富士錦章の情報(ふじにしきあきら) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
富士錦章の情報まとめ
富士錦 章(ふじにしき あきら)さんの誕生日は1937年3月18日です。山梨出身の相撲のようです。
引退、事故、現在、兄弟に関する情報もありますね。2003年に亡くなられているようです。
富士錦章のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)富士錦 章(ふじにしき あきら、1937年3月18日 - 2003年12月17日)は、山梨県甲府市出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は一宮 章(旧姓は渡辺)。身長175cm、体重136kg。得意手は突き、押し。最高位は東小結。長男はプロレスラーの一宮章一、次男は元横綱・朝青龍のマネージャーの一宮章広。その風貌と優しく穏やかな性格から、「平和ちゃん」の愛称で親しまれた。 小学生の頃に相撲を初め、当初は嫌々だったが強くなり、中学生の時には県大会で優勝、高校1年で国体に出場するなどの実績を残した。 1952年(昭和27年)夏に髙砂一門が巡業に来た際に勧誘され後に4代目髙砂親方(元横綱前田山)から直々に勧誘されて入門を決意、1953年(昭和28年)3月場所初土俵。 四股名は入門当初に目を掛けてくれた髙砂部屋の横綱東富士の『富士』を頂戴して命名した。立合いに頭で当たって遮二無二行う突き押しが強かったが四つに組むと脆かった。一時期右で前ミツを取って出し投げを打っていたが、富士錦自体上背が無いためそれを行うと自分の体が浮いて上手くいかず、周囲にも怒られたためやらなくなった。 1959年1月場所新入幕。この場所は5勝10敗と大敗し十両に陥落。しかし1場所で返り咲きそれ以降は平幕上位に定着する。1963年(昭和38年)の7月場所中に母を亡くしたが奮起し、不振とはいえ2大関(豊山と栃ノ海)を倒して9勝6敗の成績を挙げ殊勲賞を獲得した。 1964年(昭和39年)、母の1周忌を済ませて臨んだ7月場所は誰しもが驚く絶好調、大鵬、柏戸の二横綱が休場不在とはいえ、豊山、佐田の山ら4人の大関を差し置いて14勝1敗の好成績を挙げて優勝した。千秋楽では激しく突き合い強敵の西関脇北の富士の突っ張りにひるまず、相手の出足を止めると一瞬の隙を見て左から叩き込んだ。上位での番付運に恵まれず小結で勝ち越すこと3回、さらに14勝1敗の好成績での優勝までありながら、関脇にはなれなかったが実力は関脇と認められている。史上初の最高位が小結の優勝力士になった。3横綱の内2人が休場し、平幕が優勝を果たした例としても、戦後15日制下ではこれが第1号となった。 1968年(昭和43年)11月場所は1勝14敗と大敗して現役を引退、年寄西岩を襲名。後に尾上と名跡を改め、髙砂部屋付き年寄として高見山らを厳しく指導し、審判委員を務めた。 1988年(昭和63年)に5代目髙砂(元横綱3代朝潮)が亡くなると6代目髙砂浦五郎として髙砂部屋を継承した。師匠としては先代から引き継いだ4代朝潮は既に衰え、朝潮の引退後小錦は横綱目前、水戸泉は大関を狙える所まで進みながら、どちらも膝の故障で果たせず番付を下げるなど力士の育成に苦労したが、直弟子の小結・闘牙、十両・泉州山など個性的な力士を輩出した。また、1990年(平成2年)から理事を務めた。 しかし2000年(平成12年)に闘牙が交通事故を起こしたことで師匠としての責任を問われ降格、減給処分を受けた。この頃から体調が優れなくなり入退院を繰り返すようになった。 2002年(平成14年)に元大関:4代朝潮の若松親方と年寄名跡を交換して部屋を譲り3月場所後に停年退職。退職後も髙砂部屋や一門の東関部屋に顔を出し、稽古を視察するなど元気な姿を見せていたが2003年(平成15年)12月17日、慢性腎不全のため死去した。66歳没。 墓石には「六代目 高砂浦五郎」と刻まれている。 1994年(平成6年)、東京都台東区に髙砂部屋が入った自宅マンションを建てたが、2002年(平成14年)の若松部屋との合併により、髙砂部屋は若松部屋の建物に移転する形となったことから、相撲部屋としては空き家になった。そのため、現在では独立間もない若手の部屋持ち親方に部屋を貸している(現在は立浪部屋が入居)。 長男(一宮章一)がプロレス入りしたことに一時期激怒し、勘当していたことがある。 髙砂部屋の床山だった床寿によれば、富士錦は演歌好きだったが、カラオケでは何故か『さざんかの宿』(大川栄策)と『長良川艶歌』(五木ひろし)しか歌わなかったという。 新弟子を勧誘する度にその新弟子候補と記念撮影を行っていたが、撮影の際に袴の中で膝を曲げてわざと新弟子候補が自分より大きく見えるようにしていた。同郷(山梨県)の後輩であった富士櫻も「いやあ、君は背が高いなあ。ほら、オレよりもこんなに。ウン、これなら大丈夫だ。立派な関取になれる」と富士錦に口説かれて入門したが、入門後にどの兄弟子を見ても自分より大きかったのでショックを受け、後になってそのカラクリに気付いたという。 高砂部屋伝統の皿土俵は本場所の土俵と勝手が違うため、1961年5月場所7日目に行われた高砂一門座談会で司会の北出清五郎から感想を聞かれたが、その時「さあ。ワシら大体、あんまり残ろうって気はないから(笑)」と答えた。 通算成績:574勝559敗5休 勝率.507 幕内成績:414勝466敗5休 勝率.470 現役在位:86場所 幕内在位:59場所 三役在位:10場所(小結10場所) 各段優勝
幕下優勝:1回(1956年9月場所) 三賞:7回
敢闘賞:4回 (1959年7月場所,1959年11月場所,1961年1月場所,1964年7年場所) 技能賞:1回 (1964年7月場所) 雷電賞:2回(1959年7月場所、1964年7月場所) 金星:7個(若乃花1個、栃ノ海3個、柏戸2個、佐田の山1個) 西岩 猛光(にしいわ たけみつ)1968年11月-1969年3月 西岩 章(にしいわ あきら)1969年3月-1971年9月 尾上 章(おのうえ -)1971年9月-1979年3月 尾上 彰(おのうえ -)1979年3月-1988年10月 髙砂 彰伸(たかさご あきのぶ)1988年10月-1988年12月 髙砂 浦五郎(たかさご うらごろう)1988年12月-2002年2月 若松 章(わかまつ あきら)2002年2月-2002年3月 小結一覧 ^ 大鵬の大関時代までは富士錦の3勝5敗と健闘していたが、大鵬の横綱昇進後は22戦全敗で1度も勝てなかった。 ^ ほかに若浪がいる。なお、大蛇山と德勝龍は平幕止まり。 ^ 襲名直後は「髙砂彰伸」を名乗ったが、間もなく「浦五郎」に改名した。 ^ 右足首関節挫傷により10日目から途中休場 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p20 ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』25ページ ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p56-59 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p41 ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p42 ^ 『相撲』2018年3月号 p.114-115 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p38 ^ 元小結・富士錦の棺で歌った…床寿“涙のカラオケ” 夕刊フジ 2008年12月15日閲覧 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p49-51 表 話 編 歴 高見山酉之助 常陸山谷右エ門 太刀山峯右エ門 鳳谷五郎 両國勇治郎 西ノ海嘉治郎 (2代) 大錦卯一郎 栃木山守也 常ノ花寛市 鶴ヶ濱増太郎 西ノ海嘉治郎 (3代) 大蛇山酉之助 宮城山福松 常陸岩英太郎 能代潟錦作 玉錦三右エ門 豊國福馬 山錦善治郎 武藏山武 綾櫻由太郎 清水川元吉 沖ツ海福雄 男女ノ川登三 双葉山定次 出羽湊利吉 安藝ノ海節男 羽黒山政司 佐賀ノ花勝巳 前田山英五郎 備州山大八郎 東富士欽壹 増位山大志郎 千代の山雅信 照國萬藏 栃錦清隆 鏡里喜代治 時津山仁一 吉葉山潤之輔 三根山隆司 朝潮太郎 (3代) 若乃花幹士 (初代) 安念山治 玉乃海太三郎 若羽黒朋明 若三杉彰晃 大鵬幸喜 柏戸剛 佐田の山晋松 栃ノ海晃嘉 北葉山英俊 富士錦猛光 北の富士勝昭 若浪順 玉の海正洋 琴櫻傑將 清國勝雄 栃東知頼 長谷川勝敏 輪島大士 高見山大五郎 北の湖敏満 魁傑將晃 貴ノ花健士 金剛正裕 三重ノ海剛司 若乃花幹士 (2代) 千代の富士貢 琴風豪規 隆の里俊英 北天佑勝彦 若嶋津六夫 多賀竜昇司 朝潮太郎 (4代) 北勝海信芳 大乃国康 旭富士正也 小錦八十吉 霧島一博 琴富士孝也 琴錦功宗 貴乃花光司 曙太郎 水戸泉政人 若乃花勝 武蔵丸光洋 貴ノ浪貞博 千代大海龍二 出島武春 武双山正士 貴闘力忠茂 魁皇博之 琴光喜啓司 栃東大裕 朝青龍明徳 白鵬翔 琴欧洲勝紀 日馬富士公平 把瑠都凱斗 旭天鵬勝 鶴竜力三郎 照ノ富士春雄 琴奨菊和弘 豪栄道豪太郎 稀勢の里寛 栃ノ心剛史 御嶽海久司 貴景勝貴信 玉鷲一朗 朝乃山英樹 德勝龍誠 正代直也 大栄翔勇人 若隆景渥 逸ノ城駿 阿炎政虎 霧島鐵力 豊昇龍智勝 尊富士弥輝也 大の里泰輝 一覧 年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。 山梨県出身の大相撲力士 高砂部屋 高校相撲部出身の大相撲力士 日本相撲協会の役員 山梨県出身の人物 1937年生 2003年没
2024/11/22 05:11更新
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fujinishiki akira
富士錦章と同じ誕生日3月18日生まれ、同じ山梨出身の人
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