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西岡剛_(内野手)の情報 (にしおかつよし)
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【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

西岡剛_(内野手)の情報(にしおかつよし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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西岡 剛_(内野手)さんについて調べます

■名前・氏名
西岡 剛_(内野手)
(読み:にしおか つよし)
■職業
野球選手
■西岡剛_(内野手)の誕生日・生年月日
1984年7月27日 (年齢40歳)
子年(ねずみ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和59年)1984年生まれの人の年齢早見表

西岡剛_(内野手)と同じ1984年生まれの有名人・芸能人

西岡剛_(内野手)と同じ7月27日生まれの有名人・芸能人

西岡剛_(内野手)と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


西岡剛_(内野手)の情報まとめ

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西岡 剛_(内野手)(にしおか つよし)さんの誕生日は1984年7月27日です。大阪出身の野球選手のようです。

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結婚、離婚、引退、テレビ、解散、家族、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。西岡剛_(内野手)の現在の年齢は40歳のようです。

西岡剛_(内野手)のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

西岡 剛(にしおか つよし、1984年7月27日 - )は、大阪府大東市生まれ、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督。右投両打。

ニックネームはつよぽん。

日本プロ野球(NPB)とメジャーリーグ(MLB)、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCL)の栃木ゴールデンブレーブスでのプレーを経て、2021年11月17日に選手兼任で九州アジアリーグ・福岡北九州フェニックス(現・北九州下関フェニックス)の初代監督に就任し、2024年からは専任の総監督を務める。

NPBの一軍公式戦における内野手およびスイッチヒッターとしてのシーズン最多安打記録保持者で、2010年のシーズン692打席はNPB記録。千葉ロッテマリーンズ時代の2007年に限って、名前(剛)をローマ字で表記した「TSUYOSHI」を登録名に使用していた。

奈良市立平城東中学校時代に「郡山シニア」で全国大会出場。当時からずっとPL学園高校で野球をすることを望んでいたが、PL学園のセレクションに落選したことを直接通知され大ショックを受けた。本人曰く「来てもいいよ」とは言われたが、丁重に断り、その後大阪桐蔭高校から誘いがあったことからPL学園を倒すことを目標とし大阪桐蔭へ進んだ。PL学園は2001年から2002年にかけて対外試合禁止処分を受けており、対戦のない時期もあったが、高校時代の3年間でPL学園に負けたことはなかった。

3年時に主将で4番打者として第84回全国高等学校野球選手権大会出場。しかし初戦の対東邦高校戦に敗退。高校通算42本塁打。

2002年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1巡目指名を受けて入団した。背番号は7。

2003年は春季キャンプから一軍に帯同。開幕一軍はならなかったが、6月21日に一軍初昇格し、初打席で戸叶尚から初安打となる二塁打を打った。

2004年にコーチの高橋慶彦の指導の下、プロ入り当初の左打ちからスイッチヒッターに転向し、この年、プロ初本塁打を含む6本塁打を打ち頭角を現した。

2005年は東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕戦こそスタメンを外されたものの、中盤以降は堀幸一や小坂誠との併用ながら二塁手もしくは遊撃手としてのスタメン出場が増えた。41盗塁で盗塁王を獲得。21歳での盗塁王はパシフィック・リーグ最年少記録、1954年のセントラル・リーグでの吉田義男と並ぶ日本プロ野球最年少タイ記録である。さらにベストナインを遊撃手部門、ゴールデングラブ賞を二塁手部門でそれぞれ受賞しリーグ優勝と日本一に貢献。この年のベストナイン二塁手部門は堀、ゴールデングラブ賞遊撃手部門は小坂であり、西岡とローテーションで二遊間を組んでいた二人であった。

2006年は開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。1次リーグ第1戦目の中国戦で日本代表第1号となる3点本塁打を打つ。2次リーグの対アメリカ合衆国戦では世紀の大誤審の際に走者としてタッチアップした(得点にはならなかった)。

シーズンでは、前年の二遊間併用の負担で膝を痛めたことと、小坂の移籍によりポジションが空いたことから1番・遊撃手に起用法が固定された。チームは4位に沈んだものの、自身は前年とほぼ同様の成績を残した。また、33盗塁を記録し2年連続で盗塁王を獲得した。

2007年、1月7日に登録名を本名から「TSUYOSHI」に変更。この年は手首のケガや首痛などもありながら規定打席に到達。初の打率3割を残し、遊撃手部門でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。

2008年、1月7日に登録名を本名の「西岡剛」に戻すことを表明。同年より両耳にガードがあるヘルメットを使用。8月、北京オリンピック野球日本代表に選ばれ、一番打者として多くのチャンスメークを演出。しかしチームは3位決定戦のアメリカ戦で敗れ、4位に終わってしまう。1年を通し新たに負った足の故障や持病の膝痛と首痛に苦しみ、盗塁は18に減り、打撃・守備・走塁に精彩を欠いた苦しい1年となったが、2年連続の打率3割到達、自身初の2桁本塁打を達成した。シーズン終了後にはサブローとともに球団負担で渡米し、故障箇所をメディカルチェックするとともにケガのケアやリハビリ方法を学んだ。12月11日には西麻布で同期入団の早坂圭介と共に無賃乗車犯を取り押さえた。また、高校の後輩である平田良介や中田翔を含む6人と「TEAM TSUYOSHI」を結成し、都内で合同自主トレーニングを行った。

2009年は、盗塁成功数、盗塁死数が前年シーズンより向上したものの、打率が.260と大きく低迷し安打数も118本と振るわなかった。一方で四球は大幅に増加したため出塁率は前年を上回った。シーズン前より当時の監督であったボビー・バレンタインの契約延長をめぐる球団フロントとのトラブルがあり、一部のファンが「死刑」など過激な言葉を用いて契約不更新反対やフロント批判の横断幕を出したことに対して、9月26日のヒーローインタビューでは台から下りて2分間にわたり、成績不振に対する責任感や謝罪の意思、応援団・ファンへの感謝を示すと同時に「選手1人1人のプレーを見て夢を描いたり、スタンドの歓声を聞いて大人になったらこういう所でプレーをしたいと思って頑張っている子供達の夢を崩さないでください」、「本当にロッテを愛してるのであれば、明日から横断幕を下ろして欲しいので、また応援のほうよろしくお願いします」と呼びかけた。その翌日である9月27日には、一部のファンから西岡を「偽善者」・「二日酔いで試合サボり夢を語るスピードスター」、「祝110本安打達成(笑)」などと中傷する内容の横断幕が掲げられ、応援歌の演奏をボイコットされるなどの被害を受け、翌日、自身を案じるファンへの謝意と心境を自身のブログで綴った。この年は3月に開催されたWBC日本代表への選出も目指したが落選。12月29日に行なわれた契約更改交渉では「3年契約の時にWBC出場の評価が入っていた。出ないのに受け取るのはおかしい」との理由で、球団側に1000万円の返上を申し入れ、改めて日本代表へのこだわりを表明した。

2010年は里崎智也に代わってキャプテンに就任し、ユニフォームシャツの左胸に「C」マークが追加された。この年より社会貢献運動として、山田邦子が代表理事を務める「リボン運動・がんの薬を普及する会」に共鳴し、ヒット1本につき1万円を寄付する活動を始めた。レギュラーシーズンでは開幕から好調を続け、5月は打率.417・4本塁打・OPS 1.167の成績を残し月間MVPを獲得。7月にはファッションモデルの徳澤直子と結婚することを24日に自身のブログで報告し、26歳の誕生日である同月27日に婚姻届を提出。9月1日の対楽天戦でシーズン21回目の猛打賞を達成し、1950年の別当薫の球団記録を更新。9月12日の対埼玉西武ライオンズ戦で1回に左前打を打ってシーズン181安打とし、1961年に榎本喜八が記録したシーズン180安打を更新する球団新記録を達成。9月21日の対楽天戦でシーズン26回目の猛打賞を達成して1996年にイチローが記録した年間最多記録に並び、9月25日の対オリックス・バファローズ戦の4回に金子千尋から3安打目を打ち日本プロ野球新記録となる27回目の猛打賞を達成した。またイチロー以来パ・リーグ2人目、日本人のスイッチヒッターおよび内野手としては初となるシーズン200本安打を達成し、史上4人目となるスイッチヒッターでの首位打者かつ史上4人目の全試合フルイニング出場首位打者となり、最多安打のタイトルも獲得。フルイニング出場も果たし、日本プロ野球新記録となるシーズン692打席を記録。なお、この年に記録した打率.346は遊撃手としての歴代最高打率である。シーズン後には遊撃手部門でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。シーズン終了後、リック・サーマンを代理人としてポスティングシステムによるメジャーリーグ移籍を申請。11月に自身のブログで「メジャーで野球をすることは子供の頃からの夢だった。自分の力も知った上で挑戦したい」と述べ、メディアには「若いうちに挑戦して、日本人内野手の評価を上げたい気持ちが強い」と、ポスティングを希望した理由を説明した。ミネソタ・ツインズが532万9,000ドルで交渉権を獲得した。

2010年12月17日にツインズと総額925万ドルの3年契約(4年目は年俸400万ドルの球団オプション)を結び、同球団初の日本人野手となった。背番号はロッテ時代と同じ「7」を希望していたが、ツインズの看板選手であるジョー・マウアーが着けていたため1に決定した。18日にはターゲット・フィールドにて背番号入りのユニフォームを着て会見を行い、殿堂入り選手のポール・モリターも同席して全面的なバックアップを約束した。

2011年は、監督のロン・ガーデンハイアーから二塁手として起用され、スプリング・トレーニングで13試合連続安打を記録して打率.345の成績を残し、4月1日のトロント・ブルージェイズとの開幕戦でメジャーデビュー。26歳での出場は日本人野手最年少となった。しかし7日の対ニューヨーク・ヤンキース戦で一塁走者のニック・スウィッシャーが二塁に滑り込んだ際に交錯し、左足腓骨の骨折で故障者リスト (DL) 入り。アドバンスドA級フォートマイヤーズ・ミラクルで調整中にモリターから併殺プレーなどの指導を受け、フォートマイヤーズとAAA級ロチェスター・レッドウイングスで計7試合に出場後、6月16日の対シカゴ・ホワイトソックス戦で遊撃手として復帰したが、7月まで打率.206・出塁率.259と低迷。8月8日に第一子の女児が誕生。8月からは打率.272・出塁率.323と復調し始めたものの、8月下旬から右わき腹を痛め、9月は5試合に出場した後DL入りしシーズンを終了した。左投手に対し打率.203と苦しんだ他、外角に対応できていないことが指摘され、シーズンを通して68試合の出場で打率.226・出塁率.278・19打点・2盗塁の成績に終わり、守備でも遊撃手でDRS -10・UZR -6.3, 二塁手でDRS -1・UZR -1.1と攻守ともに精彩を欠き、CBSスポーツからアメリカンリーグ最低殊勲選手 (Least Valuable Player; LVP) 候補の一人に挙げられたが、結果はアダム・ダンが選出された。

2012年2月、徳澤と離婚協議中であることが報じられた(後に離婚が成立)。スプリングトレーニングでは左手小指を痛め、3月19日にAAA級ロチェスターへ降格。開幕もマイナーで迎え、4月24日には右足首の捻挫でDL入りした。マイナーでの前半戦は63試合の出場で打率.228・1本塁打・出塁率.300・6盗塁に終わったが後半戦から復調し始め、ダニー・バレンシアの移籍に伴い8月6日にメジャー昇格。しかしシーズン初出場となる対クリーブランド・インディアンス戦では2失策を喫した。3試合に先発出場したが12打数無安打、1打点で攻守ともに精彩を欠き、13日に再降格。20日に40人枠から外れた。後半戦はロチェスターで38試合に出場し、打率.303・1本塁打・出塁率.337・1盗塁を記録。シーズン終了後に翌年の年俸325万ドルの契約解除を球団に申し出、9月28日に自由契約となった。 その後、NPB復帰が決定し、古巣であるロッテの他に阪神やオリックスの争奪戦となった。

2012年11月20日に阪神タイガースと2年総額4億円プラス出来高で契約。入団交渉の際には本人の申し出により球団提示額から1億円を返上して出来高に置き換え、ポジションの確約も辞退した。背番号はロッテ時代と同じ7。会見では「すごく伝統のあるチームで思う存分、暴れたい」と語った。

2013年は「1番・二塁手」としてレギュラーに定着。前年リーグ5位だった阪神を2位に押し上げる原動力となった。開幕戦の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で移籍後初安打・初打点を含む3安打2打点を記録。4月2日の対中日ドラゴンズ戦(京セラドーム大阪)では9回にサヨナラ適時打を打った。5月4日の対ヤクルト戦(阪神甲子園球場)でNPB/MLB通算1,000本安打を達成。5月11日の対ヤクルト戦(松山中央公園野球場)で1試合5安打を記録、5月18日の対福岡ソフトバンクホークス戦(甲子園)では交流戦最多記録(通算5本目)となる先頭打者本塁打を打った。5月21日の対西武戦(西武ドーム)では左膝の異変を訴え、指名打者として出場したが、6月5日の対西武戦(倉敷マスカットスタジアム)でこの年2度目のサヨナラ適時打。リーグ戦の再開後は、7月10日の対中日戦(沖縄セルラースタジアム那覇)で3安打4打点を挙げ、同月16日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(甲子園)で日本通算1,000本安打を達成。一軍監督の和田豊からは、前半戦のMVPに選ばれた。オールスターゲームには、ロッテ時代の2005年以来2度目となる二塁手部門でのファン投票1位で出場。しかし、左膝の状態が思わしくないことから、7月30日に移籍後初めて出場選手登録を抹消された。8月16日に一軍へ復帰し、2安打と決勝点のホームを踏んだ。8月30日の対広島東洋カープ戦(甲子園)では、プロ入り後初めて三塁手として出場。9月7日の対巨人戦(甲子園)では、ロッテ時代の2009年以来4年ぶりに3番打者で出場し2安打1打点を挙げた。シーズン終了後、二塁手としては初のベストナインを受賞。ロッテ時代に遊撃手部門で3回選出されていたため、セ・パ両リーグでのベストナイン受賞を達成した。

2014年3月30日の対巨人戦(東京ドーム)の2回裏の二塁守備で、大竹寛が打った浅い飛球を追って背走中に右翼手の福留孝介と交錯(記録は右越2点三塁打)。後頭部から人工芝のグラウンドに落下した。西岡自身には手足を動かせるほどの意識があったが、審判団や球場に常駐する医師の判断で試合が25分間中断。グラウンドに乗り入れた救急車で病院に搬送された。脳には異常が認められなかったものの、鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼・左右の第1肋骨骨折が判明したため、4月1日に出場選手登録を抹消された。6月27日の対中日戦(甲子園)で、「1番・三塁手」として一軍へ復帰。前述の激突以来初めて東京ドームに登場した7月11日の対巨人戦では、6回表一死二・三塁の場面で代打に起用されると、「内野を5人で守る」という巨人野手陣の変則シフトをかいくぐって無人の中堅へ2点二塁打を打った。しかし、右肘痛の発症で打撃不振へ陥ったことに加えて、激突の影響による背中の痛みが再発。国内フリーエージェント権の資格取得条件を満たす予定だった7月23日に、登録を再び抹消された。9月に再び一軍へ復帰してからは代打に専念。チームのシーズン2位で迎えたクライマックスシリーズ以降は、「1番・三塁手」としてスタメンに復帰すると、チームの日本シリーズ進出に貢献した。ソフトバンクとの日本シリーズでも全試合でスタメン出場したが、第5戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の9回表一死満塁で迎えた打席で一塁へのゴロを打った際に、ラインの内側を走ったため守備妨害と判定。このプレーによって、チームのシリーズ敗退が決まった。シリーズの終了後には、右肘遊離軟骨の除去手術を受ける一方で、12月7日には徳澤との離婚を発表した。

2015年は春季キャンプで正二塁手への復帰を目指したものの、自身の故障を機に正二塁手へ定着した上本博紀との兼ね合いで、正三塁手として公式戦の開幕を迎えた。しかし、右肘屈筋挫傷の発症で5月23日から長期にわたって戦線を離脱するなど、シーズンを通じて不調に見舞われた。シーズン終了後には、一軍監督へ就任したばかりの金本知憲へ「もう一度二塁で勝負したい」と直訴したところ、金本から「翌2016年の春季キャンプの内容次第で外野に転向させる」と通告。12月5日の契約交渉では、減額制限(40%)一杯の推定年俸1億800万円(7200万円減)で契約を更改した。

2016年は春季キャンプから上本・大和との正二塁手争いを展開した末に、公式戦の開幕から「7番・二塁手」としてスタメンに定着。甲子園球場でのシーズン初公式戦(4月8日の対広島戦)では、同点で迎えた9回裏一死一・三塁の打席で、金本阪神に初めてのサヨナラ安打をもたらした。後に左太ももの裏を痛めたことから、一時は戦線を離脱。復帰後も、右打席での打撃や、二塁手としてのショートスローに不安を抱えながらのプレーを強いられた。このため、6月12日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、プロ入り後初めての外野守備を経験。7回表の守備から左翼手、8回表には中堅手として守備に就いた。しかし、7月20日の対巨人戦(甲子園)2回裏二死三塁からの打席で安打(同点適時打)を打って一塁へ向かう際に転倒。自力で起き上がれないほどの重症だったことから、そのまま交代して病院へ向かったところ、検査で左アキレス腱の断裂が判明した。一時は現役からの引退を決意した(詳細後述)が、7月26日に患部の縫合手術を受け、残りのシーズンをリハビリに専念。一軍公式戦では通算で打率.295を記録したものの、55試合の出場で本塁打はなく、盗塁も6個にとどまった。シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸9000万円(1800万円減)という条件で翌2017年の契約を更改。更改の直後には、「『契約してもらった』と言った方が正しい(ような立場な)ので、(2017年の年俸の)金額(が記された資料)を見ずに、球団から提示された条件をそのまま受け入れた」とのコメントを残した。また、ロッテ時代から親交のある糸井嘉男が国内FA権の行使によってオリックス・バファローズから移籍したことに伴って、ロッテ時代の2003年から延べ12シーズン着用してきた背番号7を糸井へ譲る意向を表明した(詳細後述)。

2017年はマウロ・ゴメスの退団によって空いた背番号5を着用しながら、春季キャンプからレギュラーシーズンの前半戦まで、二軍での調整に専念した。5月30日には、ソフトバンクとのウエスタン・リーグ公式戦(タマホームスタジアム筑後)で、「4番・指名打者」として実戦に復帰。一軍で一塁手のレギュラーが固定されていないことを背景に、6月27日に出場したオリックスとの同リーグ公式戦(阪神鳴尾浜球場)では、プロ入り後初めて一塁の守備に就いた。チームの後半戦開幕日であった7月17日におよそ1年ぶりの出場選手登録を果たすと、同日の対広島戦(甲子園)に「1番・一塁手」としてスタメンで出場。5回裏の第3打席では、右投手の野村祐輔から、左打席で一軍公式戦1年ぶりの安打を打った。以降の公式戦では、上本が開幕から正二塁手へ再び定着していることや、途中入団のジェイソン・ロジャースに一塁を守らせることなどを背景に一時「1番・中堅手(または左翼手)」として起用。後に、上本との併用扱いながら、二塁手としてのスタメン復帰も果たした。8月19日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、5回表の打席で出塁した後に、二塁への盗塁成功によって一塁公式戦復帰後の初盗塁を記録した。8月は月間打率.311を記録するなど好調だったが、23日の対ヤクルト戦(神宮)5回裏に三塁走者としてロジャースの三塁ゴロで本塁へ突入した際に、走路上にあったロジャースのバットを避けるため跳び上がった直後の着地で左踵を打撲。打撲自体は軽症だったが、前年に断裂したアキレス腱への負担を憂慮する首脳陣の方針で、翌24日から9月4日まで戦列を離れた。

2018年は首脳陣が遊撃手への本格復帰構想を立てたが、(外野手・遊撃手・二塁手としての起用を視野に入れた)「ジョーカー」に相当する扱いで、2年ぶりに開幕一軍入りを果たした。開幕後は二塁のスタメンや代打を中心に起用され、4月8日の中日戦では猛打賞を記録した。しかし、シーズン通算では18試合の出場で打率が.152にとどまり、5月18日付で出場選手登録を抹消された。故障以外の理由による抹消は、阪神へ移籍した2013年以降のシーズンでは初めてである。同年9月21日に再び登録されたものの、10月1日に戦力外通告を受けた。西岡自身は翌2日に、自身のInstagram公式アカウントで通告の事実を公表。球団の正式発表より早い公表だったが、この年限りで阪神を退団するとともに、NPBの他球団で現役生活を続ける意向があることを示した(詳細後述)。10月5日に出場選手登録を抹消し、チームも17年ぶりにセ・リーグの最下位でシーズンを終えたため、抹消前日(4日)の対ヤクルト戦(甲子園)7回裏に代打で喫した空振り三振が、阪神選手としての最後のプレーになった。シーズン終了後の11月13日には、12球団合同トライアウト(タマホームスタジアム筑後)へ参加。フリーバッティング形式で4人の投手と左右2打席ずつで対戦すると、ロッテ時代のチームメイトだった成瀬善久から右打席で二塁打を打ったが、4打数1安打2三振という内容でトライアウトを終えた。その後もNPB他球団からは獲得のオファーがなく、12月2日付でNPBから自由契約選手として公示された。

2019年3月12日に、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の栃木ゴールデンブレーブスに入団することが発表された。背番号は1。リーグ戦には、前・後期を通じて59試合へ出場するとともに、最終規定打席へ到達。リーグ10位の打率.335、7本塁打、41打点という好成績で、チームのリーグ戦東地区後期初優勝に貢献した。ちなみに、チームは後期の全日程終了後に、群馬ダイヤモンドペガサス(東地区前期優勝)との地区チャンピオンシップで東地区総合優勝を達成。さらに、信濃グランセローズ(西地区優勝)とのリーグチャンピオンシップも初めて制したため、リトルリーグ、中学(郡山シニア)、高校(大阪桐蔭)、NPB(ロッテ)、野球日本代表に続いて優勝を経験した。NPBレギュラーシーズン中の選手契約・譲渡可能期間終了日(7月31日)までにNPB復帰のオファーがなかったため、チャンピオンシップ終了後の11月12日には前年に続いてNPBの12球団合同トライアウト(大阪シティ信金スタジアム)へ参加。この年からトライアウトの参加回数に上限(最大2回)が設けられたため、自身にとっては最後のトライアウトになった。結果は4打数無安打であったものの、トライアウト終了後は、トライアウト以外の方法で今後もNPBへの復帰を目指す意向を示した。

2020年には、栃木球団へ籍を置いたまま、シーズン開幕前の2月に古巣・ロッテの石垣島春季キャンプへ参加。ロッテへの復帰を念頭に置いたものではなく、BCリーグ球団の所属選手から若干名を同キャンプに派遣する慣例に沿った参加であったため、参加期間中にはロッテ球団から「練習補助員」として扱われていた。その後は栃木球団との契約の更新を保留していたため、球団の登録選手名簿から外れていたが、シーズンの開幕から2か月以上経過した9月1日に更新で合意したことが球団から発表された。再契約にあたって同月7日、新入団の川﨑宗則とともに会見を行い、改めてNPB復帰を目指していることを明言した。

ロッテの練習補助員の経験に関しては、後に自分のところにまさか練習補助員のアルバイトのメールが来るとは思わなかったと明かしつつ、BCリーグに慣れてしまわないようにNPBのレベルに触れておきたかったという趣旨の話をしている。その上で面識ある選手やスタッフが多くいる中で全く抵抗が無かったとしている。また、2020年シーズン終了時点では「アフリカの身体能力が気になる」とアフリカの選手市場を開拓したいと意欲を示している。

2021年4月1日、栃木球団と3年目の契約を締結した。同年8月8日に宇都宮清原球場で行われた神奈川フューチャードリームスとの公式戦では6回表に投手として起用され、川﨑とバッテリーを組んで1イニングを三者凡退、無失点(奪三振1)に抑えた。11月6日に生配信をメインとした自身のYouTubeチャンネルを開設。11月17日、自由契約による退団が発表された。

2021年シーズンのBCリーグのリーグ戦終了後の9月下旬、2022年から九州アジアリーグのリーグ戦に参加する新設球団・福岡北九州フェニックスが西岡に監督就任を正式要請していることが報じられた。オーナーの堀江貴文が現役にこだわっていることから、選手兼任監督での要請となった。スポーツ紙の取材に対し、西岡は要請を受けたことを事実だと認める一方で、栃木球団や親会社のエイジェックなどとの話し合いがまだ行えていないことから、就任に関しては熟考する意向を示した。正式就任前ながら、10月30日・11月3日に行われた球団トライアウトでは、前茨城アストロプラネッツ監督のジョニー・セリスを誘い、ともに選手選考に参加。その後、選手兼任の上での監督就任を決意し、ジョニーにヘッドコーチ就任を依頼。栃木からの退団が発表された11月17日、北九州の初代監督に選手兼任で就任することが、ジョニーのヘッドコーチ就任発表とともに正式に発表された。

2022年2月18日の体制発表会で背番号が「7」と発表された(当日は「内野手兼任スキッパー」と紹介される一方、「西岡監督」とも呼ばれている)。開幕後も西岡は自身を「スキップ」(英語で艦長を示す「スキッパー」の略語)と呼び、従来の日本の野球(監督と選手の間が遠い)とは異なる、独立リーグに合った監督像を模索していると取材に対して述べている。

2022年5月8日の対火の国サラマンダーズ戦の8回途中に球場を離れ、試合が一時中断。これを遅延行為とみなされて退場処分、ならびに次戦の出場停止処分通知を受けた。これは前月の時点でこの日のテレビ番組への生出演オファーを受けており、事前に球団スタッフにはこのことを伝えていたものの、監督の交代について西岡自ら審判に伝える必要がある認識を不足していたためである。

2024年2月16日、チームの総監督に就任することが発表された(発表には「選手兼任」という表記がなく、専任とみられる)。

生来は右打者で中学時代に左打者に転向し高校時代までは右投左打、プロ入り後に左打から両打になるという経緯でスイッチヒッターとなった。俊足の一番打者がよく試みる三塁線へのセーフティバントは少ないが、代わりに一・二塁間へのプッシュバントを試みることが多く、2005年の日本シリーズ第1戦や2006年のWBCの決勝戦などの大舞台でも成功させている。

「スピードスター」と呼称されるが、50メートル走のタイムは6.1秒、一塁到達3.97秒と歴代の盗塁王の中でも飛びぬけて速くはなく、一塁到達スピードは打席の左右に関わらずムラが大きい。一方でトップスピードは非常に速く、打席から三塁到達まで11.12秒、バント時には一塁到達3.54秒を記録したこともある。盗塁は早いカウントから積極的に仕掛けていく が、日本での通算盗塁成功率は約70パーセントとそれほど高いわけではない。

守備では、主に遊撃と二塁をこなす。遊撃手としては三遊間の打球に弱く、失策も少なくないが、定位置付近から二遊間の打球に強く、2010年には600イニング以上に出場した遊撃手で両リーグ1位のUZR 13.1を記録するなど広い守備範囲を持つ。2005年には状況に応じてその都度二塁手または遊撃手に配置転換するという監督のバレンタインによる起用法が話題となり、2006年のWBCでは二塁手として起用された。2005年に膝痛を患って以降、連鎖的な下半身の故障や首痛などのケガが非常に多く、前任の小坂誠が移籍した2006年以降はチーム内での役割や負担の増加を考慮し遊撃手で固定起用され、他の守備位置にはついていなかったが、ツインズ移籍当初は二塁手として起用された。しかし2011年は遊撃手でDRS -10・UZR -6.3, 二塁手でDRS -1・UZR -1.1を喫し、強い打球の処理に苦戦したことや、不必要なスピンやダブルクラッチをするなどしてボールを長く持ちすぎる点、味方野手との連携不足が指摘された。なお、阪神移籍後の2013年からは三塁手、2016年からは外野手(主に中堅手)、2017年からは一塁手としても起用されている。

座右の銘は「先憂後楽」。

ロッテ時代にコーチを務めていた高橋慶彦から若手時代に「とにかく練習。そうすれば野球の神様は必ず見てるから結果はついてくる」と言われて熱心に練習に取り組むようになり、バレンタインは「もっとやってくれると思った。彼はもっと上を目指せる。偉大な選手になるには、この時期にすべてをささげて打ち込まないと」とコメントしたこともあった。

中村剛也は大阪桐蔭高校の1年先輩。中田翔や、阪神でのチームメイトである藤浪晋太郎・西田直斗などは同校での後輩に当たる。高校時代には中村の方が足が速く、中田とはプロ入り後に合同で自主トレーニングを敢行している。藤浪・中田と共に出場した2013年のオールスターゲーム第2戦(神宮)では、試合前に2人と相談したうえで、セ・リーグ4番手として登板予定の藤浪がパ・リーグ4番打者として先発出場の中田を打席に迎えた際に山なりのスローボールを投げるように指示。当の藤浪は、6回裏の中田の打席で2球続けてスローボールを投げた後に、145 km/hの速球で中田を三振させた。

第1回WBCのアメリカ戦で二塁打を打った際、セカンドを守っていたデレク・ジーターと握手した。敗戦後に焼肉屋でイチローが主催した決起集会でそのことをイチローから叱責され、WBCは国別対抗戦であるにもかかわらず遊び半分で浮き足立っていた自分を猛省したという。

阪神へ移籍した2013年開幕直後のヒーローインタビューでは、関本や現役時代の矢野燿大がヒーローインタビューで多用していた「必死のパッチ」を決め台詞に使うことで、場内をたびたび沸かせた。もっとも、移籍後2度目のサヨナラ安打を打った6月5日の対西武戦(倉敷)でのヒーローインタビューでは、「最近、そのブームは自分の中で終わった。『もういいかな』と思う」と発言。7月10日の対中日戦(那覇)でのヒーローインタビュー中には、三塁の守備で2失策を記録しながら先制打を打った坂克彦を呼び寄せたうえで、特別にインタビューを受けさせていた。大和などチームメイトからは「つよぽん」と呼ばれている。

ロッテ時代、2009年まで使われていた応援歌は、西岡をロッテ入団へ導いたスカウトの松本尚樹の現役時代の応援歌を流用していた。なお、同曲の原曲はロシア民謡のカチューシャである。また、2010年は応援団の不祥事による解散によって、変更された。原曲はOi-SKALL MATESの『BRING ON NUFFY STOMPER FUN』である。

阪神時代の2016年に左アキレス腱を断裂した瞬間に、現役からの引退をいったん決意。かねてから故障が相次いでいたこともあって、大阪府内の大病院へ入った当初は、球団関係者から患部の手術を勧められても断っていた。しかし、断裂から1週間以内に手術を受けなければアキレス腱を再建できない状況であったことから、心境が徐々に変化。結局、「たとえ実戦へ復帰できなくても、野球人生の最後を悔いなく迎えて欲しいから、復帰までのプロセス(を踏んでいる)だけでもやってみたらどうか」という家族や知人からの勧めで、手術と現役の続行へ踏み切った。手術後は移動を車椅子に頼りながらも、入院先の小児病棟で、重病を患う小児患者と盛んに交流。前向きな姿勢で夢を語る彼らと接するうちに、「アキレス腱は(断裂しても)手術すればつながる。(アキレス腱の断裂から)復活したプロ野球選手もいる。このような可能性が十分に残されているのに、(実戦への復帰を)諦めていいのだろうか。復帰するからには、ポジションを遊撃に戻して、かつてのようにグラウンドを走れるようになりたい」という心境に至ったという。

2018年レギュラーシーズン最終盤の10月1日に阪神球団から戦力外通告を受けると、翌2日には、自身のInstagram公式アカウントを通じて長文のメッセージを投稿。戦力外通告を受けたことをいち早く公表したうえで、一軍監督の金本、二軍監督の矢野燿大、二軍守備走塁コーチの筒井壮、左アキレス腱の断裂で入院した際にいち早く見舞いに訪れた掛布雅之シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(2016年・2017年の二軍監督)、阪神入団時の一軍監督だった和田豊テクニカル・アドバイザー(肩書はいずれも2018年シーズン時点)などの球団関係者やファンに対する謝意を示した。

2019年の戦力構想から外れていることを西岡へ通告した球団本部長の谷本修によれば、西岡がこの通告を機に2018年シーズン限りでの現役引退を決意した場合には、チームに対する貢献度の高さを尊重すべく、甲子園球場で引退セレモニーを開催する用意があることを西岡に伝えたという。西岡自身は通告に対する回答を保留していたが、「(クライマックスシリーズの出場権争いの渦中にあった)チームに迷惑を掛けたくない」という理由で、戦力外通告を受けたことをinstagram経由でファンや球団関係者にいち早く伝えた。もっとも、instagramでの投稿のタイミングが球団への回答や球団からの正式発表より前だったことから、谷本は西岡へ投稿の真意を確認。結果として「フライング公表」になったことを西岡が謝罪したため、「他球団での現役続行」という西岡の意思を尊重するに至った。

金本は投稿後も、西岡の出場選手登録を抹消せず、西岡を一軍に帯同させていた。しかし西岡は、金本と相談したうえで、10月4日の対ヤクルト戦(甲子園)を阪神選手としての最後の試合に選んだ。その背景には、一軍公式戦での代打による球団のシーズン最多安打記録(桧山進次郎が現役時代に樹立した23本)まであと1安打と迫っていた原口文仁が、左手小指の骨折によってシーズン最終盤の9月下旬に戦線離脱を余儀なくされていたことが挙げられる。原口と入れ替わる格好で一軍に昇格していた西岡は、原口が骨折から回復しつつあることを踏まえて、戦力外通告を受けた自身の代わりに原口の再登録を優先することを金本に懇願。原口は、西岡に代わって同月5日から実際に一軍へ復帰すると、前述した桧山の球団記録に並んだ末にシーズンを終えた。

上記のメッセージでは、「翌年甲子園の土を踏めるこことを一つの目標として頑張りたい」という表現で、2019年にNPB他球団の選手として現役生活を続ける意向を示していた。その後に参加した12球団合同トライアウトに際して、「ロッテのユニホームで終わりたい。『戻って来い』と言われることを心の中で願っている」と述べ古巣であるロッテへの愛着を示した一方で、NPB以外の球団でのプレーも視野に入れていることを明かしていた。しかし結局、ロッテを始めNPB球団から獲得のオファーを受けるには至らなかった。

一方で、トライアウト直後から栃木を含めBCリーグ所属6球団からオファーを受けており、最終的には、あくまでNPB復帰を目標とする上で最も環境が整っているとの判断から栃木への入団を決定した。

2020年は長らく栃木ゴールデンブレーブスの登録選手への記載がなされず、所属が不透明だった。そんな中、同年6月13日に行われた北海道ベースボールリーグの開幕戦、美唄ブラックダイヤモンズ対レラハンクス富良野BCでの試合に祝福の花を贈った際には、名義を野球人・西岡剛としていた。

ツインズ時代から西岡と交流していることを出演番組で公言しているたむらけんじは、西岡が阪神へ入団した当初、西岡が猛打賞を記録した試合の翌日に、自身が経営する炭火焼肉たむらの食事券を『スポーツニッポン』(大阪本社発行版)の読者に抽選で進呈する企画を実施していた。西岡も、阪神移籍後初めての本塁打を打った同年5月19日の対ソフトバンク戦(甲子園)の試合後にヒーローインタビューへ迎えられると「球場のどこかに、たむらけんじが来てると思う。自分が出場し、たむらが球場で観戦する試合としては今回が初勝利なので、おめでとう。もし見かけたらたむらを野次って下さい」とのジョークでインタビューを締めくくった。

阪神時代の2017年から2018年までチームメイトであった糸井とは、自身と同じパ・リーグの球団出身である縁で、阪神への移籍前から互いに親しく交流。西岡は2003年から延べ12シーズン、3歳年上の糸井は、日本ハム時代の2011年から背番号7の着用を続けてきた。しかし、糸井が阪神でも7番の着用を希望していることを知ったため、「糸井さんは自分より実績がある」という理由で背番号7を糸井に譲ることを決意。糸井の移籍交渉中には、糸井本人に連絡したうえで、「背番号を7番にするなら、気分よく(阪神に)来て下さい」とのメッセージを伝えたという。結局、糸井が阪神への入団後も背番号7を付け続ける一方で、西岡は2017年から背番号を5に変更した。

平安高校硬式野球部のOBでレゲエシンガーの強(つよし)と交友関係にある。西岡が強の楽曲「カーテンコール」を耳にし感銘を受けたことがきっかけで、両者の間に「(本名を含めて)名前の読み方が同じ」「大阪府出身の元高校球児」「高校球児時代の背番号が7」といった共通点があることから交友関係が深まった。強が「スーパースター」という楽曲を西岡のために書き下ろしたところ、西岡が阪神時代の2013年シーズン後半から登場曲に使用。西岡の実兄から聞いたエピソードや、西岡本人のイメージに沿って何度も書き直した末に完成した楽曲で、ミュージックビデオには西岡出演のバージョンも存在する。

2013年には、本塁打やサヨナラ安打を打ったチームメイトを出迎える際のチームパフォーマンスとして、左右の親指・人差し指・中指を立てたまま空中へ一斉に腕を振り上げるポーズをチームメイトの関本賢太郎と共に提案。同じ内野手の新井良太などによる協力の下で、公式戦の開幕からチーム内に浸透させた。西岡・関本は8月26日に、このポーズの意味が「応援するファンへの感謝 (Gratitude)」であることを明かしたうえで、ポーズの名称を「Gratiii(グラティ)」と発表。球団ではこの発表を受けて、「Gratiii」ブランドの公式グッズの発売を開始した。

「Gratiii」はあるチームの野手が「正直、阪神がうらやましい。ああいうポーズがあるとチームが勢い付くし、一体感が生まれていいんだよね。ウチはおとなしい選手が多いから、ちょっと調子が悪いとすぐベンチが暗くなっちゃう。西岡のようにバカをやれる若手がいてくれたらいいんだけど」とコメントしたことがあるが、その一方で同じチームの杉内俊哉は2013年7月15日の阪神戦に登板する前に「投手としては、あれをやられるのは気分が悪いですよね」と口にしており、同年の秋季キャンプから現場に復帰した掛布雅之など一部の野球評論家・野球解説者から、「Gratiii」をめぐって「相手に対する尊敬の念が感じられない挑発行為」という趣旨の批判が続出した。その後選手代表と球団関係者が話し合いを重ねた末に、2014年シーズン以降は「Gratiii」の披露を自粛した。

各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPB最高

各年度の太字はリーグ最高

NPB時代の太字年はゴールデングラブ賞受賞

首位打者:1回(2010年) ※史上4人目のフルイニング出場での獲得

盗塁王:2回(2005年、2006年)

最多安打:1回(2010年)

ベストナイン:4回(遊撃手部門:2005年、2007年、2010年、二塁手部門:2013年)

ゴールデングラブ賞:3回(二塁手部門:2005年、遊撃手部門:2007年、2010年)

月間MVP:3回(野手部門:2005年3・4月、2010年5月、2010年9月)

JA全農Go・Go賞:1回(最多二・三塁打賞:2007年8月)

千葉市市民栄誉賞(2006年)

初出場:2003年6月23日、対西武ライオンズ14回戦(西武ドーム)、9回表に堀幸一の代走で出場

初打席・初安打:2003年6月28日、対オリックス・ブルーウェーブ15回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に初芝清の代打で出場、戸叶尚から左中間二塁打

初先発出場:2003年6月29日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(千葉マリンスタジアム)、2番・二塁手で先発出場

初打点:2003年7月1日、対日本ハムファイターズ14回戦(東京ドーム)、5回表にカルロス・ミラバルから右中間適時二塁打

初本塁打:2004年6月27日、対西武ライオンズ16回戦(富山市民球場アルペンスタジアム)、2回裏に後藤光貴から右越2ラン

初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:大沼幸二、捕手:野田浩輔)

1000安打:2013年7月16日、対読売ジャイアンツ13回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に菅野智之から中前安打 ※史上273人目

1000試合出場:2015年5月14日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、1番・三塁手で先発出場 ※史上469人目

シーズン猛打賞27回:2010年 ※秋山翔吾と並び最多タイ記録

シーズン200安打:2010年 ※史上4人目(スイッチヒッター史上初)

オールスターゲーム出場:6回(2005年、2006年、2007年、2008年、2010年、2013年)

1000安打:2013年5月4日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に正田樹から左越三塁打 ※史上7人目

各年度の太字はリーグ最高

7(2003年 - 2010年、2013年 - 2016年、2022年 - )

1(2011年 - 2012年、2019年 - 2021年)

5(2017年 - 2018年)

西岡 剛(にしおか つよし、2003年 - 2006年、2008年 - )

TSUYOSHI(ツヨシ、2007年)

「Spitfire」The Prodigy(2010年)

「海の家」TUBE(夏期の7 - 8月限定)

「カーテンコール」強(2013年前半、2014年 - 2015年途中) ※2014年から奇数打席のみ

「スーパースター」強(2013年後半 - 2017年) ※2014年から偶数打席のみ、2016年途中から第一打席のみ

「The Nights」Avicii(2016年途中 - 2017年) ※第二打席以降

「The Spectre」Alan Walker(2018年) ※第一打席:0:08〜、第二打席以降:2:32〜

2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

2008年北京オリンピックの野球競技・日本代表

『全力疾走』(宝島社、2013年10月、ISBN 978-4800216212)

『西岡剛 SUPER SPEED STAR (スポーツアルバム (No.17)) (ムック)』(ベースボールマガジン社、2006/5、ISBN 978-4583613895)

『7 (SEVEN) 西岡剛 OFFICIAL BOOK』(橋本清著、三修社、2008/8、ISBN 978-4384077773)

ロッテ「グリーンガム」(2005年 - 2006年)監督のバレンタインや菊地凛子、チームメイトと共演。

ロッテ「ガーナ」(2006年)里崎智也や、長澤まさみ、チームメイトと共演。

アディダス(2007年)PL学園野球部に入ることができなかったエピソードを語っている。

上新電機(2014年 - 2015年)チームメイトの能見篤史や藤浪と共演。

SPHERE「君といたい feat. 傳田真央」(2009年)

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^ 「BC栃木、元阪神・西岡不在のまま開幕スタート 昨季はリーグ優勝に貢献、去就に注目」『Full-Count』2020年6月21日。2024年5月19日閲覧。

^ 「西岡剛選手契約更新のお知らせ」栃木ゴールデンブレーブス、2020年9月1日。2020年9月1日閲覧。

^ 「BC栃木西岡明言「僕はまだプロ」NPB復帰目指す」『日刊スポーツ』2020年9月7日。2020年9月7日閲覧。

^ 36歳西岡剛が語った野球界への焦燥と改革アイディア「気になるのはアフリカ」 (1/3ページ) Number Web 2020/11/18 17:01 (文・田中大貴、2024年9月12日閲覧)

^ 36歳西岡剛が語った野球界への焦燥と改革アイディア「気になるのはアフリカ」 (3/3ページ) Number Web 2020/11/18 17:01 (文・田中大貴、2024年9月12日閲覧)

^ 「元阪神・西岡剛、37歳シーズンも現役続行! BC栃木と契約「今年はフルシーズン」」Full-Count、2021年4月1日。2021年4月7日閲覧。

^ 「世界一の二遊間」がバッテリーに 西岡、川崎が伝えたかったこと下野新聞「SOON」ニュース 2021年8月9日 同日閲覧

^ BCリーグ2021公式戦 8/8 清原球場 栃木vs神奈川戦 試合経過

^ 「元阪神・西岡剛がユーチューブチャンネル開設 6日のライブ配信で「福岡北九州フェニックス」監督の話題も」『Sponichi Annex』2021年11月5日。2021年11月17日閲覧。

^ 『退団選手のお知らせ』(プレスリリース)栃木ゴールデンブレーブス、2021年11月17日。https://tochigi-braves.jp/news/2021/11/17/8921/。2021年11月17日閲覧。 

^ 「ホリエモン設立新球団 元メジャーリーガー・西岡剛に監督就任要請 選手兼任で招へいへ」『Sponichi Annex』2021年9月28日。2021年11月17日閲覧。

^ 「ホリエモン新球団トライアウト開催、西岡剛が選手選考に参加 兼任監督就任へ交渉中」『西日本スポーツ』2021年10月30日。2021年11月17日閲覧。

^ 阿佐智「自称「ブラック侍」のベネズエラン、ホリエモン新球団・西岡剛監督からの言葉」『Yahoo!ニュース』2021年12月22日。2021年12月23日閲覧。

^ 『監督・コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)福岡北九州フェニックス、2021年11月17日。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000080218.html。2021年11月17日閲覧。 

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^ 阿佐智「「スピードスター」から「スキップ」へ。新球団・福岡北九州フェニックス監督、西岡剛の挑戦」『Yahoo!ニュース』2022年4月30日。2022年4月30日閲覧。

^ 「独立リーグ北九州 西岡剛監督が退場処分の理由を釈明 一部批判に理解求める」『デイリースポーツ online』2022年5月10日。2022年5月25日閲覧。

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^ 「SNSで戦力外通告公表した阪神・西岡 一軍帯同の裏に金本監督の親心」『東京スポーツ』2018年10月3日。2018年11月7日閲覧。

^ 「阪神西岡「今日で終わり」原口の記録優先し抹消へ」『日刊スポーツ』2018年10月5日。2024年5月19日閲覧。

^ 「西岡が戦力外通告 インスタグラムで報告「来年もプロ野球選手として…」とも」『デイリースポーツ』2018年10月2日。2024年5月19日閲覧。

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^ 「西岡が盟友・強に語る 一番悔しかった打席は…Wツヨシ特別対談」『スポーツニッポン』2013年12月15日。2024年5月19日閲覧。

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^ 「西武・秋山 王会長、イチロー、ゴジラ超える 初の2年連続フルイニング&首位打者」西日本スポーツ、2018年1月14日。2022年1月23日閲覧。

大阪府出身の人物一覧

千葉ロッテマリーンズの選手一覧

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選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

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7 西岡剛(総監督)

66 松本直晃(投手兼任)

1 中村道大郎(ヘッドコーチ、選手兼任)

47 本野一哉(投手コーチ、選手兼任)

0 平間隼人(野手コーチ、選手兼任)

14 西垣彰太

15 行木俊

16 豊山礼大

17 伊藤秀樹

18 川崎大輝

19 上田優太

20 金本享祐

34 荒巻千尋

47 本野一哉(コーチ兼任)

48 中村総一郎

66 松本直晃(監督兼任)

92 宮城竜輝

99 ジョアン・タバーレス

2 霜門佑哉

23 宮本貴章

25 藤木貫太

59 宮原滉希

0 平間隼人(コーチ兼任)

1 中村道太郎(コーチ兼任)

6 河野颯太

9 漁野海人

55 ヤン・ジェムン

69 福田虎太郎

3 和希

8 中田航大

10 薮怜汰

12 鈴木理央

24 横山晴人

28 吉岡翼

西岡剛 2022 - (2024 - 総監督)

松本直晃 2024 -

1950 大下弘

1951 大下弘

1952 飯島滋弥

1953 岡本伊三美

1954 L.レインズ

1955 中西太

1956 豊田泰光

1957 山内和弘

1958 中西太

1959 杉山光平

1960 榎本喜八

1961 張本勲

1962 ブルーム

1963 ブルーム

1964 広瀬叔功

1965 野村克也

1966 榎本喜八

1967 張本勲

1968 張本勲

1969 永淵洋三, 張本勲

1970 張本勲

1971 江藤慎一

1972 張本勲

1973 加藤秀司

1974 張本勲

1975 白仁天

1976 吉岡悟

1977 有藤道世

1978 佐々木恭介

1979 加藤英司

1980 L.リー

1981 落合博満

1982 落合博満

1983 落合博満

1984 ブーマー

1985 落合博満

1986 落合博満

1987 新井宏昌

1988 高沢秀昭

1989 ブーマー

1990 西村徳文

1991 平井光親

1992 佐々木誠

1993 辻発彦

1994 イチロー

1995 イチロー

1996 イチロー

1997 イチロー

1998 イチロー

1999 イチロー

2000 イチロー

2001 福浦和也

2002 小笠原道大

2003 小笠原道大

2004 松中信彦

2005 和田一浩

2006 松中信彦

2007 稲葉篤紀

2008 リック

2009 鉄平

2010 西岡剛

2011 内川聖一

2012 角中勝也

2013 長谷川勇也

2014 糸井嘉男

2015 柳田悠岐

2016 角中勝也

2017 秋山翔吾

2018 柳田悠岐

2019 森友哉

2020 吉田正尚

2021 吉田正尚

2022 松本剛

2023 頓宮裕真

1994 イチロー

1995 イチロー

1996 イチロー

1997 イチロー

1998 イチロー

1999 松井稼頭央

2000 小笠原道大

2001 小笠原道大

2002 松井稼頭央

2003 谷佳知

2004 松中信彦, 川﨑宗則

2005 和田一浩

2006 大村直之

2007 稲葉篤紀

2008 栗山巧, 片岡易之

2009 中島裕之

2010 西岡剛

2011 坂口智隆

2012 内川聖一

2013 長谷川勇也

2014 中村晃

2015 秋山翔吾

2016 角中勝也

2017 秋山翔吾

2018 秋山翔吾

2019 秋山翔吾

2020 柳田悠岐

2021 荻野貴司

2022 島内宏明

2023 柳田悠岐

1950 木塚忠助

1951 木塚忠助

1952 木塚忠助

1953 L.レインズ

1954 鈴木武

1955 森下正夫

1956 河野旭輝

1957 河野旭輝

1958 R.バルボン

1959 R.バルボン

1960 R.バルボン

1961 広瀬叔功

1962 広瀬叔功

1963 広瀬叔功

1964 広瀬叔功

1965 広瀬叔功

1966 山本公士

1967 西田孝之

1968 安井智規

1969 阪本敏三

1970 福本豊

1971 福本豊

1972 福本豊

1973 福本豊

1974 福本豊

1975 福本豊

1976 福本豊

1977 福本豊

1978 福本豊

1979 福本豊

1980 福本豊

1981 福本豊

1982 福本豊

1983 大石大二郎

1984 大石大二郎

1985 松永浩美

1986 西村徳文

1987 西村徳文, 大石第二朗

1988 西村徳文

1989 西村徳文

1990 秋山幸二

1991 大野久

1992 佐々木誠

1993 大石大二郎

1994 佐々木誠

1995 イチロー

1996 村松有人

1997 松井稼頭央

1998 松井稼頭央, 小坂誠

1999 松井稼頭央

2000 小坂誠

2001 井口資仁

2002 谷佳知

2003 井口資仁

2004 川﨑宗則

2005 西岡剛

2006 西岡剛

2007 片岡易之

2008 片岡易之

2009 片岡易之

2010 本多雄一, 片岡易之

2011 本多雄一

2012 聖澤諒

2013 陽岱鋼

2014 西川遥輝

2015 中島卓也

2016 金子侑司, 糸井嘉男

2017 西川遥輝

2018 西川遥輝

2019 金子侑司

2020 周東佑京

2021 源田壮亮, 荻野貴司, 和田康士朗, 西川遥輝

2022 髙部瑛斗

2023 周東佑京, 小深田大翔

1950 木塚忠助

1951 木塚忠助

1952 木塚忠助

1953 木塚忠助

1954 L.レインズ

1955 木塚忠助

1956 豊田泰光

1957 豊田泰光

1958 葛城隆雄

1959 豊田泰光

1960 豊田泰光

1961 豊田泰光

1962 豊田泰光

1963 小池兼司

1964 小池兼司

1965 小池兼司

1966 小池兼司

1967 大下剛史

1968 阪本敏三

1969 阪本敏三

1970 阪本敏三

1971 阪本敏三

1972 大橋穣

1973 大橋穣

1974 大橋穣

1975 大橋穣

1976 大橋穣

1977 石渡茂

1978 真弓明信

1979 石渡茂

1980 高代延博

1981 石毛宏典

1982 石毛宏典

1983 石毛宏典

1984 弓岡敬二郎

1985 石毛宏典

1986 石毛宏典

1987 水上善雄

1988 田中幸雄

1989 田辺徳雄

1990 田中幸雄

1991 小川博文

1992 田辺徳雄

1993 広瀬哲朗

1994 広瀬哲朗

1995 田中幸雄

1996 田中幸雄

1997 松井稼頭央

1998 松井稼頭央

1999 松井稼頭央

2000 松井稼頭央

2001 松井稼頭央

2002 松井稼頭央

2003 松井稼頭央

2004 川﨑宗則

2005 西岡剛

2006 川﨑宗則

2007 TSUYOSHI

2008 中島裕之

2009 中島裕之

2010 西岡剛

2011 中島裕之

2012 中島裕之

2013 鈴木大地

2014 今宮健太

2015 中島卓也

2016 鈴木大地

2017 今宮健太

2018 源田壮亮

2019 源田壮亮

2020 源田壮亮

2021 源田壮亮

2022 今宮健太

2023 紅林弘太郎

 投  杉内俊哉

 捕  城島健司

 一  J.ズレータ

 二  堀幸一

 三  今江敏晃

 遊  西岡剛

 外  M.フランコ / 宮地克彦 / 和田一浩

 指  松中信彦

 投  ダルビッシュ有

 捕  里崎智也

 一  A.カブレラ

 二  田中賢介

 三  G.ラロッカ

 遊  TSUYOSHI

 外  稲葉篤紀 / 森本稀哲 / 大村直之

 指  山﨑武司

 投  和田毅

 捕  嶋基宏

 一  A.カブレラ

 二  田中賢介

 三  小谷野栄一

 遊  西岡剛

 外  多村仁志 / T-岡田 / 栗山巧

 指  福浦和也

1950 千葉茂

1951 千葉茂

1952 千葉茂

1953 千葉茂

1954 箱田弘志

1955 井上登

1956 井上登

1957 井上登

1958 井上登

1959 土屋正孝

1960 井上登

1961 土屋正孝

1962 小坂佳隆

1963 高木守道

1964 高木守道

1965 高木守道

1966 高木守道

1967 高木守道

1968 土井正三

1969 土井正三

1970 安藤統夫

1971 国貞泰汎

1972 J.シピン

1973 J.シピン

1974 高木守道

1975 大下剛史

1976 D.ジョンソン

1977 高木守道

1978 D.ヒルトン

1979 F.ミヤーン

1980 基満男

1981 篠塚利夫

1982 篠塚利夫

1983 真弓明信

1984 篠塚利夫

1985 岡田彰布

1986 篠塚利夫

1987 篠塚利夫

1988 正田耕三

1989 正田耕三

1990 高木豊

1991 高木豊

1992 和田豊

1993 R.ローズ

1994 和田豊

1995 R.ローズ

1996 立浪和義

1997 R.ローズ

1998 R.ローズ

1999 R.ローズ

2000 R.ローズ

2001 E.ディアス

2002 今岡誠

2003 今岡誠

2004 荒木雅博, G.ラロッカ

2005 荒木雅博

2006 荒木雅博

2007 田中浩康

2008 東出輝裕

2009 東出輝裕

2010 平野恵一

2011 平野恵一

2012 田中浩康

2013 西岡剛

2014 山田哲人

2015 山田哲人

2016 山田哲人

2017 菊池涼介

2018 山田哲人

2019 山田哲人

2020 菊池涼介

2021 山田哲人

2022 牧秀悟

2023 牧秀悟

 投  前田健太

 捕  阿部慎之助

 一  T.ブランコ

 二  西岡剛

 三  村田修一

 遊  鳥谷敬

 外  長野久義 / W.バレンティン / M.マートン

1972 大下剛史

1973 桜井輝秀

1974 桜井輝秀

1975 B.マルカーノ

1976 B.マルカーノ

1977 山崎裕之

1978 B.マルカーノ

1979 B.マルカーノ

1980 山崎裕之

1981 山崎裕之

1982 大石大二郎

1983 大石大二郎

1984 大石大二郎

1985 西村徳文

1986 辻発彦

1987 白井一幸

1988 辻発彦

1989 辻発彦

1990 辻発彦

1991 辻発彦

1992 辻発彦

1993 辻発彦

1994 辻発彦

1995 小久保裕紀

1996 大島公一

1997 大島公一

1998 金子誠

1999 金子誠

2000 大島公一

2001 井口資仁

2002 高木浩之

2003 井口資仁

2004 井口資仁

2005 西岡剛

2006 田中賢介

2007 田中賢介

2008 田中賢介

2009 田中賢介

2010 田中賢介

2011 本多雄一

2012 本多雄一

2013 藤田一也

2014 藤田一也

2015 L.クルーズ

2016 藤田一也

2017 鈴木大地

2018 中村奨吾

2019 浅村栄斗

2020 外崎修汰

2021 中村奨吾

2022 外崎修汰

2023 中村奨吾

1972 大橋穣

1973 大橋穣

1974 大橋穣

1975 大橋穣

1976 大橋穣

1977 大橋穣

1978 大橋穣

1979 高代延博

1980 水上善雄

1981 石毛宏典

1982 石毛宏典

1983 石毛宏典

1984 弓岡敬二郎

1985 石毛宏典

1986 石毛宏典

1987 弓岡敬二郎

1988 田中幸雄

1989 田辺徳雄

1990 田中幸雄

1991 田中幸雄

1992 田辺徳雄

1993 広瀬哲朗

1994 広瀬哲朗

1995 田中幸雄

1996 田中幸雄

1997 松井稼頭央

1998 松井稼頭央

1999 小坂誠

2000 小坂誠

2001 小坂誠

2002 松井稼頭央

2003 松井稼頭央

2004 川﨑宗則

2005 小坂誠

2006 川﨑宗則

2007 TSUYOSHI

2008 中島裕之

2009 金子誠

2010 西岡剛

2011 中島裕之

2012 中島裕之

2013 今宮健太

2014 今宮健太

2015 今宮健太

2016 今宮健太

2017 今宮健太

2018 源田壮亮

2019 源田壮亮

2020 源田壮亮

2021 源田壮亮

2022 源田壮亮

2023 源田壮亮

 投  松坂大輔

 捕  城島健司

 一  福浦和也

 二  西岡剛

 三  今江敏晃

 遊  小坂誠

 外  SHINJO / 大村直之 / サブロー

 投  ダルビッシュ有

 捕  里崎智也

 一  福浦和也

 二  田中賢介

 三  今江敏晃

 遊  TSUYOSHI

 外  サブロー / 森本稀哲 / 稲葉篤紀

 投  涌井秀章

 捕  嶋基宏

 一  小久保裕紀

 二  田中賢介

 三  小谷野栄一

 遊  西岡剛

 外  坂口智隆 / 糸井嘉男 / 栗山巧

89 王貞治

86 鹿取義隆(投手)

84 武田一浩(投手)

87 大島康徳(打撃)

85 辻発彦(内野守備走塁)

88 弘田澄男(外野守備走塁)

11 清水直行

12 藤田宗一

15 久保田智之

18 松坂大輔

19 上原浩治

20 薮田安彦

21 和田毅

24 藤川球児

31 渡辺俊介

40 大塚晶則

41 小林宏之

47 杉内俊哉

61 石井弘寿(途中離脱)

61 馬原孝浩(追加招集)

22 里崎智也

27 谷繁元信

59 相川亮二

1 岩村明憲

2 小笠原道大

3 松中信彦

7 西岡剛

8 今江敏晃

10 宮本慎也

25 新井貴浩

52 川﨑宗則

5 和田一浩

6 多村仁

9 金城龍彦

17 福留孝介

23 青木宣親

51 イチロー

77 星野仙一

88 田淵幸一

80 山本浩二

72 大野豊

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

14 小林宏之

16 涌井秀章

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

27 藤川球児

28 長谷部康平

60 成瀬善久

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

6 井端弘和

7 西岡剛

17 荒木雅博

25 新井貴浩

36 宮本慎也

50 川﨑宗則

55 村田修一

5 和田一浩

9 大村三郎

23 青木宣親

29 森野将彦

41 稲葉篤紀

77 星野仙一

88 田淵幸一(ヘッド兼打撃)

72 大野豊(投手)

80 山本浩二(守備走塁)

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

15 田中将大

16 涌井秀章

17 成瀬善久

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

21 和田毅

28 藤川球児

47 杉内俊哉

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

2 荒木雅博

3 中島裕之

6 宮本慎也

7 西岡剛

25 新井貴浩

52 川﨑宗則

55 村田修一

23 青木宣親

31 森野将彦

41 稲葉篤紀

46 佐藤隆彦

1巡目:西岡剛

3巡目:浅間敬太

4巡目:神田義英

5巡目:鈴木貴志

6巡目:金澤岳

7巡目:酒井泰志

8巡目:早坂圭介

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日本

日本の野球選手

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大阪桐蔭高等学校出身の野球選手

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

ミネソタ・ツインズの選手

阪神タイガース及びその前身球団の選手

栃木ゴールデンブレーブスの選手

北九州下関フェニックス及びその前身球団の選手

盗塁王 (NPB)

首位打者 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

アジアシリーズ選手

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2024/09/27 18:52更新

nishioka tsuyoshi


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