田岡典夫の情報(たおかのりお) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
田岡典夫と関係のある人
神崎武雄: 田岡典夫(第16回直木賞を同時受賞した作家) |
田岡典夫の情報まとめ
田岡 典夫(たおか のりお)さんの誕生日は1908年9月1日です。高知出身の作家のようです。
著書などについてまとめました。父親に関する情報もありますね。
田岡典夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)田岡 典夫(たおか のりお、1908年9月1日 - 1982年4月7日)は高知県出身の小説家。 中国文学者・田岡嶺雲の甥。父親の田岡典章は東亞セメント専務、田岡式セメント石合資代表。母の田岡寿子は日本キリスト教婦人矯風会高知支部長。 土佐中学、高知一中(現高知県立高知追手前高等学校)、東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)中退を経て、1926年早稲田第一高等学院に入学するも中退。のちパリに遊学し、帰国後は6代目尾上菊五郎の俳優学校に学ぶ。 菊池寛と田中貢太郎に師事し、1943年に短篇『強情いちご』で直木賞受賞。戦時中は熱海市桃山に住み、近所の志賀直哉や広津和郎たちと交際。土師清二の紹介で長谷川伸に師事し、戦後は新鷹会に参加。山本周五郎からライバル視され、「ディレッタンティズムみたいなものから抜けきれない。そこが彼の長所であると同時に、短所になっている」と批評された。1979年『小説野中兼山』で毎日出版文化賞受賞。 著書しばてん 私家版 1938 武辺土佐物語 大日本雄弁会講談社 1942 九反帆口論 非凡閣 1943 土佐勤皇党外史 第1・2部 淡海堂 1943-1944 権九郎旅日記 土佐から江戸まで 大日本雄弁会講談社 1952 権九郎江戸日記 大日本雄弁会講談社 1952 南海水滸伝 世界社 1952 権九郎遍歴日記 大日本雄弁会講談社 1953 シャムの嵐 偕成社 1954 黄金の暦 豊文社 1954 権九郎帰国日記 大日本雄弁会講談社 1954 鍋墨長屋 同光社 1954 七彩の剣 同光社 1955 風折れ葦 土佐勤王党余聞 同光社 1955 鯰女房 東方社 1955 振袖天狗 同光社 1956 しばてん榎 同光社 1956 (大衆小説名作選) へのへの茂平 桃源社 1957 南洲西郷隆盛 講談社 1958 (少年少女日本歴史小説全集) 姫 逸文土佐日記 六興出版部 1958 ポケットに手を突っこんで 光書房 1958 シバテン群像 講談社 1959 (ロマン・ブックス) 四国路(編)宝文館 1959 (日本の風土記) 南国風土記 光書房 1959 のっそり浪人 桃源社 1961 腹を立てた武士たち 光風社 1965 漢楚軍談 偕成社 1969 かげろうの館 新潮社 1971 東海道中膝栗毛 歴史と文学の旅 平凡社 1973 小説 野中兼山 平凡社 全3巻 1978-1979 ととまじり 文壇片隅四十年 平凡社 1981.2 田岡典夫 高知県昭和期小説名作集9 高知新聞社 1994 田岡典夫集 リブリオ出版 1998.11 (ポピュラー時代小説) 2024/06/20 20:07更新
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taoka norio
田岡典夫と同じ誕生日9月1日生まれ、同じ高知出身の人
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