大里俊晴の情報(おおさととしはる) 音楽評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大里 俊晴さんについて調べます
■名前・氏名 |
大里俊晴と関係のある人
山崎春美: このライブでのメンバーは山崎、大里俊晴、佐藤薫(EP-4)、野々村文宏の4人。 山崎春美: 大里俊晴(元ガセネタ)(ヴォーカル、ギター、ベース) 山崎春美: 山崎春美・浜野純・大里俊晴・佐藤隆史による最後のハードロック・バンド「ガセネタ」の解散(1979年3月30日)を受けて、なし崩し的に始まった。その実態は吉祥寺マイナーのイベント「愛欲人民十時劇場」「剰余価値分解工場」に集った山崎春美、白石民夫、大里俊晴らの集団に高杉弾編集の自販機雑誌『HEAVEN』の編集者・ライターである隅田川乱一(美沢真之助)、山本土壺(山本勝之)、ロリータ順子(篠崎順子)が加わり、町田町蔵、工藤冬里、坂本龍一、佐藤薫、遠藤ミチロウ、細川周平、上野耕路、篠田昌已、武邑光裕、香山リカ、川島バナナなどの多彩なミュージシャンをゲストに巻き込んでいった不定形の即興音楽集団だった。 山崎春美: 吉祥寺マイナーのイベント「愛欲人民十時劇場」「剰余価値分解工場」にて、山崎を中心にイベントの主宰者であった白石民夫、そして大里俊晴、後飯塚僚、平野勝、田中トシが集い、美沢真之助、山本土壺らが介入、さらにロリータ順子(篠崎順子)が加わり、後に1st.アルバムに参加するミュージシャン達を巻きこんでいくなど、TACOは音楽的・出版的人間関係から集まった不定形の即興音楽集団だった。 山崎春美: そして新宿ロフトにて「大里俊晴七回忌」として、遠藤ミチロウ、乾純、佐藤薫、工藤冬里、久下恵生、向島ゆり子、後飯塚僚、野々村文宏、香山リカなどかつてのメンバー・関係者が集ったライブ「SHINDACO~死んだ子の齢だけは数えておかねばならない」を開催。 山崎春美: 大里俊晴や連続射殺魔の浜野純らと、園田佐登志が主宰する明治大学の現代音楽ゼミで知り合い、自称「ハードロック」バンド「ガセネタ」を結成する。 |
大里俊晴の情報まとめ
大里 俊晴(おおさと としはる)さんの誕生日は1958年2月5日です。新潟出身の音楽評論家のようです。
卒業、映画、趣味に関する情報もありますね。2009年に亡くなられているようです。
大里俊晴のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大里 俊晴(おおさと としはる、1958年2月5日 - 2009年11月17日)は日本の現代音楽研究者、横浜国立大学教育人間科学部教授。新潟県出身。 新潟県立新潟高等学校を卒業後、早稲田大学文学部でフランス文学を学ぶ。同時にロックバンド「ガセネタ」「タコ」などで山崎春美らとともに演奏活動を行う。大学卒業後、パリ第8大学芸術研究科修士課程、研究課程に学び、ダニエル・シャルルに師事する。 パリ留学 (1987年~93年) から帰国した1990年代以降、『ユリイカ』などを舞台に現代音楽を主な対象とした評論活動を展開する。また、自らノイズ系のパフォーマンスを行うとともに、リュク・フェラーリなどフランスの前衛的な音楽家を積極的に日本に紹介した。1992年には、自らのバンド経験を下敷きにした小説『ガセネタの荒野』(洋泉社)を出版している。 その出版にあたり大里は、 一生のお願いがある。何もいわずに、この原稿『ガセネタの荒野』を本にしてくれ。頼む。一円の印税もお金も受け取る気はない。ただし、一文字も変えずに出版してくれ。それ以外はすべてまかせる。古本屋で百円で売っている本のようなものであってほしい。これを出さないと、俺はこれから生きていけないのだ。パリからも帰れないのだ。 と友人の丸宝行晴に語った。その後は評論活動のかたわら、早稲田大学などの非常勤講師を務めていたが、1998年、横浜国立大学教育人間科学部に助教授として採用された。以降、多彩なゲストを迎えて共演するなど、型破りな授業を展開した。 横浜国立大学では、梅本洋一や木下長宏と同僚であり、2000年にはこの3名の共編で『現代フランスを知るための36章』(明石書店)が出版された。 大里は、2006年に公開された同郷の間章についてのドキュメンタリー映画『AA』では、インタビュアーを務めている。 2008年6月癌告知、その直後、故郷新潟で「間章に捧げる即興演奏」これが最後のソロ演奏。 横浜国立大学で同僚だった、室井尚や木下長宏によれば、大里はシャイな人柄で医者に体を晒すことを嫌って健康診断などを受けず、菜食と甘味に偏った食生活(本人曰く、「菜食主義」ではなく「菜食趣味」)によって健康を蝕んだ結果、晩年には闘病を強いられ、遂には落命したという。 2009年11月16日 22時30分(危篤。ほぼ意識もうろう状態で)大里「ガセネタは凄いバンドだった。あんなバンド、ない。」 2009年11月16日 22時31分、大里「ジミ・ヘンはここで死なない。」 2009年11月17日 午前1時14分、没。享年51。(直接の死因は大腸がんではなく静脈瘤破裂) 2010年、評論を中心とした著作集『マイナー音楽のために』(月曜社)が出版された。 2011年には月曜社より生前唯一の単著『ガセネタの荒野』が復刊される。あわせてガセネタの10枚組CD-BOX『ちらかしっぱなし-ガセネタ in the BOX』がリリースされた。 「ガセネタの荒野」(洋泉社)(1992)※2011年に月曜社より復刊。 「マイナー音楽のために」(月曜社)(2010) 「役立たずの彼方に 大里俊晴に捧ぐ」(2010)※渡邊未帆が中心となって編集した追悼文集。 「タカラネタンチョトタカイネ」(2011)※1970年代後半の吉祥寺マイナー時代(共演・工藤冬里ほか)、1980年代のタコ時代、1990年代の渡仏~帰国後(共演・テニスコーツほか)、2000年代の横浜国立大学内でのセッション(共演・大友良英ほか)の音源を5枚のCDに、2008年の「間章に捧げる即興演奏」を1枚のDVDに収録したボックス・セット 「間章に捧げる即興演奏」(2018)※2008年新潟の国際映像メディア専門学校でのライブ音源、2008年新宿の貸スタジオでの録音、1991年パリでの演奏音源を収録したCD ^ マルチメディア文化課程演習担当者 大里俊晴 ^ 『役立たずの彼方に 大里俊晴に捧ぐ』オフィスOsato、2010年6月1日。 ^ 発信する横浜国大 大里俊晴インタビュー - ウェイバックマシン(2005年4月7日アーカイブ分) ^ “Cast 出演者のプロフィール”. ユーロスペース (2005年). 2011年6月16日閲覧。 ^ 追悼:大里俊晴君のこと - 短信 Virtual Time Garden 2009年11月18日付 ^ 木下長宏のウェブログ ^ 大里俊晴『マイナー音楽のために 大里俊晴著作集』月曜社、2010年11月24日、523頁。ISBN 978-4-901477-77-2。 ISNI VIAF アメリカ 日本 MusicBrainz この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 ノイズミュージシャン 日本の音楽学者 横浜国立大学の教員 パリ大学出身の人物 早稲田大学出身の人物 新潟県立新潟高等学校出身の人物 新潟県出身の人物 1958年生 2009年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年2月 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 音楽家関連のスタブ
2024/11/02 12:09更新
|
oosato toshiharu
大里俊晴と同じ誕生日2月5日生まれ、同じ新潟出身の人
TOPニュース
大里俊晴と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大里俊晴」を素材として二次利用しています。