浜崎あゆみの情報(はまさきあゆみ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
浜崎 あゆみさんについて調べます
■名前・氏名 |
浜崎あゆみと関係のある人
松田純一: 浜崎あゆみ「Daybreak(CREA + D.A.Iとの共作)」 ナジャ・グランディーバ: 2002年以降、浜崎あゆみやDREAMS COME TRUEのミュージック・ビデオに多数出演。 大澤亜季子: サンデースペシャル(浜崎あゆみ特集)(TOKYO FM、2009年2月1日)- ナビゲーター 桜井莉菜: 高校時代は時流を追う形で一年生時にアムラーとなり3年生時には浜崎あゆみに帰依した。 菊池一仁: ┗Depend on you(10th Anniversary version)(浜崎あゆみ『Mirrorcle World』(AVCD-31431,AVCD-31432)_M-3) しまだしゃちょー: 浜崎あゆみ「Dearest」に救われた。 大浦育子: 好きなアーティスト:浜崎あゆみ、JUJU、西野カナ、ソナーポケット、ナオト・インティライミ、Superfly レスリー・キー: 2002年、浜崎あゆみのアルバムやシングルのジャケット写真、カレンダー写真などを手掛けるようになる。 清原梨央: 好きな歌手は浜崎あゆみ、好きな芸人はサンドウィッチマン。 上野圭澄: 初動売上は約53万9000枚で、女性アーティストとしては宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、AKB48に続く4組目となる2作品連続初動売り上げ50万枚超えとなった。 忍成修吾: 浜崎あゆみ「About You」(2004年12月15日) 高木由麻奈: 初動売上は約53万9000枚で、女性アーティストとしては宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、AKB48に続く4組目となる2作品連続初動売り上げ50万枚超えとなった。 菊池一仁: ┗Eurosenti Mix(浜崎あゆみ『SUPER EUROBEAT presents ayu-ro mix』_M-4) 菊池一仁: ┗HEAVEN × DAISHI DANCE(浜崎あゆみ『ayu-mi-x 6 -SILVER-』_M-4) 菊池一仁: ┗Paranoid Android MIX(浜崎あゆみ『AUDIENCE』_M-6) たむたむ: 浜崎あゆみ 菊池一仁: ┗Traditional Mix(浜崎あゆみ『SUPER EUROBEAT presents ayu-ro mix 2』_M-5) 山下もえ: 初動売上は約53万9000枚で、女性アーティストとしては宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、AKB48に続く4組目となる2作品連続初動売り上げ50万枚超えとなった。 春名亜美: 「会えたら死んでもいい」というほどの浜崎あゆみの大ファンで、彼女のメイク、髪型などを「意識しているのではなく、真似している」と述懐した。 美元: 浜崎あゆみ 幹てつや: 2012年 - 主に浜崎あゆみのモノマネをする女性芸人・あゆとのコンビ『かりすま〜ず』を結成して活動。 篠崎正嗣: MY STORY Classical/浜崎あゆみ(2005) 内山麿我: 浜崎あゆみ「Wake me up」、「snowy kiss」(2012年12月8日) 菊池一仁: ┗RANK1 12" VOCAL(浜崎あゆみ『excerpts from ayu-mi-x III CD001 』_M-4) 萬雅之: 2時間スペシャル 浜崎あゆみ編(2019年10月11日) - 松浦勝人 役 小山田シン: 2001年に発売された浜崎あゆみのシングル「Dearest」のミュージックビデオに日本人カメラマンとして出演した。 岸野里香: オーディションの時に歌った歌は浜崎あゆみの「BLUE BIRD」である。 伊藤千晃: よく聴く音楽:浜崎あゆみ、globe 菊池一仁: ┗Far away(浜崎あゆみ『ayu-mi-x III Acoustic Orchestra Version』_M-6) ミラクルひかる: 浜崎あゆみ |
浜崎あゆみの情報まとめ
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ)さんの誕生日は1978年10月2日です。福岡出身の歌手のようです。
ロゴマーク、来歴などについてまとめました。現在、テレビ、ドラマ、映画、事件、卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。浜崎あゆみの現在の年齢は45歳のようです。
浜崎あゆみのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年〈昭和53年〉10月2日 - )は、日本の女性歌手。所属レーベルはavex trax。2000年前後に自身作詞でミリオンセラーを連発し、CD総売上枚数が5000万枚を越えて日本の歴代女性ソロアーティスト1位。愛称は「ayu」。 モデルや女優としての活動を経て事務所を移籍、1998年4月8日に1stシングル「poker face」でソロ歌手としてデビュー。歌手デビュー後の楽曲については、オリジナル曲は全て自身で作詞し、一部「CREA」名義で作曲も手がけている。 浜崎の歌詞は哲学的で、人々の心を救える影響力があり圧倒的支持を得た。 声質に倍音を持っており、高音共鳴が効いた幅広い音域で歌えるため、DTMとの相性が良く、多くのジャンルの曲を歌いこなせた。 楽曲、衣装、ミュージックビデオ、雑誌、CDジャケットのレイアウト、ライブ演出などビジュアルアートまで、本人が徹底して確認する。 おもに1999年 - 2000年代前半まで大ヒットを連発。2012年発売のベストアルバムリリースによりシングル・アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破、B'z、Mr.Childrenに続き、オリコン史上3組目、5年5か月振りの記録を達成。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしてはオリコン史上初の快挙であった。アジア圏で人気があり、世界で売れたアーティストのランキングにも入っている。 1999年1月発売のデビューアルバム『A Song for ××』が約145万枚を売り上げて歌手としてブレイクを果たすと女子中高生を中心に彼女のファッションやメイクを真似する若者たちが増え、マスコミなどから「女子高生のカリスマ」と呼ばれるようになった。ファッションリーダーとしてネイルアート、サングラス、豹柄などが流行し、社会現象となった。ベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている。 2001年3月期において、所属レコード会社エイベックス社の売上高・利益の4割を稼ぎ出し、同年秋にアルバムの発売延期の情報が流れただけで株価が下落するなど、同社の経営状態を左右するほど看板歌手としての浜崎の存在感は高まり、浜崎頼りの同社の経営体質の弱点が巷間で「あゆ依存」と揶揄された。 2004年にエイベックスの経営方針を巡って当時の専務松浦勝人と依田巽会長が争った際には、浜崎あゆみの言動が大きな影響を与えた。 ロゴマーク浜崎あゆみには、大文字の「A」を象ったロゴマーク(ブランドマーク)が存在する。 ロゴマークの原型が初めて登場したのは1999年8月11日に発売されたシングル『A』である。このシングルでは収録曲の「monochrome」「too late」「Trauma」「End roll」をそれぞれ1トラック目にしたシングルを用意した。 そこで「同じ曲が収録された異なるシングル」を表現する手段として、「A」をロゴ化してカラーバリエーションを用意した。この「A」のロゴマークは、浜崎のサインを基にデザイン事務所の「ライス」がデザイン化したもので、浜崎のサインでは「A」の先が尖らないことも考慮された。 その後、このときの「A」のロゴマークとそれを左右反転させたものを組み合わせて、現在のロゴマークが完成した。このロゴマークは、神社の鳥居のシルエットが着想になっている。 来歴1978年 - 1997年 キッズモデル、アイドル時代フラワーデザイナーである浜崎まり子の長女として生まれる。小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京のサンミュージック(現:サンミュージックプロダクション)を紹介され、所属することとなる。 1993年、14歳でテレビ朝日系テレビドラマ『ツインズ教師』でドラマ初出演し、女優としてデビュー。1994年、15歳で芸名を「浜﨑あゆみ」(『崎』の異体字『﨑』)に改名し、同年4月に堀越高等学校芸能活動コースに入学。16歳から17歳にかけて「渚のシンドバット」「未成年」や「闇のパープル・アイ」等テレビドラマ・映画に出演。 また「AYUMI」名義でアルバム「NOTHING FROM NOTHING」のリリース(1995年)なども行った。デビュー前から3本もCMが決まっていた。 1995年に当時可愛いと評判の店員として六本木のヴェルファーレに入り浸っており、そのVIPルームでエイベックス創業者であり当時専務だった松浦勝人と知り合う。その約1年後、浜崎が「エイベックスで(歌手を)やりたい」と口にしたことと、96年末にサンミュージックとの契約が切れたことをきっかけに、松浦からエイベックスに誘われる。 翌1997年夏、浜崎はボイストレーニングのため3ヶ月間ニューヨークへ渡り、エイベックスからの歌手として再デビューへの入念な準備が始まった。松浦曰く、浜崎は既にドラマに出演していたので、海外レッスンを経て昔のイメージを断ち切りたかった。当初は3 - 4人組のグループを結成し、ボーカルに浜崎を据えるつもりでいたが本人が断り、ソロになった。 1998年 - 2000年 歌手デビュー、怒涛のCDラッシュと大ブレイク、女子高生のカリスマへ1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で「浜崎あゆみ」として19歳で歌手デビュー。デビュー時からエイベックス内で巨大プロジェクトチームが立ち上がり、莫大な広告費と綿密な計画で2か月に1枚ずつCDがリリースされ、多くの化粧品会社や製菓メーカーなどとタイアップし、テレビ・雑誌などのメディアに短期間で掲出した。8月5日発売の3rdシングル「Trust」で初のトップ10入りを果たし18万枚を記録。この年だけで5枚のシングルをリリースし、徐々に浜崎あゆみの知名度・注目度が上がる。同年12月28日、ニッポン放送”浜崎あゆみのオールナイトニッポン”で初ラジオMCを務める番組中に浜崎を否定する人たちが電話をかけてきて話をすると、彼女は自らの生い立ちを語ることで相手をすっかり共感させて泣かせてしまう。その反響は凄まじく、翌日には浜崎の公式サイトの掲示板がパンクするほどであった。浜崎の言葉、経験から来る歌詞が説得力を増し、多くの若者たちを勇気づけた。命を救われた人だっていると投稿があった。 その結果、1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』がオリコンチャート1位を初獲得。渋谷の街を浜崎の顔で一色にするなど”街をジャックする斬新な宣伝方法”と”本人が手掛けた歌詞”が話題となり、自身初のミリオンセラーとなる。同年つんく♂プロデュースの4月14日発売の7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングルでも初のオリコンチャート1位を獲得。この頃から本人出演でJT「桃の天然水」、HONDA「ジョルノクレア」、花王「AUBE」、森永製菓「こんがりショコラ」などのCMに立て続けに出演し、7月14日発売の9thシングル「Boys & Girls」が3週連続1位を獲得、自身出演CM曲を4曲収録した翌8月11日発売の10thシングル「A(4曲A面)」がシングル扱いでは初のミリオンセラーを記録し、夏に大ブレイクを果たす。この年のリリースしたシングルを全て含む同年11月10日発売の2ndアルバム『LOVEppears』は同日発売の11thシングル「appears」と共に上半身裸で胸を髪で隠す白肌と黒肌のジャケットが話題となり、ダブルミリオンを記録。同年12月31日の『第50回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。この年だけで7枚のシングルにオリジナルアルバム2枚、リミックスアルバムなど毎月怒涛のリリースラッシュで他の追随を許さない勢いと露出量で一気にトップアーティストに躍り出た。この頃から女子高生・ギャルを中心にカリスマ的存在となり、浜崎のブレイクに伴い、ライヴ・コンサート・アーティストのグッズ・エッセイ・写真集など、広告代理店のような発想で音楽以外の利益を生み出すビジネスモデルも形が整っていった。 2000年4月より自身がセルフプロデュースを務める初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。同年、KOSE「VISSE」やTU-KAなどのCMキャラクターに起用されメディアにおける存在感を更に強め、4月から6月にかけて絶望三部作と称して3ヶ月連続でシングルをリリース。中でも、6月7日発売の16thシングル「SEASONS」は136万枚のミリオンセラーを記録。これらを収録した9月27日発売の3rdアルバム『Duty』は同時発売の17thシングル「SURREAL」と共に豹柄のジャケットやPVが大きな話題となり予約が殺到し、オリジナルアルバム自身最高の290万枚を記録。同年11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞した。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。同年12月13日発売の19thシングル「M」ではCREAとして初めて作曲を手掛け、マリア像を意識した衣装が話題となり132万枚のミリオンセラーを達成。同年12月31日には2度目の紅白出場と同時に、初のカウントダウンライブを開催。同年も7枚のシングルに6枚のアルバムをリリースし、CD総売上げ200億円を突破するなど人気は頂点に達していた。 2001年 - 2003年 A BEST発売、レコード大賞3連覇2001年2月28日には1stシングル「poker face」から8thシングル「TO BE」までの計8作品が12cmシングルとしてリミックスを追加して再発売され、オリコン週間ランキング20位 - 31位に全作がランクインし、いずれも売上を2-3万枚伸ばすなど人気絶頂ぶりを見せつけた。 同年3月28日、デビュー丸3年にして自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』の発売日にぶつけるなどの過去最大級規模のプロモーションを実施したことでマスコミによる連日の報道合戦となり、結果として自身最高の400万枚以上の売上を記録。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。この年リリースした作品は全て首位を獲得し、年末には75万枚を記録した9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞を初受賞し、3度目の紅白出場。12月12日には『songnation』に参加し、小室哲哉の作曲、自身の作詞のもとアメリカ同時多発テロ事件チャリティシングル「a song is born」をglobeのKEIKOとの共作でリリース。デビューからCDリリースラッシュの勢いを止めることなく同年もシングル6枚にアルバム5枚を発売し、史上初二年連続CD総売上げ200億円を突破した。 2002年1月1日発売の4thアルバム『I am...』がダブルミリオンを記録。『タイム』誌アジア版3月25日号の表紙を飾り、第一回MTV ASIA AWARDSで特別名誉賞を受賞。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション企画であり、同時に雑誌の別刊『浜崎共和国』を発売する。7月24日発売の27thシングル「H(3曲A面)」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会でのシングルミリオンセラーを記録(100万枚出荷記念版含む)。9月26日発売の28thシングルは、「Voyage」に合わせて6年ぶりに女優として演じた短編映画『月に沈む』が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組『ayu ready?』がスタートした。12月18日発売の5thアルバム『RAINBOW』では初の英語歌詞にも挑戦し、ミリオンセラーを記録。年末、67万枚を記録した「Voyage」で日本レコード大賞を2年連続で受賞し、4度目の紅白出場を果たす。 2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。この頃から歌番組などでコーラスがつくようになる。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum 〜30th single collection live〜』が行われた。12月17日に初のミニアルバム『Memorial address』を発売し、ミリオンセラーを記録。ボーナストラック以外の収録曲全てに対しプロモーション・ビデオが作られるなど億単位の制作費を投入し、この頃からプロモーション・ビデオの製作に力を入れるようになった。年末、37万枚を記録した11月6日発売の31stシングル「No way to say」で史上初のレコード大賞3連覇を達成し、5度目の紅白出場を果たす。 2004年 - 2006年 エイベックスお家騒動、歌手業専念期2005年には愛・地球博開会式第三部にて『a song is born』を披露。36thシングル「fairyland」で7度目の紅白出場。 2006年6月21日発売の40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する。同年8度目となるNHK紅白歌合戦では、11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。 2007年 - 2009年 A BEST 2発売、歌手デビュー10周年2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 -WHITE-』が発売された。オリコンチャート1位および2位を初登場で獲得。自身初のアジアツアー(香港、台湾、上海)を開催。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文楽(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみのシングル「Together When...」を発表。前年に続き、この曲で9度目の紅白に出場。 2008年4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE 〜ALL SINGLES〜』発売等、10周年記念の活動を行った。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。「Mirrorcle World」で10度目の紅白歌合戦に初のトップバッターとして出場。 2010年 - 2012年 50thシングル2010年、シングル50枚目の発売に向けて、作曲者を槇原敬之や、デビュー曲「poker face」などの作曲を手がけた星野靖彦や、活動再開をしたばかりの小室哲哉を作曲として迎え、3作連続シングルリリースし、『ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜』と題して、代々木体育館で7日間ツアーファイナルを開催した。8月より、日本のアーティストとしては初のデジタル3Dでのライブコンサート映画『A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜』が公開。12月には、浦田直也との共作「Dream ON」をリリース。浜崎が自分以外のアーティストの作品を手掛けるのは今回が初となった。 2012年8月8日、ベストアルバム『A SUMMER BEST』をリリース。このベストアルバムのリリースによりシングル、アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破し、B'z、Mr.Childrenに続き、オリコン史上3組目、5年5か月ぶりの記録を達成した。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしてはオリコン史上初の快挙であった。同年末、14回目の紅白歌合戦では自身初となる過去のヒットメドレーを披露。 2013年 - 2015年 歌手デビュー15周年2013年4月8日にデビュー15周年を迎え、それを記念して、2012年11月8日から2013年3月8日までの毎月8日に5ヶ月連続でリリースを行った。同年にはデビュー15周年を記念して『ayumi hamasaki 15th Anniversary TOUR 〜A BEST LIVE〜』を開催。同年末、15回目となる紅白歌合戦に出場し、6年連続でトップバッターとして2004年「INSPIRE」を披露。 2014年11月23日、15年連続で出場・史上最多となる6回のトップバッターを務め、番組功労者でもあったNHK紅白歌合戦の同年選考から漏れることがNHK側から事前に通達される。浜崎自身は「ひとつの終焉」と受け止め、同番組の卒業を自身のツイッターにて発表した。この頃からCDの制作に時間をかけるようになり、シングルのリリースを控え、アルバムに専念するようになる。 2015年4月22日、法務省の特別矯正監を務める杉良太郎の呼びかけで、刑務所や少年院へ慰問し講演、歌唱などを通じて受刑者の改善更生を図ることを目的とした同省初の「矯正支援官」に就任。 2016年 - 2018年 A BEST発売から15年、歌手デビュー20周年2016年3月28日、『A BEST』の発売から15周年を記念したリマスター盤の『A BEST -15th Anniversary Edition-』をリリース。年末恒例のカウントダウンライブの会場である国立代々木競技場第一体育館が、2017年春より約2年間の耐震補強工事のため使用ができず、同会場にてのカウントダウンライブが17年目である本年度の公演をもって一旦終了となった。 この頃からアルバムや新譜制作などを控え、ライブツアーやイベント等を中心に専念したり、InstagramなどSNSをメインに発信するようになる。 2018年4月にデビューから20周年を記念して、全国アリーナツアー『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018 〜POWER of MUSIC 20th Anniversary〜』が開催された。 2019年 - 小説『M 愛すべき人がいて』、歌手デビュー25周年2019年8月1日、浜崎あゆみおよび松浦勝人への取材を元にまとめた小松成美の小説『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)が発売され、初週3.8万部を売り上げた。同著を原作としたテレビドラマが2020年4月からテレビ朝日系で放送開始された。 2020年2月20日、全国ツアー「ayumi hamasaki TROUBLE TOUR 2020 A 〜サイゴノトラブル〜」を埼玉県三郷市でスタートさせたが、翌21日の同地での公演を最後に、新型コロナウイルス感染拡大を受けての開催自粛に入り、5月19日、最終的に残り全公演計36公演の中止が発表された。 2020年7月5日、ドラマ『M 愛すべき人がいて』の最終回に合わせて、約2年ぶりの新曲「オヒアの木」が配信限定リリース。この曲名は、浜崎オリジナル曲として初めての日本語タイトル。 2021年11月4日、右足首を骨折。6日、日本ガイシホール(名古屋)での「ayumi hamasaki ASIA TOUR 2021-2022 A 〜23rd Monster〜」の公演後に急な体調不良により病院に救急搬送され、アナフィラキシーショックとの診断を受けた。7日の同公演の開催は中止された。13日、「17LIVE 4th Anniversary meets 浜崎あゆみ総合プロデュース"シンガー発掘オーディション"」の最終審査会に審査員として参加し、仕事復帰した。16日、骨折した右足首の手術が終了し、退院したことを報告。 2023年1月25日、6年半振りとなるオリジナルアルバム『Remember you』を発売。オリコンチャートで6位を記録し、本人にとって54作目のアルバムトップ10入りとなり、女性アーティストによる「アルバム通算TOP10入り獲得作品数」は歴代1位タイから、歴代単独1位となった。4月8日、東京都・国立代々木競技場第一体育館にてデビュー25周年ライブ「ayumi hamasaki 25th Anniversary LIVE」を開催。 2023年7月8日から2024年3月24日までデビュー25周年を記念した、およそ3年半振りの全国47都道府県ホールツアー「ayumi hamasaki 25th Anniversary Live Tour」を開催。 2024/06/13 04:27更新
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hamasaki ayumi
浜崎あゆみと同じ誕生日10月2日生まれ、同じ福岡出身の人
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