大碇剛の情報(おおいかりつよし) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
大碇剛の情報まとめ
大碇 剛(おおいかり つよし)さんの誕生日は1972年6月16日です。京都出身の相撲のようです。
現在、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。大碇剛の現在の年齢は52歳のようです。
大碇剛のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大碇 剛(おおいかり つよし、1972年6月16日 - )は、京都市西京区出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は齋藤 剛(さいとう つよし)。身長177cm、体重137kg。最高位は東前頭11枚目(2000年3月場所)。現在は年寄・甲山。 京都商業(3年次より京都学園)高校時代には全国大会の優勝経験があり、同志社大学でも全国大会で活躍した。勧誘にやってきた伊勢ノ海親方や後援会などからは大文字以来となる京都府出身関取を嘱望されたことで入門を決意し、大学の1年先輩である土佐ノ海が所属する伊勢ノ海部屋に入門し、「大碇」の四股名で1995年3月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵を踏んだ。本人は伝統の四股名を貰い、おめおめと京都には帰れないと覚悟した。立合いから一気に押す正統派の突き押し相撲で期待された。 小兵のため幕下上位で苦労したが、1997年5月場所に新十両への昇進を果たした。京都府出身としては13人目の関取であり、これ以前は大文字の引退以降23年10か月に渡って京都府出身の関取経験者が不在となっていた。その後、幕下へ陥落したこともあったものの、1998年5月場所では10勝5敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、続く7月場所と9月場所でも勝ち越しを決め、同年11月場所に新入幕を果たした。その場所では5勝10敗と大敗して1場所で十両へ陥落し、1999年は十両上位に位置し再入幕は果たせずにいたが、2000年1月場所に再入幕を果たし、その場所で8勝7敗と幕内で初めての勝ち越しを決めた。しかし、翌3月場所では5勝10敗と大敗し、翌5月場所で再び十両へと陥落した。 2001年11月場所では東十両3枚目の位置で11勝4敗の好成績を挙げて2回目の十両優勝を果たし、翌2002年1月場所で3回目の入幕を果たしたものの、その場所も含めて4場所連続で幕内で負け越し、同年7月場所を最後に幕内へ復帰することはできず、結局、幕内での勝ち越しは2001年1月場所の1場所のみに終わり、幕内への定着は果たせなかった。怪我の影響により、2004年9月場所には幕下に陥落し、その場所では2勝5敗と負け越し、翌11月場所でも3勝4敗と負け越したのを最後に現役を引退、準年寄・大碇を襲名した。 2005年5月に借株で年寄・甲山を襲名し、その後、年寄名跡を正式に取得して、現在は伊勢ノ海部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっている。伊勢ノ海が協会の業務を中心とするようになってから、部屋の現場監督的存在になった。相撲体操などを通じて一般のファンへの相撲普及も図っている。 長男の齋藤成剛(さいとう せいごう、2005年2月22日 - )は、埼玉栄高校相撲部を経て伊勢ノ海部屋に入門し、四股名を若碇として2023年1月場所で初土俵を踏んだ。 関取時代には地元の京都放送において、ニュース番組で「今日の大碇」と題したコーナーを設けて取組の結果が紹介されていた。 同郷および同志社大学の同期にあたる元アーティスティックスイミング選手の奥野史子と交流があり、大阪場所前には奥野がレギュラー出演していたラジオ番組『上泉雄一のええなぁ!』(MBSラジオ)に、部屋の関取衆と共にゲスト出演することが恒例となっていた。 大相撲中継での解説は、低音で関西弁の語り口が特徴的。 2000年9月場所(西十両筆頭)で不戦勝を2つ記録したが、その2つとも相手力士(琴錦と水戸泉)の引退に伴う不戦勝であるという、非常に珍しいことがあった。 通算成績:356勝336敗57休(59場所).514 幕内成績:45勝60敗(7場所).429 十両優勝:2回(1998年5月場所、2001年11月場所) 大碇 剛 (おおいかり つよし)1995年3月場所 - 2004年11月場所 大碇 剛(おおいかり つよし)2004年11月-2005年5月 甲山 剛(かぶとやま -)2005年5月- ^ 番組開始から2014年度までは火曜日、2015年度から2019年度までは水曜日、2020年度から番組リニューアルに伴う2021年秋の降板までは再び火曜日。 ^ “甲山親方の長男・斎藤成剛、高校横綱ら実力者揃い 初場所新弟子検査”. サンスポ. (2022年12月9日). https://www.sanspo.com/article/20221209-OU64UAVOURIVTMKQBQUAE6IZGA/ 2022年12月10日閲覧。 ^ “若碇 - 力士プロフィール”. 日本相撲協会公式サイト. 2023年1月15日閲覧。 ^ 『NHK G-Media大相撲中継』秋場所展望号、毎日新聞出版、2017年8月31日、65頁、ASIN B074ZMZJ3S。 大相撲力士一覧 現役年寄一覧 大碇 剛 - 日本相撲協会 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 雷 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 湊 錣山 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山(停年後再雇用) 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用) 高砂 若松 錦戸 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱 伊勢ヶ濱 楯山 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山 桐山 出来山 表 話 編 歴 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山 錦木 若碇 漣 鳴滝 竜勢 醍醐山 日煌 太秦 柏葉 達ノ海 鬨王 達ノ森 曽我 京の里 式守海之助 床将 床春 京都府出身の大相撲力士 伊勢ノ海部屋 同志社大学出身の大相撲力士 京都先端科学大学附属高等学校出身の人物 高校相撲部出身の大相撲力士 京都市出身の人物 1972年生 存命人物 独自研究の除去が必要な記述のある記事/2023年7月-12月 ウィキデータにある日本相撲協会識別子
2024/11/06 13:58更新
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ooikari tsuyoshi
大碇剛と同じ誕生日6月16日生まれ、同じ京都出身の人
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