寺川綾の情報(てらかわあや) 水泳 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
寺川 綾さんについて調べます
■名前・氏名 |
寺川綾と関係のある人
種田恵: それまでミズノ水泳部の女子部員は寺川綾だけだったこともあり、商品開発のために泳ぐ傍らで自らのスキルアップを図るという厳しい環境の下で競技生活を続けていた。 細川大輔: 2014年4月11日、元競泳選手の寺川綾と結婚。 平井伯昌: 寺川綾は女子100m背泳ぎと女子400mメドレーリレーの両方で銅メダルを獲得した。 伊藤華英: 以後、高校総体と国体で東京都代表として出場し、寺川綾と並ぶ日本女子水泳界のアイドル的存在になる。 原田泰造: めざせ!2020年のオリンピアン〜東京五輪の原石たち〜「背泳ぎの新星×銅メダリスト寺川綾」(2014年2月11日、NHK) ※MC(パイロット版) 中村礼子: 年上に稲田法子・中尾美樹・中村真衣・萩原智子、年下に寺川綾・伊藤華英と、同じ種目のライバル選手が多く、大学入学までは目立った活躍はなかった。 松田丈志: 2007年に中京大を卒業後は、同学年の寺川綾らとともにミズノへ入社。 平井伯昌: 北京オリンピック以降は上田春佳、加藤ゆか、寺川綾を指導。 橋爪四郎: 細川は世界選手権日本代表も務めた本物の競泳選手で、2012年ロンドンオリンピックの背泳ぎ銅メダリスト・寺川綾を妻とする。 中尾美樹: 寺川綾(現:ミズノ社員)ら後輩のサポートにあたった。 |
寺川綾の情報まとめ
寺川 綾(てらかわ あや)さんの誕生日は1984年11月12日です。大阪出身の水泳選手のようです。
主な戦績、自己ベストなどについてまとめました。引退、テレビ、卒業、結婚に関する情報もありますね。寺川綾の現在の年齢は39歳のようです。
寺川綾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)寺川 綾(てらかわ あや、1984年11月12日 - )は、大阪府大阪市出身の日本の元競泳選手、スポーツキャスター。専門種目は背泳ぎ。スポーツメーカーミズノ社員。2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ銅メダリスト、400mメドレーリレー銅メダリスト。 寺川が水泳を始めたのは3歳の頃で、地元を本拠地としていたイトマンスイミングスクールに入り、そこで頭角を現し選手コースで力をつけた。クラブの先輩には千葉すず、その夫でもある山本貴司、同じ種目の選手である中尾美樹(シドニーオリンピック競泳女子200m背泳ぎ銅メダリスト)がおり、山本らは学校の先輩ともなった。特に中尾は、引退後も大学職員として寺川をサポートし続けてきた。 2000年4月、近畿大学附属高等学校へ入学。高校2年生だった2001年、福岡市で行われた世界水泳選手権に出場する。中継を担当していたテレビ朝日の番宣CMに出演した際に照れながら言った「声援ください」の一言で一躍注目を集め、2002年に横浜市で行われたパンパシ水泳では200m背泳ぎで2位に入り、寺川自身初の国際大会でのメダル獲得となった。 2003年、近畿大学法学部に入学する。寺川は大学進学後もクラブには一応籍を置いていたが、学校側の方針により日本水泳連盟には「近畿大学の学生」として登録して大会に出場していた。また、在学中は大手英会話学校ジオスのコマーシャルにも出演していた。 大学2年生で出場した2004年アテネオリンピックでは、200m背泳ぎで8位入賞を果たした(この時銅メダルを取ったのが中村礼子であった)。しかし、その後はライバルの伊藤華英との戦いの中で敗れ去る状態が続いた。事態打開のためアメリカでトレーニングをするなど努力を続けたものの、2006年シーズン(2007年3月の世界水泳終了まで)は日本代表から漏れた。寺川はこの悔しさをバネに、北京オリンピック出場を目指した。 大学卒業後はミズノに入社し、陸上競技の室伏広治らと同様、ミズノの社員選手として競技を続けることになった。ミズノは2007年5月にSPEEDO水着事業から撤退し、翌6月から自社ブランドの水着事業展開を始めたが、寺川は他の「社員スイマー」とともに「ミズノスイムチーム」の結成に参加。以後はこの名義で大会に参加するとともに、社員として自社水着の開発目的でのテストスイムと、宣伝活動を行っている。 2008年4月に行われた日本選手権では、中村礼子と伊藤の前に100m、200mとも屈する形となり、2大会連続のオリンピック出場はかなわなかった。入社初年度のミズノ水泳部の女子部員が寺川だけで、商品開発のための「テスト・スイマー」としての泳ぎが優先され、自分のための十分な練習時間が取れなかったためではないかとみられている。 その後、平泳ぎの種田恵がミズノに入社することになった。それを受け、商品開発目的で泳ぐことの負担が軽減され自分のための練習時間や、平井伯昌コーチ の教えを受ける機会を増やせるようになり、復活の兆しを見せ始めた。 2008年12月14日、第13回高岡市水泳スプリント選手権大会の50m背泳ぎで、26秒73の短水路日本新(当時)を記録。2009年1月のKONAMI OPEN 2009では50m背泳ぎ28秒11、100m背泳ぎ1分00秒53と共に自己ベストを更新、2009年2月15日、競泳短水路の東京都記録会の50m背泳ぎで26秒40の短水路アジア新をマークした。 2009年4月に行われた日本選手権では、100m背泳ぎで59秒67と初めて1分を切り7年ぶり2度目の優勝を果たした。50mでも予選で27秒94、決勝で27秒78と連続で日本記録を更新して優勝した。200mでは完全にライバル関係へと変わった伊藤を破り、“背泳ぎ三冠”を達成。ローマで開かれる世界選手権の代表に選ばれた。 2011年7月に上海で行われた世界水泳では、100m背泳ぎで5位に入賞、50m背泳ぎでは27秒93の記録で2位に入り銀メダル。世界選手権で初のメダル獲得となった。 2012年4月に行われた日本選手権では出場種目を一種目に絞り、100m背泳ぎで59秒10の日本新記録で優勝してロンドンオリンピック代表に選ばれた。 5月のジャパンオープン100m背泳ぎでは自身の持つ日本記録を0秒02上回る59秒08で優勝を果たした。 さらに、200mでも自己ベストの2分7秒84で優勝すると、50mでは自身の持つ日本記録を0秒02更新する27秒71で優勝を飾った。 2012年のロンドンオリンピックでは、女子100m背泳ぎ決勝で58秒83の日本新記録ならびにアジア記録で銅メダルを獲得、寺川自身2度目のオリンピック出場で初のメダル獲得となった。また、競泳競技最終日の女子4×100mメドレーリレー決勝でも総合タイムでそれまでの同種目の日本記録を2秒近く縮めた日本新記録の3分55秒73で銅メダルを獲得した。日本の女子競泳選手で27歳でのオリンピックのメダル獲得は、北京オリンピック銅メダリストの中村礼子の26歳を上回り最年長記録となった。 2013年7月から8月にかけて行われたバルセロナで行われた世界水泳では、100m背泳ぎで59秒23の記録で3位に入り銅メダル、50m背泳ぎでも27秒53の記録で3位に入り銅メダルを獲得する。最終日に行われた女子4×100mメドレーリレー決勝では第1泳者(背泳ぎ)を務め、58秒70の記録で(100m背泳ぎの)日本新記録を更新した(日本チーム全体の総合タイムでは5位入賞)。 しかし2013年シーズンは右足首の故障が多く、パフォーマンスを維持できなかったため東京国体を最後に現役を退くことを決意、12月4日に会見を開き発表した。「水泳は生涯スポーツ」という理由から「引退」ではなく競技活動から「卒業」の表現を使用した。ミズノスイムチーム・アシスタントコーチとして水泳の普及と指導にあたっている。長身を生かした水着モデルの活動も継続しており、選手活動以外の仕事は「卒業」以前と変わらなかった。 2014年4月11日に元競泳選手の細川大輔と結婚し、同年4月22日に妊娠5ヶ月であることを発表した。その後、同年9月に第一子となる女児を出産した。 2014年4月1日から日本水泳連盟の新設「アスリート委員会」の委員となった。 2015年6月13日にプロ野球交流戦の札幌ドームで北海道日本ハムファイターズの「ミズノデー」の横浜DeNAベイスターズ戦の始球式として務めた。 2016年4月から、『報道ステーション』(テレビ朝日系)のスポーツキャスター(金曜日)を務める。 2017年10月からスポーツマネジメント「スポーツビズ」と業務提携契約締結。 主な戦績第9回世界水泳選手権福岡大会(2001年)
第9回パンパシフィック水泳選手権横浜大会(2002年)
アテネオリンピック(2004年)
第14回世界水泳選手権上海大会(2011年)
ロンドンオリンピック(2012年)
女子4×100mメドレーリレー 銅メダル(総合タイム:3分55秒73、日本新記録) 第15回世界水泳選手権バルセロナ大会 (2013年)
女子50m背泳ぎ 銅メダル (タイム : 27秒53) 自己ベスト
2024/06/13 04:08更新
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terakawa aya
寺川綾と同じ誕生日11月12日生まれ、同じ大阪出身の人
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