岸田幸雄の情報(きしだゆきお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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岸田幸雄の情報まとめ
岸田 幸雄(きしだ ゆきお)さんの誕生日は1893年2月24日です。京都出身の政治家のようです。
卒業、現在、事件、引退に関する情報もありますね。1987年に亡くなられているようです。
岸田幸雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岸田 幸雄(きしだ さちお、1893年2月24日 - 1987年10月16日)は、日本の政治家、実業家。京都府出身。 兵庫県知事(官選1期・公選2期)、参議院議員(2期)を歴任した。 1893年(明治26年)、山口県士族・岸田氏美の三男として京都府に生まれる。第三高等学校を経て1916年(大正5年)に京都帝国大学法科を卒業し、高等文官試験に合格するも官僚とはならず大阪商船(現在の商船三井)に入社した。1920年(大正9年)、イタリアのジェノヴァで開催された国際労働者会議に使用者代表の随行員として参加する。日本に帰国後、大阪商船子会社の大阪海上火災(現在の三井住友海上)へ出向して神戸支店および東京支店長を務めた。 1926年(大正15年)7月、日本電力営業部長に就任。山陽水力電気取締役を経て日本電力専務となり、終戦時は電気工事会社協会の会長職に在った。 1946年(昭和21年)、公職追放により職を解かれた斎藤亮の後任として兵庫県の官選第32代知事に就任。翌1947年(昭和22年)、4月の第1回統一地方選挙で行われる兵庫県知事選挙に立候補するため3月14日付で知事職を一旦辞し、遠藤直人が官選最後の兵庫県知事となった。4月12日投開票の第1回知事選で当選して公選初代知事となり、前福井県知事(未赴任)の吉川覚を県庁に招聘し総務部長とする。内務省出身者の多くが公職追放処分を受けたことによって民間からの抜擢で兵庫県知事となった岸田は太平洋戦争で荒廃した県の戦後復興に当たり、1947年には近畿地方において最初の県民歌である「兵庫県民歌」(作詞:野口猛、作曲:信時潔)が岸田の提唱で制定された。 1948年(昭和23年)4月10日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の指示を受けた文部省の朝鮮学校閉鎖令に基づき県下の朝鮮学校に対して封鎖命令を発動する。4月14日に県庁で行われた在日本朝鮮人連盟との協議は決裂し、4月23日に灘と東神戸の朝鮮学校2校(共に現在の神戸朝鮮初中級学校の前身校)は命令通り警官隊とMPによって封鎖された。4月24日、封鎖撤回を求めるデモ隊が暴徒化して県庁に乱入し、知事室に監禁されて「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」を誓約させられたが、当日の夜に軍政部が非常事態宣言を発令して神戸市警察の機動隊とMPが県庁に突入して岸田を救出した後、軍政部より前述の誓約をいずれも無効とする宣言が行われる。「阪神教育事件」もしくは「阪神教育闘争」と呼ばれるこの事件で神戸市に発令された非常事態宣言は、占領期の日本において唯一の事例であった。 1951年(昭和26年)の知事選での再選後、副知事の任に在った吉川が1954年(昭和29年)に突如として「県庁内で組織的な裏金作りが行われている」と主張して岸田に叛旗を翻す「お家騒動」が勃発する。岸田はこの告発を「事実無根」として吉川を罷免したが、吉川は連日にわたりマスメディアを通じて岸田の監督責任を問う姿勢をアピールして辞任を要求し、県議会の与党会派であった公正会は岸田派と吉川派に分裂する混乱状態に陥った。吉川の告発を受けた神戸地検の捜査では100名余りが取り調べを受けるも、裏金作りの首謀者として吉川から名指しで非難されていた公房長(現在の知事公室長に相当)は証拠不十分で起訴猶予となる。この結果を受けて岸田は「県政混乱の責任を取る」として11月5日に任期を5か月余り残して辞任し、12月12日に出直し選挙が行われることになったが、選挙の告示直前に尼崎市の前市長・阪本勝が保守分裂の間隙を縫って左右両派社会党の推薦により出馬を表明したことで選挙情勢は一変、岸田と吉川の共倒れとなり阪本が当選した。 知事選で落選した後は電源開発副総裁に就任し、1958年(昭和33年)に藍綬褒章を受章する。 1959年(昭和34年)、成田一郎の死去に伴い8月23日に投開票が行われた参議院兵庫県選挙区の補欠選挙に自民党公認で立候補して当選。1961年(昭和36年)、参議院決算委員長。翌1962年(昭和37年)の第6回参議院議員通常選挙で再選され、1966年(昭和41年)4月22日に参議院地方行政委員長就任。同年11月3日、勲二等旭日重光章を受章する。 1967年(昭和42年)11月28日、第2次佐藤第1次改造内閣で大蔵政務次官に就任。1968年(昭和43年)の第8回参議院議員通常選挙では自民党が岸田と中西一郎の公認2名を擁立して共倒れとなり落選、政界引退を表明する。 政界引退後は兵庫県名誉顧問、兵庫県友会会長、同和火災海上保険(現在のあいおいニッセイ同和損害保険)相談役等の役職を務めた。1987年(昭和62年)10月16日、腎不全のため神戸市灘区の神戸海星病院で死去。享年95(満94歳没)。従三位に叙せられる。11月10日、神戸市長田区の兵庫県立文化体育館で県民葬が執り行われた。兵庫県知事在職経験者の県民葬は、1975年(昭和50年)の阪本勝以来2度目。 知事在任中は阪神教育事件や吉川との政争など不祥事が多かったためか、兵庫県において岸田県政の回顧は今日までほとんど為されていない。特に象徴的なのが岸田の提唱で制定された「兵庫県民歌」の扱いで、県では1947年に県民歌を制定した事実そのものを2014年(平成26年)まで否定し続けていた。 妻島は大阪鉄工所社長や大阪商工会議所会頭を務めた山岡順太郎の三女。姉浪江は南洋拓殖社長や日本サッカー協会会長を務めた深尾隆太郎男爵の妻。長男は関西電力役員・岸田幸一(大正8年9月生)、二男は(株)ユニチカ京都ファミリーセンタ-社長・岸田雄二(大正12年1月生)。 『日本の歴代知事』第2巻下(歴代知事編纂会、1981年) NCID BN01988830 『兵庫県大百科事典 上 あ-そ』(神戸新聞出版センター、1983年) ISBN 4-87521-100-7 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』(日外アソシエーツ、2003年) ISBN 4-8169-1892-2 ^ 歴代兵庫県知事(兵庫県の公式ホームページ) ^ 参議院『歴代参議院議員一覧 か行』p6で名前の読みを「きしだ ゆきお」としているのは誤り。 ^ 日本の歴代知事2下, p419 ^ 日本の歴代知事2下, p421 ^ “神戸新聞NEXT/2015年1月1日付「布く新憲法 ゆくては明かるし…幻の兵庫県民歌」”. 2015年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月9日閲覧。 ^ 佐賀朝「講和後の社会状況と市財政再建」(Web版 図説 尼崎の歴史) ^ 新訂政治家人名事典「岸田幸雄」(コトバンク) ^ 神戸新聞、1987年10月16日付夕刊1面「初代の公選兵庫県知事 岸田幸雄氏が死去」。 ^ 兵庫県大百科事典 上、p629 ^ 神戸新聞、1987年11月11日付21面「岸田さんの県民葬 復興に貢献 初の公選知事」。 ^ 「岸田幸雄 (男性)」人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科) ^ 関西電力(株)『関西電力二十五年史』(1978.03) ^ ユニチカ編・通史編|14ニューコミュニティづくり-高田、京都2工場跡地利用 ^ 人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月(名古屋大学大学院法学研究科)] 山岡順太郎 - 日本電力創業者。三女の島(志真子)が岸田に嫁いでおり、義父に当たる。 表 話 編 歴 岡本愛祐 西郷吉之助 油井賢太郎 菊田七平 内村清次 中田吉雄 小笠原二三男 松岡平市 本多市郎 小林武治 田中啓一 館哲二 新谷寅三郎 増原惠吉 小幡治和 小林武治 石谷憲男 竹中恒夫 高野一夫 天坊裕彦 林田正治 岸田幸雄 仲原善一 津島文治 内藤誉三郎 山内一郎 若林正武 玉置猛夫 久次米健太郎 久保田藤麿 原文兵衛 上田稔 高橋邦雄 金井元彦 永野嚴雄 後藤正夫 亀長友義 上條勝久 宮田輝 大河原太一郎 金丸三郎 増岡康治 松浦功 谷川寛三 向山一人 渡辺四郎 野田哲 山口哲夫 佐藤三吾 小川仁一 岩本久人 竹山裕 菅野壽 渡辺四郎 峰崎直樹 藁科満治 廃止 表 話 編 歴 下條康麿 奥主一郎 谷口弥三郎 前之園喜一郎 岩男仁藏 奥むめお 東隆 小林亦治 山田節男 小松正雄 田中一 千葉信 三浦義男 高野一夫 小西英雄 西川甚五郎 上原正吉 佐藤芳男 岸田幸雄 相澤重明 鈴木壽 横川正市 柴谷要 藤原道子 鶴園哲夫 亀田得治 木村禧八郎 松本賢一 森元治郎 足鹿覺 成瀬幡治 田中寿美子 前川旦 瀬谷英行 鈴木力 茜ケ久保重光 寺田熊雄 志苫裕 野田哲 和田静夫 竹田四郎 安恒良一 佐藤三吾 丸谷金保 菅野久光 穐山篤 安永英雄 千葉景子 及川一夫 久保田真苗 大渕絹子 三上隆雄 前畑幸子 今井澄 浦田勝 野沢太三 宮崎秀樹 久世公堯 鎌田要人 谷川秀善 岩井國臣 中原爽 鴻池祥肇 中島真人 泉信也 小川敏夫 家西悟 神本美恵子 鶴保庸介 山本順三 金子原二郎 小坂憲次 小泉昭男 石井正弘 岡田広 二之湯智 石井みどり 二之湯智 中川雅治 野村哲郎 松村祥史 佐藤信秋 表 話 編 歴 堀末治 岸田幸雄 剱木亨弘 小柳勇 阿部竹松 大河原一次 大矢正 鈴木壽 光村甚助 大和与一 阿具根登 松井誠 表 話 編 歴 原口忠次郎↓ 八木幸吉↓ 藤森真治 横尾龍↑ 岡崎真一↑ 赤木正雄 田口政五郎 小畑哲夫 松浦清一 山縣勝見 赤木正雄 成田一郎↓ 松浦清一 中野文門 岸田幸雄↑ 佐野芳雄 岸田幸雄 中野文門 浅井亨 佐野芳雄↓ 萩原幽香子 中西一郎↑ 中西一郎 矢原秀男 安武洋子 中西一郎 本岡昭次 安武洋子 中西一郎 本岡昭次 片上公人 河本三郎↓ 本岡昭次 片上公人 芦尾長司↑ 本岡昭次 大沢辰美 水岡俊一 末松信介 末松信介 水岡俊一 末松信介 伊藤孝江 片山大介 片山大介 末松信介 伊藤孝江 岡崎真一 松沢兼人 河合義一 岡崎真一 青田源太郎 松沢兼人 松沢兼人 中沢伊登子 青田源太郎 金井元彦 小谷守 中沢伊登子 金井元彦 渡部通子 小谷守 矢原秀男 抜山映子 石井一二 旭堂小南陵 石井一二 矢原秀男 石井一二 鴻池祥肇 鴻池祥肇 辻泰弘 辻泰弘 鴻池祥肇 鴻池祥肇↓ 清水貴之 清水貴之↓ 高橋光男 加田裕之 表 話 編 歴 伊藤博文 久我通城 未赴任 中島錫胤 陸奥宗光 税所篤 権知事 中山信彬 神田孝平 森岡昌純 権令→県令 内海忠勝 内海忠勝 林董 周布公平 大森鍾一 服部一三 清野長太郎 有吉忠一 折原巳一郎 平塚広義 山県治郎 長延連 高橋守雄 岡正雄 小柳牧衛 白根竹介 湯沢三千男 岡田周造 関屋延之助 坂千秋 成田一郎 藤岡長敏 持永義夫 齋藤亮 岸田幸雄 遠藤直人 岸田幸雄 阪本勝 金井元彦 坂井時忠 貝原俊民 井戸敏三 斎藤元彦 日本の大蔵政務次官 兵庫県選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 昭和時代の参議院議員 兵庫県知事 20世紀日本の実業家 商船三井の人物 MS&ADインシュアランスグループの人物 電源開発の人物 旧制第三高等学校出身の人物 京都大学出身の人物 京都府出身の人物 藍綬褒章受章者 従三位受位者 勲二等旭日重光章受章者 1893年生 1987年没 プロジェクト人物伝項目 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/21 22:28更新
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