岡松和夫の情報(おかまつかずお) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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岡松和夫の情報まとめ
岡松 和夫(おかまつ かずお)さんの誕生日は1931年6月23日です。福岡出身の作家のようです。
著書、脚註などについてまとめました。卒業、結婚、家族に関する情報もありますね。2012年に亡くなられているようです。
岡松和夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 2012年1月21日)は、日本の小説家。国文学者。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。 1955年、「百合の記憶」が「文藝」全国学生小説コンクール佳作第一席として青柳和夫の筆名で『文藝』に掲載される。この時の佳作同期に大江健三郎がいる。1956年に国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。翻訳家の平井呈一の姪である瀬山梅子と1957年に結婚。横浜学園高等学校に勤務。 1959年に「壁」で第9回文學界新人賞受賞。1964年に立原正秋が編集長格の同人誌『犀』に参加。ほかに加賀乙彦、佐江衆一、後藤明生、高井有一らも参加していた。 1966年に関東学院短期大学国文科専任講師に就任、1968年に助教授となり、1973年には教授へ昇任。 作家としては1974年、「墜ちる男」で第70回芥川龍之介賞候補、「小蟹のいる村」で第71回芥川龍之介賞候補となり、1975年、「熊野」で第72回芥川龍之介賞候補になった。翌1976年、「志賀島」で第74回芥川龍之介賞を受賞した。 1981年、研究者としてブラジルのサンパウロに滞在。1985年、「面影」で第12回川端康成文学賞候補となり、1986年に『異郷の歌』で第5回新田次郎文学賞、1998年には『峠の棲家』で第2回木山捷平文学賞をそれぞれ受賞した。 国文学者としては一休宗純の研究などを行っていた。 2012年1月21日、肺炎のために逝去。80歳没。 著書『小蟹のいる村』1974年、文藝春秋 『熊野』1974年、文藝春秋 『志賀島』 1976年、文藝春秋 のち文庫 『深く目覚めよ』(1977年、講談社) 『鉢をかずく女』(1977年、文藝春秋) 『詩の季節』(1980年、新潮社) 『魂ふる日』(1980年、文藝春秋) 『人間の火』(1981年、文藝春秋) 『風の狂へる』(1981年、小沢書店) 『薄氷を踏む』(1982年、新潮社) 『純粋な生活』(1983年、河出書房新社) 『楠の森』(1984年、ベネッセコーポレーション) 『異郷の歌』(1985年、文藝春秋) 『口紅』(1987年、講談社) 『海の砦』(1988年、新潮社) 『手弱女』(1989年、文藝春秋) 『一休伝説』(1991年、講談社) 『北京の日』(1992年、講談社) 『断弦』(1993年、文藝春秋) 『峠の棲家』(1997年、新潮社) 『実朝私記抄』(2000年、講談社) 『無私の感触』(2002年、講談社) 『少年飛行兵の絵』(2005年、講談社) 脚註^ 岡松和夫―第74回芥川賞受賞作家 ^ 1960年代に小泉八雲の作品全訳を刊行。作品「断弦」は平井のモデル小説 ^ 作家の岡松和夫氏が死去「志賀島」で芥川賞 産経新聞 2012年2月1日閲覧
okamatsu kazuo
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