衣川篤史の情報(きぬがわあつし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
衣川 篤史さんについて調べます
■名前・氏名 |
衣川篤史と関係のある人
荻野忠寛: 結局この年は自チームでの都市対抗野球出場は逃したものの、住友金属鹿島の補強選手として本大会に出場、1回戦で先発投手を任され、後に東京ヤクルトスワローズ入りする衣川篤史とバッテリーを組んだ。 星野八千穂: 同期である衣川篤史とバッテリーを組み、大学3年時に全日本大学野球選手権大会に出場し、2回戦で敗退。 水野祐希: 打率こそ.183と伸び悩んだが、捕手としては衣川篤史と並ぶチームトップの43試合でマスクをかぶって、守備率.991と記録した。 米野智人: 2008年は前半戦までは控え捕手として一軍登録されていたが衣川篤史の台頭や川本が怪我から復帰したことにより、6月24日に一軍登録を抹消された。 |
衣川篤史の情報まとめ
衣川 篤史(きぬがわ あつし)さんの誕生日は1981年3月20日です。兵庫出身の野球選手のようです。
引退、結婚に関する情報もありますね。衣川篤史の現在の年齢は43歳のようです。
衣川篤史のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 衣川 篤史(きぬがわ あつし、1981年3月20日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(捕手)。2019年から東京ヤクルトスワローズ一軍バッテリーコーチ。 大商学園高校から岐阜聖徳学園大学に進学。同期の星野八千穂とバッテリーを組み、強化後間もないチームを大学選手権、明治神宮大会に初出場させる大きな原動力となった。3年時の大学選手権では初勝利もあげて、翌年も連続出場した。大学4年時にはシュアな打撃でドラフト候補と報道されたものの、プロからの声はかからなかった。 社会人野球の昭和コンクリートへ進んだものの、チームは2003年の夏をもって活動休止となり、住友金属鹿島へ転籍。住友金属鹿島では正捕手の座をつかみ、都市対抗野球大会連続出場に貢献した。社会人通算4年目となる2006年、第77回都市対抗野球大会の1回戦では日本生命と対戦。試合には敗れたものの、日本生命が仕掛けた4盗塁を全て阻止。強肩ぶりが注目され、一躍ドラフト有力候補となった。 2006年の大学・社会人ドラフトで東京ヤクルトスワローズから4巡目で指名を受けた。11月22日に推定契約金5,000万円、年俸1,000万円で仮契約を行い入団した。 一軍キャンプに招聘されたが、オープン戦で当たりが出なかったこと、守備面でも課題を指摘されたことから、開幕は二軍スタートとなった。出場機会を増やすため、一塁手にも挑戦している。7月に川本良平が一軍昇格した後はほぼ二軍の正捕手として定着し、最終的に53試合に出場。ファームとはいえ打率.274、5本塁打と一年目からまずまずの成績を残した。 キャンプは二軍スタートだったが、川本良平の故障に伴って一軍キャンプに合流。開幕は再び二軍で迎えたものの、イースタン・リーグでは開幕から正捕手を務めた。打撃不振の選手が多い中で、二軍とはいえ3割台をキープ。そのことと福川将和の骨折の疑いもあり、5月13日に一軍初昇格。同日の対中日戦で初出場、初先発を果たした。翌5月14日対中日戦5回裏2アウト無走者の場面で、山本昌からプロ入り初安打を放った。しかし右肘の故障によって一軍に定着することはできず、5月29日に登録を抹消されると、以降は二軍で過ごすことになった。8月には試合に復帰し、最終的にイースタン・リーグとはいえ、44試合で打率.302、2本塁打10打点1盗塁と、前年を上回る結果も出している。秋には川本良平、米野智人らと共に一軍メンバーに選ばれ、松山でキャンプを過ごした。 シーズンの大半を二軍ですごし、ファーストやサードなども経験する。シーズン終盤に一軍へ昇格し、最終戦では代打でタイムリーを放つ。 クライマックスシリーズでもベンチ入りするも、新型インフルエンザにかかり、チームに貢献はできなかった。 シーズン序盤に2年ぶりの本塁打を放つなど活躍したが、それ以降は二軍ですごし、そのままシーズンを終えた。 一軍での出場はなく、二軍のみの出場となった。二軍では49試合に出場したが、打率.193、本塁打1、打点8であった。10月9日に戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された。 その後、現役を引退し、ヤクルトのスコアラーに就任した。 2019年より、野口寿浩に代わって東京ヤクルトスワローズ一軍バッテリーコーチに就任することが決まった。 社会人時代に結婚し、息子が2人いる。妻子がある場合入寮は免除されるが、2007年に単身で入寮した。 初出場・初先発出場:2008年5月13日、対中日ドラゴンズ7回戦(明治神宮野球場)、8番・捕手で先発出場 初打席:同上、3回裏に朝倉健太から四球 初安打:2008年5月14日、対中日ドラゴンズ8回戦(明治神宮野球場)、5回裏に山本昌から右前安打 初打点:2008年5月15日、対中日ドラゴンズ9回戦(明治神宮野球場)、1回裏に川上憲伸から右前適時打 初本塁打:2008年5月16日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)、9回表に安藤優也から左中間越3ラン 38(2007年 - 2011年) 83(2019年 - ) ^ “来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。 ^ “【ヤクルト】衣川 篤史捕手 - スポニチ Sponichi Annex 惜別球人”. Sponichi Annex (2011年12月21日). 2011年12月21日閲覧。 兵庫県出身の人物一覧 岐阜聖徳学園大学の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 松坂世代 個人年度別成績 衣川篤史 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 22 髙津臣吾 73 嶋基宏(ヘッド兼バッテリー) 89 伊藤智仁(投手) 98 石井弘寿(投手) 78 大松尚逸(打撃チーフ) 74 杉村繁(打撃) 87 福川将和(打撃) 75 森岡良介(内野守備走塁) 82 松元ユウイチ(外野守備走塁兼作戦) 88 池山隆寛(監督) 79 城石憲之(総合) 72 小野寺力(投手) 81 正田樹(投手) 84 松岡健一(投手) 76 宮出隆自(打撃) 70 河田雄祐(外野守備走塁) 83 衣川篤史(バッテリー) 95 土橋勝征(内野守備走塁兼育成担当) 92 山本哲哉(投手兼育成担当) 12 石山泰稚 14 西舘昂汰 15 山下輝 16 原樹理 17 清水昇 18 奥川恭伸 19 石川雅規 20 木澤尚文 21 吉村貢司郎 24 星知弥 26 山野太一 28 松本健吾 29 小川泰弘 34 田口麗斗 35 石原勇輝 40 高梨裕稔 41 柴田大地 43 山本大貴 44 大西広樹 45 小澤怜史 47 高橋奎二 48 金久保優斗 49 嘉弥真新也 52 尾仲祐哉 53 長谷川宙輝 56 坂本拓己 58 阪口皓亮 61 宮川哲 62 竹山日向 68 丸山翔大 69 今野龍太 27 中村悠平 30 西田明央 32 松本直樹 33 内山壮真 57 古賀優大 65 鈴木叶 90 中川拓真 93 橋本星哉 00 赤羽由紘 1 山田哲人 5 川端慎吾 7 長岡秀樹 10 宮本丈 13 オスナ 36 西村瑠伊斗 38 北村拓己 46 太田賢吾 50 北村恵吾 55 村上宗隆 59 小森航大郎 60 武岡龍世 63 増田珠 66 三ツ俣大樹 67 伊藤琉偉 0 並木秀尊 3 西川遥輝 4 丸山和郁 9 塩見泰隆 23 青木宣親 25 サンタナ 31 山崎晃大朗 42 澤井廉 51 濱田太貴 64 岩田幸宏 015 沼田翔平 016 西濱勇星 017 翔聖 026 髙野颯太 表 話 編 歴 希望入団枠:高市俊 3巡目:西崎聡 4巡目:衣川篤史 1巡目:増渕竜義 3巡目:上田剛史 4巡目:山田弘喜 1巡目:伊藤秀範 日本の野球選手 岐阜聖徳学園大学硬式野球部の選手 昭和コンクリート硬式野球部の選手 日本製鉄鹿島硬式野球部及びその前身チームの選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 日本の野球指導者 兵庫県出身のスポーツ選手 1981年生 存命人物 2024/11/21 23:39更新
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kinugawa atsushi
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