曙太郎の情報(あけぼのたろう) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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曙太郎の情報まとめ
曙 太郎(あけぼの たろう)さんの誕生日は1969年5月8日です。
兄弟、父親、母親、卒業、引退、結婚、解散、家族、テレビ、現在、姉妹、ドラマ、病気に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2024年に亡くなられているようです。
曙太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金星4個(旭富士2個、大乃国1個、北勝海1個) 曙 太郎(あけぼの たろう、1969年5月8日 - 2024年4月6日)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で東関部屋に所属していた元大相撲力士。第64代横綱(外国人初の横綱)。のちにプロレスラー、総合格闘家、タレントに転向。血液型O型。格闘技、プロレス分野では曙(あけぼの)のリングネームで活動していた。2013年、東関部屋に招聘されて以降、師範代をつとめていた。 本名同じ(1996年4月22日に日本に帰化)。旧名、米国名 : チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン(Chad George Haaheo Rowan)。ハワイ・パシフィック大学中退。 プロ野球横浜大洋ホエールズ(後の横浜DeNAベイスターズ)に所属していたジョーイ・マイヤーは、従兄弟である。 アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロにて、アイルランド系の血を引く父と、キューバ系アメリカ人の母との間に生まれる。 ハワイではバスケットボールをしていたが、大学は講義の単位よりも部活を優先させるコーチとの対立もあってわずか3か月で中退。 後にその体格を東関親方(元高見山)に見込まれ、相撲界入りし、1988年3月場所に初土俵を踏む。元々東関は弟の方を入門させたかったようであったが、気の進まない弟のジョージは「しょうがないよ、兄貴を連れていく」と身代りにチャドを新弟子として提供した。父親はいきなりの展開にもかかわらず入門を喜んだが、一方で母親は猛反対。母の反対もあったので、日本にやってきた時にチャドは「とにかくもうハワイには帰れないな」と感じていた。また、チャドは本土の大学にスカウトされた地元の運動部員が挫折してハワイへ出戻るたびに住民から中傷を受ける様を幾度となく見てきた為、両親を困らせないという意味でもハワイには帰れないと覚悟していた。 同期入門は「花の六三組」と言われる横綱3代目若乃花(のちのタレント花田虎上)、貴乃花、大関魁皇、小結和歌乃山、前頭力櫻(のちのプロレスラー力皇猛)、十両須佐の湖、鶴ノ富士、琴岩国、琴乃峰など。序ノ口では貴花田(のちの貴乃花)に勝ったが、琴乃峰にプロ初黒星を喫している。相撲教習所に入学したばかりの頃は来日から日が浅いことで若貴ブームのことを理解していない曙ですらも若貴兄弟との格の違いを思い知らされたといい、自身が基礎の稽古を行っていた際にはもう既に若貴兄弟は三段目や幕下の地位にいる教官と申し合いをしていたという。教習所時代には和歌乃山の強さにも驚いていたようであり、教習所の生徒達でトーナメント戦を行う度に優勝していたと述懐している。後年のインタビューでは「中学横綱のタイトルを引っさげて入ってきて、体はさほど大きくないんだけど、もう手がつけられないほど強いの。和歌乃山は入門して半年くらいで、教習所の先生たちと同じくらいの番付まで出世していました。中学を卒業して入門した力士で、そんな人はおそらくいないんじゃないかな?」と当時についての感想を述べていた。新弟子時代にはまだ相撲歴が浅かったこともあって場所入りの度に東関から「せいぜいがんばってくれよ。負けても仕方ないよ。相手のほうがちっちゃい時から相撲を取ってるんだから」という趣旨の冷やかし文句を浴びせられたという。 三段目時代の1989年3月場所前、当時屈指の大部屋だった伊勢ヶ濱部屋に出稽古に出かけた曙は、1月場所で10勝をあげ自己最高位の前頭筆頭まで躍進した若瀬川に胸を借りた。相手が三段目と甘く見ていた若瀬川は2、3回軽く四股を踏んだだけで、仕切って待っている曙の前に立つと両手を広げて大きく胸を出した。曙は若瀬川の胸をめがけて頭から思い切りぶちかますと若瀬川は仰向けにひっくり返り、腰を痛めて病院に運ばれる羽目になった。初土俵からわずか1年で幕内力士を「病院送り」にした曙はこの場所6勝1敗、翌場所は早くも幕下に昇進した。ちなみに若瀬川は7日目まで休場、翌日から出場したがわずか1勝しかできず、遂に三役の座を手中にすることはなかった。 2mを超える体格を生かす技術を身に付けるために、東関は積極的に出稽古させた。出稽古先では佐渡ヶ嶽(第53代横綱琴櫻)から「小さい力士相手には、鶏を追うようにいけ」と指導を受けた。そうした努力と指導によって、小兵相手でも苦にしない、長いリーチからの伸びのある強烈な突き押しが生まれた。 1990年3月場所新十両。同年9月場所若花田(のち若乃花)、大翔山、貴闘力とともに新入幕。ちなみに一文字四股名の新入幕力士は1916年5月場所新入幕の明 虎吉(あきらか とらきち)以来74年ぶりであった。また1993年3月場所には、1915年6月場所の鳳 谷五郎以来、実に78年ぶりの一文字四股名の新横綱となった。新入幕の頃には既に内心で大相撲に対する使命感を持っていたとのことであり、これについては「僕らの場合は8勝、勝ち越しなんかじゃ許されない。10番くらい勝って、ようやく『まぁまぁよかった、合格点』みたいな感じだったわけです。それくらい、周囲の期待はものすごいものがある。でも、それに応えて、それでも満足できない僕らがいたんですよ」と引退後のインタビューで述懐している。また、当時前頭筆頭の地位だった1991年7月場所初日では、体重が200Kg以上の巨漢横綱だった大乃国を、曙自ら立合いから一撃で大乃国を押し倒し、土俵の外へ一気に吹っ飛ばした事もあった。なお、同場所で復活を懸けた横綱大乃国は、この一番で調子を狂わせたのか8日目で4勝4敗の成績不振により、この1991年7月場所限りで現役引退となっている。 1992年5月場所千秋楽では、最後まで優勝争いに加わっていた当時前頭7枚目の若花田を一気に押し倒して、幕内初優勝を果たした。これで直近3場所の成績が、全て三役の地位で13勝(優勝次点)-8勝-13勝(優勝)で合計34勝11敗、大関昇進の目安とされる「三役で3場所合計33勝以上」の成績を挙げる。ただし「2場所前の8勝7敗が物足りない」という意見が一部出ていたものの、当時横綱は5月場所直前で北勝海が引退して空位、大関も小錦と霧島の二人しかいなかった事情もあって、満場一致で曙の大関昇進が決まった。昇進伝達式では「大関の地位を汚さぬよう、けいこに精進します」と口上を述べた。 しかし期待された新大関の翌1992年7月場所直前、直前のヨーロッパ巡業による時差ボケや遠征の疲労の影響か、稽古中に足の小指を骨折してしまった。曙本人は強行出場を直訴したものの師匠を初め周囲の大反対の意見を受け、医師からも「ここで無理すれば、完治までに3か月かかる。安静にしていれば1か月で治る」と説明されたことで、初土俵以来初の無念の全休に。いきなり大関角番となった次の同年9月場所は、9日目で3勝6敗と黒星が先行。あわや大関2場所目で関脇陥落の大ピンチだったが、そこから切り抜け終盤6連勝、9勝6敗となんとか勝ち越した。とはいえ本人にとってこの場所の不甲斐なさは相当であったようであり、場所後は「吐くまで飲んだ」と伝わる。そして1992年11月場所では14勝1敗と2度目の優勝。11月場所後の横綱審議委員会では「曙の風格、実績はまだ十分ではない気がする」「成績、内容ともハイレベルな横綱を作ろう」との意見が出て横綱昇進には厳しい条件が付きつけられたが、翌1993年1月場所も、11日目で平幕相手に2敗を喫した時点で一度は横綱昇進は「破談」とされたが、千秋楽結びの一番では大関昇進を賭けていた関脇の貴花田との直接対決をわずか2秒余りで圧倒し、13勝2敗で3度目の優勝。2場所連続優勝を果たしたことで1月場所後の横綱審議委員会では曙の横綱昇進が推薦され、外国出身初の横綱に昇進した。これにより1992年5月場所から1993年1月場所まで5場所(番付上は4場所)続いた横綱空位が解消された。当時の曙は「すんなり昇進できた」と認識していた一方で、貴花田の大関昇進についてかなり厳しい見方があったことが伏線になっていたと振り返っている。横綱昇進伝達式では「横綱の地位を汚さぬよう、けいこに精進します」と口上を述べた。 横綱土俵入りは雲龍型を選択、東関部屋と同じ高砂一門である九重親方(第58代横綱千代の富士)が土俵入りの指導を行った。新横綱の1993年3月場所は10勝5敗に終わり、横綱2場所目の同年5月場所は千秋楽結びの一番、大関貴ノ花と13勝1敗同士の相星決戦で惜しくも敗北。それでも横綱3場所目の同年7月場所から11月場所まで、幕内優勝3連覇を達成。さらに同1993年は、自身初の年間最多勝を獲得。その後も1994年11月場所に至る迄11場所の間一人横綱を維持。1994年3月場所では12勝3敗同士で新大関貴ノ浪、平幕貴闘力との優勝決定戦三つ巴で連勝して優勝、混戦を制した。 1994年5月場所前、巡業中に武双山との稽古中に左膝を痛めるも、一人横綱の責任感から同5月場所を強行出場。さらに5月場所9日目の小城錦戦で右膝も故障するが、10日目まで曙ただ一人10連勝していた。しかし11日目、当時前頭筆頭の貴闘力に土俵際の引き落としに敗れて金星配給しついに初黒星。翌12日目、前日の貴闘力戦で両膝のケガが悪化したため突如途中休場、横綱不在となってしまう。場所後両膝を手術したがその回復が遅れ、同年7月場所、9月場所は共に全休。11月場所で3場所ぶりに復帰し10勝5敗に留まるも、同場所千秋楽結びの一番の当時大関貴乃花との取組は、今後も大相撲史に語り継がれる歴史的な大熱戦となった。曙は惜しくも貴乃花に土俵際での上手投げに敗れたが、福岡国際センターの館内は大拍手が鳴り止まなかった。また貴乃花はこれで大関で2場所連続全勝(30連勝)を達成し場所後横綱昇進を決め、翌1995年1月場所からは曙、貴乃花と同期生同士の二人横綱となった。 なお、曙の横綱土俵入りは四股の足がほとんど上がらず、この点では貴乃花と比べて見劣りがした(しかし、四股は古来足を高く上げるものではなく、玉錦以前の四股に戻ったとも言え、本質的な問題ではない。むしろ足を高く上げ土の付いた足の裏を客に見せるのは不浄であるとするのが従来的な概念)。また、土俵中央最後の左の四股の前に横に出す手は右手だが、1993年9月場所、横綱4場所目を迎えた曙はなぜか土俵入りの際、左手を上げて左の四股を踏んだ(これは初日から4日目まで続いた)。しかしたくましい上半身が引き立つせり上がりは非常に迫力があり、NHKの大相撲中継でも度々アップで映し出された。いかつい顔もせり上がりで正面を睨むこの時ばかりは映え、総じて魅力ある土俵入りを見せたといえる。1998年2月に行われた長野冬季オリンピックでは、東横綱の貴乃花が直前の同年1月場所中体調不良で途中休場となったため、欠席した貴乃花の代役として西横綱の曙が開会式のときに横綱土俵入りを演じた。 1994年5月に両膝を故障した後は若貴らの活躍や、同じハワイ出身で後輩の武蔵丸の台頭もあって優勝間隔が空くことが多くなり、2001年1月場所の引退までのおよそ6年間で幕内優勝は4回に留まった。特に1997年5月場所の優勝以降3年間は個人後援会が結婚に反対した末解散し、2000年には第2子が生まれたが、後援者が去って行き私生活でも苦境に立たされていた中での出来事であった。後援会解散以降は資金難に苦しめられ、年寄名跡を取得できなかった。それでも2000年7月場所は初日から13連勝を決めて(成績は13勝2敗)、19場所ぶり10回目の幕内優勝を達成し復活を果たしたが、自身はこれで満足出来たため引退する事を考えたという。しかしその後「もう少しだけ頑張ってみよう」と思い直し、翌9月場所は終盤まで優勝を争い優勝次点に留まったが、千秋楽結びの一番で14戦全勝だった第67代横綱武蔵丸に唯一の黒星をつけ先輩横綱の意地をみせる。次の同年11月場所は、3横綱5大関が全員千秋楽まで皆勤し、さらに8力士全て9勝以上の勝ち越しというハイレベルの中、曙は14勝1敗の成績で2場所ぶり合計11回目の優勝を果たしたが、これが結果的に曙自身最後の幕内優勝となる。その2000年は1993年以来7年ぶりに6場所無欠場皆勤、かつ2度目となる年間最多勝も獲得している。 翌2001年の1月場所は、持病となった両膝のケガの悪化により全休。その1月場所終了直後の2001年1月22日、両膝の回復がこれ以上見込めないなどの理由により、突如現役引退を表明する。引退については1月場所12日目の夜、東関と話し合い、東関親方は「もう1度頑張ってみろ」と慰留したが、曙から返事はなかったという。「2人きりの部屋で、黙ったまま長い間見詰め合った。ああ終わりだなと思った」と東関は引退の際に語った。「2年前の引退ピンチの時も励まして、再起させた。今度も昨年は2度も優勝しているし、励ませば大丈夫と思っていた。でも、ひざの状態は限界を超えていた」と東関も限界を認めるしかなかった。時津風理事長は「言葉や生活習慣の違うところに飛び込み、精進して横綱に上り詰めたのは立派」とねぎらった上で「この世界では、引退はいつも背中合わせ。曙は新しい世紀の場所で、貴乃花のあのような土俵を見届けて、心安らかになれたでしょう」と心情を思いやった。2横綱時代となるが「武蔵丸はまだ元気。貴乃花も復活。5大関もこのままではない。若い力も台頭して、これからいい展開になると思う」と安泰ぶりを強調していた。引退会見での曙は「8〜10勝の平凡な勝ち越しなら出来るが、もう優勝争いは不可能」「横綱として足を引きずった惨めな姿で土俵に上がりたくない」と決意したという。印象に残った本場所として初優勝の場所と2000年の2度の復活優勝の場所を挙げた。また、後年になって両膝の怪我の原因が腰にあったことを明かしている(曙の背骨は普通の人間より一つ多く、その背骨の摩擦が膝まで来ていた)。ロイター通信は「DAWN(夜明け)を意味するアケボノは、コニシキ以上の品格を備えていたため、タブーとされた外国生まれのグランドチャンピオン(横綱)になれた。スポーツに秀でるだけでなく、ウルトラ閉鎖的な相撲の世界にも適応したキャリアを終えた」と報じ、AP通信は「ハワイ生まれで、相撲の最初の外国生まれの横綱が引退した。横綱昇進時には多くの日本人から、横綱は日本人じゃなきゃ、と反対された。多くの逆風も無言でしのいだが、ついに輝かしいキャリアに幕を下ろした」と紹介した。 元横綱曙の引退相撲は、2001年9月場所後に行われた。横綱最後の土俵入りには、同期のライバルだった横綱貴乃花が右膝の手術後長期療養中により参加せず、太刀持ちは横綱武蔵丸、露払いは武蔵丸と同じ武蔵川部屋で当時大関の武双山がそれぞれ務めた。なお曙の断髪式には貴乃花も出席し、ほか武蔵丸や小錦らが鋏を入れていた。引退後、若乃花、貴乃花とともに相撲人気を高めた貢献者として、日本相撲協会から功労金1億円が贈られた。礼儀正しさや謙虚な態度は「日本人以上に日本人らしい」と評され、部屋や一門の別なく下位の若手に積極的に稽古をつける第一人者としての責務を真面目に果たしたことなど、親方衆、力士からの評価はとても高かった。当時の横綱審議委員であった内館牧子も「礼儀正しさに感激しました。帰り際にもドアの前できちんとお辞儀をし、いつも曙の悪口を言ってる私自身が恥ずかしくなる程でした」と賞賛の意を述べている。 長身を活かした突き押しが特徴で、立合いの際にはリーチの長さを生かすために、仕切り線から下がって始めることが多かった。その一方で足が長い体型(平幕時代に発行された相撲に関する書籍の力士紹介でヨネスケに「投げや足技を食らうと長い足のせいで無様に負けてしまう」「上半身がアンコで下半身がソップ」と評されたこともあった)から下半身が脆いという、致命的な弱点を持ち合わせていた。手足の長さから重心が高く、半月板損傷などで足の故障が多かった。特に舞の海など、小兵の力士に懐に潜り込まれ足を取られると容易にバランスを崩され、何もできずにあっさり負けてしまうことも目立った。例として、1991年11月場所で舞の海に三所攻めで負けた一番はその好例である(ただしこの時の決まり手は取り組み序盤から再三内掛けで攻め立てていたため「内掛け」が取られた)。 横綱昇進時の体重は212キロあり、このときすでに「重すぎる」「190キロ以上では故障にもつながる。ベスト体重を保つのも横綱の務めだ。」と指摘されている。横綱昇進からしばらくするとアンコが顕著化した影響で膝が悪化したため、突き押しの他に諸手突きから右四つに組む相撲も使用して慎重な相撲を心掛けるようになった。 膝の状態は31歳の時点で変形性膝関節症の悪化で老人並の状態であった。10歳の時には既にアメリカンフットボールでの負傷で半月板を損傷して手術し、中学・高校時代も痛みに耐えていた。アメリカで車を運転していた時も障害者用のステッカーを貼っていたほどであった。新弟子時代も痛みはあって、入門当時から膝にサポーターをつけて稽古をしていた。現役末期には膝の激痛を抑えるための痛み止めで心臓が苦しくなるほど負担が掛かっていた。 また幕内で10回以上対戦して負け越している力士が一人もおらず、どのような力士に対しても実力を発揮できたことが窺える。なお貴乃花とは21勝21敗、出島には6勝6敗の五分であった(ただし出島とは優勝決定戦を含めると6勝7敗と負け越しており、一時は決定戦を含め6連敗したこともある)。混戦にも強い傾向があり、3人以上の優勝決定戦出場は史上最多の4回を記録し、その内2回において優勝を果たしている。曙が幕内で負け越して対戦が終わった力士としては大翔山がおり、彼との対戦成績は4勝5敗だった。 同期の若乃花、貴乃花の最大のライバルとして1990年代初期から後期まで名勝負を演じる。特に22回の幕内優勝を成し遂げ、「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花とは一時代を築き上げ「曙貴(あけたか)時代」とも言われた。先述の通り貴乃花との幕内での対戦成績は21勝21敗、優勝決定戦まで含めた本場所中の対戦成績は25勝25敗と全くの五分であった。 初土俵(序ノ口)から一度も負け越しと休場を経験せずに関脇まで昇進するという偉業を成し遂げている。1991年3月場所に達成した初土俵からの連続勝ち越し18場所は歴代1位の長さであり、記録達成から20年以上経っても破られていない。皆勤出場して負け越したのは1991年5月場所と同年9月場所の2度しかなく、その両場所とも勝ち越しまで後一歩及ばなかった7勝8敗という成績だった。
現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、東関親方との関係や将来設計、日本相撲協会の体制ややり方に不安を抱き(金に関する甘さとして、貴乃花に勝った際に受けた懸賞の束を曙が道端のホームレスに同情して差し出したエピソードが残っており、経営者として不適格である面が退職に繋がったという見解も為される)、2003年11月5日、日本相撲協会に退職願を提出し受理され、翌11月6日に記者会見を開き格闘技K-1参戦が発表された。 2003年12月31日、デビュー戦となった「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)でボブ・サップと対戦、1ラウンドKO負け。なお、曙がうつ伏せになって倒れているシーンの視聴率は紅白歌合戦を上回った。 2004年3月27日、「K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA」(さいたまスーパーアリーナ)で武蔵と対戦、プッシングでスリップダウンした武蔵に対しレフェリーの制止を振り切り攻撃し続けたため、反則をカウントされるなどして判定負けを喫した。 2004年7月17日、「アジアGPトーナメント」(韓国)で中国の張慶軍(チャン・チンジュン)と対戦するも、手数が出ず延長の末判定負けとなった。 2004年8月15日、「K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS」(ラスベガス)で行われた世界最終予選でリック・ルーファスと対戦。プッシングの反則で減点を受け、0-3の判定負け。 2004年9月25日、「K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦」(日本武道館)でレミー・ボンヤスキーと対戦。3Rに右ハイキックで失神KO負け。 2005年3月19日、「K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL」(韓国)の準々決勝で角田信朗と対戦し、判定で悲願の初勝利を挙げた。しかし準決勝でチェ・ホンマンと対戦し、KO負け。 2005年7月29日、「K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII」でチェ・ホンマンと再戦したが1R2分52秒TKO負け。 2006年7月30日、チェ・ホンマンと3度目の試合を行い、2R57秒KO負け。 2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIの大会プロモーターを務めた。 2015年12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSでボブ・サップと再戦し、判定負け。 2004年12月31日、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」でホイス・グレイシーと初の総合格闘技ルールで対戦。ホイスとの体重差は実に138kgであったが、オモプラッタからリストロックを極められ、1Rでタップアウト負け 2005年12月31日、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」でボビー・オロゴンと総合格闘技ルールで対戦し判定負け。 2006年5月3日、HERO'Sに参戦しドン・フライと対戦し、2R3分50秒フロントチョークで一本負け。2006年12月31日、4度目の大晦日格闘技参戦となった「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」でジャイアント・シルバと総合格闘技ルールで対戦。1R1分2秒チキンウィングアームロックで一本負け。 2005年のプロレス参入後、2013年8月まで、個人事務所「曙道(旧:チーム・ヨコヅナ)」所属のフリーランス・レスラーとして、全日本プロレスやハッスルなどをはじめ様々な団体、興行に参加した。 2013年9月、全日本プロレス正式入団後初の大会となる「王道トーナメント」に出場。1回戦で優勝候補の秋山準と対戦し、新必殺技のパイルドライバーで勝利。決勝戦まで勝ち進み、対戦相手の潮崎豪にも勝利し、第1回王道トーナメント優勝を果たし初の三冠ヘビー級王者にもなる。2014年4月22日に肺炎のため入院し、その後も体調が戻らず5月30日に王座を返上した。7月27日、8月16日の後楽園ホール大会で復帰することと、全日本プロレス運営会社の取締役に就任することが明らかになった。2015年4月25日、2015チャンピオン・カーニバルで諏訪魔を破り、初優勝した。 2015年11月2日付で退団し取締役も辞任。 2015年12月4日、株式会社「王道」の発足を発表。自らのマネジメント事務所、並びにプロレスラーとしての所属団体。ジャイアント馬場夫人である馬場元子からの支援から「王道」を譲り受けた。また個人事務所を馬場の自宅に構えるなど異例となった。 2016年4月20日、後楽園ホールにてプロレス興行「王道 THE BEGINNING」を開催。 2017年4月11日、福岡県大牟田市で行われた高山善廣&入江茂弘&相島勇人対曙&HARASHIMA&ヤス・ウラノ戦後に体調の異変を訴え、救急搬送された。右脚蜂窩織炎と感染症もあってさらに心臓に負担がかかり、心身の不調が続いた状態。当初は10日で退院できる予定であった入院が長期化し、一時は家族が曙の死を覚悟するほどであったが、同年10月からリハビリを始めることになった。1日1時間、足や手を動かすことから始め、軽いダンベルを使って筋力をつけ、小さなボールを握って握力をつけ、入院から1年近くが経過した時点では入院生活は続けているものの、10m程度なら自力で車いすを動かせるようになった。210kg前後だった体重は150kgになった。 2018年9月下旬の時点では、緊急搬送されてから37分間の心停止に見舞われたため重度の記憶障害が後遺症として残り、会話もおぼつかず、食事も着替えもままならない状態であった。足腰は骨が浮くほど細くなり、その後は特殊な歩行器でリハビリの訓練を行っていた。しかし、花田虎上が見舞いに来ると現役当時の記憶がよみがえり、終始笑顔で花田と話をしていた。曙は若い頃にプライベートで花田虎上を飲みに誘ったのにすっぽかされたが、花田虎上は「遊びに行くと勝負に情が入ってしまうから」と、敢えてすっぽかしたということをこの時はじめて明かしていた。また同年秋頃に横綱時代の番記者が見舞いに来るとしっかりと覚えていたなど、殊に大相撲時代の記憶は鮮明であった。10月23日に山田邦子がオフィシャルブログで証言したところによると、普通に喋ってはいたが直近5年の記憶を失っていたままだったという。 2019年12月、41歳の若さで亡くなった東関親方(元幕内・潮丸、曙の付け人をつとめた)の弔問に葛飾区の東関部屋へ訪れた。 2024年(令和6年)4月6日に心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳没。訃報は海外でも故郷ハワイの各メディアを始め、ニューヨーク・タイムズやBBCなどでも速報として伝えた。元横綱・若乃花の花田虎上は「切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く 言葉で言い表せないものがあります」とコメントしている。また元横綱・貴乃花は「ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています。百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに」とコメントした。生前の「明るく送り出してほしい」という遺言に従い葬儀はハワイ式で行われた。 第47、52代三冠ヘビー級王座 第57、69代世界タッグ王座(パートナーは太陽ケア→吉江豊) 第82、88代アジアタッグ王座(パートナーは共に浜亮太) 新春バトルロイヤル優勝(2010年、2015年) 王道トーナメント優勝(2013年) チャンピオン・カーニバル優勝(2015年) 第25代オープン・ザ・トライアングルゲート王座(パートナーは望月成晃&ドン・フジイ) 第6代KO-D6人タッグ王座(パートナーは高木三四郎&大鷲透) 第14代世界ヘビー級王座 第24、28、34代NWAインターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは大谷晋二郎→関本大介→将軍岡本) 第2代NWAプレミアムヘビー級王座 風林火山優勝(2009年)(パートナーは大谷晋二郎) 新人賞(2005年) 最優秀タッグチーム賞(2005年)(パートナーは武藤敬司) 最優秀タッグチーム賞(2009年)(パートナーは浜亮太) 2mを超える長身といかつい容貌のため、また若貴の人気が突出していたため、あるいは師匠同士の因縁のため、さらに外国人初の横綱を張ったことなどから悪役的な位置づけをされることが多かった。実際に師匠同士の因縁については本人も新弟子時代より意識しており、当時より「貴花田に負けたら部屋に戻れないだろう」と思っていた。 平幕力士として話題性が少なかった時期には、関取に昇進して以降ハワイの両親の元に送金を欠かさなかった(1991年5月場所に小錦に敗れ7勝8敗と1点の負け越しを喫し連続勝ち越しが途切れるまで、勝ち越しによって増額された分の給金を送金していた。このことは広く知られており、負けて負け越しとなる一番を元とした取組が漫画で描かれた折にも、曙をモデルとした力士がその旨を心の声として語っている)ことから「孝行息子」と評される。 当時の東関部屋の部屋頭だったことや師匠譲りのオレンジ色の廻しを締めていたこと(十両時代は水色。その後は紫や黒、茶色や緑などを使用しており、最高位が横綱の力士としては珍しく締め込みの色を度々変えていた)から「ジェシーの一番弟子」として微笑ましく見守るファンは多く、相撲部屋を扱ったテレビ番組で師匠の東関親方とともに当時の高砂親方(元小結富士錦)のもとに新年の挨拶に訪れ、お年玉をもらう姿が放映されたり好意的に扱われていた。しかし折からの「若貴ブーム」で相撲を大々的に取り上げ始めた民放スポーツ番組では、若貴に対抗するヒールとして扱うことが当時は多かった。 曙貴両雄の対戦は、1990年11月場所〜2000年11月場所の61場所間に42回実現し、千秋楽結びの一番の対戦は史上1位の27回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が10回(うち、相星決戦が5回でこれも史上1位である)あった。 千秋楽(太字)は、千秋楽結びの一番をしめす。 1994年11月場所以前までの対戦成績は、曙の13勝8敗で、曙優勢であった(優勝は、曙7回、貴乃花7回)。 1995年1月場所以降の両者横綱同士での対戦成績は、貴乃花の13勝8敗で、貴乃花優勢であった(優勝回数は、曙4回、貴乃花13回)。 通算成績:654勝232敗181休 勝率.738 幕内成績:566勝198敗181休 勝率.741 横綱成績:432勝122敗166休 勝率.780 幕内在位:63場所 横綱在位:48場所(当時歴代4位、2019年9月現在歴代6位)
大関在位:4場所 三役在位:6場所(関脇3場所、小結3場所) 連勝記録:16(1992年11月場所7日目〜1993年1月場所7日目) 年間最多勝:1993年、2000年(共に76勝14敗) 連続6場所勝利:77勝(1992年11月場所〜1993年9月場所) 通算連続勝ち越し記録:18場所(1988年5月場所〜1991年3月場所;初土俵から18場所連続勝ち越しは史上最長記録) 幕内連続勝ち越し記録:11場所(1992年9月場所〜1994年5月場所) 幕内連続2桁勝利記録:10場所(1992年11月場所〜1994年5月場所) 幕内連続12勝以上勝利:5場所(2000年3月場所〜2000年11月場所) 幕内最高優勝:11回(1992年5月場所、1992年11月場所、1993年1月場所、1993年7月場所、1993年9月場所、1993年11月場所、1994年3月場所、1995年3月場所、1997年5月場所、2000年7月場所、2000年11月場所)
次点11回 連覇:3連覇(1993年7月場所〜1993年11月場所) 三賞:6回
敢闘賞:2回(1990年11月場所、1992年1月場所) 金星:4個(旭富士2個、大乃国1個、北勝海1個)
他に優勝決定戦(巴戦も含む)で、貴乃花、武蔵丸に各2勝1敗、若乃花、貴ノ浪、貴闘力に各1勝、出島に1敗がある。 現役時代には時折怪我に苦しんで冷静さを失い、パッチを貼ってお祈りを行うだけの詐欺めいた治療で1000万円を請求され、これに黙って応じてしまったことがある。後年こそは笑い話で済ませているものの、当時は「もうなんとしてでも治して、土俵に立ちたいという気持ちから、黙って払ってしまうんだなぁ。さすがに、1000万円は払い切れなかったけど」という具合に追い詰められていた。 関脇時代までは「天下をとる」を「点をとる」になぞらえ、点のない「曙」だったが、大関昇進を機に点のある「曙」に改めた。入門当時は「大海」(たいかい)と名乗り前相撲も取ったが、三段目に大魁(たいがい)という力士がおり、混乱を避けるため改名せざるを得なくなり、「曙」となった。大魁が別の四股名(鬼竜山)に改名した後の1990年3月場所に曙の弟が東関部屋に入門し、大海力(=つとむ)を名乗ったが、わずか2場所でハワイに帰国した。東関が本来スカウトしたかったのは下半身の細い曙ではなく均整の取れた力士体型を有していた弟の方であったという説もあり、その弟は東関部屋の継承資格を満たすこともできるほどに出世を期待されていたというが、そもそも弟は角界入りする意欲が無かった。
春場所への意気込みを問われた際に、よく『枕草子』の「春は曙」(春は曙が良い)と言う有名な文を引用した。 土俵上ではライバルだった貴乃花とはプライベートでは親友だった。貴乃花が引退する時には「これから必要になる」と自ら生地を選んだネクタイを贈っている。 来日した時から「雲の上の人」だったハワイ出身の先輩である元大関小錦に対しては、1993年11月場所13日目に、小錦が負ければ大関から陥落する取組の相手を務めた事がある。対戦結果は曙が完勝、小錦は5勝8敗と9月場所(0勝2敗13休)に続き2場所連続負け越しにより大関転落となった。勝負が決まると小錦に軽く一礼したことが話題となった。この取り組みについて、のちに曙本人は「正直言って休場したい程嫌だった。でも先輩に対して手加減するのは失礼だと思い、心を鬼にして全力で当たったが、余りに辛過ぎる恩返しだった」と自身の引退時に語っている。なお、翌日小錦に自身の勝利を謝ったが「これからの力士であるお前が俺に勝てないでどうする」と叱責されたという。 休場中だった1999年1月場所の最中、曙は周囲に極秘のまま当時の時津風理事長(元大関豊山)へ突如引退届を提出していた。しかし時津風理事長からは「今はじっくりと怪我を治す事だけに専念しなさい。進退を考えるのはそれからだ」と笑顔で励まされつつ慰留されたという。 2000年3月場所では土佐ノ海を相手に1960年の決まり手制定以降、幕内史上初めてとなる褄取りで勝利を収めた。しかし本人は褄取りの決まり手を知らず、報道陣のインタビューに対し「何それ? 知らなかったよ」と答えた後、当時「技のデパート」と呼ばれていた舞の海になぞらえ、「技のデパートハワイ支店」と自らを称した。 曙は巨体と対照的に極めて繊細な神経の持ち主であった。大酒豪だが酒席では同席者への配慮を欠かさない。泥酔者が出るといつも自分の背中を「担架」代わりにして運びだす姿があった。酒席はもちろん、いつも携帯電話を手放さず、暇があると電話をかけまくる。根が飛び切りの寂しがりやということもあるが、親しい人にはとことんマメな付き合いをせずにいられない性格もある。 1993年7月に最愛の父が死去した際、曙から「ダディのひつぎに写真や新聞を入れたい」と連絡を受け、記者がハワイに同行した。「チャドが呼んでいる」と言われ、記者が霊安室に入ると、曙が「ダディに最後のキスをする写真を記者に撮らせる」と母ジャニスさんを必死に説得していた。そこには記者が写真や新聞を提供してくれた恩は何としても返さなければならないという姿勢があった。 現役終盤期、7代高砂(当時は11代若松)から縄跳びを調整法として勧められた。最後に2回優勝を上積みできたのは、縄跳びで俊敏性を鍛えたことによる。 嫌いな食べ物はゴボウ。来日して間もない頃に初めてゴボウを口にした際、独特の風味に驚いて飲み込むことができず、それ以来トラウマになってしまったという。テレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』にゲスト出演した際、当時のことを「悪戯で木の根っ子を食べさせられたと思っていた」と語っている。 1993年日本プロスポーツ大賞の殊勲賞を受賞。 1993年12月に東京ドームで行われたU2の東京公演にて、ボーカルのボノからのテレビ電話を受け大型スクリーンに登場したことがある。 元々は、ホテルマンになることを志していた。東関部屋に入門したのも、日本語を習得することが目的であり、入門当初は力士として身を立てていくことは全く考えていなかった。一方で東関は「オレは強くなるんだ、強くなるためには、日本語をちゃんと覚えるんだという並々ならぬ覚悟があった。だから早く覚えたし、上手になった」と評している。 1990年代前半には女性タレントの相原勇と交際しており、結婚寸前まで行ったことがあるが、1997年に破局した。2000年には別の女性と結婚し、3人の子供も生まれた。
取的時代のある時1980円で飲み放題の店に入り、チューハイをジョッキで40杯飲んだ。翌日も顔を出すと店主が青ざめ、以来その店は力士の飲み放題を断るようになったという。ただ酒豪伝説と言っても、曙は昭和の力士達と異なり日本酒やウイスキーではなく比較的アルコール度数の低いチューハイを好んでいたため、この点で留意すべきである。因みに来日当初は日本人の酒好き、煙草好きを不思議に思っていたそうである。 格闘家デビュー後、右腕に「AKEBONO」のタトゥーを、左腕に「YOKOZUNA」のタトゥーを、足に綱のタトゥーを、右腕はハワイの民族模様をモチーフにしたデザインをアメリカの有名デザイナーTOKYO HIROが手がけた。 トランクスには雲龍型の土俵入りがデザインされていて、腰のゴムバンドの部分に妻と子供の名前の頭文字である「C」を4つ入れている。チームユニフォームもTOKYO HIROによってデザインされている。 プロレス参入後、「相撲をやっていたので前回り受身はできるが、後ろ受身は出来ない」と告白したことがある。 格闘技に関しては賛否両論があるが、プロレスについては師匠である武藤も「オレも天才と言われるが、本当の天才は曙」とコメントしている。K-1、総合格闘技で不振が続いていたため「横綱の歴史から抹消しろ」と言われたことがあり、その上プロレスデビューを巡ってプロレスファンや関係者から「マケボノ」と本気で侮蔑されたというが、それだけに全日本プロレスへ入団が決定した際は大変喜んでいた。
普段は寡黙なイメージの曙であるが、全日本プロレス参戦時にTARUから「札幌で負けたらマケボノに改名しろ!」と挑発された際に、「オイ、お前ら、うるさいんじゃい! 札幌で叩きつぶしてやるから負けたら(TARUが率いるVMを)解散しろ!」と応戦している。 曙はグレート・ボノ(モンスター・ボノ→ボノちゃん→ボノくん→グレート・ボノへと成長)に関しては別人だと語っている。 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』での企画「バナナマン設楽を倒せ!芸能界手押し相撲最強決定戦!!」で、ラストボスとして出場した。その際相手の設楽統に「こんなでっかい人『ONE PIECE』でしか見たことない!!」と言われた。結果は曙の圧勝だった。 自身の著書『大相撲のぶっちゃけ話』で相撲界の特殊な女性関係を証言した。それ以外に、同著書では1991年7月場所中に名古屋の温泉宿で夏の甲子園大会を初戦で敗退して落ち込んでいた鈴木一朗(当時愛工大名電3年)を励ました逸話も記述されており、プロ野球選手イチローとなって曙に再会した鈴木一朗は当時自身を励ましてくれた曙に対して大いに感謝の意を述べた。 2013年6月、師範代として東関部屋に招聘され、相撲協会を退職して以来10年ぶりに相撲界に復帰した。因みに東関部屋の所在地は2019年現在の曙の本籍地であり、退職前の経緯から「二度と稽古場には立てないと思っていた」そうである。 年下のレスラーに対しても敬語で話すことが多く、かつて付き人を担当していたマンモス佐々木にもリング上では敬語で話している。 自宅には通常の体重計よりも上の体重を量ることができる特注の体重計がある。 愛車はフランス車のルノー・アヴァンタイムで、彼が日本で最初のオーナーであった。 2015年6月、曙の三冠ヘビー級王座防衛を祝い、ジャイアント馬場が生前に愛車としていたキャデラックが妻の馬場元子から寄贈された。 2016年7月1日放送の『輝く!日本ドッキリスター大賞』(テレビ朝日)で、天龍源一郎から顔面にパイをぶつけられるというドッキリを仕掛けられた。パイを受けた直後、曙は天龍に対してキレかかるが、すぐに謝罪した。(パイを投げられたので)とっさにキレたふりをしたと告白した。 2017年4月に心不全により意識不明の重体となり、緊急入院した。その際に37分間心停止に陥り、生死の境を彷徨った。
弟弟子の潮丸のことを信頼しており、現役時代は付人を任せるほどだった。その潮丸が自分より先に死去したことは相当辛かったようで、対面した際には悲しみのあまり涙が止まらなかったという。 2009年、東京マラソン2009への参加を表明し、周囲の不安視の中、体重を25kg減量するなど準備を整えたが、開催4日前にドクターストップがかかり出場を断念した。 2012年11月25日、自身がプロデュースしたステーキハウス「曙ステーキ」が東京都杉並区荻窪にオープンしたが、2020年時点で既に閉店している。また目黒・五反田に店を構えるステーキハウスリベラには、曙のリクエストで生まれた「横綱ステーキ」(リブロースステーキ640g)がある。 修羅雪姫(2011年3月27日、BS-TBS) - 竹村伴蔵 役 一休さん(2012年6月30日、フジテレビ) - 大男 役 すもうねこ(2014年8月7日〜、NHK Eテレ) - 主演すもうねこ 役(声の出演) ヤバい経済学 テルマエ・ロマエII(2014年) - アケボニウス 役 run for money 逃走中(2012年1月8日、2013年4月14日、フジテレビ) - 佐吉の兄 役、譲二 役 男のザップ 生イキ! ジャンポケクルーズ(BSスカパー、2016年4月14日) 水曜日のダウンタウン(TBSテレビ) サッポロ黒ラベル サントリーBOSS(浜崎あゆみ、叶姉妹、原田芳雄と共演) レイクアルサ FOXチャンネル「glee」 ファンタ(日本コカ・コーラ) 『横綱』(2001年10月、新潮社)ISBN 978-4104493012 『曙』(2004年2月7日、ぴあ)ISBN 978-4835609119 『曙太郎の「ホ・オポノポノ」人生』(2009年8月、東邦出版)ISBN 978-4809407994 『大相撲のぶっちゃけ話』(2012年9月7日、宝島社)ISBN 978-4796670951 ^ 実際には和歌乃山に中学横綱の経験はない。 ^ それから22年後の2014年7月場所に豪栄道が大関昇進を果たしたが、直前3場所の成績は12勝(2差次点)-8勝-12勝(1差次点)で32勝と目安となる33勝に1勝足らず、その上曙同様に2場所前が8勝どまりであった。しかしこの場所で連続関脇在位14場所という昭和以降最長の記録を達成しており、これが評価された形で大関昇進が認められた。 ^ そのため、当時の大相撲中継で翌日の取組で曙vs出島が組まれた際は実況アナウンサーに「曙にとってとても嫌な相手」とよくコメントされていた。 ^ それまでの歴代1位は初代貴ノ花の連続17場所で、この記録も2019年9月現在に至るまで歴代2位のまま残っている。 ^ 当初、リキシのパートナーは荒谷望誉であったが、試合直前に変更。 ^ 右足第5中足骨骨折により全休 ^ 大関角番 ^ 貴ノ花(のち貴乃花)・若ノ花(のち3代・若乃花)と優勝決定戦 ^ 武蔵丸と優勝決定戦 ^ 貴ノ浪、貴闘力と優勝決定戦 ^ 左膝内側半月板損傷、右膝関節内障により12日目より途中休場 ^ 両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休 ^ 先場所についで、両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休 ^ 左大腿外側四頭筋不全断裂により10日目より途中休場 ^ 右膝関節内障及び水腫により3日目より途中休場 ^ 先場所についで右膝関節内障及び水腫により全休 ^ 3代若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇と優勝決定戦 ^ 貴乃花、武蔵丸、魁皇と優勝決定戦 ^ 貴乃花と優勝決定戦 ^ 左膝半月板及び左膝軟骨損傷により全休 ^ 腰椎分離症、変形性脊椎症により全休 ^ 先場所についで、腰椎椎間板ヘルニアにより全休 ^ 3場所連続で、腰椎椎間板ヘルニアにより全休 ^ 出島と優勝決定戦 ^ 左大腿内転筋挫傷により4日目より途中休場 ^ 先場所についで、左大腿内転筋挫傷により全休 ^ 両膝変形性膝関節症により全休、場所終了直後の1月22日に引退表明 ^ 元々は「曙ステーキ」の名前で提供されていたが、荻窪の「曙ステーキ」開業に伴い現在の名前に改名した。 ^ 「相撲」令和6年7月号62頁に死去日記載 ^ 相撲レファレンス 曙 太郎 ^ 力士プロフィール 日本相撲協会公式サイト 曙 太郎 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32 ^ “曙10年ぶり“角界復帰”師範代就任へ/相撲/デイリースポーツ online”. www.daily.co.jp(2013年4月3日). 2018年12月28日閲覧。 ^ 東関部屋おかみさん日記 2016年12月06日 合宿@延岡2016年12月21日閲覧 ^ 『「年寄」への条件一つ越えた 帰化の曙 本名は曙太郎 「、」とりました』朝日新聞東京本社版1996年4月23日付朝刊25面 ^ 光文社インタビュー. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32 ^ 朝日新聞1992年5月27日付夕刊社会面 ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.100 ^ 朝日新聞1992年11月24日付朝刊スポーツ面 ^ 朝日新聞1993年1月21日付朝刊スポーツ面 ^ 朝日新聞1993年1月25日付朝刊スポーツ面 ^ 朝日新聞1993年1月26日付朝刊スポーツ面 ^ 朝日新聞1993年1月25日付朝刊スポーツ面では、「興行優先で貴花田を上げる以上、二場所連続優勝の内規を満たす曙を上げざるを得ない。」と指摘している。 ^ 朝日新聞1993年1月27日付夕刊社会面 ^ 朝日新聞1993年1月28日付朝刊一面 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p33 ^ スポーツコラム 【54話.19場所ぶり10度目の優勝! 横綱曙】 Wata倶楽部ネット 2000/8/12 ^ 2001年1月23日付日刊スポーツ紙面 ^ 元横綱・曙太郎さん死去 医師も「31歳にして老人」と指摘、本誌に激白していた「悲痛引退」の“原因” Smart FLASH 2024.04.11 16:45 (2024年4月11日閲覧) ^ 『相撲』2012年2月号 ^ 元横綱曙、K-1デビュー。初戦でサップと激突 BoutReview 2003年11月6日 ^ “曙デビュー戦は衝撃的な初回失神KO負け/復刻”. 日刊スポーツ (2017年1月1日). 2022年8月28日閲覧。 ^ “K-1ハワイ大会で曙がプロモーター”. 日刊スポーツ. 2023年8月28日閲覧。 ^ リングが花火に…曙&大仁田 9年ぶり電流爆破マッチ スポニチAnnex 2012年8月27日 ^ 曙選手が全日本プロレスの所属選手になりました!!! 株式会社全日本プロレスリングシステムズ 2013年9月6日 ^ 「王道トーナメント ~2013オープン選手権~」平成25年9月11日(水)全日本プロレスオフィシャルサイト - 公式ホームページ Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine. ^ “曙が不整脈 3冠返上「責任果たせない」” (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。 ^ “曙が全日取締役就任へ 戦列復帰も宣言”. 東京スポーツ (2014年7月28日). 2014年7月28日閲覧。 ^ 「巻頭リポート 全日本プロレス4・25後楽園 全日本「2015チャンピオン・カーニバル」最終戦」、『週刊プロレス』No.1790、ベースボール・マガジン社、平成27年5月13日/5月20日合併号(4月28日発行)、4-10頁、2015年。 ^ 曙選手について 全日本プロレス公式サイト ^ “DDT Road to Ryogoku 2017~ドラマティック・ドリーム・炭坑節~福岡・大牟田市文化会館小ホール”. 週刊プロレスプレミアム. 2024年4月17日閲覧。 ^ http://www.hochi.co.jp/topics/20170415-OHT1T50314.html 2017年4月16日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年3月17日閲覧) ^ 曙太郎、生命の危機乗り越えリハビリ 必ずリングに 日刊スポーツ 2018年3月9日9時3分(日刊スポーツ新聞社、2018年3月17日閲覧) ^ 曙、心不全で記憶障害…70キロ激ヤセも“再び相撲を”リハビリに励む日々 Sponichi Annex 2018年9月28日 22:24 (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧) ^ 曙が病気で70キロ減 重度の記憶障害で特殊な歩行器で訓練 SANSPO.COM 2018.9.28 22:05(産経新聞社、2018年9月29日閲覧) ^ 元横綱・曙太郎さん、病室で「若貴がいたから横綱・曙が生まれた」と語っていた 思い出は優勝決定巴戦 2024年4月11日 16時3分スポーツ報知 (2024年4月11日閲覧) ^ 《元横綱の曙さん死去》交際中に「婚約破棄」騒動の女優・相原勇の今「結婚信じて全レギュラー降板」20年ぶり再会で誓ったこと(1/7ページ) NEWSポストセブン 2024.04.11 19:00 (2024年4月11日閲覧) ^ “急死の東関親方の弔問に闘病中の元横綱・曙が来た…振分親方に「部屋を頼んだぞ」”. スポーツ報知 (2019年12月19日). 2022年10月21日閲覧。 ^ 「曙太郎さんが死去 大相撲初の外国出身横綱、54歳」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2024年4月11日。2024年7月5日閲覧。 ^ 千歳香奈子 (2024年4月11日). “曙さん訃報、NYタイムズやハワイメディア報じる「伝説的人物」駐日大使も「誇り高きハワイアン」”. 日刊スポーツ. 2024年4月22日閲覧。 ^ “曙太郎さん死去、英BBCでも伝える「ハワイ生まれの日本の相撲レジェンドが死去」”. スポーツ報知 (2024年4月11日). 2024年4月22日閲覧。 ^ “元横綱・若乃花の花田虎上、曙太郎さん追悼「ライバルであり友であり苦楽を共にした仲間」”. 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K-1公式サイト 2009年2月25日 ^ 本当に残念…曙が東京マラソン欠場へ K-1公式サイト 2009年3月18日 ^ 【杉並区】テナント募集?!荻窪南口にあった『アケボノステーキ』がいつの間にか閉店していたようです - 号外NET杉並区・2020年5月27日 「相撲」(月刊誌、ベースボール・マガジン社) 「大相撲」(月刊誌、読売新聞社、のちに休刊)など “第64代横綱 曙太郎” (PDF). 光文社新書メールマガジン. 2024年3月19日閲覧。 - 光文社のインタビュー(インタビュー時期不詳、「和歌乃山(現山分親方)」との発言があるため2010年9月以前) 塩澤実信『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(北辰堂出版)p161-162 横綱一覧 大相撲優勝力士一覧 プロレスラー一覧 男子総合格闘家一覧 K-1選手一覧 HERO'S選手一覧
曙 太郎 - 日本相撲協会 曙 太郎 - 相撲レファレンス SHERDOG 選手データ HERO'S 選手データ - ウェイバックマシン(2010年8月15日アーカイブ分) J-Athleteplus マネジメント選手 曙太郎 - ウェイバックマシン(2023年6月4日アーカイブ分) 曙太郎公式X - ウェイバックマシン(2021年12月5日アーカイブ分) アケボノステーキ - ウェイバックマシン(2022年1月17日アーカイブ分) 表 話 編 歴 高見山酉之助 常陸山谷右エ門 太刀山峯右エ門 鳳谷五郎 両國勇治郎 西ノ海嘉治郎 (2代) 大錦卯一郎 栃木山守也 常ノ花寛市 鶴ヶ濱増太郎 西ノ海嘉治郎 (3代) 大蛇山酉之助 宮城山福松 常陸岩英太郎 能代潟錦作 玉錦三右エ門 豊國福馬 山錦善治郎 武藏山武 綾櫻由太郎 清水川元吉 沖ツ海福雄 男女ノ川登三 双葉山定次 出羽湊利吉 安藝ノ海節男 羽黒山政司 佐賀ノ花勝巳 前田山英五郎 備州山大八郎 東富士欽壹 増位山大志郎 千代の山雅信 照國萬藏 栃錦清隆 鏡里喜代治 時津山仁一 吉葉山潤之輔 三根山隆司 朝潮太郎 (3代) 若乃花幹士 (初代) 安念山治 玉乃海太三郎 若羽黒朋明 若三杉彰晃 大鵬幸喜 柏戸剛 佐田の山晋松 栃ノ海晃嘉 北葉山英俊 富士錦猛光 北の富士勝昭 若浪順 玉の海正洋 琴櫻傑將 清國勝雄 栃東知頼 長谷川勝敏 輪島大士 高見山大五郎 北の湖敏満 魁傑將晃 貴ノ花健士 金剛正裕 三重ノ海剛司 若乃花幹士 (2代) 千代の富士貢 琴風豪規 隆の里俊英 北天佑勝彦 若嶋津六夫 多賀竜昇司 朝潮太郎 (4代) 北勝海信芳 大乃国康 旭富士正也 小錦八十吉 霧島一博 琴富士孝也 琴錦功宗 貴乃花光司 曙太郎 水戸泉政人 若乃花勝 武蔵丸光洋 貴ノ浪貞博 千代大海龍二 出島武春 武双山正士 貴闘力忠茂 魁皇博之 琴光喜啓司 栃東大裕 朝青龍明徳 白鵬翔 琴欧洲勝紀 日馬富士公平 把瑠都凱斗 旭天鵬勝 鶴竜力三郎 照ノ富士春雄 琴奨菊和弘 豪栄道豪太郎 稀勢の里寛 栃ノ心剛史 御嶽海久司 貴景勝貴信 玉鷲一朗 朝乃山英樹 德勝龍誠 正代直也 大栄翔勇人 若隆景渥 逸ノ城駿 阿炎政虎 霧島鐵力 豊昇龍智勝 尊富士弥輝也 大の里泰輝 一覧 年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。 表 話 編 歴 1958 若乃花幹士 1959 栃錦清隆 1960 若乃花幹士(※) 1961 大鵬幸喜 1962 大鵬幸喜 1963 大鵬幸喜 1964 大鵬幸喜 1965 佐田の山晋松 1966 大鵬幸喜(※) 1967 大鵬幸喜 1968 玉乃島正夫 1969 大鵬幸喜(※) 1970 北の富士勝昭 1971 玉の海正洋(※) 1972 貴ノ花満(※) 1973 輪島大士 1974 北の湖敏満 1975 三重ノ海五郎(※) 1976 輪島大士 1977 輪島大士(※) 1978 北の湖敏満 1979 北の湖敏満 1980 北の湖敏満 1981 千代の富士貢(※) 1982 千代の富士貢 1983 隆の里俊英 1984 若嶋津六夫 1985 千代の富士貢 1986 千代の富士貢 1987 千代の富士貢(※) 1988 千代の富士貢(※) 1989 千代の富士貢(※) 1990 旭富士正也 1991 小錦八十吉(※) 1992 貴花田光司 1993 曙太郎 1994 貴乃花光司 1995 貴乃花光司 1996 貴乃花光司 1997 貴乃花光司 1998 若乃花勝 1999 武蔵丸光洋 2000 曙太郎 2001 武蔵丸光洋 2002 朝青龍明徳 2003 朝青龍明徳 2004 朝青龍明徳 2005 朝青龍明徳 2006 朝青龍明徳 2007 白鵬翔 2008 白鵬翔 2009 白鵬翔 2010 白鵬翔 2011 白鵬翔 2012 白鵬翔 2013 白鵬翔 2014 白鵬翔 2015 白鵬翔 2016 日馬富士公平(※) 2017 受賞者なし 2018 栃ノ心剛史 2019 白鵬翔(※) 2020 貴景勝光信 2021 照ノ富士春雄 2022 若隆景渥 2023 霧島鉄力 表 話 編 歴 1957 栃錦清隆 1958 若乃花幹士 1959 栃錦清隆 1960 大鵬幸喜 1961 大鵬幸喜 1962 大鵬幸喜 1963 大鵬幸喜 1964 大鵬幸喜 1965 佐田の山晋松 1966 柏戸剛 1967 大鵬幸喜 / 柏戸剛 1968 玉乃島正夫 1969 北の富士勝昭 1970 北の富士勝昭 / 玉の海正洋 1971 北の富士勝昭 1972 輪島大士 1973 輪島大士 1974 北の湖敏満 1975 北の湖敏満 1976 輪島大士 1977 北の湖敏満 1978 北の湖敏満 1979 北の湖敏満 1980 北の湖敏満 1981 北の湖敏満 1982 千代の富士貢 1983 隆の里俊英 1984 若嶋津六夫 1985 千代の富士貢 1986 千代の富士貢 1987 北勝海信芳 1988 旭富士正也 1989 北勝海信芳 1990 旭富士正也 1991 霧島一博 1992 貴花田光司 1993 曙太郎 1994 貴乃花光司 1995 貴乃花光司 1996 貴乃花光司 1997 貴乃花光司 1998 若乃花勝 1999 武蔵丸光洋 2000 曙太郎 2001 武蔵丸光洋 2002 朝青龍明徳 2003 朝青龍明徳 2004 朝青龍明徳 2005 朝青龍明徳 2006 朝青龍明徳 2007 白鵬翔 2008 白鵬翔 2009 白鵬翔 2010 白鵬翔 2011 白鵬翔 2012 白鵬翔 2013 白鵬翔 2014 白鵬翔 2015 白鵬翔 2016 稀勢の里寛 2017 白鵬翔 2018 栃ノ心剛史 2019 朝乃山英樹 2020 貴景勝光信 2021 照ノ富士春雄 2022 若隆景渥 2023 霧島鐵力 表 話 編 歴 初代明石志賀之助 2代綾川五郎次 3代丸山権太左衛門 4代谷風梶之助 5代小野川喜三郎 6代阿武松緑之助 7代稲妻雷五郎 8代不知火諾右衛門 9代秀ノ山雷五郎 10代雲龍久吉 11代不知火光右衛門 12代陣幕久五郎 13代鬼面山谷五郎 14代境川浪右衛門 15代梅ヶ谷藤太郎(初代) 16代西ノ海嘉治郎(初代) 17代小錦八十吉 18代大砲万右エ門 19代常陸山谷右エ門 20代梅ヶ谷藤太郎(2代) 21代若嶌權四郎 22代太刀山峯右エ門 23代大木戸森右エ門 24代鳳谷五郎 25代西ノ海嘉治郎(2代) 26代大錦卯一郎 27代栃木山守也 28代大錦大五郎 29代宮城山福松 30代西ノ海嘉治郎(3代) 31代常ノ花寛市 32代玉錦三右エ門 33代武藏山武 34代男女ノ川登三 35代双葉山定次 36代羽黒山政司 37代安藝ノ海節男 38代照國萬藏 39代前田山英五郎 40代東富士欽壹 41代千代の山雅信 42代鏡里喜代治 43代吉葉山潤之輔 44代栃錦清隆 45代若乃花幹士(初代) 46代朝潮太郎 47代柏戸剛 48代大鵬幸喜 49代栃ノ海晃嘉 50代佐田の山晋松 51代玉の海正洋 52代北の富士勝昭 53代琴櫻傑將 54代輪島大士 55代北の湖敏満 56代若乃花幹士(2代) 57代三重ノ海剛司 58代千代の富士貢 59代隆の里俊英 60代双羽黒光司 61代北勝海信芳 62代大乃国康 63代旭富士正也 64代曙太郎 65代貴乃花光司 66代若乃花勝 67代武蔵丸光洋 68代朝青龍明徳 69代白鵬翔 70代日馬富士公平 71代鶴竜力三郎 72代稀勢の里寛 73代照ノ富士春雄 雷電爲右エ門 表 話 編 歴 161代 能代潟錦作 162代 常陸岩英太郎 163代 豊國福馬 164代 玉錦三右エ門 165代 武藏山武 166代 清水川元吉 167代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎 170代 前田山英五郎 171代 羽黒山政司 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男 174代 照國万蔵 175代 名寄岩静男 176代 佐賀ノ花勝巳 177代 東冨士謹一 178代 汐ノ海運右衛門 179代 増位山大志郎 180代 千代ノ山雅信 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治 183代栃錦清隆 184代 三根山隆司 185代 大内山平吉 186代 松登晟郎 187代 若乃花勝治 188代 朝汐太郎 189代 琴ヶ濱貞雄 190代 若羽黒朋明 191代 柏戸剛 192代 大鵬幸喜 193代 北葉山英俊 194代 佐田の山晋松 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之 197代 豊山勝男 198代 北の富士勝昭 199代 玉乃島正夫 200代 琴櫻傑將 201代 清國勝雄 202代 前の山太郎 203代 大麒麟將能 204代 輪島大士 205代 貴ノ花利彰 206代 大受久晃 207代 北の湖敏満 208代 魁傑將晃 209代 三重ノ海剛司 210代 旭國斗雄 211代 若三杉壽人 212代 増位山太志郎 213代 千代の富士貢 214代 琴風豪規 215代 隆の里俊英 216代 若嶋津六夫 217代 朝潮太郎 218代 北天佑勝彦 219代 大乃国康 220代 北尾光司 221代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 223代 旭富士正也 224代 霧島一博 225代 曙太郎 226代 貴ノ花光司 227代 若ノ花勝 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋 230代 千代大海龍二 231代 出島武春 232代 武双山正士 233代 雅山哲士 234代 魁皇博之 235代 栃東大裕 236代 朝青龍明徳 237代 琴欧洲勝紀 238代 白鵬翔 239代 琴光喜啓司 240代 日馬富士公平 241代 把瑠都凱斗 242代 琴奨菊和弘 243代 稀勢の里寛 244代 鶴竜力三郎 245代 豪栄道豪太郎 246代 照ノ富士春雄 247代 髙安晃 248代 栃ノ心剛史 249代 貴景勝貴信 250代 朝乃山英樹 251代 正代直也 252代 御嶽海久司 253代 霧島鐵力 254代 豊昇龍智勝 255代 琴櫻将傑 256代 大の里泰輝 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 表 話 編 歴 1 田中将斗 2 永田裕志 3 大谷晋二郎 4 崔領二 5 田中将斗 6 川田利明 7 佐藤耕平 8 バンビキラー 9 関本大介 10 崔領二 11 ザ・シーク(英語版) 12 佐藤耕平 13 KAMIKAZE 14 曙 15 ジェームス・ライディーン 16 佐藤耕平 17 船木誠勝 18 佐藤耕平 19 鈴木秀樹 20 佐藤耕平 21 田中将斗 22 小幡優作 23 田中将斗 24 関本大介 25 火野裕士 26 佐藤耕平 27 クリス・ヴァイス 28 田村ハヤト 29 田中将斗 30 杉浦貴 31 田中将斗 32 クリス・ヴァイス 33 齋藤彰俊 34 潮崎豪 表 話 編 歴 サモア・ジョー&ケイジ・サコダ スティーブ・コリノ&マイク・ラパダ 1 大谷晋二郎&石川雄規 2 大谷晋二郎&田中将斗 3 ネイサン・ジョーンズ&ジョン・ヘンデンリッチ 4 橋本真也&小川直也 5 トム・ハワード&マット・ガファリ 6 橋本真也&小川直也 7 スティーブ・コリノ&CWアンダーソン 8 大谷晋二郎&田中将斗 9 大森隆男&越中詩郎 10 橋本真也&藤原喜明 11 大谷晋二郎&大森隆男 12 田中将斗&坂田亘 13 佐藤耕平&崔領二 14 日高郁人&藤田ミノル 15 スティーブ・コリノ&Y2P-160kg 16 佐藤耕平&崔領二 17 大森隆男&中西学 18 高山善廣&佐藤耕平 19 藤田ミノル&菅原拓也 20 ミスター・レスリングIII&チャールズ・エヴァンス 21 崔領二&浪口修 22 佐藤耕平&KAMIKAZE 23 日高郁人&澤宗紀 24 大谷晋二郎&曙 25 佐藤耕平&KAMIKAZE 26 田中将斗&ゼウス 27 植田使徒&小幡優作 28 曙&関本大介 29 大谷晋二郎&KAMIKAZE 30 田中将斗&杉浦貴 31 佐藤耕平&関本大介 32 田中将斗&ジェームス・ライディーン 33 TARU&ハートリー・ジャクソン 34 曙&将軍岡本 35 小幡優作&KAI 36 佐藤耕平&鈴木秀樹 37 将軍岡本&吉江豊 38 田中将斗&火野裕士 39 TARU&クリス・ヴァイス 40 田中将斗&菅原拓也 41 竹田誠志&宮本裕向 42 岩﨑永遠&佐藤嗣崇 43 火野裕士&クワイエット・ストーム 44 大谷晋二郎&今成夢人 45 橋本友彦&牙城 46 太嘉文&松永準也 47 ヤス久保田&ヒデ久保田 48 佐藤嗣崇&松永準也 49 真霜拳號&ナカ・シュウマ 表 話 編 歴 1 ジャンボ鶴田 2 天龍源一郎 3 ジャンボ鶴田 4 テリー・ゴディ 5 スタン・ハンセン 6 テリー・ゴディ 7 スタン・ハンセン 8 ジャンボ鶴田 9 スタン・ハンセン 10 三沢光晴 11 スティーブ・ウィリアムス 12 川田利明 13 スタン・ハンセン 14 三沢光晴 15 田上明 16 小橋健太 17 三沢光晴 18 川田利明 19 小橋健太 20 三沢光晴 21 川田利明 22 ベイダー 23 三沢光晴 24 ベイダー 25 小橋健太 26 天龍源一郎 27 武藤敬司 28 川田利明 29 天龍源一郎 30 グレート・ムタ 31 橋本真也 32 川田利明 33 小島聡 34 太陽ケア 35 鈴木みのる 36 佐々木健介 37 諏訪魔 38 グレート・ムタ 39 高山善廣 40 小島聡 41 浜亮太 42 鈴木みのる 43 諏訪魔 44 秋山準 45 船木誠勝 46 諏訪魔 47 曙 48 大森隆男 49 諏訪魔 50 ジョー・ドーリング 51 潮崎豪 52 曙 53 秋山準 54 諏訪魔 55 宮原健斗 56 石川修司 57 宮原健斗 58 諏訪魔 59 ジョー・ドーリング 60 宮原健斗 61 ゼウス 62 宮原健斗 63 諏訪魔 64 ジェイク・リー 65 宮原健斗 66 ジェイク・リー 67 諏訪魔 68 宮原健斗 69 永田裕志 70 青柳優馬 71 中嶋勝彦 72 安齊勇馬 73 青柳優馬 74 デイビーボーイ・スミスJr. 表 話 編 歴 1 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 2 スタン・ハンセン&テリー・ゴディ 3 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 4 天龍源一郎&阿修羅・原 5 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 6 スタン・ハンセン&テリー・ゴディ 7 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 8 天龍源一郎&スタン・ハンセン 9 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 10 天龍源一郎&スタン・ハンセン 11 天龍源一郎&スタン・ハンセン 12 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 13 ジャンボ鶴田&ザ・グレート・カブキ 14 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 15 スタン・ハンセン&ダニー・スパイビー 16 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 17 三沢光晴&川田利明 18 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 19 ジャンボ鶴田&田上明 20 三沢光晴&川田利明 21 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 22 川田利明&田上明 23 スタン・ハンセン&テッド・デビアス 24 三沢光晴&小橋健太 25 三沢光晴&小橋健太 26 川田利明&田上明 27 スタン・ハンセン&ゲーリー・オブライト 28 川田利明&田上明 29 三沢光晴&秋山準 30 スティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース 31 川田利明&田上明 32 小橋健太&ジョニー・エース 33 スティーブ・ウィリアムス&ゲーリー・オブライト 34 小橋健太&ジョニー・エース 35 川田利明&田上明 36 小橋健太&秋山準 37 ジョニー・エース&バート・ガン 38 大森隆男&高山善廣 39 三沢光晴&小川良成 40 小橋健太&秋山準 41 ベイダー&スティーブ・ウィリアムス 42 川田利明&田上明 43 太陽ケア&ジョニー・スミス 44 天龍源一郎&安生洋二 45 武藤敬司&太陽ケア 46 ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク 47 小島聡&太陽ケア 48 武藤敬司&嵐 49 小島聡&カズ・ハヤシ 50 永田裕志&ケンドー・カシン 51 太陽ケア&ジャマール 52 川田利明&太陽ケア 53 小島聡&TARU 54 武藤敬司&ジョー・ドーリング 55 太陽ケア&鈴木みのる 56 武藤敬司&船木誠勝 57 太陽ケア&曙 58 KONO&ジョー・ドーリング 59 グレート・ムタ&KENSO 60 ダーク・オズ&ダーク・クエルボ 61 大森隆男&征矢学 62 真田聖也&ジョー・ドーリング 63 大森隆男&征矢学 64 大森隆男&征矢学 65 秋山準&潮﨑豪 66 諏訪魔&ジョー・ドーリング 67 秋山準&大森隆男 68 秋山準&大森隆男 69 曙&吉江豊 70 潮﨑豪&宮原健斗 71 ゼウス&ボディガー 72 関本大介&岡林裕二 73 ゼウス&ボディガー 74 真霜拳號&KAI 75 ゼウス&ボディガー 76 ジェイク・リー&野村直矢 77 関本大介&岡林裕二 78 秋山準&大森隆男 79 諏訪魔&石川修司 80 宮原健斗&ヨシタツ 81 ゼウス&ボディガー 82 崔領二&ディラン・ジェイムス 83 諏訪魔&石川修司 84 関本大介&岡林裕二 85 諏訪魔&石川修司 86 ゼウス&崔領二 87 諏訪魔&石川修司 88 宮原健斗&青柳優馬 89 諏訪魔&芦野祥太郎 90 石川修司&佐藤耕平 91 芦野祥太郎&本田竜輝 92 諏訪魔&KONO 93 宮原健斗&野村卓矢 94 青柳優馬&野村直矢 95 拳王&征矢学 96 宮原健斗&青柳優馬 97 斉藤ジュン&斉藤レイ 98 諏訪魔&鈴木秀樹 99 斉藤ジュン&斉藤レイ 表 話 編 歴 1 キング・コング&タイガー・ジョキンダー 2 フランク・バロア&ダン・ミラー 3 力道山&豊登 4 ルター・レンジ&リッキー・ワルドー 5 力道山&豊登 6 バディ・オースチン&マイク・シャープ 7 力道山&豊登 8 力道山&豊登 9 豊登&吉村道明 10 ジン・キニスキー&カリプス・ハリケーン 11 豊登&ジャイアント馬場 12 ザ・デストロイヤー&ビリー・レッド・ライオン 13 豊登&ジャイアント馬場 14 キラー・カール・コックス&ジョー・カロロ 15 吉村道明&ヒロ・マツダ 16 キラー・カール・コックス&エディ・グラハム 17 吉村道明&ジャイアント馬場 18 吉村道明&大木金太郎 19 吉村道明&アントニオ猪木 20 吉村道明&大木金太郎 21 スカル・マーフィー&クロンダイク・ビル 22 吉村道明&大木金太郎 23 大木金太郎&アントニオ猪木 24 吉村道明&アントニオ猪木 25 吉村道明&アントニオ猪木 26 吉村道明&坂口征二 27 グレート小鹿&松岡巌鉄 28 グレート小鹿&大熊元司 29 ジェリー・オーツ&テッド・オーツ 30 高千穂明久&サムソン・クツワダ 31 グレート小鹿&大熊元司 32 マイティ井上&アニマル浜口 33 グレート小鹿&大熊元司 34 グレート小鹿&大熊元司 35 ケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリック 36 佐藤昭雄&石川隆士 37 マイティ井上&阿修羅・原 38 阿修羅・原&石川隆士 39 佐藤昭雄&石川隆士 40 アニマル浜口&寺西勇 41 寺西勇&保永昇男 42 マイティ井上&石川隆士 43 阿修羅・原&スーパー・ストロング・マシーン 44 マイティ井上&石川隆士 45 サムソン冬木&川田利明 46 仲野信市&高野俊二 47 サムソン冬木&川田利明 48 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 49 サムソン冬木&川田利明 50 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 51 タイガーマスク(三沢光晴)&小橋健太 52 仲野信市&田上明 53 小橋健太&ジョニー・エース 54 ダイナマイト・キッド&ジョニー・スミス 55 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 56 小橋健太&ジョニー・エース 57 ジョー・ディートン&ビリー・ブラック 58 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 59 小橋健太&菊地毅 60 パトリオット&ジ・イーグル 61 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 62 秋山準&大森隆男 63 ウルフ・ホークフィールド&ジョニー・スミス 64 本田多聞&泉田純 65 ハヤブサ&新崎人生 66 大森隆男&高山善廣 67 三沢光晴&小川良成 68 本田多聞&井上雅央 69 垣原賢人&長井満也 70 嵐&北原光騎 71 嵐&荒谷信孝 72 佐藤耕平&横井宏考 73 金村キンタロー&黒田哲広 74 ミスター雁之助&黒田哲広 75 グレート・コスケ&獅龍 76 天龍源一郎&渕正信 77 長井満也&成瀬昌由 78 ブキャナン&リコ 79 近藤修司&"brother"YASSHI 80 佐々木健介&中嶋勝彦 81 鈴木みのる&NOSAWA論外 82 曙&浜亮太 83 TARU&ビッグ・ダディ・ブードゥー 84 真田聖也&征矢学 85 関本大介&岡林裕二 86 真田聖也&征矢学 87 関本大介&岡林裕二 88 曙&浜亮太 89 金本浩二&田中稔 90 大和ヒロシ&佐藤光留 91 金本浩二&田中稔 92 鈴木鼓太郎&青木篤志 93 秋山準&金丸義信 94 入江茂弘&石井慧介 95 宮原健斗&鈴木鼓太郎 96 長井満也&南野タケシ 97 金丸義信&ウルティモ・ドラゴン 98 木髙イサミ&宮本裕向 99 青木篤志&佐藤光留 100 渕正信&大仁田厚 101 青木篤志&佐藤光留 102 ブラック・タイガーⅦ&TAKAみちのく 103 野村直矢&青柳優馬 104 秋山準&永田裕志 105 野村直矢&青柳優馬 106 ジェイク・リー&岩本煌史 107 河上隆一&菊田一美 108 ジェイク・リー&岩本煌史 109 木髙イサミ&宮本裕向 110 ゼウス&イザナギ 111 T-Hawk&エル・リンダマン 112 大森北斗&児玉裕輔 113 稔&歳三 114 佐藤光留&田村男児 115 ヨシタツ&TAJIRI 116 児玉裕輔&花畑正男 117 大森隆男&井上雅央 118 NOSAWA論外&ケンドー・カシン 119 大仁田厚&ヨシタツ 120 秋山準&鈴木鼓太郎 121 坂口征夫&岡谷英樹 122 大仁田厚&To-y 123 佐藤光留&田村男児 124 吉岡世起&MUSASHI 125 安齊勇馬&ライジングHAYATO 1 坂口征二&ストロング小林 2 タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 表 話 編 歴 1 ミラノコレクションA.T.&YOSSINO&アンソニー・W・森 2 斎藤了&ドラゴン・キッド&堀口元気 3 CIMA&ドン・フジイ&土井成樹 4 斎藤了&ドラゴン・キッド&堀口元気 5 マグニチュード岸和田&CIMA&吉野正人 6 CIMA&B×Bハルク&ジャック・エバンス 7 斎藤了&ドラゴン・キッド&堀口元気 8 土井成樹&吉野正人&Gamma 9 アンソニー・W・森&スペル・シーサー&B×Bハルク 10 土井成樹&吉野正人&Gamma 11 CIMA&横須賀享&斎藤了 12 マグニチュード岸和田&土井成樹&Gamma 13 CIMA&横須賀享&斎藤了 14 鷹木信悟&B×Bハルク&サイバー・コング 15 マグニチュード岸和田&土井成樹&吉野正人 16 望月成晃&ドン・フジイ&K-ness. 17 鷹木信悟&B×Bハルク&サイバー・コング 18 Gamma&鷹木信悟&YAMATO 19 新井健一郎&岩佐拓&忍 20 Gamma&神田裕之&YAMATO 21 望月成晃&ドン・フジイ&マグニチュード岸和田 22 鷹木信悟&ドラゴン・キッド&岩佐拓 23 CIMA&Gamma&KAGETORA 24 吉野正人&B×Bハルク&PAC 25 望月成晃&ドン・フジイ&曙 26 神田裕之&菅原拓也&Kzy 27 CIMA&Gamma&堀口元気 28 土井成樹&谷嵜なおき&PAC 29 CIMA&Gamma&堀口元気 30 神田裕之&谷嵜なおき&菅原拓也 31 CIMA&ドラゴン・キッド&リコシェ 32 吉野正人&YAMATO&Gamma 33 土井成樹&谷嵜なおき&Kzy 34 堀口元気H.A.Gee.Mee&斎藤"ジミー"了&ジミー・神田 35 土井成樹&吉野正人&PAC 36 B×Bハルク&戸澤陽&谷崎なおき 37 Gamma&マグニチュード岸和田&HUB 38 土井成樹&吉野正人&しゃちほこBOY 39 堀口元気H.A.Gee.Mee&斎藤"ジミー"了&Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン 40 土井成樹&しゃちほこBOY&リッチ・スワン 41 望月成晃&ジミー・ススム&K-ness. 42 堀口元気H.A.Gee.Mee&斎藤"ジミー"了&ジミー・神田 43 望月成晃&ドラゴン・キッド&K-ness. 44 B×Bハルク&YAMATO&サイバー・コング 45 T-Hawk&Eita&フラミータ 46 ジミー・ススム&斎藤"ジミー"了&Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン 47 ジミー・ススム&ジミー・神田&Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン 48 T-Hawk&Eita&U-T 49 土井成樹&サイバー・コング&Kzy 50 CIMA&ドン・フジイ&Gamma 51 堀口元気H.A.Gee.Mee&ジミー・ススム&斎藤"ジミー"了 52 望月成晃&ドラゴン・キッド&ビッグR清水 53 堀口元気H.A.Gee.Mee&ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ 54 CIMA&ドン・フジイ&Gamma 55 吉野正人&戸澤陽&T-Hawk 56 堀口元気H.A.Gee.Mee&斎藤"ジミー"了&ジミー・神田 57 ジミー・ススム&斎藤"ジミー"了&ジミー・神田 58 鷹木信悟&T-Hawk&サイバー・コング 59 土井成樹&ビッグR清水&Ben-K 60 鷹木信悟&吉田隆司&エル・リンダマン 61 YAMATO&B×Bハルク&Kzy 62 土井成樹&吉野正人&ジェイソン・リー 63 Kzy&横須賀ススム&堀口元気 64 神田裕之&吉田隆司&KAZMA SAKAMOTO 65 ストロングマシーン・J&ストロングマシーン・F&ストロングマシーン・G 66 吉田隆司&ディアマンテ&H・Y・O 67 ドラゴン・キッド&斎藤了&新井健一郎 68 Ben-K&ストロングマシーン・J&ドラゴン・ダイヤ 69 吉田隆司&ディアマンテ&KAZMA SAKAMOTO 70 吉田隆司&KAZMA SAKAMOTO&SB KENTo 71 Kzy&横須賀ススム&堀口元気 72 ジェイソン・リー&ドラゴン・ダイヤ&ラ・エストレージャ 73 Eita&石田凱士&H・Y・O 74 シュン・スカイウォーカー&箕浦康太&ジェイソン・リー 75 Eita&石田凱士&H・Y・O 76 Kzy&U-T&JACKY"FUNKY"KAMEI 77 箕浦康太 with ミノリータ&土井成樹&石田凱士 78 NOSAWA論外&Eita&鈴木鼓太郎 79 小川良成&吉岡世起&進祐哉 80 原田大輔&小峠篤司&YO-HEY 81 NOSAWA論外&Eita&鈴木鼓太郎 82 望月マサアキ&望月ススム&望月ジュニア 83 シュン・スカイウォーカー&KAI&ISHIN 84 箕浦康太&Ben-K&BxBハルク 85 Kzy&BIGBOSS清水&JACKY"FUNKY"KAMEI 86 土井成樹&箕浦康太&ミノリータ 87 YAMATO&ドラゴン・キッド&パンチ富永 88 KAI&ISHIN&加藤良輝 表 話 編 歴 1 入江茂弘&石井慧介&高尾蒼馬 2 火野裕士&佐々木大輔&アントーニオ本多 3 飯伏幸太&ケニー・オメガ&伊橋剛太 4 火野裕士&星誕期&アントーニオ本多 5 男色ディーノ&大石真翔&佐々木健介 6 高木三四郎&大鷲透&曙 7 男色ディーノ&大石真翔&アジャコング 8 入江茂弘&石井慧介&高尾蒼馬 9 飯伏幸太&ケニー・オメガ&佐々木大輔 10 KUDO&マサ高梨&坂口征夫 11 アントーニオ本多&竹下幸之介&遠藤哲哉 12 KUDO&マサ高梨&坂口征夫 13 入江茂弘&石井慧介&高尾蒼馬 14 高木三四郎&大鷲透&平田一喜 15 ゴージャス松野&バラモン・シュウ&バラモン・ケイ 16 KUDO&マサ高梨&坂口征夫 17 入江茂弘&石井慧介&高尾蒼馬 18 KUDO&マサ高梨&坂口征夫 19 入江茂弘&石井慧介&高尾蒼馬 20 大家健&スーパー・ササダンゴ・マシン&男色ディーノ 21 高木三四郎&大鷲透&平田一喜 22 KENSO&スーパー・ササダンゴ・マシン&男色ディーノ 23 高木三四郎&大鷲透&平田一喜 24 勝俣瞬馬&樋口和貞&岩崎孝樹 25 入江茂弘&石井慧介&高尾蒼馬 26 佐々木大輔&マッド・ポーリー&遠藤哲哉 27 KUDO&高梨将弘&坂口征夫 28 樋口和貞&岩崎孝樹&渡瀬瑞基 29 大石真翔&勝俣瞬馬&MAO 30 KUDO&高梨将弘&坂口征夫 31 竹下幸之介&彰人&ディエゴ 32 KUDO&高梨将弘&坂口征夫 33 梅田公太&上野勇希&竹田光珠 34 竹下幸之介&彰人&勝俣瞬馬 35 高尾蒼馬&遠藤哲哉&マッド・ポーリー 36 CIMA&T-Hawk&トアン・イーナン 37 竹下幸之介&彰人&飯野雄貴 38 里村明衣子&DASH・チサコ&橋本千紘 39 竹下幸之介&勝俣瞬馬&飯野雄貴 40 遠藤哲哉&T-Hawk&エル・リンダマン 41 樋口和貞&坂口征夫&赤井沙希 42 彰人&平田一喜&翔太 43 遠藤哲哉&高尾蒼馬&火野裕士 44 男色“ダンディ”ディーノ&飯野“セクシー”雄貴&今成“ファンタスティック”夢人 45 佐々木大輔&藤田ミノル&MJポー 46 佐々木大輔&MJポー&KANON 47 火野裕士&大石真翔&旭志織 48 土井成樹&大鷲透&平田一喜 49 遠藤哲哉&鈴木鼓太郎&岡田佑介 50 青木真也&上野勇希&スーパー・ササダンゴ・マシン 51 樋口和貞&中津良太&石田有輝 52 坂口征夫&赤井沙希&岡谷英樹 53 秋山準&男色ディーノ&大石真翔 54 佐々木大輔&MJポー&KANON 55 HARASHIMA&彰人&ヤス・ウラノ 56 佐々木大輔&MJポー&KANON FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 MusicBrainz アメリカ合衆国出身の大相撲力士 帰化日本人の大相撲力士 アメリカ系日本人のスポーツ選手 東関部屋 横綱 アメリカ合衆国のキックボクサー 日本のキックボクサー K-1に参戦した選手 ハワイ先住民のプロレスラー 日本のプロレスラー 大相撲出身のプロレスラー 全日本プロレスに所属したプロレスラー WWEに参戦したプロレスラー DRAGON GATEに参戦したプロレスラー ZERO1にレギュラー参戦するプロレスラー ハッスルの人物 ハワイの総合格闘家 日本の総合格闘家 大相撲出身の総合格闘家 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2024/11/15 04:23更新
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akebono tarou
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