谷口久次郎の情報(たにぐちひさじろう) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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谷口久次郎の情報まとめ
谷口 久次郎(たにぐち ひさじろう)さんの誕生日は1886年6月15日です。滋賀出身の政治家のようです。
卒業に関する情報もありますね。1973年に亡くなられているようです。
谷口久次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)谷口 久次郎(たにぐち きゅうじろう、1886年6月15日 - 1973年8月9日)は日本の政治家。滋賀県知事を2期8年務めた。『百姓知事』と親しまれた。 滋賀県西浅井郡大浦村(のち同郡永原村→伊香郡永原村→同郡西浅井村、現・長浜市西浅井町大浦)に生まれる。早稲田大学通信教育部法科を卒業し、故郷永原村の村会議員・村長を務め、県農協連合会長・県農業会議長等を歴任し、県会議員を2期務めた。1958年(昭和33年)に滋賀県知事選に立候補し、自由民主党反主流派(堤派)と社会党の支持と農業団体を背景にした選挙戦において、元農林大臣で現職知事の森幸太郎を破り第39代滋賀県知事に就任した。以降2期知事職にあり、1973年(昭和48年)8月9日老衰により自宅で死去した。 知事在職中、日本は高度経済成長時代にあり、滋賀県経済も伸張し高校5校の新設、琵琶湖大橋建設、県警庁舎・県合同ビル新築などの大型公共工事を行った。知事就任前年より開始した大中湖の干拓事業も総事業費41億円をかけ、1964年(昭和39年)に干陸し、1966年(昭和41年)から入植(216戸)が始まった。知事を辞した翌年1967年(昭和42年)には勲三等旭日中綬章を受章した。叙従四位。 「琵琶湖大橋開通記念碑」(昭和三十九年九月吉辰 滋賀県知事 谷口久次郎):琵琶湖大橋の堅田側の取り付け口に建立 「近江の文学碑を歩く」(滋賀県知事 谷口久次郎書):大津市本堅田二丁目 「堤康次郎先生顕彰之碑」(題字 谷口久次郎滋賀県知事):名神高速竜王IC付近 滋賀県立伊香高等学校には、滋賀県知事在職中に書いた書がある。 「大東亜戦争殉國英霊世界平和祈念供養塔」:大津市衣川二丁目「蓮華寺無心庵」 「琵琶湖の総合開発 滋賀県政運営の基本的な考え方」(谷口久次郎述 内外情勢調査会 1961年) ^ 「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会編 大和書房 1984年) ^ 『日本の地誌8 近畿圏』、朝倉書店、2006年、424-426頁 表 話 編 歴 神山郡廉 長浜県権令→犬上県権令 ※1872年10月滋賀県と合併し廃止。 松田道之 大津県令→滋賀県令 籠手田安定 権令→県令 中井弘 中井弘 岩崎小二郎 沖守固 渡辺千秋 大越亨 籠手田安定 折田平内 河島醇 鈴木定直 川島純幹 佐柳藤太 池松時和 森正隆 堀田義次郎 末松偕一郎 高橋守雄 黒崎真也 今村正美 堀田鼎 田寺俊信 除野康雄 山中恒三 未赴任 新庄祐治郎 伊藤武彦 村地信夫 二見直三 平敏孝 近藤壌太郎 並川義隆 菊池盛登 稲田周一 柴野和喜夫 岡本三良助 服部岩吉 森幸太郎 谷口久次郎 野崎欣一郎 武村正義 稲葉稔 國松善次 嘉田由紀子 三日月大造 滋賀県知事 滋賀県の市町村長 滋賀県議会議員 滋賀県の市町村議会議員 早稲田大学出身の人物 滋賀県出身の人物 勲三等旭日中綬章受章者 従四位受位者 1886年生 1973年没
2024/11/23 10:24更新
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taniguchi hisajirou
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