芦田淳の情報(あしだじゅん) ファッションデザイナー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
芦田 淳さんについて調べます
■名前・氏名 |
芦田淳と関係のある人
芦田多恵: “ジュン アシダの新社長に山東氏、芦田淳氏は会長に”. WWD JAPAN.COM. (2013年10月7日). http://www.wwdjapan.com/business/2013/10/07/00007370.html 2013年12月27日閲覧。 芦田多恵: 1964年、ファッションデザイナー芦田淳の次女として東京に生まれる。 平澤貞昭: “芦田淳さんら4028人 秋の叙勲”. 共同通信 (2006年11月2日). 2013年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。 角川歴彦: デザイナー芦田淳とは親友。 マルコム=フレーザー: “芦田淳さんら4028人 秋の叙勲”. 共同通信 (2006年11月2日). 2013年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。 中村祐介: 芦田淳2018-19秋冬コレクション 音楽 作曲、編曲(2018年) |
芦田淳の情報まとめ
芦田 淳(あしだ じゅん)さんの誕生日は1930年8月21日です。京都出身のファッションデザイナーのようです。
兄弟、父親、家族、卒業に関する情報もありますね。2018年に亡くなられているようです。
芦田淳のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日)は、日本のファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。 上皇后美智子の皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている。アトランタオリンピック日本選手団の公式ユニフォームや、全日空など有名企業の制服も多数手かげた。師匠はイラストレーターの中原淳一。 1930年、日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもとに生まれる。本名は淳(あつし)。8人兄弟の末っ子で、当時、父親は京都府丹後地方の実家から日本統治下の朝鮮に渡り病院を開業していた。1941年、父親の急逝を受け家族で日本に引き揚げる。1950年、東都高等学校(現・東京高等学校)卒業。その後、中原淳一に師事、2年間秘書を務める。 1960年、髙島屋の顧問デザイナー(1975年まで)、帝人の顧問デザイナーに就任。1963年、有限会社テル工房(現:ジュン アシダ)をオープン、プレタポルテの製作販売を始める。1966年、当時の皇太子妃美智子の専任デザイナーとなる。以降、1976年まで10年間務める。1976年、銀座みゆき通りに、自社ビル店鋪「ブティック・アシダ銀座」をオープン。1977年、パリ事務所を開設。1977年から1979年までパリ・コレクションに参加。1978年、テル工房を株式会社ジュンアシダに変更。1989年、パリのフォーブル・サントノーレ街にブティック「アシダパリ」をオープン。 1993年、皇太子徳仁親王妃雅子の御成婚衣装を拝命。1993年、代官山フォーラムに「ブティック・アシダ本店」オープン。1994年、広島アジア大会、日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。1994年、社団法人科学技術国際交流センターに芦田基金を設立。1996年、アトランタオリンピック、日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。2001年、会社の生産管理・縫製部門を分社し、株式会社ジュンアシダ生産本部を設立。 2013年10月4日、会社設立50年を迎え、後事を女婿である山東英樹に託し株式会社ジュンアシダ代表取締役会長に退いた。2018年10月20日21時32分、肺炎のため東京都の自宅で死去。88歳没。 妻は株式会社ジュンアシダ代表取締役会長の芦田友子(あしだ ともこ、1933年1月22日 - )。次女は同じくファッションデザイナーの芦田多恵。次女の夫は参議院議員山東昭子の甥。 全日空 - 4代目(1970年-1974年)、7代目(1982年-1990年)、8代目(1990年-2005年)。 帝国ホテル - 1990年-2007年8月。 1971年 - FEC(ファッション・エディターズ・クラブ)賞 1987年 - イタリア、功労勲章カバリエーレ章 1991年 - 紫綬褒章 2000年 - フランス、国家功労勲章オフィシエ章 2003年 - イタリア、功労勲章カヴァリエーレ・ウフィチャーレ章 2006年 - 旭日中綬章 2006年 - ルクセンブルク、国家功労章オフィシエ章 2010年 - フランス、芸術文化勲章オフィシエ 『僕は、ヤングマン』文化出版局、1986年 『Jun Ashida : デザイナーの30年』婦人画報社 1993 『髭のそり残し』徳間文庫、1998 角川学芸出版、2013年。ISBN 978-4046532855。 『透明な時間』角川学芸出版、2010年。ISBN 978-4046214560。 『人通りの少ない道-私の履歴書』 日本経済新聞出版社、2011年。ISBN 978-4532316617。 写真集 『jun ashida-デザイナーの30年』 婦人画報社、1993年。ISBN 978-4573141124。 ^ http://www.tokyo-hs.ac.jp/sub15.html ^ “デザイナーの芦田淳さん死去 皇族の服も手がける”. 朝日新聞. (2018年10月22日). https://www.asahi.com/articles/ASLBQ5J2VLBQUCLV01G.html 2018年10月22日閲覧。 ^ “裏読みWAVE デザイナー50年回想「運命を分けた決断」芦田淳”. 日本経済新聞. (2013年10月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFE0703K_X01C13A0000000/ 2013年12月27日閲覧。 ^ “芦田淳さんが死去 ファッションデザイナー”. 日本経済新聞. (2018年10月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36762780S8A021C1CC1000/ 2020年2月14日閲覧。 ^ “ジュン アシダ、創造と経営の両立難しいファッション業界で成功した“異端児”社長退任”. ビジネスジャーナル. (2013年12月27日). http://biz-journal.jp/2013/12/post_3711.html 2013年12月27日閲覧。 ^ 「私の履歴書 芦田淳」 『日本経済新聞』 2009年8月1日 ^ 「芦田淳」『講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」』。https://kotobank.jp/word/%E8%8A%A6%E7%94%B0%E6%B7%B3。コトバンクより2022年4月1日閲覧。 ^ 訃報 芦田淳さん88歳=ファッションデザイナー. 2022年4月1日閲覧 ^ 〈ファッションニュース〉貫いた美意識、優雅さの源。芦田淳さん、60年にわたり活躍. 2022年4月1日閲覧 ^ 芦田基金運営事業. 2022年4月1日閲覧 ^ 芦田淳さん死去=ファッションデザイナー、88歳 - 時事ドットコム 2018年10月22日 ^ “芦田淳さんら4028人 秋の叙勲”. 共同通信 (2006年11月2日). 2013年2月16日閲覧。 アーカイブ 2013年12月27日 - ウェイバックマシン ^ “デザイナーの芦田淳氏が芸術文化勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月28日閲覧。 JUN ASHIDA official web site 芦田淳 - NHK人物録 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 SNAC 日本のファッションデザイナー 旭日中綬章受章者 紫綬褒章受章者 国家功労勲章受章者 芸術文化勲章受章者 皇室御用達の業者 私の履歴書の登場人物 東京高等学校出身の人物 全州市出身の人物 1930年生 2018年没 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/22 18:28更新
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ashida jun
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