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石間秀機の情報 (いしまひでき)
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【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

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石間 秀機さんについて調べます

■名前・氏名
石間 秀機
(読み:いしま ひでき)
■職業
ミュージシャン
■石間秀機の誕生日・生年月日
1944年3月21日 (年齢80歳)
申年(さる年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
北海道出身

(昭和19年)1944年生まれの人の年齢早見表

石間秀機と同じ1944年生まれの有名人・芸能人

石間秀機と同じ3月21日生まれの有名人・芸能人

石間秀機と同じ出身地北海道生まれの有名人・芸能人


石間秀機と関係のある人

萩原健一: 映画「もどり川」BGM(1983年)篠原信彦、石間秀機と共作。


篠原信彦: 続いて1971年にはフラワー・トラベリン・バンドにサポート扱いとして参加、翌1972年には、チト河内、石間秀機、後藤次利等とトランザムを結成するなど、精力的に活動を続けた。


山内テツ: 2011年以降は表立った音楽活動を行なっておらず、2012年1月6日に原宿クロコダイルにて石間秀機、ジョニー吉長らとステージに立った以外はフェイセズ再結成への参加やメディアへの取材対応も一切断り、家族と共に静かに幸せな生活を送ってきた。


石間秀機の情報まとめ

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石間 秀機(いしま ひでき)さんの誕生日は1944年3月21日です。北海道出身のミュージシャンのようです。

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卒業、解散、脱退、映画、現在、事件に関する情報もありますね。石間秀機の現在の年齢は80歳のようです。

石間秀機のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、日本のロックギタリスト。インド音階を駆使したラーガ奏法のシタール奏者。北海道札幌市出身。以前は、「石間秀樹」や「石間ヒデキ」の芸名で活動していた。

高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年にGSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散

同年、内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(通称:FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。アルバムほぼ全曲の作曲を担当するなど、ボーカルのジョー山中とともに中心メンバーとして活躍した。

1973年、「フラワー・トラベリン・バンド」解散解散後はソロアルバム『ONE DAY』(石間ヒデキ名義)の製作・杉田二郎とのコラボレーションを行う。

1974年、チト河内・篠原信彦・後藤次利らとともにトランザムを結成。アルバム『トランザム』などを製作したが、翌年脱退。以後はソロのミュージシャンとして、ジョー山中などのアルバムに参加。

1980年、GS時代からの盟友・萩原健一と「ドンジュアンR&Rバンド」 を結成。精力的なライヴ活動を行う一方、『DONJUAN』(80)、『デランジェ』(82)などのアルバムを製作。

1983年、神代辰巳監督の映画『もどり川』の音楽を担当。1985年には、沢田研二とバンド「CO-CóLO」を結成。88年までにアルバムを3枚製作し、ツアーも積極的に行った。

1995年ごろにインドに渡る。

1998年インド・ビシュヌプール派最高峰のシタール奏者・パンディット・モニラグ・ナグと出会い、彼に師事。その後、シタールとギターを融合させたオリジナル楽器・シターラを開発し、シターラ・シタールによる本格的活動を開始。

2000年、篠原信彦とユニット「Pythagoras Party」を結成。屋敷豪太などを共演者に迎え、アルバム『MORE-ish』をリリース。

2002年、深町純・堀越彰とユニット「NEO.JP」を結成。

2007年、インストゥルメンタル・グループ「VIEW」を結成、現在もライブ活動を中心に精力的な活動を展開中。

2008年、フラワー・トラベリン・バンドでのオリジナルメンバーによる再始動を発表した。

60年代からのテレキャスター愛用者だが、フラワー・トラベリン・バンド時代はギブソンのレスポールも使用していた。2000年頃ネック部分にシタール、ボディ部分にギターを用いたオリジナル楽器「シターラ」を開発。これはシタールの奏法でギターサウンドを表現することを目的としたもので、普通のギターに比べてネックの幅はかなり広く、ボディの大部分は空洞になっている。チューニングは3音半下げで、6弦からA-D-G-C-E-A

バンドを組む前は、洋楽のコピーを沢山やっていた。だがある日、それでは追いつくことは出来ても、永遠に追い越すことは出来ないということに気づき、オリジナルを作るようになったという。フラワー・トラベリン・バンドの楽曲は、あくまでもやりたいことを自然にやっていた結果とのこと。

頭脳警察のパンタとは40年来の親交がある。英語詞が主体であったフラワー・トラベリン・バンドと、日本語ロックを標榜した頭脳警察とは、音楽的には対立する部分もあったが、ともに実力は認め合っており、石間は1972年の頭脳警察のアルバム『頭脳警察3』に楽曲参加している。

高崎晃、ROLLY、スウェーデンのプログレッシブ・メタルバンド・「オーペス」のリーダーのミカエル・オーカーフェルト は、自身が影響を受けたギタリストの一人に、石間の名前を挙げている

ONE DAY (1973年)- 「石間ヒデキ」名義、唯一のソロアルバム

切狂言(1970年)- クニ河内とかれのともだち(クニ河内、ジョー山中、石間秀樹)名義

瀬川洋 『ピエロ』 1972年

頭脳警察 『頭脳警察3』 #12「光り輝く少女よ」 1972年

杉田二郎 『夢袋』 1974年

中山ラビ 『ラビ 女です』 1975年

ジョー山中 『新しい世界へ』 1977年

クニ河内 『愛はまだ氷りついたまま』 1977年

佐々木久美 『長唄』 1978年

ジョー山中 『武道館ライブ』 1978年

宇宙循環 (1978年、篠原信彦とのユニット「BAND AIDE」名義)

ジョー山中 『GOIN' HOME 』 1979年

萩原健一と「ドンジュアンR&Rバンド 『DONJUAN』 1980年

萩原健一と「ドンジュアンR&Rバンド 『デランジェ』 1982年

根津甚八 『火男』 1982年

伊藤詳 『心気・japanesque - やすらぎの道』 1984年

ジョー山中 『REGGAE VIBRATION Ⅲ』 1984年

山崎ハコ 『光る夢』 1984年

佐藤隆 『日々の泡』 1986年

ふきのとう 『星空のページェント』 1986年

MORE-ish (2000年、篠原信彦、屋敷豪太、クマ原田とのプロジェクト「Pythagoras Party」名義)

クニ河内 『クニさんのまど まどさんのクニ』 2002年

PANTA 『波紋の上の球体』 2002年

PANTA 『2002 NAKED TOUR』 2003年

丸尾めぐみ 『VIBRA STAR~恒星奏振器』 #12「サイレント」 2004年

Damo Suzuki's Network 『Damo Suzuki's Network /11-06-10』 2011年

書を捨てよ町へ出よう (寺山修司監督、ATG、一部楽曲参加、1971年)

人妻集団暴行致死事件 (田中登監督、にっかつ、篠原信彦と共同担当、1978年)

もどり川 (神代辰巳監督、東宝東和、同上、1983年)

美加マドカ 指を濡らす女 (神代辰巳監督、にっかつ、同上、1984年)

ブラブラ男爵 (劇団天井桟敷、1970年) ※石間が当作品のために書き下ろした「親父なんか大嫌いだのロック」などの楽曲は、天井桟敷が参加した映画「書を捨てよ町へ出よう」(前出)でも使用された

『ミュージック・ライフ』1977年6月号

『YOUNG GUITAR』2004年10月号

難波弘之・井上貴子編『証言!日本のロック70's vol.2 ニュー・ミュージック~パンク・ロック編』2009年、アルテスパブリッシング

^ 萩原の自伝『ショーケン』(2008年 講談社)では『ドンジャン・ロックンロール・バンド』と呼ばれている(『ショーケン』P233)

^ 『毎日新聞』 2000年10月10日夕刊

^ 『読売新聞』2008年4月18日付夕刊6面

^ 『証言!日本のロック70's vol.2 ニュー・ミュージック~パンク・ロック編』

^ 『雷神〜Rising 高崎晃 自伝』 (2015年 リットー・ミュージック) pp53

^ 【ROLLY】僕が影響を受けたギター・プレイ10曲|MUSICSHELF

^ 『YOUNG GUITAR』2013年6月号

石間秀機HP

Flower Travellin' Band オフィシャルサイト

石間秀機 - Discogs(英語)

「It's Psychedelic Baby Magazine」のインタビュー記事(英語)

MusicBrainz

日本のギタリスト

札幌市出身の人物

1944年生

存命人物

MusicBrainz識別子が指定されている記事

2024/11/18 13:26更新

ishima hideki


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