也 大矢浩一 大山国夫 小県真樹 加藤充志 金秀俊 清成哲也 倉橋正行 黄翊祖 黄孟正 小島高穂 小松英樹 酒井猛 佐藤昌晴 宋光復 苑田勇一 蘇耀国 高木祥一 高梨聖健 茅野直彦 張豊猷 陳嘉鋭 中小野田智己 中野寛也 中野泰宏 仲邑信也 馬場滋 福井正明 溝上知親 三村智保 宮沢吾朗 森田道博 本木克弥 山城宏 楊嘉源 横田茂昭 マイケル・レドモンド 青木喜久代 安斎伸彰 小西和子 志田達哉 杉内寿子 鈴木伸二 瀬戸大樹 鶴山淳志 潘善琪 平田智也 藤沢一就 古谷裕 松本武久 三谷哲也 六浦雄太 望月研一 余正麒 吉田美香 李沂修 林漢傑 安達利昌 内田修平 大竹優 大西竜平 大橋拓文 小池芳弘 小林泉美 小山栄美 佐田篤史 謝依旻 白石勇一 鈴木歩 孫喆 高野英樹 沼舘沙輝哉 広瀬優一 福岡航太朗 藤井秀哉 藤沢里菜 富士田明彦 山森忠直 横塚力 芦田磯子 大西研也 岡田結美子 加藤啓子 加藤朋子 桑原陽子 呉柏毅 小林千寿 小山空也 榊原史子 武宮陽光 知念かおり 鶴田和志 寺山怜 光永淳造 向井千瑛 矢代久美子 柳澤理志 山本賢太郎 姚智騰 吉原由香里 青葉かおり 伊藤優詩 上野愛咲美 王唯任 タラヌ・カタリン 酒井佑規 新海洋子 外柳是聞 田尻悠人 田中康湧 谷口徹 常石隆志 中澤彩子 西健伸 堀本満成 洪爽義 井澤秋乃 大沢奈留美 奥田あや 熊本秀生 玉井伸 牛栄子 西岡正織 原幸子 洪清泉 星合志保 万波佳奈 万波奈穂 王景怡 加藤千笑 木部夏生 下坂美織 芝野龍之介 関達也 辰己茜 兆乾 辻華 長島梢恵 仲邑菫 三浦太郎 三村芳織 上野梨紗 重野由紀 徐文燕 髙津昌昭 飛田早紀 中島美絵子 西山静佳 羽根彩夏 稲葉かりん 出口万里子 アンティ・トルマネン 羽根しげ子 富紅梅 藤田怜央 安田明夏 表 話 編 歴 1 加藤正夫 2 加藤正夫 3 大竹英雄 4 趙治勲 5 大竹英雄 6 大竹英雄 7 大竹英雄 8 大竹英雄 9 大竹英雄 10 大竹英雄 11 趙治勲 12 加藤正夫 13 小林光一 14 小林光一 15 小林光一 16 小林光一 17 小林光一 18 小林光一 19 林海峰 20 小林覚 21 依田紀基 22 依田紀基 23 依田紀基 24 小林光一 25 山下敬吾 26 小林光一 27 小林光一 28 依田紀基 29 依田紀基 30 依田紀基 31 張栩 32 張栩 33 張栩 34 張栩 35 坂井秀至 36 羽根直樹 37 井山裕太 38 井山裕太 39 井山裕太 40 井山裕太 41 井山裕太 42 井山裕太 43 許家元 44 羽根直樹 45 一力遼 46 井山裕太 47 井山裕太 48 井山裕太 49 井山裕太 日本の囲碁棋士 日本の産婦人科医 京都大学出身の人物 灘中学校・高等学校出身の人物 学士(医学)取得者 21世紀日本の医師 兵庫県出身の人物 1973年生 存命人物 2024/11/20 07:05更新
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sakai hideyuki
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