工藤巌の情報(くどういわお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
工藤 巌さんについて調べます
■名前・氏名 |
工藤巌と関係のある人
工藤巌の情報まとめ
工藤 巌(くどう いわお)さんの誕生日は1921年12月18日です。岩手出身の政治家のようです。
卒業、引退、現在、病気に関する情報もありますね。1998年に亡くなられているようです。
工藤巌のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に出馬し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。1991年、岩手県知事に当選する。 工藤県政にとっての初の予算編成はバブル崩壊のきざしが見え始めた1992年度予算である。 工藤は「第三次岩手県総合発展計画」を策定し、極めて積極的な財政を行った。いよいよバブルの崩壊が現実化し、日本経済が後退を始めた後も、工藤は財政支出を増やし続ける方針をとり、1994年には岩手県立大学構想に着手。景気浮揚のための国の経済対策とも相まって、終始一貫して積極投資型予算を編成した。なお、次代知事・増田寛也が一期目後半に行った県複合施設開発事業(盛岡駅西口。総事業費214億円)・県立大建設(年間運営費60億円)・県立美術館建設等は工藤県政の遺産であると見る向きも少なくない。 工藤の積極財政は現在の岩手県の財政悪化の一因を招いたとする見方もある一方で、彼の構想した岩手県立大学が岩手県にもたらした効果もまた大であることは疑いようもなく、立場によって彼の政策をどう評価するかにはさまざまな意見がある。 岩手県庁内で岩手県立大学設置計画が持ち上がったのは1993年のことで、バブルが崩壊した直後のことだった。工藤は教育政策に精通していたと言われており、岩手日報等の記事によれば、退任会見では「昔は県民所得全国最下位の岩手が30番台になった」と述べるなど、貧しいからこそ教育の充実させるとの理想があったと言われる。 なお総合大学への計画変更の際に、県内では次のような意見もあった。すなわち、「県立大の年間運営費60億円を、そのまま奨学金予算に充て、大学進学者に援助をしたほうが効率的だ」とする意見であり、単純計算で、首都圏の国立大学に通う約1900人、私立大学でも約1700人に支給が可能とされた。しかし、いずれは看護系学部を作る必要に迫られるとの見通しと、国の積極財政策に後押しされ、結果的には総合大学として岩手県立大学が作られることになる。 県立大は当初、看護学部のみを設置する単科大学計画であり、首都圏その他の有名私立大学を県内に誘致する案もあったが、工藤は「子供を首都圏で学ばせる親の負担を考慮する」として、総合大学への計画変更を命じた。なお、この10年で岩手県の大学進学率が10%近く跳ね上がり、30%台に乗ったことは事実である。 工藤は再選を目指したが、病気のため一期で引退を余儀なくされた。なお、後継知事は小沢一郎が擁立した元建設官僚・増田寛也が全国最年少で当選した。 増田に知事室を引き渡す際に、工藤が「県立大構想だけはよろしく頼む」と頼んだというエピソードが残っており、工藤の教育に対する思いの強さがうかがえる。 1994年、勲二等旭日重光章受章。 1998年8月25日、呼吸不全のため死去。76歳没。 父藤一は作家宮沢賢治と盛岡高等農林学校の大親友。 ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、27頁。 ^ 『日本の歴代市長』第1巻、233頁。 ^ 「94年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1994年11月3日朝刊 岩手県庁 岩手県立大学 表 話 編 歴 松本淳造 佐藤觀次郎 長谷川保 山下榮二 坂田道太 臼井莊一 大平正芳 臼井莊一 (代理) 秋田大助 濱野清吾 櫻内義雄 床次徳二 久野忠治 渡海元三郎 八田貞義 床次徳二 高見三郎 大坪保雄 八木徹雄 丹羽兵助 澁谷直藏 田中正巳 稻葉修 久保田円次 登坂重次郎 藤尾正行 菅波茂 坂本三十次 谷川和穗 三ッ林弥太郎 青木正久 葉梨信行 愛野興一郎 阿部文男 青木正久 愛知和男 中村靖 工藤巌 鳩山邦夫 船田元 臼井日出男 伊藤公介 渡辺省一 嶋崎譲 伊吹文明 柳澤伯夫 二田孝治 高橋一郎 小川元 鈴木恒夫 西博義 廃止 表 話 編 歴 野原正勝 石川金次郎 山本猛夫 鈴木善幸 山本猛夫 野原正勝 鈴木善幸 石川金次郎 田子一民 石川金次郎 鈴木善幸 野原正勝 田子一民 鈴木善幸 中居英太郎 柴田義男 田子一民 野原正勝 中居英太郎 鈴木善幸 山中吾郎 鈴木善幸 野原正勝 山本猛夫 山中吾郎 鈴木善幸 野原正勝 山本猛夫 岩動道行 山中吾郎 鈴木善幸 野原正勝 鈴木善幸 野原正勝 山本弥之助 山中吾郎 鈴木善幸 野原正勝 山本弥之助 山中吾郎 鈴木善幸 野原正勝 山中吾郎 山本弥之助 鈴木善幸 中村直 玉澤徳一郎 小川仁一 鈴木善幸 工藤巌 玉澤徳一郎 小野信一 鈴木善幸 玉澤徳一郎 小野信一 工藤巌 鈴木善幸 工藤巌 小川仁一 玉澤徳一郎 玉澤徳一郎 鈴木善幸 工藤巌 小野信一 鈴木俊一 山中邦紀 工藤巌 小野信一 玉澤徳一郎 鈴木俊一 工藤堅太郎 中村力 表 話 編 歴 島惟精参事→権令→県令 石井省一郎 石井省一郎 服部一三 末弘直方 北条元利 押川則吉 笠井信一 堤定次郎 大津麟平 柿沼竹雄 牛塚虎太郎 後藤祐明 得能佳吉 丸茂藤平 飯尾藤次郎 丹羽七郎 久保豊四郎 石黒英彦 雪沢千代治 山内義文 鈴木脩蔵 宮田為益 春彦一 引田重夫 国分謙吉 阿部千一 千田正 中村直 工藤巌 増田寛也 達増拓也 表 話 編 歴 目時敬之1889.5-1894.3 清岡等1894.3-1901.10 関定孝1901.10-1906.5 北田親氏1906.5-1907.11 大矢馬太郎1907.11-1910.8 北田親氏1910.12-1928.12 堀合由巳1929.1-1929.3 中村謙蔵1929.5-1934.6 大矢馬太郎1934.6-1939.7 見坊田鶴雄1939.9-1943.9 二見直三1943.9-1946.10 小泉多三郎1947.4-1952.6 二見直三1952.7-1953.12 山本弥之助1954.2-1965.1 吉岡誠1965.2-1969.2 工藤巌1969.2-1979.8 太田大三1979.9-1995.9 桑島博1995.9-2003.9.1 谷藤裕明2003.9.2-2023.9.1 内舘茂2023.9.2- VIAF 日本 盛岡市長 岩手県知事 岩手県選出の衆議院議員 自由民主党の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 日本の中等教育の教員 勲二等旭日重光章受章者 岩手県出身の人物 岩手県立盛岡第一高等学校出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 1921年生 1998年没 2024/11/12 21:03更新
|
kudou iwao
TOPニュース
工藤巌と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「工藤巌」を素材として二次利用しています。