藤倉修一アナウンサーの情報(ふじくらしゅういち) アナウンサー/NHK 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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藤倉修一の情報まとめ
藤倉 修一(ふじくら しゅういち)さんの誕生日は1914年3月12日です。東京出身のアナウンサーのようです。
卒業、映画、引退に関する情報もありますね。2008年に亡くなられているようです。
藤倉修一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)藤倉 修一(ふじくら しゅういち、1914年〈大正3年〉3月12日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本のアナウンサー、放送評論家。 昭和中期のラジオ全盛期にNHKに勤務し、第1回NHK紅白歌合戦の白組司会を務めたことで知られる。 東京都大田区出身。常陸山谷右エ門を親類に持ち、幼時から相撲を愛好して育つ。法政大学卒業後の1940年、NHKに放送員(アナウンサー。ただし、当時のアナウンサーは取材や企画などの担当を兼任していた)として入局。東京中央放送局を経て、1941年から1943年にかけて福島放送局に勤務。 1945年より、ラジオ番組『街頭にて』(のちの『街頭録音』)の専属インタビュアーとなる。マイクを避ける人々を柔和な語り口で呼び止める様子などが反響を呼ぶ。1947年4月22日放送分では、有楽町付近にいた「闇の女(街娼、パンパン)の声」を取材して話題となった。同年、日本のドキュメンタリー番組の先駆けである『社会探訪』(『世相録音』から改称)を担当。 同年11月から司会を担当したクイズ番組『二十の扉』が人気を博し、回答者が問題に正解した際に藤倉が発する「ご名答」は流行語となった。この間、第1回NHK紅白歌合戦(1951年)、第2回NHK紅白歌合戦(1952年)の白組司会などを担当。 1952年末から1954年にかけて英国放送協会(BBC)に出向。イギリス赴任中にエリザベス2世女王戴冠式中継(1953年)の実況を担当した。帰国後、1958年に公開された『皇太子殿下 世紀のご成婚』(日活と毎日映画社が制作した記録映画)では、「NHKアナウンサー」としてナレーターを務めた。 1970年にNHKを定年退職後は、民放の番組へ出演したり、NHKの後輩・高橋圭三が学園長を務めるアナウンス学園(渋谷区)で校長を務め、後進の育成に尽力したりした。 2008年1月11日午後4時53分、心不全のため死去。93歳没。葬儀は19日に近親者のみで済ませ、公表されたのは22日であった。 双葉山定次が引退した1945年6月の夏場所は非公開(招待された少数の傷痍軍人を除く)・放送なしで行われたが、藤倉はこの場所の海外向け短波放送のための実況を担当した。短波放送は一般向け受信機が一切流通しておらず、もっぱら対外謀略のためのみに使われており、この実況中継は日本国内が平静であることを海外に向けて宣伝するためのプロパガンダであった。大相撲放送の実況アナウンサーを念願していた藤倉は、願いが皮肉な形で実現したことについて「悲しいピエロみたいなもの」と述懐している。 街頭録音 あなたの記憶 『マイク餘談』隆文堂、1948年5月15日。NDLJP:2461307。 『マイクとともに』講談社、1952年3月30日。NDLJP:1659754。 『マイク交友録 : ぶっつけ本番のアナ人生敢闘記』普通社〈Rigeon Books〉、1963年1月30日。NDLJP:2498998。 『会議・行事の司会術入門』日本実業出版社、1978年。 (1994年再刊) 『マイク人生うらおもて』エイジ出版、1982年5月11日。NDLJP:12259855。 ^ 橋本一夫『日本スポーツ放送史』(大修館書店)pp.164-165 ^ 橋本一夫『日本スポーツ放送史』(大修館書店)pp.126-127 ^ 『マイク餘談』 ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、358頁。ISBN 4-00-022512-X。 ^ 藤倉修一『マイク人生うらおもて』エイジ出版、1982年、172-208頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12259855/90。 ^ 『マイク人生うらおもて』 訃報 藤倉修一氏 第1回NHK紅白歌合戦司会者 表 話 編 歴 1951 藤倉修一 1952 藤倉修一 1953(年初)宮田輝 1953(年末)高橋圭三 1954 高橋圭三 1955 高橋圭三 1956 高橋圭三 1957 高橋圭三 1958 高橋圭三 1959 高橋圭三 1960 高橋圭三 1961 高橋圭三 1962 宮田輝 1963 宮田輝 1964 宮田輝 1965 宮田輝 1966 宮田輝 1967 宮田輝 1968 坂本九 1969 坂本九 1970 宮田輝 1971 宮田輝 1972 宮田輝 1973 宮田輝 1974 山川静夫 1975 山川静夫 1976 山川静夫 1977 山川静夫 1978 山川静夫 1979 山川静夫 1980 山川静夫 1981 山川静夫 1982 山川静夫 1983 鈴木健二 1984 鈴木健二 1985 鈴木健二 1986 加山雄三、千田正穂 1987 加山雄三 1988 加山雄三 1989 武田鉄矢 1990 西田敏行 1991 堺正章 1992 堺正章 1993 堺正章 1994 古舘伊知郎 1995 古舘伊知郎 1996 古舘伊知郎 1997 中居正広 1998 中居正広 1999 五代目 中村勘九郎 2000 和泉元彌 2001 阿部渉 2002 阿部渉 2003 阿部渉、高山哲哉 2004 阿部渉 2005 山本耕史 2006 中居正広 2007 笑福亭鶴瓶 2008 中居正広 2009 中居正広 2010 嵐 2011 嵐 2012 嵐 2013 嵐 2014 嵐 2015 井ノ原快彦 2016 相葉雅紀 2017 二宮和也 2018 櫻井翔 2019 櫻井翔 2020 大泉洋 2021 大泉洋 2022 大泉洋 2023 有吉弘行 2024 有吉弘行 FAST VIAF WorldCat アメリカ 日本 日本の放送・メディア評論家 20世紀日本の評論家 21世紀日本の評論家 学士号取得者 NHK紅白歌合戦司会者 NHKの元職員アナウンサー BBCの人物 東京都区部出身の人物 法政大学出身の人物 1914年生 2008年没 FAST識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/22 01:49更新
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fujikura syuuichi
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