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沢柳政太郎の情報まとめ
沢柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう)さんの誕生日は1865年5月17日です。長野出身の教育者のようです。
事件、卒業、現在に関する情報もありますね。1927年に亡くなられているようです。
沢柳政太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(慶応元年4月23日) - 1927年(昭和2年)12月24日)は、近代日本の文部官僚、教育者、貴族院勅選議員。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす。文部次官。東北帝国大学初代総長・京都帝国大学第5代総長・成城学園創立者・大正大学初代学長。子の一人に、美術史学者となった澤柳大五郎がいる。大学の自治をめぐり澤柳事件を引き起こし辞職した。 澤柳の最大の業績は成城小学校での〈教授の実験〉によって、「教育上の問題を実験的に研究して解決する」という近代教育学の方法を確立したことである。その結果、文字教育における「読み先習の法則」を発見した。また文部次官時代には小学校教育から変体仮名を廃止し、子どもたちの文字学習がスムーズに進むような改革も行った。歴史的仮名遣いも子どもたちや教員を苦しめていたため、澤柳はその廃止も行ったが、保守派の反対に遭って短期間に終わり、敗戦後の1946年の「現代仮名遣い」制定によってようやく実現した。 信濃国松本城下(現長野県松本市)に松本藩士・澤柳信任の長男として生まれる。1875年(明治8年)に長野県開智学校下等小学校から東京師範学校附属下等小学校(現・筑波大附属小)へ転校。その後、東京府第一中学変則科(後の府立第一中学、現・都立日比谷高校)に入学。同級には狩野亨吉、上田萬年、幸田露伴、尾崎紅葉などがいた。のち、教育令改正のため、第一中学から新制大学予備門(後の一高、現・東大教養学部)へ繰り上げ入学。帝国大学(後の東京帝国大学)文科大学哲学科を卒業し、同郷の辻新次に誘われ、1890年に文部省に入省、文部書記官となる。 また、東京専門学校(後の早稲田大学)や哲学館(後の東洋大学)で心理学や社会学を講義し、「心理学」(1890年)、「倫理学」(1891年)を出版している。 1893年大谷尋常中学校校長、1895年群馬尋常中学校校長、1897年第二高等学校校長、1898年第一高等学校校長を歴任。 1898年11月に普通学務局長として文部省に戻り、1906年2月まで約7年強の長期に渡り在職、第3次小学校令にみられる初等・中等教育の整備に尽力した。1906年(明治39年)から2年間文部次官に就任。校長職歴任中より提唱していた義務教育年限の延長を、1907年(明治40年)の小学校令一部改正により実現させ、4年から現行の6年課程に移行させた。また、同年には奈良女子高等師範学校の開設、東北帝国大学や九州帝国大学の創設を決定。旧制高等学校を増設し、旧来の藩閥の弊から脱却、全国から人材を登用する扉を開いたとされる。 この間、高等商業学校校長(校長事務取扱 1898年11月 - 1899年3月)、高等師範学校校長(1901年)等の兼任を経て、1911年(明治44年)3月24日に東北帝国大学初代総長、1913年(大正2年)5月9日に京都帝国大学総長(第5代)を歴任。 東北帝国大学では、「門戸開放」という理念のもと、1913年(大正2年)に他に先駆けて女子に帝国大学の門戸を開いた。 1913年5月に総長に就任した京都帝国大学では、教学刷新として7名の教授に総長権限で辞表を提出させたが、これがスキャンダルとなる。その7教授(医科大学1名、理工科大学5名、文科大学1名)の中には、大学(分科大学ごと)の自治(人事を含む)を唱える教育学者谷本富もいた。1914年(大正3年)春、法科大学教授会の抵抗に遭い、逆に自身が大学を追われることとなった(沢柳事件)。 その後、陸軍士官学校の予備校として名高かった成城学校(現・成城中学校・高等学校)の校長に就任。文部官僚時代の澤柳は、官尊民卑に基づく官公立学校至上主義によって私学の排斥を行っていたが、野に下ってからは積極的に私学も奨励した。同校内に新教育の実験校として、1917年(大正6年)4月4日、成城小学校を創立(成城学園の起源)し、長田新の推薦で広島から小原國芳を訓導として招聘。以来、成城学校は大正自由主義教育運動の震源地となる。澤柳自身も1898年(明治31年)にドゥ・ガンの『ペスタロッチー伝』を邦訳、1909年(明治42年)には『実際的教育学』を著すなど、新教育の指導者としての役割を担った。1916年(大正5年)以降は、帝国教育学会会長、大正大学の初代学長も務めた。 1922年(大正11年)、松方幸次郎・木下正雄と尽力して、ロンドン大学講師ハロルド・E・パーマーを日本に招聘。翌年、パーマーは文部省内に設立された英語教授研究所(現在の語学教育研究所)の理事長となった。 なお、1909年12月21日には貴族院議員に勅選され、茶話会に属し死去するまで在任した。 1926年(大正15年)4月、同月発足の太平洋問題調査会理事に就任。 1927年(昭和2年)、国際会議出席のための外遊中に悪性の猩紅熱に罹患し、帰国後の同年12月24日に死去。享年62。遺体は解剖に処され、脳は東京大学医学部に保存されている。墓所は台東区の谷中霊園。 沢柳政太郎は大正9年(1920年)の「小学教育学の建設」で次のように「教育の実験的研究の必要性」を述べている。 この学校は教育の実地的研究という使命を持って生まれたのである。 教育の改造を成し遂げるための実地研究をなすという目的を持って成立したものである。 私どもはささやかなる一私立校から、私どもの天分の許す限り、力のあらん限り努力して、必ず何ものかを小学教育の改造に寄与するつもりである。 そこで私は全国の教育者に対して、小学教育に関し研究を要する問題にして、法規上研究の自由を得られないものを、私どもに提示せられんことを望むのである。 私どもの研究するところは、すなわち小学教育の改造のためであり、全国の小学校に行われることを目途として努力している。 我が成城小学校は、小学教育の科学的研究のためにするという目的を持って生まれたのである。私は小学教育学は成城小学校の畑に種子がまかれ、芽を出し、生育せんことを望んでいる。しかし、どこで発生して生育してもよろしい。一日も速やかに小学教育の生まれ出でて健全なる発育を遂げんことを祈っている。 幾多の重要な問題が横たわっている。従来の教育学はそれらの実際問題・重要問題に触れずして過ぎ去った。 小学教育に関する数十数百の問題は、今日のところわずか常識的解釈を下すにとどまって、未だ一つも科学的研究を経たものが無いと言って良い。 教育学者で板倉聖宣と共に仮説実験授業を提唱し、実施、研究した庄司和晃は、この澤柳の宣言について、 と述べている。 モットーは「随時随所無不楽」(随時随所楽しまざる無し)。いつどんなときでも楽しみを見いだすことはできるの意。 文部官僚時代、釈雲照に師事して十善戒を授けられ、仏教思想に深く傾倒していた。日常生活でも、蚤を捕らえても縁側に逃がし、蚊が頬を刺しても団扇で払うに留めるなど、不殺生戒を守り生活していた。 文部官僚時代は官立至上主義で、自らの著書『退耕録』で私立大学出身者を罵倒したり、明治時代末期には私立大学撲滅を訴えたりと、筋金入りの「私立学校嫌ひ」(河岡潮風の評)であった。にもかかわらず、成城学校校長就任以降は、私学を積極的に奨励した。 酒を好まず、自ら禁酒運動の先頭に立つほどであった。しかし、教育のためならば融通の利く側面もあり、1895年に当時教師と学生の衝突や学生の飲酒など校風が荒れていた群馬尋常中学校の校長に就任した際は、赴任早々校長自ら運動場に酒樽を持ち出して鏡を抜き、「さあ、思う存分飲め。その代わり、明日からしっかり勉強せよ」と柄杓をすすめて学生の度肝を抜き、以後騒動を収めたという。 食にも頓着せず、成城小学校校長時代には、購買部の列に児童と一緒に並び、パンを買って昼食を済ませるという具合だった。しかし、教育視察や国際会議出席のため外遊する際は別で、日本が欧米列強の中で地位向上に努めていた時代の中、日本の代表者として侮られることのないよう、必ず一流ホテルや最上級船室を利用するよう心掛けていた。 「冷蔵庫の中にダイナマイトを入れているような男」と評されるほど、普段は冷静で穏やかだが、時に強い熱意や感情を表に出す人だった。文部官僚時代も、部下の失敗にも言い分を聞くのみで、滅多なことで叱責や処罰をしなかった。教科書検定に関連して、出版社の番頭が検定認可のために澤柳へ贈賄を図った際も、澤柳は「私にこんなものを持ってきても仕方ない」と静かに返した。ところが、澤柳の態度を見て、金額が少なすぎるのだと勘違いした番頭が翌日に倍の金額を包んで持参すると、即座に「馬鹿野郎!馬鹿にするな!」と包みを叩き付け、普段の態度を知る部下達を驚かせたという。 1891年(明治24年)12月21日 - 正七位 1904年(明治37年)2月10日 - 従四位 1908年(明治41年)9月30日 - 正四位 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等瑞宝章 1927年(昭和2年)12月24日 - 勲一等瑞宝章・帝都復興記念章 『公私学校比較論』哲学書院、1890年4月。NDLJP:808673。 『仏教道徳 十善大意』哲学書院、1890年11月。NDLJP:816667。 『教育者の精神』冨山房、1895年3月。NDLJP:809720。
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『近代「読書論」名著選集 第1巻』出口一雄監修、ゆまに書房、1994年4月。ISBN 9784896687835。 『太平洋の諸問題』太平洋問題調査会、1926年7月。NDLJP:1017974。 『仏遺教経』哲学書院、1891年2月。NDLJP:818169。 フランシス・リーバー『政治道徳学』 上巻、東京専門学校出版部〈早稲田叢書〉、1902年5月。NDLJP:783334。 フランシス・リーバー『政治道徳学』 下巻、東京専門学校出版部〈早稲田叢書〉、1902年5月。NDLJP:783335。 沢柳政太郎、三石賤夫『普通心理学』冨山房、1894年12月。NDLJP:759838。 沢柳政太郎、田中末広、長田新『児童語彙の研究』同文館、1919年5月。NDLJP:937842。
『文献選集教育と保護の心理学 明治大正期 第8巻』大泉溥監修、クレス出版、1987年12月。ISBN 9784877330217。 沢柳政太郎、衣斐釮吉『日華共存論』日華共存論発行所、1919年12月。NDLJP:958064。 『尋常小学国語読本の批評』同文館、1920年6月。NDLJP:937845。 三宅雄二郎、沢柳政太郎『露西亜承認論』東方時論社・政教社、1923年5月。NDLJP:965640。 沢柳政太郎・本田信教編 編『心理学』文学社、1890年9月。NDLJP:759702。 沢柳政太郎・本田信教編 編『倫理書』文学社、1891年8月。NDLJP:758621。 沢柳政太郎・広沢定中編 編『ペスタロッチ』金港堂、1897年1月。NDLJP:782446。 沢柳政太郎・岩垂憲徳編 編『修訂中等漢文備考』同文館、1913年4月。NDLJP:910684。 ヘルマン・ケルン 著、沢柳政太郎・立花銑三郎 訳『格氏普通教育学』冨山房、1892年12月。NDLJP:809232。
ヘルマン・ケルン 著、沢柳政太郎・立花銑三郎 訳『格氏普通教育学』(訂正増補3版)冨山房、1893年11月。NDLJP:1083267。 ヘルマン・ケルン 著、沢柳政太郎・立花銑三郎 訳『格氏普通教育学』(訂正増補4版)冨山房、1895年8月。NDLJP:1083268。 仲新・稲垣忠彦・佐藤秀夫編 編『近代日本教科書教授法資料集成 第3巻』東京書籍、1982年9月。 ヘルマン・ケルン 著、沢柳政太郎・立花銑三郎 訳『格氏特殊教育学』冨山房、1893年9月。NDLJP:809055。 『沢柳政太郎選集』 第1(教師及校長論)、第一書房。NDLJP:1071687。 『沢柳政太郎選集』 第2(実際的教育学)、第一書房。NDLJP:1071686。 『沢柳政太郎選集』 第3(学修法及前途の望)、第一書房。NDLJP:1071685。 『沢柳政太郎選集』 第4(我が国の教育)、第一書房。NDLJP:1071684。 『沢柳政太郎選集』 第5(退耕録及随感随想)、第一書房。NDLJP:1071683。 『沢柳政太郎選集』 第6(東亜の問題と欧米の教育)、第一書房。NDLJP:1071682。 『澤柳全集』 第1巻、澤柳全集刊行会、1925年5月。NDLJP:978984。 『澤柳全集』 第2巻、澤柳全集刊行会、1925年7月。NDLJP:978985。 『澤柳全集』 第3巻、澤柳全集刊行会、1925年9月。NDLJP:978986。 『澤柳全集』 第4巻、澤柳全集刊行会、1925年11月。NDLJP:978987。 『澤柳全集』 第5巻、澤柳全集刊行会、1925年12月。NDLJP:978988。 『澤柳全集』 第6巻、澤柳全集刊行会、1926年2月。NDLJP:978989。 『実際的教育学』国土社〈澤柳政太郎全集 1〉、1975年5月。 『修養と教育』国土社〈澤柳政太郎全集 2〉、1977年10月。 『国家と教育』国土社〈澤柳政太郎全集 3〉、1978年7月。 『初等教育の改造』国土社〈澤柳政太郎全集 4〉、1979年2月。 『道徳の本質と人生』国土社〈澤柳政太郎全集 5〉、1976年3月。 『教師と教師像』国土社〈澤柳政太郎全集 6〉、1977年5月。 『宗教と教育』国土社〈澤柳政太郎全集 7〉、1975年10月。 『世界の中の日本の教育 1』国土社〈澤柳政太郎全集 8〉、1976年9月。 『世界の中の日本の教育 2』国土社〈澤柳政太郎全集 9〉、1977年2月。 『随想・書簡・年譜・索引』国土社〈澤柳政太郎全集 10〉、1980年3月。 『澤柳政太郎研究』国土社〈澤柳政太郎全集 別巻〉、1979年5月。 「明治時代の建築としての議院建築」『建築雑誌』第289号、日本建築学会、1911年1月、9-15頁、NAID 110003810154。 「日本人の思考について」『心理研究』第10巻第55号、日本心理学会、1916年7月、1-13頁、NAID 130001726395。 ^ 小野健司 2003a. ^ 小野健司 2003b. ^ 『官報』第8324号、明治44年3月25日。 ^ 『官報』第232号、大正2年5月10日。 ^ なお、2014年に東北大学は、男女共同参画社会をめざす活発な取り組みの一助となるよう、アカデミアにおける男女共同参画の先駆として各分野で活躍し、多大な貢献をなした人々を選考し顕彰する制度として「澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞」(通称:澤柳記念賞)を創設している。 ^ 株式会社新潮社. “第12回 私大蔑視に対抗する「民衆の早稲田」 | 「反東大」の思想史 | 連載 | 考える人 | シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。知の楽しみにあふれたWebマガジン。 | 新潮社”. 考える人. 2020年3月14日閲覧。 ^ 『官報』第7950号、明治42年12月22日。 ^ 衆議院、参議院編 『議会制度百年史 : 貴族院・参議院議員名鑑』 大蔵省印刷局、1990年11月、ISBN 4171648114。 ^ 「恒久的な組織として設立、理事長に井上準之助」『東京日日新聞』1926年4月7日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.384 毎日コミュニケーションズ 1994年) ^ 庄司和晃 1965, pp. 411–412. ^ 庄司和晃 1965, p. 412. ^ 成城学園初等学校社会科研究部編『澤柳政太郎物語』24頁、成城学園初等学校出版部、2007年。 ^ 『朝日新聞』1924年10月21日付朝刊6面、同1925年12月1日付朝刊6面等 ^ 『全人教育』239号33頁、玉川学園、1969年。 ^ 『全人教育』273号37頁、玉川学園、1972年。 ^ 『全人教育』249号45頁、玉川学園、1970年。 ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。 ^ 『官報』第6181号「叙任及辞令」1904年2月12日。 ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。 ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。 ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」1927年12月28日。 ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。 『教育問題研究』第61号(沢柳政太郎記念号)、文化書房、1925年4月
「沢柳博士の人と事業」(三浦藤作編著 『教育界人物管見』 秀山堂文庫、1926年12月)
大日本学術協会編修 『日本現代教育学大系 第十巻 沢柳政太郎氏教育学 森岡常蔵氏教育学 倉橋惣三氏教育学 千葉命吉氏教育学』 モナス、1928年2月 / 日本図書センター、1989年11月、ISBN 482058474X 『帝国教育』第546号(沢柳会長を悼む)、帝国教育会、1928年2月
前掲 『教育史料雑考』 『全人』第19号(沢柳先生記念号)、イデア書院、1928年2月
『Rōmaji』第23巻第2号(Sawayanagi Hakushi Kinengō)、ローマ字ひろめ会、1928年2月 『禁酒之日本』第99号(沢柳政太郎先生追悼号)、日本国民禁酒同盟、1928年2月 『教育問題研究』第96号(沢柳校長追悼号)、文化書房、1928年3月
『学苑』第21号(沢柳博士追悼号)、学苑社、1928年3月 『帝国教育』第548号(沢柳博士追弔記念号)、帝国教育会、1928年4月 沢柳礼次郎著 『吾父沢柳政太郎』 冨山房、1937年10月 / 大空社〈伝記叢書〉、1987年9月 小原国芳、小林健三共著 『沢柳教育 : その生涯と思想』 玉川大学出版部、1961年12月初版 / 1963年4月改訂二版 『沢柳研究』創刊号-第19号、成城学園沢柳研究会、1971年6月-1973年8月 / 『沢柳政太郎研究』第20号-第38号、成城学園沢柳研究会、1973年8月-1978年3月 新田貴代著 『澤柳政太郎 : その生涯と業績』 成城学園澤柳研究会〈澤柳研究双書〉、1971年6月 鈴木美南子編著 『澤柳政太郎の仏教・宗教論』 成城学園澤柳研究会〈澤柳研究双書〉、1974年3月 成城学園澤柳政太郎全集刊行会編 『澤柳政太郎全集 別巻 澤柳政太郎研究』 国土社、1979年5月 庄司和晃著 『沢柳政太郎と成城教育』 成城学園澤柳研究会〈澤柳研究双書〉、1974年8月 北村和夫著 『大正期成城小学校における学校改造の理念と実践』 成城学園澤柳研究会〈澤柳研究双書〉、1977年11月 成城学園教育研究所編 『成城学園教育研究所研究年報 別巻 澤柳政太郎私家文書目録』 成城学園教育研究所、2002年3月 新田義之著 『澤柳政太郎 : 随時随所楽シマザルナシ』 ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2006年7月、ISBN 4623046591 今田述著 『ダルトンの谺 : 近代教育の先覚・澤柳政太郎の生涯』 文芸社、2012年11月、ISBN 9784286129068 新田義之著 『澤柳政太郎:その生涯と思想』 本の泉社、2014年4月、ISBN 9784780711523 小野健司「沢柳政太郎(1865-1927)の伝記(1)仮説実験的な教育研究の先駆者」『四国大学紀要.Ser.A 人文・社会科学編』第19巻、2003a、93-116頁。 国立国会図書館 小野健司「沢柳政太郎(1865-1927)の伝記(2)仮説実験的な教育研究の先駆者」『四国大学紀要.Ser.A 人文・社会科学編』第20巻、2003b、111-132頁。 国立国会図書館 庄司和晃「民主々義と教育研究」『科学教育研究双書 仮説実験授業』、国土社、1965年、411-414頁。
旧制高校 読み先習の法則 大正自由主義教育運動(新教育運動) 成城学園教育研究所 - 澤柳政太郎私家文書および旧蔵書を所蔵する。 「教育問題研究」全58巻 デジタル復刻出版(龍溪書舎) 帝国議会会議録検索システム - 国立国会図書館 近代日本人の肖像 澤柳政太郎 - 国立国会図書館 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム 創立者紹介 - 成城学園 澤柳政太郎 - 玉川大学・玉川学園 大日本教育会・帝国教育会東京府会員ファイル4 - 大日本教育会・帝国教育会の群像 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー 沢柳政太郎 表 話 編 歴 澤柳政太郎 1926-1927 事務取扱/校長 小原國芳 1928-1930/1930-1933 三沢糾 1933 児玉秀雄 1933 事務取扱/校長 銅直勇 1933-1934/1934-1943 事務取扱 藤田孝吉 1943 小出直三郎 1943-1947 事務取扱 高橋穣 1947-1949 武居文助 1949-1950 事務取扱 高橋穣 1950-1952 事務取扱 伊藤正一 1952 山崎匡輔 1952-1958 宮本和吉 1958-1961 事務取扱 妹尾一三 1961 高垣寅次郎 1962-1970 大林良一 1971-1973 大山俊一 1974-1978 三藤正 1978-1981 安藤良雄 1981-1985 代行/学長 宮崎孝一 1985/1985-1991 山田俊雄 1991-1994 南博方 1994-1999 横川新 1999-2001 我妻建治 2001-2007 清水眞澄 2007-2010 油井雄二 2010-2016 戸部順一 2016-2022 杉本義行 2022- カテゴリ メディア 成城大学 学校法人 学園長 人物 表 話 編 歴 初代 木下広次 1897-1907 事務取扱 久原躬弦 1907 第2代 岡田良平 1907-1908 第3代 菊池大麓 1908-1912 事務取扱/第4代 久原躬弦 1912/1912-1913 第5代 澤柳政太郎 1913-1914 事務取扱 荒木寅三郎 1914 第6代 山川健次郎 1914-1915 第7代 荒木寅三郎 1915-1929 第8代 新城新蔵 1929-1933 第9代 小西重直 1933 事務取扱 山本美越乃 1933 第10代 松井元興 1933-1937 第11代 濱田耕作 1937-1938 事務取扱 平野正雄 1938 第12代 羽田亨 1938-1945 第13代 鳥養利三郎 1945-1947 第13代 鳥養利三郎 1947-1951 第14代 服部峻治郎 1951-1953 第15代 瀧川幸辰 1953-1957 第16代 平澤興 1957-1963 第17代 奥田東 1963-1969 第18代 前田敏男 1969-1973 第19代 岡本道雄 1973-1979 第20代 沢田敏男 1979-1985 第21代 西島安則 1985-1991 第22代 井村裕夫 1991-1997 第23代 長尾真 1997-2003 第24代 尾池和夫 2003-2008 第25代 松本紘 2008-2014 第26代 山極寿一 2014-2020 第27代 湊長博 2020- 肥田昭作 1872 奥山政敬 1872-1873 奥山政敬 1873 学長/校長 奥山政敬 1873/1873-1874 奥山政敬 1874 奥山政敬 1874-1875 高橋是清 1875 高良二 1875-1879 綜理 服部一三 1879-1880 折田彦市 1880 折田彦市 1880-1885 折田彦市 1885 中島永元 1885-1886 中島永元 1886-1887 折田彦市 1887-1894 折田彦市 1894-1910 酒井佐保 1910-1918 事務取扱 高橋鉉太郎 1918-1919 金子銓太郎 1919-1922 森外三郎 1922-1931 溝淵進馬 1931-1935 事務取扱/校長 森総之助 1935/1935-1941 前田鼎 1941-1946 落合太郎 1946-1949 事務取扱 島田退蔵 1949-1950 松本信一 1939-1940 小川睦之輔 1940-1942 舟岡省五 1942-1944 舟岡省五 1944 木村廉 1944-1947 木村廉 1947-1948 平澤興 1948-1949 荻生規矩夫 1949-1952 カテゴリ メディア 京都大学 京都大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 職務代行者 佐藤昌介 1907-1910 事務取扱 岡田良平 1911 初代 澤柳政太郎 1911-1913 第2代 北条時敬 1913-1917 事務取扱 小川正孝 1917 第3代 福原鐐二郎 1917-1919 第4代 小川正孝 1919-1928 第5代 井上仁吉 1928-1931 第6代 本多光太郎 1931-1940 第7代 熊谷岱蔵 1940-1946 第8代 佐武安太郎 1946-1947 第8代 佐武安太郎 1947-1949 第9代 高橋里美 1949-1957 第10代 黒川利雄 1957-1963 第11代 石津照璽 1963-1965 事務取扱 元村勲 1965 第12代 本川弘一 1965-1971 事務取扱 水野弥彦 1971 第13代 加藤陸奥雄 1971-1977 第14代 前田四郎 1977-1983 第15代 石田名香雄 1983-1989 第16代 大谷茂盛 1989-1990 事務取扱 吉永馨 1990 第17代 西澤潤一 1990-1996 第18代 阿部博之 1996-2002 第19代 吉本高志 2002-2006 第20代 井上明久 2006-2012 第21代 里見進 2012-2018 第22代 大野英男 2018-2024 第23代 冨永悌二 2024- 学部長/主事 山形仲芸 1888/1888-1894 山形仲芸 1894-1901 心得/校長 山形仲芸 1901/1901-1912 山形仲芸 1912-1918 吉村寅太郎 1887-1894 吉村寅太郎 1894-1897 澤柳政太郎 1897-1898 菊池謙二郎 1898-1900 中川元 1900-1911 三好愛吉 1911-1915 武藤虎太 1915-1921 岡野義三郎 1921-1928 玉虫一郎一 1928-1932 阿刀田令造 1932-1943 野口明 1943-1949 事務取扱/校長 萩庭三寿 1949/1949-1950 中川謙二郎 1906-1910 事務取扱/校長 中川元 1910-1911/1911-1912 神谷竜彦 1912-1915 心得/主事 新保徳寿 1915/1915-1921 新保徳寿 1921-1934 鶴見一之 1934-1944 鶴見一之 1944-1945 田中正三郎 1945-1948 事務取扱/校長 内田黍郎 1948-1949/1949-1951 雀部顕宜 1926-1933 三矢英松 1933-1944 事務取扱 飯野哲二 1944-1945 羽生隆 1945-1949 高柳真三 1949-1951 近藤正二 1939 石川哲郎 1939-1941 八木精一 1941-1944 佐武安太郎 1944 佐武安太郎 1944-1946 佐藤彰 1946-1947 佐藤彰 1947-1948 黒川利雄 1948-1952 カテゴリ メディア 東北大学 東北大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 佐野善作 1920-1935 三浦新七 1935-1936 上田貞次郎 1936-1940 事務取扱/学長 高瀬荘太郎 1940/1940-1944 高瀬荘太郎 1944-1946 上原専禄 1946-1947 上原専禄 1947-1949 中山伊知郎 1949-1955 井藤半彌 1955-1959 山中篤太郎 1959-1961 高橋泰蔵 1961-1962 初代 中山伊知郎 1949-1955 第2代 井藤半彌 1955-1959 第3代 山中篤太郎 1959-1961 第4代 高橋泰蔵 1961-1964 第5代 増田四郎 1964-1969 事務取扱 村松祐次 1969 事務取扱 馬場啓之助 1969-1972 第6代 都留重人 1972-1975 事務取扱/第7代 小泉明 1975/1975-1977 事務取扱 宮澤健一 1977 第8代 蓼沼謙一 1977-1980 第9代 宮澤健一 1980-1983 第10代 種瀬茂 1983-1986 事務取扱/第11代 川井健 1986/1986-1989 第12代 塩野谷祐一 1989-1992 第13代 阿部謹也 1992-1998 第14代 石弘光 1998-2004 第15代 杉山武彦 2004-2010 第16代 山内進 2010-2014 第17代 蓼沼宏一 2014-2020 第18代 中野聡 2020- 矢野次郎 1876-1883 事務心得 南貞助 1883-1884 河上謹一 1884 矢野次郎 1884-1887 矢野次郎 1887-1893 事務取扱 和田垣謙三 1893 由布武三郎 1893-1895 小山健三 1895-1898 心得 神田乃武 1898 清水彦五郎 1898 事務取扱 手島精一 1898 事務取扱 高田早苗 1898 事務取扱 澤柳政太郎 1898-1899 駒井重格 1899-1901 事務取扱/校長 寺田勇吉 1901-1902/1902 寺田勇吉 1902 松崎蔵之助 1902-1909 事務取扱 真野文二 1909 事務取扱 澤柳政太郎 1909-1911 坪野平太郎 1911-1914 佐野善作 1914-1920 奈佐忠行 1920-1927 堀光亀 1927-1936 事務取扱 吉田良三 1936-1937 井浦仙太郎 1937-1938 藤本幸太郎 1938-1940 上原専禄 1940-1941 山口茂 1941-1943 主事/部長 増地庸治郎 1943-1944/1944 増地庸治郎 1944-1945 事務取扱/部長 鬼頭仁三郎 1945/1945-1946 山中篤太郎 1946-1947 山中篤太郎 1947-1949 山口茂 1949 中山伊知郎 1949-1951 増地庸治郎 1944 増地庸治郎 1944-1945 事務取扱/部長 鬼頭仁三郎 1945/1945-1946 カテゴリ メディア 一橋大学 一橋大学 人物 表 話 編 歴 事務取扱 桜井役 1949-1950 初代 森戸辰男 1950-1963 第2代 皇至道 1963-1966 事務取扱 小川二郎 1966 第3代 川村智治郎 1966-1969 事務取扱 三好稔 1969 第4代 飯島宗一 1969-1977 第5代 竹山晴夫 1977-1981 事務取扱 式部久 1981 第6代 頼實正弘 1981-1985 第7代 沖原豊 1985-1989 第8代 田中隆荘 1989-1993 第9代 原田康夫 1993-2001 第10代 牟田泰三 2001-2007 第11代 浅原利正 2007-2015 第12代 越智光夫 2015- 十時弥 1923-1932 新保寅次 1932-1934 事務取扱 石井忠純 1934 岡上梁 1934-1936 添野信 1936-1940 菊池清治 1940-1941 織田祐萠 1941-1943 安藤祐専 1943-1945 内藤匡 1945-1950 川口虎雄 1920-1936 長俊一 1936-1943 北沢忠男 1943-1944 北沢忠男 1944-1945 中江大部 1945-1951 事務取扱 森下重格 1945 勝盛豊一 1945-1951 事務取扱 澤柳政太郎 1902 北条時敬 1902-1913 幣原坦 1913-1920 吉田賢龍 1920-1934 武部欽一 1934 事務取扱 乾環 1934 塚原政次 1934-1945 近藤寿治 1945 事務取扱 鈴木敏也 1945 事務取扱 古賀行義 1945 長田新 1945-1949 事務取扱/校長 桜井役 1949/1949-1952 松尾長造 1945-1946 桜井役 1946-1952 初代 吉田賢龍 1929-1934 第2代 武部欽一 1934 事務取扱 乾環 1934 第3代 塚原政次 1934-1945 第4代 近藤寿治 1945 事務取扱 鈴木敏也 1945 事務取扱 古賀行義 1945 第5代 長田新 1945-1949 事務取扱 桜井役 1949-1950 第6代 森戸辰男 1950-1962 事務取扱 中村良三 1945 林道倫 1945-1946 事務取扱/校長 清水多栄 1946/1946-1952 事務取扱/学長 清水多栄 1947-1948/1948-1952 河石九二夫 1952-1956 西丸和義 1956 鈴木直吉 1956-1958 渡辺漸 1958-1960 塚本寛 1960-1961 カテゴリ メディア 広島大学 広島大学 前身諸機関 人物 表 話 編 歴 初代 三輪知雄 1973-1976 第2代 宮島龍興 1976-1980 第3代 福田信之 1980-1986 第4代 阿南功一 1986-1992 第5代 江崎玲於奈 1992-1998 第6代 北原保雄 1998-2004 第7代 岩崎洋一 2004-2009 第8代 山田信博 2009-2013 第9代 永田恭介 2013- 事務取扱/学長 柴沼直 1949/1949-1956 事務取扱 三輪知雄 1956 朝永振一郎 1956-1962 三輪知雄 1962-1968 三輪光雄 1968-1969 事務取扱/学長 宮島龍興 1969-1970/1970-1974 大山信郎 1974-1978 諸葛信澄 1873 学長/校長 諸葛信澄 1873/1873-1875 摂理 箕作秋坪 1875-1877 校長補 小沢圭二郎 1875-1877 秋山恒太郎 1877-1878 校長補/校長 伊沢修二 1878-1879/1879-1881 校務嘱託 西周 1881-1885 監督 森有礼 1885 高嶺秀夫 1881-1886 山川浩 1886 伊沢修二 1878-1879 折田彦市 1879-1880 平山太郎 1880-1881 小林小太郎 1881-1882 主幹/所長 西村貞 1882-1884/1884-1885 所長 野村彦四郎 1885-1886? 山川浩 1886-1891 心得/校長 高嶺秀夫 1891/1891-1893 心得/校長 嘉納治五郎 1893/1893-1897 河内信朝 1897 嘉納治五郎 1897-1898 矢田部良吉 1898-1899 事務取扱 後藤牧太 1899 伊沢修二 1899-1900 心得 後藤牧太 1900-1901 澤柳政太郎 1901 嘉納治五郎 1901-1902 嘉納治五郎 1902-1920 三宅米吉 1920-1929 事務取扱 松井簡治 1929 大瀬甚太郎 1929-1934 森岡常蔵 1934-1940 校長/事務取扱 河原春作 1940-1945/1945 務台理作 1945-1948 杉村欣次郎 1948-1949 事務取扱/校長 柴沼直 1949/1949-1952 横井時敬 1902-1919 横井時敬 1919-1922 沢村真 1922-1926 佐藤寛次 1926-1936 佐々木林治郎 1936-1937 佐藤寛次 1937-1939 上原種美 1939-1946 事務取扱 岡言智 1946 七沢甚喜 1946-1949 柴沼直 1949 七沢甚喜 1949-1952 北豊吉 1924-1932 事務取扱 山川建 1932-1934 岩原拓 1934-1939 所長/事務取扱 小笠原道生 1939-1941/1941 東龍太郎 1941-1942 河原春作 1942-1944 河原春作 1944 大谷武一 1944-1949 柴沼直 1949 大谷武一 1949-1950 野口源三郎 1950-1951 今村嘉雄 1951-1952 事務取扱/校長 松野憲治 1949-1950/1950-1951 事務取扱/校長 川本宇之介 1949-1950/1950-1951 三宅米吉 1929 事務取扱 松井簡治 1929 大瀬甚太郎 1929-1934 森岡常蔵 1934-1940 学長/事務取扱 河原春作 1940-1945/1945 務台理作 1945-1948 杉村欣次郎 1948-1949 事務取扱/学長 柴沼直 1949/1949-1956 事務取扱 三輪知雄 1956 朝永振一郎 1956-1962 舟木重彦 1947-1951 近藤春文 1951 大志万準治 1951-1953 伊東正勝 1953-1965 岡田温 1965-1969 太田和彦 1969-1973 齋藤毅 1973-1977 松田智雄 1978-1981 松田智雄 1979-1983 町田貞 1983-1987 藤川正信 1987-1991 小野寺和夫 1991-2005 吉田政幸 1995-2002 筑波大学 人物 カテゴリ メディア 表 話 編 歴 法理文三学部綜理 加藤弘之 1877-1881 医学部綜理 池田謙斎 1877-1881 加藤弘之 1881-1886 事務取扱 外山正一 1886 事務取扱 外山正一 1886 初代 渡辺洪基 1886-1890 第2代 加藤弘之 1890-1893 第3代 浜尾新 1893-1897 第3代 浜尾新 1897 第4代 外山正一 1897-1898 第5代 菊池大麓 1898-1901 第6代 山川健次郎 1901-1905 第7代 松井直吉 1905 第8代 浜尾新 1905-1912 事務取扱 桜井錠二 1912 第9代 山川健次郎 1913-1920 第10代 古在由直 1920-1928 第11代 小野塚喜平次 1928-1934 第12代 長与又郎 1934-1938 事務取扱 佐藤寛次 1938 第13代 平賀譲 1938-1943 事務取扱 寺沢寛一 1943 第14代 内田祥三 1943-1945 第15代 南原繁 1945-1947 第15代 南原繁 1947-1951 第16代 矢内原忠雄 1951-1957 第17代 茅誠司 1957-1963 第18代 大河内一男 1963-1968 事務取扱/第19代 加藤一郎 1968-1969/1969-1973 第20代 林健太郎 1973-1977 第21代 向坊隆 1977-1981 第22代 平野龍一 1981-1985 第23代 森亘 1985-1989 第24代 有馬朗人 1989-1993 第25代 吉川弘之 1993-1997 第26代 蓮實重彦 1997-2001 第27代 佐々木毅 2001-2005 第28代 小宮山宏 2005-2009 第29代 濱田純一 2009-2015 第30代 五神真 2015-2021 第31代 藤井輝夫 2021- 辻新次 1872 辻新次 1872 柳本直太郎 1872 副長 伴正順 1872-1873 学長/校長 伴正順 1873/1873 畠山義成 1873-1874 畠山義成 1874-1876 校長補 浜尾新 1875-1877 綜理 加藤弘之 1877 学長 長谷川泰 1872 学長/校長 相良知安 1872-1873/1873-1874 相良知安 1874 長与専斎 1874-1877 池田謙斎 1877 権頭/頭 楠田英世 1871-1873/1873-1875 第二局法学課長 杉山孝敏 1875-1877 学校課長 青山貞 1877-1879 学校課長/生徒課長 植村長 1879-1880/1880 生徒課長/第七局長 黒川誠一郎 1880-1881/1881-1884 書記局学務課長 加太邦憲 1884-1886 心得 加太邦憲 1884-1885 山尾庸三 1871-1872 権頭/頭 大鳥圭介 1875/1875-1877 大鳥圭介 1877-1882 大鳥圭介 1882 副長 竹田春風 1882-1886 関沢明清 1877-1882 関沢明清 1882-1885 岩山敬義 1885-1886 前田献吉 1886 松野礀 1881-1886 前田献吉 1886-1889 高橋是清 1889 前田正名 1889-1890 肥田昭作 1874-1876 服部一三 1876-1877 主幹 服部一三 1877-1879 主幹 浜尾新 1877-1880 主幹/予備門長 服部一三 1880-1881/1881-1882 杉浦重剛 1882-1885 事務取扱 小林小太郎 1885 心得/予備門長 野村彦四郎 1885-1886/1886 野村彦四郎 1886-1887 古荘嘉門 1887-1889 木下広次 1889-1893 嘉納治五郎 1893 心得 久原躬弦 1893-1894 心得/校長 久原躬弦 1894/1894-1898 澤柳政太郎 1898 狩野亨吉 1898-1906 事務取扱/校長 今村有隣 1906/1906 新渡戸稲造 1906-1913 瀬戸虎記 1913-1919 事務取扱/校長 菊池寿人 1919/1919-1924 杉敏介 1924-1929 森巻吉 1929-1937 橋田邦彦 1937-1940 事務取扱 佐久節 1940 安倍能成 1940-1946 事務取扱 日高第四郎 1946 天野貞祐 1946-1948 麻生磯次 1948-1949 矢内原忠雄 1949-1950 湯原元一 1921-1927 塚原政次 1927-1934 近沢道元 1934-1940 藤原正 1940-1945 峰尾都治 1945-1949 矢内原忠雄 1949-1950 高木貞二 1950-1951 塩谷不二雄 1939-1943 事務取扱/主事 颯田琴次 1943/1943-1944 部長/事務取扱 颯田琴次 1944-1947/1947 事務取扱 颯田琴次 1947-1952 カテゴリ メディア 東京大学 東京大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 成城大学 成城学園中学校高等学校 成城学園初等学校 成城幼稚園 成城大学短期大学部 アルザス成城学園 旧制成城高等学校 成城大学の人物一覧 澤柳政太郎 東京四大学 四大学運動競技大会 クローバーの集い FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 チェコ CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の教育学者 20世紀日本の教育学者 19世紀日本の教育者 20世紀日本の教育者 戦前日本の文部官僚 戦前日本の学者 貴族院勅選議員 昭和時代の貴族院議員 大正時代の貴族院議員 明治時代の貴族院議員 在職中に死去した日本の貴族院議員 東京都の市町村議会議員 一橋大学の教員 一橋大学学長 筑波大学学長 東京高等師範学校の教員 東北大学総長 京都大学総長 成城大学の人物 大正大学の人物 帝国教育会の人物 語学教育研究所の人物 東邦協会の人物 奈良女子高等師範学校の人物 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京都立日比谷高等学校出身の人物 大正自由教育運動の人物 正四位受位者 勲一等瑞宝章受章者 勲四等瑞宝章受章者 長野県出身の人物 幕末松本藩の人物 1865年生 1927年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat 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2024/11/20 00:22更新
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sawayanagi masatarou
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