夏井昇吉の情報(なついしょうきち) 柔道 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
夏井 昇吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
夏井昇吉と関係のある人
斉藤仁: 以後は柔道経験の無い吉田が用意してくれた夏井昇吉著の『柔道入門』が先生代わりとなり、当時14,5人の部員達は本が黒くなるまで交代で読み回したという。 醍醐敏郎: 戦後の柔道界を牽引した1人であり、同時期に活躍した松本安市、吉松義彦、石川隆彦、夏井昇吉らと繰り広げた数々の名勝負は、現在も柔道界の歴史に刻まれる。 醍醐敏郎: 1956年4月29日(於:蔵前国技館) - 第1回世界選手権大会日本代表決定大会に出場、A組の決勝戦で夏井昇吉6段に体落で敗れて世界選手権大会出場を逃す。 醍醐敏郎: 翌56年は5月に開催を控える世界選手権大会の代表選考となる4月の日本代表決定大会に出場するも、A組にエントリーした醍醐は決勝戦で夏井昇吉6段に敗れて記念すべき第1回世界選手権大会への出場は叶わなかった。 |
夏井昇吉の情報まとめ
夏井 昇吉(なつい しょうきち)さんの誕生日は1925年10月19日です。秋田出身の柔道のようです。
引退、卒業、現在、趣味に関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。
夏井昇吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - 2006年9月13日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 21歳で柔道を始めた晩学ながら第1回世界選手権大会や全日本選手権大会を制した。現役引退後は秋田県警警察官としての道を全うし、後には全日本柔道連盟評議委員や東北柔道連盟会長等を務めて柔道界の運営に携わった。 秋田県男鹿市船川に生まれる。幼少期から運動神経は抜群で、いわゆる“わんぱく坊主”として近所でもよく知られていた 秋田工業高校入学と同時に、夏井の体格の良さ・足腰の強さに目を付けたラグビー部に勧誘され、入部後はロックとして活躍した。この頃の夏井は柔道の経験は無いが、体が大きいために柔道の試合には臨時選手として引っ張り出されたりもしている。 太平洋戦争による繰上げ卒業後は、8ヶ月間小学校の教員を勤めた後に徴兵され、弘前の野砲連隊、東京の機械整備学校で過ごす。半年間戦車の勉強をしたところで終戦。 秋田に帰郷すると警察官教習所を経て1946年5月に秋田県警に警察官として着任。21歳で羽川益二郎7段のもと本格的に柔道を始める。同期には後に皇宮警察の師範を務める佐藤哲也(当時3段)がおり、体格で下回る佐藤に相撲で転がされた事が、夏井が柔道を志すきかっけとなった。稽古では強靭な肉体とスタミナ、そして天性の運動神経を武器に他の警察官達を圧倒し、1年3ヵ月後には講道館入門と同時に師範から署内格付けで3段位を許される。 当時の署長であった早川信次郎の推薦により、1949年に東京の講道館本部へ柔道留学。ここで工藤一三らの薫陶を受け、「最大の努力を以って最善を尽くす」を信条に柔道漬けの日々を送り、その技に一層の磨きをかける事となる。講道館入門時の夏井は醍醐敏郎ら日本トップレベルの猛者に全く歯が立たなかったものの、努力によってみるみる力をつけ、同年から1951年まで東北管区の警察大会個人戦で3連覇を果たしたほか、全国警察選手権大会でも1950年は吉松義彦6段(鹿児島県警)に次いで、翌51年は湊庄市6段(徳島県警)に次いで、それぞれ準優勝を果たした。また檜舞台となる全日本選手権大会では姿節雄7段や水谷英男5段らを下して注目を集めた。この頃の大会成績としては、全日本東西対抗試合で51年・52年と優秀選手賞、東北・北海道大会で52年・54年に個人戦優勝、全国警察大会で52~54年に個人戦3連覇を果たしたほか、とりわけ特筆されるのは54年の全日本選手権大会3位と翌55年同大会準優勝で、これらの成績により一気に日本のトップ選手に上り詰めた。後に醍醐も夏井について、その上達のスピードと粘り強さを賞賛している。 1956年の第1回世界選手権大会の代表選考会では決勝戦で醍醐を破り、日本代表に選出される。同年5月に蔵前国技館で開催された本大会では、1回戦3秒、2回戦8秒、3回戦44秒、準決勝戦8秒と秒殺を繰り返し、決勝戦まで4試合の合計時間63秒と圧倒的な強さで勝ち上がった。決勝戦では、それまでに3度も全日本選手権大会を制していた大豪・吉松義彦を判定で破り、見事に初代世界王者の座についた。翌1957年の全日本選手権大会でもその勢いは衰えず、準決勝戦で山舗公義6段を、決勝戦では曽根康治5段を下して全日本初制覇を成し遂げる。 この優勝を以って夏井は大舞台からは退いたが、身長174cm・体重100kgという体躯から繰り出す内股、体落、大外刈を得意技とし、また幼少時からラグビー選手時代の間に培われた足腰の粘り強さも持ち味であった。 引退後は1960年10月から1961年12月までの約1年間オーストリアのウィーンで柔道を指導するも、帰国後は柔道教師ではなく警察官としての道を全うし、県警本部教養課長や角館警察署・横手警察署で署長を歴任した。夏井の信念である“文武両道”は現在も秋田県警で伝承されている。1971年8段に列せられ、1992年には講道館創立110周年記念式典にて9段に昇段して赤帯を允許。 また全日本柔道連盟の評議員や秋田県柔道連盟会長(1985年-2003年)を務め、秋田県小学生選手権など地元の大会を開催したほか、全国女子体重別選手権(現・講道館杯)を3年連続で秋田へ招致するなど、地元の柔道発展に尽力した。現在でも夏井の名を冠した「夏井昇吉旗争奪全県選抜柔道大会」が毎年夏に開催されている。晩年は、2001年より東北柔道連盟会長の重責を担う傍ら、多忙の合間をぬい趣味のゴルフにも興じていた。 2006年9月13日の午前9時27分、入院していた故郷・男鹿市内の病院にて呼吸不全のため死去。享年81。 1948年 - 秋田県警察大会 優勝 1949年 - 東北管区警察大会 優勝 1950年 - 全国警察選手権大会 準優勝(鹿児島県警代表の吉松義彦に敗北) 1951年 - 全日本選手権大会 ベスト8(東京代表の羽鳥輝久に敗北) 1952年 - 全日本選手権大会 ベスト16(近畿代表の伊勢茂一に敗北) 1953年 - 全日本選手権大会 ベスト8(九州代表の吉松義彦に敗北) 1954年 - 全日本選手権大会 第3位(東京代表の醍醐敏郎に敗北) 1955年 - 全日本選手権大会 準優勝(九州代表の吉松義彦に敗北) 1956年 - 第1回世界選手権大会 優勝(当時は体重別でなかったため“歴史上、唯一の世界チャンピオン”とも) 1957年 - 全日本選手権大会 優勝 ^ 最後の全日本選手権大会決勝戦でも曽根康治5段の強烈な技を防ぎ切り、最後は判定でこれを降している。 ^ 同時に9段に昇段したのは羽鳥輝久、宮川善一、醍醐敏郎、橋元親、湊庄市、高嶋吉次郎、川村禎三、安部一郎、大沢慶己の諸氏。 ^ 國安教善 (2006年12月1日). “故 夏井昇吉先生のご逝去を悼む”. 機関誌「柔道」(2006年12月号)、74-75頁 (財団法人講道館) ^ “評伝 -夏井昇吉9段 文武両道を体現した初代世界チャンピオン-”. 近代柔道(2006年12月号) (ベースボール・マガジン社). (2006年12月20日) ^ くろだたけし (1980年4月20日). “名選手ものがたり6 -8段 夏井昇吉の巻-”. 近代柔道(1980年4月号)、61頁 (ベースボール・マガジン社) ^ 工藤雷介 (1965年12月1日). “七段 夏井昇吉”. 柔道名鑑、134頁 (柔道名鑑刊行会) ^ “講道館創立百十周年記念九段昇段者および新九段のことば”. 機関誌「柔道」(1992年6月号)、44頁 (財団法人講道館). (1992年6月1日) 柔道家一覧 秋田県出身の人物一覧 夏井昇吉 - JudoInside.com のプロフィール(英語) 表 話 編 歴 1956 夏井昇吉 58 曽根康治 61 アントン・ヘーシンク 65 猪熊功 67 松永満雄 69 篠巻政利 71 篠巻政利 73 二宮和弘 75 上村春樹 79 遠藤純男 81 山下泰裕 83 斉藤仁 85 正木嘉美 87 小川直也 89 小川直也 91 小川直也 93 ラファウ・クバツキ 95 ダビド・ドゥイエ 97 ラファウ・クバツキ 99 篠原信一 2001 アレクサンドル・ミハイリン 03 鈴木桂治 05 デニス・ファンデルヘースト 07 棟田康幸 08 テディ・リネール 10 上川大樹 11 アブドゥロ・タングリエフ 17 テディ・リネール 60kg級 66kg級 73kg級 81kg級 90kg級 100kg級 100kg超級 無差別級 | 五輪 表 話 編 歴 1948 松本安市 1949 木村政彦, 石川隆彦 1950 石川隆彦 1951 醍醐敏郎 1952 吉松義彦 1953 吉松義彦 1954 醍醐敏郎 1955 吉松義彦 1956 (中止) 1957 夏井昇吉 1958 曽根康治 1959 猪熊功 1960 神永昭夫 1961 神永昭夫 1962 竹内善徳 1963 猪熊功 1964 神永昭夫 1965 坂口征二 1966 松永満雄 1967 岡野功 1968 松阪猛 1969 岡野功 1970 篠巻政利 1971 岩釣兼生 1972 関根忍 1973 上村春樹 1974 佐藤宣践 1975 上村春樹 1976 遠藤純男 1977 山下泰裕 1978 山下泰裕 1979 山下泰裕 1980 山下泰裕 1981 山下泰裕 1982 山下泰裕 1983 山下泰裕 1984 山下泰裕 1985 山下泰裕 1986 正木嘉美 1987 正木嘉美 1988 斉藤仁 1989 小川直也 1990 小川直也 1991 小川直也 1992 小川直也 1993 小川直也 1994 金野潤 1995 小川直也 1996 小川直也 1997 金野潤 1998 篠原信一 1999 篠原信一 2000 篠原信一 2001 井上康生 2002 井上康生 2003 井上康生 2004 鈴木桂治 2005 鈴木桂治 2006 石井慧 2007 鈴木桂治 2008 石井慧 2009 穴井隆将 2010 高橋和彦 2011 鈴木桂治 2012 加藤博剛 2013 穴井隆将 2014 王子谷剛志 2015 原沢久喜 2016 王子谷剛志 2017 王子谷剛志 2018 原沢久喜 2019 ウルフ・アロン 2020 羽賀龍之介 2021 太田彪雅 2022 斉藤立 2023 王子谷剛志 2024 中野寛太 日本の男子柔道家 日本の警察官 秋田県立秋田工業高等学校出身の人物 秋田県出身の人物 1925年生 2006年没 ウィキデータにあるJudoInside ID
2024/11/20 09:26更新
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natsui syoukichi
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