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山井大介の情報 (やまいだいすけ)
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山井大介の情報(やまいだいすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山井 大介さんについて調べます

■名前・氏名
山井 大介
(読み:やまい だいすけ)
■職業
野球選手
■山井大介の誕生日・生年月日
1978年5月10日 (年齢46歳)
午年(うま年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和53年)1978年生まれの人の年齢早見表

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山井大介の情報まとめ

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山井 大介(やまい だいすけ)さんの誕生日は1978年5月10日です。大阪出身の野球選手のようです。

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結婚、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。山井大介の現在の年齢は46歳のようです。

山井大介のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。

少年時代はボーイズリーグの「箕面スカイラーク」に所属。

神戸弘陵高校時代には後にプロでチームメイトとなる玉野宏昌と同級生だった。2年秋、3年春と県大会ベスト4。同じく1学年下に元西武ライオンズの佐藤友紀がいる。

その後奈良産業大学では2年春に最優秀選手となり、大学選手権で先発も初戦敗退。3年時の同大会は2回戦で完投し(7回コールド)ベスト8。4年春は最優秀投手、ベストナイン3回。社会人野球の河合楽器に入社。2001年の第72回都市対抗野球大会の準決勝で勝利を挙げるなど、同社の初優勝に貢献する。しかし、同年限りで野球部が休部したため、社会人1年目だが、特例措置でドラフト対象となり、2001年のドラフトで中日ドラゴンズから6巡目指名を受け入団。なお、同僚の久本祐一も4巡目指名でドラゴンズに入団している。

2002年(1年目)にオーバースローとサイドスローを併用する変則投法で、5月8日の読売ジャイアンツ戦で5回無失点に抑えプロ初勝利。新人ながらシーズン31試合に登板、6勝(3敗)を挙げた。

2003年はサイドスロー固定を図ったが、逆にフォームを崩してしまい、シーズン4試合の登板に終わる。しかし、ウエスタン・リーグで最多勝を獲得。

2004年シーズン後半、オーバースローに固定して一軍に復帰、9月12日の対広島東洋カープ戦で初完封勝利を記録。最終的に2勝を記録した。終盤の好投が光ったことで西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦では先発投手を任された。6回無失点に抑え、日本シリーズ初登板初先発初勝利を記録した。しかし、第7戦では先発のドミンゴ・グスマンがKOされた後、中継ぎとして2番手で3回途中から登板したが、アレックス・カブレラに5点のリードに広げられる2点本塁打を打たれ、1/3を投げて1失点で降板した(2点本塁打の内、もうひとつの失点はドミンゴが出した走者のため、ドミンゴの失点となる)。結果的にチームは敗れ日本一を逃した。

2005年は一軍と二軍を行き来。

2006年は右肩の痛みから初めて一軍登板なしに終わった。オフに幼馴染との結婚を発表。

2007年は山本昌の不調から先発ローテーションの一角を任されるが、援護が少なく長らく勝ち星から見放されていた。また、序盤から突然崩れることも目立ち、波に乗れなかった。8月21日の対巨人戦に登板し、またも初回からピンチを招くが、1失点で切り抜けるとその後は無得点に抑え、2年ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた。その後は調子も安定し、稀にみる巨人及び阪神との三つ巴の優勝争いの中、9月には登板5試合で4勝1敗、防御率3.00の好成績を挙げ、自身初のセ・リーグ月間MVPを受賞した。クライマックスシリーズでは第2ステージ第1戦での先発予定も右肩痛再発のため回避。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第5戦(ナゴヤドーム)に先発登板し、8回まで1人も走者を出さない完全試合としたが、9回に降板して、抑えの岩瀬仁紀が三者凡退で抑えたことで、レギュラーシーズン中も含めてNPB史上初の継投による完全試合を達成。しかし、山井から岩瀬への継投を行った監督の落合博満の采配については、スポーツマスコミ、野球評論家などを中心に賛否両論が巻き起った(2007年日本シリーズ完全試合リレー)。

2008年は3月2日の日本ハムとのオープン戦に右足内転筋痛を訴えて出遅れ、4月9日に選手登録された。4月17日の対読売ジャイアンツ戦に先発し、7回を1失点に抑えるも敗戦投手に。しかし、2試合に登板したのみで、右肘痛のため出場選手登録を抹消された。その後、クライマックスシリーズで再び一軍登録されるも、不甲斐ないシーズンとなってしまった。

2009年はエースの川上憲伸が抜けたことにより、先発ローテの一角を担うことが期待された。しかし、開幕一軍はならなかった。4月15日に同年初の一軍昇格。4月19日の対巨人戦に登板するも2回4失点で降板した。5月8日の対巨人戦も1回3失点と振るわず、試合後二軍に降格した。その後は一軍復帰し、岩瀬仁紀の故障時に自身4年ぶりとなるセーブを記録するなど中継ぎでの登板が多くなった。オフにドミニカ・ウインターリーグのエストレージャス・オリエンタレスへ浅尾拓也、谷哲也、長峰昌司と共に派遣。ここでは2/3回で3失点を喫した1試合のみの登板に終わる。

2010年は4月6日の対横浜ベイスターズ戦で3年ぶりの勝利投手となる。7月16日の広島戦では6年ぶりの完封を飾り、この試合以降でプロ野球新記録となる「チーム5試合連続完封」を記録することとなった。また8月18日の対巨人戦(ナゴヤドーム)で、巨人打線を8回終了時まで無安打に抑えていたが、9回の先頭打者坂本勇人に初被安打・初失点となる本塁打を打たれ、直後に岩瀬に交代した(試合は3対1で中日が勝利)。その後のヒーローインタビューでは2007年日本シリーズ完全試合リレーを受け、「やっぱり8回までしか持ちませんでした」と自虐的にコメントした。肩、肘に疲れのたまりにくいフォームに改造し、かつての決め球である落差のあるスライダーとも決別、直球、フォークに新スライダーとカーブを組み合わせるスタイルにモデルチェンジしたことが要因とされる(週刊ベースボール中日ドラゴンズ優勝記念号より)。巨人戦に相性がよく4試合に登板し3勝0敗防御率2.73だった。

2011年は吉見一起やチェンの故障により、シーズン前は開幕投手候補と言われたが、右肘の違和感で開幕一軍を逃し、その後は左足首の骨折もありシーズン終盤まで一軍に定着できなかった。8月に一軍昇格して以降は先発で3勝を挙げた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは第4戦では1点ビハインドの場面でリリーフ登板し、2回を無安打無四球に抑えた。両チーム3勝3敗で迎えた第7戦で先発したが、3回途中1失点で敗戦投手となっている。

2012年は監督の高木守道と投手コーチの権藤博の思案もあって、中継ぎから始まった。4月17日の巨人戦から4試合連続で先発(シーズン合計は5試合に先発)した他、5月8日の対広島戦ではロングリリーフも務めた。中盤からは浅尾拓也が肩痛、岩瀬が成績不振で登録を抹消されて8月2日からセットアッパーと抑えを務めた。1年で先発、中継ぎ、ロングリリーフ、抑えと1人4役をこなし、初めてシーズンを通して一軍に帯同。自己最高の56試合登板、防御率1.43、15セーブ、13ホールドを記録した。クライマックスシリーズでも浅尾、田島慎二と共にセットアッパー及び抑え投手として貢献した。前年まで中日の投手コーチだった森繁和からは「環境が変わったのが大きいのではないか」「本当に嬉しいし、誇りに思う」と賞賛された。オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され候補入りした。

2013年はボールに対応できず、第3回WBC最終メンバーには選出されなかった。開幕当初は中継ぎだったものの、4月19日の対DeNA戦でサヨナラ本塁打を打たれるなどあり、4月下旬には二軍降格、5月下旬に先発として一軍に復帰。6月28日、対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で、NPB史上77人目(88度目)のノーヒットノーランを達成。3奪三振、4与四球でスコアは9対0だった。試合後のインタビューで2007年の日本シリーズ最終戦のことを問われて「全く意識していなかった、あの山井とは別人ですから」と語った。しかし、この投球で流れが変わることはなく、最終的には16試合に先発したが5勝6敗で防御率は4.15と平凡な成績に終わり、契約更改でも減俸となった。

2014年は8月に初めて国内FA権を取得。9月6日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で7イニングを6安打2失点で、自身初の10勝目を挙げるなど13勝を挙げ、阪神のランディ・メッセンジャーと共に最多勝、また単独で最高勝率のタイトルを獲得した。なお、36歳で初めて10勝を記録したのはNPB史上最年長記録となった。また、規定投球回をクリアしたのもこの年が初だった。生涯成績の中で、2桁勝利を記録したのもこの年のみで、なおかつ唯一の2桁勝利が最多勝のタイトル獲得となる珍しい記録となった。球団でこの記録を持っているのは、現役選手以外では2020年シーズン終了時点で山井と1988年の小野和幸の2人だけである。 オフに国内FA権を行使せず中日に残留を決断。契約更改交渉にて、年俸は倍増の1億2000万円に上がり、合わせて36歳と高齢ながらも年俸固定制の3年契約を結んだ。

2015年は開幕投手に指名され、開幕戦の3月27日の対阪神戦(京セラドーム大阪)では7回を投げ3安打1失点と好投したが、チームは同点に追いつかれたのちに延長サヨナラ負けを喫した。8月25日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で中継ぎで登板し、NPB史上341人目の1000投球回数を達成した。この年は好不調の波が激しくまた好投しても勝ち星に恵まれない試合も多く先発ローテーションから外れてリリーフに回ったこともあり、規定投球回数には僅か2イニング足りなかった。成績もリーグ敗戦数2位タイの12敗を記録した。

2016年も打ち込まれることが多く、先発では1度も勝てず5月18日の対阪神戦(阪神甲子園球場)での敗戦で、前年から続けて先発登板11連敗を記録してしまった。6月からはリリーフに回り、33試合で1勝8敗、防御率4.52という成績に終わった。

2017年はシーズン開始から二軍で調整を続ける。シーズン終盤の8月31日に初めて一軍に登録されたが、その時点での二軍成績は13試合登板、0勝5敗、防御率7.43と絶不調だった(なお、このあとも二軍での登板はなかったため、これが最終記録となる)。しかしながら同日の対DeNA戦(ナゴヤドーム)では先発で6回0/3を投げ3安打1失点と好投を見せ、802日ぶりの先発勝利を挙げた。また、この試合で今永昇太からプロ初本塁打を記録した。なお、同日のヒーローインタビューにおける山井の発言によると、中学生以来の本塁打だったという。9月12日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)でも先発で6回を投げ5安打1失点と好投して2勝目を挙げた。この2試合の登板のみで2勝0敗・防御率1.50でシーズンを終えた。3年契約の最終年を終え、4800万円減となる推定年俸7200万円で契約を更改した。

2018年は5月22日に一軍昇格。同日の対DeNA戦に二軍戦から中4日で先発し、プロ野球史上9人目の40代での完封勝利を達成した。翌日のプロ野球公示で出場選手登録を抹消されたが、2試合目の先発となった6月3日の日本ハム戦で6回無失点で2勝目を挙げた。

2019年は13試合に登板し、3勝5敗、防御率4.85を記録。オフに1550万円減となる推定年俸4650万円で契約を更改した。

2020年はすべてリリーフで6試合に登板し、防御率9.00を記録。オフに1860万円減となる推定年俸2790万円で契約を更改した。

2021年は一軍登板はなく、9月30日に現役引退を表明した。10月13日のヤクルト戦(バンテリンドーム)で同じく引退する藤井淳志と共に引退試合が行われた。自身は9番・投手で先発登板し、1回表に塩見泰隆から代名詞のスライダーで空振り三振を奪って降板。試合後の引退セレモニーでは関係者やファンに感謝を伝え、「プロ野球生活の歴史に爪痕を少し残せたのかな。記録よりも記憶に残る選手と言ってもらえたことを誇りに思います」 「野球が好きです。大好きです。ドラゴンズが大好きです」と述べた。最後は胴上げされ、スタンドの拍手に包まれながら現役生活に幕を下ろした。

2022年より中日の二軍投手コーチに就任。2024年からは7月25日まで同チームの一軍投手コーチを務め、翌26日より二軍投手コーチへ配置転換された。

2010年の平均球速は143km/h。スライダー、シュートなど投げるボールは全て高水準にある。20代までは縦に曲がるカーブに近いスライダーを絶対的なウイニングショットとして使用していた。しかし、捻って押す投げ方が肘に大きく負担がかかるため、30代になると封印。その後は横に滑らすスライダーに変更している。なお、自身の引退試合では最後の一球に封印していた縦に曲がるスライダーを解禁し、三振を奪った。

父は地元・大阪府豊中市の「大阪ドラゴンズ少年野球団」の団長・総監督を務めている。

屋内外問わず度の入ったサングラスをかけて試合に出場するのが特徴で、多くのサングラスを所持している。漫画『ドカベン スーパースターズ編』で山井が登場したときは、サングラス(作中ではゴーグル)で光を反射して打者の目をくらませるという戦法を使う投手として描かれた。

漫才師・オール巨人の息子のプロゴルファー・南出仁寛は義弟(山井の妹と結婚した)である。

各年度の太字はリーグ最高

「-」は記録なし

通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

最多勝利:1回(2014年)

最高勝率:1回(2014年)

月間MVP:1回(2007年9月)

日本シリーズ優秀選手賞:1回(2007年)

初登板:2002年4月27日、対広島東洋カープ5回戦(ナゴヤドーム)、4回表に2番手で救援登板、1回無失点

初奪三振:同上、4回表に西山秀二から

初先発・初勝利・初先発勝利:2002年5月8日、対読売ジャイアンツ8回戦(ナゴヤドーム)、5回1/3を無失点

初完投勝利・初完封勝利:2004年9月12日、対広島東洋カープ26回戦(ナゴヤドーム)

初本塁打:2017年8月31日、対横浜DeNAベイスターズ20回戦(ナゴヤドーム)、5回裏に今永昇太から左越ソロ ※39歳での初本塁打は工藤公康に次ぐ歴代2位の年長記録

1000投球回:2015年8月25日、対横浜DeNAベイスターズ17回戦(横浜スタジアム)、6回裏三死目に下園辰哉を三振で達成 ※史上341人目

ノーヒットノーラン:2013年6月28日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)※史上77人目

開幕投手:1回(2015年)

オールスターゲーム出場:1回(2014年)

フランチャイズ・プレイヤー:入団から引退までの20年間で移籍なし

29(2002年 - 2021年)

83(2022年 - )

「ウルトラセブンのうた」(打席時のみ、第3打席以降)( - 2013年)

「GO」DEEP(2013年シーズン途中)

「ガッチャマンの歌」TAKEISHI(2014年)

「Rhythm and Police(踊る大捜査線のメインテーマ曲)」松本晃彦(2015年 - 2017年)

「どーん!とやってこい、ダイスケ」竹原ピストル(2018年)

「Same Ol'」The Heavy(2019年 - 2020年)

「One Love」嵐 (2021年)

^ 日本少年野球連盟出身選手

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^ 先発投手1人で1試合投げ切る事が条件になる為、公式には完全試合とは記録されていない

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^ “山井、開幕ローテ無理しない 下半身違和感なし!!”. CHUNICHI Web (中日スポーツ). (2008年3月15日). https://web.archive.org/web/20140906132745/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2008/200803/CK2008031502095480.html 2013年5月13日閲覧。 

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^ “山井に金色グラサンのススメ”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2012年12月30日). https://web.archive.org/web/20191226073644/https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/66930/ 2017年9月1日閲覧。 

^ “オール巨人の長男が中日・山井投手の妹と結婚”. ORICON NEWS (オリコン). (2010年10月2日). https://www.oricon.co.jp/news/80651/full/ 2017年9月1日閲覧。 

^ “【中日】山井 39歳プロ16年目の初本塁打! 41歳工藤に次ぐ年長記録”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年8月31日). https://web.archive.org/web/20170903160305/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170831-OHT1T50177.html 2017年10月7日閲覧。 

大阪府出身の人物一覧

奈良学園大学の人物一覧

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個人年度別成績 山井大介 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

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未完の完全試合。山井大介“決断”の理由 - Number Web

89 井上一樹

83 山井大介(投手)

82 浅尾拓也(投手)

未定 松中信彦(打撃統括)

78 森野将彦(打撃・作戦)

72 大野奨太(バッテリー)

未定 飯山裕志(野手総合)

71 堂上直倫(内野守備走塁)

87 中村豊(外野守備走塁)

76 大塚晶文(巡回投手・育成)

77 落合英二(監督)

未定 小山伸一郎(投手統括)

未定 田島慎二(投手)

未定 小池正晃(打撃統括)

84 福田永将(打撃)

80 小田幸平(バッテリー)

81 森越祐人 (内野守備走塁)

未定 平田良介(外野守備走塁)

85 渡邉博幸(野手総合・育成)

未定 小林正人(投手・育成)

7 根尾昂

11 小笠原慎之介

13 橋本侑樹

14 草加勝

16 岩嵜翔

17 柳裕也

18 梅津晃大

19 髙橋宏斗

20 涌井秀章

22 大野雄大

24 福谷浩司

28 森博人

31 仲地礼亜

33 祖父江大輔

34 福敬登

36 福田幸之介

38 松葉貴大

41 勝野昌慶

46 梅野雄吾

48 土生翔太

50 清水達也

54 藤嶋健人

59 齋藤綱記

69 松木平優太

90 松山晋也

91 メヒア

35 木下拓哉

39 宇佐見真吾

43 味谷大誠

49 加藤匠馬

57 山浅龍之介

58 石橋康太

2 田中幹也

3 高橋周平

5 村松開人

6 中田翔

25 石川昂弥

27 津田啓史

29 辻本倫太郎

32 石垣雅海

45 龍空

60 山本泰寛

68 福永裕基

95 ロドリゲス

97 樋口正修

99 カリステ

00 尾田剛樹

1 岡林勇希

4 鵜飼航丞

8 大島洋平

37 濱将乃介

42 ブライト健太

44 川越誠司

51 上林誠知

53 後藤駿太

55 細川成也

63 板山祐太郎

208 石川翔

210 岡田俊哉

212 野中天翔

213 森山暁生

214 近藤廉

216 菊田翔友

215 日渡騰輝

207 星野真生

218 川上理偉

209 福元悠真

220 モニエル

加藤竜馬

沢村栄治

V.スタルヒン

石田光彦

中尾輝三

亀田忠

浅野勝三郎

三輪八郎

森弘太郎

西沢道夫

天保義夫

藤本英雄

別所昭

石丸進一

呉昌征

梶岡忠義

真田重男

金田正一

林義一

大友工

山下登

杉下茂

大津守

大脇照夫

大矢根博臣

井上善夫

中山義朗

G.バッキー

外木場義郎

清俊彦

若生忠男

堀内恒夫

城之内邦雄

鈴木啓示

成田文男

渡辺秀武

鬼頭洋

藤本和宏

高橋直樹

江夏豊

神部年男

加藤初

戸田善紀

郭泰源

田中幸雄

近藤真一

柴田保光

湯舟敏郎

西崎幸広

佐藤義則

T.ブロス

渡辺久信

野口茂樹

石井一久

川尻哲郎

佐々岡真司

M.バンチ

N.エルビラ

川上憲伸

井川慶

R.ガトームソン

山本昌

前田健太

杉内俊哉

西勇輝

山井大介

岸孝之

山口俊

菅野智之(CS)

千賀滉大

大野雄大

小川泰弘

東浜巨

今永昇太

山本由伸

C.ポンセ

石川柊太

戸郷翔征

大瀬良大地

1957 豊田泰光

1958 中西太

1959 杉山光平

1960 近藤和彦

1961 塩原明

1962 岩下光一

1963 王貞治

1964 K.ハドリ

1965 林俊彦

1966 長嶋茂雄

1967 D.スペンサー

1968 柴田勲

1969 足立光宏

1970 黒江透修

1971 黒江透修

1972 長嶋茂雄

1973 高田繁

1974 山崎裕之

1975 中沢伸二, 外木場義郎

1976 B.ウイリアムス

1977 福本豊

1978 若松勉

1979 水谷実雄

1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 大友工, 長谷川良平

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 権藤博

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 江夏豊

1974 松本幸行, 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 高橋里志

1978 野村収

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 小松辰雄

1988 小野和幸, 伊東昭光

1989 斎藤雅樹, 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹, B.ガルベス

1997 山本昌

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2000 M.バンチ

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治, K.ホッジス

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 下柳剛, 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 S.グライシンガー

2008 S.グライシンガー

2009 吉見一起, 館山昌平

2010 前田健太

2011 吉見一起, 内海哲也

2012 内海哲也

2013 小川泰弘

2014 R.メッセンジャー, 山井大介

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 大瀬良大地, 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋, 九里亜蓮

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1936春夏 牧野潔

1936秋 加藤智男

1937春 森井茂

1937秋 森井茂

1938春 松尾幸造

1938秋 森井茂

1939 松尾幸造

1940 村松幸雄

1941 森井茂

1942 河村章

1943 松尾幸造

1944 森井茂

1946 森井茂

1947 松尾幸造

1948 服部受弘

1949 服部受弘

1950 清水秀雄

1951 近藤貞雄

1952 大島信雄

1953 杉下茂

1954 石川克彦

1955 石川克彦

1956 杉下茂

1957 伊奈努

1958 中山俊丈

1959 伊奈努

1960 伊奈努

1961 板東英二

1962 柿本実

1963 河村保彦

1964 河村保彦

1965 柿本実

1966 山中巽

1967 小川健太郎

1968 小川健太郎

1969 小川健太郎

1970 小川健太郎

1971 伊藤久敏

1972 水谷寿伸

1973 稲葉光雄

1974 星野仙一

1975 松本幸行

1976 星野仙一

1977 松本幸行

1978 星野仙一

1979 星野仙一

1980 藤沢公也

1981 三沢淳

1982 小松辰雄

1983 小松辰雄

1984 鈴木孝政

1985 小松辰雄

1986 郭源治

1987 杉本正

1988 小松辰雄

1989 小野和幸

1990 西本聖

1991 小松辰雄

1992 郭源治

1993 今中慎二

1994 今中慎二

1995 今中慎二

1996 今中慎二

1997 山本昌

1998 山本昌

1999 川上憲伸

2000 野口茂樹

2001 山本昌

2002 山本昌

2003 川上憲伸

2004 川崎憲次郎

2005 川上憲伸

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 川上憲伸

2009 浅尾拓也

2010 吉見一起

2011 M.ネルソン

2012 吉見一起

2013 吉見一起

2014 川上憲伸

2015 山井大介

2016 大野雄大

2017 大野雄大

2018 小笠原慎之介

2019 笠原祥太郎

2020 大野雄大

2021 福谷浩司

2022 大野雄大

2023 小笠原慎之介

2024 柳裕也

1巡目:前田章宏

3巡目:田上秀則

4巡目:久本祐一

5巡目:前田新悟

6巡目:山井大介

7巡目:都築克幸

8巡目:高橋聡文

日本の野球選手

神戸弘陵学園高等学校出身の野球選手

奈良学園大学硬式野球部及びその前身チームの選手

河合楽器硬式野球部の選手

中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

最多勝利 (NPB)

最高勝率 (野球)

NPBオールスターゲーム選出選手

日本の野球指導者

大阪府出身のスポーツ選手

1978年生

存命人物

外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月

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野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/12/02 22:25更新

yamai daisuke


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