豊國福馬の情報(とよくにふくま) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
豊國 福馬さんについて調べます
■名前・氏名 |
豊國福馬と関係のある人
玉錦三右衛門: さらに、当時は既に大関に常陸岩英太郎・大ノ里萬助・豊國福馬・能代潟錦作の4人が在籍していたため、5大関では番付の編成上バランスが悪いとされた。 |
豊國福馬の情報まとめ
豊國 福馬(とよくに ふくま)さんの誕生日は1893年8月26日です。大分出身の相撲のようです。
引退に関する情報もありますね。1942年に亡くなられているようです。
豊國福馬のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)豊國 福馬(とよくに ふくま、1893年8月9日 - 1942年5月5日)は、大分県大分市下郡滝尾出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 福馬(たかはし ふくま)。最高位は東大関。 1893年8月9日に大分県大分市下郡滝尾で生まれる。少年の頃から堂々たる体格で、20歳の徴兵検査では既に181cm・80kgだった。小倉北方野戦砲兵第12連隊に所属していたところ、その体格に注目した隣の連隊長から力士転向を勧められたため、除隊・上京して井筒部屋へ入門した。1915年1月場所において初土俵を踏んだ。四股名は当時引退したばかりで、明治時代の相撲黄金期を築き上げた常陸山谷右エ門の「陸」と錦洋与三郎の「錦」を取って「陸錦(くがにしき)」とした。 序二段・三段目で全勝するなど順調に出世していき、1919年1月場所で新十両、1921年5月場所で新入幕を果たした。これを機に四股名を「小野川」としたが、小野川の名は後援者から勧められたとしても流石に下の名前を「喜三郎」とする訳にはいかず、喜三郎には遠く及ばないとして2つ減らして「小野川 喜一郎」とした。入幕後は小野川の名に恥じないように猛稽古を行い、当初は相手を強烈に突いてから叩き込む取り口だったが、地力を付けるとその体格を生かして左四つからの鋭い電車道の寄り、小手投げ、泉川などの多彩な技を持つ堂々たる取り口に進化したものの、腰の脆さが弱点でそこを突かれるとあっさり敗れた。 1926年の東西合併に先立ち、1925年から1926年にかけて実力審査のため東西連盟大相撲が開催されたが、大坂相撲側の年寄に小野川が存在したことから、1926年10月の第2回東西連盟大相撲には生国に因んだ「豊國 喜一郎」の四股名で出場した。本場所では東西合併後も小野川で取っていたが、1928年3月場所から「豊國 福馬」と改めた。 1927年1月場所で関脇に昇進し、同年3月場所・5月場所において連続して9勝2敗の好成績をあげたことが評価され、場所後に大関昇進を果たした。大関昇進後は当時最強を誇っていた横綱・常ノ花寛市に通算5勝4敗と勝ち越したほか、1929年3月場所、1930年1月場所と9勝2敗で幕内最高優勝を果たした。これによって横綱昇進は秒読み段階とも言われたが、同年10月場所で腰部負傷によって途中休場したのを最後に現役を引退した。 引退後は年寄・九重を襲名して九重部屋を経営したが、体調不良を理由に1937年5月場所を最後に日本相撲協会を廃業、弟子の九ヶ錦坦平たちは朝日山部屋へ転属となった。1942年5月5日に死去、48歳没。 通算成績:208勝101敗2分3預36休 勝率.673 幕内成績:162勝87敗2分1預31休 勝率.651 大関成績:82勝43敗18休 勝率.656 現役在位:40場所 幕内在位:26場所 大関在位:13場所 三役在位:4場所(関脇3場所、小結1場所) 各段優勝
序二段優勝:1回(1917年1月場所) 1925年5月場所の2休は相手力士の休場によるもの 陸錦 福馬(くがにしき ふくま):1915年1月場所 - 1921年1月場所 小野川 喜一郎(おのがわ きいちろう):1921年5月場所 - 1928年1月場所 豊國 福馬(とよくに ふくま):1928年3月場所 - 1930年10月場所(引退) 九重 福馬(ここのえ ふくま):1931年1月 - 1937年5月(廃業) ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p37 ^ 7枚目とする資料が多いが番付では12枚目 ^ インフルエンザ・左側肱関節炎により全休 ^ 腰部負傷により4日目から途中休場 ^ 下の名を福太とする資料があるが番付では全て福馬 大関一覧 千代大海龍二 - 大分市出身の大関で、こちらも引退後に年寄・九重を襲名し、九重部屋を運営している。 小池謙二『全幕内力士個人別大相撲星取大鑑』昭和編第1巻(医聖社) 表 話 編 歴 高見山酉之助 常陸山谷右エ門 太刀山峯右エ門 鳳谷五郎 両國勇治郎 西ノ海嘉治郎 (2代) 大錦卯一郎 栃木山守也 常ノ花寛市 鶴ヶ濱増太郎 西ノ海嘉治郎 (3代) 大蛇山酉之助 宮城山福松 常陸岩英太郎 能代潟錦作 玉錦三右エ門 豊國福馬 山錦善治郎 武藏山武 綾櫻由太郎 清水川元吉 沖ツ海福雄 男女ノ川登三 双葉山定次 出羽湊利吉 安藝ノ海節男 羽黒山政司 佐賀ノ花勝巳 前田山英五郎 備州山大八郎 東富士欽壹 増位山大志郎 千代の山雅信 照國萬藏 栃錦清隆 鏡里喜代治 時津山仁一 吉葉山潤之輔 三根山隆司 朝潮太郎 (3代) 若乃花幹士 (初代) 安念山治 玉乃海太三郎 若羽黒朋明 若三杉彰晃 大鵬幸喜 柏戸剛 佐田の山晋松 栃ノ海晃嘉 北葉山英俊 富士錦猛光 北の富士勝昭 若浪順 玉の海正洋 琴櫻傑將 清國勝雄 栃東知頼 長谷川勝敏 輪島大士 高見山大五郎 北の湖敏満 魁傑將晃 貴ノ花健士 金剛正裕 三重ノ海剛司 若乃花幹士 (2代) 千代の富士貢 琴風豪規 隆の里俊英 北天佑勝彦 若嶋津六夫 多賀竜昇司 朝潮太郎 (4代) 北勝海信芳 大乃国康 旭富士正也 小錦八十吉 霧島一博 琴富士孝也 琴錦功宗 貴乃花光司 曙太郎 水戸泉政人 若乃花勝 武蔵丸光洋 貴ノ浪貞博 千代大海龍二 出島武春 武双山正士 貴闘力忠茂 魁皇博之 琴光喜啓司 栃東大裕 朝青龍明徳 白鵬翔 琴欧洲勝紀 日馬富士公平 把瑠都凱斗 旭天鵬勝 鶴竜力三郎 照ノ富士春雄 琴奨菊和弘 豪栄道豪太郎 稀勢の里寛 栃ノ心剛史 御嶽海久司 貴景勝貴信 玉鷲一朗 朝乃山英樹 德勝龍誠 正代直也 大栄翔勇人 若隆景渥 逸ノ城駿 阿炎政虎 霧島鐵力 豊昇龍智勝 尊富士弥輝也 大の里泰輝 一覧 年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。 表 話 編 歴 161代 能代潟錦作 162代 常陸岩英太郎 163代 豊國福馬 164代 玉錦三右エ門 165代 武藏山武 166代 清水川元吉 167代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎 170代 前田山英五郎 171代 羽黒山政司 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男 174代 照國万蔵 175代 名寄岩静男 176代 佐賀ノ花勝巳 177代 東冨士謹一 178代 汐ノ海運右衛門 179代 増位山大志郎 180代 千代ノ山雅信 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治 183代栃錦清隆 184代 三根山隆司 185代 大内山平吉 186代 松登晟郎 187代 若乃花勝治 188代 朝汐太郎 189代 琴ヶ濱貞雄 190代 若羽黒朋明 191代 柏戸剛 192代 大鵬幸喜 193代 北葉山英俊 194代 佐田の山晋松 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之 197代 豊山勝男 198代 北の富士勝昭 199代 玉乃島正夫 200代 琴櫻傑將 201代 清國勝雄 202代 前の山太郎 203代 大麒麟將能 204代 輪島大士 205代 貴ノ花利彰 206代 大受久晃 207代 北の湖敏満 208代 魁傑將晃 209代 三重ノ海剛司 210代 旭國斗雄 211代 若三杉壽人 212代 増位山太志郎 213代 千代の富士貢 214代 琴風豪規 215代 隆の里俊英 216代 若嶋津六夫 217代 朝潮太郎 218代 北天佑勝彦 219代 大乃国康 220代 北尾光司 221代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 223代 旭富士正也 224代 霧島一博 225代 曙太郎 226代 貴ノ花光司 227代 若ノ花勝 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋 230代 千代大海龍二 231代 出島武春 232代 武双山正士 233代 雅山哲士 234代 魁皇博之 235代 栃東大裕 236代 朝青龍明徳 237代 琴欧洲勝紀 238代 白鵬翔 239代 琴光喜啓司 240代 日馬富士公平 241代 把瑠都凱斗 242代 琴奨菊和弘 243代 稀勢の里寛 244代 鶴竜力三郎 245代 豪栄道豪太郎 246代 照ノ富士春雄 247代 髙安晃 248代 栃ノ心剛史 249代 貴景勝貴信 250代 朝乃山英樹 251代 正代直也 252代 御嶽海久司 253代 霧島鐵力 254代 豊昇龍智勝 255代 琴櫻将傑 256代 大の里泰輝 大分県出身の大相撲力士 井筒部屋 九重部屋 1893年生 1942年没
2024/11/11 17:14更新
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