山口圭司の情報(やまぐちけいじ) ボクシング 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山口 圭司さんについて調べます
■名前・氏名 |
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友利正: 山口圭司は国際ボクシングスポーツジム入りが決まり掛けていたが、自身と同じ全日本高校王者から18歳でプロボクサーとなった具志堅や友利の勧めで自身が憧れている井岡弘樹が所属していたグリーンツダボクシングクラブに入門した。 |
山口圭司の情報まとめ
山口 圭司(やまぐち けいじ)さんの誕生日は1974年2月17日です。北海道出身のボクシングのようです。
現在、引退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。山口圭司の現在の年齢は50歳のようです。
山口圭司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山口 圭司(やまぐち けいじ、1974年2月17日 - )は、日本の元プロボクサー。 北海道函館市出身。第22代日本ライトフライ級王者。元WBA世界ライトフライ級王者。左ボクサータイプで、入場曲はヨーロッパの「The FINAL COUTDOWN」。 現在は大阪府松原市在住。近鉄南大阪線河内天美駅側で、函館cafe&bar HamedⅡのマスターをしている。 中学生の頃、井岡弘樹に憧れ函館大学付属有斗高等学校入学と同時に市内にあった桜井ボクシングジムでボクシングを始める。高校時代は全国高等学校ボクシング選抜大会、インターハイ、国民体育大会の三冠を達成。プロ転向後も懐の深い長身のアウトボクサーとして、ライトフライ級からバンタム級で活躍した。函館市民栄誉賞受賞者。 高校三冠王となり、有名私大やプロボクシングジムからの引く手あまただった。当初レパード玉熊から誘われ国際ボクシングスポーツジムに入門予定であったが、その後、憧れの井岡に直接誘われたのが決め手となり、自身と同じ全日本高校王者から18歳でプロボクサーとなった具志堅用高及び友利正の勧めもありグリーンツダボクシングクラブへ。その時の契約金は、当時としては日本プロボクシング史上最高の1,000万円(上原康恒、古口哲、新垣諭、三谷大和らと並ぶ)であった。 憧れのボクサーはナジーム・ハメドだと言う山口は、卓越したスピードを持つ優秀なアウトボクサーであったが、長身ボクサーゆえの減量苦が付きまとった。 引退後は地元・パチンコ店のイメージキャラクターにもなり、その後は先輩・井岡が開設した「井岡ボクシングジム」→「井岡弘樹ジム(井岡ボクシングトレーニングジム)」のチーフトレーナーに就任後、前述の『函館cafe&bar HamedⅡ』でマスターをしている。 1992年5月17日、プロデビュー。その1か月後の6月15日、ジムの先輩でもあるWBA世界ライトフライ級王者井岡弘樹の世界戦の前座でデビュー2戦目を迎える。その後も井岡の世界戦前座に2度登場。 1994年9月19日、14戦目で日本王座初挑戦。座嘉比勝則と空位の日本ライトフライ級王座を争い、10回判定勝ち。王座獲得に成功。以後、3度の防衛を果たし、1995年7月に王座返上。 1995年9月5日、世界初挑戦。WBA世界ライトフライ級王者・崔煕庸(韓国)に挑むも、12回判定負け(1-2)で王座獲得ならず(40日前に急遽決まった世界戦であり、短期間で18kgの減量を強いられた)。 1996年5月21日、世界再挑戦。1月に崔を降してWBA世界ライトフライ級王座を獲得したカルロス・ムリーリョ(パナマ)に挑む。強打の王者相手に怯むことなく、アウトボクシングで攻略。12回判定勝ち(2-1)を収め、ちょうど20戦目で世界王者となった。 1996年8月13日、初防衛戦。前王者ムリーリョと再戦し、前回以上の差を付けての12回判定勝ちで返り討ち。 1996年12月3日、2度目の防衛戦。1位ピチット・チョーシリワット(タイ)との指名試合を迎える。初回こそ静かな立ち上がりであったが、続く2回、顔を前に出すなど挑発的な行為で自ら隙を作り、それをテレビ実況で指摘された直後に挑戦者の右フックを顎に受け、後頭部をキャンバスに打ち付ける強烈なダウンを喫する。立ち上がったものの脚はおぼつかず、結局レフェリーストップによるTKO負け。半年余りで世界王座陥落となった。試合後、減量苦を理由にフライ級への転向を表明。 1997年11月22日、フライ級での世界挑戦。WBA世界フライ級王者ホセ・ボニージャ(ベネズエラ)に挑む。2月に先輩・井岡の挑戦を退けた小柄な王者相手に序盤は優勢に試合を進めるも、迎えた6回、左の相打ちでダウンを奪われる。辛くも立ち上がり試合続行に応じたが、王者のさらなる追撃を浴びたところでレフェリーストップ。TKO負けで2階級制覇を阻まれる。その後、フライ級でも減量が苦しくなったことから、スーパーフライ級転向を表明。日本王座から出直すことになる。 1998年10月25日、日本スーパーフライ級王者名護明彦に挑戦するも、10回判定負けを喫し王座獲得ならず。日本人選手相手に喫した初の敗戦であった。 1999年、グリーンツダジムを離れ、元世界スーパーフェザー級王者小林弘が会長を務めるTAIKOH小林ジムに移籍。 1999年9月5日、2年ぶりの世界挑戦。WBC世界スーパーフライ級王者・曺仁柱(韓国)に挑むも、最終12回に2度のダウンを奪われた末の判定負けを喫し2階級制覇ならず。この試合は「DIRECTVボクシング」としてPPVで独占生中継されており、日本初のプロボクシング世界タイトルマッチPPV中継となった。 2000年、TAIKOH小林ジムを離れ、新日本木村ジムへ移籍。 2000年10月10日、移籍初戦で有永政幸(後の日本ならびにOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者)と対戦するも、4回TKO負け。この敗戦で世界戦線から完全に脱落。なお、この試合はOPBF東洋太平洋バンタム級王座挑戦に向けての前哨戦と位置付けられていたが、KO負けで挑戦は取り止めとなった。 2001年5月5日、フィリピンの首都・マニラでWBCインターナショナルスーパーフライ級王座挑戦。元WBC世界スーパーフライ級王者ジェリー・ペニャロサ(フィリピン)に挑むも、初回TKO負け。 2002年、TAIKOH小林ジムに復帰し、4月8日、元日本バンタム級王者の瀬川設男とノンタイトル戦を戦うが3回TKO負け。これで3戦連続KO負けとなり、結局この試合を最後に現役引退。11月、グリーンツダジム時代の後輩である本田秀伸の世界初挑戦の興行で引退式を行った。 プロボクシング - 39戦30勝(11KO)8敗1分 日本ライトフライ級王座(防衛3=返上) WBA世界ライトフライ級王座(防衛1) ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年、70-72、115、145頁 ^ (日本語) 日本人ボクサー達のダウン&ノックアウト集【衝撃!!】, https://www.youtube.com/watch?v=OgnH8NsXBqs 2022年5月8日閲覧。 ^ “ディレクTV、ボクシング世界戦、PPVで独占生中継。”. 日経産業新聞. (1999年6月25日). https://www.nikkei.com/compass/content/NIRKDB19990625NSS0024/preview 2023年7月14日閲覧。 男子ボクサー一覧 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧 ボクシング日本王者一覧 日本のボクシング世界王者一覧 プロボクシング協会 世界王者アーカイヴス 山口圭司の戦績 - BoxRec(英語) 山口圭司 - Facebook 1994年9月19日 - 1995年7月3日(返上) 1996年5月21日 - 1996年12月3日 表 話 編 歴 井岡弘樹 大橋秀行 星野敬太郎 新井田豊 イーグル・デン・ジュンラパン 高山勝成 井岡一翔 八重樫東 宮崎亮 田中恒成 福原辰弥 京口紘人 山中竜也 谷口将隆 重岡銀次朗 重岡優大 具志堅用高 中島成雄 渡嘉敷勝男 友利正 井岡弘樹 山口圭司 亀田興毅 井岡一翔 井上尚弥 田口良一 木村悠 八重樫東 田中恒成 寺地拳四朗 京口紘人 矢吹正道 岩田翔吉 白井義男 ファイティング原田 海老原博幸 大場政夫 大熊正二 花形進 小林光二 レパード玉熊 勇利アルバチャコフ 坂田健史 内藤大助 亀田興毅 亀田大毅 五十嵐俊幸 八重樫東 井岡一翔 比嘉大吾 木村翔 田中恒成 中谷潤人 ユーリ阿久井政悟 寺地拳四朗 渡辺二郎 鬼塚勝也 川島郭志 飯田覚士 戸高秀樹 徳山昌守 セレス小林 川嶋勝重 名城信男 清水智信 佐藤洋太 河野公平 亀田大毅 カルロス・クアドラス 井上尚弥 井岡一翔 中谷潤人 田中恒成 ファイティング原田 六車卓也 辰吉丈一郎 薬師寺保栄 戸高秀樹 長谷川穂積 亀田興毅 山中慎介 亀田和毅 井上尚弥 井上拓真 中谷潤人 西田凌佑 武居由樹 堤聖也 ロイヤル小林 畑中清詞 佐藤修 西岡利晃 李冽理 下田昭文 長谷川穂積 小國以載 久保隼 岩佐亮佑 亀田和毅 井上尚弥 西城正三 柴田国明 越本隆志 ホルヘ・リナレス 粟生隆寛 長谷川穂積 沼田義明 小林弘 柴田国明 上原康恒 畑山隆則 ホルヘ・リナレス 内山高志 粟生隆寛 三浦隆司 伊藤雅雪 尾川堅一 ガッツ石松 オルズベック・ナザロフ 畑山隆則 小堀佑介 ホルヘ・リナレス 藤猛 浜田剛史 平仲明信 輪島功一 工藤政志 三原正 石田順裕 竹原慎二 村田諒太 小関桃 安藤麻里 宮尾綾香 池山直 古川夢乃歌 岩川美花 花形冴美 鈴木菜々江 黒木優子 山中菫 松田恵里 多田悦子 藤岡奈穂子 安藤麻里 山田真子 黒木優子 池原シーサー久美子 江畑佳代子 小関桃 佐伯霞 石川海 富樫直美 柴田直子 藤岡奈穂子 天海ツナミ 真道ゴー 好川菜々 藤岡奈穂子 天海ツナミ 山口直子 藤岡奈穂子 吉田実代 奥田朋子 小澤瑶生 晝田瑞希 藤岡奈穂子 新垣諭 ルイシト小泉 西島洋介 西澤ヨシノリ 江藤光喜 シュガーみゆき ライカ 袖岡裕子 菊地奈々子 池山直 天海ツナミ 吉田実代 プロボクシング・世界チャンピオン会 一覧 カテゴリ 日本の男子ボクサー ボクシングの日本王者 ライトフライ級世界王者 世界ボクシング協会世界王者 日本のボクシング世界王者 日本のボクシングトレーナー 函館大学付属有斗高等学校出身の人物 北海道出身のスポーツ選手 1974年生 存命人物
2024/11/24 18:12更新
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