若子内悦郎の情報(わかこないえつろう) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
若子内 悦郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
若子内悦郎と関係のある人
芹澤廣明: 1967年、幼馴染で「麻生京子とブルー・ファイア」のギタリストだった清須邦義、若子内悦郎らと共にグループ・サウンズのバンド「ザ・バロン」を結成し、ギターを担当する。 富田伊知郎: 若子内悦郎 / 「ユーロシティ特急」(1992年、うたの科学館シリーズ) 牧田和男: 2015年から不定期に開催する若子内悦郎とのライブにピアニストのエルトン永田と参加。 富田伊知郎: Take Off!! スーパーGUTS(1997年、『ウルトラマンダイナ』) - ピーカブー、若子内悦郎とのユニット「ナイトスキャッツ」名義 清須邦義: 1967年2月に若子内悦郎、のちに芹澤廣明と名乗った河内広明らとザ・バロンを結成して、尾藤イサオの新しいバックバンドとして活動し、主にR&Bなどを演奏した。 佐瀬寿一: 「パップラドンカルメ」(歌:若子内悦郎、作詞:海友彦、1978年5月) 高尾直樹: 竜神まつり起源(2001年、『2001年 運動会用CD』)※若子内悦郎、比山貴咏史、貝田由里子とともに |
若子内悦郎の情報まとめ
若子内 悦郎(わかこない えつろう)さんの誕生日は1950年3月30日です。東京出身の歌手のようです。
テレビ、卒業、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2024年に亡くなられているようです。
若子内悦郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)若子内 悦郎(わかこない えつろう、1949年3月30日 - 2024年2月27日)は、日本の歌手。東京都港区芝出身。若木 ヒロシ、ちの はじめという名前でも活動。 1967年に清須邦義(元麻生京子とブルー・ファイア)、河内広明(のちの芹澤廣明)らと尾藤イサオのバック・バンド「ザ・バロン」を結成してベーシスト兼ヴォーカリストとして活動した。 ザ・バロンは1969年2月に尾藤から独立して、6月にガールシンガーの鍵山珠里と組んだ「ジュリーとバロン」名義のシングル「ブルー・ロンサム・ドリーム」でレコード・デビューを果たした。その頃、NHKが翌1970年1月からの放送を予定していた新しい音楽番組『ステージ101』のオーディションに合格して、番組の出演グループになるヤング101に加入した。 1970年1月10日から総合テレビでステージ101の放送が開始され、若子内はザ・バロンの他のメンバーと共にヤング101のメンバーとしてレギュラー出演した。ヤング101ではデュークエイセスの創立者でステージ101の音楽監督を務めた和田昭治からヴォーカル・トレーニングを受けた。1972年3月に清須が渡米する為にヤング101を卒業してザ・バロンが解散すると、若子内は番組内で河内とデュオ「ワカとヒロ」(のちに「ワカ&ヒロ」)を結成して、5月に番組オリジナルソング「にくい太陽」(作詞:増永直子/作曲:東海林修)で東芝(エキスプレス)よりレコード・デビューした。さらに10月からはヤング101の他のメンバーと共同で番組の進行役を兼任し、1973年には番組テーマ曲「ステージ101 テーマ'73」を作曲。河内と共に1974年3月31日の最終回まで出演した。 1975年にワカ&ヒロが解散した後は、ヴォーカリスト、スタジオミュージシャンとして活動。郷ひろみ、谷村新司、浜田省吾、CHAGE and ASKA、吉田拓郎、松田聖子、KinKi Kids等、多くのアーティストのレコーディングやコンサートのサポートを行ったほか、CMソング・テーマパーク・アニメソングなども手がけていた。 『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングテーマ「やつらの足音のバラード」(ちのはじめ名義)や、子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌「パップラドンカルメ」の歌唱が、放映当時子供だった世代を中心に比較的よく知られている。 山本正之と似た声質・歌唱のため、誤って同一人物と認識されたこともあった。 1979年には、井上鑑(キーボード、ピアノ、ヴオーカル)、津村康彦(リード・ギター、エレクトリツク・シタール、ヴオーカル)、金田一昌吾(ベース・ギター)、ザ・バロンの同僚だった宗台春男(ドラムス、パーカッション)と「地球の子供たち」名義のアルバム『サンサーラ』を発表。 2024年2月27日、がんのため死去。74歳没。約2年間、闘病していたという。 同年3月9日、清須らと制作した新曲5曲が収録されたCD『Stay Alive』が発表された。 謎の円盤UFO(1971年、『謎の円盤UFO』主題歌) シャドーのテーマ(1971年、『謎の円盤UFO』挿入歌) 帰ってきたウルトラマン(1971年、『帰ってきたウルトラマン』主題歌)※東芝から発売のカバー盤。コーラスは少年少女合唱団みずうみ。 MATチームの歌(1971年、『帰ってきたウルトラマン』挿入歌)※同上。 サンダーマスク(1972年、『サンダーマスク』主題歌)※「若木ヒロシ」名義。 戦え!! サンダー(1972年、『サンダーマスク』副主題歌)※同上。 ながれ橋(1974年、『大江戸捜査網』エンディングテーマ) やつらの足音のバラード(1974年、『はじめ人間ギャートルズ』副主題歌)※「ちのはじめ」名義。 かぜよふけふけ(1975年4月、『みんなのうた』放送) パップラドンカルメ(1978年、『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。キャニオン CX-113) かえらなかった時計屋さん(1978年、『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。キャニオン CX-114) パナシのうた(『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌) 地獄のジョー(1980年、『トム・ソーヤーの冒険』挿入歌) Take Off!! スーパーGUTS(1997年、『ウルトラマンダイナ』挿入歌)※ピーカブー、MoJoとの合同ユニット「ナイトスキャッツ」名義。 竜神まつり起源(2001年、『2001年 運動会用CD』収録)※高尾直樹、比山貴咏史、貝田由里子とともに 花とみつばち(郷ひろみ、1974年) みんないい娘(沢田研二、1980年『BAD TUNING』収録) 優しく気づかせて(村瀬由衣、1992年『水曜日の朝、窓を開ける』収録) Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは(CHAGE&ASKA、1993年) サンリオピューロランド関連曲(槙みちる・木戸やすひろ他、1993年)
Welcome To Dream World The Way To Fairyland Village Worker Song Hello Kitty Party In The Puroland Puro Entrance(通称、ピューロマーチ) おやすみダーリン(岡本真夜、1997年『Smile』収録) 気持ちだよ(吉田拓郎、1999年) ヘッドライト・テールライト(中島みゆき、2000年) 好きになってく 愛してく(KinKi Kids、2000年) 炎のらびりんす オリジナルサウンドトラック(2000年) 重き荷を負いて(中島みゆき、2006年『ララバイSINGER』収録) GENERATION GAPなんて言わせない!(清竜人、2012年『MUSIC』収録) ※キャストとして参加 風の子さっちゃん(サンリオキャラクター『タイニーポエム』イメージソング) 石野陽子(いしのようこ)「ロマネスク・ヨコハマ」 愛する人へ(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8206)1972年11月5日 想い出の青い空(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8232)1973年3月25日 聞き違い(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8272)1973年10月5日 私の足音(WA-070722)2007年7月26日 LUCILLE UNCHAINED MELODY A WHITER SHADE OF PALE/青い影 ALONE AGAIN You Are So Beautiful 紺青の世界 愛だけでは やつらの足音のバラード 旅に出ようかな This Boy Stay Alive(EW-00α)2024年3月9日 面影を愛して あいつによろしく サーファーガールとダビッドソン 24時間 それとも永遠 Stay Alive ^ NHKホールで収録され1993年8月14日に放映されたNHKの『第25回思い出のメロディー』で、ヤング101の元メンバー16名と共に「涙をこえて」を披露。2002年8月10日に大宮ソニックシティから生中継された『第34回思い出のメロディー』で、元メンバー25名と共に「怪獣のバラード」と「涙をこえて」を披露。「怪獣のバラード」は「怪獣のバラード 2002」としてCD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に収録された。2003年10月21日夜、22日昼、夜の計3回にわたってBunkamuraのシアターコクーンにて開かれたヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に、元メンバー36名と共に出演して、「恋はフェニックス」をソロで披露し、石岡ひろしのソロにコーラスで参加した。また泉朱子、一城みゆ希、西玲子、山田美也子(以上、五十音順)とともに進行役を務めた。22日夜のコンサートは、後日、BS2で放送された。 ^ 元ブルー・ファイア、ザ・バロン、ヤング101。ヤング101には1973年4月1日まで在籍した。2005年に病没。 ^ “【訃報】若子内悦郎さん”. otonano (2024年2月29日). 2024年3月2日閲覧。 ^ “【悲報】若子内悦郎くんがCD発売前に逝去しました。”. 若子内悦郎公式サイト (2024年2月27日). 2024年2月29日閲覧。 ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。 ^ “Discogs”. 2023年2月18日閲覧。 ^ “【悲報】若子内悦郎くんが逝去しました(泣)”. Wakaetsu公式Facebook (2024年2月28日). 2024年2月29日閲覧。 ^ 『シング!シング!サンリオピューロランド』(ライナーノーツ)サンリオ、日本、1993年11月21日、3-17頁。SACV-2048。 ^ 『みんなでうたおう!キャラクターソング』(ライナーノーツ)サンリオ、日本、1992年8月21日、19-20頁。SACV-2030。 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15) 土龍団+大池マリ、2001年、CD『ステージ101ベスト』(Ultra-vibe CDSOL-1043/44) 都倉俊一 かつて「ウインズ」(現存するウインズとは無関係)として若子内と活動した。 ステージ101 公式ウェブサイト Wakaetsu (wakaproject) - Facebook この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 MusicBrainz
癌で亡くなった人物 日本の男性歌手 ヤング101(NHK総合テレビ『ステージ101』)のメンバー EMIミュージック・ジャパンのアーティスト 東京都区部出身の人物 1949年生 2024年没 2024/11/23 11:12更新
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