もしもし情報局 > 1905年 > 9月23日 > 経営者、政治家

稲嶺一郎の情報 (いなみねいちろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

稲嶺一郎の情報(いなみねいちろう) 経営者、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

稲嶺 一郎さんについて調べます

■名前・氏名
稲嶺 一郎
(読み:いなみね いちろう)
■職業
経営者、政治家
■稲嶺一郎の誕生日・生年月日
1905年9月23日 (年齢1989年没)
巳年(へび年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
沖縄出身

稲嶺一郎と同じ1905年生まれの有名人・芸能人

稲嶺一郎と同じ9月23日生まれの有名人・芸能人

稲嶺一郎と同じ出身地沖縄県生まれの有名人・芸能人


稲嶺一郎と関係のある人

稲嶺恵一: 父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎


稲嶺一郎の情報まとめ

もしもしロボ

稲嶺 一郎(いなみね いちろう)さんの誕生日は1905年9月23日です。沖縄出身の経営者、政治家のようです。

もしもしロボ

結婚、卒業、現在に関する情報もありますね。1989年に亡くなられているようです。

稲嶺一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家、実業家。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。

1929年早稲田大学に入り、その後下宿先となった早稲田大学の恩師、西村眞次の長女と結婚卒業後は南満洲鉄道に入社。満鉄青年同志会に参加し、用務部長として十河信二や山崎元幹という満鉄有力者と個人的な関係を結んだ。満鉄駐在員としてバンコクに滞在し、タイの王族、華僑、現地有力者などとの間で親交を結ぶ。東南アジアの新しいリーダーと戦中に交際を深めたことが、戦後のアセアン人脈となる。

第二次世界大戦中は、海軍武官府に出向しインドネシアのジャカルタに赴任。敗戦後にはジャカルタ在住の沖縄県出身者コミュニティーの中心的人物となり、インドネシア人に漁業技術等を伝授。インドネシア独立戦争を支援した容疑でオランダ当局によって投獄された。

日本本土に帰国後は戦後すぐに結成された沖縄人連盟に参加し、英語能力を生かしGHQ琉球課との接触の窓口を勤める。GHQ琉球課長ウェッカリングの依頼を受け、戦後初めて沖縄人連盟を代表して、地上戦で荒廃した沖縄本島を1947年に訪問。沖縄県民から大歓迎を受ける。当時の沖縄本島は、米軍基地拡大により耕地を接収される一方、南洋群島や満洲から強制的に引揚民が帰還させられたため、過剰人口で溢れかえっていると稲嶺には見えた。ただし、引揚の積極推進を率先して行ったのは、当の沖縄人連盟であった。

そのため稲嶺は、沖縄県の復興を、戦前の最大の産業ともいうべき移民事業の再興によって、しかも、旧南洋諸島への再移民許可によって行うべしとする報告書をまとめ、琉球課に提出し受理される。米国海軍の反対でその案が否定されると、ブラジル・アルゼンチンへの移民送出事業のため、沖縄民政府を代表し南米視察に出かける。移民事業は、旧南洋群島と共にアメリカの信託統治領に沖縄県を編入して欲しいとする、稲嶺の考えを支える経済的社会的土台であった。稲嶺が移民へ深く係わったのは、大東亜共栄圏時代に人口再配置による計画経済の影響を受けたことと、戦前の沖縄県が移民を主産業として成立していた事実からであった。

屋良朝苗率いる沖縄教職員会主催の矢内原忠雄による1957年の沖縄訪問にも、移民事業は沖縄県再興の切り札として期待され、実際、ボリビア等に沖縄県民が送出された(オキナワ移住地)。後に、移民は瀬長亀次郎などの沖縄人民党から、「棄民」であるとの批判を浴び、日本本土への出稼ぎが本格化すると衰退していった。

1950年、琉球水産連合会会長の就任要請を受けて、沖縄へ帰還した。帰還後すぐに、「戦後復興を図るためには、石油製品の安定供給が必要だ。」と考え、石油販売権を握っていた米民政府と交渉し、民間移管の承認を得た。1950年9月に琉球石油(現在のりゅうせき)を創立、代表取締役社長に就任した。その後、正妻の内助の功に支えられながら、沖縄県随一の企業へと育て上げる。そこから得た収益を、沖縄産業振興や奨学金制度、国際親善に投入した。産業振興の功績として、大規模畜産業や柑橘類のタンカン(北部地域などでは“一郎ミカン”とも呼ばれる)、牧草用のネピアグラス、薬草のクミスクチン、黒真珠などが挙げられる。

1970年の国政参加選挙(第8回参議院議員補欠選挙)に自由民主党から参議院議員に当選。3期13年務め、沖縄県の発展に尽力。沖縄県保守勢力の中心的存在となる。議員時代は、海洋博覧会の誘致や沖縄自動車道の設置などに尽力した。

政界屈指のアセアン人脈の持ち主として知られた。独立闘争を支援したことから、インドネシアの建国記念式典に国賓待遇で迎えられたこともある。日本インドネシア友好団体協議会会長、日本カンボジア協会会長などの要職を歴任した。

1976年にサンパウロ市民文化章受章、同年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章、1988年に海外移住功労賞受賞、同年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。

1989年6月19日死去、83歳。死没日をもって従三位に叙される。

稲嶺一郎『世界を舞台に』(沖縄タイムス、1988年)

金城達己『ボリビアコロニア沖縄入植二十五年誌』(ボリビアコロニア沖縄入植二十五周年祭典委員会、1980年)

浅野豊美編『南洋群島と帝国・国際秩序』(慈学社、2007年)

若槻泰雄『発展途上国への移住の研究』(玉川大学出版部、1987年)

^ 『官報』第14949号7頁 昭和51年11月5日号

^ 『官報』号外第53号4頁 昭和63年4月30日号

^ 稲嶺 一郎. コトバンクより2022年12月15日閲覧。

^ 『官報』第134号12-13頁 平成元年7月5日号

佐藤尚武

野田俊作

櫻内辰郎

大隈信幸

有馬英二

徳川頼貞

佐藤尚武

石黒忠篤

山川良一

梶原茂嘉

小瀧彬

笹森順造

寺本広作

青柳秀夫

杉原荒太

鹿島守之助

草葉隆圓

木内四郎

近藤鶴代

井上清一

岡崎真一

黒川武雄

青柳秀夫

小柳牧衞

寺尾豊

木内四郎

赤間文三

三木與吉郎

山本利壽

長谷川仁

松平勇雄

八木一郎

平島敏夫

伊藤五郎

二木謙吾

高橋雄之助

寺本広作

安孫子藤吉

菅野儀作

石破二朗

秦野章

稲嶺一郎

増田盛

後藤正夫

平井卓志

最上進

宮澤弘

森山眞弓

堀江正夫

山東昭子

岡野裕

大鷹淑子

野沢太三

井上章平

田村秀昭

木庭健太郎

釘宮磐

寺澤芳男

大久保直彦

廃止

山本利寿

伊藤五郎

山本茂一郎

塚田十一郎

米田正文

長谷川仁

星野重次

金井元彦

古賀雷四郎

稲嶺一郎

岡田広

西村尚治

志村愛子

上田稔

大鷹淑子

佐々木満

板垣正

堀江正夫

夏目忠雄

矢野俊比古

川原新次郎

守住有信

田代由紀男

田沢智治

福田宏一

大浜方栄

木宮和彦

坪井一宇

成瀬守重

楢崎泰昌

志村哲良

中尾則幸

立木洋

笠井亮

沓掛哲男

佐藤雄平

本田良一

谷林正昭

木俣佳丈

高橋千秋

黒岩宇洋

市川一朗

中川雅治

岸信夫

猪口邦子

羽田雄一郎

林久美子

風間直樹

江崎孝

石田昌宏

藤井基之

石井浩郎

石橋通宏

小西洋之

鈴木宗男

榛葉賀津也

稲嶺一郎

喜屋武眞榮

照屋寛徳

西銘順志郎

糸数慶子

高良鉄美

喜屋武眞榮

大城眞順

島袋宗康

糸数慶子

島尻安伊子

伊波洋一

FAST

ISNI

VIAF

WorldCat

アメリカ

日本

CiNii Books

CiNii Research

沖縄県選出の参議院議員

自由民主党の参議院議員

昭和時代の参議院議員

20世紀日本の実業家

南満洲鉄道の人物

従三位受位者

勲一等瑞宝章受章者

勲二等瑞宝章受章者

日本の引揚者

早稲田大学出身の人物

沖縄県出身の人物

久米三十六姓出身の人物

1905年生

1989年没

プロジェクト人物伝項目

FAST識別子が指定されている記事

ISNI識別子が指定されている記事

VIAF識別子が指定されている記事

WorldCat Entities識別子が指定されている記事

LCCN識別子が指定されている記事

NDL識別子が指定されている記事

CINII識別子が指定されている記事

CRID識別子が指定されている記事

2024/09/23 09:11更新

inamine ichirou


稲嶺一郎と同じ誕生日9月23日生まれ、同じ沖縄出身の人

川平 慈英(かびら じえい)
1962年9月23日生まれの有名人 沖縄出身

川平 慈英(かびら じえい、Jay Kabira、1962年9月23日 - )は、沖縄県那覇市出身のタレント、スポーツキャスター、ナレーター、俳優。 熱狂的なサッカー好きとしても知られ、主にテレビ朝…

島袋 優(しまぶくろ まさる)
1968年9月23日生まれの有名人 沖縄出身

BEGIN(ビギン)は、日本のアコースティック・バンド。1988年に沖縄県石垣島出身の比嘉栄昇、島袋優、上地等の3人で結成され、1990年にデビュー。『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場した。1990…

普天間 かおり(ふてんま かおり)
1973年9月23日生まれの有名人 沖縄出身

普天間 かおり(ふてんま かおり、本名同じ、1973年9月23日 - )は、沖縄県中頭郡中城村出身の歌手、シンガーソングライター。旧芸名、本間 かおり(ほんま かおり)。 琉球王朝の流れを汲む家系に…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


稲嶺一郎と近い名前の人

稲嶺 進(いなみね すすむ)
1945年7月17日生まれの有名人 沖縄出身

稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17日 - )は、日本の政治家。元沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県国頭郡久志村(現:名護市字三原)生まれ。久志村立三原小学校、琉球政府立宜野座…

稲嶺 恵一(いなみね けいいち)
1933年10月14日生まれの有名人 沖縄出身

母方祖父・西村眞次 稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者…

稲嶺 茂夫(いなみね しげお)
1978年8月13日生まれの有名人 神奈川出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 稲嶺 茂夫(いなみね しげお、1978年8月13日 - )は、神奈川県平塚市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、横浜DeNAベイスタ…

稲嶺 誉(いなみね ほまれ)
1980年10月21日生まれの有名人 沖縄出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 稲嶺 誉(いなみね ほまれ、1980年10月21日 - )は、沖縄県糸満市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、コーチ。現在は福岡…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
稲嶺一郎
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント)

グループ

でんぱ組.inc Especia Silent Siren Prizmmy☆ ライムベリー 乙女新党 LinQ 愛乙女★DOLL 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「稲嶺一郎」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました