米満達弘の情報(よねみつたつひろ) レスリング 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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米満達弘の情報まとめ
米満 達弘(よねみつ たつひろ)さんの誕生日は1986年8月5日です。山梨出身のレスリングのようです。
引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。米満達弘の現在の年齢は38歳のようです。
米満達弘のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)米満 達弘(よねみつ たつひろ、1986年8月5日 - )は、日本の元レスリング選手、指導者。陸上自衛隊朝霞駐屯地・自衛隊体育学校に所属する自衛官である。階級は1等陸尉。 山梨県富士吉田市出身。山梨県立韮崎工業高等学校、拓殖大学政経学部卒。 2008年全日本学生選手権フリースタイル66kg級で優勝して文部科学大臣杯を獲得し、天皇杯全日本選手権でも優勝。 2009年はヤシャ・ドク国際大会優勝、世界選手権にも出場し、銅メダルを獲得。 2010年世界選手権は23位と振るわなかったが、アジア競技大会ではフリースタイルとしては1994年広島大会62kg級の和田貴広以来16年ぶりとなる金メダルを獲得。翌、2011年9月にイスタンブールで開催された世界選手権でも和田以来16年ぶりの銀メダルを獲得し、ロンドンオリンピックの日本の出場枠を獲得した。12月に開催された全日本選手権でも優勝してロンドンオリンピック代表に決定した。 2012年8月12日、ロンドンオリンピック最終日に行われたフリースタイル66kg級に登場し、初戦で2011年世界選手権銅メダリストのリバン・ロペス(キューバ)に2-0で勝利すると、続く準々決勝のハイスラン・ベラネス(カナダ)は第1ピリオドを延長戦の末取られたが、その後2ピリオドを連取して2-1で逆転勝利。準決勝のジャブライル・ハサノフ(アゼルバイジャン)戦も2-0で勝利して決勝に進出すると、スシル・クマール(インド)にも2-0で勝利し、レスリング競技日本男子勢としては1988年のソウルオリンピックフリースタイル48kg級の小林孝至とフリースタイル52kg級の佐藤満以来6大会24年ぶりとなる金メダルを獲得した。同年、紫綬褒章を受章。(現役の自衛官としては史上初の受章)埼玉県から彩の国功労賞を受賞。 米満が獲得した金メダルは、日本オリンピック史に於いては1912年のストックホルムオリンピックに初参加して以来、夏季通算400個目のメダルであると同時に、夏季オリンピック通算130個目の金メダルというメモリアル・メダルとなっただけでなく、ロンドンオリンピック日本選手団が今大会で獲得したメダル合計数が38個になり、過去最高だった2004年アテネオリンピックの37個を更新するものともなった。また開会式を除くすべての日でメダルを獲得したことになった。山梨県出身の人物はこれまで個人でオリンピックメダルを獲得したことがなく、米満は山梨県出身者として初めての個人競技でのメダリストとなった。 ロンドン五輪後の活躍も期待されたが、度重なるけがで試合にも出られない状態が続いた。さらに2013年末の国際レスリング連盟の制度変更により、所属階級の66kg級が消滅。新規階級の65kgとは1kgの差とはいえ、これ以上の減量は厳しいとの判断もあり、2015年1月、競技引退を表明。同月22日に引退会見を開き、米国への留学などで経験を積み、指導者としてレスリング界に恩返しをしたいと抱負を語った。同年8月より、日本オリンピック委員会の研修プログラムで米国留学中(2年間の予定)。 2016年9月26日、日本レスリング協会理事会で2017年からレスリング男子フリースタイルのコーチとして指導に当たることとなった。 通常の人間は身長とリーチはほぼ等しい長さとされるが、身長168cmの米満はリーチが184cmもあり、これが相手と戦う上で最大の武器となっている。 矢部浩之と青木裕子のプロポーズの瞬間が金メダルを獲得した時だったと明かした。 ロンドンオリンピックのボクシングで銅メダリストになった清水聡とは陸自の同期にあたる。 中学時代は柔道部に所属し、同郷で同い年の嶋佐和也(ニューヨーク)と対戦した経験を持つ。 ^ “米満達弘選手来庁”. 富士吉田市 (2012年3月1日). 2012年8月12日閲覧。 ^ "最強 練習あるのみ レスリング米満" 2012年8月13日付朝日新聞朝刊(大阪本社13版)29面 ^ 米満 圧勝で男子の五輪代表第1号に決定 スポーツニッポン 2011年12月23日 ^ “レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月4日). 2020年11月14日閲覧。 ^ 米満が金メダル!日本男子レスリング24年ぶり快挙 スポーツニッポン2012年8月12日 ^ “褒章 内村選手たちメダリストも喜び”. NHK NEWSweb (2012年11月2日). 2012年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月30日閲覧。 ^ “日本、7個目の「金」 メダル38個は史上最多”. 産経新聞. (2012年8月12日). https://web.archive.org/web/20120813052233/http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120812/otr12081222250014-n1.htm 2012年8月15日閲覧。 ^ 団体では1964年東京オリンピック女子バレーボールで河西昌枝が金メダルを獲得している。 ^ 日本のオリンピック初出場から100年。 全国47都道府県・個人競技メダル獲得ランキングp4- ダイヤモンド・オンライン ^ 【レスリング】ロンドン五輪金・米満引退、指導者目指し米国留学へ(スポーツ報知, 2015年1月22日付) ^ レスリング:「感謝と恩返し」米満達弘が引退会見(毎日新聞, 2015年1月22日付) ^ ロンドン金メダルの米満達弘さん(自衛隊)が米国コーチ留学に出発(日本レスリング協会公式サイト) ^ “吉田沙保里、日本代表コーチに就任 現役は続行”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASJ9V6FXNJ9VOIPE027.html 2016年9月26日閲覧。 ^ 米満リーチ184センチ既製服は腕足りず - 日刊スポーツ ^ 矢部浩之:青木アナを後ろから抱きしめプロポーズ“生再現” - スポーツニッポン ^ 富士吉田市役所facebookより、2016年10月21日掲載 男子レスリング選手一覧 山梨県出身の人物一覧 米満達弘 - International Wrestling Database (英語) 米満達弘 - Olympedia(英語) 表 話 編 歴 1904 Otto Roehm (USA) 1908 George de Relwyskow (GBR) 1920 Kalle Anttila (FIN) 1924 ラッセル・ビス(英語版) (USA) 1928 Osvald Käpp (EST) 1932 Charles Pacôme (FRA) 1936 Károly Kárpáti (HUN) 1948 Celal Atik (TUR) 1952 Olle Anderberg (SWE) 1956 エマムアリ・ハビビ (IRI) 1960 シェルビー・ウィルソン(英語版) (USA) 1964 Enyu Valchev (BUL) 1968 アブデュラ・モバヘッド (IRI) 1972 ダン・ゲイブル (USA) 1976 パベル・ピニギン (URS) 1980 サイプラ・アブサイドフ (URS) 1984 柳寅卓 (KOR) 1988 アルセン・ファザエフ (URS) 1992 アルセン・ファザエフ (EUN) 1996 ワジム・ボギエフ (RUS) 2000 ダニエル・イガリ (CAN) 2004 エルブラス・テデエフ (UKR) 2008 ラマザン・シャヒン (TUR) 2012 米満達弘 (JPN) 2016 ソスラン・ラモノフ(英語版) (RUS) 2020 乙黒拓斗 (JPN) 2024 清岡幸大郎 (JPN) この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 日本の男子レスリング選手 オリンピックレスリング日本代表選手 レスリングのオリンピックメダリスト 日本のオリンピック金メダリスト アジア競技大会レスリング日本代表選手 日本のアジア競技大会金メダリスト 陸上自衛官 自衛隊出身のスポーツ選手 日本のレスリング指導者 日本の男子柔道家 紫綬褒章受章者 拓殖大学出身の人物 山梨県出身の人物 1986年生 存命人物 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるWrestling Database ID すべてのスタブ記事 格闘技関連のスタブ項目
2024/11/18 01:35更新
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yonemitsu tatsuhiro
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