花山信勝の情報(はなやましんしょう) 仏教学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
花山 信勝さんについて調べます
■名前・氏名 |
花山信勝と関係のある人
三上寛: 南京の真実 第1部「七人の死刑囚」(2008年、チャンネル桜エンタテインメント / 監督:水島総) - 花山信勝 板垣征四郎: 死刑が宣告された後、板垣は教誨師の花山信勝に対して以下のように語った。 松井石根: 松井は昭和23年(1948年)12月9日、巣鴨拘置所において、教誨師花山信勝に次の言葉を残した。 小林弘忠: 『巣鴨プリズン 教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』1999.1 (中公新書) のち文庫 小野清一郎: 『日本仏教の歴史と理念』 小野清一郎・花山信勝 共編、明治書院、1940年 広田弘毅: 巣鴨拘置所に自由に出入りし得た唯一の日本人である花山信勝の著『平和の発見-巣鴨の生と死の記録』によると花山が絞首刑前の感想を求めたところ「すべては無に帰して、言うべきことは言ってつとめ果たすという意味で自分は来たから、今更何も言うことは事実ない。 小野清一郎: 『日本仏教の歴史と理念』 小野清一郎・花山信勝 共著、明治書院、1957年 笹野高史: 落日燃ゆ(2009年、テレビ朝日) - 花山信勝 東條英機: 死刑判決当時、巣鴨拘置所では教誨師として花山信勝が付いていた。 |
花山信勝の情報まとめ
花山 信勝(はなやま しんしょう)さんの誕生日は1898年12月3日です。石川出身の仏教学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。1995年に亡くなられているようです。
花山信勝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)12月3日 - 1995年(平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。東京大学名誉教授。 1898年、石川県金沢市で生まれた。第四高等学校を卒業し、東京帝国大学印度哲学科に進学。卒業後に同大学大学院に進んで日本仏教史を専攻した。 修了後は東洋大学教授に就いた。後に東京大学文学部教授、國學院大學教授を務めた。1935年、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。1942年、学位論文『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』を提出して文学博士号を取得。 1946年2月より、東大教授を務める一方で巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら7人のA級戦犯の処刑に立ち会った。その時の模様を『平和の発見:巣鴨の生と死の記録』に記した。東條は「米国憲兵と一緒に合掌するのも仏縁だね」と笑っていた、と書き残している。なお被告の重光葵の手記『巣鴨日記』には、長期間の収監で精神的に消耗していた被告たちにとって、花山との接触はひとつの救いでもあった、という旨の記述がある。 宗門においては、金沢市の浄土真宗本願寺派・宗林寺住職を務めた。1995年に死去。 1935年:学士院恩賜賞を受賞。 長男:花山勝道は金沢市の浄土真宗本願寺派宗林寺・住職。 次男:花山勝友も仏教学者。武蔵野女子大学副学長などを務めたが、父の後を追う形で同じ1995年6月に病没した。なお、次男勝友や門下生達との座談会での回想が「花山信勝博士を囲んで」『東方学回想Ⅵ 学問の思い出 2』にある。 『聖徳太子御製 法華義疏の研究』東洋文庫 1933 『聖徳太子の仏教』仏教年鑑社 1936 『聖徳太子と日本文化』日本文化協会(日本精神叢書) 1937 『日本の仏教』内閣印刷局(国体の本義解説叢書) 1942 『憲法十七条の精神』厚徳書院 1943 『日本仏教』三省堂 1944 『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』岩波書店 1944 『白道に生きて』(顕真叢書 1) 北方出版社 1948 『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』朝日新聞社 1949
新版 2017年 改題改訂『平和の発見』百華苑 1970 再版『平和の発見』1993 『巣鴨の生と死:ある教誨師の記録』中公文庫 1995 La via della pace - Tre anni nelle prigioni di Sugamo con i criminali di guerra giapponesi (Biblioteca mondiale Bocca, Scrittori Giapponesi 1); Milano, Fratelli Bocca Editori,1954; Traduzione di Giuseppe Morichini ジュセッペ・モリキーニ. La Voie de l'éternité: Comment surent mourir les criminels de guerre japonais; Paris, Guy Le Prat, éditeur, 1973; traduction de Pierre Pascal ピエール・パスカル . 『万世を照らすもの:仏教学徒の記録』 酣燈社 1949 『永遠への道:わが八十年の生涯』日本工業新聞社 1982 『聖徳太子と憲法十七条』大蔵出版 1982 『太平洋戦争とお念仏』永田文昌堂(国際真宗学会・ブックレット) 1986 『法華義疏』岩波文庫 1931-1933
源信『往生要集』 小山書店 1937
復刊 1988 復刻版 一穂社 2004 『勝鬘経義疏 聖徳太子御製』岩波文庫 1948
改訂版 吉川弘文館 1977 『維摩経義疏』百華苑 1971
『上宮聖徳法王帝説』狩谷棭斎證、共註、岩波文庫 1941
『巣鴨プリズン:教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』小林弘忠著、中公新書 1999
『A級戦犯者の遺言:教誨師・花山信勝が聞いたお念仏』青木馨編、法藏館 2019 「花山信勝博士を囲んで」『東方学回想 Ⅵ 学問の思い出〈2〉』刀水書房 2000 クラウタウ、オリオン『近代日本思想としての仏教私学』法藏館 2012 Klautau, Orion. "The Question of Quintessence: Buddhism in Wartime Japanese Academia," in Belief and Practice in Imperial Japan and Colonial Korea, ed. Emily Anderson (Palgrave Macmillan, 2017), pp.137-152. ^ CiNii(学位論文) ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、26頁。ISBN 9784309225043。 ^ 『文藝春秋』1952年(昭和27年)8月号掲載、翌年に文藝春秋新社刊 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ IdRef 日本の仏教学者 教誨師 浄土真宗の僧 東京大学の教員 國學院大學の教員 東洋大学の教員 二松學舍大学の教員 東京大学出身の人物 日本学士院賞受賞者 東京裁判 石川県出身の人物 1898年生 1995年没 2025/01/25 07:16更新
|
hanayama shinsyou
花山信勝と同じ誕生日12月3日生まれ、同じ石川出身の人
TOPニュース
花山信勝と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「花山信勝」を素材として二次利用しています。